2005 1月後半                

明日のLHRは、「コミュニケーション」について 05/1/31/(月)
ゆめはしゃべらない。
でも、何となく何を言いたいか、わかる。
ことが多い
それはこちら側が、彼女が何を言いたいのかを積極的に知ろうと、気合いを入れているからだと思う。

ゆめはしゃべらないが、それを補うように大きな身振り手振りだ。
言葉の代わりを十分に果たしている。
それを含めて、コミュニケーションの手段だと思うし、こちら側が彼女の言わんとするところをくみ取ることで、コミュニケーションが成り立つ。
一方からの情報だけではコミュニケーションとは言わない。それは、互いのやりとりを指すように思う。

コミュニケーションは、人間だけのものではない。
たとえば香り。
虫にとっての香りは、花の存在をいち早く認識するための情報源だし、花対虫だけでなく、植物同士も香りでコミュニケーションしている。
虫に葉を食べられた植物は、葉から特殊な成分を出して他の植物へ『虫情報』を流す。それを感知した他の植物は、食われる前に、虫が寄りつかないような成分の香りを出したりする。
コミュニケーションは、言葉や身振りだけでもない。

国際的に見た意思の疎通の3要素は、
言葉     7%
声の調子 38%
態度    55%
だという。
しかも、これを日本人に当てはめると、態度の部分は60%以上になるという。


話は違うが、昔読んだ本に書いてあった。
女の子の気持ちをグッとつかむには、電話では優しく、デートでは素っ気なく と。
男がもてていた時代は、複数の女の子とつき合う関係上、浮気心を見透かされないために、逢っているときは素っ気なくしなくてはならぬのかもしれんなあ。態度でばれないように…
その点女の子の方が上手だな。アッシーだのメッシーだのを実に上手に使い分け、しかもそれがばれていなかったりする。
男の方が態度に出る。
男は正直だ。
もっとも、近頃はアッシーなのを承知でつき合っている(とは言わないと思うけど)輩もいるから、実に情けない。

などと、じじくさいことを考えてみたりして。
オヤジギャルの創始者・中尊寺ゆっこ永眠に、合掌。

凶悪お姉ちゃん、その名はゆめ 05/1/30/(日)
 朝、そろそろゆめやたったが起きる頃だと思っていたら、たったが大泣きし始めた。たぶん腹が減ったんだろうなあと思って寝室をのぞきに行こうかという矢先、たったは泣きやんだ。寝室に踏み込むと、ゆめと仲良く並んで寝ている。ゆめはたったよりものこちらがわ。俺に背を向けている。さらに進むと、ゆめはなにやら手に持ち、たったの顔に押しつけている。二人が見える位置へ近づき、何をしているのか全貌が明らかになったとき、俺は思わず叫んでしまった。
「わ”ーーーーーーーーーー!!」


 今をさかのぼること数ヶ月前。たったがママとともに退院してきてまもなくの頃、ゆめはたったに興味津々だった。ベビーベットをのぞき込み、一生懸命手を伸ばしてさわろうとしたし、だっこさせろとうるさいのを断っても、すきあらば抱えようとしていた。近頃は、たったの顔にボールペンで何かを書こうとしたこともあった。
 常に可能性はあった。
 たったは同じ月例の乳幼児よりも身体能力の成長が早かった。野生のカンとでもいうのか、周囲を警戒するために首は早くに座り、外界に対する認識力も、やたら早くに身につけていた。それもこれも、危険なお姉ちゃんから身を守るためだったのかもしれない。
 そして今日、寝込みを襲われてはどうしようもない。気持ちの良く晴れたすがすがしい日曜日の、朝っぱらからなすすべもなくたったは…

凶悪お姉ちゃん・ゆめは、たったに…






 ミルクをくれていた!!!
 俺はあまりの感動に、思わず叫んでしまった!
 ママは飛んできて、俺が叫んだ理由を目の当たりにすると、
「ゆめ〜〜、たったにミルク上げられるの〜〜えらいね〜〜」
といいながら、抱きしめていた!

 嗚呼、眩しすぎるゆめ!
 まさか、ゆめにこんな芸ができようとは!!
 いや、たかがミルクのことと思うなかれ。
 ゆめなんか、こっちの言うことを、本当のところちゃんと理解してるんだかしてないんだかわからないし、もちろんしゃべらん。そんな中で、俺たちがミルクをくれている様子をその脳みそにインプットし、なおかつちゃんとたったにくれられたというのは、驚くべきことなのだ。

デリゾーンのかゆい 05/1/27/(木)
 ゆめ、今朝は俺に遅れること30分で目が覚めてしまい、直後から腹の痛みを訴えた。盛んに
「ちー!!」と言いながら、おなかをさする。さりとて、オマルに座らせても何も出てこない。
 思案に暮れて、ご飯を食べさせた。
 すると、おなかの痛いのがなおったらしい。
 なんだ、ゆめ、腹減ってたのか??

