6月中間

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速記 浜松筋ジス会 
第21回総会
傲れるなんとか、血を流すー ゆがんだ社会構造の結果… ゆがんだ社会構造の結果…2
Mr.インクレディブル 立つ! ST フェチ ゆめのバスー
遺伝 甘い生活


甘い生活 05/06/22 (水)
めだかの学校つながりで、今日は森町までサトウキビをもらいに行った。
森町といえば、サトウキビがおいしいことで有名。
静岡県でサトウキビといえば、森町がおいしいと有名。
とにかく、サトウキビがうまい町なのだ。

さて、既に収穫が終わり、昨日は小学生も来て残り物を思う存分もいでいったという畑に連れられていくと、そこは一面サトウキビ畑。北も南も西も東も、ぜーんぶサトウキビ。その背丈よりも大きいサトウキビの中をうねうねと歩くと、ムッとするほど熱い。
今日は朝から梅雨の雨。でも、午後になって出掛けようとすると梅雨の晴れ間が覗き、気温は27度とも…かんから天気よりはましだったが、大汗かいての作業となった。

今まで枯れ果てた畑でいらなくなったガラをもらったことはあっても、こんなみずみずしい幹を折ったことなどなかったので、カッターではらちがあかないことはすぐに判った。近所のホームセンターで鎌を購入。やっと本格的に作業開始。

お言葉に甘えて、まずは身をもいでいく。
残り物?
小学生がもいでいった?
なんのなんの、立派な身がまだまだたくさんあるじゃないですか〜
だいたいが、小学生のガキどもなんか、ひとうねに2列で生えてるサトウキビの通路側しかもいでいってないもんね。内側にはまだまだ大きいのがありましたよ。

おもいさまもいだ後は、道路に近いがわに生えてるやつを幹ごとばさばさ刈っていく。葉っぱも幹も、そのすべてが紙になるのだ。まさに捨てるとこなし。捨てるのは、せいぜい身をたべたあとの芯くらいか。
100cm×70cmのガラ袋に5袋分の身と、9袋分のガラ。
これだけあれば、1年分くらいにはなるな。

学校へ戻ってからは先生達に身を分け、その皮だけは剥いでもらった。それが欲しくてもらってきたんだからね。先生達には裸の身だけ持って帰ってもらった。
俺もうちに帰って早速ゆでて食べたが、こりゃーもうー、一口目から甘すぎる!!!!っていうくらい甘ーーーーい!!!
いやはや、このおいしさったら、文章じゃ無理。
食べて。
ね、食べてもらわないと判らないよ。

は〜〜〜〜〜〜〜〜幸せ〜〜〜〜〜…

*注:文中の『サトウキビ』という表記は、すべてトウモロコシに変えてお読みください。
 なんか、毎回間違えるんだよな、『サトウキビ』と『トウモロコシ』…


遺伝 05/06/21 (火)
学校で『「じゃんけんぽん」「かたつむり」の歌を歌った』らしい。
…どんな歌なんだろう。

『少しやけくそ気味の声でしたが、ところどころ真似しながら歌うことができ』たらしいが、それって、前に出させてもらえなかったから?歌手として、スポットの当たる場所でなければ嫌ってことか?

『みんなの前に出ると、はりきって歌っていました。注目を浴びると俄然はりきるゆめさんでした。』
…やっぱり。
ただ歌うのは嫌なんだな。注目を浴びるのでなければ歌う意味がないのだろう、ゆめにとっては。


ま、ゆめらしいといえばゆめらしいが。


そういえば、お風呂でよく歌うのだが、俺が歌うとゆめは泣く。
泣きながら怒る。
何も怒らんでもいいと思うが、マジで怒るのだ。
あたしが歌いたいのだから、パパは黙ってろってことなのだろうか。

俺の歌声よりも、君の怒り泣きの声の方が、よっぽど大きい。
負けずに歌う。声を張り上げ。

負けずになく。身が張り裂けんばかりに。

そのうち、俺の口に拳を突っ込もうとし始める。

ゆめをおしやり、あくまで歌う。

熱唱を終えると、ゆめはお風呂ボボちゃんと遊んでたりする。

ちったー、俺の歌も聴け!





