ゴジラ  2000/5/13   

godzilla01.gif (23468 バイト)子供の頃、親父と映画を見に行くことは、おもちゃを買ってもらうこと以上に楽しみだった。暗闇と巨大なスクリーンに映し出される圧倒的な画像は、私の中の冒険心を執拗に煽った。四〜五つのころ生まれて初めて見た映画は今も覚えている。「ひょっこりひょうたん島」とディズニー映画「ラブ・パック」だった。ラブ・パックは人のように話たり歩いたりする車の話だ。私はラブ・パックと同じフォックス・ワーゲンのミニカーを購入し、片輪走行させたり話かけたりして毎日遊んだが、友人は誰も理解できなかった。そりゃ、映画をみていなければわからないことだ。

ゴジラの魅力に最初にとりつかれたのは、小学校に上がる前後の頃だったと思う。「怪獣大百科」を購入すると裏表紙に一枚のソノシートがついていた。この、セルロイド製のレコードには魅力的なショート・ストーリーが入っていた。それはゴジラはじめ、アンギラス・ラドンという人気怪獣が、富士山麓に終結して宇宙からの悪者キングギドラを倒すというものだった。AB面あわせて7〜8分のストーリーだったがそれだけで私は十分に興奮した。そして私は押し入れの中に友人達を閉じ込め、ソノシートをかけて雰囲気を出し、怪獣大百科に懐中電灯を当てて「どうだ、これが映画だ、ゴジラだ。」と一人でもりあがり、友人達にひたすら迷惑をかけたが、たしかに暗闇で見るゴジラは普通にみるよりはるかに魅惑的だった。

親父に連れられはじめて映画館でみたゴジラは「ゴジラ対モスラ」だった。南海の孤島インファント島に、東京で暴れるゴジラを倒して欲しいとお願いに行く話。やがて島の小人(ザ・ピーナッツ)が願いを聞き入れ、守り神のモスラを派遣するが、狂暴なゴジラの前に敗れ去る。悲しい話だったが私の中ではゴジラは怪獣王だったので、これでよかった。しかしこの話はこの後意外な転回を見せた。

まゆの中でモスラの幼虫がふ化し、誕生する。幼虫は親の敵をとりにゴジラに立ち向かう。しかしなんたって幼虫だ、何匹かは即死する。しかし、幼虫は生糸を吐き掛けゴジラをがけっぷちに追い込み、最後は崖から海中へゴジラを葬り去ってしまう。これは私にとって最もショッキングな出来事だった。完全無欠の怪獣王ゴジラが、初めてみた映画で、幼虫に負けてしまったのだ。帰りの車の中、親父は言葉少なだった。私がショックだったのを見て取ったのかもしれない。

「ゴジラ、見てきたぜ。」

「うそ。どうだった?」

「・・・・・・。」

「なんだよ、聞かせろよ。」

「・・・・・・。」 私には、言葉がなかった。

思えば、この負けたゴジラが私に世の不条理を教えたのかもしれない。ヒーローが正しくて、常に勝つ。こうした単純な幼児的価値観を私は頭から否定され、世の中の複雑さを体感した。大人になって世の中には割り切れないことがたくさんあり、十分に複雑であることを知る。子供達に夢や希望を持たせることが目的なら、ゴジラは勝ち続ければいい。しかし当時のゴジラは、負けたのだ。しかも幼虫に。僕らの夢や期待を真っ向から裏切ることを、当時のゴジラは平気でやったのだ。これが、凄かった。

ゴジラは大きくて、強くて、悲しくて、もろかった。幼子達に「思った通りにいかないことは多いのだよ。」と教えることができるのは、案外暗闇に映し出される魅惑の怪獣たちだけなのかもしれない。


ドラえもん 2000/5/15  

dorae.gif (11046 バイト)ここのとこノスタルジックな思い出を語ることが多い。歳食った証拠か?

小学館の「小学2年生」を私は幼稚園の頃から買っていた。理由は、一つは背伸びをしたかったからで、一つは連載の野球マンガ「カーブ君とドロップ君」がのっていたからで、もう一つは付録が小学一年生に比べずっと豪華だったからで、もう一つは「ドラえもん」が読みたかったからだ。草野球でピッチャーをやる子供にとって、カーブを投げるというのはまさしく夢のまた夢だった。カーブ君は少年のくせにカーブをがんがん投げ、相手をきりきりまいさせていた。まさしく野球少年のつぼをついたこのマンガを読んだ後、付録の「目が光る怪獣貯金箱」を組み立て、当時まだマイナーだったこのねこのロボットの話を読むのが私の最大の楽しみだった。

