4月

祟りじゃ… 08/4/29 (科)
土曜日に参観会があったゆめは、日曜日から今日まで3連休。うらやましいこった。昨日は業務明けにいつものようにせいたをお迎えに行こうとしたら、ママからのメールで学童保育に行ってるゆめの方をお迎えに。学校休みだからてっきり家にいるものだと思っていたら、学童に行ってたのね。ま、ママはいま調子悪いからちょうど良かったわな。

今日は朝からアトリエの建築作業。先日怒濤のごとくに搬入され山積みされた大量の2×材の中から、まずは土台部分に使う防腐処理剤注入材を掘り出してはトラックに積んで裏へ運び、ぼそぼそと作り始めた。アトリエ建築予定地から10mほどの距離にあるはなれのデッキで木を切ったり加工したりし、基礎の方へ運んでは組み付け作業。一日中いい天気だったので、首の後ろがすっかり日に焼けた。なんか、都心の方では運動不足解消にわざわざ都内の一等地で貸し出してる畑(わずかばかりの面積なのに、駐車場2~3台分のお値段…)を借りて農作業するのが流行ってるとか。そこいくと俺の場合、屋外での作業なので十分に運動不足解消で、しかも土地代は無料なうえに家まで建っちゃう。
田舎っていいなあ。
でも、アトリエ作業の前には薪割り仕事してたし、もう半年も週末は屋外作業、しかもかなりの重労働に従事してるってのに、生徒が半袖の俺の二の腕を見てびっくりするくらい筋肉はついたが全然痩せはしないぞ。ってか、順調に腰回りやおなかの中で何かが育ってるんですけど。。。
週末は農作業?その程度で運動不足解消になるのかぁ?
ああ、もしかして仕事上がりの一杯がまずいのかな。

さて、その作業中、上空にはカナブン、ミツバチが入れ替わり立ち替わり旋回…手を伸ばせば届きそうな高さをひたすらぶんぶん飛び回ってる。何をするでもなく、ただ飛んでるだけ。
そういえば、基礎を作ってる時にも最初に来ていたカナブンがずっと上空を旋回していた。まるで俺のやってるところを監視でもするかのように。やや小雨降る日もあったが、お構いなしに作業中ずっと飛んでたっけな。基礎作りの時はずっとその場で作業していたので気がつかなかったが、今日ははなれのデッキで作業中はどこかへ行ってしまい、代わりにミツバチがやってきて上空を旋回。また現場で作業する時になるとカナブンがやってきて上空を旋回。
なんなんでしょうか、これは。
もしかして、たかが自分で作る小さなアトリエだしと思って地鎮祭とかやらなかったから、地の神様が怒ってる?そういやー、基礎の作業中から腰の一点が妙に痛いのよね。今まで痛くなったこと無かった場所だ。腰が痛むと言えば立ち仕事か力仕事だが、同じように腰を使う仕事を学校とかでやっても痛まないのに、アトリエ作業の時だけ痛むんだよな。
というより、力仕事か否かに関係なく、家の裏で大工仕事をするときにだけ痛むていった方が正解か。
2週間ほど前に、職員室のデスクに据え付ける柵を作った時、一昨日の日曜日に、美術室に置く作品乾燥棚を作った時、どちらの作業もたいした手間でも力仕事でもないのに腰が痛くなった。
もしかして、裏で作業すること自体が誰かの気に障るのだろうか。。。。
もしそうなら、アトリエなんか作って作業しまくったら、一体どうなる?
ゆめはゆめで、まるで俺の作業を邪魔するかのように一日中俺の姿を見かけては何かしら命令してきて作業を中断させるしなあ。うるさいことこの上なかった。
やっぱ、祟られてるの???

なんか昨日からそっち方面ばっかしだなあ。。。。

心霊… 08/4/27 (日)
YouTubeで心霊ビデオ見まくり。
マジ怖い。
ゆめに見つかると見たがるし、その後もっと恐ろしことになるので、ばれないようにイヤホンで鑑賞。部屋の中にはママの寝息とCS放送の子供番組の音、それを見てはしゃぐせいたの声が。
しかし時折、それらの物音をすっ飛ばすほどの俺の悲鳴も響く。
悲鳴が上がるたびビクッと振り向くせいた。
無視してテレビにかじりつくゆめ。
一切関知せず寝続けるママ。
この状況が一番不気味に見えなくもなかろう。

晩ご飯を挟んでしつこく見る見る。
シリ-ズものをすべて見終わり、次へ。

と、

異臭。いや、俺は相変わらず花粉症なので鼻がきかないのだが、せいたが
「なんかくさいよー」
と言ってきたのだ。

さっき見た中で、こっくりさんものがあったが、こっくりさんと言えば低級霊の代表格たる動物霊が多いとか。ビデオの中でも視聴者投稿のそのこっくりさんもののビデオをスタッフが見る場面で獣くさいと騒ぐ場面もあった。しかも画面の中だけかと思っていたら、最後のテロップで『部屋に異臭がしたらすぐにビデオを止めて換気してください』とあったのを思い出した。
すわ、取り憑かれたか!!!
とびびりながら、せいたにどんな臭いか聞き出してみるが、どうも要領を得ない。そのうち
「かれーくさい」
と。
カレーって、さっき食べた晩ご飯だよ。





と思ったが、臭った!
確かにカレーくさい。
しかも焦げ臭い!

