1月

お正月 たたり 哀愁の動物園 おとそ気分最終日 でかい股間 気功
苦汁 最高傑作 ネバーギブアップ! 青春の光と陰 罪と償い 美術
美術2 新人議員 発音 怪しい行為と危険な行為 長毛種一族の陰謀 魔が差すとき
夢で会えたら 祟りかもな やっぱ祟りだよ

ほうらね、祟りだった 06/1/30 (月)
ゆめ、学校でホワイトボードに向かってアピール。
何か描きたいのかと思い、先生にペンを渡されても興味なし。
どうやらペンではなくボード消しの方に用があるらしい。

先生がホワイトボードに字を書くと、一生懸命ゆめが消す。
描きたいのではなく、消したかったのですね。
変わった人…

お店屋さんごっこでもお金のやりとりには興味があっても、肝心の買った品物には興味がないらしいし。
俺も時々うっかり品物持ってくるのを忘れそうにはなるが、お金は払っても品物はいらないだなんてことはなかったなあ。
あ、でも、プラモデルは作るのが楽しいんだけど、できあがっちゃうと興味なくなるんだよなあ。

ってことはぁ、ゆめの変わってる性格は俺のせいかあ…


大きな音を立てて、ナベとかやかんとかで遊ぶ誠大。
大きな音が鳴るということは、パパが怒るかもしれない。そんな気がするからちらちらとパパを見ながら、でも楽しくて遊んじゃう。
悪いと思うならやめればいいのにちらちら見るだけでやめない誠大。
そのうちやっぱりパパが怒る。
でも、しつこくやり続ける。

ちらちら見ていたのは、いったい何のためだったのでせうか、たった君?
良い根性してるぜ、まったく。

これは俺の血ではない!

やっぱ祟りだよ 06/1/29 (日)
誠大は風邪で咳が出ている。
子どもの気管支はもともとかなり狭い。風邪でも引けばさらに狭くなる。気管支が狭いときに手術などしようものなら、ただでさえ狭くなっている気管支にさらに負荷をかけてしまい、医療事故の元となる。
熱に続いて咳が出て、手術延期でホントに良かったと思う。
せっかくのどちんこつけても、死んでしまっては元も子もないからな。


さて、このごろじいじばあばの介護住宅を自分でアイデアスケッチしているが、それに先立ち老人&障害者の介護住宅設計上の参考本など読みあさっている。自分の家以上に勉強している有様だ。なにしろ今度は最初っから全面介護が前提の設計なのだから当然だ。

そこから気がついたことは、既に建築が進んでいる自分家が全く介護に適さないと言う悲しい事実だった。

よくよく考えてみれば、ゆめは今はまだ介護といっても小さな子どものお世話に毛が生えた程度、この先もしばらくはその状態が続くのだ。さらに進んで家の中でも車いすが当たり前の生活という物がいまいち真剣には頭に浮かばなかったんだよな。参考本もその頃に購入しておきながらあまり読んでいなかったので、その中に描かれている重大ごとも読みとれていなかった。
読めば読むほどこうしておけば良かったと思うような工夫がたくさん描いてある。
無念と言えばあまりに無念。
読みとっていればもっと先々まで考えて介護しやすい設計にしてもらったものを…

その轍を踏まないためにも、今度は徹底的に介護するための住宅にするのだ。
でも、それに気がついたまでは良かったが、今度は資金が全然無い。予定外なので当然なのだが、きちんとした介護住宅を建てるには足りないという言葉以上に足らなさすぎる。

これまた無念。

一体どうなるんだ、離れの建築…


ところで、今日もゆめはオマルで気張った。
長時間の格闘に、肛門はいつものように脱肛。それでもなかなか出てこない固い固いうんちにゆめはすっかり涙顔。
そこで登場、ママの摘便。

ちょっかいを出したがる誠大を俺がおさえ、ママはゆめのおしりに綿棒を突っ込み掻き出す、掻き出す。
しかし、今日はいつもよりも手強かった。
コロコロ剥がれて出てくる固いうんちのそのあとで、やっと出てきた大きな本体。そのブツは、まるで中くらいの大きさのサツマイモみたい。ずるっと出てきた。しかも先端はコリッコリだ。こんなものが詰まってたんでは、さぞかしゆめも辛かったことだろう。

ゆめ様、まだ7才と6ヶ月。今からこんな調子じゃあ、この先どうなることやら…

一方たったは、実家の急な階段をえっちらおっちらと上り下り。
上り下りだ。
バック機能がついてるとは思わなかったな、いつのまにやら下りることまで出来るようになってやがった。
こちらは一日に何回もウンチが出ている。その快便さ加減をゆめに少し分けてやれと言いたい。
ま、これだけの運動量なんだから、快便も当たり前か。
おそるべし1才と5ヶ月。

祟りかもな 06/1/28 (土)
誠大君ののどちんんこは二つに割れている。それをくっつける手術が行われるはずだったのだが、肝心の誠大が風邪引いたので手術は延期だ。

さて、風邪を引いたといえば、家の設計士さんも風邪でダウン中。
設計士さんには追加で作る離れの設計を御願いしてあって、今日はそのうち会わせをするはずだったのだが、風邪で打ち合わせも飛んでった。

でも、ま、風邪じゃあ仕方ないね。

「なんかさあ、離れのこととなるととたんに話が行かなくなるよねえ…」
「あ?」
「だってさ、じいじばあばが住む離れを作ってっていう話を出そうとした打ち合わせの日に設計士さん事故って打ち合わせが出来なかったでしょう?今度はいよいよ設計案を見ながら打ち合わせようっていう日に風邪でダウンだよ?」
「あー…そういえば…」
「でしょ?やっぱ、妨害されてない?」

風邪だって言うからそれ以上のことは考えてなかったけど、そういわれればそんな気がしてきた。実家の土地に巣くう何者かは、あくまでばあばをこの土地から出さない気らしい。とことん妨害するつもりのようだ。

何をバカなと思うだろうが、こういうことは当事者にならなければ判らないだろう。
こちらの都合で打ち合わせが流れたことは何回かあったが、あちらの都合で流れるだなんてことは今までなかった。それも設計士さんに直接何かあって来られなくなるだなんてなあ、偶然にしてもできすぎだ。
前回、打ち合わせで実家に来てもらった時、冗談で話したんだよな。
「前回は事故で大変でしたね。今回は来られて良かったですが、これでまた何かの都合で来られなくなったらいよいよ祟りかもしれないってかみさんと話してたんですよ。」
「いやー、まさかー」
「次回はまた来られなかったりしてね♪」