ドラえもんは私にとってスーパーマンだった。なんせ、突然未来の国からやって来て、勉強机の引き出しからひょっこり現れ、いじめっこ達をやっつけてしまい、またポケットから繰り出す未来の道具は魅力的なものばかりだった。私は口では「どこでもドア」が欲しいと言いながら、本当に欲しかったのは「呪いのカメラ」だった。それは写真を撮るとコロンと中から撮った人物の人形が出てきて、その人形通りにその人が操れると言う物凄い逸品で、ドラえもんは絶対に使ってはいけないと言いながらのび太に貸してしまうのだった。私は小学1年当時、いわゆるガキ大将で恐いものなしだったが、たった一人サッカーでボールのかわりに私の足を蹴って喜んでいた小学5年の足立というやつが憎くて仕方なく、この呪いのカメラで足立の人形を出し本当に殺してやろうと毎日考えていた。ドラえもんはいじめっ子をやっつけることができる想像上のスーパーマンで、こんな顔をしていながらも間違いなく頼れるヒーローでもあった。

小学2年のある日、ドラえもんがテレビアニメになることになった。それは、私がずっと夢みていたことで、その日が来るのを3ヶ月も前から待ち続けていた。当日、いつものように公園で草野球をしながら、6時になる前にどうやってその場を抜けようかと考えていると、6時前になぜか全員があっさり帰宅した。実はみんな、見たかったのだ。TVを付け、その瞬間を待った。そしてすべては、ドラえもんがブラウン管に姿を現した、その瞬間におこった。

「こんには、くドラえもんです。」

そのひしゃがれて、子どもじみ、ふざけた声は私のドラえもん観をすべてぶっ壊した。ドラえもんは私のヒーローだったのだ。ヒーローが、んには、くドラえもんです、はないだろう。大山のぶ代のばかげた声は最悪だった。冗談じゃないのだ。ある意味、ウルトラマンや仮面ライダーと同レベルだったドラえもんはその瞬間完全に地に落ちてしまった。当然それ以来アニメを見ることはなく、あれだけ燃えていた私のドラえもん熱はまったく冷めてしまった。しかし私の思いと反して、ドラえもんはその後空前の大ヒットをすることになる。私は今に至っても、TVでドラえもんが始まるとチャンネルを変える。裏切られた思い出はいつまでも忘れない。いつまでも、いつまでも・・・。


ワイドTV  2000/5/18

widetv.gif (16777 バイト)ずっと前から疑問に思っていたことだが・・・

これって、「横に長い」わけではなく、「縦に細い」だけなんだろ。

だから通常のTV画像をすべて映そうとすると、つぶれた感じで映り、普通に映すと、上下がカットされる。映像ソース自体がこのサイズで来ない限り、どうしたって無理が出るのがこのTVだ。しかしソースはいつまでたっても従来のままだ。ビデオだって、TVだって、衛星でさえ。

このテレビ、意味が無い。しかしえらく売れているらしい。いったいなぜだ?・・・いや、けちをつけているわけではないのだ。縦横比3:4の通常のTVでは見れない画像がこれなら見えるというのなら話はわかるが、画像をカットしてまで見る必要がいったいどこにあるのか・・・本当にわからないのだ。

どう考えてもお間抜けだ・・・これは言ってはいけないことなのだろうか、それとも私の考えにどこか落度があるのか・・・いや・・・1990年代の最珍商品はこのワイドTVに違いない。

あの・・・持っている人、ごめんなさい。しかし・・・間違ってますか?意見下さい。  どうぞ。


ブリトニー   2000/5/25

britney.gif (22839 バイト)ブリトニー・スピアズを称して「アメリカの宇多田ヒカル」と称したのは面白いね。そうしたらビル・クリントンは「アメリカの森喜朗」で、ジミー・ソーサーは「アメリカの松井秀喜」かい。それくらい思い切って呼んだってバチはあたらないね。

世の中ちっとは日本中心に考えたっていいじゃないか。しかし・・・

ああ、今日は書くこと無いや。暑くなってきたし、さ、仕事行こ。

 


神の国  2000・5・27

torii2.jpg (11617 バイト)神社はお参りするところというより、遊び場だった。

広場は他にもあったのだが、近所にあった神明社は遊び場に最も適していた。なぜなら神明社の周りに人が住んでいたからだった。田舎だから神社の周りに民家が集まり、私の集落はお宮のすぐ西にあったのでその名もずばり「宮西」という。ちなみに神明社の隣りにかわいい子が住んでいたがその子の名は「宮」といった。まあ、どうでもいいがどこのわんぱくどもも、空き地で遊ぼうとはせず、邪魔な灯篭がいくつも立っているのもものともしないでわざわざお宮さんの庭で草野球に興じていたのだ。お宮さんにはそういうわけで不思議と人が集まった。

境内の柱には「土足厳禁」と書かれていたが靴を脱ぐやつは誰もいなかった。床が真っ平らでめんこに適していたので私たちはよく境内で遊んだが、私は神棚に近付くことはなかった。土足でこんなことしていつか神様に怒られそうな気がしていたのだ。平気で神棚に続く階段に腰掛けているやつがいたが、そいつにはいつか罰があたると思っていた。

