INTERVJU/INTERVIEW

注:以下は私、ゆずるが訳したものです。誤訳、意訳等はご容赦ください。



Dejan Stankovic

"Politika" 30/09/2013

1998年フランス・ワールドカップ前、代表チームの候補の中で最年少だったにもかかわらず、当時の代表監督スロボダン・サントラツは彼を招集することを一瞬たりとも躊躇わなかった。 デヤン・スタンコヴィッチはエースたちの星座の中で、多くの信望と素晴らしい評判をほしいままにする選手として現れた。 自身の真摯なスポーツのキャリアにおいて、長年キャプテンだった彼は多くの浮き沈みに出会った。しかし、それは偉大な選手の運命でもある。
フランスへの旅の前、パリッチでの代表チームの事前キャンプが始まった時、人々はデヤン・スタンコヴィッチをワールドクラスの選手だと見ていた。 彼がたった19歳で代表のユニフォームを着たとしてもだ。 伝説的なコーチ、ミリャン・ミリャニッチは彼とチームメイトのペリツァ・オグニェノヴィッチについて完全に審美的な立場だった。 「彼らは若者としても選手としても素晴らしい。彼らが名声を得た選手たちの中にいて、そこから彼らが計り知れない大きな利益を得ることは非常に幸せなことだ。 彼らは若いが、最初の瞬間から状況を理解した。彼らを見る喜びは約束されている。それは私たちの大きな希望である…」

・あなたのキャリアは、いわば、輝いていたと言えると思いますが、ミリャン・ミリャニッチのような人物からの擁護の言葉はどれほどの意味がありましたか?

彼のすべての言葉はほとんど覚えているよ。もちろん、ようやくサッカー界に足を踏み入れたばかりのすべての若い選手なら、サポートはとても大事だ。 代表選手としてのキャリアの始まりに本当に偉大な代表選手たちの中にいたことは幸運だったし、喜ばしいことだった。そのおかげでとても順調だった。

・あなたは1998年4月22日の韓国代表戦でデビューしました。10月11日に代表のユニフォームに別れを告げますが、その日本代表戦で最多出場(103試合)を記録する予定です。

アジアからのチームとの試合で代表のキャリアの始めて終わるのも運命だろう。

・代表引退はどのようになりますか?

ノヴィ・サドでは喜びと悲しみがあるだろうと良くわかっている。その試合に特別な感情を抱くだろう。僕はすべての夢を叶えたと言えるから幸せだけれど、 最も愛するユニフォームをもう着ることがないと思うと悲しくなる。

・あなたはたった19歳でツルヴェナ・ズヴェズダを出ました。(訳注:イタリアのラツィオへ移籍)その最初の頃を覚えていますか?

火星から落ちたように感じたよ。人々も言葉もわからなかった。でも、僕には側にシニシャ・ミハイロヴィッチがいるという幸運があった。 その時からすべてが違った。その状況はちょうど今インテルにクロアチア人のマテオ・コヴァチッチがいることを思い出させる。彼は若く、有望な選手だ。

・皆はあなたを記者との関係を変えたことのない稀な選手のひとりだと言います。つまりその関係は同じだったと。 一方では完全なプロフェッショナル、片やフレンドリーに。

今、強調しておきたいのは僕は幸せな男だと言えるということ。僕が正しいやり方で躾けられたのは幸いだった。今もそうして僕が子供たちを教えている。

・あなたにとって代表チームで最も愛するゴールは何ですか?

ザグレブで引き分けだったクロアチア戦、勝ったボスニア・ヘルツェゴヴィナ戦、ルーマニア戦、韓国戦でのゴール。 それでも、ザグレブでのクロアチア戦でのゴールを選びたい。

・10月11日の後、その後の予定は?

今は新しい契約については考えていない。家族とゆっくり休みたい。どうあれ、サッカー界には残るだろう。

・それはシニシャ・ミハイロヴィッチと共に仕事をする用意があるという意味ですか?