ホントになっちゃったよ。
滅多なことは言うもんじゃねーなー、まったく。


さて、呪われた(と思う)我が実家の土地の流れを整理してみようか。ばあばの言うことは時々変わるので昔のこととなるとはっきりとは把握できないのだが…
@地主が入水自殺している今の実家の土地(昔、織り物工場があった場所で、今もがれきが埋まっている)を、それと知ってか知らずかおじいちゃんが購入。そのせいか、もともと女の子(とネコの死に様)に恵まれなかった。実際、何人かがお腹の中で、もしくは生まれてすぐに死亡している。
A30年以上前、裏の倉庫に入っている畳の機械を入れ替える際、何となく気になったばあばが近所のおがみやさんに見てもらったところ、「とても苦しい。苦しすぎて拝めないし、多すぎて見えない。とてもじゃないが払えない」と言われて門前払い。周囲の人々にもあまりの苦しみように驚いた。
B30年くらい前、いじってはいけない時期におじいちゃんが家の改築をして、弟が指を切断。
C30年近く前、いじってはいけない時期に(誰?)が家の改築をしておじいちゃんが寝たっきりに。
D20年くらい前、豊川稲荷の占いで土地がらみで良くないことを言われた。
E10年ほど前、(たぶん誰かがいじってはいけない時期に家のどこかをいじり)じいじが胃ガンに。このあとにばあばがリュウマチ発症。
F5年ほど前、隣町の霊能者に土地を見てもらった。結果は、実家の敷地だけで数十体、周りの空き地になっている場所を入れればそれこそ数え切れないくらいの霊体がうようよ。敷地の中だけは払ったが、いずれは入ってくるので、ここから出た方がよいと言われた。
移行、頑張って土地を探すが、良さそうな土地だとばあばが妨害?し、ばあばが持ってくる土地は良くないとこばっかり。
G数年前、時期はどうか知らないが、家の改築をしたとたんばあばのリュウマチ激悪化。
H昨年末に家の打ち合わせを予定。その席上でばあばが移り住めるようにと離れの設計を頼もうと思っていたが、設計士さんが打ち合わせ当日に事故って打ち合わせ中止に。結局頼めなかった。
I先月、おばちゃんが霊能者に見てもらったところ、家の中を邪気が渦巻いていると。敷地と家の四隅に盛り塩をするように指示がでた。一応浄化はされるが、どこでも良いから余所へ移った方が良いといわれた。ここ以外ならどこであってもここよりましとも言われた。
J実家には地の神様が祭ってないことが発覚。そういえば俺には長男なら必ずついてるはずの地の神様の分身?だったけかな、守り神様みたいのがついてないからおかしいなあと、以前に霊能者に言われたっけ。ついてないはずだよ、地の神様、祭ってないんだもの。
K今日、設計士さんが離れの素案を持ってきてくれるはずの打ち合わせ当日、突然風邪(の症状が出た)で、打ち合わせ中止に。

こうやってみると結構色々あるねえ。これ、全部偶然か?
ポイントはA・D・F・Iだな。つながりのない霊能者が(土地のことなど話題に出さずに見てもらっているのに)それぞれ土地の悪さを指摘している。
実感として妨害されているなあと感じたのは、Fの後半・H・Jだ。俺とママは、すでにFの後半部分から妨害を感じてはいたのだ。
それにだ、うちのママ、実家に泊まっていると決まって体調を崩す。
おばあちゃんは死ぬ数年前から家のあちこちから男の人やら女の人やらが入ってきてうるさくてたまらないとか、外から人だったり四つんばいの獣みたいのが大勢こっちを見てるだの、ベットの上に男が乗ってるとか言って処女のように怖がっていたが、俺たちは呆けたと思っていた。今考えると、ゆめも時々「じいじ」とあちらこちらを指さしているので、おばあちゃんの言ってたことは意外とホントだったのかもなんて思ってみたり…。

誰かこの事実を持って鑑定してはくれないかなあ。


夢で会えたら… 06/1/25 (木)
昨日予言した(先に昨日の日記を読むべし)とおり、夢に見るだろうなーと思っていたら、やっぱりくだらない夢を見てしまった。


その夢というのは、二人で温泉に行く夢だった。
しかもだ、温泉までは何故か民家の軒先が迫った細いネコ道みたいな場所とか、すぐ横を普通の道路が通っている場所とか、崖っぷちに出来ている階段とかを通って結構長い道のりを、しかも何故か全裸にタオルで隠しただけで歩いて向かうという、何ともどっきりカメラのようなシチュエーションだった。

それを二人仲良く手などつなぎながら、はずかしーなあとか言いながら、笑いながら行くのだ。
加えて、二人とも実に楽しいのだ。
二人で温泉に来たこと自体が楽しくて仕方なく、こんなシチュエーションですら楽しんでいるのだ。










でもな、でも、二人は二人でも、相手は昨日のかわいい彼女じゃなく、以前担当していた生徒(男子)なんだから!
楽しいんだぜ。
仲良く手をつないで笑いあいながら行くんだぜ。

朝起きて、既に時刻が午前7時だった(起床時刻は午前5時だ。目覚ましが鳴らなかったのかと思ったら、ちゃんと機能していた。単に鳴っていることに気がつかなかったようだ。これすらあり得ないことだぜ)ことでびっくらこいたが、夢の内容を思い出してさらに驚いてしまった。


ああ、疲れてるんだなあ、俺…


その夢の内容をかみさんに話したら、
「でも、その○○君とならあり得るんだ?そういうのも。だから夢に見るんでしょ?」
などとのたまう。
「そうなんだよねえ、あいつとならあり得る。なにしろ、学校でもしょっちゅうイライラして服を脱いでいたからなあ。」

なんのことはない、夢で○○のことをなつかしく思い出してしまっただけなんだがね。
○○の奴、元気かなあ。

でも同じ温泉行くなら、やっぱ彼女の方が良かったなあ。

なんちゃってね。
いや、一般論としてね。
あくまで一般論。
願望じゃないよ。


イヤホンと。

魔が差すとき 06/1/24 (火)
静岡県盲・聾・養護学校高等部合同作品展というものの搬入・展示・審査だった。明日から日曜日まで一般公開する。
俺は養護教育専門部の専門部長なので、この作品展の事務局として一切を仕切る立場。一大イベントである。無事に開催できるとことは嬉しいのだが、これに向けての会議開催から日程の調節、必要物品の準備などで毎年非常に疲れる。

