2005 4月前半                

ジョーとエリーの会話 05/4/11/(月)
「右足のジョー君、小学校って楽しいよね。」
「そうだね、左足のエリーさん。最初はキンチョーしたけど、先生はとっても優しいからすぐにリラックスできたね。おまけに先生は年がママと1つしか違わないのに、まるで20代に見える若さだし。」
「見た目は関係ないと思うのよ、ジョー君。それより、今日は親子給食だったじゃない。」
「ああ、そういやあママ来てたね。ついでに変な話しもしってったね。」
「こわかったわー。何でご飯の最中におばけの話しになるのかしら。」
「まったくだ。先生、面食らってたぞ。」
「おまけにさー、左目のチャーリーも右目のエポックも、しっかりお化けを見たみたいじゃない。お化けの話しになったとたん、最初は隣のお教室でしている物音にびくびくしだした左脳のエリックがさ、こんどはこっちのお教室の中に何か見つけたみたいでー。」
「いったい何を見つけたんだろうなー。」
「こわいわー。こわいから、あたし、もうたおれよーっと。」

 
 腹這いになって必死に眠気と戦っているゆめの足は、膝から先が天空へと伸び上がってゆらゆら揺れている。まるで昆虫の触角のようだ。そのつま先はお互いのつま先にむいていて、まるでそういう生物がゆらゆら揺れながらお話でもしているかのようだぜ。

五月飾り 05/4/9/(土)
 たったの五月飾りを探している。今頃になって。俺的には来年の今頃、新しく建てた家に引っ越してからその家の床の間に似合うものを買えばいいと思っていたのだが、結局買わざるを得なくなってしまった。たった本人は、そんなもの欲しいとも何とも思っていまい。外界に対する認識力が上がっているとはいえ、80%本能で生きている今の奴にもっとも興味があるのは、口に入るものが食べられるかどうかだくらいなものだろう。
 ま、それはともかく、どこで買えばいいか迷ったので、親戚のおばちゃんに相談した。おばちゃんのセンスはぴかいち。ゆめのおひな様の時も、すっごくセンスの良いお人形をくれた。おばちゃんに相談すれば、まず間違いない。
 
 おばちゃんの家には甥のこうたがいる。こうたもママの実家から贈られた五月飾りを持っているはずだ。せっかく家まで行ったので、見せてもらうことにしたのだが、…見るんじゃなかった。
 その五月飾りは小さな兜だけの非常にシンプルなお飾りなのだが、兜がとってもデザインの良い形をしていて、シンプル・イズ・ベストとはまさにこのことと言わんばかりの作品だった。掃除の行き届いた床の間に鎮座ましましたその姿は、小さいくせに存在感ばりばり。繊細な床の間と相まって、これ以上のお飾り姿を俺の家で再現するなど到底不可能に思えるほどだった。
 実際、その後で数件お人形屋を回ったが、どれもこれも派手すぎて気に入らなかった。中にはそこそこのものもあった。でも、こうたの兜に比べたらどれもこれも今2つか3つだ。どうしても購入までに踏み込めない。こうたの兜を選んだのが誰なのかは知らないが、センスの良いところには自然とセンスの良いものが集まる仕組みにでもなっているのか。