と、注目を集めたがるゆめの性格、もしかしてこの俺の性格を受け継いだか?

あ”〜〜〜
俺に似ちゃったのかー、ゆめー…


すまん…。



乗る! 05/06/20 (月)
俺は驚いたね。
だってさ、自分の子どもが改造人間だなんてしらなかったもん。。

なんかさ、ママが居間で書類を広げたとたん、台所の奥の方にいたたったが、一気にダッシュしてきたと思ったら、その勢いのまま、ちゃぶ台の上に飛び乗ってきたらしいんだよね。

こりゃー、あれでしょ。
加速装置。
ついてるでしょ。

あと、あれね。
ジェットスクランダー(古!)
過疎区装置で勢い付けて、ジャンプして、スクランダークロース!(古!!)

飛び乗るか、普通、9ヶ月児が?
9ヶ月だぜ、9ヶ月。


俺が
「だんなさん!まだ生まれないように抑えてて!」
なーんつわれてママの股間から頭を出そうとしてたたったを出てこないように抑えてたあの時から、まだたったの9ヶ月しかたってないんだからさ。




えー、そりゃーうれしいさー。
嬉しいに決まってるじゃん。

あんまりうれしいから、こう叫ぶのさ。





たったが乗ったー♪

たったが乗ったー♪

たったが乗ったーーーーー♪


今度は、パパがいるときに出動してね、たったクン♪




ゆめのバスー 05/06/19 (日)
学校で、”バスごっこ”なるものをやっている様子。
楽しく乗って、うっとりしたり楽しんだり、道行く下々に宮家のように手を振ったり…

交代で運転手役にもなるということだが、つい最近、その運転手になった模様。

一体どんな運転手だったんだろう。。

「乗り物で、ゴー」とか言いながら出発して、運転手の勝手で行く先も様々とか。


ああ〜、乗ってみたいー!
ゆめの「乗り物でゴー!」
握りしめた拳を突き上げ、ゆめのバッスーで出発かー


でもなー…
ゆめなんか、歩行器に乗ったままで玄関から落下したし、三輪車でも前転して前歯折ったこともあったし、たったも歩行器に乗ったまま押されて、やっぱり玄関から落とされてたし…

ゆめのバスかー
ゆめの運転じゃあ、永遠に目覚めない夢の世界にそのまま連れて行かれそうだなあ…


さて、夢の話しではなく現実の話しだ。
先日、受け持ち学年の修学旅行を考えながら、行く先の高山に関する雑誌を教室でめくっていた。修学旅行は真冬で、スキーがメインだ。

高山、これまで何回行ったかしれない。

始めて行ったのは、大学のサークルの合宿だった。陶芸部は、毎年窯元を訪ねるのが習わしで、1年の時に行ったのが高山だった。やはり最初に訪れた場所というのはぬぐいがたく記憶にとどまるものなのか、それまで旅行など家族旅行か小・中・高の修学旅行くらいしかなかったから、先輩や級友と行く旅はとても新鮮で、興奮した。以来、毎年のように出掛けるバイク野宿では、ことあるごとに高山あたりを走っているのだ。

さて、ゆめが生まれた翌々年当たりだったか、既にゆめの障害は判明しており、それでも野宿に出掛けた俺の行く先は、確か黒部の方だったかな。ただ、その時はゆめと一緒に来られる温泉探索も念頭にあった。その時は白骨温泉でちょうど良い混浴露天風呂を見つけて、旅行から帰ってきた後で早速もう一度、今度はママとゆめも一緒に車で出掛けたのだ。
初めて行く家族旅行はとても楽しく、白い温泉に浸かりながら嬉しそうな楽しそうなゆめは、今でも脳裏に焼き付いて離れない。

