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2004年7月31日(土) |
神が舞い降りた |
雨が降ったりやんだりでジメジメしとる。エアコン無い生活には辛い状況である。…宝くじ当たったらまずエアコンだ。
夜はサッカーアジアカップ決勝トーナメント準々決勝、日本対ヨルダンをTV観戦。キックオフ直後から日本は動きが悪い。連戦疲れか? でもそれは相手も同じこと。これに耐えなきゃW杯だって戦えないぞ、などと考えているうちに前半11分にはヨルダン先制。DFが完全に崩されて点取られてるので、後々不安がよぎる。まぁその3分後にMF中村俊介のFKを相手GKがはじいたところをFW鈴木がねじ込んですぐに同点に追いついたのは評価できるが。
その後は双方決定機はあれど点取れず。決勝トーナメントはイエローカードは次の試合には持ち越さない、つまり1枚までは貰ってもへーきということで、特にヨルダン選手の当たりは厳しい。と言うより「バックチャージちゃんと取れよ審判!」と叫びたくなる。全体的にはヨルダンペースで試合が進む。GK川口と相手GKの動きが凄い。逆にMF三渡州とMF加持の両サイドは最悪の出来。交代させた方がいいよなぁ。でもジーコ監督が投入するメンバーは鹿島選手ばっかり。おいおい、こういう厳しい試合なら三渡州よりMF西の方がええんちゃう? それにMF俊哉はどーした! 結局ヨルダンペースのまま前後半、そして延長も終了しPK戦に突入。
日本一人目はMF俊介。これが大きく外す。軸足を踏ん張った際に芝が剥がれてずれてしまったため。EURO2004でベッカムがやってしまったのと同じ状況、マズイ。ヨルダン一人目が危なげなく決めた後、日本二人目三渡州がこれまた軸足下の芝がずれて外す! ドアホ!お前は俊介の失敗を観てなかったんか! ゲームキャプテンDF宮本が審判にクレームをつける。でも相手も同じ状況だからなぁと思っていたら審判団協議の上、使うゴールを反対側に移動させる。スタジアムもTVアナウンサー&解説者も騒然。それならもう1回蹴らせろと三渡州が審判に詰め寄る(見苦しい)が無視され、ヨルダン2人目も決めて2−0。この段階で僕は「ふざけるな!審判!」と叫んでいた。そもそも確認もせずに芝の状態が最悪なサイドを選んだのは審判のミス。挙句に先攻の日本が終わったところでのサイド変更は対等な状況とはいえまい。これではヨルダン贔屓のジャッジと言われても仕方がない(試合中もそんな感じだったが)。
3人目が終わって1−3。この段階で日本人の90%以上が諦めたことだろう。しかしGK川口の目は死んでなかった。ヨルダンキッカーをキッと睨みつける。4人目を止め、5人目は川口の気迫に押されてか外す! これで3−3。この先はサドンデス・ルール。日本6人目DF中澤が止められて絶体絶命だが、今度は不安よりも川口が何かやってくれるんじゃないかという期待の方が大きくなっている。TVの前でジッと祈ると再び川口が止めた!! 凄い!凄すぎる!! 日本6人目宮本が決めて初めて日本がリードした後のヨルダン6人目、川口が睨みつける中、蹴られたボールはゴールを大きく反れる! ヨルダン4人続けて外す! こんなことが起こりうるのか? PKの成功率は9割以上。決められて当然の中、川口の気迫が凄かった。この日、川口には間違いなく神が舞い降りていた。外した3人、特に三渡州は川口に土下座してお礼せい!
閑話休題
予選リーグでもそうだったが、重慶の観客は日本の対戦相手の応援一色だった。日本がボールを持てばブーイング。今日に至っては軍服姿の軍人の一団がヨルダン応援団と化していた。確かに重慶と言えば大戦中は日本軍が駐留して酷いことをした処だから気持ちは分かるが、今日試合をしている選手たちは当然戦争中には生まれてなかったわけで、あまりにヒステリックなアンチ日本の言動は、スポーツの場には相応しくないものだった。TVながらそれを観た日本の若者たちが中国に対してどのような印象を持ったか? 少なくとも僕は経済援助など止めてしまえ!と思った。
中東で繰り返される悲劇。21世紀に生きる我々に求められることは「憎悪の連鎖」を断ち切り、次世代に伝えないことだ。戦後賠償問題はきっちり解決させねばならないが、それは政治的問題で別問題。戦後生まれの我々がスポーツの場でこんなことをしていては見苦しいだけで知能や文化程度を疑われてしまう。今日の中国人観客には猛省を求めたい。
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2004年7月30日(金) |
台風どこ行った? |
仕事に目処がついてきた。よって今日は残業無し。ホッ! 台風のため雨も強くなっていたし。…で、台風今何処?