 デリケートゾーンのかゆいには、フェミニーナ軟膏
 と、テレビで言っているので、今日試しに買ってみた。ホントはラナケインとどっちにするか迷った。ラナケインには、高校時代に救われた経験から、絶対に効果有りの自信があるのだ。でも、デリケートゾーンのことなので、今回はやめといた。

 高校時代、皮かむり脱出をはかって奮闘していた頃のことだ。親父のトランクスを間違って履き、インキンをうつされた俺は、昼夜を分かたず猛烈なかゆみに襲われていた。昼間は自制できるとしても、夜間はどうしてもかいてしまう。もう、玉袋はかさぶただらけ、かゆいのか痛いのかわからなくなっていた。
 このまま一生かき続けるのか
 そのうち腐って落ちてしまうのではないか
 ホントはもっと怖い病気なんじゃないか
 親父の馬鹿野郎、病気なんかうつされやがって!!
 様々な思いが交差した。こんなことは誰にも相談できないし、いきおい、寝ている間にかかないようにと、両手を縛って布団に入っていたくらいだ。
 そんなとき、一筋の光明が差した。トイレにあったラナケインだ。
 誰が使っていたのかは知らぬ。わらをもつかむ思いで塗ってみた。すると、どうだ。見る間に痛みは消え、かゆみも収まったではないか。
 これはいける!
 俺は確信を持って使用を続けた。
 程なくして、インキンは完治。まさに九死に一生を得た思いだった。


 とまあ、こんな具合だったから、心底どっちを買うか迷ったのだ。でも、今回はインキンなわけじゃない。そもそも、使うのはゆめだ。ゆめのデリゾーンがかぶれて真っ赤っかなのだ。もはやお猿のおしりは後ろか前かわからないのだ。
 購入後、早速塗ってやった。
 やはり、効果覿面。ゆめはすぐにかゆがらなくなった。
 このまま完治してくれればよいが。

 調子よくなったゆめは、こんどはオマルで大量ウンチ。おなかもすっきり、かゆいのもすっっきり。じゃあそのまま今晩は、一回も起きないで朝まで寝てくれよ、ゆめ〜。

観劇 05/1/26/(水)
 ゆめ、今日は保育園の日。保育園では人形劇を観劇した。
 本物の演劇集団が醸し出す雰囲気、様子が普段と違っているホール、そのどれもがゆめには恐ろしげに感じられ、泣けてしまった。
 でも、演劇集団の自己紹介や踊りが始まると、げらげら笑う。

 演劇が始まり、演目1つ目は楽しんでみたゆめ。
 2つ目は、とってもかわいいゴリラの人形が登場したが、それを見て
「いや〜〜」と泣き出してしまった。
 劇の中でその赤ちゃんゴリラが泣いている場面を見て、ゆめは
「たった〜、たった〜」と指さしていました。
 
 あんまり泣くのがうるさいので、先生に途中退場させられ、戻ってからはとっても楽しんだゆめでした。最後は自ら進んで握手など求めたりして…
 泣いてたくせに…

 それにしても、ゴリラの赤ちゃんがたったかよ…
 あわれなり、たった…
 
 

助成 05/1/25/(火)
 出張から帰ってきて、疲れた体で居間に行ったら、ゆめがまーた結婚式のビデオを見ていた。それを見た俺は、さらにどっと疲れてしまった。
 そして、もっと疲れる話をママから聞いてしまった。

 日本には、車いすや装具(靴など)、補装具(バギーや歩行器など)などを購入するとき、国から助成を受けられる、大変ありがた〜い制度がある。この助成を受けるためには、お医者の書類が必要だ。
 ある大きな病院に、患者思いの非常に素敵な医者がいる。俺はこのお医者を直接は知らない。
 こんな話を聞いた。
 あるママさん、子供の小学校入学に当たって、OXの車いすを買いたいと思った。障害を持ってたっておしゃれはしたい。同じ車いすなら素敵なデザインの方がいいに決まっている。欧米では、車いす用のカッパひとつとっても、すごく素敵な柄のものもあるし、そもそも車いす自体が良いデザインだ。日本のもののように機能一点張り(その機能にしてからが、ただ椅子に車輪が着いて移動可能になっただけにしか見えないが)で、『歩けないのに贅沢言うな』とでも言いたげなみっともない車いすなんて、誰だっていやだろう。しかし、お医者は最後まで書類を書いてくれなかった。仕方なくママさんは、お高いOXの車いすを自腹で買った。
 また、あるママさんは、ピクシーというヨーロッパでは普通のベビーカーとして使われているバギー(このバギーは鉄でできた大変頑丈なベビーカーだ。ヨーロッパではそれくらいしっかりした作りでなければ国の許可が下りないらしい)を欲しいと思った。しかしお医者は、なかなか書類を書かなかった。この時は結局書いてはもらえたが、長い時間が必要だった。
 このお医者が、なぜかたくなに書類を書きたがらなかったのかは、いまもって謎だ。そしてこの人は、いまもまだ大変患者思いのお医者で通っている。
 そして次は役場の話。
 あるママさん、2台目の車いすが欲しいと思った。2台目は、どこか外国のメーカーの品にしたいと思った。ママさんが役場で話したところ、答えは
「この制度(車いすなどを買うに当たって国から助成を受ける制度)は、贅沢するためのものじゃない」だった。
 その『贅沢』が、果たして『2台目』をほしがったことを指しているのか、はたまたお高い『外国の品』をほしがったことを指すのかは不明だが、いずれにしても『贅沢』とはなんたる暴言。
 お医者にしても役場にしても、そこら辺にある味も素っ気もないあの車いすをほしがったのならば、何の問題もなく手続きしてくれたことだろう。まあ、想像でしかないが。
 仮に『贅沢』と言う言葉を借りるなら、これって、現場の声というものをまるっきり無視してはいないか。
 それがデザインを指しているのならば、こういう人がいるから日本の医療機器がちっとも美しくならないんだと、激しく糾弾したい。
 それが複数台持つことを指しているのならば、「靴のままで家に上がれとでも言うのか」と、人権無視も甚だしいことを糾弾したい。
 いずれにしても、障害者に対しての抑圧思考は、そこかしこにあるというお話だ。