そのゆめの顔を、高山の雑誌を見ながら唐突に思い出してしまった。
あのころは…
今は…

あれから経てきた年月、その中で考えたこと、体験してきたこと、思い出の場面などが、矢継ぎ早にまぶたに浮かぶ。
ろくに言葉はしゃべれないけど、ゆめは良い子に育ったと思う。俺は間違いなくゆめを愛しているし、ゆめも、それを理解しているだろう。
当たり前の人生を歩んでいれば、これほどまでに過去をなつかしく思い出したり、逆に未来を想像したりはないのかもしれないが、ゆめと歩む人生において、その一秒一秒がとてつもなく貴重に思えるのは、やはりゆめが障害を抱えているからに他ならない。
障害、それ自体は憎むべきものとして俺の中に存在しているが、障害を持っているゆめはただ愛おしい存在意外の何者でもないし、その障害のおかげで今の思いがあるのならば、障害それ自体もまんざら悪いだけではないかもしれぬ。

もっとも、障害がなければここまで強烈な思いに駆られないとするならば、それはそれで悲しいことではある。
一体、子育てとはなんなのか。
親とか子どもとかとは、なんなのだろう。
愛って、なんだ。

そして最後に行き着いてしまう。
ゆめが亡くなるとき、俺はどういう行動を取るのだろう。

ゆめの、すやすや眠るかわいらしい寝顔を見ながら、毎晩のように考えてしまう。


「へ〜。パパ、そんなこと考えながら毎晩ねてるのー?」
と、ママが言う。
「なんだよー、悪いか?」
「明日何食べようかなーとかさ、他に楽しいこといっぱいあるじゃん。」
「…」
「暗!パパ、暗い!」

お前は脳天気すぎだ。
『明日の朝起きるのが楽しみな人は、幸せだ』というが、お前は間違いなく幸せ者だよ。
よかったねー、幸せでーだ。
べーだ!べーだ!



フェチ 05/06/18 (土)
押入の前にちょこんと正座して、何かやってる、たったの背中…
正面にまわってみてみると、ゆめのふわふわ毛が生えたぼんぼん髪飾りに、


うっとりしなが
そっとほほずりしている…



なんか、見ちゃいけないものを見た気がした。

男たった、何かが目覚めたのか?
…いや、まだ早いと思うが…


俺がそもそも、そういうふわふわ系が大好きなんだよな。
髪の毛フェチだし…



あ”〜〜〜
俺に似ちゃったのかー、たったー…


すまん…。



 余り良い言い方ではないが、『障害持ってる人は、自分たちに向けられている感情ってものを、健常な人たちよりも敏感に見抜く』とは、よく言われていることだろう。それは、ボラで行っている養護学校のお母さん方からも聞くし、ゆめのお友達のお母さん方も感じていることだ。
 もちろん、俺やママもな。
 
 
 願わくば、その事実を当事者が気がついてくれというところだが、往々にして気がつかないってのが人生の複雑さだ。

 元々がいい人、スゴイ人で通っていたとしても、いざ日常ではなかなか立てない状況下にはいると、つい正体がばれてしまうな。
 目が語る。
 チョットした仕草が語る。
 言葉の端々が語る。
 
 だからどうだというのではない。タダ愚痴ってみただけよ。





ST 05/06/17 (金)
今日はST(言語療法)の日。
先生がいろんな絵が描いてあるカードを差し出す。

「はいゆめちゃん、亀はどれですか〜?」
「ん」
すかさず亀のカードを差し出すゆめ。

「すごいねー、亀知ってるんだ〜」
「んふ〜」
ゆめ、かなり得意気。鼻の穴が2mmほど広がる。

「じゃあ、今度は…トラックは判るかな?」
「…」
チョット迷うゆめ。
「トラックは難しいかな?タダの車の方がよかったかなあ…」
「んん!あい!」
「おお、すごーい、トラックも判るんだねー。」

亀にトラック、難題をクリアしたゆめ、かなり眩しい。

「じゃあ、チョット簡単なのにしようかな。じゃあね、ゆめさん、サルをください。」
「…」
「おさるだよー。判るかなー」
「…」

おさるが判らなかったゆめ。
亀やトラックは判ったのに…
ママは、内心マズイと思った。

亀は”ファインディング・ニモ”で見たことあるし、トラックはバスの親戚だ?
でもサルは…
見たことなかったかな〜?????