サッカー男女五輪代表壮行試合を観ながら、知人のHPの掲示板に高橋さんのライブのPRを書き込む。考えてみれば、出欠を取らずにアットランダムに人を集めるイベントって初めて企画したのかも? 告知しきれてないので不安なのだ。とは言え演劇系のHPに書き込むのは心苦しく感じたので、音楽系(だと自分で思った)のHPにのみ書き込む。何とか20人くらい集まってくれると嬉しいなぁ。
五輪代表は男女とも大勝! ガチンコだったかはさておき、これで気分良くアテネに行けるだろう。結果は問わない。後悔のない、熱の入ったいい試合を期待したい。
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2004年7月29日(木) |
こんにちは、赤ちゃん? |
YYアドベンチャースタッフミーティングのない木曜日。もうあれから1週間か…。
残業を切り上げて市の保健センターへ。「ハローベビースクール」の最終回はお父さんもということで、Aと共に参加である。妊娠から出産までのVTRを観た後、「妊娠中のお母さんの大変さを体験する。」という保健師さんの陰謀のような(?)企画で10Kgの錘を腹に巻いて歩いたり物を持ったり寝たり。確かに重いが、我々は急に着けたからね。少しずつ大きくなってるAはこれほどは感じてないだろう(?)が、逆に急にこの重さが無くなった後が大変そうだな。
その後入浴のレクチャー。人形を使って体験する。18年前と15年前に姪っ子たちの入浴を何度か見たが、実際やるのは難しいのぉ。これなら姪っ子で練習しときゃ良かったな(ってオイオイ)。
閑話休題
日曜日の高橋忠史さんのライブ。準備期間が短く、告知不十分。みんな是非来てね〜!。
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2004年7月28日(水) |
天に唾??? |
「高橋君はまだ若いし、物を知らないでいるから無理もないよ。俺も学生時代は共産党だった。高橋君の年齢には辞めてたがね。」
巨人選手も12球団維持のための署名活動をすると発表した高橋由伸選手に対する渡辺オーナーの発言である。
そうか、“共産党”は若くて物を知らないのか。だから選挙で惨敗しても委員長の責任論が出てこないのか。それにしてもナベツネさんはまさに言いたい放題だな。
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2004年7月27日(火) |
浜松キッド始動 |
配役決定して最初の浜松キッド読み稽古。残業で少し遅れつつ稽古場に行くと絶賛読み稽古中。先週までとは熱気が違う。いいねぇ、気持ちいいよ。この緊張感を楽しみながら公演を目指したいね。若手ははまだまだ台本の字面を追うので精一杯。演出の山田さんから厳しいダメが入る。かく言う僕も「高橋克也」という役を未だに探っている状況。いくら“ピッタリ”な役と言えど、まんま演じてたらそれは「高橋克也」ではなくなべになってしまう。いかにしてなべらしい「高橋克也」を創り上げていくかがこれからのテーマである。まぁストーリーの本筋にはあまり関わらない役処なので好き勝手できそうなので楽しみではあるが。
公演まで残り110日。んっ? これって去年より遅れてるぞ! さぁがんばんべぇ!!
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2004年7月26日(月) |
誇り |
昼休みなど、仕事の合間をみてはYYの事後処理を進める。少なくも申し込んでくれた参加者に中止を告げるため電話。「残念です。来年はあるんですか?」と聞かれ答えを窮す。惨めだ。自分の力ではどうすることもできないことに悔しさと己の無力を感じる。
しかし一つだけ確かなことに気がついた。どんな理由があろうとも、自分は最後まで逃げなかった、投げ出さなかった、責任を全うした。それだけは誇りに思っていい筈だ。そう考えたら少しだけ肩が軽くなった気がした。
閑話休題
何だかんだで昨日はぽ〜しょんみるくまで見逃している。ホンマになにやっとんじゃ、わしゃ?