大晦日の夜になると神明社には火が焚かれ、初詣にやってくる人が周りで立ち話をはじめる。伊勢神宮や熱田神宮に初詣に行く人々もいたが、我が家は毎年この神明社だった。しかしどう考えても、誰が祭られているのかよくしらないが、遠くの神様より近所のこの神様に詣でるのが筋だと子どものころから思っていた。それに、大晦日の夜、このお宮で好きな女の娘と会えるかも知れないという期待が私を神明社に向かわせていたのだ。

さて・・・

「日本は天皇を中心とした神の国」という総理の発言が注目されている。これは「失言」と言われ、「口は災いの元」などと批判する人もいるが、まずここで私が思うのは、森総理ははっきりさせたかったのではないかということだ。どうしたって一国の総理だ。ついうっかりこんなことを言ってしまったとはどうしても思えない。いや、もしうっかり言ってしまったのなら彼は本当にそう思っているということだ。

「口が軽い」だのなんだの森総理の発言をバッシングし、支持率の低下と結び付けるマスコミが多いが私は違うと思う。少なくとも私は来る日も来る日も神社で遊び、正月には初詣し、「神様、なにかいいことありますように。」なんて祈っていた人間だ。日本が「神の国」であってもなんら問題はないし神はいると思っている。まあ話が長くなるから書かないけど、正確に言えば私には、神がいると考えた方が世の中わかりやすいのだ。だが「天皇中心」となるとどうなのだろう。日本の神の中心がなぜ天皇なのかがよくわからない。

私はそこを森総理に聞きたいのだ。なぜ天皇中心なのか、歴史的にでも倫理的にでもなんでもいい、説明がききたいね。単に謝罪を要求するだけの風潮をどうしてすぐに作ってしまうのか、靖国神社の問題でもなんでも結論だけすぐに要求するのは本当に間違っていると思う。この機会に考えてみればいいのだ。神不在の世の中はやはりせちがらいぜ、森さん、今日謝罪すると言うけど、そんなに簡単に誤るなよ、俺は、神はいると思っているし、国民の誰もが神頼みに神社を訪れているんだぜ。せっかく総理にまでなったんだろう、言いたいこと言って、歴史に名を刻んだら?


神の国(2)  2000/5/30

asahi1.jpg (2362 バイト)asahi2.jpg (4437 バイト)こら、朝日新聞!

あのな、そりゃやりすぎだぜ。5/30朝刊、まず一面で、asahi3.jpg (3495 バイト)とたたき、「神の国影響不支持62%」「記録的不人気」そして2面では「この数字を直視せよ」とのタイトルで社説をぶちまけ、続いて3面では「首相釈明歯止めならず。」「森隠し着々進行」 4面じゃあ「影落とす神の国発言」「首相の資質に審判を」 読者投稿の一発目は「誤解などせず、怒っています」と神の国発言批判、目の敵とばかりにまあなんとも力をいれて森発言をたたくことたたくこと。

そこまで女々しく世論を味方につけたふりして書きまくるなら、私も言ってやろうじゃないか。

私は森総理の「神の国」発言を全面的に支持する。19%の一人として。理由は次の通りである。

日本の国は今、幼い子を9年間監禁する青年がいて、子供が子供から5千万円恐喝し、17歳が包丁でバスジャックし、警察が賭博に興じ図書券だからいいだろうと言い張るとんでもない世の中だ。近所からこわいおじさんは消え、学校から体罰は消え、ゆとり教育は子供に身勝手さを与え、就職率は落ち社会に属することを望まない若者が増え、信じるものをもたずフラフラすることを良しとする風潮だ。

そんな世の中に向けて、森総理はお詫びの会見でいいことを言っているのだ。まず、ちょっと長いが、是非読んでほしい。

「懇談会におきまして、私が一番申し上げたかったことは、少年が相次いで人の命を軽視するような事件を引き起こしている中で、人の命の大切さへの理解や、宗教的な情操を深める教育が大切であるということを申し上げたかったからでございます。
私は懇談会の席で、人の命はお父さんやお母さんからいただいたものには間違いありません。しかし、もっと端的に言えば、神様からいただいたものであり、いただいた命は自分の命としても大切にしなければならないし、同様に、人様の命もあやめてはいけない、そのことを基本にしないといけないということを、私は強くお話を申し上げたわけです。

私が幼かった時代は、祖父母あるいは父や母との触れ合いや、地域社会での暮らしの中で、さまざまなことを教わりました。食べ物や水などの自然な恵みを大切にし、人や生き物の命を尊ぶこと、そうしたことが家庭や地域社会におけるふだんの生活の中で、知らず知らずのうちに身についたような気がいたします。
私は、日本は古い歴史と伝統文化を有し、また、豊かな自然に恵まれた国であり、日本人はそうしたことを大切にしてきた国民であると思っています。
しかし、戦後の経済成長の中で、日本人は、物の豊かさに目を奪われて、命を大切にする心や、他人に対する思いやりの心や、日本の伝統文化を尊重するという、そうした心の大切さに対して、十分意をはらってこなかった面もあると思っております。 この点も含め、今後、教育改革について建設的な議論が積み重ねられていくためにも、私の発言の真意については、ぜひともご理解をいただきたいと思う次第でございます。」