とにかく、マニアックなものは判るのに、普通のものが分からなかったゆめでした。




立つ! 05/06/16 (木)
俺は驚いたね。
だってさ、自分の子どもが自力で立ち上がってるとこ見るのなんて、生まれて初めてなんだもん。

そりゃーさ、いつかは立つには違いなかっただろうけど、それがこーんなに早く来るなんて、思っても見なかったから。


9ヶ月だぜ、9ヶ月。


俺が
「だんなさん!まだ生まれないように抑えてて!」
なーんつわれてママの股間から頭を出そうとしてたたったを出てこないように抑えてたあの時から、まだたったの9ヶ月しかたってないんだからさ。




えー、そりゃーうれしいさー。
嬉しいに決まってるじゃん。

あんまりうれしいから、こう叫ぶのさ。





たったが立ったー♪

たったが立ったー♪

たったが立ったーーーーー♪


この得意そうな顔ったら…

お前、本当に9ヶ月なのかー?


立つ! 05/06/16 (木)
台所でゆめが呼ぶ。
「まーねー」

「あ?”まーねー”?何を真似したいって?なんだそれ?」
「あっあっあ!」
自分の口を指さしながら、しきりに流しの方を指さす。

そのうち流しまでいって、自力でつかまり立ち。
流しの中を指さしだした。

「なんだー?


あっ!
これか!!」

ゆめが指さしているのは、流しの中にあったゴミの入った袋。
その中に、あめ玉がたくさん入っていた。
”まーねー”とは、”あーめー”のことだったのか!

あめ玉は、たぶんママが捨てたものなのだろう。賞味期限はぎりぎりだ。
ゆめは、捨てるところを見ていたんだろう。それが食べたかったわけだ。

よく見てるねー、ゆめ。早速一個出してあげた。
ゆめは、とてもおいしそうに食べた。




Mr.インクレディブル 05/06/15 (水)
Mr.インクレディブルーーーー

絶対おもしろいに違いない!


Mr.インクレディブルーーーー

絶対買いたい!!

Mr.インクレディブルーーーー

俺の目に間違いはない!!!


そう思っていた。



そして帰宅後、机の上にはなぜか

Mr.インクレディブルがーー!


「うん、ゆめの好きなあそこ(ジャスコ。ゆめに聞かれると行きたがるので、この単語は我が家では禁句なのだ)へたったといってきた。2割引だったから買ってみた。」

「ママ、偉い!ママ愛してるー!!」

早速見る!
ゆめは最初
「何それ?」という感じだったが、すぐに俺の膝に入ってご機嫌で見始めた。

感想はというと、やっぱ俺の目に狂いはなかった。
すっごいおもしろかった!!
やっぱピクサーはいいなあ♪



ゆがんだ社会構造の結果… 05/06/14 (火)
 朝となく昼となく、人に話しかけられても何も答えず、教室ではいつも一人。教師に話しかけられたり授業中に指名されても答えないこともある。
 印象はむしろ陰気。何を考えているのか、さっぱり判らない。

 こういう生徒がクラスにいたら、その生徒はいじめの対象になっても仕方がないのでしょうか。いじめられたら、むしろその原因はそういう性格をしているその生徒の側にあるのでしょうか。


 これは、先日隣のクラスに手製の爆弾を投げ込んだ山口県の県立高校に通う、あの生徒のことです。
 極端な考えを持つ人の中には、
「これはいじめられても仕方がないな。むしろ、こんな奴がいたら俺だってからかいたくなる。」という人もいるでしょう。


 はっきり言いましょう。
 そういうことを言うお前ら、全員まとめて肥だめの中にでも肩まで浸かって反省しろ。

 ある意味、社会性の欠如していることは明白であろう。人に話しかけられても返事一つしないというのは、それ自体、決して褒められたことじゃない。指名されて答えないのも、端で見ていてイライラする人もいることはいるだろう。何考えてるか判らなければ不気味だと思うのも人の勝手だ。
 だが、だからといっていじめの対象として良いことにはならないし、そもそも、相手の気に入らない点をあげつらってからかいの理由にするなど、下の下だ。