「あっ!」
ダッシュでキッチンに行くと、やられた!カレーの鍋から煙が!!!弱火で火がついていて鍋の中は真っ黒けっけ。
いや、俺じゃないっすよ!だって間違いなく止めたもの、火。
なぜかって、まさに昨日弱火にしたままテーブルに着きかけて慌てて気がつき火を止めた経緯があったのだ。さっきもそのことが頭にあったから、間違いなく火を止めた。
いや、間違いなく止めた。
それは、俺の右手が覚えてる!
でも、火がついてた。
もし消した後でまたうっかりつけたのなら火は中火でつく(機械の機能上そうなっている)はず。間違っても弱火で着火はしないのだ。
絶対おかしい絶対おかしい絶対おかしい

その後結局窓を全開にして換気をし、またまた心霊番組を見ようとしたのだが、いくつか見た後英語で『見たら7日以内に死ぬ』云々って書いてあるものを発見。張り切って見ようと思ったのだが、さっきのぼやのことがあってやめた。





はっとした。
もしかして、これはほんとにやばいビデオなのかも。これを見せないためにぼや騒ぎを起こされたのか?

こんなことがあってから2時間してこれを書いている。既にお風呂もは入り、コンタクトも外した。
今現在、左後頭部と左目と左の背中が痛いっす。痛みは増し続けてます。
いつもなら仮にパソコン見過ぎて目が疲れて頭痛がしても、コンタクトとれば治るし、ましてやお風呂に入ってからも痛みが増していくなんて無かった。

やられたのか、俺。。。

いや、ロキソニン飲むよ。。。

三巻買い 08/4/26 (ド)
どうでもいいことなんだけど、気になり出すと止まらないことってあるよなあ。
俺がこの頃気になるのは、自分のおしっこの回数。
ああ、もう書く前からどうでもいいにおいがぷんぷん!

朝1回して~、
学校で1~2回くらいして~
帰宅後に寝る前までに2回くらいして~
合計4~5回。
これって標準的な回数なのか、それとも少なめなのか。
夏場に汗をかき出すと、さらに減る。学校でへたすりゃ1回も出さない日もあったりして。

ああ、やっぱしどうでもいいなあ。


っと、どうでもよくないのが一個あったぞ。
読売新聞の4月24日の社会面の記事で、本屋の万引きで小学生の犯行もあり、それをとがめない親も多いとか。驚くべきはその発言。
『万引きした子供を引き取りに来た際、子供をかばって、「捕まえられてかわいそう。なんで取りやすい場所に置くんだ」と店側に抗議する親もいる。また、店側に呼び出された親が「払えばいいんだろう」と開き直ったり、子供に向かって「つかまってアンラッキーだったね」などと慰めたりする光景も見られるという。』(本文引用)
ま・さ・に、モンペ!!!!
重ねて26日の記事では、家族の関係が希薄になっているとも。
『「子供のしつけをきちんとできなくなってきている」と思う人が88%に上った』(本文引用)
とりやすい場所に置く方が悪いとか、捕まってアンラッキーだとか、そういう*@+&%なことしか言えないような馬鹿親子関係なら、希薄結構。余計なこと言うな だ。
ってか、それ以前に親になる資格無いわな。これでは少子化も当たり前だ。親になる資格無いことを自覚して(自覚してないだろうけど)あえて子供を作らないならそれはそれで賢明な判断。

で、対岸の火事じゃないんだよな。こういう馬鹿親に育てられた子供をいずれは面倒見なければならないんだよなあ。。。

そうそう、学校と言えば、今日はゆめさん参観会だった。←これが本日の本題。
毎度のことだが後ろで見ている俺やせいたの方をずっと振り向いたまま先生無視のゆめ。
先生、申し訳ないです。
しつけばなってませんです。
身の置き場が無くて教室を出ると、後ろから大声で呼ぶゆめの声も追いかけてくるし。
同席しても外しても針のむしろ。。。
ついでに校舎内を探検したが、同学年のお勉強クラスはしずか~~~に授業をしていた。
しかも別棟でね。別棟はどこのクラスも非常に静かだった。普通の小学校に見えたよ。
ああ、ゆめたちの生活とか自立クラスとかは、いわゆる隔離された状態なのね。そりゃそうだろうな、うるせーもんなぁ。授業無視して大声で「たったーーーーーーー!!!」とかだもんなあ。