 俺はかつて、授業でユニバーサルデザインを取り上げていた頃、日本&諸外国の様々な文献や事例、現状を調べるに従って、障害者だけでなく一般市民や老若男女すべてにわたって、特に欧米各国が非常に人道的だあることを知った。特に顕著なのがご老人達だ。お出かけするときでも非常におしゃれで、老いてなお自分を(自然な)美しさで保つ、そのための適切なお膳立てや見せ方を知っている。80歳を過ぎてもルージュを引き、ミニスカートをはくおばあちゃん。素敵じゃないか。俺も、老いてなお革ジャンでバイクを乗り回すじじいになりたいぞ。バイクがダメでも、普段着にスカーフをさりげなく巻ける老人でありたい。
 欧米の人たちは、おしゃれの本質を知っているよな。誰でもしゃれたい、そのことに年齢は関係ない。老人は老人らしくおとなしくしてろなんて、言わない。障害者は障害者らしくしてろなんて、もちろん言わない。
 俺もOXを買ったが、ゆめには素敵に似合っている。使う人に似合っている車いすを求めて何が悪い。自分にあったデザインの服を着ようと思うのとどこが違う。それを贅沢というならば、いったい何が贅沢ではないのかな?教えて欲しいものだ。
 仮に味も素っ気もないことでお値段が抑えられているといいたいなら、お値段を抑えたって、ある程度はセンス良いデザインは可能だ。金かデザインかでしか計れないならば、こんな寂しいことはない。
 助成は、まあ、それ自体は非常にありがたい。それがなかったら、稼ぎの少ない我々には、バギーにしても車いすにしても、とうてい手が出ないだろう。そのくらい高いのだから。でも、そもそも高すぎる値段が問題なんだよな。助成がなければ手が出ないような現状の方が、おかしいとは思わないか。ここには競争原理は働いていないのかなあ。自衛隊の装備と同じか?他では作ってないから、欲しい人はどんなお値段でも買う。お高くても買わざるを得ない。
 あ〜あ、結局最後は人間性が問題なのか。

不良 05/1/24/(月)
 変な夢を見た。

 さかな丸がパンクして、すぐ近くのバイク屋に持っていったら
「修理に1ヶ月かかります。」
と真顔で言われ、つくづくパンク修理の仕方ぐらいは覚えよう。さもなきゃチューブレスタイヤに付け替えようと真剣に考えるという夢だ。

 バイクといえば、夢の中でも俺は一人でバイクに乗っていた。誠大もいなけりゃ、ゆめもいない。元バイク乗りのママもいない。当然、他のバイク仲間なんてのもいない。昔っからつるむのが嫌いだった。夢の中でもつるまない。俺は硬派でいたいねえ。

 つるむってのは、どういう心境なのか、いまいち理解できないな。人の後追っかけて、何が楽しいのか。80年代、不良の最盛期だった頃ですら、暴走族はつるまなきゃ何にもできないはみ出しモンで、ホントの硬派はいつも一人だった。それは当時つき合っていた彼女のお姉えから聞いた話だ。お姉えはめちゃくちゃ硬派の不良。つき合っていた彼女の親友というのもまたすごい不良だった。どっちも共通して
「同じ学校の生徒がからまれてるのを見たり聞いたりしたら助けに行け」
「救急車が来たらどんなことをしても道を譲れ」
「いじめ、万引き、カツアゲ、アンパンは絶対にゆるさん」
絶対つるまない種類の不良だった。
 じゃあ、いい人かと言えばそうでもなく、俺に対しては仲間として良くしてくれたが、夜の校舎の窓ガラス割ったり、盗んだバイクで走り回ったりもしていた(俺はやってないぞ、聞いた話だ、念のため)から、ま、良い不良などいないってことだよな。そんな彼女たちが口を酸っぱくして言っていたのは、
「ホントの硬派は、ここぞというとき以外は一人でいるもんだ」
だった。その”ここぞというとき”が何を指すのかは、恐ろしくて聞く気になれなかった。

 やっぱね、数を頼りにしないと何にもできないようではダメなのだ。
 そういえば、勝新太郎は遊ぶときには何十人もつれて遊んだと、ものの本に書いてあった。寂しがり屋で、遊ぶときにも仕事の時にも、自分の周りに大勢いなきゃいやだったと。そのかわり、誘った以上は遊ぶときには全員分の飲食代を出していた。その額、一晩で100万とも200万とも…。お金だけでなく、気の遣い方も大変良くできていたという。同じつるむなら、こうありたいものだ。仕事はきっちりやって、遊ぶときは遊ぶ。どっちがかけてもダメで、最大限のけじめをつけるのが本流というものだ。同じ男なら、こういう本流で生きたいものだ。(もっとも、いくら真剣に働いても、そんな遊び方するほどの財力はありませんが)
 お山の大将気取りで、下のモンにこびへつらわれていい気になってるなんてのは下の下なら、金魚の糞やって理解し合えてるなんて思ってるのも、大いなる勘違いだ。まして、やるべきこともやらんとただただ好き勝手やってるなんてのは、なにをかいわんやであろうな。