 実にくだらない。
 いじめられる側にも原因があるなんて理屈、とおらねーんだよ。そのことにまだ気がつかないのか理解できないほどおつむが貧弱なのか、とにかくこういう奴が未だに生息していることが信じられないぜ。



 確かに、恨んでいる相手とサシで勝負しないで、不特定多数を巻き込む爆弾だなどという手段を選んだ当たり、卑怯者ではある。釘を入れて殺傷力を上げていたというのだから、殺意満々だ。まさにテロリストのやり口だな。
 こういう点は結果として、加害者に情状酌量の余地を無くさせはする。

 でも、そのそもそもの原因は、すべて理由にもならない理由でいじめた奴らの側にある。そうだろ?
 

 でもね、やっぱちょっと考えたい。
 今は家庭でもどこでも、子どもに対してかなり過保護傾向にあり、過剰なほどかばう、囲う。おかげで貧弱な思想と弱い神経ばかりが育ち、チョットした刺激にも耐えられない若い奴はすっごく多い。
 でも実際問題、子どもってそれほど過剰に守る必要があるほど弱い存在か?
 図工の時間、俺は小学生のガキどもにカッターを使わせる。色鉛筆などを削るのだ。最初は確かにぎこちなかった。でも、ちゃんと教えれば立派に使えるようになった。使えるようになると、今度は喜んで使いたがる。使うからどんどん上達する。学びの喜びこれに極まれり。
 危ないから取り上げる。それではいつまでたっても使い物にならない。
 子ども達は危険性と可能性、その両方を知る権利をもち、俺たち大人は、それをきちんと教える義務を持つはずだ。
 話がそれたが、俺の小さい頃だってからかいの的というのは確かにいた。でも、それをいじめととらえて大騒ぎする奴はいなかった。仲間内で上手に身を処し、適切な距離感をつかんで受け流したりした。からかう側にもそれを受け入れる余裕があった。教師に殴られたって、殴られるようなことしたのなら仕方なしと思えた。皆それぞれにたくましかった。
 では、今は?何をしてもすぐ『体罰』だの『いじめ』だのの大合唱だ。
 いつからこんな世の中になったかねえ。

 しかし、それは子ども本人の責任か?

 先日の研修会では、未就学児童を持つ母親に工作を教えるクラブ代表の方の講演会を聞いたが、そこで興味深いことを知った。
 工作クラブの母親達は、糊が目の前にあっても使わず、何でもかんでもガムテープを丸めてペタぺたぺた…効率の悪いことおびただしい。初顔合わせのグループでは誰一人率先して動かず、互いの顔色をうかがう。
 おお、確かにそんな親に育てられたんでは、自分の主張をちゃんとしたり、適切な用具を適切に使うなどという適材適所的な思考は育つまい。

 子ども達の遊び場だった広い原っぱを持つ公園を、平気でボール投げ禁止にしてしまう社会。ディズニーランドでゲームキューブするガキと、それを許す親。気に入った生徒だけを差別したり、ことの善悪をきちんと指導できない教師。そういったものが複雑に絡み合って、今の脳みそがトコロテンじゃないかと思うような行動をする子どもができあがるのではないか。
 すぐにつるんで特定の誰かを陰湿にいじめる、からかう、むやみやたらといじめられたと受け取る。そういう思考に育ってしまったのは、決して本人達のせいだけではないと思うな。


 今回の事件を思うとき、特定の生徒をネチネチからかうことも、その仕返しがなぜか不特定多数をねらうことになることも、どっちも根底にゆがんだ社会構造が見える気がする。
 俺はどっちも擁護する気になれない。


ゆがんだ社会構造の結果…2 05/06/14 (火)
 さりとて、すべてを社会のせいにする気もない。

 朝となく昼となく、人に話しかけられても何も答えず、教室ではいつも一人。教師に話しかけられたり授業中に指名されても答えないこともある。
 印象はむしろ陰気。何を考えているのか、さっぱり判らない。

