2003 8月後半                 

これも幸せの一つか 2002/8/28/(木)
 電話が鳴る。
 「ぷあーぷあーーーーーーーーーーーーーーー」
・・・・ゆめだ。
「あのね、ごにゃらがあごにゃると、あーこしょでるて、だぎって、パパが、べりゅごにゅの!」
「ああそう〜〜よかったねえ、ゆめ」
「うん!」
「今日はご飯何食べたの?」
「にゃんにゃん」
「にゃんにゃん?猫食べたのか!?」
「うん!!」

・・・・・いつもながら疲れる会話だ。
ひとしきり話すゆめの話が何であるか必死に推理し、適当に会わせて相づちをうち、頃合いを読んで
「ゆめちゃん、ママ呼んでくれる?」
と頼むと、
「あい!マーマー!!お”−−−−−−−−−−−−−−−−い!!」
と呼んでくれる。ママが来て、
「代わって、ゆめちゃん」
と頼んでも、
「い”や”ーーーーーーーーーーーーーーーーー」
と断る。
それならなぜ呼ぶのだ。

 電話が切れて再度鳴る。
「パパ。」
ママだ。後ろではゆめが大泣きしている。
「あたしをパパとしゃべらせたくなかったんだって」

 今日、他校に転勤した先生一家が来ていたのだが、その中にゆめと同級生の女の子がいた。試みに、
「パパ好き?」
と聞いてみたところ、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 かなり長い間があって、結局答えてくれなかった。
「帰りが遅くて、ほとんど母子家庭だから〜〜」
と、ママさんがあわててフォローしていたっけ。悪いこと聞いちゃったな。
 同じ5才でこの差かあ・・・。とりあえず幸せなんだよなあ。

 

独特君 2002/8/27/(水)
 ママは独特の価値観というのか?考え方を持っている。
「謝るのはただなんだから、謝っちゃいなさい」
とか、
「ぴー(パパのぴー)とゆめの抜け殻」
と言うから何のことかと思ったら、脱ぎ散らかした服だったり、
「ベランダの子供達」
というから、なんだ!?と思ったら、ベランダのガーデニング植物のことだったり、
「何で掃除しない」
と責めると、
「パパが散らかすから掃除機がかからない」
いや、これはどこの家庭も同じか。
 
 極めつけなのは、ゆめの口がうんこくさい理由だ。
「大人よりも直腸と口の間が短いからにおうんだ」
とのたまわった。真顔で。

 そんな訳あるかと思いつつ、もしかしてそうかもと思わせるところがどうにも怪しい。
 ゆめに、レストランではジュースというのはお冷やのことだと教えたのもママだ。以来、ゆめは「ジュース」と言いつつお冷やを飲んでいる。
 やれやれ。

 

書いてたら臭ってきたぜ 2002/8/26/(火)
 晩飯あと、トイレに行ったらうんこがいてびっくり。
「はるのやつ〜〜」
と思ったが、よくよく考えたらそれは俺のだ。帰ってきてすぐもよおし、もりもりしたあとで流し忘れたことを思い出した。

 ひさしぶりだーーーーー

 学生時代3回ほど同じ経験があった。そのときも当時つきあっていた彼女の仕業と早合点し、一度など彼女が帰ってくるまで流さず待っていて、現場検証したっけ。いや、あれは本当に彼女の仕業だったかな。本当に彼女が犯人だったことも確かあったモンな。まあいいや。
 懐かしい思い出だーーー

 そういやあ、ゆめなんかもっと激しいことしたなあ。しかもお風呂で。
 湯船の中でしたと思うのは、甘い。
 ゆめは洗い場でした。
 そのときゆめは子供椅子に座っていたのだが、髪を洗われるのが嫌いな彼女は、「いやーーーーーーーーーーー」と叫んだ拍子にやっちゃったらしい。そのときはきずかなんだが、髪をすすぎ、お風呂に入れ直し、自分も入り、ゆめを先にだし、いざ自分が体を洗おうとして子供椅子をどかしたときに発見したという何ともお粗末な次第だ。
 臭うなあとは思っていたのだけど、ゆめめおならしたなくらいにしか考えなかったんだよな。だって、実物があるなんて思わないじゃんよ。しかも真ん中に穴のあいた子供椅子だったので、椅子の穴を通してその下にあるんだもんなあ。
 ゆめ本人が恥ずかしがると思う(そうか?)ので、実はこのことははるにさえも教えていない。
 本邦初公開。
 PPPの当番日誌みたいに絵も載せようかねえ。

 