神を敬い、自然や地域社会を大切にすること、それは重要なことだ。森総理のそうした思いが「神の国」発言を促した。総理は責任ある一人の大人として、日本社会に現在大きく欠落しているもの、「神=日本の精神」の重要性を説きたかったのだ。私はこの会見が無くても、十分総理のそうした思いを汲むことができた。私は人の言葉を聞く時は、その人の思いを聞くことが重要だと思う。それは相手が酔っ払いであれ、総理であれ同じことだ。

さて、

マスコミは「天皇を中心とした神の国」という言葉だけをとらえ、「国民主権、政教分離の憲法の原則に抵触する。」などと批判し朝日なんかは上記のとおり躍起になって非難している。おい、この神不在、精神不在の世の中で天皇が再び強権をふるい神道が国民を不幸に導くようなことが、森発言を発端として再び起こり得ると本当に思っているのか。それとも森総理が神道に基づき軍国主義を再び復活させるとあんたらビクついちゃってるのか。おまえら、心底臆病者か?

だいたいな、「象徴」なんて言葉はわかりにくくていかんのだ。思い余って「中心」と言ってしまっただけのことだろう。総理の弁解を聞けばそれくらいはわかる。なんでそんなことひとつわかってやれず、憲法抵触だ、あげくの果てに教育勅語まで持ち出すのだ。君ら人の話を聞くプロだろ。言葉の奥にある「思い」をなぜ汲み取ってやれないのか。果たして総理の説明をしっかり聞いているのか?それともあげあしとりか。ガキか。それともインテリ気取りのバカか。ああいいよ、俺はもう頭にきた。日本は天皇中心の神の国だ。わかりやすいじゃねえか。さあ、今日から人に迷惑かけるとバチがあたるぞ。自然を大切にしないと神様におこられるぞ。一生懸命働かないと仲間はずれになっちゃうぞ・・・へっへ、今日から古き良き時代の復活だ!


やられた!  2000/5/28

hunaki.jpg (4107 バイト)2000/5/26(金) その日DOT COOLはいつものように週末よろしく満席だった。PM11:30 ひととおりライブを終え、私はピアノからカウンターへもどった。汗をかいていた。演奏が熱かったせいもあるが、エアコンの調子が悪かったからだ。しかし、私はこころそこにあらず、だった。

「そろそろじゃないか?」

「うん、知り合いの店に電話してみるよ。」   受話器を取った。

「もしもし・・・あ、COOLです。あの、忙しいところすみません、あの、今日のですけど、どうでした・・・?テレ東、見れるんでしょ。」

「負けだ、負け。」  声は冷ややかだった。

「わかりました、どうも。」   ガシャン。彼も忙しい、細かくは聞けない。

なんてことだ、目の前が真っ暗になるとはこのことだ。やつには本当に誰も勝てないのか?弟たちはこのところ連続して敗北していたし、私は、今回こそはやってくれると思っていたのだ、実は。どうにもならない思いだ。ええい、次はな、桜庭なんかじゃだめだ、小川だ、小川!お前しかいない。あの、橋本を睨んだ狂った目をやつに見せてやれ。STO10連発で失神KOだ。もう、殺っちゃえ、殺ってしまえ、誰か・・・やってくれい。

何の話?という人、ヒントはこちら。


男と女(3)  2000/6/2

ring.gif (5561 バイト)いつものようにいつものBARで、男と女の不思議な話。悪い悪いと知りながら深夜のいけない盗み聞き。

「ねえ、そういうことなの。」

「え?」

「だから、そういうことだったの?って聞いているのよ。今日は、はっきりしてよ。」

「一体、何のことなんだ?」

「とぼけないでよ。私とこうして会うということは・・・・・・その・・・そういうことだったのかって聞いているのよ。私はあなたに誘われて、こうして飲んだり、お食事したりすることは楽しいわ。良いレストランやBARもいっぱい教えてもらったし、感謝もしているのよ。でもこの半年間、最後はいつも・・・いつも・・・ああいうことになるじゃない。今日もそろそろそうするつもりなんでしょ。だから、そういうことだったのか?って聞いているのよ。

「・・・・・・」

「そうなのね。」

「違うよ。ちがうさあ。俺は君に会いたくて、電話して、食事して、飲んで・・・ただそういうことなんだよ。別にその・・・したいから会おうっていっているわけじゃあないんだ。わかってくれないかなあ。」

「わかんないわよ。そんなの。じゃあ今日はH抜きでいいのね。」

「だからさあ、その、お互い好きなら、自然にそうなるっていうかさあ、それでいいだろう?」

「ああそう、好きなの、へえわたしのことが好きなの?じゃあ今度昼間にもデートしてよ。海へ行ったり、ディズニーランドへ行ったりしようよ。してくれるのね。それなら私、何にも言わない。普通に付き合ってくれるならそれでいのよ。でも、あなた夜のお誘いばかりじゃない。そんなの見え見えよ。ねえ、どうなの。」