 誠大やゆめには、絶対にそんな生き方はさせまいぞ。可能ならば、俺の生徒達にも。


 と、俺がこんなに硬派なことを書いている後ろでは、洗濯物を畳みながら、ママが何かぶつぶつ言っている。
「何これ?」
「ああ〜?」
「髪の毛」
「ふ〜〜ん、女の?」
「うん。ソバージュ」
ママはソバージュじゃない。ゆめもソバージュじゃない。俺ももちろんソバージュじゃない。たったは論外。身近にソバージュなジ女性はいない。
何をうたがってんだよ、お前はー。
俺は硬派だぞー。

「ホントにソバージュ?」←
おそるおそる…
「長い陰毛かも」
はふーーーーーー

薪ストーブU 05/1/23/(日)
 薪ストーブの周りは、さぞかし居心地が良いだろう。そもそも、炎の揺らぎを見ているだけで心落ち着く。冬ともなれば、ほかほかぬくいストーブの前が、一番の特等席に違いない。
 俺はきっと、この席を巡って戦わなければならないだろう…
「あ、まーたタローがいる…」
 朝一番の俺の仕事は、家族の誰よりも早く起きて、おきになっているストーブの火に、再び生き生きとした命の炎をともらせることだ。しかし、夜中の寒さをしのぎたいのは人間だけではない。飼い犬のタローも、少しでも暖かい場所を求めてさまよっているのだ。
「チョットタローさん、どいてね。今火を入れるから。」
 タローはめんどくさそうに少しだけ体をずらす。
「もう少し動いてくんないかな。。。火が入れられないんだけど…」
 タローは渋々起き出し、日が差し始めた窓際へと移動した。

 毎朝の風景。やたらとでかい雑種のタローは、昼間留守がちで休日も部活などで出勤が続く俺に変わって、一家の主気取りだ。平素そんな感じだもんだから、たまに休みでくつろごうと思っても、一番良い席にはいつもタローが居座っている。
 しかし、いつまでもそんな状態が保たれるわけがない。
 かくして、一国一城の主は誰なのか、雌雄を決する戦いは起こるべくして起こったのだった。


 きっかけは些細なことだった。お気に入りのロッキングチェアーを引きずってストーブの前まで来ると、そこにはいつものようにタローがいた。俺は手に持ったハードカバーを椅子に置き、タローをどかそうとかがみ込んだ。
「タロー、どけ。」
 しかし、タローは眠そうな目をチョット開き、俺を一瞥しただけでまた夢の世界へと戻っていった。チョットむっとした俺は、再びタローに言った。
「タロー、どけってば」
  タローを無理矢理どかそうとした俺は、どうやら気に入らない場所をつかんでいたらしい。タローは跳ね起きたかと思うまもなく、次の瞬間には俺の手を咬んでいた。甘咬みよりもかなり強く、本気よりはやや弱め。。
「・・・・タロー、いま、割と強めに咬んだな。。。少し本気モード入ってただろう。。。」
 タローは、一応はしおらしく少しうつむき加減だが、その目には闘志がぎらぎらし、薄ら笑いすら浮かべているかのようだ。
「やる気だな・・・・いいだろう!今日こそ決着つけてやる!!」

「あのさー、ニヤニヤしながら楽しんで書いてるとこ悪いんだけど、家の中では犬飼わないからね〜。」
 ママだ。。。横から見てやがったな。。。
 ・・・どうやら、タローよりも先に倒さねばならない相手がいるらしい…


薪ストーブ 05/1/22/(土)
 家の設計、かなり進んだ。といっても、まだ間取りが決定していなくて、細部を調整中。お値段のこともあるしな。

 今画策しているのは、薪ストーブだ。
 薪ストーブ自体も魅力的だが、それ以上に薪割りが楽しみ。
 「ふん!」 シュッ カンッ!
 「ん!」 シュッ カンッ!
 「ん”!」 シュッ カンッ!
 午前中の明るい日差しの中、俺は誠大とともに薪割りに精を出す。ゆめはその様子を車いすの上から眺めている。手には斧の代わりに木の棒。足下には太い丸太。気持ちはありがたいが、ゆめには薪割りは無理だからな。

 ふ〜〜〜〜。1時間かかってやっとこれだけか…。意外と薪割りって大変な仕事なんだな。。
 「誠大、どうだ調子はー!」
 「斧、重い!だっ!
         あたらん!!くうっ!
                    薪、割れん!!!があ!」
 「はは、まだお前の体じゃ、無理だったかなあ」
 「そんなことないモン!できるよ!」
 「”そんなことないモン”だって?…ママとそっくりだな。」

 さらに30分後、なれない重労働に、肩も腰も悲鳴を上げている。ゆめはいっこうに薪が割れないことに飽きてしまって、いつの間にか家の中に戻っているようだ。俺は誠大に声をかけた。
 「誠大、チョット休憩しよう。」
 「パパがハアハア、そういうならハアハア、仕方ないハアハア、休んでハアハア、あげるよハアハア
 こちらはこちらで、無駄なエネルギーを発散しまくっていたようだ。
 「ふふふ。じゃあ、下の自販機まで行って、ジュースでも飲もう。」
 家の前の緩やかな下り道をゆくと、自販機がたくさんあるたばこ屋がある。俺はたばことコーヒーを、誠大はコーラを買った。どこで飲もうか迷っていたとき、誠大が言った。
 「パパ、チョット運動公園の方まで行こうよ。」
 たばこ屋を通り越してさらに坂を行くと、チョット有名な運動公園がある。テニス場やサッカーグラウンドがあり、ナイター施設も完備だ。子供の喜びそうな遊園場もあり、誠大やゆめはよくここまで遊びに来ている。
 遊園場には何人かのお友達もいるようで、誠大はあっという間にその中に紛れて行ってしまった。
 俺はジーンズのポケットから単行本を取り出す。芝生に寝転がり、子供達のにぎやかな声を遠くに聞きながら、次第に本の世界に没入していく…。