 ああ、どうしよう、たったの五月飾り〜

脳みそトコロテン化現象 05/4/9/(土)
 非常勤時代、ある先生がこんなことを言っていた。
「話し合いで解決できなきゃ、最後は暴力に訴えたくなるよなあ」
 これは交通事故にまつわるお話だ。
 この先生が交通量のきわめて少ない田舎道を走っていたとき前方に、横道から右折で出てきてこちらへ向かってこようとしていたおじさんの車があった。ずっと出てこずにいたのでそのまま通過しようとしたところ、先生の車が目の前に迫ったときに急に出てきて、あえなく衝突。先生の車の横っ面におじさんの車がぶつかった。
 最初このおじさんは、だれが見ても明らかな自分の非を自らも認め、何度も謝り、修理費なども全額払いますなどと言っていたようだが、保険屋に連絡したとたん態度が一変、急に強気になり、自分は悪くないなどと言い出したという。
 おじさんの車は動かないし、警察も入り、保険屋を挟んで何度も話し合いがあったようだが、結局どちらもエンジンが動いていたという理由で、優先道路を走っていた先生も3割の自己負担を強いられた。警察だか相手の保険屋だかは、車が出てくることを想定して走る義務があるとも言ったという。
 なんだかなあ、目前に迫るまでたっぷり時間があったにもかかわらずずっと出てこないでいた人が、目の前で急に出てくるなんて想定する必要があるだろうか。ましてや先生は優先道路を走っていんだぜ。そういえば、青信号の交差点を走るときにも、信号無視の車があることを想定しろとか言ってた教官がいたっけな。これなどもおかしな話しだ。そんな可能性があるなら、そもそも信号の存在が無意味になる。
 ま、そうはいってもいつでもいろいろな可能性があることは事実だし、俺自身本当のところを言えば、このことがある前から横から出てくる車や信号無視の車などといったものは警戒してはいたけどね。こういうときはいつでもブレーキを踏めるように、足はブレーキペダルの上に乗せるようにしていたし、もちろん今でもそうしている。

 さて、交通事故のことはいいとして、言いたいのはこのことじゃない。この先生が言った、
「最後は暴力」という部分だ。
 ”最後は暴力”は間違いだよな。明らかに。それは戦争ばっかりやってるどっかの馬鹿な大国と同じ理屈だろう。どんなに相手に非があっても、暴力をふるえばその時点ですべての非はこちらになる。勝てば官軍なんて、いまどき通用しない。(この馬鹿な大国以外はね)
 どこかの県で、食事をしようと人気店への入店待ちの最中、何を食べるかで口論になったカップルの男が、彼女を刺したという何とも馬鹿な事件があった。これなどもまさに、”最後は暴力”ってやつか。
 そもそも理由が情けない。何を食べるかで口論になるか?入店待ちということは、少なくとも中華かイタリアンかといったカテゴリーは決まっていたんだろう。だったらそこで何を食べたって人の勝手だ。こういう理由でけんかになるかね。そもそも、何でデート中にナイフなんか持ってるんだ?しかもホントに刺しちゃうだなんて、たとえけんかになったとして、彼女にいくら何を言われたとしても、明らかに男が悪い。人の命をなんだと思っているのか。そもそも明らかに力が勝る男の分際で、女性に暴力をふるうんじゃねーよ。しかも凶器で!
 こういう馬鹿はアメリカにならって、犯した罪を全部累積した年数、つまり殺人未遂、傷害、銃刀法違反ってところか、それらをあわせて20年くらいの懲役にして、人の道を学ばせなおした方がいい。

 こういう馬鹿が世の中多すぎる。”最後は暴力”だなんてとんでもない。

 かつて俺の青春時代は、けんかといえば素手で勝負のタイマンが当たり前だった。それがいつの間にか集団暴力になり、やがてオヤジ狩りに見られるような卑怯な武器ありの集団不意打ちになり、今では非武装の女性にナイフをふるうまでになっちまった。どこまでいくんだ、この日本人の”脳みそトコロテン化現象”は。。。

初日 05/4/8/(金)
 今日は養護学校1年生初日。半日だけなので、午前中でおしまい。
 今日はお散歩に行ったらしい。帰ってきたときには、ゆめの手には桜の枝があったそうな。
帰宅後にママからそれを聞いて、思わず
「だめじゃん」と言ってしまったが、生木からもいでくるはずもなく、落ちているのを拾った程度のものだろう。
 桜といえば貴重な桜色。
 桜というのは花びらだけが桜色なのでなく、桜の木全体で桜色なのだ。咲き誇る直前の桜の木の樹皮を煮詰めて取った液で布など染めると、それはそれは美しい桜色に染まる。だが、知っての通り桜は枝を折ることすらできない。まして皮をはぐなどとんでもないこと。俺も染まった布は見たことがあっても、自分で染める機会には恵まれなかったなあ。
 仕方がないのでせいぜい桜湯を飲んで、気分だけでも桜色に染まってみるくらいか。