「・・・・・・」

「ねえ。」

「何?」

「無いのよ。」

「無い?」

「無いのよ、2ヶ月。どうする?」

「おっつ・・・おい。そりゃーーー。」

「しようよ。思う存分。もう大丈夫だからさあ、もうゴムなしでばんばんやろうよ。あなたはもう何も気にしなくていいのよ。これから3ヶ月やりたいだけやって、後は赤ん坊の面倒みてね。ああよかった。これで私も落ち着いたわ。」

「ちょ、ちょっと・・・・・・ちょっと待て。それは本、本当なのか?」

「うそよ。」

「・・・・・・」

「バイバイ。」   女は怒って店を出た。

さて、COOLの出番だ。

「まあ、そんなこともあらあな。プレーボーイもつらいねえ。」

「・・・・・・いや、違うんだ。俺、な、あんたどう思うか知らんが、あの女好きなんだ。なんというか、合うんだ、すべてが。今日、渡そうと思っていた。これ、指輪。あんたこれ、欲しい?」

そう、男と女の不思議な話。


サラリーマン必勝法  2000/6/4

shou.jpg (11277 バイト)私はコンピュータの営業マンだったころは、まあそれなりに会社のために働いたと思っているが、自慢なのは会社から退社する時刻がめっぽう早かったことだった。左記は平成7年度に営業部からいただいた「利益賞」の表彰状だが、その一文に「夕方気付くとすでにいませんでした。」とある。普通こんな文句を表彰状に書くか?と思ったが今になってみればちゃめっけのある会社だったということか?

さて、その私が、今日はサラリーマン必勝法と題して、ひたすら会社から早く帰ることができる方法を伝授する。COOLが贈るサラリーマン応援歌だ。さあ会社なんか早く切り上げて、DOTCOOLでゆっくり飲もうじゃないか。いいかい、仕事でドつぼにはまったあなたが、そこから切り抜けるにはどうすればよいか、必勝策を教えてあげるね。

1)責任は、とる。

帰社が遅れる原因の一つは定時後の会議である。定時後であるので無駄な時間を使っているという意識が少なく、だらだらと行われることも多い。そして例えば、失敗したプロジェクトの建て直しの会議などは後ろ向きな会議であるため、多くは定時後の無制限デスマッチの様相を呈し、たいがいは無駄な時間を費やしている。

しかし、この手の会議のポイントはたった一つなのだ。いかにこれを立て直すか話合っているようににも見える。しかし本質は違う。

だれが、この失敗の責任をとるか、だ。

みんな責任を逃れたいから、弁舌をふるい、なんとかなにも回ってこないようにしようとがんばる。結果帰社が遅れる。

いいですか、ここでのポイントは、「取れる責任は片っ端からみんなとってしまえ!」だ。

「あ、それも私が責任を取ります、大丈夫です。あ、それは・・・私が責任をとります、まかせてください!」要は、逃げようとするな、ということだ。いわれのないもので無い限り、どんどん責任をとって話を先へ進めるのだ。そして早く帰ろう。

え・・・そんなことをして一介の平社員が本当に責任とれるのかって?・・・・・・・・とれるわけがないのだ。そこにこの話の「みそ」がある。

平社員のとった責任は当然その課長の責任であり、部長の責任だ。しかし会議における決定事項は絶対だ。次の日にすべてを話してそちらへ責任をなすりつければいい。出席しなかった管理職が悪いのだ。いや出席していてもこのカラクリにきづかず、後から「なぜこんなことになったのだろう?」と首をひねる管理職も多かった。とるべき人に責任をとらせ、動くべき人を動かす。それが会社だし、これは別に普通のことなのだ。ただ、いつまでも徒労な会議を続けるのは無駄だ。会社を機能させて、早く帰ってしまおう。

2)問題の中心に、いる。

仕事が早いから、早く帰れるわけではない。仕事をする、から早く帰ることができる。対して、仕事をさせられていると、大体は早く帰ることができなくなる。決して下っ端だからとあきらめないこと。

仕事をさせられないためには、問題の中心に自分を置くことだ。何かのプロジェクトがあれば、必ずその中心に自分がいること、大きな失敗の事後処理にしてもなるべくその問題の中心に自分を位置させることが望ましい。問題の端にいて、少しでもそこから逃げようとしているとかえって押し付けられる仕事は山ほど増えるものだ。中心に位置して、どんどん仕切る。相手が課長だろうが部長だろうが関係ない。どんどん仕事をふって、早く帰るのだ。僕は下っ端だし、会社の一員だし、来る仕事をやるだけですから・・・なんて考えていると、「そのとおりだよ、ほうら仕事仕事。」と鬼のように仕事はやってくる。無限地獄に陥るやつはその手の謙虚な人に多い。生意気で、おっかないやつにはいわれの無い仕事が回ることは少ない。