 どれくらい時間がたったんだろう。ふと誠大が呼ぶ声に気がつく。まだ日は高かったが、先ほからは明らかに時間がたっている。少しのんびりしすぎたかな。そろそろ戻ろうか。

 手をつないでのんびり帰ると、玄関で手を振るママの姿が…
 誠大が手を振り返す。
 俺は無言で歩く。
 ママが手をぶんぶん振っている。
 誠大が笑顔で走り出す。
 俺はなんかいや〜な予感がする。
 と、誠大が大あわてで家の裏庭へと走っていった。
 俺は予感が当たったことを悟る。。。

 「パパ!!、やりっ放しでどこ行ってたの!!!」
 やっぱり…
 怒られちゃった…
 薪割りの途中だったけな。
 まーた怒られちゃったよ…
 ふと、妄想がとぎれる…
 妄想の中でまで怒られた…

ビデオ 05/1/21/(金)

「まろやかな音楽で始まる、自動車教習所の紹介のようなビデオだよ」
そういって車いすを扱う業者の方は、ママにビデオテープをくれた。
 OXの紹介ビデオだ。
 車いすの納入と同時に、OXという会社の紹介ビデオとマスコットのぬいぐるみをくれたらしい。
「こんなの渡された〜」
と、ママは施設のお友達に、ビデオの中身を見もしないで文句を言った。ママはもう車いすを買ったんだから、今更ビデオなどいらんと、ついでに言うなら、工具とかならまだしも、ぬいぐるみをくれるくらいならその分お値段を安くしてといいたいらしい。

 俺は、そんなの別にどうだって良いじゃんと思う。何でママがそこまで怒ってるのかいまいち理解不能。

 で、肝心のビデオの中身だが、確かに車いすを既に購入した身にとってはどうでも良い内容だった。

 しかし…だ、ゆめはそのどうでも良いビデオがいたく気に入ってしまった。


 見る。
 また見る。
 何回も見る。
 しつこく見る。

 正味10分くらいの内容だろうか。それを何度も何度も繰り返し見ては、何がおもしろいのか時折げはげは笑っている。
 10分おきに巻き戻し操作をさせられ、何度も何度もどうでも良いビデオを一緒に見る羽目になるこの苦痛!!


 1時間後…
 俺に何でも聞いてくれ。
 OXのことなら、何でも答えられるぜ!


 ほんとは今日は、ビデオに関してもっとすっげーおもしろい話もあるのだが、子供も大勢見てるからチョットここにはかけないな。残念!

慰めてるの 05/1/20/(木)
”のぞみ”で、何かやらかして先生に叱られる、まるお(仮名)男。
 叱られて涙を流すその横には、なぜか目に涙をため、先生の言葉にしきりにうなずきながら、まるおの頭を優しくなでている。

 ゆめさんよ、あんたいったい、何者?

いるよな、こういう人。どこの集団にも一人くらい。


先生、そうだよね、それはいけなかったよねー…。
君もつらかったんだね、でももうなかないでほら、だいじょうぶだよ。
うう っく ひっく。。ああ、そうですよね、先生。ほんとその通りですよ。。
君、さあ、先生もこうおっしゃってることだし…


てな感じか?



 ところで、ゆめの車いすができてきた。
 メーカーはOX(オーエックス)。デザインは良いけどお値段がめちゃくちゃ高くて有名なメーカーだ。
 で、できはというと、やっぱ素敵です〜〜〜
 ゆめにもよく似合ってる。
 今日は家の中でこぎまくり。
 

 うんうん、それ、ゆめのだよ〜
 うれしいの?うれしいよね〜〜ゆめ〜〜




慰めてるの 05/1/19/(水)
 今、研修で外泊中。仲間の教員が、『次の転勤の時は海外で教えようかなあ』というようなことを言っていた。よく聞くと、県の組織ではない外部団体に所属して、発展途上国に赴き数年間教鞭を執れるシステムがあるらしい。

 かなり惹かれた。

 カンボジア?アフリカ?外国の文化に触れながら、勉強に飢えている子供達に絵を教える…
 なんて素敵なんだろう!!
 是非やってみたい!!