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2004年7月25日(日) |
伽藍博物堂観られず |
今なべ県内一押しの劇団、伽藍博物堂を観るためにスペースCOAへ向かう。まもなく到着というところでコーヒーでも飲もうとコンビ二に立ち寄って…。ありゃ?財布は何処? やむなく自宅へUターン。
…何やってんじゃ? わしゃ。
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2004年7月24日(土) |
不貞寝 |
何やかや言うても12年付き合った事業だもん。ショックは大きい。やる気ま〜たくなく1日不貞寝。夜のアジア杯タイ対日本戦もただの流し観。観戦記はパスさせて。
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2004年7月23日(金) |
活動する側、行政側 |
演劇やレクリエーション、その他世の中にはいろいろ活動の場があるが、活動がある程度の規模になってくると、行政との関わりが様々なところで避けることができなくなってくる。そこで活動側と行政側との間に多かれ少なかれ摩擦が生じる。特に「委託契約」なる言葉が登場したりするとこの摩擦が大きくなる。ごくごくたまに自ら活動もしている行政担当者が現れたりするが、それはあくまで突然変異体。大概は人事異動で担当になっただけの、その活動が好きでも興味がある訳でもない人が担当になる。摩擦の根本はそんなところにあるのだ。それを避けるためにはお互いの立場を良く知っておく必要がある。奇妙な運命(?)で両方の立場を良く知る僕はそう思うのだ。
活動する側は「行政は固い!」とか「融通がきかない!」とか言うが、僕に言わせると何をかいわんや、「そうです。彼らは固いんです。」と言いたい。確かに融通がきかないことには辟易するが、逆に行政が固くなく、その場しのぎの軟弱だったら困るじゃない? その活動をするにあたって自分たちと行政とはどういう関係なのか? 同等の協力体制なのか、“お伺い”をたててる立場なのか? さらには不満に思っているのは「行政」という組織なのか、その中の「担当者」なのか? そのあたりを考える必要が出てくる。
これはとあるコラムの受け売りだが、行政と付き合うには、地蔵に向かって「お前は固い!」と言うのではなく、「ん〜漬物石に使えるじゃん!」と言う発想が必要なのだろう。
次に行政側。これもまず立場の違いを認識する必要がある。何より自分たちは“仕事”で、活動する側は“ボランティア”だと言うこと。自分は給料貰ってあれこれ動き、活動する側は本業を片付けた後のプライベートな時間を割いているということだ。そしてその活動がどういう性質のものを十分認識しておくことも大切。活動する側から発案されたものならばある程度一線引く対応もありだと思うが、行政側が発案した場合には最後まで責任を取る必要がでてくる。最近の流れで「委託事業」でお願いしていくこともありだと思うが、運営から事務手続きまで活動する側がちゃんとできるようにコーディネートや指導するのは行政側の責任。それができなければ自らの責任において活動をやめることも必要。
何より必要なのは、自分が活動する側を育成し、活動を活性化させることが仕事だということを頭に叩き込んでおくことだろう。このあたりは何時かゆっくり書いてみたいなぁ。
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2004年7月22日(木) |
中学生体験学習事業「YYアドベンチャー2004」開催中止 |
YYアドベンチャー参加募集締切日。ミーティング会場に着くと高校生リーダー1人のみ。何だよ、呼びに行かなきゃ結果も報告しないってか。やむなく事務室に聴きに行くと、ミーティング会場に行くと言う。だったら最初から来とけっての。
結局出てきた結論は、参加希望者数が事務局が定める人数に達せず、YYアドベンチャーは中止。来年以降は開催しないと言うもの。告げられた内容はそれだけ。過去12年間に対するコメントは全く無し。毎回半年ほどの準備を経て開催すべく努力してきた、ましてここ3年は本来事務局が担うべきことまで対応してきたスタッフに一言もないのか…。まぁ期待もしていなかったが。
参加希望者が少なかったのは事実だから、中止決定については文句の言い様がない。我々スタッフが魅力あるプログラムを提供できなかった結果なのだから。ただ参加拡大策を立てても悉く事務局に潰された感は否めない。全ての手段を講じた上での結果ならもっと素直に受け止めることができただろうに。
ともあれ中止は決定した。言うだけ言って事務局が帰っていった後、事後処理について指示を出す。最後まで残ったメンバーは、みんなしっかりと責任を果たそうとしている。その顔を見て「結果はどうあれ、今年も準備を進めて良かった。今年も少しずつ成長してくれた。」と感じた。「また集まって何かおもしろいことしようぜ。」と言うとニッコリ笑ってくれた。
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2004年7月21日(水) |
暑いんですけど |
午後外回り。社用車のクーラー故障(ToT)。屋外仕事の皆さん、ホントに暑中お見舞い申し上げます。