さて、展示作業中のことだが、ある学校の女性教諭が展示台を借りたいというので一緒に運んだ。運ぶ途中、彼女の背後に他校の作品で大きな魚の作品が掛けられているのが見えたのだが、可愛らしい作品だったので歩きながら思わず
「あ、あの魚可愛らしいな。」
とつぶやいた。
当たりは作業の喧噪でややうるさい。加えて俺の滑舌はあまり良くない。意識して声を出さないと、つぶやき声などほとんど聞き取られることはない。
いや、これまではそうだった。
そうだったのだが、今回は違った。ばっちり聞かれてしまった。
しかも、後半部分だけ。
おまけに、俺の顔はその時、向いにいて一緒に運んでいる彼女の方を見ている(当たり前だ、彼女の背後の作品を見ながらいっているのだから)。
あろう事か彼女が
「ありがとうございます」
なんて言うモノだから驚いてしまって、間の悪いことに彼女と目が合ってしまった。


これは絶対あれだよな。
勘違いされたよな。
まず間違いなく、彼女のことを『可愛らしい』と言ったと思われたよな。
だからお礼を言われたんだろ。

俺、ちゃんと結婚指輪してるんだよね。
なのにそんなことを言うなんてさいてーじゃんか。
仮に独身だと思われていたとしても、仕事中にそんなことを言うのもへんだよなー。
どっちに転んでも良くは思われないよなー

まあ、事実彼女は確かに可愛らしい女性だ。つぶやきが勘違いあろうとなかろうと、すぐさまお礼を言うというのもなかなか堂に入っていて悪くない。
間違いではないがなあ…

あ、こんなことをうだうだ考えていると、また夢に見たりしてろくなことにはならないなきっと。
まあ、日記のネタにはなるからいいけどな。

肝心の審査結果は、17校が参加し総数400点以上の作品数に対し、ナイスな賞である上位2賞で総数5作品の授賞枠に本校の生徒作品は16点の出品のうち2作品が上位入賞という快挙なので、まあ良しとするか。

長毛種一族の陰謀 06/1/23 (月)
帰宅した俺を、ご飯中の親子三人で迎えてくれた。
「おかえりー」ママ
「おぁん」たった
「えりー」ゆめ

ご飯を指さし
「おーらーすー」
とゆめが言うので、最初はなんだか判らなかったが、オムライスと判明。
オムライスのミートソースかけに、付け合わせは太麺パスタのクリーム和えが付いていた。
と、突然泣き出すゆめ。
「ゆめと誠大、必ずどっちかが泣いてるなー」
とママが言うので、きっとどっちかが泣いていたのだろう。
さて、ゆめが何故突然泣き出したかというと、どうやら付け合わせのパスタが欲しかったらしい。
うるさいのでゆめのさらに乗せてやったが、すでに結構な量を食べているようでげっぷなどしている。
「食べ過ぎなら返して」
と取り上げると、
「いや!」
という。
仕方がないので、載せてやったが、何となく納得いかなかった…

ま、それはさておき、我が家には今、長毛種が2匹いる。
正確には、長毛が好きな種族なのだが。
それが何を差しているかというと、俺と誠大だったりする。

隠し立てはすまい、はっきりと俺は長い髪の毛が好きだ。ゆめのしなやかな長いポニーテールなんぞ、ほんとにたまらん。
で、しつこく触ってゆめに怒られるんだけどさ。もともとミンクの首巻きなんかも好きなので、毛の長いものが好きと言うことだな。
誠大のやつも俺に負けず劣らず毛の長いものが好きだ。ゆめの髪の毛も好きらしいが、誠大の好みとしてはもう少し柔らかいものの方がいいらしい。
ゆめの髪飾りの白いふわふわのぼんぼんなんか、誠大がほおずりしたりなめまわしたりするからあっという間にごわごわになっちゃう。保育園でもふわふわの綿毛布がお気に入りで、しゃぶりながら持ち歩いたり、お友達の肌触りの良いコートを何度も引っ張り出そうとしていたらしい。

血だな。
ま、俺の一族は伝統的にふわふわの毛の長めのものが好きなのよ。
俺の一族はね。
俺と誠大はな。
一族とかいって、俺と誠大の二人だけだけどな。

長毛種だから。

怪しい行為と危険な行為 06/1/22 (日)
ゆめは激しく便秘なので、たまに出るときはそれこそ脱肛してしまうくらい固くて大きいのが出てくる。おそらく普段でも出そうで出ない苦しみが多いのだと思うが、家にいるときは結構な頻度でオマルに座っている。

今日も夕食後にテレビを見ながらオマルに座っていたゆめだったが、途中からお腹の痛みも取れ、オマルに座ったまま遊びだした。誠大が寝転がって何かやっているその横で、ゆめもノリノリで激しく前後に動いていた。
と、ゆめのやつ、オマルごと誠大に向かってひっくり返った。三輪車なんかに乗ってる子どもがつんのめって頭からすっころぶ要領で前転し、見事に誠大の上にダイブ!
誠大は上からふってきたゆめに驚き固まってしまい、ゆめはゆめでおもしろかったのが半分、身動き取れなくてもがくの半分で、おしり丸出しのまま二人で絡まってしまった。

ゆめを助け起こして誠大を正気付かせてやると、我に返った誠大はゆめの股間に注目した。
のぞき込むようにして凝視し、しきりに指さしている。おそらく、「僕のと違う」とかなんとか言いたいのだろう。

誠大君、はっきり言おう

君のその目覚めはまだあまりにも早すぎる!


お風呂に入っているとき、たったのやつ急に動きを止めて恍惚とした表情を見せた。そのすぐ横にいたゆめも急に誠大の方を振り向きけらけら笑い出した。
多分そうだと思うのだが、絶対オシッコしてたよな、湯船の中で。

と、ゆめのやつ、誠大のおちんちんをつまんでぎゅうーぎゅうー引っ張り出した。わらいながら。
誠大も誠大で引っ張られながらのびるちんちんを見つめている。

ゆめ、はっきり言おう

君のその行為はあまりにも危険すぎる!皮が伸びちゃうでしょう!!