 ところで、今日は夜になってから見えないものが見える方に家の設計図を見てもらった。今のところできている設計は、ポーカーフェイスの設計担当の方が相当苦労して組み上げてくれたもので、はっきり言ってこれ以上直しようがない。正直なところを言えば、これでダメ出し食らったらどうしようと思っていた。だったら聞かなきゃ良いところだが、それでも気になるのよね。
 で、結果はと言うと、100点満点をもらう出来だった。言うことなし。
「長年家の設計図を見てきたけど、これほどまで丁寧に練り上げられたものは見たことがないです」
と褒められた(褒められたのは設計担当さんだろうな、この場合)。いけないというものをことごとく微妙にはずしているらしく、完璧とのことだった。
 そうかー…、じゃあ、いろいろわがまま言った甲斐はあったなあ。
 100点か。満点もらったのなんか、大学入試のデッサン以来だ。後は予算との折り合いが取れれば、もう本契約だなあ。

05/4/7/(木)
 今日は、ゆめが入学する西部養護学校の入学式。午前中が小中学部のお式だ。雨が降ってたが、眠剤の効果か、まだまったり気味のゆめもおめかししてお出かけ。なんつっても主役だし。
 待合室にはいると、中学校へ入学するみんなもたくさんいて、室内は暑いくらいにごった返していた。そんな中、昨年度まで俺がつとめる養護学校にいらした主事の先生(浜松筋ジス会の役員でもあり、昔からの知り合いだ。現在この養護学校高等部に異動になっている。)がほどなく見えられ、
「車いす押させていただきます〜〜」とおっしゃる。きけば、新入生は職員が連れて入場するそうな。先生はゆめにも
「いいですか〜?」と聞いていたが、今ゆめのなかではやりの”いいよー”は、やっぱり出なかった。緊張しているな、ゆめめ。

 式場では、小中の在校生がそろい、職員や保護者なども座っている。普通校のお式と違い、何となくざわついていて、厳粛ではなくうきうきしたような雰囲気が漂っていた。あのお式のかたっ苦しさは耐え難いものもあるので、この気楽さは非常にありがたい。
 新入生は入場後、保護者と一緒に並ぶ。俺がゆめの横につくこととし、列の座席に座って待つ。ママはたったと一緒に脇の保護者席へ。
 拍手で新入生が入場し、ゆめも主事に押されてにこやかに入場。主事の先生からゆめをいただく。余談だが、主事(もう主事じゃないけど)の先生は高等部だ。わざわざ入退場時だけゆめを押しに来てくれたに違いない。ありいがたや。
 まだ多少眠気の残るゆめ、お式は耐えられるか心配だったが、何とか持ちこたえた。
 呼名では、他の子が元気よくお返事する中、手は挙げたが返事はせずじまい。なのに校歌斉唱では、初めて聞く校歌なはずなのに、いきなり(ゆめ語で)歌い出し、びっくり。次第には歌詞が乗っているので、読めないことは承知で渡すと、かっこよく捧げ持って(ゆめ語で)歌い出した。歌が好きだねえ。
 
 お式後は、また待合室で打ち合わせなどし、その後担任紹介やクラス移動。教室は、ものすごく寒かった。分かっていたけど、その寒さは半端じゃなく、筋ジスのゆめにはかなり厳しいだろう。膝掛けを持ってくるように指示があったが、その程度では過ごせはしまいなあ。この点はチョット心配かも。


 さ、これでゆめの養護学校生活のスタートだ。親としてやらなければならないことを一つやった気がする。もっとも、いろいろやらなければならないことはこれからなんだが。
 今日チョット思ったのは、この学校で過ごす間に、ゆめは相当いろいろ覚えてくるだろうなあということだ。代表挨拶で前に出て話した在校生・新入生、そのほかたくさんの児童生徒たち。みんな車いすを器用に操ったり、歩行器で自力移動したりと、ゆめにやらせようとしていたが本人にその気がなくていまいち覚えが悪かったことを立派にやってる子たちがたくさんいる。あれを見たら、ゆめはきっとその気になるに違いない。
 何かあったときの対応なども含めて、ゆめの場合は間違いなく養護学校で良かったと思う。