無償の愛 2002/8/25/(月)
 この日記はそもそもの趣旨が趣旨であるから、自分の気持ちを正直に書き記す。

 たまに実家に戻るとじいじばあばは甲斐甲斐しくゆめの面倒を見てくれる。僕ら夫婦にしてみれば、仕事に疲れたあと、一日中面倒を見たあとで、さらに深夜に及ぶゆめ様のお世話に疲れているので、このじいじばあばの面倒見の良さは大変ありがたい。
 しかし、このごろ様子が違う。ばあばが以前とは違う態度なのだ。
 ばあばの横でいつものように僕がゆめをしかっているとする。性格上、ゆめが理解していようといまいと理屈でしかる。なぜいけないかを話しながら、しかる。すると横で見ていたばあばが、
「ゆめちゃん、パパがいけないっていってるでしょ」
「何でそんなにわがまま言うの」
と言うことが多くなった。
 あれっ?て思う。
 いつもならそんなに同調しないのに、このごろはゆめのわがままを見とがめることが多いのだ。僕はそれに違和感を覚える。
 なぜか。
 答えは簡単。僕はゆめの面倒を自分で見る代わりにじいじばあばを人身御供としてゆめに押しつけ、その間楽をしたいのだ。その対象がゆめのわがままを許容しなくなるのは僕にとって厳しいことだし、我が家のしつけに口を挟まれることに対しても許し難い気持ちがある。同時に、じいじばあばには、常にゆめに対して無償の愛を欲しいという気持ちもある。
 わがままはいかん。でもそれはものの道理が理解できる者に対して通用する考え方だ。理屈でしかっておきながらもゆめに道理が理解できているとは思っていない僕としては、身勝手だろうけれど、しかる僕に対して、自分の体一つ意思道理に行かないゆめにとっての飴がじいじばあば。本来なら甘やかしのじいじばあばを諫めはすれども一緒にしつけてくれることをうれしく思って良いはず。でも、じいじばあばには、せめてあなた達はゆめに対して常に味方でいてあげて欲しい。
 また、このごろ思うのだが、障害を持った子供に対して常に愛情を注げるのは結局両親だけではないか。みんな優しいよ。でも、それは日常じゃないからじゃないかと思ってしまう。我々夫婦にとってはゆめが障害を持っていることや、それに付随する様々な障壁は日常だが、他の人にとっては所詮他人事。たまに会うから優しくもできよう。悪い意味ではない。それで当然だと思う。でも、これって卑しい考え方だとも思う。

 何でこんな事を書くかと言えば、このごろばあばが従兄弟の結衣の方をかわいがっているからだ。
 ま、当然だろう。自分だってリュウマチでつらい体を押しているのだ、たまに来て、体重も軽くてわがまま言わないまだ小さい結衣の方が扱いやすい。
 でもね、ゆめは佐久間では良い子なんだ。わがままもたいして言わないし。
 じいじばあばの前で余計にわがままを言うのは聞いてくれるから。それがあとから来た結衣にばかりかまけていればおもしろかろうはずがない。よけいにわがままにもなろうというもの。
 よく次子が生まれたら、長子をよけいにかわいがれというが、今のゆめと結衣の関係がまさにそれに当てはまる。それを教えてくれたのは誰あろうばあばなのだが、結局なんだかんだいったところで、楽な方へ流れていくのだなと思うわけだ。
 いや、責めるつもりはない。しかたないと思う。ただ、ちょっと裏切られたような気がするだけ。寂しいなと思うだけ。僕らにも甘えがあったのだから、一方的に非難することなどできはしない。でも、やっぱり、結衣は誰からでも愛情をもらえるが、ゆめは肉親や親戚縁者からしか(ここ、言い方が難しいんだけど)安心して愛情を受けにくいんじゃないのかな。そのきわめて近い肉親の態度が、ちょっと悲しいなって思うのさ。だって、僕らと同レベルくらいゆめのことをわかってくれてるはず(おそろしく聡明なばあばのことだ、僕らの気持ちは痛いくらい理解しているだろう。思春期の頃、僕ですら障害を持つ弟に心を裂くばあばに、余計な心配事をかけまいと自分をずいぶん殺したくらいなのだから。兄弟平等であろうとするばあばの負担を増やしたくなかったからだ。何にもわかってないガキにそう認識させるくらいなのだから、障害を持つ子供のいる家庭の大変さをわかっているはずだ。)なんだから、それが僕らと違う対応って・・・。

 どこの家庭でも同じなのかな。おそらくどの家庭でも同じだろう。よく聞く話だ。障害を持った兄弟よりも、健常な兄弟に愛情を注ぐ。
 それともこれは僕のひがみか。愚痴か。
 うちの場合、ばあばはおそらく日がたてばこんな感情なんか消えて無くなり、一時の気の迷いみたいに以前のように接してくれるだろう事が、余計に寂しい。だからあえてここに記す。なんか風化させてはいけないことのような気がする。隠してもいけないことのような気がする。

 

悪口 2002/8/24/(日)
 「ゆめなんかよだれだらだよ今日は〜〜〜。ああ、もう、Tシャツになすりつけるなよなあ〜〜」
 と僕が言ったら、膝の上のゆめが
「ご〜〜にょごにょごにょ、だおう!もうあ!!」
と言った。
 オウム返しか?まさかと思うが、悪口言ったのがわかるのかな?口調でわかるのか?試しに普通の言い方で悪口言ってみた。そしたら今度もなにやら言い返してきた。
 やっぱりわかるんだ。以前は確か言い方かえたらわからなかったような気がする。