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2004年7月20日(火) |
浜松キッド公演出演決定! |
連休明けは仕事やる気がなかなか起きないが、仕事は待ってくれない(ToT)。やむなく残業。キッド稽古日に遅刻する。今日も読み稽古。結局秋公演に出演することになる。春の『クロウホーガン』での経験を経て芝居やる気満々なので嬉しいが、Aの出産予定が公演直前なので、万全な体制で稽古に望めないのが辛いところ。みんな気にかけてくれたのか、僕にとっては比較的楽な役にキャスティング、その分「役創りにチャレンジ」という感じはないが、ともかく許された中で最大限努力していい芝居にしたいな。
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2004年7月19日(月) |
暑い街中、涼しい水族館 |
「何処かに連れてけ〜」。」というリクエストにお答えして、くそ暑い中Aとともに名古屋港水族館へ。現地に近づくと道路の両側に出店が立ち並び、通行止めもあって無茶苦茶遠い駐車場に誘導される。夜名古屋港で花火大会が開かれるらしいのだが、水族館目当ての客にとっちゃ迷惑な限り。通行止めのためにシャトルバスも運行されないため地下鉄で移動。これで駐車場が無料じゃなかったら(通常は600円)キレてるところだった。
おニューのビデオカメラ鮮烈デビュー。イルカやらシャチやらクラゲやら撮影。外のプールではイルカやシャチがおやつ(みたいなもんだと飼育係のおっさん説明)の氷を「くれーくれー。」とプールサイドにまで上がってせがんでた(^^)。そのイルカやシャチのショーは、広いプールにサッカー場並みの屋根付きスタンドにオーロラビジョン。イルカたちも可愛くて見応えあって一見の価値有り。ベルーガ(イルカの一種)やウミガメの赤ちゃんも見ることができて楽しい一日でした。
閑話休題
水害被災地を視察した総理。「遅い。」「今更何しに。」と批判する声は毎度のことだからいいとして、対策本部前でインタビューを受ける総理に「ジェンキンス氏のことですが…。」と質問する馬鹿マスコミには呆れた。周りで聞いてる被災者の心情を考えたことがあるのかしら?
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2004年7月18日(日) |
マウイ興芸舎公演 |
昼間は体調すぐれず、家でおとなしくする。基礎体力の欠如だ。
夜はマウイ興芸舎公演『夜明けの記憶』を観に行く。松嶋クン、順ちゃん、田辺さん3人の頭文字を取ったユニット名。会場がクリエート浜松1階のイベント広場で無料公演ということでとても興味深い。初めての会場に出向くと「キッドの公演や他のイベントで使えるかなぁ。」という目で見てしまう、いけない癖だ。
その会場はと言うと正直厳しかったな。舞台から客席までフラットだったから、後ろの席ではせっかくの演技が前の席のお客さんの頭に邪魔されて観えないし、スペースが区切られていないため観劇目的でない施設利用者が出入りする音が否応なしに聞こえてくる。また音の反響も大きく、台詞が聞きづらい。なかなか芝居に集中しずらい環境なのだ。使用料も安いようだし、そこそこ照明もついているので貴重なスペースだと思うが、お客さんを芝居に引きつける大きな力(勢いだったり展開の意外性だったり)が必要だな。
で、『夜明けの記憶』はどうかと言うと、正直前半はキツかった。話し自体が静かに展開するため、一般的に言う“勢い”はないので話の中に引き込まれにくい。場合によっては役者が全く観えないこともあるのでどうしても背後から聞こえてくる雑音が気になりだして集中力が散漫になってしまう。普通なら途中でお客さんがソワソワしだして芝居環境が成り立たなくなるものだが、それでもラストまで芝居をしっかり持っていったのは、さすが巧い役者が揃ったなと言うところ。是非しっかりとした劇場で今一度観てみたい公演であった。
「観客が芝居の中に引き込まれる」ってのはホントに難しいなぁ…。
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2004年7月17日(土) |
夢の島プロジェクト |
むっちゃ暑い中北浜スポーツクラブサッカー指導。夏休み期間中は休み、その前最終回と言うことで子供たちに目一杯ボールに戯れさせる。子供たちにはハードメニュー? いや〜でもやっぱり基礎が一番大切だからね。しっかりボールが扱えれば、ほ〜らおかげでミニゲームが白熱するでしょ(^^)。
でもやはり付け焼刃? ゲームは0vs0でドロー。心底ゲームを楽しむにはもうちょっとだな。
夜は夢の島プロジェクト稽古。欠席連絡は数人だけだった(参加報告も特になかったが)ので、それなり参加するかなと期待していたが、待ってても誰も来ない。1人で柔軟やって発声やって、でやむなく1人で朗読劇の練習。もっともこれがけっこーいい感じの稽古になったので気分は良かったが。
8時過ぎになってH田さん、K藤さんが相次いで顔を出してくれた。林田さんは出掛けにお子さんがぐずり、K藤さんは急なお仕事。夢の島のシステムではまぁこういうこともあるさね。でも遅くなっても顔出してくれるのが嬉しい。必要な場としてもらえるのが次へのエネルギーになります!