でも、ゆめたちのクラスはいろいろとおもしろい。教室の中も授業の中身も子供らが興味を持ちそうな仕掛けがいっぱいだ。先生たちも芸達者な人が多いし。
機会あれば、ああいうクラスで授業をしてみたいもんだなあ。
前任の精神系養護では図工もやらせてもらったけど普通の授業だったからね。高等部の生徒に至っては、芸術科の生徒もしっぽ巻くようなできばえの作品すら作れてた。もちろん授業自体が養護の授業は今まで勤務した学校の中で一番しっかりした授業だったもんなあ。どの生徒もまっすぐに課題に向き合い、少しでも良い作品になるようにって必死だった。手を抜こうなんてやつは一人もいなかった。それら生徒の作品を今の勤務高の生徒に参考作品として見せてるけど、とてもじゃないけどそんなの作れないって言い、実際足元にも及ばない。これはあれだな、勉強なんかしたくないって公言しながら通ってるやつと、小中と不登校の時期が長かったから高等部はせめてちゃんと卒業したいていう気持ち・気合いで通ってるやつとの違いだろうな。
話が戻るけど、それ以前はどうあれ、ちゃんとしたいっていう気持ちで高等部の3年間を過ごした経験を持つあの子たち(少なくとも前任の養護で俺の授業を受けた生徒たち。美術をとらなくて授業中を見てなかった生徒はよくわかんないけど)は、親になったらさぞかし立派な親になるだろう。万引きしといて見つかってアンラッキーだなんていうことしか言えないような馬鹿親には、その爪の垢を飲ませたいぜ、全く!

ざらつき 08/4/25 (菌)
なにげに通りかかった倒木畑、あの傲慢な夫婦が地主の雑木林だが、本日倒木がすっかり無くなっていることを確認。
これであの夫婦はめでたく傲慢からゴウツクに格上げ決定!
やっぱり中間業者に売ったんだな、あれは。なぜならば、金になる太いぶつだけなくなってたからね。清掃業者に頼んで片づけたならすっかりきれいになってるはず。でも大量の枝は残ったままだ。薪の中間業者は薪にならない枝なんか持って行くまいよ。
あいつら、結局ただのけちだったわけだ。
胸くそ悪い。

明日は各種取り混ぜて200本近い2×材が届く。アトリエ建築用の材木だ。
今日はいい天気だった。
でも明日は雨らしい。。。
予定していた置き場所は水はけの悪い屋外なので、雨降りの日に搬入したらびしょ濡れになって、なおかつ乾きにくいだろう。搬入したら雨に濡れないようにブルーシートをかけておくつもりだったが、降ってる最中にかけても意味ない。仕方がないので家を挟んで反対側のウッドデッキに置くことにするが、作りながらいちいち家をぐるっと回って運んで行かねばならない。手間のかかることこの上ない。
しかも200本。。。
聞けば明後日は天気は回復すると言うではないか。
なんかタイミングが悪いぜ。


今頭の中に浮かぶのは、ドリカムの吉田美和、癒しのピアニスト吉田イツコさん。偶然にもどちらも吉田つながりだ。この人たち、どっちも魂レベルが俺なんかと比べたら100倍以上あるよなあ。
どうして魂レベルの高い人たちはああも感受性が高いのか。
一種の逃避か?二人を思い浮かべると心が安らぐ…
って、吉田美和は知り合いじゃないけど。


あー、心がとげとげしてる。

やさしくなりたい。

ゆめの病気がわかって以来のショックな出来事 08/4/23 (水)
このショックをどう表現していいかわからない。
事の発端はこうだ。

夕食後、カートゥーンネットワークでサムライジャックを見た後、お風呂に入ろうとしていた。せいたのそばに行くと、なんだか切り刻まれた紙片が散乱していた。
「せいちゃん、それはなに?」
せいたは正座して、困ったような悪さを見つかって照れくさいような顔をしていた。
よく見ると、その紙片は2~3才頃のゆめの写真だった。
「こ・これは!せいちゃん、これはどうしたの!?」
せいたは答えない。
「ぼくしらないよ」
「知らないこと無いでしょう。これは、せいちゃんが切ったの?」
「うん」
「なんで?ゆめちゃんのこと嫌いだから切ったの?」
「うん。
    ううん、すき」

