2004 6月前半                 

プロポーズ 04/6/16/(水)
「あ、そういえば今日ねえ、ゆめ、プロポーズされたんだって♪」
「な”に?!ほんとか、ゆめ!?」
「うん」
「まさか、”うん”って、言った・・・のか?」
「うん」

 ゆめのその一言で、俺のハートは一気に荒野へと投げ出された。。。

どこまでも続く荒れた大地。日暮れかけた薄闇の中で、朽ちた白骨が語りかける。
「旅の人、どこから来た・・」
「ああ、どこか遠くからです。。。」
「どこへ行く・・」
「どこへ。。行けば良いんでしょうか。。。」
「迷っている・・」
「はい。。娘が、プロポーズを受けたんです。。まだ5歳なのに。。。嫁にやる父の心境は、こうなんだろうなあと。。。」
「己の信じる道を行くのだ・・・」
「信じる・・道・・?・・・そうか!」

「ゆめ、ほんとは”うん”って言ってないんだろ?」
「どんな風にプロポーズされたの?ママにも教えて。」
「お・おい、ママ・・」
「あのね、んとね、あのねー、しー!!」
「あ、言っちゃいけなかった?そうだよね、パパ、泣いちゃうね」
「が〜〜ん!うぇーん」
「こちょこちょこちょ!」
「ほら、ゆめが慰めてくれてるよ」

 ママのその一言で、俺のハートはガラスのように砕け散った。。。ゆめよ、その年で、すでにあめとむちを使いこなすか。。。 

抱っこ 04/6/14/(月)
「おーい、パ〜パッチー!」
とゆめが呼ぶ。
近づくと、
「だっこ」
と言うので、抱っこしようとすると、先に”お世話人形ぽぽちゃん”を抱けという。ではとぽぽちゃんを抱えれば、それよりもあたしを抱けという。

なんじゃらほい。

 結局、ぽぽちゃんを抱いたゆめを抱っこしてパソコンに向かった。

「それってさ〜、赤ちゃんはパパに任せて、ママはあたしって言いたかったのかなあ?」
「いや、ゆめもひざに入ってたから、違うだろう。お前は単に置き去りにされただけだ。」

 さて、事実はあと3ヶ月したら分かる。
 それはそうと、ぽぽちゃんはゆめに落書きされて、見るも無惨な入れ墨状態だ。赤ちゃんの運命や如何に・・・。

うなり声 04/6/13/(日)
 就寝中、久々にうなされる俺。。。。
「う・・お”〜〜・・」
振り絞ったうなり声に、びくっと反応するのはゆめ・・・

「うお”〜・・・」
「ふぇ〜〜〜」
「うお”・・・」
「ふ・ぇ・・・」



うなり声と泣き声で、今日も新都田の夜は更ける・・・

グラスの音 04/6/10/(木)
夕飯時、ゆめがぐずる。

ジュースを所望なので、麦茶のグラスを持たせる。

中身が気に入らないと怒る。

「おいしいよ。かんぱーい」と、グラスを合わせる。

カチン☆ と、澄んだ音がする。

ゆめは機嫌を直して飲み出す。

「んんん」と、麦茶のピッチャーを指さす。

「ん?まだ入ってるじゃん。全部飲んだら入れてあげる」というと、僕のグラスを指さした。

どうやら僕のグラスに入れろということらしい。

僕のグラスに麦茶を足してみた。

ゆめは、そうっとグラスを合わせた。

チン☆ と、きれいな音がした。

ゆめと僕は、ほほえみながら飲んだ。

「ゆめちゃん、ママには?」と、うらやましくなったママが聞く。

「いやー」と、ゆめが言う。

ゆめはまた、自分のグラスを僕のグラスにそうっと合わせ、チン☆ と音がした。

僕とゆめは、また、ほほえみあいながら、麦茶を飲んだ。

 

マニキュア 04/6/9/(水)
 帰宅した俺を待っていたのは、大の字になって寝ているゆめだった。今朝、彼女は4時おき。俺睡眠不足。ママも睡眠不足。もちろんゆめも睡眠不足。ゆめは今日は保育園に行った日なので、くたくたなんだろう。
 夕ご飯時、やっと起きたゆめがご飯を食べようとして自分の手を見たとき、
「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーー」
と、叫んだ。両手を、こう、かぎ爪のように曲げて、爪が自分の方に向くようにしておいてから、ぎゃーと叫んだ。もうご飯どころじゃない。ぎゃーぎゃー大騒ぎ。

 ゆめのつめ、それは燃える火のように真っ赤なマニキュアが塗られていた。
「あれ、お前の仕業だろう。」
と、ママに聞くと、
「そうだよ。無防備だったし、いつもせがんでくるから、喜ぶと思って。ついでに顔も剃ってみた。まだ足のマニキュアには気がついてないみたい。」