時間がないので読み稽古。久々に菊池寛の『父帰る』を読む。途中でミュージカルとかの話しに脱線したのはご愛嬌(^^)。一通り読んだ後、読み稽古における役創りのコツを確認して稽古時間終了。もう一回通りたかった(脱線するから悪いんやん)が、それは次回のお楽しみである。
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2004年7月16日(金) |
とにもかくにも |
何がどうしてどーなって、何はともあれ週末。今週は疲れた〜。
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2004年7月15日(木) |
しゃ〜ない |
全ての要素が絡み合って導き出された中間報告。打破すべく必死になっているのは我々のみ。まぁやるべき人間がやらないんだからしゃ〜ないわな。
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2004年7月15日(木) |
大丈夫か?労働組合 |
「無礼なことを言うな。たかが選手が。」 直接対話を叫ぶ労働組合代表に対して某球団オーナーが発したこの言葉が波紋を呼んでいる。同じことを言っても仕方ないので別の切り口を。
大丈夫か?読売新聞を始めとする読売グループの労働組合。しっかりとした労使交渉ができてんのか?
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2004年7月13日(火) |
遠州大念仏 |
Aが念仏を観たいと言う。そういや観たことなかったけね。そんな訳でキッド休んで(すんません)知人宅におじゃまする。
群雄割拠する戦国時代。浜松城主である若き日の徳川家康は、城の北方に広がる三方原で武田信玄と1戦を交え、けちょんけちょんに負けて城に逃げ帰る。武田軍は追手を差し向けるが、家康は犀ヶ崖という深い谷に布の橋をかけて武田軍を罠にかける。武田軍は無残にも崖に落ち、多数の死者を出したのだが、それ以降崖からは武田武者の苦しむ声が絶え間なく聞こえるようになった。そこで家康は死者を弔うために念仏を行った。これが遠州代念仏になったという伝説。まぁ実際は三方原の合戦以前にも念仏が行われていたようなのであくまで伝説なのだが、いずれにしても歴史がある伝統芸能である。
厳かな雰囲気の大念仏。Aはえらく気に入ったようである。
閑話休題
全国的には江戸幕府初代将軍であり、狸親父として有名な家康。しかし遠州地方では若き日の三方原の合戦や二俣城の攻防戦で負けて逃げ帰る際の逸話が多い、どちらかというと親しみの持てる人物である。
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2004年7月12日(月) |
無責任のツケ |
「投票率は前回並み。」などという言葉がニュースや新聞に踊っている。一様に「安堵…。」といった感じだが、低下傾向の中での足踏みだから、ホッとする材料は何にもないのだけどね。
二十歳になって以来投票皆勤賞であるなべとしては、急病で身動き取れないなどの特別な理由がないのに棄権する人の気が知れない。投票とは“参政権”に基づくもので、国民の権利であると同時に、なべ個人的には義務だと考えている。「政治」に「参加」する「権利」を放棄して投票を棄権するということは政治に対する白紙委任なのだ。白紙委任した以上、その選挙で選ばれた議員によってどんな決定がなされようと文句は言えない。昨年の衆議院議員選挙を棄権した人は年金についてもイラクへの自衛隊派遣についても、一言も意見や批判を言う権利はないのだ。
簡単に投票を棄権する人は、言い換えれば無責任で、人任せな甘ったれのガキなのだ。政治家は国を良くして「くれない」から投票しても意味がない。自分自身は安穏としていながら他人の批判ばかりする。おもちゃ屋の前でおもちゃを買ってもらえないと泣き喚く幼児と同じレベルなのだ。今こそ我々はケネディ大統領の「国が自分に何をしてくれるのかではなく、自分が国に何ができるのかを考えて欲しい。」という言葉を心に刻み込まなければならない。国民が無責任になったから、政治家も情けないくらいに弛んでしまったのだ。