一瞬だが、せいたの本心が垣間見えた  気がする。
詰まるところ、せいたにしてみればゆめはいつもだっこされたり何やかにやとお世話されたりしていてうらやましいのだろう。幼いながらも憎しみに似た感情もあったのかもしれない。
いや、そんな理由探しなど、この際どうでもよろしい。俺がショックだったのは、ゆめの写真を切り刻むというその行為そのものだ。代償としてなら他にいくらでもあったろうに、あえてゆめの写真というところに背筋が凍った。
お風呂はちょっとおいといて、かなり長くお話しした。
せいたに俺とママがゆめのことを好きかどうかどう思う?と尋ねれば、俺もママもゆめが好きだと答え、では俺とママはせいたを好きかどう思う?と尋ねれば、嫌いだと答え、理由はわかんなかったりしていたのだが、パパもママもせいたとゆめの二人とも大好きなのに、大好きなゆめの写真を大好きなせいたが切っちゃたのはとっても悲しいってことを、ここに書いたそのまんまの言葉でせいたに伝えると、
「そのことはごめんなさい」
などと答えた。
せいたは三歳にしてはできすぎているほど物わかりがいい。理解力もある。それに甘え過ぎていたかもしれない。「そのことはごめんなさい」だなどと答える三歳児を、もっと大切にしなければならないだろう。
理解力があるならばと、なぜ俺もママもしょっちゅうゆめをだっこし、ご飯を食べさせ、ジュースを飲ませ、なにやかにやとお世話しているのかその理由を話した。
端的に言えば、せいたはこれからもたくさん遊んだり食べたりできるが、ゆめは病気だから早く死んじゃう。早く死んじゃうから遊ぶのもおいしいものを食べるのもせいたよりも少ない。歩くこともできないからいつもだっこしている。なんでゆめは歩けないの?病気だからだ。パパはゆめが死んじゃう前にたくさんのことをしてあげたい。死んじゃったらもう二度と会えない。絶対にだっこできない。鬼に食べられるの?そうかもしれない。そうしたら、もうお話もできないし、一緒に遊ぶこともできない。パパもママも、ゆめが死んだらとても悲しい。せいたが死んでも悲しい。でもせいたが死んじゃうのはずっと先だ。ゆめはもうすぐ死んじゃう。せいたはゆめが死んだら悲しいか?ぼく泣いちゃう。パパもママも泣いちゃうよ。だから、死んじゃう前にゆめにたくさん優しくしてあげたいの。なんでゆめは死んじゃうの?病気だからだ。
こんな感じだ。
その後はゆめに優しいせいたがいた。
寝床では、
「パパは何で今日はぼくと一緒に寝てるの?」
と聞かれた。別に今日に限ったことではないがね。
明日はせいたにもっと優しくしてあげよう。
でも、今日のショックは川に沈んだ小石のように、深く沈んでしばらくは流れていきそうにない。

出生前診断 またかよ… 08/4/22 (科)
第二子が授かった時、迷いはしたが出生前診断を受け、結果筋ジスだとわかって泣く泣くあきらめた。第三子の時も同じ。結果せいたが元気に育っている。
俺たちが出生前診断をなぜするのかを今更ここで開陳するつもりはないが、理由を知らない人からするとせっかく授かった命を病気を持ってるからって殺してしまうのは非常に非人道的な行いと映るらしい。
何でそんなことをするんですか?私は「病気を持っていようといまいと、自分の子だから絶対に生んで育てます!」と言い切って羊水検査を受けなかったんですよ!と自慢げに語り、ママの絨毛検査を言外に非難するのは自由だ。要するに子供の命を選択する権利など親には無いといってるんだろう。でも、
「ゆめちゃんなんか筋ジスっていっても何でもできるしいいじゃないですか」などと言われるのは論外だ。
一体どこがいいのか?
何と比べていいのか?
じゃあ、ゆめがもっと重度だったらいくないのか?
症状の重さが判断基準か?
ゆめがどうしようもなく重度の症状を呈していたら反対しないのか?
俺なんか二十歳そこそこでゆめの寿命が来ちゃうことを今から悲しくて悲しくて仕方ないがね。ちっともいいと思わない。この悲しみを二人分も三人分も背負う自信はないな。ああそうだよ、その意味においては親の勝手さ加減だろう。その点は否定しないさ。それができるあなたはご立派だ。むしろ逆に、それができないくらい我が子を愛していると受け取って欲しいものだな。

「病気でも命をくれてありがとう」と子供から言ってくれるのはうれしことではあろうが、それは病気であっても幸せを感じてもらえるように育てた結果であって、病気を持っていることを知りながら産む行為とは別の話だ。俺自身は病気を持っている子供を産むことをいいとも悪いとも思わない。それは普通に子供を授かり産み育てるのと同じだと思う。ではなぜ俺とママが出生前診断を受けたかといえば、既にいるゆめに精一杯手をかけるためだ。あらゆる可能性や経済状況、俺とママの生き方や人生哲学など諸々を考え合わせると、ゆめを幸せにできるのはこれで精一杯、ゆめのために一番いい道を選んでいるつもりだ。その意味において、命の選択をしているつもりはない。むしろ進んで人殺しの道を選んだと言える。ま、いいわけに過ぎんかもしれんが、その覚悟あってやっていることだ。
こういう個々の事情ってものを知りもしないで単に出生前診断を受けたことを自分の知ってる知識だけで判断して言外に非難するいやらしさ。出生前診断をはっきり「私は反対です」というならそれは個人の考えでいいが、事情あって診断することを選んでいる当事者に向かって「なんでそんなことをするんですか」って聞いてくれちゃって、じゃあ我が家の経済レベルから俺やママの人生観まで全部しっかり聞いてくれるのかい?
それ聞いてなお非難するなら我が家族をもろとも否定するのと同義だぞ。
それ聞いて非難を取り消すなら、その程度の考えで非難などするなど浅はかすぎる。
もしかして、俺やママがゆめのこともほんとはいらない子だって考えてるとでも思ってるんじゃ無かろうな。