眠剤の効果 05/4/6/(水)
 ゆめ、本日脳波の検査。
 前回は、数種類の眠剤を複数服用してもかたくなに寝ようとしないゆめのおかげで、結局脳波は取れずじまいだった。
 今回は俺と同じ時間(5時)に起こし、その後も検査開始の午後3時までたっぷり体を動かせたおかげで、眠剤も効果ばっちり。しっかり脳波を取れた模様。しかし、その効き目は検査後もずっと続き、帰宅した午後6時以降もゆめはでろんでろんだ。
 夕飯ができてもお構いなしに寝る。
 ご飯中でも食べながら寝る。
 たったがかまっても、あくまで寝る。
 お風呂の中でもお構いなしに寝る。

 こんなんで、明日の入学式は大丈夫なのだろうか…

ものまね 05/4/5/(火)
モノマネ紅白を見る。

 ゆめ、八代アキのモノマネがあまりにうまいので、歌い終わった後で一緒に拍手。本物登場で、やっぱり一緒に驚くゆめ。
 …知っているのか、八代アキを??
 
 ゆめ、福原愛ちゃんのものまねを見ながら、一緒になって「しゃーしゃー」叫ぶ。が、見終わった後は、腕を組んで考え込む。
 …あまり似てないので、ご立腹の様子。


 その傍で、たったはあくまで腹這い。お座りに興味がない。座らせようとしても足を突っ張り、あくまで座らない様子。
 …まあ、別に良いか。

 たった、ゆめの真似をしてか、ラックからDVDを出しまくり。
 …よけいなとこばっかり真似しやがって。


 ふたたびゆめ、森高千里の真似で拍手。水着のお姉ちゃんもいっぱい出てるな。いけないねえ、まぶしいねえ。。。
 …!
 その手には、携帯電話が!それで知り合いますか!?
 
没収!!そういうことはいかん!!!

日本語を勉強しなさい 05/4/4/(月)
『謎マネー・パート5』というテレビ番組を見た。
「驚きの謎マネー…お、次のコーナーは公務員だって。」
「あら?教師だってさ。」
「手当?手当もらってるよね、ちょっとだけど。」
「ふーん、こういうのに祭り上げられる職業なんだね、教師って」



いちいちうるさいなあ、ママはー。
「”祭り上げられる”んじゃなくて、”つるし上げられる”んだよ」


ゆめとの休日 05/4/3/(日)
 今日は午前中にゆめとお出かけ。お出かけは、昨日からゆめと(俺が一方的に)約束していたのだが、朝から熱っぽく、チョット心配だった。ゆめに何回聞いてもお出かけしたいと(ゆめ語で)いうので、結局一緒にお出かけ。一応熱せい痙攣と熱冷まし用の座薬を持ち、車検証をもらいに実家近くの車屋へ行く。
 その後、せっかく近くまで来たことだし、一目でもゆめを見たいだろうと思い、じいじとばあばにゆめを会わせるために実家に行った。
 にこやかに出迎えるお袋たちに安心してゆめを預けて、俺は紙漉の授業準備のため、親父の仕事場においてある紙漉の原料(わらとかサトウキビのガラとか)を取りに行った。紙を漉くには煮なければならないので、あらかじめ原料を細かく砕いていたらすっかり時間がたってしまい、実家に戻ったら1時間もたっていた。
 家にはいるとゆめの泣き声がする。居間に行くと、ゆめは床に座り込んで正体もなく泣き叫ぶ。その傍では、ゆめの泣き声などにはお構いなしにお袋がテレビののど自慢をニヤニヤしながら見ており、親父は仕事に没入していた。
 なんだこりゃ、俺の監視がないときはこんなものなのか と思った俺は、さっさと別室に移動し、ゆめのおむつを替えはじめた。タローが思うようにならないからだとかたったに会いたくて泣いただとか言い訳めいた言葉を並べていたが、相手にせずにすぐに家を出てしまった。
 
 お昼はガストでお子様うどんを完食し、まだやや微熱っぽかったものの元気の良いゆめと少しドライブした。
 途中で、道に座り込んで自転車をいじっているおじいさんに出くわした。田舎道の俺が曲がっていこうとした反対の方におじいさんはいたので、ほんとにちらっとしか見なかったが、どうやら自転車を直していたようす。まあ、行く先が反対だったこともあり、そのまましばらく走ってみたものの、どうにも気がかりで、大回りしておじいさんのところへ戻ってみた。近寄ってみると、おじいさんはしっかり工具を持っていじっていたので、こりゃー普通の修理であって、お出かけ途中で自転車が壊れたとかいうのではないなと判断し、よけいな声をかけるのはやめにした。余談だが、ガキのころに亡くなった俺のじいさんにそっくりだった。