そんな訳で、もし増税なんてことになったら、まず今回投票を危険した人間を対象としていただきたい。そんなことはありえないだろうが、もし徴兵制度復活なんてことになったら棄権したニイチャンたちからまず戦場に送ってもらいたい。それが無責任のツケだ。
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2004年7月11日(日) |
誤報に偏向 |
1日休日出勤してヘロヘロになりながら帰宅するとTVでは選挙速報で各局賑やか。観るとすでに改選数のうち半数に当選または当選確実のマークが点いている。まだ開票始まったばっかりじゃろ? ホンマかいな。出口調査とやらを根拠に、自民党が伸び悩み民主党は躍進。某局系列では画面右上に「自民惨敗!小泉首相退陣か!?」の文字が躍る。司会者も小泉首相、安部幹事長を始め、自民党幹部に「責任の取り方は?」としつこく追求する。オイオイ、開票これからやで〜。と思いつつTVを観ながら寝てしまう。
早朝目が覚め、画面を観ると「自民党49 民主党50」って何だその差1つじゃん。民主は大躍進だが、その票は共産党が大幅に減らした議席が移動したもの。要するに野党の中で移動しただけ。確かに自民敗北だが惨敗とまでは言えまい。さてさてTV局はどのように弁明してるのかと思いきや、目標としていた51議席に届かなかったことを問題にし、相変わらず小泉首相の責任追及に終始している。
早い段階での当落“予想”。出口調査でどれ程のバックデータを得ていたかは知らないが、はっきり言って昨夜の惨敗報道は間違いなく誤報である。その誤報を盾にして自民党への責任追及。これは偏向報道以外何者でもない。責任を追及して辞任させるとしたらまず共産党の書記長やろ(これこそ惨敗)。まして何故責任を取るのは辞めることだけなのか? 最後までやって国を良くするのだって一つの責任の取り方のはずだ。
まずは各局の選挙報道の担当者及び司会者がどう“責任”取るのかはっきりさせたほうがいいのでは? 何より頼りにならぬ情報と偏った思い込みによる、当落競争葉やいっこ競争は見苦しいだけ。我々有権者が知りたいのはTV局の博打予想ではなく、正確な情報なのである。「51議席が勝敗ライン。」と言った政治家の言葉は重い。それと同じくらい報道に携わる人間の言葉も重いはずである。
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2004年7月10日(土) |
『スパイダーマン2』(ネタバレ有り) |
午前中休日出勤。蒸し暑くてYシャツ汗だく(^^;)
さて『スパイダーマン2』。“娯楽作品”としては大成功。CGも凄くて圧倒されたしね。上演時間中飽きることなく楽しめたよ。右手の席にいた外人カップルが映画そっちのけでチューチューやってたのでちょっと集中力が削がれたけど(^^;)。これから観られる方は、映画の完成度がどーのこーのと詮索することなく、頭空っぽにして楽しんだ方がよろしいですよ。評論を始めるとあれやこれや続々とボロが出てきます。
何処がボロかだって? そりゃあなた、前半は前作ラスト5分間のおさらいだし、Dr.オクタヴィウスが核融合物質を扱うために自らの脊髄に取り付けた人工アームが知能を持っていてDr.が乗っ取られるなんて設定はチープと言えばチープだし、話しのオチでフと我に返ったDr.が人工アームに「言うことを聞け!」でホントに言うこと聞いちゃうし、ラストはダスティン・ホフマン主演『卒業』のパクリだし。
『卒業』のダスティンホフマン同様にラストカットでMJが一抹の不安を感じてそうな顔するのが素敵♪。次回作の敵役が想像できることも含めて、莫大な予算と凄い技術陣のサポートを得た大学映画サークルの作品みたいである。
えっ? そこまで言ってホントに楽しめたのかって? だから頭空っぽにして観てたのよ。隅のほうでちょこっと上記のようなことを考えてただけで。“娯楽作品”としては最高だって。次回作も楽しみですぞ! たぶんMJは『ポパイ』におけるオリーブか、『仮面ライダー』でのライダーガールズのように、人質要員になるだろーけど。
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2004年7月9日(金) |
ガス入り飲料でガス抜き |
会社で気の合う連中と今年初のビアガーデン。ビール美味。蒸し暑いが夜風が気持ちがいい。気兼ねなく愚痴言い合える場があることが嬉しい。