はっきりいって、どこの誰にも「なんで…」だなどと聞かれる筋合いはないし、言う権利も持っていないのだ。もっと言えばここ以外で話す気もないが。

筋ジスの子供を持ってもいないくせになんて言わないよ。それ言っちゃうと、人を殺してはいけませんだなどという至極当たり前のことでさえ殺した・殺された当事者しか言えない理屈になっちゃうからね。病気だからおろす、それが必ずしもいいことなわけないことくらい百も承知だよ。ただ、「病気を持っていようといまいと…」っていう言い方を、相手が診断受けたことを知りながら面と向かってするのだけはやめてもらいたいもんだな。
それはド失礼すぎる。
ド失礼は、美しい考え方でさえ泥まみれにするぜ。

別に何を言われても気にしないからいいんだけど、ただちょこっと、俺たちのことをろくに知りもしないで偽善者ぶりやがってって思っちゃったんだよな~。
って、面と向かわずコンなところで展開している俺もいい加減レベルが低いけどね。

ふっか~つっ 08/4/19 (度)
しばらくぶりの更新。まだまだ新品と言ってかまわない購入して間もないvisutaが突然ネットにつながらなくなり、何をどうしても直らなかった。最後は初期化しかないかと覚悟を決めたところで何とかなり、無事日常が戻った。
いや長かった。
その間ネット関係はMacに代わりをさせたが、いかんせんHPだけはウィンドウズでないと更新できないでなー。

更新していない間もいろいろとおもしろいことや難しいことなど様々あり、書けるものなら書きたかったなあと思いつつ、いざ書ける環境になってみるとすっかり忘れてしまっているので思い出したらまた書くが、きっと次から次に起こる日常の出来事に押されて思い出せないまま記憶の地層に埋もれていくことだろう。

思い出すと言えば、思い出したくもないのにずっと頭の片隅にとどまっているいやな記憶が一つある。
それは大学時代にさかのぼる。

当時所属していた陶芸サークルに3学年下で入ってきた芸術学科の女子学生だが、タロット占いが趣味とかで夏の合宿の余興で酔っぱらい相手に占ってくれていた。俺も占ってもらったのだがその結果が最悪だった。
いわく、この先すべてにおいて順調満帆、何をやってもうまくいくと。

これのどこが最悪かと思うだろう。
ある人は言った。教育において大切なのはプロセスであり、結果ではない。たとえば数学なら、テストの答えなどただの数字に過ぎず、その答えが導き出されるまでの過程がもっとも重要である。(教師が)テストで知りたいのは正しい回答ではなく、その回答が出てくるまでの道筋だ
ってね。

その時のタロット占いは、まさにこの言葉に当てはまる。重要なのは占いの結果ではなく、その答えが出てきた過程にある。

まず占って出たカードを見たとき、彼女の表情が一気に曇った。
その後慌ててすべてのカードを上下逆さまにし、上記の結果を俺に告げた。
しかし、カードの位置を直しつつ、彼女は言ってはいけない独り言を言ってしまった。

「…何をやってもうまくいかない? あ、あぶないあぶない、上下逆さまだった。」

…俺は聞いてしまったぞ、そのつぶやきを。仮にも外れたことがないと自負しまくりのおまえが、使い慣れたカードでやり慣れた占いをして、カードの位置を間違えるはずがあるまい!
ってことは、結果がまずかったから慌てて取り繕ったんじゃねーのか!?