 ゆめは以前は、何でも良いから塗ってくれと、ママの真似して自分専用のマニキュアを買ってもらって、大事そうに抱えていたものだが・・・いつの間にか成長したのね。気に入らない色ってことで、こんなに大騒ぎしてからに。。。

「全然喜んでませんけど。」
「褒めれば良いんじゃないかなあ」
ということで、
「わー、ゆめちゃんすてき!」
「ほんとだーー、かわいいー」
←これを俺も一緒にやるのだ。。。。
と、言ってみてもダメ。ご飯も食べずに騒ぎまくり。
「ぎゃーーーー!!いやん、ぷーー!!」
いやんぷーだってさ、かわいくねーがきだな、まったく。
 結局マニキュアはママに取らせてた。

 でも、これだけ大騒ぎしていても、相変わらず足のマニキュアには気がついてない。。。

 『ヒス女、総身に注視は、回りかね』
(大男、総身に知恵は、回りかね)・・・ってか。
 

ビデオ 04/6/7/(月)
 ゆめが、見たことない服を着ている。こんなの持ってたんだと思っていると、”のぞみ”と書いてある。ママに聞くと、
「お着替えはお着替えバックに入ってるんだけどねえ。今日、先生たち忙しかったのかねえ。」

 そうだろう、たぶん。そういう日もあるさ。



 昨日、直ってきたビデオを接続したら、ゆめは早速”腹ぺこ青虫”のビデオを見た。実は俺も結構好き。絵が美しいからね。
 一通り見て、眠くなったことに腹を立てたゆめは、不条理にもビデオデッキをがちゃがちゃやりだした。これのせいで壊れたのに、かなわんなあと思いつつも、仕事があったので放っておいた。
 しばらくしてもう一回ビデオを見たいというのでかけてやると、何か違うアニメが映ってる・・・・・・おかしいと思ってカセットを取り出しても、それはやっぱり”腹ぺこ青虫”・・・まさかと思ったが、カセットの爪は折れていて、録画できない状態になっている。でも、かけるとやっぱり違うアニメ・・・・。








 やられた。。。。

 いったいどうやったかしらんが、ゆめめ、録画不可のカセットに、見事に録画しやがっった。
 思わずその違うアニメを見入ってしまったが、なんてこったい。もう一回、”腹ぺこ青虫”を買わなきゃいかんぜよ。。。。。

 それにしても、ゆめ、一体どうやったんだ????

ガーガッゴ 04/6/3/(木)
 ”のぞみ”に通うゆめは、5km離れたバス停まで車で行き、お迎えの専用バスを待つ。そのバス停に着く時間は、ちょうど”おかあさんといっしょ”の”あーいーうー”をやっているのだ。当然ゆめはカーナビの画面に釘付け(毎回カーナビでTVを見てるの)。車をおりたくなくて大変。
 でも、今日は違った。

 バス停に着いたとき、ちょうどそこには”ガーガッゴ”がいた。ガーガッゴ・・・それはコケコッッコのゆめ語版。コケコッコと言えばニワトリなのだが、ゆめにとって鳥はすべて”ガーガッゴ”なのだ。ついでにいうと、ゆめの中では牛は「ムームー」と鳴く。
 ガーガッゴに釘付けのゆめは、当然”あーいーうー”何か見てない。車を降りたくて大変。でも、怖くて近づくことなんかできはしないの。車の中からひたすら
「ガーガッゴ!ガーガッゴ!!」
と叫びまくり。
 

 ところで今日、某宗教団体が勧誘に来たらしい。何を言うかと思えば
「最近、子供の凶悪事件が増えてますよね。九州のあれとか。。。誰が悪いと思いますか?」
「家庭の教育じゃないですか。」←ママ
「午前中に伺ったおうちなんかは、学校が悪いと言ってました。学校が教えないから。」
「そんなの、親じゃないの?やって良いこと悪いこと、それは親の責任でしょう。」←ママ
「ええそうですね。午前中のお宅でも、『親はなにもしなくていいんですか』って聞いたんです。そしたら、『親は善悪を教えるんだ』っておっしゃってたんです。」

 なんじゃらほい。午前中の親は何が言いたいのだ?「学校が教えないから」って、何を教えないから九州の犯罪が起きたって言うんだ?まさか、カッターナイフでは、人の首を切ってはいけませんって言えとでも?それとも、人を殺してはいけませんと教えるのか?「善悪を教える」っていうものの範疇には、人殺しがいけないっていう項目はないのか?
 そもそも、この宗教関係者が、一体何を言いたいのかわからん。ここの宗教団体では、何を言われてもそれを受け入れるのが修行なのか?自分の主張がない姿勢で、一体何を修行してるの?