 こんな生徒ならうちの学校にはいくらでもいるぞ。でも、いじめなんか起きた試しがない。
 
 今日、生徒からこんな相談を受けた。仮にA美としよう。彼女の主張はこうだ。
『回りがみんなグループを作ってしまい、自分だけがどこにも所属できないでいて、どんどん孤独になっていく気がする。』
 A美は、別にいじめに遭っているわけではない。彼女について言えば、グループに入れない原因それ自体は彼女自身にあるのだが、その点についてはここでふれる必要はない。

 俺は彼女にこんなことを話した。昼休み、辛くて泣いている彼女に付き添い、一緒に俺の元まで来たもう一人の生徒、S子と一緒に、美術室で昼飯を食べながらだ。

「そもそも学校へ来る理由は何?友達とわいわいやるため?仮に一生懸命勉強して何かを得るために学校へ来ているなら、その付加価値として友人関係があるなら、その友人関係が多少ぎくしゃくしてもどうということはないよな。だって、寄る辺は他にちゃんとあるわけだからさ。それがないで、友人関係だけで立とうとするから、それが崩れるとすべて瓦解しちゃう。それが勉強でなくても良いんだけど、一本足(友人関係)だけで立つんじゃなくて、ちゃんと二本足(友人以外の何か価値あるもの)で立ちなよ。」
 要はさ、狭いんだよな、視野が。
「それにさー、グループなんてカテゴリーに分ける必要あるか?今目の前にいるS子はいったい何?君を心配して一緒に昼飯食べてる彼女は友人じゃないの?朝、バスを降りた後で足取りが重い君の手を引いてくれたというK子だって、ちゃんと友達じゃん。グループなんてものに縛られなくても、お前さんを見ている人はちゃんといる。お前はひとりぼっちじゃないじゃないか。」
 考え方一つなんだよね。
「とはいってもなー、青春時代がなんなのか、後からほのぼの思うもの。青春時代の真ん中は道に迷っているばかりと歌にあるではないか。たくさん悩んで、たくさん落ち込んで復活して、それを繰り返せばいいのよ。たくさん悩め。一杯落ち込め。そしたらまた話しに来ればいい。」
 そう簡単には考え方なんか変わらないからねえ。
「悩んで落ち込んで、復活するためにいろんな人に相談して…、おっ前はラッキーだよなあ。何故なら、大きくなってそういう相談を誰かに受けたとしよう、その時お前はたくさんの引き出しの中から、適切と思われる言葉かけを思い出して投げ与えることが出来るじゃないか。俺なんかこういう性格だから、誰ともそんな話ししたこと無い。もししていれば、今お前に、もっと適切な言葉をあげられたかもしれない。でも、俺には引き出しがない。仕方がないから36年間の人生すべてをもとに、頭のこのへんを高速回転して答えを拾ってしゃべっている。」
 うまい具合にS子の「そうだよー、ラッキーだよー」とか合いの手が入る。S子、グットだ!

 詭弁でしかないんだけど、要は話を聞いて欲しい・勇気づけられたいというのが会食の目的なので、これで充分復活するのだなあ。


 いじめに戻るが、人生において何に価値を求めているかがポイントじゃないかと思うのだな。いじめられてもいじめだと感じないくらい大きな目標があったら、どうよ。いじめなんかしたいと思わないくらい大きな目的があったら、どうよ。学校というものを、人間関係にばかりウェイト置き過ぎと違うか?
 おっと、なんか論旨がいじめられる側の原因も求める形になってきてるな。これじゃいかん。

 一番にいたいのはさ、いじめが起こるのはかなり余裕があるってことだってこと。だってうちの学校なんか、いじめが起こる余裕がないもんな。それどころじゃない。生徒達みんな、生きることに精一杯だし。友人関係の中での適切な距離感をつかむことに必死で、いじめなんてことに頭が行かない。A美にしても、彼女が感じているのは孤独なんだな。これはいじめられた結果じゃないのよ!とらえ方がむしろ前向きなんだ。
 それらは良いことなのか悪いことなのかわからないけど、少なくともここで流れる空気は、実に人間臭くていいと思う。
 爆弾投げちゃった生徒に足りなかったのは、”臭くて青い青春の輝きを話し合える相手”だったのではないかなあ。ああ、でも話せるならそもそも返事もしないなんてことはなかっったか。また振り出しだ、ちっ。


