そうかなぁ 投稿者:mama  投稿日:01月24日(日)17時18分58秒

今日のトップページ スゴイ内容の様な気がするんですけど。

修行積んでるお坊さんは いないワケじゃないでしょ。
どの道にも極めようとしている人は存在しているはずだから。
JAZZの世界も同じでしょう?
もっとも 口ばかり偉そうなヤツのほうが多いとは思いますけどね。


いるのかなあ。 投稿者:COOL  投稿日:01月24日(日)19時06分47秒

いやいや、いるのかなあ。
会ったことないので、わからないのです。
悟りを体験して、解脱や涅槃や極楽浄土を、きちんと語れる日本人がいたら、
会ってみたい。
mamaさんはそういう人、しってますか?


さっさと裁判おわらせろっ 投稿者:会計人  投稿日:01月24日(日)23時36分31秒

おぉ、最近すっかり「社会派」ですね。
今度は宗教か・・・。
「できんボーイ、知ってる?」なんてのとはレベルが
違うなぁ。
日々これ修行。ん〜五体倒地っと。
意味不明の書き込みですまん。酔ってまーす。


(無題) 投稿者:渡辺 憲  投稿日:01月25日(月)19時16分55秒

相変わらずマニアックだな〜
近々乱入するのでよろしく!!


修行するピアニスト 投稿者:なかはし  投稿日:01月28日(木)11時38分44秒

仏教じゃないけど、修行っぽいことしながら、それを音楽に
取り入れている人を紹介します。
http://www.caravan.net/yayu/wong/index.html
CD2枚持ってますけど、私は2枚とも気に入ってます。


(無題) 投稿者:MOON  投稿日:01月26日(火)02時20分00秒

そうだなぁ・・・・。坊さんの意見には一理ある。僕もそう思いことあります。
でも、本当に修業している人とか、真面目にやっている人ほど、
あまり、表には出てこないし、現れてこないような気がします。
ネタになるから報道されるし、話題があるから興味の対象にされる。
たまたま、感動や影響を受けた人が公表することってありますよね。
その限られた情報量で僕らは考える。
それはそれで、当たり前のことだけれど、
本当に修業している人や真面目に取り組んでいる人ほど
周りの意見や考えに左右されないように気がします。
まあ、人目を気にする僕には、なかなか出来ませんけど・・・(笑)


どっかにいますよ。 投稿者:mama  投稿日:01月26日(火)10時41分10秒

修行を極めた人?私は 知りません。でも 日本のどこかにいるでしょう。
しっかり仏門に入った人は 俗世界との関わりなど持たないはずだから
私たち凡人の目に触れる事など 滅多にある事じゃないと思うなあ。
そんなお方が 私の目の前に現れたとしたら、私が何か変化をしてしまった
のでしょうね。 
極楽浄土に出向いたとか地獄に落ちそうになっているとか??


仏教 投稿者:COOL  投稿日:01月26日(火)14時21分03秒

うーんこの問題は語るのが難しい。しかし、私の意見を書きます。
確かに、出家修行をしている人達に会うのは難しいのかな。
しかし、彼らにとっても実際に、人の肉体の終わり、つまり、
俗世界のお葬式に出てきて、肉体と魂の分離の現場に立ち会うことは、
重要な修行であるはずだと思います。そこしか機会がないのだから。
実際に葬式には坊主がやってきて、なんやお経を唱えていきますけど、
今、魂はどこへ行こうとしているのかとか、人は死んだらどこへいくのか、とか、
本当に知りたいことはなかなか語ってくれないんだなあ。仏がいまそこに横たわっているというのに。
あんた修行の成果をここで発表してみい、といつも思うのです。
オウムの林郁夫が迷っていたのは、修行の質です。どんな修行をすれば真理に近付くことができるか、
迷っていたらオウムに行き着いた、そんな様に彼は語っています。
その手記の中には、一般的に言われているような、父権不在の社会の中で、初めて会った父親的存在が
アサハラであって、ついていったなどということは全く語られていなかった。彼には、オウムの修行が、
本当に本物に見えたらしいのです。真理に一番近いと。それがショックだった。
私だって、お葬式に現れる坊主がみんな適当にようわからんお経だけあげて帰られては、
あんた修行の方法がまちがっているんじゃないのかい。と言いたくなるのです。
また、宗教にスポットをあてて書くこともあると思います。政治、宗教の話は、
barでは御法度と言われますが、なんでかいね。どんどんやりましょう。


 

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