発音 06/1/21 (土)
誠大ののどちんこをしっかり作る手術が一週間後に迫った。だが、このごろ鼻を垂らしているので風邪引きさんは手術延期のルールによって、たぶん手術は出来ないだろう。
誠大の口蓋は相変わらずがばっと空いているのだが、このごろそのせいでいまだに「パパ」と呼んでもらえないということが判った。

人間誰しも発音するときには、したベロから鼻の穴まですべての空気が通る場所を使っている。誠大のように鼻から空気が抜けることを防げない場合、「ま」行と「な」行しかしっかりとは発音できないのだそうだ。
そういわれてみれば、「ママ」は早期から実にしっかり発音できていたのだが、それ以外はあまりしゃべらない。それでもこのごろゆめの真似して「あら〜〜〜〜う?」とか言ってるときがあるので、その他の行の発音も多少は出来るのだろう。
しかし、「ぱ」行はほとんど発音できないのだそうな。時々頑張って顔を斜めに傾け、自信なさ気に「ぱ〜ぱ〜?」とか言うときもあって、それはそれでかわいいのだけれど。
たぶん、自分がちゃんと言えてないことに気がついているのだろうなあ。まだ1才なのに、人生の荒波にもまれているなあ、誠大君は。

新人議員 06/1/20 (金)
金曜日の”朝ズバ”を見ていたら、あの大蔵議員が女子高生となんだかの映画を見て、その後に座談会をやったとかのニュースをやっていた。その中で議員は
「あんまり大きな夢持っちゃダメです。叶わなかったときにがくりくる。”プチ幸せ(不確か。確かこんな感じのこと)”くらいがいい」
って感じのことを言っていた。
そのあとすぐにCMに入ってしまったのだが、CMの間中俺は非常に腹を立てていた。
何でもかんでもプチつけやがって。
なにが大きな夢持っちゃうダメなんだよ!
『少年よ大志を抱け』って言うじゃないか。政治家ならそれこそ日本の舵取り役としてでっかい志がなければいかんじゃないのか。当の政治家がそれを否定して、どうする!
こんなバカタレが政治家になってしまうこと自体が、すでに日本の行く末が破滅に向かっている証じゃなかろうか。

と1人で憤っていたら、CM明けにみのもんたも同じように怒っていた。

大蔵さん、あんたは政治家としてやって行くには人間性も社会性も品性も人格も備わってないじゃん。
ただ、そのバカ正直さで、可能なら政界という魑魅魍魎跋扈する怪しげな世界に無遠慮に光を当ててくれ。つぶされないように上手に力を付けて、でも、その場か正直さだけは無くさないでよ。

美術 06/1/19 (木)
勤務するの養護学校は病弱養護学校。精神疾患の生徒が通っている。そのうち生活習慣改善のために長期入院していた生徒が、再来週に迫った修学旅行にあわせて一時的に登校した。
自分の担当する生徒であるので、その復帰は一時的とはいえ大変嬉しく、約2ヶ月ぶりにクラスの生徒が全員そろった。

さて、その彼を仮にA君としようか。
A君は病院で描いてきたという一枚の絵を見せてくれた。一言で言えば、荒削りだがとても正直な絵。正直言えば入院したくなかったのであろう彼の気持ちがぶつけられたような激しさも持った絵だ。
それは四切り画用紙に描かれた紅葉の巨木で、紙のサイズは小さいのだが、堂々と描かれた巨木は画面からはみ出すほど大きく、紅葉は透明感があって非常に美しく、堂々としたタッチは生命力にあふれていた。もともと似顔絵描きが得意でずいぶんとうまいペン画を描く生徒ではあったのだが、絵の具を使ってもいい絵を描くじゃないか。
あまりに出来映えが良いので、来週の火曜に搬入する予定の県内の盲・聾・養護学校高等部が合同で開催する作品展に急遽出品することにした。
早速額装してみると、なんとなんと、まるで売り物ででもあるかのように栄えるではないか。出品予定の他の作品と見比べてみても、とても指導を受けずに描いた作品とは思えない出来映えだ。

ここで、ちょっと考えてしまった。
A君は美術ではなく音楽を選択していて、これまで美術指導はしたことがない。この2年間やってきたこの学校での美術指導や課題の内容を振り返ったとき、果たして彼のこの才能を俺は引き出せただろうか。
答えは出ない。
だが、育ててみたかったと思った。

小学生の図工をやってて思うのだが、もともと美術は好きな絵なり立体なりを好きなように作ればいいと思うのだ。ただ、表現方法はそれこそ数え切れないくらいあるのだが、それを教えなければバリエーションも増えるモノではない。よほど興味があって自分で調べればどんどん世界も広がるが、自力でそれが出来る生徒の方が少ないのだ。
美術指導において一番必要なのは、その広い世界に気づかせることにあると常々考えている。ついでに言えば、目の前に広がる大きな世界に気がついてもなかなか入っていけない生徒を踏み出させる後押しも教師の役目だろう。
だが実際は、本校の、特に高校生の美術指導においては、こちらが用意したフィールド(課題内容)の中でさえもなかなか歩き出せない生徒が多い。失敗をおそれる、変だといわれたら恥ずかしい、これで良いのか不安…様々な足かせを自分ではめてしまい、なかなか思うように進まないことの方が多い。
そんなとき俺は言うのだ。
「良いも悪いもやってみなけりゃ、わかんねーよ。だいたい良いか悪いかは俺が判断するのだ。自分らで勝手に決めるな。とっとと始めれば時間も余る。仮に失敗しても時間があれば直せるだろ。だから早く始めろ」
となー。
ホントにホントに言葉には気を付けないといけない生徒ばかり(ほんの些細なきっかけでとんでもない事態が起こったりするから)なのだが、こと美術に関しては最初っから
「美術の時間だけは本音で厳しく指導するぞ。俺の知識・技術・考え方、全部ぶつけるからな。本気でやるからそっちも本気でやれ」
と言ってあるので、そんなこと言われて最初は戸惑っていた生徒たちも、いまでは美術の時間は真剣な顔だ(といいつつ実際はかなりフランクな授業なのだが…。俺が元々シリアス向けじゃないからさー)。
おもしろいのは普段からつまらない冗談ばかりしつこく言って周囲の生徒を辟易させている生徒でさえ、美術の時間には少なくとも俺がその冗談に全くつき合わないことで、やはり俺が本気だと気がつき、1年も終わり頃にはマジできちんとしだしたことだな。

ま、それは良いとして、そうした生徒に囲まれて日々指導する中にあって、A君の自由奔放な絵は、実に新鮮だった。いや、養護の先生たちならそんな絵は見慣れたモノなのかもしれないが、普通籍の俺にとってはほとんど初めて見る絵だったし、本校のように元々が様々な理由により自分に自信が持てない生徒ばかりだと、特に高等部ではそうした絵を見る機会はほとんど無いのだ。いや、昨年は1人だけ、自由奔放・快活・豪快な絵を描く生徒がいたのだが、残念ながら彼は退学してしまったので、たった一枚だけ描いた、それもB1サイズの大作以来見ていないと言う方が正確か。

とにかく、このごろ学校では腹の立つことばかりだったので、久方ぶりに嬉しい出来事であった。

美術 06/1/19 (木)
その人の描いた絵を見れば、その人がどういう性格をしているか判る。
見た目や血液型がどうであれ、繊細な絵を描く人は実はにんげんも繊細。普段几帳面でも絵を描かせると非常にだらしないばあい、よくよく調べればそういう人は外へ出ればいいが部屋はきったないなどということも多い。
俺なんか詰めが甘い性格なのは承知なのだが、作品を作っても最後の最後にやっぱし詰めが甘いことって多いんだよな。
普段だらしなくても制作姿勢は真剣だなんていう人もいるが、なんのことはない、そういう人はホントは色々と真剣に物事考えているのよ。

さて、このごろゆめが家でも学校でも絵を描くことが多くて楽しいのだが、いまだにゆめの絵を見てもなんにも見えてこない。何か描こうとしているのだが、形が整わないからなんなのか判らないし、果たしてゆめが頭の中で何を考えているのか判らないのだから、描かれた絵を見ても判断基準がない。


だが、ただ一つ言える。
ゆめは、描くことを楽しんでいる。


実はそれが一番肝心な部分なんだよな。何を描こうとしているのかなんて周囲が勝手に悩めばいいことであって、当の本人が楽しめているかどうかが問題なんだから。
なぜなら、楽しくなければ人生つまんないからだ。


実は今日の美術では、初任者研修の一環とかで先生一年生の高等部職員(教科は体育)のF先生が2時間の授業につき合っていた。ホントは1時間だけの予定だったのだが、勝手に生徒と一緒になって絵を描いていた。しかも、これまで8時間くらいかけてアイデア出しから下描きを経てようやく色を塗りだした生徒たちの中にあって、F先生は2時間目にはもう色を塗りだしていた。
俺は言ったね。
「おお、おお、お前らF先生においつかれてるぞー」
「ええ?」
「まじで!」
「だって飛び込み競技の先生だもん、思い切りの良さは一級品でしょ」
「体育の先生なんだから、追いつくの早いに決まってるじゃん!」

結局現実逃避かガキどもめ…

ま、それは良いとして、その彼は前半の1時間は真剣になにやらメモっていた。2時間の終わりに生徒と一緒に片付けに行ってしまったとき、出しっぱなしになっていたメモを何気に見てしまったのだが、そこには2時間の間に俺が生徒に投げかけた言葉やら行動やらがびっしり描かれていた。
ああ?こんな事言ったっけ?ということも描いてあって驚いた。
一番たくさん描いてあったのは、
「楽しめ」
というたぐいの言葉だった。
「楽しんで塗れー」
「楽しさ見つけろー」
とか。

何でそんな言葉が多いかというと、生徒たちが「色が(本物と)似ない」とか、「(本物とは)別の色になってきた!」などとしきりに言っていたからだ。別に本物と見比べるわけではないのだから好きに塗ればいいのに、わざわざ自分で自分の首を絞めちゃってるんだよな。盛んに「難しー」などとも言っていたが、似せようとするから難しく感じるのだ。できあがった自分の絵が唯一無二の本物であって、その中で秩序が正しければ良いのであり、似ているかどうかは問題外なのに。

そこへ行くとゆめの絵は実に無邪気だ。本物と似ているかどうかなんて気にしてやしない。
それがだんだん似ているかどうかでうまい下手を決めていくようになる。誰かがそう教えてきているのかなあ。
人はこうして変な価値観を植え付けられ、絵が苦手になっていくのだなあ。もっと自由になれば楽しいのになあ。

そうそう、性格の話だった。
今回も生徒たちの絵には性格が実に良く出ている。いちいち列挙しないが、そのことを一番実感したのは他ならぬF先生であったようだ。

罪と償い 06/1/18 (水)
連続幼女誘拐殺人犯の元祖オタク男宮崎勉の死刑判決が確定した。
朝のSHRで取り上げ、罪と償い・責任追及能力のあるなしに関わらない刑事責任の追及の必要性などを話したが、昼飯を食いながら生徒とそのことについて再び話した。一緒に食べていた隣のクラスの生徒は朝のSHRことを知らないので、よく話しに食いついてきた。
1人は
「死刑で簡単に終わらせてしまって良いのかな…もっと償わせた方が良いような気がしますが」
と言っていた。
俺も数年前までは全くその通りに思っていた。無期懲役にして永遠と償わせた方がいいのではないかと。
しかし、このごろちょっと違う。

死刑は、簡単に終わる話ではないだろう。いつ来るか判らない執行の日を恐れながら時に数年、或いは数十年も待つ心理というのは一体どのようなモノなのだろうか。心ある監督の描くその手の映画などでは、それがいかに辛く切ないモノであるかを上手に描いているが。
一方で無期懲役は、それが死刑とは一線を画す要素を持っていることでまるで違う償い方法となる。それは、模範囚となれば仮出所できるという点だ。
宮崎勉の場合、個人的には犠牲者・遺族会わせて何人もの人間の未来を個人的な欲求のために踏みにじり、奪い、全くの無にしてしまうような奴の死刑は当然の判決だと思っているが、判決確定の時点で出た言葉
「無罪でしょう。」「(死刑?)何かの間違いです。」
から判るように、逮捕から17年もかけてその心理を全く是正できずにいる。そんな自らの行いに対する罪の意識を持たない人間を、再び社会に出してイイモノだろうか。再犯という言葉が激しく頭をよぎるが。
すべての受刑者をそのような目で見てはいけないが、奴の場合はそれがはっきりしていると思うのだ。
さらには、きちんと犯した罪の意識を持たせられず、ただ職務上の関わりしか持たなかったであろう弁護士の責任というか人間性まで追求したくなってしまう。
(ココラ辺は教育者の端くれとして、生徒に対する責任の重みを感じる。すなわち、職業としてだけ生徒と接していては決して指導できないことの多さを痛感するからだ。職業としてしか生徒に接せられない先生は多い。それは勉強の出来ない生徒への関わり方と、規則を守れなかったり生活の乱れた生徒(いわゆる生徒指導の大変な生徒)への対応で如実に判るのだな。いや、単にその先生の人間性かもしれないが。
クサイ物にふた・相容れないモノは排除ではあまりに短絡的なのは承知の上で述べる。
犯罪者の心理をきちんと是正できるシステムが確立していれば死刑などという蛮行は無いに越したことはない。でも、今回の件で判るようにそのシステムが未だ確立していない日本という国では、死刑は一つの有効な手段(とくに遺族の溜飲を多少なりとも下げるという意味では)となってしまっているように思う。
だが、教育者は決してそれ(クサイ物にふた・相容れないモノは排除)をしてはならない。それは未来ある若者の生きる道をゆがめてしまう、死刑以上の蛮行なのだ。)



奴が死んだところで殺された子どもは生き返りはしない。死刑執行で終わりでは、それこそ無念と言うほか無い。
親は、きっと聞きたかったに違いない。たった一言
「すいませんでした」
と謝罪する言葉を。
謝ればいいと言うモノではないし、それを逆手にとって悪さをしては謝罪する(だけの)バカな大人も多いのだが、なんか釈然としないぞ。

かつて指導した1人の前任校の生徒を思い出した。
彼はこういった。
「人を殺すことがそれほど悪いことかどうか、殺してみなければ判らない。殺してみて、罪の意識を感じれば、その時は償う」と。
もちろん彼も本気で言っているのではなく、一つの例えとして言っているのだろうけれど(と信じたいが)。
世の中には、法律で禁止されていなくても、実際にやらなくても、年齢に応じてやってはいけないとことだと知っていて当然ということがたくさんある。
人を殺して良いはずがない。高校生にもなってそんなガキの戯れ言など言っているようでは、全く話にならない。誰しもこんなバカタレの気づきために死ぬのはまっぴらごめんだろうし、だいたいが殺したあとで罪の意識を感じればまだいいが、感じなかったらどうなるのだ。全くの死に損ではないか。
バカな話だ。


青春の光と陰… 06/1/17 (火)
青春の一幕が閉じる瞬間、それはある日突然訪れる。
人によってその形は様々だろう。
自分の内からの変化に気づいてしまったり…
環境の変化によって否応なく変わらざるを得なかったり…
気がついたら、既に青春が終わっていたということもあるだろう…

俺の場合はそのいずれをも否定してきた。
変化は成長であるとかたくなに信じ、環境の変化にももろともせず、未だ青春の渦中に身を起き続けてきた。

しかし、俺の青春の証であった大切な相棒を失うことで、俺の青春は突然幕を閉じた。

俺の青春、それは紛れもなく、愛車SR400・さかな丸だ。
奴は1994年から、俺と共に日本中を旅してきた。実に12年間だ。あとは山口県へ踏み込めば陸続きでない沖縄以外のすべての都道府県を走破するまでに至っていた。走行距離も10万kmを超え、満身創痍を修理しながら大切に走ってきた。
しかし、つい3ヶ月前に2回目のエンジンの圧力抜けとなり、YSPでの長い原因究明を経て、昨日ついに修理不可能との診断となった。日本征服を目前にしての突然の急逝。
まるで歴史上の英雄のように。





そして俺は、新しい相棒を手に入れる。
進化を経て、ささやかな変化を身につけた新型のSRを、俺は手に入れる。新しい相棒と共に、改めて日本征服を開始するのだ。
従って、俺はまた青春に戻る。
奴に跨っているとき、俺は常に青春の中にいるのだ。





青春の幕が上がる瞬間、それは実に簡単に訪れる。
人によってその形は様々だろう。
俺の場合は新しい相棒を手に入れることで、いくつになっても再び三度、青春へと戻れるのだ。
いやさ、それはかつてと同じ青春ではなく、進化した新しい青春なのだ。
あのころは出来なかったことが出来るようになり、出来ていたことが出来なくなっている新しい青春。
それは若干大人テイストの青春…
人はそれを壮年と呼ぶが、俺はあえてこう言おう。

いくつになっても、男は青春に生きるのだ!と


俺たちは、まだ青春なのだ!!




大人になんか、

なりたくなーい!!!


↑これは青春を飛び越してガキの言うセリフ



秘密結社納豆撲滅団、通称『ネバネバ団』初代団長ですから 06/1/16 (月)
俺はゆめのウンチがあまり気にならない。
クサイはクサイが、手についても(大騒ぎはするけど)平気だし、臭いの充満した室内でも気にならない。

ただし、ゆめに限る。
たったの場合は必ずしもその限りではないし、ママのあとでトイレに入るのも普通に困る(ママはもっと困ってると思うが)。



さて、この世で何がキライだと言って、俺は納豆が大嫌いだ。
あの臭いはどうにも我慢ならない。何であんなクサイモノをみんな喜んで食べるのか理解に苦しむ。
ネバネバ糸を引いてるのもいかにも醗酵し切ちゃってますって感じでたまんない。
だいたいがオクラが弁当箱の中で粘ってるのを見て
「腐ってるっ!」
土佐犬だのはこの俺ですから。

仮にゆめが納豆を食べたとしよう。最低でも2時間は近づかないな。もしくは、お風呂にはいるまでは。
納豆を食べるような子はだっこしません。
納豆を触った手で触られるなんて、想像しただけでも恐ろしい。
ましてや納豆を食べた口でよだれを付けられたら、もう、叫んじゃうかもしんない。


このゆめ小僧がまた納豆が好きなんだよな…
しょっちゅう
「なっとう〜」
だなどと悪魔の言葉をはいている。

俺はね、『納豆』という文字を見るのもイヤなんだからさー、天使のようなゆめちゃんが、納豆だなんて単語を吐いてはいかんと思うのです。



俺がこんなに納豆キライなのに、あろう事か俺以外の全員が納豆好きときたもんだ!

少なくとも、納豆を食べた日にはゆめの髪の毛もなでられることはないし、従ってゆめも痛くもないのに
「いーたーいー」
と泣き真似しないね。
納豆を食べた日にはいくらせがまれてもたったがだっこされてくるくる回されて大はしゃぎなんて事は絶対にないな。
納豆を食べた日がいくら排卵日でも、4人目はまずあり得ないだろう。

最高傑作 06/1/15 (日)
美術の先生として、自分の制作物には自信がある(モノが多い)。
やっぱ、同じ作るならイイモノ作りたい。


で、これまで作ったオリジナルの中で、まさに最高傑作なのが























ゆめ




なんだな。
やっぱね。

俺が作った中で、一番美しい…

苦汁 06/1/14 (土)
正月休みに続いて、またなんにもしない連休が終わる。来週盲聾養護学校合同作品展なんかもあり、俺は事務局なのでやること山積みなのに、連休は活用できなかった。
家は順調に組み上がってきているが、ここに来てじいじ・ばあばの離れを造る必要性が生じ、そのための様々な仕様変更や工事追加、資金調達などでてんやわんやだ。元から離れは造る予定ではいたのだが、ばあばの「リュウマチは(数値上)治った」・「痛いところは別にない」・「☆(健康食品のこと)を飲んでれば大丈夫だから」・「今度新しいのが出て、それがまた効くっていうからやってみる」などという言葉を信じて、作ると言っても10年くらいは先の話だろう、それまでに資金などの準備をしようと思っていたのだが…
実際、3月終わりの完成を目指して考えられる限りゆめにとってのベターな設計をしてもらったにもかかわらず、ここへ来て追加の設計やら仕様変更やらはメチャクチャ大変な話だ。ましてやいきなり多額の資金調達をせねばならない…、もう30年ローン組んじゃったのに…

ママはママで、今までばあばがやっていた実家の事務仕事を(ばあばの頼みもあって)引き受けたが慣れない商売屋の事務は一朝一夕で行くことではない。細かな数字ばっかり並んだ帳面を抱えてキリキリしている。

