ハードボイルド1999   1999・1・19

glenf.jpg (3227 バイト)「あ、林さん、いらっしゃい、おつかれさま。」

仕事帰りにいつものBARへ寄る。

「グレンファークラスの12年、ロックでもらおう。」

「・・・・・・」

「どうかした?」

「どうかしたって、林さん。どうかしたんですか?」

そう、いつも私はこの店ではカクテルしか頼まない。そんな客がスコッチのシングル・モルトを頼めば普通のバーテンなら、なにかあったな、と思うだろう。

「いや、曇り硝子の向こうが風の街だったもんでね。」

「なんだ、テラオ、ですか、今日は。」

「とはずがたりの心が切なかった、ていうかさあ。」

「わかりますよ、お気持ち。」   ちっ、悟られたか・・・わかりの早いバーテンだな、相変わらず。

「孤独が好きなんだ、俺は。気にしないでいいよ。」

「・・・・・・」

要するに、店が暇で、今日はちょっと寂しくなってしまったのだ。いいなこの店、客入ってて。


反則技  1999・1・25

atom.gif (7087 バイト)猪木が新日マットにおいてチョークスリーパーで、橋本を絞め落とした。

インドが国際世論を無視して核実験を行った。

ドン・フライが関節技を極められそうにになったのでサミング(目潰し)と金的げりで切り抜けた。

北朝鮮がテポドンを日本海に向けてぶっぱなし、国際的に世論を撹乱した。

ジェラルド・ゴルドーは分が悪くなるとサミングや噛み付きで相手を攻撃し、試合それ自体を無効にしてしまう。

アメリカは日本に原爆を投下し、何十万という人間を一気に殺害したが、戦争には勝利した。

・・・・・・・・。

これらはすべて実際に使われた反則技だ。反則技は威力が強大なため大体において使った方が圧倒的に有利になる。猪木のチョークスリーパーは晩年の極め技で、新日マットにおいてはルール上完全に反則だが、この技が出ると観客はわくし、客は入るので全く問題なし。インドの核実験はパキスタンの核実験をも誘発し、ヒンズー・イスラム諸国の脅威を大きくアピールした意味でとても有意義だった。ドン・フライのサミングは、今や彼の極め技と化して挑戦者の脅威となっているし、テポドンのおかげで、日本の間抜けな国防体制と安保条約の無意味さが思いっきり露呈した。人工衛星ならなんで2本とも日本に向かって飛んでいるのだ?ゴルドーは反則技で全く自分に都合よく試合を放棄することができるし、アメリカは核爆弾というとんでもない反則を犯したにもかかわらず、試合に勝利し憲法まで作って日本を腑抜けな国にしたてあげ、戦後54年もたつ今になってもこの国の経済にまで指導力を発揮しようとしている。

反則技は使うべきなのだ。しかし、どうやって使えばいいのだ。この話の中にヒントがある。

共通しているのは、「キレた時」だ。はじめから反則技を出しまくる奴はいない。チョークスリーパーを使う時、猪木はキレてルール無用のキラーと化しているし、アメリカの戦争は考え抜いた戦略だが原爆は単なる狂気の手段でしかない。キレた時に出す驚異の一発があるかないか、これが反則技をだす力があるかないかということだ。

日本には、何があるのか?あなたは何をもっていますか?そして私は何をもっているのだろうか。

何言ってんだ?お前!      皆様のご意見


できるかな?   1999・1・23

nemitu.jpg (5017 バイト)いつものように居酒屋で、隣の酔っ払いとうだうだ話。

「おー、にいちゃん、ライブやろーらいぶ。やろ、な、おまえなんだピアノひくって?おーライブやろな、ライブやりてーんだよ、おれはよくわかんねーけどかあちゃん好きなんだよ、かあちