2月

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教師というお仕事3 教師というお仕事4 病院にもの申す 話・障害・話・障害・話 オニのゆめと良いコンビ コンセントのいろいろ
水か木か 大人と子供の微妙な境目 先生と先生の共通点 最悪な日 真似 鑑定 人権とは
彼を記憶障害にする方法 06/3/1 (水)
用意するものは、めったにいかない図書館の貸し出しカード、ろくに使ってない銀行のキャッシュカード、読みかけのまま長く放り出してある単行本など、なんでも結構です。

ポイントは、滅多に使わないとか長らくどこにおいてあったか忘れているようなものです。


さて、準備が整ったら、おもむろにこう聞きましょう。
「ねえ、あれどこにある?」
すると彼はこう答えます。
「へ?俺知らないよ?」
あなたはこう切り替えしてください。
「あなたに貸したじゃん。」
彼はこういうでしょう。
「えー、借りた?いつー…」
あなたはすかさず
「もうずっと前だけど。ほらあのとき」とかわしてください。
彼は実際には借りてなどいないので記憶が定かではありません。次第にしどろもどろになります。


こんな事を数回、時期を開けて繰り返しましょう。
或いは返してもらったものを受け取ってないと言い張るという手もあります。
彼は次第に自分の記憶に自信がなくなってきます。
ほどなく、彼にとっての過去の記憶というものが意味をなさないものとなるでしょう。

少し知恵が回る彼なら、こっそり備忘録など付け始めるかもしれません。
そんなときは、必ず備忘録そのものをいったん隠しましょう。
彼が探し回ったら、適当な時期を選んで彼がしまいそうな場所においておきます。

こんな事が数回も続けば、そのうち彼は立派な記憶障害となるでしょう。


人権とは… 06/2/28 (火)
こんな出来事があり、反響が少なからずある。
『高校2年の女子生徒(17)は茶髪を理由に学生証用の写真撮影を学校に拒否され、2年生だった昨年4月、髪を黒く染めるスプレーを無理やり教員にかけられた。8月には、同じ理由で授業を受けずに下校するよう指示され、テストが受けられなかった。
 女子生徒はやむなく髪を黒く染めたが、その後休みがちになり、10月、通信制私立高校に転校した。精神的ショックで、現在も精神・神経科に通院している。
 茶髪を理由に授業を受けさせず、髪に黒色のスプレーをかけたのは人権侵害だとして、京都弁護士会は24日までに改善を求める要望書を高校側へ送付した。』

髪の毛にスプレーをかける行為そのものは人権侵害だと認めつつ、あえて言おう。
この高校が執った処置のどこが人権侵害なのか?
行き過ぎた人権の考えは,子どもの心にゆがみを生むと思う。子どもの人権は,生きていくために必要なものが人権であって,わがままを許すことが,子どもの人権ではないと思うのだ。
その高校に限らず、茶髪はどの普通高校でも許してはいない。このご時世、茶髪にしてすぐこういったことを行ったわけではないだろう、おそらく再三の指導があったはずだ。実際、この学校もなが〜〜〜〜い間指導を入れてるみたいじゃない。その指導に乗れず、規則を守れなかったのならば、その責任は茶髪にした当の生徒の側にあるんじゃないか。そんなに茶髪にしたいなら、それが許されている高校に行ったら良いんじゃないの?
例えば最初っから髪の色の薄い生徒にスプレーをかけたんならそれは行き過ぎだ。でも、この場合はそうじゃないよな。やって良いこと悪いこと、ルールにはきちんと従うこと、そういう集団生活の基本を守らせられないようでは、この先日本はどんどんダメになっていくぞ。現実、こんなばか(若)者…いや、既にいい年の大人でさえ、この有様なんだから。

『24日午前、、鹿児島発羽田行きの日本航空に乗った30歳代の男が携帯電話を使い続けていたため、客室乗務員が何度も注意したところ、トラブルとなり、出発が約1時間遅れた。
その男は、機が滑走路へ向けて動き出した後も、女性乗務員の注意を聞かず、座席で携帯電話の電子メールを打ち続けた。繰り返しの注意で、やっと携帯電話の電源は切ったが、給湯室まで乗務員を追ってきて胸ぐらをつかみ、「もう出てくるな。顔も見たくない」と言ってつばを吐きかけた。このため、機長判断で同機はいったん搭乗口に引き返した。
乗務員が男を機内から連れ出し、再度注意したところ、男性客が「もうしない」と約束したため、男を再び搭乗させ、約1時間遅れで出発した。』


それにしても、京都弁護士会は本気で要望書を提出したのか?茶髪禁止の学校へ行っておきながら、茶髪にしたいからルール無視。それに対する指導を全面否定か?
俺は、学校における人権というなら在籍するすべての生徒が教育をきちんと受ける権利とか、食事や休憩をしっかり取らせることを指すと思うがなあ。茶髪だのピアスだのはわがままにすぎんのではないか?
今の生徒は『あの子がいいならあたしも』って感じで、みんな茶髪にし出すぞ。だからこそ再三話しても聞かなければ厳しい指導もあったんだろうと想像するが。我も我もとなっちゃったら、授業どころじゃなくなる。
と言ってもな、指導の方法とかにもいろんな方法があるからなあ。うまい守らせ方ができなかったのかもしれんなあ。杓子定規に『ルールだから守れ』では、今の子供も親も納得しないからなあ(それはそれでおかしな話なんだけど)。
ルールはルールなんだけど、守れないからって突っぱねすぎて肝心の生徒が学校来なくなったら本末転倒だ。それにさ、指導の本筋は”守らせること”ではなくて、”守らなくてはならないということを判らせる”、”守れる人にさせる”ことにあるんじゃないのかねえ。これは時間がかかるよ。一朝一夕にできないよ。
形じゃなく考え方を変えていかねば、場が変わればやっぱり”守れない”人のままだぞ。

俺は甘いかねぇ…



鑑定 06/2/28 (火)
本日、能力者にばあばのことを相談した。最初電話で予約した日は来週のはずだったが、緊急性があるからもっと早く見ましょうとおっしゃってくれて、急遽夜9時からとなった。そんなことを言い出されるほど緊急なのか…って、電話で予約しただけでそんなことまで判ってしまうのね…。

俺とママは土地のさわりだとはなっから決めてかかっているが、実家の写真を見る限りではそれほどすごいことになっているわけではないと言う。少なくとも、霊がうじゃうじゃ、邪気が渦巻いているということはないと。まあ、確かに50年ほど昔に女の子が母親に会いたがったまま首つり自殺しているし、その子は今でも窓辺に佇んでいるらしいけど(以上実家の写真鑑定の結果)。
そんなことより、ばあばの写真を見ての言葉に度肝を抜かれた。
「何かぶってるんだ、この人…、お坊さん…?誰かに連れてこられてるなあ。それと、水子が3人ついてる。
いや、神主だな、これは。烏帽子をかぶってる…」

神主って、一体…、おまけに連れてこられてるって、一体誰に?
だいたいその人、何してるの?
一体いつからいるわけ??

どうもその神主は「出て行け」と言っているようだ。
ではどこから?
どうも実家の土地から出て行けと言っているらしい。
時期は昨年の11月当たりからではないかという。

そういえば、その頃に3人目の霊能者がばあばを見てくれている。じゃあ、その人か…。
こんな土地にいたら悪くなる一方だから出て行けと言ってくれてるらしいから、どうやら悪い人ではないようだ。


水子の方は、ちゃんと供養しないから怒っているらしい。
そりゃー、供養しないのが悪いよなあ。しかも3人か…
帰る道々ママと確認したが、俺は小さい頃に、俺の上に兄弟が5人いた(可能性がある)が、みんな流産したと聞いてきた。学生になった頃にもう一回聞いたら、流産は1人だけだと言っていた。4人も減った。信憑性ゼロ。
ママは、二人流産したことを、状況まで詳細に聞いたという。ということは2人か?
…ホントは一体何人なんだ?
と思ったら、「そういえば、○○くん(俺の弟)を産んだあとに1人おろしてるって言ってた!」
これで3人か。言われたとおりだったな。


ま、とにかくばあばは引き取って違う場所に住むならグット良くなるとも言っていたので、これで能力者4人目までもが言い方は違うが結局『実家の土地から出ろ』と言っていることになる。
邪気が渦巻いていようが霊がうじゃうじゃいようが、はたまたそんなものはいなかろうが、いずれにしてもあの土地には住んじゃいけないわけね。

ところで、盛り塩のことも聞いてみた。以前住んでいたアパートでの生き霊の件だ。数カ所においた盛り塩のうち、複数が一晩で水になった奴。
う〜〜んと見てくれて、霊(のエネルギー)を吸収したんだねーと。

…てぇことは、やっぱりいたのね…
それにしても塩、恐るべし…


「外国いっても盛り塩は有効なのかなあ。」
「どっちかっっていうと、ニンニクの方が有効じゃない?」
「ばか、それは吸血鬼だけだろう。」

バカだなあママ。。。。。。

真似 06/2/27 (月)
ゆめがオマルに座りながら、ママを呼ぶ。
「ま〜〜〜ま〜〜〜♪」
いつになく甘えた声。
「ああ〜〜〜〜ん、ゆめちゃ〜〜〜ん♪」

にじり寄るママを、オマルの上からそっと包みこもうとするゆめ。
両手をさしだし、優しくママの顔を挟んで抱き寄せようとする仕草。
ママがよくゆめや誠大にやってる仕草だ。真似したのか?ママ、たまらずメロメロ。






と、異臭…?

ゆめの手…
























うんこまみれじゃん!!



触ったな、自分のを?
あぶねーなー、危うくだまされるところだったママでした。



俺に指さされながら怒られる誠大
「いいか誠大!お前は(指さし)、勝手に(指さし)、人のものを(指さし)、触るんじゃない(指さし)!!これは(指さし)、お前のじゃ(指さし)、ないだろうが(指さし)!!!!

わかっったか(指さし)


しおらしくうなずき、触らなくなる誠大。
素直で大変よろしい。


また違うものを勝手に触って怒られる誠大。
「これも(指さし)、お前のじゃない(指さし)!勝手に触るな(指さし)!!」
と、俺の横で誠大に向かって指をさし、起こっているマネをするのはゆめ…。

このごろ物覚えがよいゆめさんです…。


さて、こんな”まみれた”話題のついでに書くのはなんなんだが、ローンを組んでいる銀行の担当の女性が結婚退職する。去年の12月、2回目の手続きの時に何故かそんなプライベートを聞き出して、そういえばそろそろ結婚っていってたなと思っていたら今日、3回目の手続きの電話が入り、一通り話し終わったあとで「前にお話ししましたが、明日で退職するので…」と切り出された。
先を越されてしまった。
取引は次の担当に引き継ぐという。結構相談しやすい女性だったのでちょっと残念。
夜半から生徒とメールのやりとり。
個人的なメールはやらない主義だしその生徒とは学年違いなので首を突っ込む必要はないのだが、不登校気味なのでその生徒の担任や保護者とも相談しながら学校に来させるべくいろいろと画策している。
その一つがメール。母親から深刻なメールでカウンセリングらしきものをするその手で、生徒とは軽口なメールをやりとりする。
我ながらどんどん嘘つきになっている気がして自己嫌悪。でもたぶん明日は登校するだろう、一安心。
一通り話し終えて改めて彼女に打ったメールの内容を眺めると、我ながらなんだこりゃ!?ってな感じだ。
俺、いまの今まで誰とメールやってたっけ?生徒だよなあ??かみさん見たら、怒り出すかもしんない。あたしにだってこんなのよこさなかったとか言って♪

ただの担当の人(しかも銀行!)からプライベートを聞き出すわ生徒と*+★なメールをやりとりするわ、まったく昔取った杵柄…

じゃなくて、教員は世間の目が厳しい!自分や生徒の側には他意が無くとも、世間様は容赦しないかもしれない。気を付けねば。

最悪な日 06/2/25 (土)
ママが実家で家の写真を撮った。今度また能力の人に相談に行くのだが、ばあばの写真を持っておいでと言われているのだ。ついでに家の方も見てもらおうと思ったわけ。

昼間リハビリに行っていたゆめは、元気はつらCやDどころかEとかFクラスの暴れん坊だった。
ところが、午後に実家に行き、思いついたママが外へ家の写真を撮りに行こうとした時、
「いや!」
と言ったきり黙り込んでしまい、そのあとはずっとテレビを見ていた。
じいじが帰ってきて話しかけてもゆめはずっと無視していた。

と、そのうち、いきなりゆめ、痙攣をおこした。

ママもじいじもびっくり仰天!
さっきまで元気そのものだったのに…結局熱は出てないし…ってことは熱せい痙攣じゃない??

思い当たるのは写真の件。

もしかしたら、写真を使って能力者に見てもらうことが判って、ばあばにとりついてる何者かが妨害しようとし、結果としてゆめを攻撃したのではないかな。
まあ偶然かもしれないけどさあ…


ま、それはそうと、今日、ママが病院に電話をした。
病院側の主張は、
1.自身が車いすで運転してきた方には優先的に車いすスペースに停めてもらっている。
2.介助者付きの場合は、玄関で降ろしてもらい、介助者は一般駐車場へ。その間はボランティアかガードマンが見てくれる。
3.現状では敷地がないので、増やすことは出来ない。従って、利用者に協力してもらうしかない。
4.建物は市の管理なので、そっちへ言って欲しい。

なんだ?こりゃって かんじ。話にならない。
1と2については、ガードマンもボラも午前中しかいないので、午後の場合は意味がない。それを言ったら予約は午前中しか入れてませんから午後は停められるはずだと。停められたことなどほとんどないわ。いっつも2台分のスペースにむりやり3台4台停めてある。あれは明らかに、少なくとも車いすの人ではない。それに午前中の予約で午前中に終わった試しがないではないか。10時の予約は2時か3時の受診だぞ。おまけに見舞客は午後しか受け付けてないじゃないか。そっちはどうなんだっての。午後に来て、車いすの娘を玄関先に降ろしたって、ガードマンもいなけりゃボラもいない。車回してる間に人さらいにあったらどうしてくれる?
3についてなどバカにするのもたいがいにしろって。お客さんにたいして「あんたらで何とかしろ」っって言ってるのと同じじゃん。
4はもう最悪。自助努力はしません宣言だろ?

これが天下の『県西部○療センター』の解答だ。
医療行為は終わりましたから退院ですって、退院後のケア方法も教えられないままに放り出されるわ、車停めればこの有様だわ、最悪だぜ。

先生と先生の共通点 06/2/24 (金)
ばあばの主治医(外科医 男 40才くらい?)と、腎臓科(透析)の先生(男 40くらい?)に順番でいろいろと話を聞いた。

道があまりに混んでいたので予定時間を30分以上もオーバーして行ったのだが、最初に話を聞く主治医はナースステーションで待っていてくれた。待っていてくれたのだが、何度も会っているママと違い、2度目の俺には誰だか判らなかった。というのも、初めて会った手術の日は、もっと若々しかったのだ。目にも精気があふれていたし、やる気満々だった。ところがどうだ、今日会ったのはまるで別人のようにくたびれた中年のオヤジだった。
これはもしかしてあれだろうか。
手術大好きな外科医特有のメスを握ると元気になるが、患者や家族と話すのは苦手という…。
実際、話を聞いていても質問の答えも、なんだかやる気が感じられない。めんどくさそうなんだよなあ。もしかしたら単なる性格(人と話すのが苦手とか…)なのかもしれないが、現代はそんなことではいかんのだ。患者の家族とちゃんと話が出来なければさ。
とはいっても、忙しいのをわざわざ時間差いてくれてるんだから、感謝はします。苦情受け付けに文句を言う前にちゃんと話す機会を作ってくれてればなお良かったが。

一方で腎臓科の先生はというと、日頃患者の家族と話す機会が多いのか?(透析には患者の家族も付き添ってきたりするだろうし)とっても親切に判りやすく説明してくれたし、質問にも変な顔一つしないで答えてくれた。

すっげー違いだった。
腎臓科の先生はこれ以前にもママやばあばのお姉さんに説明する機会も作ってくれてるしね。患者の不安とかいろいろな側面を日頃見てるか見てないか、見ようとしてるかしてないかの違いかねえ。


我と我が身に置き換えて、俺も単に学校で先生やるだけじゃなく、生徒の家族のことまでちゃんと考えてなきゃあいけないよなあとつくづく思った。お前はもっと保護者のことも気にしろよっていいたい教員、いっぱいいるからなあ、養護学校デモね。
普通校よりもはるかに保護者と接する機会は多いのにねえ、保護者なんか眼中になさそうな不思議な先生、多いんだよねえ。



ま、それはともかく、ばあばが入院している病院は、県西部の基幹病院で大変大きい。大きいが、駐車場がやたら狭くて停められる台数も少ない。車いす駐車場に至っては玄関前に数台分しかなく、そこへ健常者がギューギューに停めても係の人すら何も言わない。

今日の話し合いは夕方からだったが、まだまだ駐車場には車が一杯で、ゆめを降ろすには障害者駐車場を使わざるを得なかった。
しかし、雨が降っていることもあってか案の定そこは一杯。仕方がないので病院のすぐ横にある駐車禁止の道路に停めた。そこは以前、ママが警察官に教えてもらった場所で、交差点から5m離して指定外許可証を掲示して停めていいという場所だ。

話し合いが終わって戻ってくると、車の後ろのワイパーが折られていた。
やったのはもちろん近隣住民の方だろう。
道路が狭くて停められては困るだろうという場所ではあり、だからこそ駐車禁止なのだから、いくら掲示したってその許可証を知らない人が見ればただの違反車両に過ぎない。折られただけならまだましだ。

結論から言えば、被害届を出した。一応。
だって、警察からお墨付きをもらってる場所だからね。
しかし、問題はそんなことではない。

ママが警察に相談の電話をかけた。上記のことを話し、こんな事では実際困ると。おまけに俺は俺で、病院側へなんども改善要求のメールを出している。返事など来た試しがないが。
被害届を出すように勧められたママが話し終わり、代わってもらった。
俺から警察官に被害届を出すまでにいたって、警察の方から改善の勧めなどしてはもらえないのか聞いたところ、それは出来ないと。
でもさ、もっと深刻な事態、例えば口論になって怪我させられたりとかしたらどうなの?答えは、それは別の話でもちろん介入するが、駐車場とは別問題だと。
仮にそういうことが起こったとしたら、原因ははっきりしているのに、それを未然に防ぐ努力はしないんですね、警察って。防犯思想じゃないのかな、こういうことは。
結局いつになっても警察は死人とかけが人とかが出なければ何もしてはくれないんだな。

ま、悪いのはいつまでたっても何もしない病院側なんだけどね。
お客からのメールの返事くらいよこせっての。
これだから公務員はよー…

大人と子供の微妙な境目 06/2/23 (木)
人って、誰でも褒められると嬉しいです。
いくつになっても同じです。
子供の頃って、褒められたい一心で何かするってことがあります。
褒められることで次の段階へと登る力が湧いてきたりします。
ホントはやりたくないことでも、褒められるとやれたりします。

大人になっても同じですが、大人の場合は褒められなくてもやるべきことはやります。
大人になって褒められないと出来ない・やらないというのでは困ります。
そういうものはとっくに卒業してきているのが前提で、もっと違う次元で行動できるのが大人じゃないですか。
でも、大人の中にも褒められ・のせられ・おだてられないとなんにもやらない、やらないだけならいいですが、褒めてくれないって怒る人がいたりするので困ります。
お前は小学生かって。


子供って正直です。残酷なくらい正直。

思ったことはすぐ口や行動に出すし、その結果が周囲にどんな影響を与えるかなんて考えもしない。
ま、当然ですけど。
子供だから許されるそういう行動も、大人がやったらマズイでしょう。
例えやったにしても、指摘され無くても自分でそれに気づけて、心密かに反省したり、次はそうしないようにしようって考えられるはずじゃないですか。
仮に指摘されても逆ギレなんかしません、ちゃんとした大人は。
人を愛したり人から愛されたりすることをちゃんとやれてきてないと、大人になってもシャンとしないんじゃないかなあと思ったりしてます。

ま、現実にはシャンとしてない大人はいっぱいいますが。
困ったもんです。
といいつつ、俺もそうたいした大人じゃないんですけどね。


で、うちのゆめ様もたった君もしっかり子供だなあと思う今日この頃。
ゆめなんかしょっちゅう逆ギレや八つ当たりしてるし、たったにいたっては怒られて指示したとおりにやって、自分で自分の頭をなでてたりします(いつもちゃんとしたら頭をなでてあげることにしてるからだろう)。
子供の愛し方なんか判らないし、これで良いのかどうかなんて今の段階で判断も出来ないけど、ふと『ブツのはやめよう』と急に思った今日でした。

水と書きつつ実は木の朝に書いてますが… 06/2/22 (水)
ゆめパパです…
朝起きて、おかずを作ってからご飯がないことに気がいたとです。
仕方がないので誠大のパン、『薄皮ピーナッツパン』をかじったとです。

…甘すぎて食べられんとです!
ゆめパパです
ゆめパパです


ママの奴、夕べ寝かしつけるつもりが寝かしつけられたな。起きてきてご飯の予約を入れようとしてたのが出来なかったんだろう。


このごろゆめちゃんは鼻歌らしきものを歌う。先日は『ミッキーマウスのマーチ』を歌っていた。
「ららら〜〜ん、ららら〜〜ん、らららららん。ららら〜〜んららら〜〜ん、らら らら らん♪」

〜みっきまーぅす、みっきまーぅす、守ろう著作権〜♪
違うか。
上手に歌えました。
「○○くらっさ〜い」も上手に言えてるし、いいねいいね〜。

一方誠大は、このごろイオンのCMでやってる『ふ、ふ〜〜ん♪』って鼻歌がお気に入りのようだ。しょっちゅう「ん、ん〜〜ん♪」と言っておる。
別バージョンとして、「あ、あ〜〜ん♪」てぇのもある。
ゆめのしゃべりも真似しがちだ。
お使いも随分出来るようになった。
「誠大君、ゆめちゃんにもあげて」
「誠大君、それとって」
「誠大君、これ持って一緒について来て」
ママにいいように使われている。
ついでにゆめにも「やって〜」のかけ声一つで走り回る。
使える男、誠大 1才6ヶ月。
もっと落ち着け。
女性にいいように使われるなんて、今からそんなことでは先が思いやられるぞ。

コンセントのいろいろ 06/2/21 (火)
このごろ学校案内の制作が佳境だ。
学校案内はイラストレーターとフォトショップで作るが、ただでさえソフト自体が思い   重い上に、データも重い。背景だけで一枚数百メガ。その上に写真がずらずら並ぶ。写真の方はいくら表示用に軽いデータに落としてあるとは言え、とてもじゃないが学校のウインドウズ(ペンティアムM搭載型)なんかじゃあデータが開きもしまい。以前、もっとひどいポンコツウインドウズで作っていた頃は、しょっちゅうフリーズしていた。最低でもペンティアム4搭載で周波数2ギガ以上、メモリは当然1ギガクラス。ハードも80ギガは欲しいところだなあ。
ま、そんなマシンを支給してくれるはずもなく、当然学校案内に関しては毎度自前のマックG3/500ノートの出番となる。成績処理もしなければならないのだが、明日が業者にデータを渡す日だから毎日大車輪だ。家でやるのは当然のこと、学校へも持ち込んで狭いデスクの上はマックとウィンドウズの両方が開いている。マックで時間のかかる処理中は、処理待ち時間にウィンドウズで通常のお仕事。あっちへこっちへ忙しい。
どうでも良いけど、そろそろマックも新型が欲しいなあ。もうデータが重くて処理に時間がかかりすぎる。俺の学校案内は、G3でも荷が重すぎるようだしなあ。

さて、昨日のことだが作業途中で席を外していた。外は既に真っ暗になり、成績処理でいつもよりも遅くまで残っていた職員もあらかた帰ってしまっている。俺もそろそろお家に帰ろうと思って職員室に戻りふと見ると、マックが終了している。よくよく見ればコンセントが抜けていた。一体いつから抜けてたんだ?通りで停止してたはずだよ、電源が落ちた訳ね。省電力設定なんかしてないからねえ。いつでも全力フル回転状態。
帰宅後は新居で使うコンセント・スイッチカバーを作っていたので気がつかなかったが、今日学校で起動させたら見事にぶっ壊れていた。
マックのね。
何百時間もかけて作った学校案内のデータがね。
開かなくなっちゃったよ。



ま、さっき1日がかりで修復完了して一安心だけどさ。

はっきり言って、コンセントは自然に抜けたりはしない。
ましてや自分で抜いて忘れたりはしない ってか、終了させる前に抜かんから。

と言うことは、あと残る可能性は…

普通、人の機械の電源を勝手に抜くかなあ、どういう理由があったにしろ。同じことを自分がされたらどうなんだっての。
もうあまりにあり得ない話で、怒りも湧かない。


コンセントと言えば、コンセント・スイッチカバーって100均でも売ってるのね。新しい家のコンセントカバーは全部俺とママで模様を描いてますです。その数実に40枚以上。予備も入れて50枚近く作る。麦(大夢樹の家ですから)とか葉っぱとか得意の花模様とかいろいろ。ウッドバーニングでやってるけど、結構おもしろいのな、これ。


とか書いてる横で、誠大がママに馬乗りになって、その胸を剥き、ママのおっパイで遊んでいる。
洋服の胸元に両手をかけてびろ〜〜〜んと下に引っ張り、出てきたものをつんつんしたりもみもみしたり…
誠大君さあ、それ、俺のだからさあ。。。
それにしても、その姿…
























ちょっと興奮します!!

以前、現在休止中の裏日記の方にも書いたが、教員(に限らないけど)の心構えとして謙虚に教えを請う姿勢・学ぶ姿勢が大切だと思う。
これは俺自身が教えられたことである。

前任校にいた頃、1人の教師が赴任してきた。彼は俺より年は若いが教職経験は非常勤での勤務年数を勘定に入れなければ俺より長い。いくら俺の方が年上でも、教師としては彼の方が先輩に当たる。  と、俺は考えていたが、彼は俺のことをアニキと呼んで、いろいろと聞いてきた。
理由は簡単だ。
前任校には俺の方が長くいた。だから、自分にとっては先輩ですよと。


もうこの年になると、少しくらい年が離れていてもあまり気にならない。むしろ、どういう仕事をしているか(要は実績と指導力。あと、学校においては生徒や保護者の心をどれだけ掴んでいるかとか)の方がはるかに重要だ。大学でもそうだった。美大においては何年生かということよりも、どんな作品を作っているかで尊敬されたり蔑まれたりする。彼は、年数やそれまでの経験に傲らないで、俺のやりようを観察しては一生懸命その学校での指導方法を模索した(らしい)。
そんな話を飲み会の席で聞いて、俺は思った。
常に研鑽を磨く姿勢を崩さず、先に歩んでいる者から学ぼうとするその態度は素晴らしいと。教育者たる者そうでなければならぬと。
初めての赴任校で勤務している俺には経験できないことではあったが、俺もそうあろうと思った。そして現在、勤務2年目の今の学校で、彼と同じようにあるべく心がけてはいる。残念ながらあまりの忙しさに周囲を顧みて学ぶほどの余裕はなく、五里霧中の中をいきなり一人前として全力疾走(ホントにそうだった。誰も何も教えてはくれなかった。普通校とは明らかに何もかもが違う(と当時は感じた)学校では自分の方法論が正しいのかどうかさえ判断が付かない。仕方がないから聞きまくった。判らないことは判るまで何回でも聞きに行った。)だったが(ま、生徒や保護者にしてみれば、以前どこにいたどんな先生かなど関係ないもんね)。
先に勤務している人、みな先輩。
至極当然なり。
年齢や経験年数など関係ない。
自分のやり用と違うからといって拒否したり否定したりなど思いも寄らない。ましてやあからさまに敵対姿勢を取るなどあり得ない。 ってか、そもそもそんなのいい大人のすることじゃないが。



残りあと1年。受け持ち生徒をきっちり送り出し、次の学校へ行っても役立つように、しっかり研修交流するべ。

オニのゆめといいコンビ 06/2/20 (月)
お風呂に仲良く親子3人。パパ・ゆめ・誠大だ。ママは仲間はずれ。
「洗う人〜」と聞くと、既にゆであがり気味の二人は、すぐさま同時に手を挙げる。
「あーい」&「あう」
「両方とも手ー上げてますが、どっち?」
こういうときはゆめが強い。すぐさま
「こっちー!」
と自分を指さしながら主張するので、めでたく先洗いゲット。

ゆめをガシガシ洗っていると誠大が一生懸命お湯を汲んでかけてくれる。
ゆめはそれが迷惑なので、
「せいた〜〜〜」と怒る。

お風呂あがりももめる。たいていの場合、茹で上がりは誠大の方が早いので、すぐにだっこしてくれ、上げてくれとしがみついてくる。
「ママが来ないと出られないよ。ママーって呼びな」
というと、二人してママママママママ間〜の大合唱だ。
「はいはーい、どっちが先に出るの〜」
「こっちー」&「あう!」

誠大は先に上がるとそこら中をいたずらするので、やっぱりゆめが先。


さて、節分以来、鬼が大流行中のゆめ、寝ても覚めてもおにおにおに。
ご飯中にご飯ばっかり食べるので注意したら
「おに〜」
お風呂で頭をガシガシ洗っていたら誠大がお湯をかき出し、それがゆめにかかるので
「おに〜」
お風呂あがりにジュースをご所望成るも品切れ。水で我慢させようとしたら
「おに〜」
寝かしつけるためにお布団に連れ込めば
「おに〜」
まあ、関係ないときでもオニ〜は言ってってるんだけどね。何となく使いどころを心得ているかのようで腹が立つやら嬉しいやら。

06/2/19 (日)
日曜日に早朝から一つ用事を済ませた帰り、ついでに新居に寄ってみたら、大工さんが黙々と作業していた。この人一体いつ休んでいるんだろうか。もしかしたら、先日頼んだ追加の本棚のために休日もなしで仕事か?と思ったが、それ以前からかなりせかしてしまうような追加工事ばっかり頼んでいるので、今回の件だけではないだろうな。

うちは本であふれている。俺のハードカバーや文庫本に始まり、ママの料理の本や建築関係の本、二人の美術関係の本や授業の資料などなど。1ヶ月後には引っ越しだが、全部集めるとそれら書籍だけでミカン箱に30箱じゃきかないだろう。それを全部入れるための本棚は、そりゃーもういくらあっても足りない。毎年夏に大量に増える(野宿の時に日本中で買ってまわるので一気に増えるのだ)が平均すれば月に2〜3冊ペースで買ってるからこれからも増えていくしね。引っ越し業者は見積もりついでに段ボールをおいていったが、本棚は見誤っているだろうな。じつは前後に2列入っているのだよ。見た目の倍の冊数が収まっているのだ。
きっと当日驚くだろうな。段ボールが多くて、見積額以上の費用だろう。。

何故こんなにも多いかといえば、俺のせいだろうな。
何しろ小説に関しては一度買ったら絶対売らないから。20年くらい前に実家で整理をしていたとき、高校生までに読んでいた本を全部うっぱらったことがあったのだが、その後結局1/3位は買い戻している。それも増刷されたのを新刊で。
ばかばかしい話だー。
以来、結局あとでまた読みたくなるのだから絶対売るまいと決めた。実際、小説なら1冊当たりの読み返し回数は平均で3〜4回くらいだろう。中にはあまりにも何回も読み返すので既にボロボロになってしまったものもある。読み返したくなるたびにいちいち買ってたら破産してしまうよー。


よく思い出の一冊は?とか記事がある。図書館便りでは『教員が紹介するこの一冊!』なんてテーマが多いが、本好きがばれて原稿依頼が来たらどうしようといつもドキドキしている。
何故って、無いんだよな、これっ!ていう一冊が。
少なくとも、今まで購入して読んだ本の中には、はずれが2冊しかない。他は全部当たり。買ってよかったと思うものばかり。読み終えても数ヶ月後にまた取り出し、何度も何度も読み返す。違う本を読んでいてもふと以前読んだ本を思い出し、また読みたくなって今読んでいる本を読み終えたとたんにそれを読み始めたり同時に2冊読んでたり。で、読み終わる頃にぼちぼち新刊をあさりに行く。ページ数が多いものの方が好みなのだが、そういうのはお楽しみ期間が弱冠長くて嬉しい。数千ページなんていう長編で好みのものがあると狂喜乱舞しちゃう。そんなことの繰り返しだ。すべての本が『この一冊!』にエントリーできる。つい先ごろも修学旅行中に読んでいた本(昨年の夏に購入した本)があまりに感動した(既に5回目の読破だが)ので、そのまま読書仲間の生徒のおかあさんに生徒ずてで渡してしまった。でも、それが一番かと言えばそうでもない。
『この一冊!』といっても、ま、対象が誰かという条件次第だよなぁ。
高校生に紹介するならその年代に合わせて興味を持ちそうなもを紹介するし、年齢が上がればそれなりに。と言っても図書館便りなんかに掲載する本の紹介は年代や性別に関係なく、新しい出会いを求めてのものだから、相手の興味にあわせる必要などないとも思うのだが。

ただ、普遍の名作というのはやっぱりあって、少なくとも今の俺の性格とか人生を決定づけたのは間違いなくあれだなというのはある。

俺の場合、それは『チャイクロ』だ。

絵本なんだけど、伝声管やら水の高低の流れなどがおもしろい図解というか1ページ完結のストーリー絵本になっていて、幼い頃、1人で読みまくって(見まくって)いたのを覚えている。
とてもおもしろかった。
自分の興味・感心の源は、絶対にあの時見たページの中にある。

近年(と言っても10年くらい前だが)、隣家の子どもにあげてしまった昔のチャイクロの変わりに新しいチャイクロを買った(どうしてもまた見たくなって)のだが、絵面とかストーリーが微妙に違っていて、何となく満足できなかった。それでも間違いなくあのチャイクロの世界だった。
今度は誠大に見せようと思うが、誠大のあの性格ではあまり興味を示さないかもしれないのがちょっと不安。


話・障害・話・障害・話 06/2/17 (金)
またまた水曜日にやっていたテレビの話。俺と同じ年くらいのサラリーマンが電車の中で音楽がうるさいばか(若)者に注意したところ、そのばか(若)者は全然聞き入れない。何度も注意していると、終いには車掌に
「すいません、酔っぱらいに絡まれてるんです」と言いつけた。鉄警に引出され、相手も謝りたいといっているからお互いに謝ってくださいといわれ、そこはサラリーマンが大人らしく先に謝ったところ、そのばか(若)者、
「あんたがそういうなら、もういいよ」と言い残してとっとと帰っていったという。どこが”お互いに”なんだか挙げ句の果てには
「このごろ刺されたりして物騒ですから、注意するのもほどほどにしたほうがいいですよ」という鉄警の言葉。あきれかえって言葉も出ない。
まず電車の中で事情をきちんと把握しない車掌がダメ。
酔っぱらってなどいないのが明白なのに、責任逃れだろうすぐさま警察に渡してしまい、車掌としての事態の把握がなされてない。
次にばか(若)者以下の発言した鉄警がダメ。
だらしない大人が警察官やってたものよ。こんな連中ばっかりだからどんどんばか(若)者が増殖するのだろう。単にその場を丸く収めようとしているだけなのが見え見えだ。結局正直者が馬鹿を見てる。こんなのありかよ。

ということがずっと頭にあったのだが、たった今、芦屋かどっかで高校生が50代の車の運転手に口論のあげく刺されたというニュースをやっていた。
ホントに刺されちゃったよ。ただし、刺したのは大人の方だが。
でもね、これだって状況がわからないぜ。

それというのも今日の帰りに聞いていたラジオでは、こんな話があった。
このごろ期末試験の影響で帰りの早い高校生が多い。静岡市内の繁華街を車で走行中、狭い車道を3列!!で走る高校生のチャリが前方をふさいでた。運転していたおかあさんが
「すいませーん、よけてくださーい」と言ったところ、振り返った高校生、あろう事か
「うるせーばばあ!ばばあはうちでみかんでも喰ってろ!」と叫んだという。となりに座っていた娘が怒って
「じゃまなんだよくそガキ!!さっさとどけ!」と怒鳴り返したと。
これだって一歩間違えれば刺されかねん出来事だよなあ。もしかしたら上の刺された高校生だって最初に悪さしてたかもしれないしなあ。
と、大人の味方をさりげなくしてみる。狭い道に3列で走ったら、どんないい訳も通用すまいよ。



養護学校に通う障害を持った妹を持つ高校生のお姉ちゃん、彼女の学校は障害を持った生徒の通うクラス?との交流をしている。その交流に参加したお姉ちゃんの同級生がこんな事を話していた。
「よくあんなので生きてるよねえ」
もしくは
「生きてる価値無いよねえ」
おおむねこんな感じ。
お姉ちゃんはたまりかねて意見申し立てたが、
「お前に言ったんじゃないのに、何でお前が怒るんだ」
こんな感じかな。この同級生はお姉ちゃんの妹が障害を持っていることを知っているにもかかわらずその後もかなりな暴言があったのだろう、ついにお姉ちゃんは怒り心頭に達し、その同級生に殴りかかった。実際には殴れはしなかったようだが、そこにいたって教員が割って入った。
そんの教員は「謹慎だー!」と息巻いたようだが、事情を知っている担任のおかげでそれはま逃れた。


これって、どうよ?
身内に障害を持った人間がすぐそばにいることを知りながら、その目の前で障害者を否定する。こんな非人道的な行為がまかり通っていい訳がないではないか。よしんばお姉ちゃんがそばにいることを知らなかったとしても、それが判った時点で発言を撤回し謝罪すべきであろう。逆ギレするなど言語道断。
おまけに
『お前に言ったんじゃないのに、何でお前が怒るんだ』とはなんたる言いぐさ。この場合、明らかにその『お前』が言われたも同然ではないか、高校生にもなってそんなこともわからんのか。ましてや『何で…怒るんだ』って、理由がわからない?これほど明白な理由がありながら、理由がわからないだと?その程度の語学力しかないなら、貴様ら全員まとめて幼稚園からやり直せ!
これだけのことをやっておきながらその同級生は無罪放免で、お姉ちゃんの方が謹慎って、一体どういう学校なわけ?
こういう学校は、交流とかしながらなんの教育的指導もしてないんだろうな。ただ惰性で交流しているに過ぎないのだろう。或いは単なる対外的なスタンドプレーか。
おまけに相手の保護者からは謝罪を求める電話が来たという。こうなると、”親がバカなら子どももバカ”の構図そのものだろう。

俺も高校の教員だが、もし俺がその場にいたら、あとでお姉ちゃんには暴力に対しての指導はするが、叱り倒すのは同級生の方だ、当然。
もし俺のガキ(この場合は誠大だ)がその同級生と同じことをやったなら、逆に殴り倒してお姉ちゃんの家に謝りに行くよ、絶対。

確かに暴力に訴えたことは悪い。いかなる理由があろうとも暴力だけはいけない。ホントになぐったんならその罪は償わなければならない。しかし、暴力に訴え(ようとし)たという理由だけで一方的に悪者にされ、暴力をふるうに至った経緯が無視されるならば、この場合それは人権無視も甚だしい(しかも未遂だし)。ましてやそれが障害者との交流を終えたばかりの学校という場であるならば、もはや教育の滅亡、いや、そもそもそれに関する教育はなされていなかったのだと判断されても仕方ない。そんな交流などやるだけ無駄だ。逆に見せ物にされてるあっちの子ども達の方がいい迷惑だぜ。

とまあ一方的な情報からだけで描いてみた。



病院にもの申す 06/2/17 (金)
ばあばが入院している病院で、ばあばは絶対安静を強いられている。背中に入れたボルトは結局リュウマチせいの褥創のせいで抜きっぱなしになり、支えがない状態だから寝たっきりなのだ。しかし、ここへ来ていきなり『起きなさい』『歩きなさい』と言われたという。挙げ句の果てにはここ(病院)での治療は一通り済んだから、あとは家で療養しなさいと言われかねん勢いだ。まあなんだかんだであと1ヶ月は様子を見て、再度ボルトを入れるのかどうするのか決めることになったようだが。

さて、前回もそうだったが、患者本人に退院ですと告げるのはいいが、その患者がひとりで満足に用も足せないのに家族に相談もなくいきなり退院にしてしまうのってありか?家に帰って誰が下の世話するの?今まで完全看護の場にいたものを、今度は誰が看護するの?家の方は看護する体制が整っているかどうかは関係ないの?
一口に退院するったって、ホントに全快或いは寛解状態ですよってんならそりゃー大手を振って退院してくればいいさ。でも、実際は治療行為が済んじゃっただけで治ってもいない人間をいきなり退院させて、そのあとのケアの方法も教えてくれない。それを訴えれば真っ赤になってばあばのところへいって
「僕に言われても困る」だって?あんた主治医だろうがよ!?なんで頼んだ俺じゃなくなんにも知らない患者本人に逆ギレしてんの?

医療行為って、単に治療するだけなのか。治療後のケアの方法や、再発防止に向けての予防策とか、QOL向上のための方策とかは含まれないのか?誰かがつきっきりでいなければならないような状態の患者を家に帰すに当たっての留意点とかって、誰も教えてくれないの?それを主治医に頼るのは間違ってるのか?
誰か教えてくれ。

そりゃーばあばは病室で平気で携帯電話しまくって周りに迷惑かけ、それをいくら注意しても聞き入れないし、勝手にテレビなんか持ち込んでイヤホンも無しで見てたりするし、見舞いに行ったじいじにたいして罵詈雑言浴びせて周囲を唖然とさせるし、もはや健康食品の販売など全く出来ないにもかかわらず、相変わらずお客さんに頼まれたからといって「仕入れるための金15万持ってこい。じいじのメインバンクからおろせばいい」などと平気でママやじいじに命令するほどこの期に及んでまだ見栄はって現状認識が出来てないし、そもそも誰が品物販売する?受け渡しは誰ががする?ママやじいじによけいな仕事させるだけだろうがよ。人の好意に甘えなければならない立場になってもまだあごで使おうとしやがり、しかも感謝の言葉の一つもない。じいじが一生懸命働いて稼いだ金で自分の商売の運転しようというその性根が腐りきってるだろうが。
けど、それでも俺たちは一生懸命面倒見ようとしてるんだ。そういう家族の状況を全然考えないのが医者ってもんなのか?切って開いていじくって、一通り済んだら金払ってはいお終いか?
日本の医療は一体どうなってんだ?

教師というお仕事4 06/2/15 (水)
昨日は久々に学年会を開いた。平素そんなものを開かなくとも顔を合わせれば意見交換している学年なので必要性を感じなかったのだが、今回はじっくり話し合う事柄があったので。
その席上、と言っても雑談の最中にこんな話が出た。
「我々は、たった3年間で生徒全員を元気にし、学力を身につけ、社会自立させ、完璧に送り出すなどということは出来はしない。そんなことが出来るほどご立派じゃあない。ただし、そういう意識にし向けることは出来る。3年間で完成しなくても、この先より良い人格を目指す心構えを持たせることは出来るのではないか。」
何を隠そう、これは俺が言ったんだけど。
進路指導を含めて、卒業したあとまで視野に入れれば、せっかく入学した学校をやめちゃうとか引きこもったとかいう現象を想定するのではなく、イヤそれも大切だがそれならばなおのこと、在学中にどういう意識付けが出来たかが大切だと考えるのだ。卒業後もちゃんとやれてるかどうかとか、そんな”形”が問題じゃないと思うのだ。

たかだか数十年しか生きていない教師に、ご大層なことなど出来ると思う方が間違っている。しかし、こうあって欲しいと願い、かなうと信じて指導することは重要なことだ。そう信じないで指導するのとでは雲泥の差が出る。
自分の指導に傲っている教師は、たぶん指導方法の改善もなければ生徒からのフィードバックも受け付けないだろう。ましてや親の願いなどどこふく風。ひたすら自分の方法論でばく進し、ついてこない生徒を切り捨てるかもしれない。かろうじてついてこられた生徒が立派になったことでさらに自分に自信を深め、完璧と思う。それのどこが教育なのだろうか。切り捨てられた生徒はたまったもんじゃない。

教師として譲れない部分(たいていの場合は生徒指導や運営などの管理の部分だが)は譲らないが、生徒が見ている風景(この場合は指導している教師の姿)を知り、その目線に立ってよりよい指導を考え、常に変化していくものが教育であろうと思う。目線に立つと言っても生徒と友だちにはなりたくないし、なろうとも思わないし、なれもしない。そうではなくて大人として、よりよき人間となるよう共に成長したい。学校、学年、クラスごとにいろいろ違うからいつでもいくつになっても成長する要素はある。

俺の発言に特に異論も出なかったが、言葉では真意は伝わってはいまい。ちゃんと聞いてたかどうかも怪しいし。でもまあ、学年主任という立場上、考える要素を投げかけたということでいいかな。異論反論含めて、生徒に対するスタンスなどいろいろ考えてくれればいい。


教師というお仕事3 06/2/15 (水)
学校の話が続きますが…

昨日から3日間、学年末テストを行っている。教科美術も年に一回、この学年末だけはテストを行う。筆記3割実技7割。たいていこの割合で、たまに筆記10割とか実技10割というときもある。

自分のテスト以外の時間も他教科のテスト監督や自習監督に入ったり、空いてる時間は成績付けたりするわけで、俺の場合はそこへ来週の授業準備や教務課の仕事、来年度の文化祭のデザイン関係のことも既にやってるし外部の仕事もあったりして決して暇な時間などというものは無いのだが、その忙しい時間をぬって今日も今日とてある生徒の保護者からご指名を受けて面談した。クラスは持っているが担当ではない生徒の保護者だ。担当ではないけどしょっちゅう悩みを話に来るので、その生徒のことは担当よりも詳しかったりする。

その生徒に対して俺が抱いている印象と、保護者の言う現状はおおむねかみ合っていた。従って大きな問題はないのだが、やはり保護者と直接向き合うと、よりいっそう生徒に対して真剣味が増すというと言い方がおかしいが、例えば悩みがなければ自分で悩みを見つけて無理矢理悲劇のヒロインになってしまうような生徒だったら聞く方もいい加減うんざりしてしまうものだが、そうした場合でも家での様子など聞いたり保護者の訴えなど聞けば、ああやっぱり大事な子どもなんだから俺たちももっと大切にしてあげなきゃぁなんて思ったりすると思うのだ。
俺はそう思うけど、他の先生もそうだよね?そうでなければいかんでしょう?
そうであると信じよう。
じゃなきゃ、ゆめを預けてる身としてはつらい。ゆめも相当悪だろうからな。

世のお父さんおかあさん達、学校は開かれた。どんどん学校へ行って、子どもの様子を見て、先生と話をして、距離を縮めた方がいい。中にはそれをうるさがる教員もいるだろうが、そんなのには負けてはいかん。自分の子どものことだ、任せっきりにしないで指導方法にも口出しした方がいい。より良い指導方法とは、考え方が学校と家庭で一致している方法だと思う。そうしないと、教員の方もどんどん堕落する。


教師というお仕事2 06/2/15 (水)
県内の盲・聾・養護学校合同作品展で、お客さんに書いてもらったアンケートの集計をしている。毎年いろいろな意見が集まり、それを受けて次の展覧会に改善したりする。やはり実際に足を運んでくれている一般の方々の意見は貴重だ。
が、
100%喜べる意見ばかりではない。

中には、
「養護の生徒なのにすごい」とか、「生きる希望を与えられました」や、「やれば出来るということを見せられました」などという意見も少なからずある。あえて書かないがもっと直接的な意見もあった。これらアンケートをすべて読むのは、正式には専門部長の俺だけで、他の先生達は基本的には見ていない(はずだが、受付当番の先生達は、ヒマにまかせて前日に寄せられた分などを読んでるかもしれない)。読んだら気を悪くしそうなものはスポイルして公開してきたが、今回はすべての内容を見せて上げようと思う。

なんか読んでると、養護の生徒はなんにも出来ないことが前提みたいだな。もちろん、これらの意見を寄せてくれた方々は決して悪意があるとか悪い感情で書いているわけではない。むしろ励ます意味だったり素直な感想だったりしているだけだ。問題なのは、そうした素直な感想が出てくる背景には、養護の生徒、ひいては障害者全体に対する偏見があるだろうということだ。

ま、よく考えてみなくても、あるよ、それはもうはっきりとね。
だって、普通校の先生が同じセリフを言ってるモノ。俺、直接言われてびっくりしたから間違いない。教える側がそういう意識なんだから、教えられる側がそういう意識でいたって当たり前だ。
なんだか「普通校の生徒作品」であったなら大したことはないが「養護の生徒の作品」だからすごいんだと言われてる気がしてくる。作品の善し悪しに障害のあるなしは全く関係ないのになあ。


ただ、そういう俺にも障害があるから云々という意識はある。
誰あろう、それはゆめに対してだ。
ゆめが学校で何かを描いてきたといってママが見せてくれる。そこには色の線が走っているだけの紙がある。聞けば誠大やパパママが描いてあるという。それを見て俺は嬉しい。
なぜなら、障害があっていろいろ出来ないゆめが、パパ〜とかママ〜とか言いながら絵を描いたという事実が我が子の成長だと思えるからだ。出来ないと思っていたのが出来たから嬉しいんだな。二度と描かない(描けない)かもしれないからと、ただの紙っきれを後生大事に取っておいたりするわけだ。
『なんにも出来ない』
これが障害を持つ人々に対して抱く一般的な印象なんだよなあ。