ばあばはばあばで、ここに来てまた健康食品熱が上がってきてるし…何でそんなモノ飲んでも効かないって事が飲み込めないかなあ…


それでもな、それらを気持ちよく行える状況ならあまり苦にもなら無いんだが、現実はそうじゃなかったりするからまた話がややこしい。
人は気持ちで動くと思うのだ。目先の利益やなにやかじゃなく、特に家族の中のこととなれば、やっぱ感謝の心とかそれなりの姿勢・態度というモノが肝心でしょう。やってもやっても報われないとなれば、これはもう精神的な負担でしかない。いや、実際問題時間もかなり取られることではあるので、物理的にも負担だよな。それでも報われるんなら苦にならないが、そうは思えないんではやりきれない…
いや、報われなくてもやらねばならんだろうが、だからこそやりきれないのだ。
ま、これはその立場にいる家族にしか判らない感情だろうな。


憎きは健康食品。
確かに最初の頃に出していたサプリメントについていえば、それなりにイイモノではあるし、誠実な販売方法だったような気がする。俺にしても飲んで調子が良いので、初期のそれについては購入しても良いかなと思う(それにしてもバカみたいに高価すぎるけど)。でも、ちょっと景気が良くなってそのあとで次々に出したものについては、その売り方からしてでたらめも良いところだ。
効きやしないじゃん、実際。良くなってこなければ飲みが足りない、悪化すれば好転反応だからもっと飲め?じゃあ、ばあばはなんだ?信じたばっかりにこの有様だぜ。
前に書いたように、この手のモノは健康なモノがちょっと悪くなったときに飲めば効果的、だが、病気になった人がそれを飲んで治ったりはしないのだ。それをさも治るかのように宣伝するのは、こりゃもう詐○ってもんだぜ。
オマケに一度洗脳されたら抜け出せないのか、コンナになってもまだ飲みたがる。
まったくもう!

気功 06/1/11 (水)
今日は気功の日。ゆめはパワーを入れてもらった。でも、風邪気味なのかパワーが入っているにもかかわらず、俺が帰宅したときにはごろごろしていた。

でも目は死んでなかった…
獲物を狙う鋭いまなじりを上げ…




ま、それは良いとして、このごろ(いつも)便秘のゆめは、気功の先生がいるにもかかわらず、オマルに座りたがった。

なんと言うことでしょう♪
花も恥じらう乙女のゆめ様は、殿方の目の前で下半身丸出しになり、オマルに座って脱糞し始めたのです♪
おまけにそんな姿のまま、さらに気功の先生にうんこが出てくるようにパワーを入れてもらっています♪
見えない気の流れで、うんこをもみほぐします♪
「先生、出そうですか?」
「う〜〜ん、固いねえ」
「固いですか?」
「まだ固いねえ」

まだ固いってさ。気功でもなかなかうんこは柔らかくならないようです♪


…ん?
ちょっと待てよ。
この会話から察するに、気功の先生、ゆめのうんこ、触ったんじゃあ…
お腹の中で触ったんだよね、うんこに、気功で。

おおおうー
さすがの俺でもゆめのうんこを素手で鷲掴みは出来ないぞぉー…
いくら気功でもなぁ
直接じゃないとは言えなぁ…

でかい股間 06/1/10 (火)
家の中ではおむつ丸出しで過ごすことが多い怪獣2匹。
そのおむつはしばしば限界まで酷使される。

うんこ座りでしゃがんでいるたったのもりあがった股間。
お姉さん座りだけど、やっぱり股間がはち切れんばかりに盛り上がっているパンツ丸出しのゆめ。
股間のでかい怪獣2匹、仲良くお菓子を分け合いながら食べている。

何故股間がでかいというと、たったのジュニアがでかいからだとか、ゆめの…ゆめの?でかい…ものはないか。といった事実は一切ない。
いやさ、おむつの中でオシッコが満タンになっているから♪
換えてやれよって?
もうすぐお風呂だから良いの♪

でもね、たったは満タンになるとおむつが自然に下がって来ちゃうの。なぜならちょっと大きめサイズだから。おかげでうんちがコロコロの時なんか、下がったおむつの隙間からウンチが大脱走!
踏んだら大変だぞ。

そんなたった君は俺に叱られることがとっても多い。ママに叱られてもたいして気にしないこともあるようだが、俺は生やさしいしかり方をしないので、たった君大いにビビル。
だから、いたずらしている自覚があるとき、たったと目が合うと奴は一瞬動きが止まる。

一方ゆめはというと、たったが叱られている時はそれを庇うかのように
「まあまあ…」
みたいな仕草で叱る俺をなだめにかかる。

割と見事なコンビネーションだ。

だから、股間がでかいのも二人一緒なのだ♪


先ほど、怪獣2匹で散らかしまくり、ママが片づけるそばからさらに散らかすたった。椅子の上に登ってしらんふりを決め込むが、結局ママに叱られながら俺を凝視。
と、ママがまた片づけを再開したとたん、椅子の上からママの頭を叩く。
ゆめ大笑い。
ママショック。
そんなママにお片づけのお手伝いをするゆめ。要領良いな。こんな状況って、どこかで見たことがあるぞ。いたずらをして叱られる下の子と、それを見て要領よく立ち回る上の子…



俺ん家だ。
俺と弟のやってたこととまるっきり同じじゃん。



血か…


おとそ気分最終日 06/1/9 (月)
天中殺のゆめ。
初詣では天中殺であるにもかかわらずおみくじは大吉を引き当てる。さすがは強運の持ち主だ。ちなみに俺も36年間生きてきて初めて大吉を引いた。『ま、良いんだ俺の場合は今年さえ乗り切れれば、あとはなんとでもなる。』という気持ちでいたので、うれしさよりもびっくりした。おかげでホントに何とかなるかもって思えたのに、ママの奴、
「これで今年1年分の運を使い果たしたかもね」
だなどと言いやがって!
よけいなことばっかりべらべらしゃべりやがる。
これだから女って生き物は!!!!!