安酒くらって記憶も曖昧なその時の合宿なのに、その時の状況だけは鮮明に頭の中に残っている。酔いもぶっ飛んだ出来事だったな。
確かにその後は就職浪人4年間、結婚しても子供3人全員が障害者。俺の片親は多額の借金を残して亡くなり、もう片親の借金は増える一方だ。おまけに脂ののった時期なのにもかかわらず美術部がない学校に赴任して男子バレー部だの柔道部だのを持たされせっかく生徒のためにできるだけ高い自分でありたいと大学院まで出たのにその能力を生かせずむなしい日々を送っている。
下を見ればきりがないけど、それでも端から見りゃー十分不幸と言えなくもない。

しかし、前にも書いたが人生不幸だなどと思ったことは一度もない。むしろ、困ったときには必ず助けてくれる人が現れて不思議と救われる人生だ。親の借金はあれではあるが、金なんか一生懸命働いてりゃ回ってくるものだしな。
だいたいが、今思えばうまくいってないときもあるにはあったが、そんな時にはあの占いなんか思い出しもしない。思い出すのは余裕があるときだけだ。
あんな小娘の占いなんぞをおもいだしてる今は、結構余裕があるのかもしれんなあ。


そうそう、ついにアトリエの建築に着手。
と言っても一人で作っているので遅遅として進まないけど。やっと土日が自由に使えるようになった(柔道部は副顧問で、顧問にはちゃんと専門家がついているので出番がないのだ)ので、ようやく手がつけられるようになったのだ。ここ数週間は墨付けやら基礎の道具・材料集めに費やし、今は穴掘って基礎を作ってる真っ最中。石ころだらけの異常に固い地盤をツルハシでガンガン打って少しずつ掘り進む。汗だくになって掘ってもちっとも深くならない。心からユンボが欲しいと思う。
ツルハシとぶつかって火花を散らしながらごろごろ出てくる拳二個分以上の大きさの石ころに辟易しながら、気分はすっかりモグラだ。
毎週のように週末はモグラ。
おかしいねえ、2週間前までは週末は木こり(薪ストーブ用の薪集めね)だったのになあ。
ともかく、今日木材を発注したし、基礎の方も再来週あたりにはできあがる。順調にいけばG.W.にはぼちぼち建て始められるだろう。

あー、すっごく楽しみだ~
今思えばかみさんと結婚決めた時が人生の岐路だった。違う人生もあっただろうけど、妻がかみさんでなけりゃーこんな凝った意匠の家なんか建たなかったろうし、自分のアトリエを自分で建てる人生は他では無かっただろう。なかなか厳しいかみさんにたった1週間で新築に合うクローゼットを4セット作れと言われた時は大変だったが、スパルタ教育の成果は生かされそうですよママン♪

おまけに今日はいいこともあった。
スライド丸鋸の新品が欲しかったのだが、定価で買えば15万はする。どうしようか迷っていたら前任校で受け持ちだった生徒(しかも特に面倒を見た生徒だ)の親があるメーカーの工作機械の営業さんだったことを思い出し、ちょくちょくその生徒と連絡を取っていたこともあってすぐに相談。少しでも安く手にはいれば幸いと思っていたのが、1機種前のタイプならモデルマシンを無料で譲ってくれるというのだ!それだって普通に買えば12~3万はする。しかも機種変更したばかりなので最新機種と比べてもほとんど機能は変わらない。中古品と言えなくもないが、これに飛びつかない話はない。
譲ってもらえることになって待つこと2週間、めでたく今日、新品同様にチューンされたそのマシンをもらい受けてほくほくさ。
これでも『なにをやってもうまくいかない』か~?

いや待てよ、結果的にはあの占いは当たったことになるのか。
ちっ、小娘の占いはあたっちまったか。

せいたに学ぶ俺の子育て 08/4/9 (吸い)
せいたがこの頃「~じゃねぇ」というような言い方で反抗的だ。第一次反抗期か?
別に反抗期が来たのは気にしてないけども、この「~じゃねぇ」ってのが気にかかる。
これって俺の、しかるときの口癖では…
やっぱり子供は親の育て方がダイレクトに反映されるのかなあとちょこっと心配。
ゆめの時は口癖をまねられるということがなかったから全然気にしてなかったけど、せいた相手には気をつけねばならないなあと思いつつ、今日も今日とでせいたとけんかばっかし。

どんなに見た目で不釣り合いに見えるカップルも、容姿に差があったところでその実中身は似たようなものだしな。子供に関してだって鳶は鷹を生まないのよね。仮に鷹が生まれたって思えても、実は鳶と思われていた親の方に鷹の素質がちゃんと備わっていて、それを上手に使えてなかっただけ、ちゃんと素質を使えたから鷹の素顔が子供に現れただけと考えることもできる。
自分を振り返っても、我が家に芸術関係の人間は皆無だが、親父から受け継いだ職人気質は俺が芸術を学ぶ上で十分な下地だったし、お袋からもらった論理思考も「芸術の先生なのに理論的だねぇ」と教頭に言わしめ、実際にやりたくもない事務的な仕事に発揮されてしまう。
親は誰でも十分に自分自身のレベルまでは子供を育ててあげられるのだ。それは間違いない。


