INTERVJU

注:以下は私、ゆずるが訳したものです。誤訳、意訳等はご容赦ください。



Sinisa Mihajlovic

"Glas-javnosti" 11/12/2002

今月(12月)は休むことになる。トレーニング中に腿の裏に張りを感じて、すぐにピッチを出たのだけれど遅かった。 筋肉を伸ばしてしまって、今は毎日診療室に通っている。しかし、諦めてはいない。来年の初めには戻るだろう。 もしプラン通りに行けば、1月12日にはピッチに立てるよ。

・インテル戦の引き分けを忘れるのは大変なのでは?

観ている分には素晴らしい試合だったし、インテルにとってもそうだろうが、我々にとってはそうではない。 3点差のアドヴァンテージを落とすなんて、決してしてはいけない。言い訳できないよ。 我々は大きな勝ち点3を手にしていたが、1しか取れなかった。 まあ、それでも人生は続いていくものさ。

・お金がない、ということについては?

実際、長い間給料は受け取っていないが、それでも我々は力の全てを尽くしているし、上手くいっている。 今はそうだが、いつまでかはわからないな。今は雰囲気も良いし、我々について皆はお伽話といっているが、それを壊す気もないよ。

・いつまで我慢できるのでしょうか?GKのペルッツィがクラニョッティ会長に宛てた手紙を読みましたが。

そう、訴えることについては話し合ったよ。しかし、それは最終的な手段だ。まず最初に、もし裁判にもちこめば金が戻ってくるのはわかっている。 次に、クラニョッティはチームのオーナーに値しない。 そして基本的なことだが、今訴えようが、6月に訴えようが、違いはないということだ。 どんな時も、我々は最大限にプロシェッショナルに振る舞い、耐えている。何故なら、クラブの事情がどんなものか気づいているからね。 ラツィオはそれでも、我々すべての上にあるのだから。

・EURO2004予選について

アゼルバイジャン戦は累積警告で出場できないが、ウェイルズ戦への用意はできている。ウェイルズはとても危険なライバルであり、 異常に速い選手達がいるが、ベオグラードでは我々は勝たなくてはならない。
多くを考えることはない。一歩一歩、歩いていかなくてはならないということははっきりしているし、最も重要なことは、 我々のホームでは全てのライバルに勝たねばならないということだ。



"Spotal.it" 28/10/2002

ズヴェズダとの試合は私にとって、心の痛手となるだろう。信じられないくらいの感情がある。
彼らと共に、インターコンチネンタル・カップ(トヨタカップ)、欧州チャンピオンズ・カップ、2度のリーグタイトルを 勝ち取ったのだから。

私は小さい頃からズヴェズダのサポーターだったし、私の心のチームだ。
ベオグラードから150q離れた所(ヴコヴァル)に住んでいて、ヴォイヴォディナでプレイし、1991年にズヴェズダに入団した。 クラブは、当時記録的な額の移籍金を払い、高額の報酬を私に与えてくれた。それから、マンションと車も。 ズヴェズダで過ごした時が、私の人生で一番美しい年だったと言えるだろう。

バルカン半島の戦争中に、イタリアで暮らしていくことは、辛いことだった。
サッカーは世界で一番美しいものだが、平穏なことばかりではない。
当時、私はなにがあってもプレイした。なぜなら私はプロフェッショナルなのだから。しかし、気分は悪かったし、辛かった。 もし私が独身で、妻や子供達への愛情が無かったなら、イタリアを離れてユーゴスラヴィアに帰っただろう。

私のことはマンチーニの手の中にあり、彼がどのような選択をするのかはわからないが、感情的には(ズヴェズダとの試合は)プレイしなければ良いと思う。 このような混乱した気持が起きたのは初めてだ。
ズヴェズダとは決勝で対戦したかったが、残念ながら、そのようには行かなかったね。




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