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2004年7月8日(木) |
障害が多い分、 |
「初めての出会いの会」まで残り24日、「ワイワイ体験の日」まで36日になったYYアドベンチャー。いよいよ尻に火がついて、スタッフの目の色が変わってきた。今回は本当に障害が多い分、スタッフそれぞれのモチベーションの高さが成功の秘訣となる。自分の持っている力以上のものを出していく。今年参画したことで成長したことを実感し、来年7月の浜松市への編入合併後もそれぞれのフィールドで活躍することができる、そんなYYになればと思う。
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2004年7月7日(水) |
「七夕やのにねぇ…。」 |
“ファン不在”なんてありきたりなことは言わない。ファンだってエラソー言ったって球場に足運ばなかった訳でしょ? 毎回とはいかないまでも、ファン1人が年に数回でも観に行っていれば毎回超満員札止めになってこんなことにはならなかった。そんなことより問題視しなければならないのは「親会社によるチームの私物化」なのだ。
数年前、Jリーグ清水エスパルスの運営会社が倒産の危機(メインスポンサーであった某県内TV局の放漫経営が主原因)に陥り、結局鈴与グループが出資して新運営会社を立ち上げたことがあった。その前年には鳥栖フューチャーズも同じような形でサガン鳥栖として再出発した(サガンはまた危うくなってるけど)。この2例に共通するのは、倒産の危機に陥った時に「もう自分たちではどうすることもできない。誰か助けてくれ!」と宣言し、サポーターはもちろんのこと、地元政財界上げてクラブ存続のために尽力したことだ。
ところがエスパルス問題の翌年に起きた横浜フリューゲルスは正反対だった。実質共同親会社だった佐藤工業が撤退し残った全日空は、危機を社会に訴えることなく秘密裏に横浜マリノスとの合併を発表した。サポーター(フリエサポだけでなく、マリサポも)がどんなにクラブ存続を叫ぼうとも「もう決まったこと。」と聞く耳持たず。「せめて“フリューゲルス”という名前を新しいクラブ(現横浜FC)に譲って欲しい。」と言う声に対しても、「“合併”の象徴だから。」と、横浜Fマリノスと命名し、譲ることはしなかった。
全日空にしろ近鉄にしろ、「チーム(クラブ)は自分のもの。」という考え方が見えてくる。プロスポーツという、観客(ファン)不在では成り立たない筈の世界なのに、選手のこともファンのことも考慮されていないのだ。“合併”にしておけばチーム(クラブ)に大なり小なり影響力を残せるからね。事実当初は日産自動車と共同出資だった全日空は、2年後出資も辞めて単なるスポンサーになっても、ユニフォームの背中にしっかりと“ANA”という文字が躍り、世界に「フットボール(サッカー)を支援してます!」とPRできるわけだ。事実合併翌年、やむなく搭乗した全日空機のスクリーンに「昨年のJリーグを振り返る」なんて映像が流れたくらいだからね。事情を知ってるなべは「なんて恥知らずで厚顔無恥な。」と呆れ返ってしまった。
プロチームは親会社の私有物ではなく、公共的な存在なのだ。「さぁみんなで考えよう!」と投げかけて、結果合併になるのはやむ終えない。この不況下、企業だって無限に資金があるわけではないからね。でも密室で決めてしまうのは企業のエゴ以外何物でもない。「僕が知らない会社の相手などできない。」などと放言する年寄りにはいい加減引退願いたいよ。“相手にできない”と言うのなら、名乗り出たベンチャー企業社長の話しを聞いた上で、「こんなに信用できない会社で、とても移譲などできない!」ってアラをファンにさらけ出せばいい。そうすればファンも諦めるだろう。
プロ野球選手会会長の古田捕手の「七夕やのにねぇ…。」と言う言葉が虚しく響いた。
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2004年7月6日(火) |
制作失格だ〜! |
浜松キッドの稽古日。稽古場に着くと小池さんが「なべちゃんはやっぱり出演できないの?」と聞いてくる。いや僕はカミさん出産近いし、それに男優は足りてるじゃんと言うと、1人足りないのだと言う。へっ?と登場人物表に目をやると、そこには載っていないキャラがいるのだと。