帰宅後、お友達からのお手紙を俺に読ませるゆめ。ゆめの指を取って一文字ずつ差しながら読んであげる。もう何回も読んでいる。

「お返事書いてみる?」
と聞くと、今回は思いっきり書きたがる。ちょうどオマルで気張っている最中なのでもう少し後にしたらという俺の提案は却下。すぐに書きたいという。
仕方がないのでオマルに座ったまま描けるようにセッティングし、クレヨンで描かせてみることに。

なんだかごにょごにょ言いながら色々描くゆめ。
一つずつ何を描いているのか聞きながら確認して内容を文字でも書き込み、返事ではないがお返事の絵を描き上げた。

と、たったが飛んできてじゃまするので、たったにも別の紙をあげて描かせると、上手に紙の上に描き上げた。ちょっとだけ畳の上にはみ出したけど。
子どものお絵かきって紙からはみ出さないかと心配だけど、たったの奴は白い紙の上に描くんだと了解しているかのようで、その危なげのなさはゆめとは比較にならなかった。

哀愁の動物園 06/1/8 (日)
ママが色々と用事をしたいが、怪獣がへばりついていてはままならない。
というわけで大晦日に叶わなかった念願の動物園へ。

道中、やっぱりゆめと俺の鳴き真似が。
「ちぇったー?」←ゆめ
「きゃうー」←俺
「じいじ?」
「おお、ゆめや」
「ママ?」
「ゆーめーちゃん♪」
「ばあば?」
「あらゆめちゃん」
「たろー?」
「ばうばう」
その頃たったは爆睡中!

途中”アンディ”で美味しいサンドウィッチを購入して動物園に到着。たったを起こして障害者手帳で無料入園。
しかーし、たったのバカ垂れ泣きわめいてだっこ攻撃。

浜松動物園はかなり勾配がある坂が結構多い。正直言えば車いすでも押して歩くのは苦しい。そんな中、たったのベビーカーまで借りて2台を押して歩く。
風は冷たい。容赦なく吹き付ける。浜名湖の海風は厳しいぞ。
せっかく借りたベビーカーだったが、坂を100mも登った広場についた頃にはたったは乗り続けることを拒否。仕方なくお昼ご飯にしてベビーカーも返却。返却ったってまた2台押して坂を下りるんだからな。

その後自分で歩くのかと思いきや、またしてもだっこ攻撃。
結局片手にたったを抱き、もう片手で車椅子を押し、延々と続く坂道を歩き続ける。
ぞーさんぞーさんとうるさいゆめのリクエストにより、一目散に象園舎を目指すが、ゆめのやつ、象を目にしたとたんにあろうことか象を拒否。
「こーわーいー」
を連発し出す。早々に移動するも見るモノ見るモノすべて「こーわーいー」で拒否され続け、その間たったはずっとだっこしっぱなし。
終わってみればなんのことはない、ただ単に重たいたったを抱いて重たい車椅子を押して、坂道を上り下りした俺の運動でしかなかった。
ここはいつからスポーツジムになった?

たった初の動物園は、たったの1時間半の滞在でした。

帰宅の車中、今度はゆめのバカ垂れが象さんに会いたがるが、当然却下。


夜になって、ゆめとお風呂で今日の復習。
「えー、ぞーしゃん」
「ぱおーん」
「えー、ちぇったー」
「ひゃっふー!」
「えー、じいじ」
「おお、ゆめや」
「がおう」
「?ライオンのことか?
  がおー」
「ごはん」
「ご、ごはん?ご飯は鳴かんぞ」
「えー、がっこう」
「がっこう?がっこう…う〜ん…」
「えー、あぇんでぃー」
「グッモーニン」
だんだん好きなモノになっていくゆめさんでした。
それにしても、「えー」とか言っちゃって溜めができるようになってました。

たたり 06/1/7 (土)
本日たった君2回目のインフルエンザ予防接種。
病院がよいのママに代わってゆめと俺でたったを病院へ。ゆめの主治医の奥さんが院長を務める病院では、院長先生の注射は痛くないとの評判。ならばと俺も打ってもらおうとしたが、残念ながらワクチン切れ。
無念。

さて、たった君はそれまで元気いっぱいだったのが、注射を打たれることが判ったとたんに大暴れ。大荒れ。泣き叫び抵抗しまくる。
打たれたあとはけろっとしていたが、キンタマの小さい奴だ。

帰宅後に設計士さんと打ち合わせ。本宅の打ち合わせに加えて、じいじばあばの離れの設計も御願いした。もともとは昨年のうちに頼むはずだったが、ばあばを実家の敷地から出したくない何ものかのたたりによって御願いしようとしていた打ち合わせの日、その日に都合良く追突事故で車を壊された設計士さんだったが、今日は無事見えられた。これで今日も妨害されたらそれこそたたりだったぜ。後ろについてるおじいちゃんが戦ってくれたのかな。
ともかくも、6坪ほどの離れを造ってみましょうかという話にはなった。立てる場所は敷地南側の一等地だ。後ろも敷地は余ってるけど、宅地じゃない扱いになってるからなぁ。後ろ側に立てられれば一番良かったんだが、仕方がない。

その実家に潜む何者かなのだが、おばちゃん(ばあばのお姉さん)がうちにあまりに色々なことが起こるので心配してその筋の人に見てもらったところ、家の中にも周りにも邪気が渦巻いていると言ったという。
これで3人目だ。
1人目は俺がまだ幼い頃、ばあばが自分で頼みに行った拝みやさん。彼女は
「あんたんとこはすごすぎて見えない。とてもじゃないがあたしじゃ払えない」
と断られた。
2人目はほんの数年前、ママづてで頼んだ霊能者。家の中だけでも50体以上。敷地の中やその周りまで入れたら数え切れないくらいいるという。家の中は払って(ついでに49日がすんでも上がっていないと言うおばあちゃんの霊も上げてもらった)もらったが、周りにうじゃうじゃいるからすぐに入ってくるといっていた。早めに引っ越した方が良いとも言っていた。
今回も同じようなことを言われたあげく、おばちゃんが息子夫婦が別に家を建てていてそちらに呼ぼうとしていると告げると、
「どこであろうとここよりは遙かに良い。早くにそちらへ移りなさい。」
とのことだ。
なってこった。
もともと女が受難の家だけど、ママですら実家ではしょっちゅう頭痛を起こしているからな。やっぱりこの土地は良くない。
絶対間違いない。

お正月 06/1/1〜3 (日〜火)
K-1では須藤元気が山本キッドに負け、プライドではやっぱり曙がボビーに負け、さえない年末がふけていった。
そして結婚9年目を迎える年が明けた。
親子4人そろってからは、初めて水入らずでの年越しであった。アパートは大掃除も出来なかったので簡単に片づけただけだが、やはり親子水入らずは、良い。

お正月中も頻繁に病院へ行き、実家に泊まり込んでじいじと過ごした。年末についたもちはうまかったなあ。ばあばが持ってこいというので焼き餅を病院にも届けたりした。
2日はママの実家に行き、ゆめの従姉妹たちの傍若無人ぶりを堪能。いやさ、傍若無人ならたった君も負けてないか。
あっという間に正月も終わり。
初詣も無し。
36年間で一番呆気ない正月であった。