 でも…
 ゆめや誠大をおいてはいけないし、連れて行くっていっても福祉が整っていないだろうしなあ。

 


いけずーの、ゆめ 05/1/18/(火)
 ゆめがオマルから脱走。
 遠くの方で
「ち。ち。」
といっている。ではとオマルに座らせても、
「ち、ちー」
と、ママにアピール。
「ママのとこへ行きたいの?」
と聞くと、
「うん!」
て、元気の良い返事。
「なんでーー、パパ明日から出張で2日間もいないんだよ。パパのところにいなよ〜」
といっても、
「あ=====う〜ん、あーち!」
といって逃げていこうとする…
「いいじゃん、いいじゃん、ここにいなよ」
と、気分はすっかりキャバレーの酔っぱらい親父に成り下がり、もぞもぞとおさわり…じゃなくて抱きしめてみても、ゆめはその手を逃れてするりと逃げていってしまう。

 う〜〜ん、ゆめったら、いけずー

掲示板で、予告してしまったので…
「がんばれ」について
05/1/18/(火)
 前任校にいたときのこと、もう2年も前のことだ。
 『がんばれ』という励ましの言葉が、子供にとっての負担になっているというようなことが盛んに取りざたされた。前任校でも一部で議論があり、一応あまり使わないことになった。(こういうときにありがちなのが、運動系の部活顧問は、絶対に使わないことに反対するんだよな)
 
 ちょうど受験のシーズンで、うっかり使おうものなら生徒の方から
「先生、その言葉は禁句だよ。俺たち充分がんばってるモン」
などといわれたものだ。

 しかし、チョット待て。
 がんばってるかどうかは当事者の判断ではなくて、第三者の客観的な判断だ。自分で『俺はがんばってる』といくら思っても、端から見て『まだまだだな』と思えば、当然もっとがんばれと励ましたくもなる。それが入試だなどという人生の転機ともなるイベントであれば、なおさらだ。おまけにだ、井の中の蛙で世間知らず。加えて、さらなる努力が必要な大学ではなく、今の実力で入れる程度のレベルの大学しか選んでいない君たちに、『がんばる』の講釈をたれてもらいたくはないな と思ったが、一応従っておいた。

 実際、定期テストの前日でも平気で川に行って遊んでたり、入試間近になっても、一日の家庭学習時間1時間とかいってる人が、よくも『俺は充分頑張ってる』だなんていったもんだ。
「テレビでよく見る光景、『夜中に勉強してると、廊下の怪しい物音にびっくりする』なんていう場面は、君たちには無縁だね。だって夜中まで勉強なんかしてないモンなあ。」
とは、俺がよく冗談で生徒に話したことだ。


 でも、別の意味で『がんばれ』が難しいと感じたこともある。
 たとえば、美術専攻生が授業中、絵画の感想などを聞かれても、気持ちをすぐに言葉に表すのが困難な生徒がた。本人は表現したいと思っていても、思えば思うほどできないという場面がある。この生徒に、いくらがんばれと励ましても、単なるプレッシャーにしかならなかったりする。だいたい、何に対してがんばれと言ってるのか、言ってる俺がわからなくなってくる。
 こういうときは、その場は無理でも放課後まで待ったり、翌日まで待ったりして、最低限、うやむやにはしないという約束事をして待つことが必要だったりする。こういう生徒は後日、『どんどん話が進んじゃうと、答えないうちに進んじゃうので、どんどん取り残される。自分はダメだという思いがあふれてくる』などと言う。
 要するに焦っちゃうんだよな。焦ってる人に『がんばれ』なんて言っても、よっけい焦っちゃうだけだということだ。
 待てばできる。ならば待つ。今は『うやむやにしない』ことがないことが目標。いずれ『その場で表現できる』ことが目標になる。

 養護学校に来た今も、似たようなことはいくらでもある。いや、むしろ多い。
 
 言葉って、難しいなあと思う。
 
 これがアメリカみたいにキリスト教を信仰していて、絶対神の元、思考が善か悪かのわかり安い図式になっていれば、もうちょっと言葉も簡単かもしれない。日本は800万もの神様がいる。因果が曖昧なら表現も曖昧。他国の人には理解しにくい思考を持つ国民性だ。その分、豊かな表現も存在するのではあるが。
 
 まあ、これは関係ないかな。
 
あーあ、難しいぜ、全く。
 
 


雑感「普通」 05/1/17/(月)
 たったの成長を見て、「これが普通なんだなあ」と思うが、同じことを人に言われると、なんか心穏やかでない。まるでゆめが普通じゃないって言われてるみたいで。確かにゆめの成長は一般的な『普通』とは違うが、生き方なんか人それぞれだ。『障害持ってるゆめの普通の生き方』も、必ず存在する。でも、そんな可能性を無視して、障害がない人の生き方を物差にして測られるのって、どうよ…

 などと、今朝は4時頃から悶々と考え、ばりばり書いたが、結局消しちゃった。なんか書いててむなしくなってきたのさ。何のためにそんなことをここへ書くのか…そのことを一番考えてほしい人は、ここを見ていない。

 別に良いんだ、誰がなんと言ったって、俺たちはゆめや誠大を普通に育ててるし、これ以外の育て方も生き方もありはしない。様々な情報を受けて軌道修正もするし、一般的な子育てよりも手間暇かけるが、それもこれも、すべて俺たちにとっては『普通』の子育て・普通の生き方だ。自分の物差しでしか物事を測れない奴には、勝手にそうさせておけばいい。自分のすべてをかけて心を・意見をぶつけるのは、生徒だけで十分だ。




 話は違うが、誰かがこんなことをいっていた。
「障害児の育児は、障害児の親にしかわからない」
 そうなのかな。そうかもしれない。そうでないかもしれない。そう言いきってはいけない気もするし、そりゃーそうだろうという気もする。

