INTERVJU

注:以下は私、ゆずるが訳したものです。誤訳、意訳等はご容赦ください。



Ognjenovic "SETE US EL ULTIMO TREN; Y SI LO PIERDO, ADIOS"
"AS" 20/01/2002

ペリツァ・オグニェノヴィッチはやり直す。レアル・マドリーでの3年間は苦難に満ちたものだった。 3年半の後、彼はカイザースラウテルンと契約する。彼の若さは、彼を楽天的にさせている。

悪夢は終わったのだろうか?

悪夢は終わったのだと思いたい。なぜなら、レアル・マドリーでの日々はまさしく悪夢だったから。 どのくらいの時間プレイしなかったのか、もう覚えていない。カイザースラウテルンでは、すべてが変わるだろうと期待している。

昨年の8月からチームを離れていた。

8月7日にレアル・マドリーとの契約清算書にサインをした。僕は3年間でマドリーの選手として、20試合しか出場していなかった。

レアル・マドリーとの契約を後悔している?

そう、僕は何度も、なぜレアル・マドリーと契約してしまったのだろうと考えた。確かに、とても素晴らしい歴史をもつクラブでプレイすることに、幻想を抱いてしまった。 最高の選択だと思ったけれど、もちろん、失敗だった。もし、これとは反対のことを言ったなら、僕は嘘をついていることになる。

経済的にはどうだったのか?

もっと悪いよ。僕のもとに来ていたオファーの中で、最も金額が低かったのが、レアル・マドリーのものだった。 お金よりも、ユニフォームの魅力の方が重かったけれど、結局はユニフォームでもお金でもない。僕は3年の時と、大金を失ったよ。

エストレジャ・ロハ(ズヴェズダ)とユーゴスラヴィア代表では成功していたのに、なぜ?

初日から不運だった。3回目のトレーニングで怪我をした。今まで一度も怪我をしたことがなかったのに、レアル・マドリーに来て3日で背中を怪我したんだ。 50%しかトレーニングできないほどの痛みがあった。でも、僕に与えられた少ないチャンスをものにしようと思った。

キャリアの新しいステップに、望むことは何?

これが最後の列車だと思っている。もし乗らなかったら、困難は続いていっただろう。レアル・マドリーに来た時のレベルに戻るには、時間がかかるだろう。 ゼロから始めるようなものだから。やはり代表に復帰することを望むよ。レアル・マドリーと契約してから召集されていないけれど・・・。 すべては上手くいくと思う。スペインの諺にあるように、"Dios aprieta, pero no ahoga." ―どんなに辛い状態でも、常に望みは残っている。




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