と言いつつ教師の俺は、出来るも出来ないもやらねばわからんという考えで生徒達にバシバシやらせる。もちろん明らかに無理なことはさせないが、同年代で普通校の生徒が出来ることならうちの生徒もたいていできる。心が弱いだけで、能力的にはあまり劣っていないからだ。出来ないだろうと最初から決めつけてレベルを下げた授業などする愚かな行為は、先生として失格。実際、文句言ってる生徒でも、手をかければちゃんと完成させられる。それは自信のない生徒達の、自信につながるだろう。そうやって作った作品に対し、上記のような感想が出てくるとなんか複雑な気持ちになるのだ。

まあ、肢体とか知的の養護にいたら、この俺の考えも違ってたかもしれないけど。



教師というお仕事 06/2/15 (水)
学校案内がそろそろやばい。いいかげん業者にデータを渡さないと期日までに上がらなくなってしまう。でも、書体がどうしても気に入らない。これだっっていう書体がない。仕方がないので土日で書体を買いに行くと決めたが、このごろ毎週のようにそう決めていて忘れている。ネットで買ってもいいんだが、DLはどうも信用できない。
明日は校長まで回すために最終案一歩手前のもの(書体は気に入ってないから)を出してしまうことにした。ま、これでオッケーがでればそのあとに書体を直してデータ渡してしまえばいいわけだ。といっても書体が変わるとイメージががらっと変わるんだけどね。

イメージが変わるといえば、このごろゆめが二語文らしき発言をバシバシ出すので、だいぶヒトらしくなってきたように思える。やっぱ日本語を話さないとどうしてもヒトとしての現実感が薄い。
学校でいろんな言葉を覚えてきては家でも口ずさんでいる。いまいち使用方法が間違っているものもあるにはあるが、だんだん修正されてくるだろう。筋肉はどんどん弱ってるみたいだが、脳みその発達はこれからが本番なのか。

学校と言えば、仕事しながら何気に付けたテレビでおもしろいのをやってたな。”日本人に喝”だったか?子どもの教育を扱う番組だ。
おー、確かに!と思うものアリ、あんたそれは、そこまでやっちゃったらちと違わないかい?と思うものアリ、おもしろかった。子どもが悪いのはすべて親が悪いと言いきっていた和尚さんもいたな。言い切っても良いけど、子どもの目の前で親を叱るのはどうよ?ちとスタンドプレーくさかないかなあ。
中でも一番えらそうに話してたのが現役高校教師だったのはう〜んって感じ…。問題起こす生徒がいるのは中級以下の学校って言ってたが、いいのかそういうことをテレビでしゃべって?上位校でも頭がいいだけにややこしい手管を使った問題行動が起きてるじゃんか。
一番良かったのは石原都知事の発言だったが、そう思ったのは俺だけかな。黒板に向かって文字書きながらしゃべっちゃって生徒と向き合えない採用試験合格者を不採用にしたっていってたが、そりゃーそうだよなあ。そんな人が先生になってはいかんです。でもさ、そういう人が採用試験に受かっちゃうシステムそのものが既におかしいってことは無かろうか?受かる前に見つけて欲しいな、そういう人は。
生徒に向き合えない先生とか、生徒の歩みに合わせた指導が出来ない先生とか、いるよなあ、たくさん。自分が一番正しいっていう自信があるんだろうなあ(俗にお山の大将という)。そんな自信はあっても良いけど、常にそれでいいのかどうか生徒の反応など見ながら自分自身を振り返ることが出来なければ、そんな自信は屁の役にもたたん。こういう人はやって当たり前のことが意外に出来なくて、出来なくてはまずいんだっていう意識をもてないから話がかみ合わなかったりする。

番組の最後は”何故人を殺してはいけないか”だった。どんな意見が出るのかと思いきや、ろくな議論もなく尻切れトンボ。そんなことをお題にするなよな、そもそも。世の中には、理由など無くてもやってはいかんことはあるのだ。俺なら、自分で考えろっていうな。何故自分で考えねばならないかの理由をこそ説明するけど。

都知事は感性の話もしていた。美術の先生の一言で考え方が変わって生きるのが楽になったと。その一言の内容は普段俺が言ってるのと全く同じだったじゃん、うっしっし。
文部省の人はちゃんと見たか?芸術の授業を減らしてはいかんのだ。

最後に、「子どもには我慢を覚えさせなさい」と言っていた。全くその通りだよな。
と言うわけで、お風呂から上がって歯磨きも完了し、あとは寝るだけというときにお菓子を食べたがっている誠大君からお菓子を没収しました。
誠大君大泣きです。
我慢しなさい!
泣いてもダメ!


チョコ本番 06/2/14 (火)
バレンタイン…
日本国内におけるチョコレートの1年間の消費量のうち、約2割が消費されるという。

ちなみに俺の場合は昨日今日当たりでチョコレート1年間の摂取量のうち、約9割を摂取する。

これは厳しい。


学校では、昨日に引き続きいくつかのチョコレートが俺の机に並んだ。頑張って食べたが、かなりきついのう。こう言っては作ってくれた生徒に悪いが、拷問に近い。
だって1年間の摂取量のうちの9割を食べるんだからさー…

帰宅した俺を待っていたのは、さらに追い打ちをかけるかのようにママから手渡された手作りチョコ。俺が苦手なの知ってるくせにー。
「はい、拷問♪」
シックな包装をといて中を見ると、3種類のチョコが2個ずつ入っている。
「3種類も作ったのか?これはトリュフだなー、こっちはなんだ?」
「え”!?3種類???ちょっと見せてよ。
 …あ”−!!

 溶けてるー!!!!」

どうやらうっかりしてる間に溶けたようだ。

その後、トリュフの行方はしれぬ。
はっきりしているのは、拷問から逃れられたようだということだ。
ほ。。。


ところで今日ゆめは、2語文を発した。
「かれー、らっさーい」

立派!
これまでは「おちゃ!」とか「ごあん!」ばっかりでなんだかえらそうだったのが、このごろは「にゅーにゅー、らっさーい(牛乳ください)」とよく言う。
早速応用が利いたね。

チョコ 06/2/13 (月)
バレンタインは明日だってのに、既に5つもチョコをもらった。しかも、そのすべてが手作り。

おまけに全部生徒から(いや、1個は教員だったが)だ。

愛の告白かも…ってドキドキする必要のないところが悲しい。


もらった中にはプロ級じゃない?って思うほどうまいのもあって、ちょっと感動した。
ま、それでもママの作った物にはかなわないのだけれども。

といってもチョコレートは苦手なのでこの時期はちょっとつらい。
それにしても前任校では手作り率0%だったのに、今の学校では手作り率100%だ。

この差は、何?

手作りと言えば、初めて手作りのチョコをもらったのは高3の時。当時つき合っていた彼女からもらった。チョコは食べられないと言ってあったにもかかわらずだ。
食べようかどうしようか迷いつつ半年が過ぎ、それでも食べねば悪いと意を決して箱から油がしみ出した頃に開けてみたら、チョコレート色だったはずのチョコはすでに緑色になっていた。

彼女には、もったいなくて食べられなかったと嘘を吐きました。いや、半分はホントだけど。

いらい、つき合っていた彼女には毎度チョコはいらないからと言っておいたので、たいがいクッキーか食事デート(何故か俺のおごり。S.V.なのにな)だった。
就職してからはやっぱり生徒達がチョコをくれる。食べられないと言ってあるにもかかわらず。

嬉しいんだけど、つらい。

どうも世の中では、チョコが食べられない人種の認知度が低いようだ。


ゆめもいずれチョコを作ってくれるだろうか。ゆめのチョコなら食べねばなるまいが。チョコ以外の物にしてと言っても聞いてはくれないだろうなあ、ゆめはかたくなだから。
そういえば今日はSTの日だったのだが、ゆめのかたくな大爆発だったようだ。

車シリーズの絵を見せられたゆめ。救急車の名前を聞かれて思わず
「ちーとーかーこー(きんこんんかんこん?)」
と答えてしまった。ホントは『ちーとーちーとー(ピーポーピーポー)』と答えたかったらしいのだが、ピーポーとキンコンが微妙に混じってしまった。
それをSTの先生に指摘されたゆめ、そのあとは出される物すべてに『ちぇったー』『エリー』『だっだー』などと勝手な名前を付けて、いくら直されてもがんとして聞き入れなかったとさ。

