1998・10・13

10/13 いやいや、まったく。

こんどは終末に史上最大の台風到来ですか。まいったなあ。水商売てやっぱり雨は大敵ですよ。8月、9月と午後6時くらいになると必ずぽつぽつとくる毎日、売り上げにばしっと反映。そんな中店に遊びに来ていただいた皆様、本当にありがとうございました。

最近はヨーロッパ旅日記を中心に更新しています。イタリア編、モロッコ編とパラレルで書き進めていますが、なんだ、テキストものか、といわずひとつお読み下さい。皆さんの旅のお話も店で聞かせていただけるとうれしいなあ。

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HARUKA 誕生 1998・10・23

 

新ボーカル誕生!

先週行われました浜松ジャズデイにおいてひとりの新人がデビュー致しました。

HARUKA(?歳)

デビューコンサートだというのに化粧化のないオーバーオール姿で登場。観客の方々よりもバックのメンバーの方があっけに取られている中、バードランドの子守り歌、アイム ビギニング ツウ シー ザライトの2曲を熱唱。歌い終わったあともサインの練習もことかかない彼女にはただならない才能を感じました。

ところで今更ながらジャズは面白いですね。秋の夜長にはたまにはテレビを消して、じっくりジャズにでも耳をかたむけてみましょうか。

関連:オリジナル・カクテル

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生と死 1998・10・27

生と死のポイント(群馬県水上村)

10/23 それは、今年の5月、ゴールデンウイークにおこった本当の話。

私は土曜日の夜の長い営業を終え、店で仮眠をとった。

目覚めるとそこは群馬県の水上温泉郷。私は3人の仲間に利根川の上流へとつれてこられたのであった。超インドア派の私は、休日は家でごろごろを至福としているが、温泉郷ならまあいいか。

あまかった。

彼らの目的はラフティング(ボートによる川下り)にあった。オーストラリアの渓流等で流行しているこの川下りは日本ではこの利根川がメッカ、そしてこのゴ―ルデンウイークの頃が雪解け水も豊富で水量が多く、最高の時期ということだ。みんなに「いい時に来たねえ。最高だよ」といわれてわけもわからず喜んでいたのだが…。

ウエットスーツにライフジャケットを着込み、いざ川下りへ。オールの漕ぎ方を習い、最初は他のボートと水かけっこをしたり、自然の中でふざけあうのは楽しいことだった。8人のりの私のボートにはインストラクターが2人ものり、安全の面でも完璧のはずだった。ところが…。

行程のちょうど半ばあたり、急流ポイント(写真上)にさしかかった。前を行くボートが次々と、黄色い喚声と共に楽しげに通過していく。われわれも若干のスリルと共にポイントを通過していくはずだった。ところが…。

おりしも水量の豊富なこの時期、インストラクターは舵取りに失敗し、われわれのボートは岩に激突して、大転覆した。読者の皆さんはライフジャケットも着ているんだし、川で転覆したって大丈夫だろう、まったく大の大人が…と思うだろうがそれは大間違いなのだ。私も転覆した瞬間は転覆したボートにつかまり、これにつかまっていれば大丈夫だと確信していた。ところが上から降り注ぐ水の嵐。なんとライフジャケットなり川底へしずめられてしまう。泡の立っているポイントでは浮力が少なくなり、ライフジャケットを着込んでいてもなかなか体が浮いてこないのだ。おまけに渦の中心でもたもたした私は大量の水を飲んでしまっていた。水を飲むとどうなるかわかります?息ができないんですよ。はずみでなんどか川面に顔を出すことはできるのだが、そこで空気を吸うことができない。せいぜい口でパクパクやっているとまた頭の上から水がザブン!

いっしょに転覆したSさんが溺れている。

浮き袋がわりに彼女につかまれば…と一瞬考えたがそんなことをしたらそれこそ彼女が完全に溺れてしまう。最悪の判断だけは薄れゆく意識の中でも止めることができた。人殺しにはなりたくない。

「死にたくない。こんなところで死んでたまるか。」私は生に執着した。もがいた。

ラッキーだったのは、そこがつりのポイントだったため釣り人が大勢いたことだった。釣りのおじさんが岩の上から手を差し出してくれ、九死に一生を得た。岩の上に引き上げられた私はその後まったく動くことができなかった。体が鉛のようにおもかったのだ。「あれあれ…」

いっしょに溺れたはずの女の子たちはすでに立ち上がって、元気に他のメンバーを探していた。私は自分の体力のなさを痛感し、ジャグジーぶろを毛嫌いするほど泡を恐れる人間となってしまった。

いっしょに溺れたM氏は「もうこの辺で死んでもいいかなあ。疲れたしなあ」と死を意識して何もしなかったそうだ。そうしたら上手に川下に流されて助かったそうだ。私は釣り人の助けをかりなければ確実に死んでいた。生に執着してはいけないという仏教の教えが、ここに生きていると感じざるをえなかった。うーん。