もしかしたら、子供が親のレベルを超えることは無いのかもしれない。
実際、どんなにいい家に住んでいい仕事について金持ちでも、親と話してみると、ああ、やっぱしこの程度なんだなあと思ってしまうことがこの頃多い。それは勉強ができるとかできないとかそんなことじゃなくて、人の中で生きていく上で必要な無くてはならないもの、ものの尺度、当たり前に身についているべきもののレベル、そういうもの。
簡単に言えば、「ならぬものはならぬのだ」ときっぱり言えるかどうか。もちろん「新しい洋服買ってよ」って子供に言われて『今月金無いからかえないなあ』という打算から出た「だめったらだめ!」なんていう答えなんかじゃなく、なんでって聞き返すような事柄じゃないことに対して毅然と「理由など無い!」って言える強さとか信念かな。そういうものを持ち合わせてないのに言葉の上ではご立派なお題目だけ並べて、でも俺に語るそのことは何一つ子供に言えてなかったり、そもそも言葉の上のお題目すらなかったり…ああ、この親にしてこの子ありかとつくづく思い知っちゃうことの多い今日この頃。
逆に片親の家庭であっても貧乏暮らししていても、親の生き方が健やかなら、子供だって曲がったりしないんじゃないか。仮に曲がっても、修正がきくのは、やっぱり親がまっすぐだから、もしくはまっすぐな有り様を本来持っているからじゃないか。生徒見ていて、勉強はできなくても日頃見かける言動の端々に未来への可能性を感じられる子もいれば、勉強は確かにできるけどそれだけって子もいる。親と話すと結局どういう中身をもている子なのかが結構つながって理解できたりする。
「うちでは全然勉強しないんです。いくら言っても聞かなくて」という親御さん、そういうあなたは勉強してましたか?勉強が大切だという気持ちが「勉強しろ」っていう言葉に乗ってましたか?そもそも、学校があらゆる意味での勉強をする場所だって心の底から思ってますか?
「どこで間違ってしまたのか。しつけ方を失敗したなあ」とおっしゃる親御さん、したつもりのしつけは本当にしつけだったのですか?単に視野の狭い自分だけの尺度やその時の感情・金銭状況などからの判断でいい・だめを言い分けてきただけじゃないですか?それ以前に、そうおっしゃるあなたは、育児をしたのですか?
この手の親御さんとは、何回も話をしていると結構ぼろが出てくる。いや、あなたの子供ですよ、間違いなくって思える場合が数多い。



子供の有り様は、親の有り様の写し鏡だ。

ふと我が身を振り返って、せいたにたいしてどう接していったらいいのかなあと真剣に悩んでしまう。子供は親の背中を見て育つって言うしな、俺の生き方、考え方はそのまませいたに受け継がれ、そのまた先の孫に受け継がれ、そのまた先の…延々と続く連鎖。子育てって、実はすっごくおっそろしいものだよなぁ。
がんばんなきゃな、何事も。結果がどうあれそこへ至るやりようと、それに立ち向かう気持ちの有り様は、その人そのものを形作っていくのよね。で、それが知らず知らず子供に伝わっていくのだ。
『形が心を作る、心が形を整える』 美術では当たり前のこの言葉は、そのまま人に当てはまる。ってかほんとはその逆、たまたま美術と通じてるだけで元々は人の生き方を表す言葉なんだけどもさ。

と、せいたの「~じゃねぇ」の一言で、深く深く思い悩んでしまった今日の俺でした。

08/4/6 (日)
「ちっ」
「つっ」
後ろの方で、なんか聞こえてくる。
「ちぇっ」
「ちゃっ」
なんだ、このおと?

振り返ると、部屋にはゆめしかいない。
ゆめは仰向けに寝っ転がっている足だけが、ソファーの後ろに見えている。
他には何もない。
そういえば、薪ストーブの薪のうち、柿の木からは時折カチカチと音がすることがある。まだ真冬の頃からしていたその音は、暖かい室内で啓蟄を迎える前から勘違いした虫が春を感じて起き出していた音と思われる。
無論、その音源の木は、速攻でストーブにくべられることとなる。
だって、怖い虫が出てきたら怖いもの。

さて、今日の音は薪からではない。
そろそろ暖かくなってきて、ストーブに火が入ることはめっきり減った。ってか、薪だって持ってきてないし。
でも、室内でそんな音を出すものは他にないし…

ん?
なんか、ゆめの方から聞こえてくる。そういえば音はゆめの声に似ていなくもない。ゆめの足はゆらゆら揺れている。ごそごそ動いている感じもする。

俺は音の元を確かめるべく、ソファーを回って見に行ってみた。
「ゆーめーさーん…」

そ~っと覗いて見ると、

ゆめが、

一生懸命練習していた。



練習してたのよ、ちゅっちゅっって。



投げキッスを!

誰のため?

ってか、なんのために!?