かたくなな女ゆめ。『水10』で取り上げてもらわねばならんなあ。
配役は、ゆめ役が小西真奈美、アンディー役(なんでじゃ!)田中直樹、以下適当と←眠くて頭が回ってないぞ。
 
06/2/12 (日)
このごろ新しい家の建具に使う素材の作成やら学校案内の追い込みに学期末テストの作成、年報に載せる作品展のレポート書きに頻発する生徒の不調と、修学旅行明けからてんてこ舞いで忙しくてたまらない。何から片づけるか順番も考えないと大変なことになる。土日も仕事にかかりっきりで、ばあばの見舞いにも行けなんだ。それでも久しぶりに実家に行ってじいじの顔を見た帰りの車中、こんな話をかみさんとした。

「あたしのおばあちゃんがまだ生きてた頃ね、リサイクルショップでドレッサーを買ってきたのね。それを聞いて『え”!』って思ったんだ。」
「何で?」
「ほら鏡ってさ、いろいろ宿るって昔から言うじゃない。だから。ましてやリサイクルショップで買ったってことは、その前があるってことじゃない。気味悪くない?」
「そういやー、そうだね。」
「そのドレッサー買ったすぐあとだもん、おばあちゃんが大腸癌になったの。」
「…」
「おばあちゃん、手術して戻ってきてから、あのドレッサーが気になるってずっと言ってたんだ。結局その鏡はどうしたか知らないんだけどさ。でさ、お母さんの方もね、結婚したときから持ってる大きな鏡台がじゃまだからって、粉々に壊して捨てたんだけど、やっぱりそのすぐあとだったよ、咽頭癌になったの。
ばあばもさ、お店においてあったあの大きな鏡、壊して捨てたじゃない。そのあとだよね、悪化したの。」
「うん…」
「昨日だったかな、お見舞いに行ったときに鏡の話になってさ、病気がこんなに長引くのはやっぱしこわした鏡が気になってるってことと、居間に置いてある鏡台もリサイクルショップで買った物だけど、それもなんかあるんじゃないかって話したんだ。そしたらさ、今日、あの鏡台処分していいって。」
「気にしてるんだな、長引いてること、やっぱ。」
「そりゃーそうでしょう。
話し違うけどさ、(新しく買う横の)土地、見てもらおうか。」
「土地はもう見てもらってるあるし、何かあっても気功の先生に封じてもらえばいい。それよか、ばあばを土地に縛り付けてる奴の正体を知りたい。」
「じゃあ、(ちょくちょく見てもらってる霊能力者の先生)予約入れとくね。」
「うん。」

俺はこんな話をかみさんとしていて、女の人は鏡が必需品だから怖い怖いと思っていたが、ふと思い当たってしまった。
ずっと前、まだ小学生くらいの頃ばあばが持っていた三面鏡のある部屋で遊んでいたある日の夕暮れ時だ。三面鏡は開きっぱなしになっていて、何気なく気になってちらちら見ていたときのこと、俺がとったとっさの見る動作よりも一拍遅れて鏡の中の俺がこっちを見たような気がしたことがある。もう古い話で記憶も定かではないが、鏡の中の別の世界って奴がホントにあるかもしれないって思わせる出来事だ。
っと、そういえば俺も以前古い姿見を、確か古道具屋から購入したんだよな。あの鏡はたぶん実家の二階にあるんだと思うが。
その姿見は矩形ではなく、上部がアーチ型をしていて植物の装飾がついている。かなり古いタイプでもしかしたら日本製ではないかもしれない。ぞんざいに扱ったことはないが、なんとはなしに気にかかる。
 

あおは あーをっ! 06/2/6 (月)
誠大が大喜びで飛びつき、なで回し、抱きしめて歩く、クマプーの小さなぬいぐるみがある。
それはふわふわで、柔らかくて、誠大にちょうど良い抱き加減の大きさ。全国の349人の誠大達なら1人の例外もなく虜になる魅力。
おまけにこのクマ、しゃべりやがる。

左手の平に内蔵されているスイッチを押すとロックオン
じゃなくて、”録音”。
右手の平に内蔵されているスイッチを押せば”再生”だ。
誠大の「あ〜う」とか、ゆめの「ちぇったー」とか、誠大の「ああうー(洗う)」とか、ゆめの「がっこー」などという声が次から次へと入ってきては上書き保存
じゃなくて重ね録音されていくので、一度消えた声は二度と復活しないのだ。


「パパ、ゆめが”あーそーぼー”って入れたよ」
「パパ、ゆめが”パパー”って入れたよ」
いくらママが報告してくれても、全然興味ないのだ。
「俺が聞きたいのは、”あおは あーをっ!”だけなんだから」
この”あおは あーをっ!”を、ゆめはこのごろちっとも言ってくれない。

と、
「パパー!録れたよ、パパの好きな奴!」
「なに!?」

そう、奇跡的に”あおは あーをっ!”が録れたのだ!
早速聞いてみると、それは表記すると”あおは あおー”って感じで、最初の”あおは”の次の溜めが無い上に、最後の”あおー”もだらーっと伸びてしまってだらしない。
”あおは あーをっ!”は、”あおは”の部分はやや力を抜き加減にして優しく発声し、真ん中の空白部分をしっかり取って、最後の”あーをっ!”は全力で発声するのが正しい。
でもゆめが入れてくれたものは俺の聞きたい”あおは あーをっ!”にはほど遠い代物だった…

そうそれはまるで、昔々、まだテレビのチャンネルがボタンではなくダイヤルだった頃、大好きで何回も聞きいっていた流行歌が、その歌手の最新のヒット曲と共に新しいアルバムに再録音され、最新の曲と昔から好きな曲が一枚に入っていると一挙両得気分で購入し、早速聞いてみたら昔の歌い方とは全然違う歌い方になっていて、なんか印象の違いに拍子抜けを通り越して怒りすら覚えるようなあの感じ。
「俺のこの歌はこんな歌ぢゃない!」
って叫びたくなるような、あれ。

それでも滅多に聞けないゆめの”あお”だからな、絶対消させないぞという意気込みで誠大の”返して攻撃”からもゆめの”違う声を入れてよアタック”からも死守し続けた。

結局知らぬ間にゆめに別の(しかもよりにもよって入れられたのは”アゥエンディー”だ)を入れられて、しょうがないから誠大に返してやったけどな。
 

修学旅行明け 06/2/5 (日)
気がつけば、平成18年も1ヶ月が過ぎた。
それどころか、いつのまにやら2月も1週間終わってる。
ますます加速装置の性能は上がっているようだ。


1月31日、ゆめは夜中から熱せい痙攣を出し、ばあばは早朝から緊急入院した。再手術は2月3日金曜の午前中と速効で決まった。そんな状況の中での初めての養護学校の修学旅行は、それはそれは気を遣う旅行だった。
詳しくはかけないのだが、生徒達の気持ちが落ちないようにと常に先回りしてあれやこれやと神経を使っていなくてはならなかったのだ。
それは、夜中に抜け出したり酒盛りしたりとか、他校の生徒とケンカしたりなどある程度高校生ならやりそうなことで、想像も予防も出来そうなことなどとはまるで違うのだ。
生徒全員を帰したあとでの帰りの電車の中から、もうどんどんテンションが下がってしまった。
マジで、疲れた…
その分、全員参加して出発し、事故もなく帰ってこられたことがホントに嬉しかった。
ちょっと感動した。
いや、終わってからの充実感は普通校の修学旅行よりも高かったな。

そんな修学旅行から帰ってきた金曜日、実家に寄った俺をまず出迎えてくれたのはたった君だった。
久しぶりに会ったたった君は、なんか、ちょっとだけ肉付き良くなってた気がする。
そのたった君は、久しぶりに会ったにもかかわらず、いつもと変わらぬ反応しか示さなかった…
お帰りも言ってくれなかったし…

ほどなくしてママに連れられて学校から帰ってきたゆめの方は、そりゃーもう、まるでしばらく会えないでいた恋人を出迎えるかのようなナイスな反応!
やっぱこうでなくっちゃーなー。

ばあばの方はせっかく入れた背骨を支える金具を取らざるを得なくなってしまい、1ヶ月ほど入院生活となった。まあ、たった数日しか自宅にいなくて、しかもわずかなその期間で激やせしてしまうほどだったのだから、むしろ入院して完全介護生活の方が良いのかもしれない。