3)問題は、大騒ぎする。

ちょっとした問題が発生しても、決して一人でなんとかしようとしてはいけない。案外それは会社の根幹にかかわる大問題の兆候である場合が多いのだ。この会社のこのやり方では、しかるべくして発生した問題である場合が多い。そんなものを一個人が抱えてはならない。

どんなことでも、とりあえず大騒ぎするのだ。「いやまいったなこりゃ大変なことだ、どうしましょう私じゃどうにもならんですわ課長、ほっといちゃまずいですよこりゃ大問題だ・・・会社もこんなことがおこっていちゃあまずよなあ一大事だ、なんとかしてくれやばいよやばいよ・・・・・・・。」と創立以来の会社の一大事くらいに騒ぎまくるのが正しいやり方。そうすりゃみんながよってくる。一人でも多くの人間を巻き込む。そして自分が問題の中心なのだから後は課長と2人3脚で仕事を振りまくるのだ。どんなことだって会社のためにやっていることだ。問題はみんなで解決する必要がある。かくさないで大騒ぎ。そしたらその後みんなで一杯やればいいのさ。会社も楽しくやらなきゃ。

まあいきなりそうしようとしても無理かもしれない。しかしそう考えて行動するとしないとでは半年間くらいの間に相当な差が開く。えらそうに語ったが、的を得ているところも多いと思う。ちっと役にたったら、まあ帰社が早かった分、ちっとDOTCOOLで多めに飲んでくれや。


How to live   2000/6/9

howto.jpg (4250 バイト)起きると、11時だった。

コンビニへ行き、パンと朝刊を買う。新聞はとるとたまってしまって処分に困るので絶対にとらない。読みたい時に買いにいく。どうせ気ままな商売だ、新聞を読む時間くらいいくらでもあるさ。それにしても江藤と松井がアベックホームランを打ってなんで巨人が負けるのだ?朝からイラつく。

パソコンにむかってHPを更新する。昨日の夜中に書いたそのネタは同じく昨日店で暇な時間にメモったものだ。「いったい何人の人がこのネタを読んでくれるのだろう、どんな感想をもっているのだろう。」そんなことを考えながら更新する。まあ、私はインターネットがこの世に現れたことで救われた者の一人なのだ。もの書きにあこがれていたし、本を出そうとしたらそれは大変なことだ。こうして活字を打って載っけておけば読んでくれるのならそいつは楽だ。私は今ジャズの他に、こんなことにはまっている。まあインターネットどうあれ、こうして文章を書くことだけでも自分に向い合える時間ができていい。

PM3:00ピアノの練習がしたいから少し早めに出勤する。ああ、うまくならんなあ、まあ理由は簡単だ。練習時間が足りないのだ。私もなまけものだ、せっかく時間があるのだから無駄に過ごさないで練習すればいいのだ。疲れてソファーに横になる。コーヒーを飲みながら、本を読みながら、ピアノを弾きながら、だらだらと仕事が始まる前の時間を過ごす。

仕事は暇だった。しゃべって飲んでいたらいつものように終った。

帰宅する。ビデオでも見るか。それにしてもERはいくら見ても終らない。ようやく3シーズンの8巻まで終った。まだ4シーズンがそのまま残っている。ああこいつら精一杯生きていていいなあ・・・・・・知らない間に私は眠っていた。

 

 

・・・・・・×7で一週間

・・・・・・×365で一年間

私の生活は本当にこんなものだ。これ以上でも、以下でもない。

「ねえ、たからくじ当たったらどうしようか、2億だぞ2億。どうする。世界中を豪遊して楽しくやろうぜ、店にも山ほどボトルいれてやるよ。」

「こんどな、店頭公開するんだ。株買ってくれよ。10倍だぞ、10倍。大もうけだ、やってみろよ。今度資料もってくるよ。」

「人生には、『ここ』という勝負どころがある。そこで自分のすべての力を集中することが出来るかが人の価値を決めるな。のんべんだらりと生きているのは家畜と同じだ。おまえも家畜にならんようがんばれよ。」

・・・・・・

そんな話は私には無関係だ。私の知らないところで勝手に始まって、誰かが傷つき、誰かが喜び、そして勝手に終ってくれ。当たり前の日常生活の中に、私のすべてがある、それでいい。


ジャズは・・・   2000/6/10

kango2.jpg (4263 バイト)別に、そこにヤクザがいようが、kango1.jpg (3236 バイト)                                                                                    

ジャンキーがへたれていようが、

おじさんおばさんが醜いチークを踊っていようが、ピアノを弾くにためらいはない。

しかし・・・

左のように歓待されると、さすがにやりにくいのだ。

看護学校の視聴覚教室でLIVEをやった時の壁かざりだ。いっそのことハナガミで作ったお花がまわりを彩っていると良かったかな。

SAXの I 氏は缶ビールを教室へ持ち込んで、管理の先生からえらくおこられていた。俺達の常識はここの非常識だ。

 