新幹線はけんかの火種で火の車 08/4/2 (�推)
せいたはつまんないことで意地をはってるのか、単なる性格なのか、とにかく俺とよくぶつかる。
保育園では今までは裸足で過ごしていたのだが、年少さんになって上履きを履くらしい。まだ買っていないせいたと、今日はお迎えの帰りに買いに行った。上履きは指定とかは特になく、キャラクターものでも何でもいいとのことなので、せいたはトーマスの上履きが欲しいという。俺はそんなの見たことないのであるのかないのかわからないまま、できるだけ大きな靴屋さんを探して走った。やっと見つけた大きな店には、やっぱり普通の上履きしかない。せいたは納得いかないので一応その店で足に合うサイズのを購入しておいて、もう一軒探した。
やっとこさ見つけた店は見るからにカジュアルで、もしかしたらあるかもという期待を抱かせるに十分だった。
探してみると、あったよあった。トーマスではないがかわいらしい新幹線の絵柄がついた白いのと青いのが。せいたは迷いに迷って青い方を選んだ。
帰宅後、早速はき始めたせいただったが、新幹線よりも普通の方がはきやすいらしく、いきなり
「ぱぱー、ぼくこれいらない」
俺は思わず聞き直した。
「は!?何をいらないって!?」
「これー」
せいたは新幹線を差し出す。
これには腹が立った。
せっかく探し回って手に入れて、気に入ったはずの新幹線をあっさりといらないなどと、そんなわがままはパパ許しません!
「せいちゃん、これはパパがせっかく探して買ったんだよ。なんでそーゆーことゆーの!?」
「だってはきにくいんだもんー」
「ちゃんと試し履きしたでしょう-!それにせいちゃんが欲しいってゆーから買ったのに、すぐにいらないって、そんな人の気持ちを踏みにじるようなことはわがままです!」
いらないだの、いらないならすてるだの、すてちゃだめだの、そんなら欲しいのか?だのと、1時間くらい大げんかし、その間せいたは泣きわめきながら新幹線を外に捨てられたことを怒ってみたり、拾いに行ってあげようとするのを引き留めたり、だったらいらないのかと聞けば欲しいと答えてみたり、もう一回聞いても答えないのでゴミ箱に捨てられまた大泣きし、じゃあと欲しいかと聞けばやっぱり答えないし、訳がわからん。
せいたって、
「欲しいの、欲しくないの、どっちだ!?」
とかって聞くと、必ずどっちとも答えないんだよな。ゆめみたいに
「どっちだ!?」
って聞かれ
「あっちー」
って答えられるのも切ないが、もじもじして全然答えないってのも腹立たしい。
ま、これもいつものことで、結局最後にはせいたの手に戻り、その後お風呂に入りながら
「せいちゃん、パパ、さっきは強く怒ってごめんね」
「ぼくもごめんね、パパー」
ってなって仲直りなんだけどサー。
3歳のガキ相手に真剣に説教するから疲れるんだよなあ~

新しい年度 08/4/1 (𪘂)
エイプリルフール
また1年過ぎた。
俺の新しい年度の始まりは、体中の激痛とともに始まった。

痛めた両手首、右の腕全体、腰、背中、こないだ間違って玄翁でぶったたいた親指(おまえはもう治ったはずだろう!?)、…ちょうどこの1年間のバレー部、制作、薪割りなどの公私にわたる活動で痛めた箇所ばっかりだ。まるで全身の筋肉が反乱でも起こしたかのように痛みの一斉蜂起。
「もうこんな人(筋肉)使いの荒いのはまっぴらだっ!」
とでもいったような声が聞こえてきそうだ。
ま、実際この1年はほとんど休みなく動いてたからなあ。
でも、バレー部は昨日で終わって今度は柔道部の副顧問、でもほとんど参加しないことは顧問とも了解済みだし、薪集めのシーズンも一段落で力仕事は減ってくるし、今日明日あたりを乗り切れば反乱も何とかなるだろう。
そういえば、いよいよ本格的にアトリエの制作を始める。今は基礎をやっつけてるところだ。
家の裏に作るが、何しろ地面には大小の石ころがごろごろ。穴を掘るのも一苦労だ。基礎の段階からこれを一人でやるのかと思うと目の前が暗くなってくるが、1年くらいかけてぼちぼちやるかな。

ゆめは4年生に進級だ。まだ担任の先生が誰かはわからないが、同じ先生が担任ならいいのになあ。俺も先生だけど高校の先生なので、3年間同じ生徒を受け持つのは普通だ。でも、養護学校では3年か同じ先生が担任なのはめずらしいらしい(理由は何となく察せられるが、ま、言わないでおく)。ということは、すでに3年間同じ先生がついてくれている。しからば、そろそろ担任の先生代わっちゃうかな。
せいたは保育園で赤ぐみさんになった。幼稚園で言うと年少さんだ。担任は4人から2人になった。せいたは早く青ぐみさんになりたいらしいが、それまでにはまだ2年もある。おさるさんは、そろそろ人間になるかな?