ミハイロヴィッチについて語る時は、僕は客観的になれない。でも外から見るに、僕達の代表は最近の2試合で全く新しい様相を見せたと認めることができる。 良い方向に向かっているだろう。やっと今監督の筆跡が理解されてきた。もう遅い、僕達はブラジル大会の予選突破に失敗した、と皆が言うだろうとはわかっている。 でも、それが僕達なんだ。人々は待つための準備をしない。そしてそれが高くつく。まずは代表監督に引き続き留任するかを見なくてはならない。 2〜3年で僕達は地域で最強の代表をもつだろうと確信している。

・FSSに対する非難をどのように見ていますか?

よくわからないことについてコメントしたくはない。正直に言って、僕は渦中にないから。もちろん、悪い知らせを聞けば辛いよ。 セルビア・サッカー協会には感謝している。すべての支援に、それから10月11日のノヴィ・サドであるだろうサポートに。

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・デヤン・スタンコヴィッチは輝かしいキャリアをツルヴェナ・ズヴェズダで始めて、ラツィオで続け、そしてインテルで終えた。 それでも、ズヴェズダの新しい歴史の中の最高の選手のひとりである彼は、マラカナで引退試合をしたいのではないかと、皆は思っている。

もちろん、それについては考えている。おそらくは来年。こういったイベントの運営にはまず多くの時間が必要だからね。 僕の“ズヴェズダシ(ズヴェズダのファン)”は心配しないでほしい。もうすぐマラカナで会おう。

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・デヤンの息子たち、ステファン(13)、フィリプ(11)、アレクサンダル(8)は今インテルのサッカー・アカデミーでプレイしている。 彼らのうち誰かがいつの日か父の後を継ぐことは疑いない。

そのことを話すのはまだ早いよ。でも、アレクサンダルがいつの日か僕に代わるのに一番近いかもしれない。

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・サントラツ、ペトコヴィッチ、アンティッチ。皆ワールドクラスのコーチ。誰がデヤン・スタンコヴィッチにガイドラインをつくったか?

サントラツは初めて代表のユニフォームを着るチャンスを与えてくれた。そのことに感謝している。ペトコヴィッチもまた偉大なコーチ。 そしてアンティッチの許で僕は最高のプレイをした。おそらく僕の最高の時代だった。




"Inter.it" 06/07/2013

親愛なるネッラズーリのティフォージへ。あなた達のドラゴより大きな愛と喜びをこめて。

皆さんに挨拶するための、皆さんが僕に与えてくれた愛情、信頼、真心、すべてに対して感謝するためのふさわしい言葉を僕は見つけることはできないでしょう。

僕の人生の一番重要な10年でした。

その間に、まず僕は人間として、そして喜ばしいことにサッカー選手として成長したのです。

僕と僕の家族はモラッティ家に感謝しています。
特に、僕にインテルのユニフォームを着るチャンスを与えて下さった、モラッティ会長の名を挙げたいと思います。 このユニフォームに僕は愛情と、なによりもまず、このユニフォームを着て勝ち獲るべきものをすべて勝ち獲ったことに大きな名誉を感じています。

とても素晴らしい仲だった多くの方々がいます。このメッセージをもって皆さんに挨拶したいと思います。 たとえ名前を挙げなかったとしても、いつでも皆さんは僕の心に残るのです。

ここに初めて来た日のことを決して忘れることはないでしょう。あらゆる面で偉大な人だったジャチント・ファケッティ名誉会長と一緒の入団会見を決して忘れることはできない。 あの日の写真は僕の最も大切な思い出として胸に抱いています。

あの日、僕はネッラズーリとしての人生を始めたのでした。

もうインテルのユニフォームを着ないだろうと思うと、涙が出てきます。僕はいつでも誠実だったし、僕のこの涙も本物です。残念ながら、人生では前を向いて進まなくてはならないのです。 僕の人生と選手生活において僕がいつでもそうしてきたように、僕がプライドと大きな決断をもってそうするだろうと、僕のことを良く知る皆さんは分かってくれるでしょう。

ミラノでの年月、僕は偉大なサッカー選手達、なにより偉大な人々とプレイしました。改めて感謝の言葉を見つけるのは難しいことです。

僕はこの色を身に着ける名誉を感じていました。いつまでも僕の皮膚に染みついて、決して僕が消すことはできないし、誰にも消すことはできないでしょう。

愛をこめて

デヤン・スタンコヴィッチ





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