 悪いけどねえ、僕は図工の時間にカッターやはさみの使い方を教えてるよ。どうやったら安全に使えるか。どうやったら危ないか。他人や自分を傷つけないようにするにはどういう風に扱えばいいのか。。。でも、それを使って「人は殺してはいけません」なんて教えないぜ。人に限らず基本的に”生き物を殺してはいけない”って言うことならわかるよ。それを通して食べ物のありがたみなんかも教えるんだからさ。でも、”人を殺してはいけない”なんてことは、わざわざ学校で言葉で教えるようなことじゃなく、友人や家族、先生との関わりの中から当たり前に身につけているべき感覚だぜ。それを堂々と「学校が教えないから」って言っちゃう感覚って、今のご時世では理解できるけど理解したくない。

 そういえば前の学校で、生徒がこんなことを言った。
「人殺しだって、それが良いことか悪いことか、やってみなくちゃわからない。やってみて悪いことだって思えば、罪は償う。」
 そのとき俺は、馬鹿か、こいつはって絶句した。一見正論に見えて詭弁でしかないこの言葉の中には、大きな落とし穴がある。
 第1に、殺した後で良い悪いが理解できたって、時すでに遅し。お前の学習のために殺されたんでは死んでも死にきれん。
 第2に、罪を償うったって、死んだら生き返らない。殺された後で償えるモノなどあるか?
 第3に、やってみて悪くないって思ったらどうすんの???
 やらなくてもわかるということが、この世の中にはごまんとある。そんなに知りたきゃ、自分の命で試せ。

 こう言う自分勝手な理屈が通らないってことを教えるのは、確かに先生の役目の一つでもある。でも、家庭でも小さいときから同時にやってもらわなければ、例えば高校生にまでなって教えたってなおらんぞ。

 そうやって子育てを他人のせいにして、一体何を育てようとしているんだ?
 親にしつけられたことを基準にして、その子も自分が親になった時にしつけをしていくんじゃないのか?学校に責任預けて、自分の子がまともな親になれると思ってるのか?
 アメリカではこう言われている。
 『学習は学校、しつけは家庭、道徳は教会。』
 俺はアメリカって国のあり方は好きじゃないが、それでも宗教的な後ろ盾のある社会は、こうも違うかって感心する部分は多い。。
 何もかもを学校の責任にしようとし、何もかもを学校でやろうとしている日本の大人は、少しは頭を下げて謙虚な姿勢で、他を学ぶべきだと思うな。
 

幼稚園 04/6/2/(水)
 今日はゆめは幼稚園の日。園バックを大事そうに抱えたゆめを、ママは幼稚園に連れて行った。

 幼稚園に、重戦車現る。。。。その悪魔の彷徨は超音波に匹敵し、すべての聴音器官を破壊する。その砲口からは、何もかを溶かし去る粘液質の強酸を放射する。附属のマニュピュレータは、手当たり次第に破壊の限りを尽くし、そのレーダーにとらえられたモノに逃げるすべはない。

 時速100mのスピードで進む”重ゆめ戦車”は、幼稚園の長い廊下を我が物顔ではい進む。
 ゆめのクラスの子供たちが、
「お教室から出てはいけませ〜ん!!」
という先生の声に、入り口に鈴なりになりながら
「ゆめちゃーん!おいでーーー」
と声の限りに叫ぶ姿をモノともせず、途中の教室にめざしのように横たわって昼寝しているいる園児たちに興味津々になりながらも、ナメクジのように強酸の跡を引きずりながら、少しずつ着実に進む。。。 
 頭のよい子は
「せんせい〜、トイレ行ってくる!」
と断って、ゆめに駆け寄り誘導してくれた。
 まんまと策略に引っかかったゆめが教室に引きずり込まれている頃、ママは相変わらず
「ゆめちゃんのママ、いつまでいるんだよう」
と、他の園児に追い出されていた。。。

う〜ん、いまいち。。。。


感激の日 04/6/1/(火)
 男一匹35歳。四捨五入で40歳。

40歳・・・?こんなことじゃいかん。。。

 何を隠そう、今日は俺の誕生日。昨日までは四捨五入で30歳ですなんて言ってたのに、今日からは切り捨てにしなければならない。。。

 もう35歳かあ。。早いモノだなあ。と、感慨にふけるまもなく学校に行き、SHRを終えて教室に戻った俺を、生徒があわてて向かえに来た。
「先生!早く早く!来てきて!!!」
すわ、まただれか暴れてるのか!?と、大あわてで教室に向かうが、1組に2組の連中が大量にいるだけで、平和そのもの。。。
「なんだ?いったいなにがあったの?」
「いいからそこにいて。」
というだけで、一向に何もおこらない。

 が、そのうち!

「ハッピバースデーツーユー!ハッピバースデツーユー・・・・」
なんと、生徒たちが大勢で、誕生日の歌を歌ってくれるではないか!しかも、
「ハッピバースデーディア、マギーさ〜ん!」

ここでもマギーか。。。。マギーとは、何を隠そう、俺のニックネームだ。マギー信司・・・に似ているんだってさ。

 いや、実にうれしかった。教師生活35年、教室で生徒に歌ってもらったのは、初めての経験だ。
 この後すぐに出張だったが、実に気分爽快で出張したよ〜