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ジャズ喫茶 1998・10・27

旧あっしの店。今は「おはなし」という店

今日は、なつかしい話。10年以上も昔の話。

静岡に「あっしの店」というジャズ喫茶があった。泣く子もだまるジャズ喫茶として有名だった。

その店は七間町のとある角の地下に静かに存在していた。もちろん中は大音響だったが・・・。

まず、階段を下りていくと正面に看板がある。「商談等のご利用は固くお断りいたします。」言い換えれば私語厳禁ということだ。中へ入ると、椅子はほとんどが一人掛け、そしてすべての机には美しい一輪挿しの花がいけてあった。

JBLの巨大なスピーカーが2本、そして正面にはいったい何千枚あるのだろうか、ジャズのレコードが壁にぎっしりつめこまれている。大音響で鳴るジャズと無数のレコード、それを背景にカウンターにたたずむ白ひげのマスターは、大学1年鼻たれの私にはまさしくジャズの化身に見えた。

私がジャズ研にいて、ピアノをやることは先輩の口からマスターにばれていた。というのはこの店はジャズを志す人間とそうでない人間とでは、マスターの態度が大きく違っていたのである。店としてはあるまじき行為だ。しかしその中で我々は鍛えられた。例えばこんなぐあいに…だ。

ココアを頼み、1時間半程じっくりレコードを聞き、勘定をしようとする。私はこの店の甘ったるいココアが好きだった。

「マスター、お勘定。」

「なに、もう帰るのか。」

そう言われると悔しくて、再びココアを注文、マスターのかけるレコードに耳を傾ける。

「マスター、お勘定!」

「なんだ、お前もう帰るのか。」

すでに入店後4時間を経過している。しかし若かった私には、マスターの「もう帰るのか。」が「おまえジャズやる気あるのか。」に聞こえる。悔しくて更にココアを注文、レコードに耳を傾ける。こうなりゃ意地だ。

マスターのポリシーは「聞け、聞け、聞け!」だ。ジャズは聞かなきゃわからない。下手に、レッド・ガーランドのブロックコードの完成度は・・・などとジャズ研出身者にありがちなジャズうんちくをたれようとすると、「おまえわかってんのか、聞け!」レッド・ガーランドを10枚連発だ。その間、決して店を出ることができない。

「マスター、お勘定!ほんとに。用事あるからさあ。」用事などないのだ。

「わかった。書いてけ。」と言われる。書いてけ?するとペンとノートを手渡される。今度はなんと今日聞いた曲の感想を書けというのだ。提出しないと店を出られない。一所懸命思いだしながら曲の感想を書く。すでに店内にお客は私一人だ。気分は宿題を忘れて居残りとなった小学生だ。いったい今は何時なのだろう。半分泪目となった私は、妙なホームシックに襲われながらそれでも何とか書きおわって提出する。「マスター、おやすみなさい。」

翌日、来店後最初に昨日のノートをチェックする。みごとに私の書いたことは朱で添削されていたのである。これがジャズ喫茶だ!

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SPAC 1998・10・29

私は酔っ払うとたちが悪くなるようだ。その日もそうだった。

営業をAM3:00に終了、すでにいい気分、かなりまわっていたが更にいい気分になりたくて居酒屋、「なまずとくらげ」へ。そいつと出会ったのはそこだった。

竹之内豊くりそつのその男は静かに冷酒を飲んでいた。役者。SPACという劇団に属しているという。しかし彼には悩みがあった。役を演ずるということに果たして意味があるのか。芝居は作ってこそ本当の意味があるのではないか。うーんいい問いかけだ。芸術を志すものにとって、これはぶつかるべくしてぶつかった壁であると思う。私だってピアノを弾くことより、曲を作ることに意味があると感じることもある。「だったら脚本書いてみれば。」私は何度も言い回しを変えては、この一言を彼に伝えようとしているうちに怒鳴り声となっていた。悪い癖だ。

3日後、約束通り彼の芝居を見に行った。日本平パークウエイの途中に昨年だったか、静岡県舞台芸術公園がオープンした。りっぱな屋外舞台と楕円堂と呼ばれる屋内舞台の両方を兼ね備えるこの贅沢な設備を、SPACは今のところほぼ独占して使用しているようだ。言い換えれば、静岡県民がその血税をもって、一所懸命に育てようとしているのがこのSPACだ。県民である我々の声援を受けて今後彼らは育っていくことだろう。ところで芝居の感想は…「わからん。」なにをやっているのか私にはさっぱりわからんのだ。タイトル「悲しい酒」副題「僕には君がわからない。君には僕がわからない。そうして僕らは、自分で自分がわからない。」なるほど、それなら私は言おう。「私は君らの芝居がわからない。」

脚本が難しすぎる。私は彼がなにを悩んでいるのかわかった気がした。あの脚本では、役者は自分が何をやっているのかわからないのではあるまいか。ところで、税金の使い道はわかりにくくなっていく一方である。私の払っている税金はいったいどこに消えてしまっているのだろう。声援を飛ばせないお芝居にいったいどれほどの価値があるというのか。私はわかりにくくなりつつある社会のの象徴がSPACであるように感じた。

掲示板にて公開討論を望む。特にSPAC関係者よろしく。

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