 どっちにしても、誰に対しても、わかったようなふりをして、わかったような態度で接することだけは、少なくとも俺はしないようにしよう。100%すべてを理解してもらうことなど不可能だし、100%すべてを理解することも不可能だ。エスパーでもない限り。
 それを承知の上で理解し合えるようにつとめるのが、コミュニケーションの基本じゃないかな。そうすれば、『何でわかってくれないんだ』と相手を攻める必要はなくなる。


 ああ、なんか俺、爺くさい。でも、きっと明日の俺は、正反対のことを考えていたりする。この複雑怪奇な人間というものを、100%理解できたなどといえる人がこの世にいるなら、それは神にも等しい存在だな。
 

よい子だ、ねんね… 05/1/16/(日)
 ゆめが、先にねんねしたたったと同じお布団にはいりたくて、自力で潜り込む。
 たったの額に手を当てて、
「ねんね〜」
などとあやすゆめは、非常に愛おしい。

 そのゆめを、珍しくご機嫌で眺め、ゆめの声に返事するように
「あ〜う〜」
などと声を出しているたったも、これまたすごく愛おしい。

 ゆめはその声を聞くだけでご機嫌で、大きな声で笑ったり、それに併せてたったも手足をばたばたさせて大はしゃぎだ。
 かわいいいねえ、二人とも…



 その様子を横目で見ながら、
「いい加減に寝ろよ、このガキども〜〜」
と、声に出して悪態をつく午前2時…

 額に浮かんだ青筋は、はち切れんばかりに肥大しているぞよ。。。

新年会 05/1/15/(土)
 本日は、浜松筋ジス会の新年会だった。
 浜松筋ジス会は、今年度から新しい会長にバトンタッチして初めての新年を迎える。筋ジス会のイベントには参加できず、毎年この新年会でしかお目にかかれない方も多い。
 そんな中に、今年度新成人となった、筋ジスD型の男の子がいる。非常にハンサムで、ママは彼のファンだ。
 その彼に見せるためではなかろうけど、ママは着物を着た。ゆめも着物だ。出かける間際になってドアの取っ手に袖口を引っかけ、破いてしまった。時間も時間だし、破れた箇所は簡単に見える場所ではないのでそのままで参加したが、おっちょこちょいだな。
 その前に、ママが自分で着付けてるところで、肌着姿が目に入り、
「胸がない!」
といったら、
「そういう風に着付けるんだ。失礼な!」
と怒られた。
 ほんとかなあ…


 会場では、大人のご飯(和食)を食べたがるゆめに俺の分をあげ、俺はお子様用を食べた。いいんだ。ハンバーグやエビフライの方が好きだもん。
 その後はお約束。カラオケだ。人の歌ってる横で、スイッチの入っていないマイクで叫びまくり…とまではいかなかった。やっぱスイッチが入ってないといやなようで…
 仕方ないから一曲だけ歌ってやった。俺の番で叫ぶのはかまわない   が、こういうときには叫ばないのね、ゆめ。結局俺が気持ちよく歌っただけだった。本番に弱いなあ、ゆめさんよう。



 話は変わるが、筋ジスD(デュシャンヌ)型は、進行が早い。神戸大学の新薬はD型に効くが、効果はせいぜいが現状維持。ハンサムな彼は今年成人式だ。現状維持でもいいから、新薬に期待したい。
 ついでといっては何だが、ゆめのような福山型の薬も開発されないかなー。ほんと、現状維持で十分だよ。効果がどんなに薄くても良い。薬があるなら、くれ。でもな、日本の厚生省は薬に関してなかなか認可しない(かというと、非加熱製剤でもわかるとおり、一度認可したら有害な薬でも取り消さないけど。日本の悪いお役所体質そのものだ)からなあ。実はもうデータ上は安全が確認された薬が開発されてたりして。でも、臨床試験でひっかかってるだけだったりして。
 ありえる。厚生省ならやりかねん。


ボランティア考 05/1/14/(金)
「ボランティアは、善意でやっている」
「ボランティアは、無償奉仕だ」

確かにその通り。
でも、やってもらう方は相手の善意をあてにしきってはいけないし、感謝の心を忘れてもいけない。

俺はそのことを、自分がボランティアに出るようになっていやというほど痛感している。
「ボランティアにそこまでやってもらうわけには・・・」
と遠慮されるのもやりにくいが、
「ボランティアで来てるんだから、好きでやってるんだから」
と言われるのは腹が立つ。

やってもらっておいてそう言う態度に出るヤツがいるから、ちっとも福祉の世界が進展しない。

人と人は心の交流だ。
お世話する方もされる方も、心があるんだから、一方だけが
『良いように使う』
なんて考えでいたのでは、まともに接することなんかできやしないぜ。


 というようなことを、以前書いた。
 今読み返して、『う〜〜ん、これはどうかなあ』と思う箇所もある。

 たとえば、
<「ボランティアは、善意でやっている」
<「ボランティアは、無償奉仕だ」
 初っぱなからだが、私見を述べるなら、ボランティアとは、組織体系や報酬などにとらわれない、自由意志の社会活動であり、無償奉仕や献身ではないように今は思う。