 こういうときに『チョット待てよ…』と一瞬止まれるようになったのは、大人になった証なのか…

 ”止まれる”というのは、通り過ぎないで止まれるということではなくて、声をかけることを思いとどまる方を指している。
 じいさんがみんな非力で、いつも助けを求めていると思うのは若者のおごった考えかもしれぬと思い始めたのは、ここ数年のことだ。自分が年を重ねて来るに従って、また、まだまだ元気な親父の年があがって来るに従って、いわゆる”じいさん”といってもまだまだ達者なんじゃないだろうかと思うようになったのだ。


 家に帰ってゆめとたったを遊ばせた。
 俺に抱かれたたったの足にしがみついたゆめが、
「あしー」と叫んでいた。最初気がつかなかったのだが、たったの足のことを言っているのだと気がついて、感動した。かなり日本語らしい日本語だった。まあ、ちょっと、よりにもよって「あし」ってのは…と思わんでもないけど…。


 若干5才でこの世を去ったゆめのお友だち。”のぞみ”に入っていて楽しく過ごしたこともあったが、病状悪化により昨年来ずっと入院していて、外へ出ることすら滅多にかなわなかった小さな命。本日お通夜。ご冥福をお祈りします。

タンデム解禁 05/4/2/(土)
 高速道路でのバイクの二人乗りが、原則解禁になった。20歳以上で普通二輪(400ccまでの排気量のもの)以上の免許を3年以上所持する人が対象だった…かな、確か。
 ということは、俺は10年以上のライダーなので、高速道路も二人乗り可能なわけだ。

 この規則改正に喜ぶ人は多いんだろうなあ。バイク雑誌でも、ずいぶん前からこの話題はあったもんなあ。ツーリングでチョット長距離を走るときも、高速に乗れるから悠々と恋人とかを連れて行けるわけだしな。
 でも、俺には関係ないな。なぜなら、バイクに乗るときはいつも一人だから。
 20代の時は後ろに彼女を乗せることも多かったけど、それはちょい乗りくらいで、ツーリングは絶対一人だった。2台以上でつるんで走ることもしないし。だいたい、タンデムって疲れる。
 俺のバイクはSR400。レーサーレプリカよりははるかにタンデムしやすいけど、それでも二人で乗って楽なバイクじゃない。シートを付け替えてからはさらに乗せにくくなったし。町中で乗せるのも多少は運転しにくいのに、増して普通でも気を遣う高速道路で、二人乗りしようとは思わないなあ。

 バイクの年季が入って来るに従って、その便利さに加えて、いやそれ以上に危険度が身にしみるようになった。路上を走る乗り物の中で、あれほど危険なものも他にあるまい。一番危険なのはスクーターで、250cc、400ccと排気量が上がるに連れて危険度は減ってくる(走行の安定感の増加と、取り回しのしにくさ故の無茶な運転の減少による。なによりも、大型になればなるほど免許が取りにくいので、安全運転ができるような精神状態でない人はそもそも取れなかったのだ、これまでは。ある種のプライドだろう。事故など起こすものかという…)が、それも一人で乗っている場合に限り、大排気量のバイクでも、アメリカンやスクータータイプのバイクでもなければ、基本的にバイクを安全に乗れるのは一人の時だと思う。
 自分自身、数回の事故を経験した。そのうち1回は入院、1回は目撃者に絶対死んだ思われるくらいの派手な事故(実際は無傷。でも、バイクは廃車)。バイク歴が長くなるに連れて事故はなくなり、今では立派なゴールド免許だ。
 これらの経験をふまえると、タンデムはすまいとつくづく思うのだ。自分だけなら良いけど、同乗者までかなり大けがさせてしまう。大事な人ならなおのこと、後ろには乗せたくないと思う。


 バイクは、車に比べて事故った時の怪我がひどい。加えて二人乗りは運転しにくい。したい人はすればいいけど、俺は一生高速道路をタンデムすることはないだろう。