傲れるなんとか、血を流すー 05/06/13 (月)
 怪我した。
 左手の薬指、第2間接間近に、思いっきり平刀を突き刺した。
 刺した直後は気がつかなくて、刺すきっかけになった制作中の物体の方の破損に気を取られていたが、生徒が
「先生、血…血…」
見ればだらだらと流れ出る血が…。
 水をかけたが血は止らず、仕方がないので保健室に行った。

 実は水を流しながら、俺は見てしまった。傷口から裏返しにめくれ込んだ表皮が、指でプニュっと押した拍子に血をピュっと飛ばしながらはね出てくるところを。。。
 俺は思い出してしまった。ガードレールが左足に刺さり、表皮が中側にめくれ込んでいた時のことを。。。

 思い出したとたん、軽く外因性ショック症状になってしまった。冷や汗だらだら、体温・心拍急低下。生徒から見えなくなるまでは廊下をしゃきしゃき歩いたが、角を曲がってからは、やや千鳥足で保健室へ行った。


あー、情けねえ…


 養教の先生は、傷が深いから縫わなきゃダメだという。おまけに指のことだし、整形外科の先生に診てもらう方がよいとのこと。隣の病院は本日は手術日。仕方なく近場の民間病院へ行って来た。
 結果は、3針縫う怪我。
 授業中のことだったので、今度は公務災害にしてもらった。


 ところで、今回の怪我で俺が何を思ったかというと、

「嗚呼、俺、人間になった」

だ。。。

?だろ。

 つまり、前任校では教師でしかなかったの。教師マシン。
 でも、この学校では人間として教師をやっていると実感したの。刃物を扱うなんて集中力のいる作業をしながら、同時に生徒個々の面倒も見なけりゃならない。それは今までもやってきたことだけど、この学校では、一つ一つに集中しきれない、そのくらい常に戦場状態。失敗したことで、嗚呼俺も人間だったんだと実感したのです。

 ま、言い方を変えれば、傲っていただけなんだけど。


 帰宅後、ゆめに見せたら
「いーたーいー」
といいなら、やや触ろうとし気味。
 たったは…明らかにねらっている。すきあらば堂々と触ろうとする。

 危険です、君たちは。。マジで。

浜松筋ジス会 第21回総会 05/06/12 (日)
 筋ジス会総会、終了。これにて、3日間連続だった出張に始まり、昨日は東京女子医大の齋藤先生の講演会、今日は総会と、あわただしく緊張の連続だった日々が終わった。総会の帰り道、信号待ちした車の中で、伸びをしながら
「くぁわー」と息を吐いた俺の隣で、ゆめも同じポーズを取って
「くあー」と同じく息を吐く。
 ゆめと見合って大笑いした。