え〜ホントかよ〜! 出演可能人数を考慮して台本選定したのに、表に載ってないなんてありかよ〜! もっとも、よく読まないお前が悪いと言われそうだが。
さて、どないすべぇかなぁ。芝居をやりたい欲求はいっぱいなんだけどねぇ。
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2004年7月5日(月) |
お願いします。 |
浜北市の青少年活動推進員の皆さんにYYアドベンチャー関連の仕事をお願いする。自分たちの力以上の仕事をこなさなければならない羽目になっているため仕方が無いし、みんなで役割分担をすれば負担が少なくて済むことも理解している。しかし自分たちで賄えなかったことは残念至極である。
閑話休題
サッカー漫画『キャプテン翼』の続編で、プロになった翼クンは今スペインのバルセロナFCに、岬クンは我らがジュビロ磐田にいるらしい。へぇ〜。
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2004年7月4日(日) |
夢の島プロジェクト稽古 |
5日前に急に決まったキッドの読み稽古。やる気いっぱいで喜ばしいことだが、事前に夢の島プロジェクトの稽古が決まってた。確認したみてもキャンセル可能期間はすでに過ぎ去っていたのでやむ終えず。キッドの方は他のメンバーにお任せする。みんな、ごめんな〜。
今日の参加者はHさんとKさんの2人。「身体動かしたい。」というHさんのリクエストを受けて、いろいろなパターンの「ストップモーション」を重点的に稽古。「ストップモーション」とは、まずリーダー(演出?)役がバラバラのリズムで手拍子する。それに合わせて表情や身体を素早く動かして止める。大切なのは動くときはキレ良く素早く、止めたらグラグラ動いたり、視線をキョロキョロさせない。さらに一番気をつけるべきことは自発的に動くのではなく、手拍子を受けてのリアクションであること。この“リアクション”というのが芝居にはとても大切なのだ。
役者は台本を読み込み、何回も稽古もして本番に望む。話しの展開はもちろん、次に誰が何と言う台詞を言うかも熟知している。例えば誰かに呼ばれて振り返るとか、脅かされて飛び上がるとかでも、当然「次に呼ばれる」「脅かされる」ということを知っている訳で、得てして呼ばれるのを不自然に待ったり、最悪脅かされる前に飛び上がったりすることが起こってしまうのだ。つまり“リアクション”を“演じる”と言うのはとても重要。まだまだ未熟者の僕が説くのは面映かったが、稽古の趣旨をはっきりさせたくて語った次第。多少理屈っぽい稽古になったとちと反省だが、それはそれでみんな楽しんでくれたかな?
さて、夢の島次回の稽古は7月17日(土)午後7時30分から、浜北市民体育館会議室で行います。御用とお急ぎでない方は是非参加してちょ!
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2004年7月3日(土) |
ビデオカメラ購入 |
ビデオカメラを買いに豊川まで足を伸ばす。何故? 行きつけの家電デパートが急に玩具専門店に模様替えしたため、貯まったポイント吐き出すべく系列店に行くのだ。高速を使わず山道を通って行ったのだが、思ったより近場。こりゃなかなか買い物圏内だったな、穴場。
いつものとおり、あれこれ悩み、店員をとっ捕まえて話しを聞き、これっと言う一品を決める。ポイントカードを出すと、住所を見た店員は何かとポイントを駆使し、三脚やバック、追加の5年保障の加入金が全て無料になった(^^)。店員の兄ちゃん、ありがと!
帰りがけに豊川稲荷に詣出る。三重塔とかいろいろあんのね、知らんかった。今度時間あるときにまた来よう。
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2004年7月1日(木) |
絶対に間違っている |
YYアドベンチャースタッフミーティングから帰宅してすぐに気分転換のためにウォーキングに出かける。が、1時間近く歩いても高ぶったものは治まらず。結局いけないと思いつつ、酒をあおる。
仕事外のボランタリーな活動で、何故にここまでストレス溜め込まにゃならんのだ?
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