・・・あ、でも楽しかったよ。なんたって、看護学校なのだ。そうそう入れるところじゃないさ。


10年前の登校拒否  2000/6/15

kogal.jpg (4446 バイト)10年前の登校拒否児も、今では25歳、立派な大人だ。当時の苦い思い出話。

 

「例えばさあ、修学旅行に行きたくないのよ。そうすると学校休んじゃうんだなあ、一週間くらい。」

「なぜ行きたくないの?」

「・・・・・・ほら・・・そうやって聞くのよ、誰も彼もが。100人が100人そう聞くわ。担任なんて家まで押しかけてもう大変よ。どうして行きたくないかって、そんなもん理由なんてあるわけないのよ・・・だって考えてみてよ、あなただって私が『今週末、京都奈良へ神社仏閣を見に連れてってよ』って言い出したら断るでしょ。子供だって同じ、行きたくないものは行きたくないのよ。本当に理由なんてない、ただ行きたくないだけだし、行かないためには学校を休んでしまうのが一番手っ取り早いと考えるだけなの。」

「ほう・・・。」

「そうするとね、担任がお家まで押しかけてきて、大変な騒ぎになるの。『なにか言えない理由でもあるのか?』とか、『いじめにあっているのか?』とか、『勉強がついていけなくて困っているのか?』とか、全然見当はずれのことを事細かに聞き出そうとするわけ。あんまりひつこいから頭にきたりするんだけど、先生も一生懸命だし、そうするとさあ子供は子供なりに、『迷惑かけちゃいかんなあ。』と考えるのよ。だって、理由なんかなんにもありませんじゃあ通らないことぐらい私にだってわかるわよ。でも、先生の言うことは全くの的外れだから肯くわけにもいかないし、結果としてちょっといけない子のふりをして、アンニュイな雰囲気をただよわせたりして反抗して、大人をなんとか納得させようとするのよね。」

「それで、修学旅行には行ったのかい。」

「行った。」

「どうだった?」

「そりゃあもうつまらなかったわよ。あれは金閣だったか銀閣だったか、どっちでもいいけど見てるうちにホントに帰りたくなって、集団はずれてバス停で並んでいたの。ああ、ここに並んでいれば帰れるのかなあと思って。そしたら先生に見つかって大問題になった。とにかくこんなのもういやだったのよ。理由なんてないわ、そういうの、わかるでしょ。」

「わかる。」

「それからさあ、教師というのは、ホントにおしゃべりなのよ。」

「どういうこと?」

「高一のころなんだけどね、保健室って駆け込み寺みたいなところがあるじゃない。私も授業受けているのがなんとなくつらくなって保健室へ駆け込んだの。保健の先生は女の人で親身になってくれて、『私の胸にとどめておいてあげるから全部話しなさい』って言うのよ。私は思わず自分のこと全部話したわ。学校をやめちゃいたいこと、家にも学校にも居場所がないこと・・・全部話したら泣けてきちゃって、先生もとても一生懸命聞いてくれるから私うれしくて、とてもすっきりしてその時はお家に帰ったの。そうしたらさあ・・・。」

「うん。」

「次の日授業が始まる前から私職員室に呼び出されたの。そしたら担任から校長からみんな出てきちゃって『どうしたんだ?』『なにか悩み事でもかかえているのか?』『人に言えないことでもなんでも話してみなさい。』・・・・・・おい、この、ぺらぺらしゃべるなよまったく・・・私の胸だけって昨日言ったばかりじゃないか・・・と思っていると『ごめんなさい、私の胸だけにとどめておくことができなかったの・・・』なんて言うのよ。もう、こういうホントに基本的な約束を守ってくれないから先生は信用できなかった。もう何も話すわけにいかない。こう大事になってくると子供ってとても追い込まれて行くんだよね、このまま学校やめちゃうのが自然な感じかなあって思えてくる。それで・・・。」

「うん。」

「放課後ゆっくり話そうといわれて、誰もいない3階の教室で外を眺めながら先生を待っていたわ。見下ろすと新緑がまぶしいくらいで、部活でランニングしている人たちが見える。小鳥も鳴いて、野球部の掛け声も聞こえてきて、私には関係のない世界がさわやかに眼下に広がっている・・・じっとみつめているとね、ほんとうに学校やめようと思いはじめたの。これは私のいる場所じゃない。しばらくするとね、校長先生が現れた。キリスト教の学校だったからさあ、先生は聖書の一節なんか使ったりして私を説得するの、まったくくだらない、そう、ほんとにバカじゃないかこいつと思ったわ。私のことわかる、わからない以前に、もうなにもかもが私と無関係なものに思えてきた。このままやめてしまうのが一番自然だし、よくはわからないけど私のいるべき場所はこの小さな世界の向こう側にきっとあるはずだという確信を持ってしまった。そして、一ヶ月後ほんとうに高校をやめてしまったわ・・・。」

「なるほど・・・しかし・・・。」

「なあに。」

「なんで修学旅行、行きたくなかったんだ?ほんとは。」


主催するということ    2000/6/21

tenngmiki.jpg (11392 バイト)主催するとはどういうことか。ちょっと考えてみよう。

 