<やってもらう方は相手の善意をあてにしきってはいけないし、感謝の心を忘れてもいけない。
 これも、今はなんか引っかかる。
 この言葉が出るという背景には、『やってやってる』という傲慢さがにじみ出ている。全然だめじゃん。
 あるとき、ボラしていて、
「もう、良いです!」
といわれたことがある。俺は当然腹を立てた。でも、それは間違いだ。
 ボラされる方だって人間だから、不快な思いが続けばいやな気になる。やってやってるという気持ちでいるうちは、それに気がつかない。いやな気にされれば誰だって怒るのに、奉仕という名の呪縛にとらわれて、現実が見えなくなっているのだろう。これじゃあ、断られても仕方ない。
 同時に、やってもらってるなんてへりくだる必要も、本来ない。ましてやボラなしでは生きていけない自活者だっているが、自分の命が罹っているのに、いちいちやってもらってる・来ていただいてるなんていう気持ちでいるわけがない。命罹ってるんだからな、なんと言っても。

 別にボラやるのに特別な理由なんか必要ないし、気負う必要もない。同時に、ボラやってるからって、偉くも何ともない。
 俺は今は、お互いに楽しい時間が共有できて、お互い気持ちよければそれで良いじゃんって思う。同時に、お互いに楽しむためには、忘れかけている他人への礼節や思いやりが常に必要だなと感じる。ボラ頼んで気を遣ったり、ボラして気を遣われたりするのって、やっててなんか乗りきれない。
 うまくいえないけど、やって当然なことは、誰がやってもやられても、やっぱり当然なわけだ。特別なことじゃないんだよなあ、こんなことは。

 かみさんと話した。かみさんは最初反対意見も持っていたが、そもそもこういうことで議論できてしまう意識レベルが低いんだと思う。手を必要としている人に手をさしのべられる人が貸すという実に単純なことが、日常レベルで”当たり前”になっていない国なんだよな、日本は。
 だってさ、俺だっていつ介護が必要になるかわからないんだけど、いざそういう場面になって、『やってもらってる』なんて言う考えでボラ頼むのは、すっごくいやだ。同じように税金払って、同じように生きているのに、一人でできないっていうだけで、何でへりくだらなければならない?

 ああもう!
 結局、ボランティアという単語を指す言葉を持っていない国なんだってことなんだよな。
 変えなきゃいかん。


4回目の約束 05/1/13/(木)

 7月に行われる4回目の教員採用試験を控えて、俺は妻と約束した。『今回でだめなら教師はあきらめる』。生まれたばかりの子供を見ながら、なんとしても今回で受かろう。そう決意して試験に臨んだ。できることはすべてやった。毎回そう思いながら試験に臨むのだが、結局3回も落ちていた。3度目の正直はなかった。しかし、今回は違う。確かな手応えがあった。結果は、1次試験合格。喜びもつかの間、すぐに2次試験に向けての準備を始めた。

 2次試験当日は、前日から泊まっていた、駅に近い俺の生家から出かけた。こんな朝に妻子の、とりわけ子供の顔を見られないのは残念だが、妻も仕事があってアパートを空けるわけにはいかない。約束を果たすべく、勇んで出かけた。

1次試験は、論文とグループ・個人の2回の面接だ。論文が終わり、1次面接が始まった。俺のグループには、たまたま1次試験で何度も見かけたことのある奴がいた。奴も今回の1次試験は合格していたようだ。テーマは「生徒理解」。俺と奴の意見は正反対で、真っ向から対立した。まるで俺と奴の独壇場状態で1次面接は終了し、あふれ出るアドレナリンのおかげで一時忘れていた緊張感も、再び高まり始めた。次は2次面接だ。2次面接は個人面接となる。

 受験生が1人ずつ呼ばれ、次第に俺の番に近づく。同時に心臓の鼓動も高まる。待機室に入ったときには、緊張もピークに達していた。後もう数個の質問が終われば、次は俺…

そんなとき、マナーモードにしてある携帯電話が振動した。

忘れてた。いつもなら持ち歩きもしない携帯を持ってきていた上に、スーツの内ポケットに入っている。試験前に鞄にしまおうと思っていたのにうっかりしてて、着信してしまった。おまけにこんな時に…。試験室の様子を見ている監督官の後ろ姿を盗み見しつつ、いつもならほおっておく携帯の画面を、このときは何となく開けてみた。するとそこには妻からのメールが届いていた。

『朝お母さんがお守り渡してくれたと思うけど、中を見てみて』

お守りを開けてみると、中には紙切れが入っていた。そこには小さな手形と、妻の筆跡の短い文章が書いてあった。

『ゆめの手形だよ。ゆめも応援してるよ。パパ頑張って。』

小さな手形は生後1ヶ月の娘、ゆめの手形だった。どうやら妻の指示通りに母がこっそりお守りの中に入れて渡してくれたらしい。

涙が出た。

こんなタイミングでメールを送ってくるとは、さては隠しマイクでも仕込まれたか、それとも愛の力か…。妻なら臆面もなく『愛よ』というだろう。そんな妄想をふくらめていると、いつの間にかあれほど緊張していたのが嘘のように、実に爽快な気分になった。

面接は、呆気ないほど順調に終わり、1ヶ月後の発表では、無事合格。実に40倍の難関だった。貧乏のあまり新聞を取っていなかった俺は、新聞発表だと母から聞いても信じられず、仕事が終わった後で夜中に家族3人、車を飛ばして県庁の掲示板まで見に行った。掲示板には、なぜか忘れようにも忘れられない“奴”の傍に、ばっちり俺の番号があった。

あれから6年がたつ。あのときの合格は、妻の粋な計らいのおかげだった。そこで合格した日に自分に約束した。『結婚10年目には、ダイヤを贈る。』

約束の日まであと3年。妻の知らない秘密口座は、着実に約束の実現に向かっている。