21PITANJE/Dragan Stojkovic

ピクシーに21の質問
「TEMPO」1643・29.12.1999.-5.1.2000.より


注意:以下は私、ゆずるが訳したものです。語学力のなさからの誤訳等はご容赦ください。
一応、ユーゴ、スロヴェニアの方に大意を訳して頂いたので、甚だしい誤訳はないと思います。
独特の言い回しで訳出不可能なものは割愛いたしました。
オリジナルの記事をお持ちの方で、間違いに気づいた方はご一報ください。



1.今年(1999年)はどんな年でしたか?
−スポーツではとても成功した年だった。特に代表においては。EURO2000の出場資格を得、マケドニアに勝ち、クロアチアよりも良い結果が残すことが出来た。
2.個人的には?
−個人的にも良い年だった。リーグで11ゴール、15アシスト。今シーズンの最多アシストであり、Jリーグのベストイレブンにも選ばれた。残念なことに名古屋はタイトルまであと一歩、あと半歩だったけれど。
3.家族については?
−良かった。子供たちは学校へ行っている。すべてOKだ。
4.新しい契約にサインしましたか?
−成功した一年の証明。クラブからの信頼の表われだと思う。ただひとつのクラブにこんなに長くいる外国人選手はいないだろう。
5.来年(2000年)は?
−あと一年、ちょうど来年の今頃、契約の終わる2000年の12月まで日本に留まる。タイトルとともに別れたい。5年半日本にいて、次の冬で6年半になる。最も美しい終わりになるといいね。
6.今のJリーグは?
−ここ数年は進歩し続けている。特に戦術面で。Jリーグのクラブは私が来た時よりも、とても良くなっている。そして日本代表は質が良くなっているし、先のワールドカップにも出場した。
7.日本にいるユーゴ人選手は?
−残っているのは少ない。浦和レッドダイヤモンズのジェリコ・ペトロヴィッチがいるが、浦和は今季J1から落ちてしまった。彼は怪我で1ヶ月プレイしていなかった。それが彼のチームのハンディとなった。 ネナド・マスロヴァルは私のように長く日本でプレイしていたが、今は福岡を離れてベオグラードに帰った。あとはJ2でプレイしているスロボダン・ドゥバイッチがいる。
8.未来のプランは?
−来年(2000年)は日本と代表でプレイする。夏にはEUROでプレイする。その後は代表から引退するつもり。その年の終わりには現役からも引退する。
9.その後は?
−わからない。キャリアが終わった時に、何もしないことだけわかっている。まず休みをとりたい。それからもう少し家族のことに専念したい。その後、サッカーが恋しくなったら、考えてみる。 どんなことがあってもサッカー界に残るが、何かの役職につくかはまだわからない。
10.皆は新しい代表監督になると噂していますが?
−その可能性はあるが、まだ現役である今はコメントできない。現役を引退した時にわかるだろう。
11.ズヴェズダ(レッドスター)のディレクターとして帰ることについては?
−約束はしていない。私についてそういうことが書かれることがよくあるが、現実的ではない。何故ならキャリアの終わった後は、子供たちが学校を終えるまでパリに住もうと思っている。 その役目をすることはパリからは難しいだろう。
12.ボシュコフの最近のコメントについては何か?
−私はプロだから、私の名前が騒ぎに巻き込まれることは望まない。今までのように何もなく最もきれいにキャリアを終えたい。ボシュコフが言ったことについては、私はコメントしたくない。 すべての監督、特にボシュコフは尊敬しているし、その決定は尊重する。でも(EUROで)プレイしないということはないと思う。
13.もし、それでもそれ(代表から外れる)が起こったら?
−何でもない。私は"プラーヴィ"と共にあり、EUROでの成功を願う。
14.EURO2000は期待できますか?
−トップに行くだろう。私達は素晴らしいチーム、輝かしい選手達を持っている。良い準備をすれば、トップへ進めるだろう。
15.優勝候補は?
−この頃はすべてのチームにチャンスがある。オランダはホームのアドヴァンテージがある。予選では良くなかったが、ドイツ、イングランドも素晴らしいチーム。 ワールドカップチャンピオンのフランス。素晴らしくプレイしたルーマニア、ポルトガル、スペイン、スカンディナビア諸国・・・。何が起きてもおかしくない。
16.1999年で最も素晴らしかったスポーツの出来事は?
−ザグレブ、10月9日、対クロアチア。私にとってこれ以上素晴らしいことはない。
17.最悪だったことは?
−特にない。Jリーグでの退場くらい。2枚目のイエローカードを受けた。何故なら審判は、私が彼に侮辱的な言葉を浴びせたと思ったから。 それは誤解で、あとで解ってもらえた。
18.1999年の最高の試合は?
−代表では、ホームとアウェイのマケドニア戦。スコピエでは前半45分プレイした後、不運なことに怪我をした。今でもその時の痛みを感じる。 日本ではいくつかの良い試合があった。でもユーゴのサッカーファンはそれを見る機会がない。
19.1999年の結果は?
−完全に満足している。コンディションも良かった。34歳でプレイを続け、新しい契約にもサインした。3回目のベストイレブンにも選ばれたことを誇りに思う。
20.来年(2000年)に望むことは?
−家族と、私達の国の人々に幸せを。他の国のように、普通の生活が始められるように。
21.新年はどこへ行きますか?
−まだわからない。けれども私達には天皇杯が待っている。もし名古屋が決勝まで行けば、その時は東京で新年を迎えるだろう。そうでなければ、家族とバリに行くだろう。

Thanks to Maja


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