ちょっと応援したいアーティストがいるとする。その人のためにライブを開いてあげよう。チケットはお客様が来てもらいやすいように、4,000円にしてあげようかな。定員は230人か。ようし、頑張って売るぞ...。

会場費に15万円・・・チケット38枚分

PA、照明代に15万円・・・チケット38枚分

ギャラは40万円(交通費込み)・・・チケット100枚分

宿泊費に9000円×4人で36,000円・・・チケット9枚分

弁当代や当日の何やかんや8,000円・・・チケット2枚分

打ち上げは若干経費で20,000円・・・チケット5枚分

スタッフ打ち合せのための駐車場代やなんやかんや38,000円・・・チケット9枚分

 

これですべてか?いやいや、日本の国は甘くないぞ。

ギャラにかかる税金が44,444円・・・チケット11枚分

日本著作権協会へ支払い48,000円・・・チケット12枚分

 

さて合計すると、224枚分はただ働きかい?なんてこったい超満員でとんとんのライブってことかい。おういちっと文句いわせてくれよう。なんで俺たちゃこんな苦労してライブ主催しているんかしら?それにしても静岡ジャズ愛好会、よくやっているよ、まったく、みなさんごくろうさん。


白紙投票   2000/6/27

vote.gif (12793 バイト)衆議院選挙。

最近はすっかりあきらめぎみだ。だいたい自公保ってなんなんだ?そんな与党が存在しちまっていいのかまったく。これで安定多数取れなければ更に自公保民とか自自公民とかよくわからんが適当にくっついて与党を作る気なのか?

あほくさ。こんなもん日本は本当に何もかわらんぞ。

・・・

選挙会場に来てしまった。国民主権を否定する気にだけはどうしてもなれんからだ。

投票用紙がある。今回は白紙投票か・・・意味ねえなあ。

・・・

・・・

・・・

俺の名前を書いてやろう。それが一番納得できる。俺にやらせろ、このやろ。


集合写真   2000/6/29

はい、チーズ!

「ちょっと、」

「なに・・・」

「あなたの・・・あたるのよ、もうちょっと腰ひっこめてよおねがいだから。」

「あら、私は何も感じないわ。COOLさん腰突き出していいわよ、もう少し。」

「腰突き出せって、お前と火遊びしたくないよ。」

「あら、心外ね。私のは火遊びじゃないわよ。お・み・ず・あ・そ・び、違うのよ。」

「おい、COOL,お前は誰の挑戦でも受けるんじゃあなかったのかい。」

「まあ、それは猪木から学んだことだな。」

「じゃあ、誰とでも寝るのね。」

「・・・・・・アホ。」

カシャ!


ストリート・ジャズ・イン・静岡 2000    2000/7/3

odamaki.jpg (9684 バイト)我がストリートジャズも今年で第8回目を迎える。本当によく続いたもんだ。

「みんなの心が一つになって・・・」とか、「ミュージシャンの熱いハートが・・・」とか、そんな台詞は本当に使い回されたものであるけれども、このイベントをやっていると、あながちそういう言葉は間違っていないぞと言うことに気付く。

会を成功させようとがんばるスタッフの心は、やっぱりみんな一つになっているし、ミュージシャンの演奏は毎回熱く燃えたぎっている。演奏を聴けばそれは本当によくわかる。

そして今回にいたっては全部で21バンドのエントリーとなった。2日間にわたるお祭り・・・まったくすごいことだ。一番最初、大間という山奥の村でジャズフェスをやりだした時なんか5バンドを集めるのがやっとだった。今回は涙を飲んで出場を辞退してもらったバンドさえある。我々は本当に恵まれていると思う。我々の手で、こうした素晴らしいお祭りが企画できるのだ。

バンドを決定するにあたっても、面白いやりとりも多々あった。例えばこんなのも・・・。私の好きなピアニストのバンドだ。

「それでさあ、どんなのやるの?今回は?」

「ジャズ・・・かな?」

「かな?・・・ってジャズでは無いかもしれないの?」

「・・・・・・ジャズフュージョンっていうかさあ、えっと・・・。」

なんだそれは?

「でも、4ビートやるんだろう?」

「まあ、4ビートでも・・・ある。でもチキチキって感じの・・・」

「チキチキ?」

16ビ・・・・・・かな、そんな感じ。」

・・・・・・

いや、いいよ。あんたがやるなら俺はとやかくいわないよ、そりゃ。


落書き  2000/7/4

newyork.gif (33664 バイト)はじめてのニューヨークは8年前だった。

おりしもN・Yは大寒波に襲われ、マイナス20度は鼻毛も凍るとんでもない寒さだった。

右も左もわからず、地下鉄に乗ろうと階段をおりると壁の落書きが目に入った。

”HAVE  A  NICE  DAY!”

どうしろってんだ、鼻水が凍ってつららになっているってのによう。

 

しかし次の日、同じように階段をおりると・・・・・・はは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”HAVE  A       ICE   DAY!”