 さて、今日はゆめと俺の”パパっ子チーム”が総会へ出席し、たったとママの”ママっ子チーム”が建築屋へ、家の契約に出掛けた。
 総会の間は、ゆめは浜松医大の女医の卵さんと一緒に託児室にこもり、良い子ちゃんで遊んでいたという。そうはいっても迷惑をかけたことでしょう、ありがたや。
 その総会の恒例の講演会では、かつては筋ジス会の顧問にもなっていた偉いドクターのお話を聞いた。20年を超えた筋ジス会の昔の様子を、映写しながら(なつかしく)聞いた(見た)。
 その中で最後に「こんな夜更けにバナナかよ」渡辺 一史 (著)の紹介があった。1959年に札幌に生まれて2002年に亡くなった筋ジスの鹿野靖明という人と、24時間体制で彼を支えるボランティアとの交流・葛藤・自分発見を描いたノンフィクションだ。
 実は俺、かなり前にこの本は途中まで読んだんだな。俺にしてはめずらしく途中で投げ出してしまったんだが、その理由は、読んでいる間に『ボランティアってなんだろう』、『24時間介護で生きるって、どういうことなんだろう』などなど、いろいろな疑問が頭に渦巻き、読みながら疲れてしまって、読み進むことが出来なくなってしまったのだ。特に激しく疑問だったのは、この鹿野靖明という人が、『なぜこんなにもボランティアたちに強く(わがままに)接することが出来るのか』という点だった。
 でも、講演の中でいろいろな話が出てきたが、それを聞きながら一応自分の中で答えが出た気がする。
 あえて言い切るが、障害者の多くが”自分”を殺し、助けられていることに感謝し続けながら生きている。いや、社会が、そうやって生きていなければならないような構造になっている。幼い頃から障害を持っている子供は、親の後ろ姿からそのことを学び、大人になってから障害を持った人は、自分自身の前に立ちはだかる壁からそのことを知るのか。とにかく、多かれ少なかれ社会に対して遠慮して生きている現実がある。
 でも、障害を持っていても自分自身の生き方を貫く権利はある。障害を持っているからって、誰かに遠慮しなくてはならないわけじゃない。それは、健常な者が日常生活に必要な分量と同じくらいで十分なはずだ。鹿野靖明はまさに自分の生きたい生き方を通した(その裏では血のオシッコが出そうな苦労があるところがやはり日本なのだが)のだ。
 とはいえ、わがままに生きるのだけがすべての人に共通じゃない。「ありがとう」が自然に出る生き方もある。遠慮ではなく、控えめなのが自分の生き方である人もいる。いずれにしてもみんながその自分らしい生き方を、血のオシッコなんか流さなくても実現できる社会が良い。

 浜松筋ジス会は、その実現に向けて、今も動いているのだ。早く筋ジス会などというものが綺麗さっぱり解散し、機能しなくても良い日の到来を願いつつ。

速記 05/06/11 (土)
『個別の指導計画作成に向けて』なる書類をママが書いている。
「”この2ヶ月でお子さんが「成長した」「がんばっている」と思われること”なんかない?」
「それ、俺も学校で書いてるもん。イヤだよ、家に帰ってきてまで同じような書類書くの。」

「…(俺をじっと見つめるママ)」

「…、言葉をたくさん覚えたかなあ。。。」

「”この一年間を見通して、お子さんに「こんなふうになって欲しい」、「こんなことをがんばって欲しい」”」
「俺が望んでるのなんか、たった一つじゃん」
「なに?日本語しゃべって欲しい?」
「いや、その前によだれをとめてほしいんだが、そんなこと書いても無駄だ。俺だってそんなの書かれたら困る。”日本語で会話したい”だな。」
「なんだ、結局そうなんじゃん。」


「あたしなんか、いっつもゆめと一緒じゃん。一緒にいると今が当たり前になっちゃって、端から見たら”そりゃおかしいだろう”ということにも気がつかなくなっちゃうんだよね。”もうよだれかけやめてこうしましょう”とかいって欲しいんだよね。そういうのって、簡潔に言うと、なんて書けば良いんだろう?」
「”ゆめの成長のために親としてこうした方が良いということを教えて欲しい。例えば、よだれを止めるためには”もうよだれかけやめてこうしましょう”って言ってくれるとか”で、どう?」
「はい、書きました。」

 たった今の会話を、リアルタイムで書いてみました。



「”水泳に関する配慮事項”。」
「”冷えやすい”」
「顔に水がかかると異常に怒りますとか…」
「それは配慮事項じゃないだろう。じゃあなにか?顔に水がかからないようにしてくださいとか書くつもりか?水泳なのに?」
「じゃあ、何も無し。」
「だーかーらー、”冷えやすい”って、かいとけってば。」

 たった今の会話を、リアルタイムで書いてみました。


「お!?なんか入ってる。」
扶養家族の健康診断セットを見ながらママが言う。
「なんだ?あたしも検便するのか?ピー(俺のことね)、届けてくれるの?」
「ばか!何で俺がお前のうんこなんか届けてやらにゃあならんのだ!検査当日に自分で持ってくんだよ!」
「なんだ、なんだ、お弁当に入れてやろうと思ったのに。」
「…」
「ん?これも書くのか?」
「もう書いてるわい。」

 たった今の会話を、リアルタイムで書いてみました。