 パパはお前の成長が楽しいよ、まったく。

 

キーボード台ややカントリー調 2002/8/23/(土)
 朝早くから店の方で音がする。昨日の続きのキーボードの台をママが作っている。このキーボード台はママが真剣なので、共同作業なのだ。



が、結局「ああしてこうして」とこき使われるのは僕なのね。このあとの作業は一人でやりました。途中で設計ミス発覚。ちょっとけんかになった。「ああしてこうして」も結構だが、簡単に言ってくれるよ。ぷんぷん。

 作っていて気がついたのだが、柱がないんだね、家具って。今まで作品をくくりつける台ばかり作ってきたから必ずと言うよりほとんど柱で組み立てることがメインだったんだが、家具は柱がない。改めて家の家具も見たが、やっぱり柱がない。そういうものなんだな。へ〜〜って感じ。

 さて、何とか無事できあがりました。(写真は”気まぐれアルバム”で。)まあ、初めて作ったにしては上等かなあなんて思うのだ。

 途中で色々考えた。はると結婚したからゆめが生まれ、ゆめが障害持ってたから障害教育に惹かれ、はるがインテリア系の人だから家具まで作ることになり、技術を磨けた。何より工具を買いそろえることに反対されない☆にやり。

 なにはともあれ、ゆめは大喜びでキーボードにかぶりつく。立ったまま弾いたふり〜〜、気分だけは演奏者〜〜。
 しっかしどこにおくの?こんなでかいの・・・

 

工作 2002/8/22/(金)
 ”火垂るの墓”をやってたね。今年もがんばって見たよ。前回もがんばって見たけどさ。最後が少しカットされてたから、また次回もがんばって見ないといけないな。

 香典返しはカタログから選ぶ商品がこのごろはやりだ。ゆめのためにカシオの電子キーボードを選んでくれたらしいのだが、それが昨日届いた。今日はそれをのせる台を作った。ママが大乗気だったので、その勢いでトリマーと、バッテリードライバードリルをもう一台買った。ママはどうも嗜好がカントリー調だが、僕はスタイルに頓着無い。そこでママの設計図で作ることになった。
 全高を60cm位にすると、ちょうどゆめが立って演奏する高さだ。昨日の杉江先生の検診でも、立ち上がって腰に重力をかけた方が骨の成長に良いと言ってたから、この台も立位をとれる大きさにした。

 僕はトリマー初体験だ。簡単そうだが意外と難しい。きっちり同じ溝を掘るためにトリマーを板にしっかりおさえつけるのって、際限なく深い溝が掘れていってしまいそうで怖かった。実際はソンなことにはならないんだけどさ。
 面取りのあとは先に塗装することにした。ニスの光沢はあまり好きではないので、刷毛塗りしないで布でこすり塗装した。なかなか良い色合いになった。

 今日はここまで。明日組み立てる。
 完成したらゆめはよろこんでくれるだろうか。

 

のぞみ 2002/8/21/(木)
 今日はゆめが”のぞみ”の日だ。ちょうど良い機会なのでついて行った。
 車で送り届けたのだが、プールの日だから男一人でママ達の中に入っていくのはまずかろう(ママ達もプールにはいるのだ)と思い、車のそばで待っていた。あとで聞いたのだが、ゆめは”のぞみ”の教室に入るなり「なんだ、今日はここか。もっと良いところへ遊びに行くかと思ったのに。」と言う顔をし、しきりに外に出たがったそうだ。外にパパが居ると言うことを知った先生達は納得したそうな。
 待っている間撲が何をしていたかというと、道路に寝っ転がって本を読んでいた。知らない人が見たらまるっきり浮浪者だろうな。これを毎年バイク旅行の際にやっているのだから、しょうがない話だ。おまけに半ズボンだったから足が真っ赤に日焼けした。たかだか2時間くらいだったのだが。たしか6年ほど前、教員採用試験の1次試験で早々に不合格となった僕は、近所の公園で上半身裸になって芝生に寝転がり本を読んでいた。約2時間後、上半身真っ赤に日焼けした僕は、間もなく日焼けが火傷であることに気づいた。それが7月の半ば。その後8月いっぱい、日焼けに苦しみ動くに動けず、昼夜を分かたず椅子に座り続けたのだった。苦い教訓だったが、全く生かされていないのであった。

 お迎えの3時半になり、帰りの会のあとに杉江先生の検診を受けた。いつも泣いているのか?「今日は泣かないねえ」と杉江先生がしきりに言う。どうも僕が一緒の時はいつも泣かないようだな。
 ところで、見るたびに杉江先生は若返っているように感じるのは気のせいなのかな。

 帰りの車内ではゆめはもうへろへろ。眠くて仕方ないらしい。元気いっぱい遊んで楽しかったんだね、ゆめ。パパもゆめのプールを見たかったよ。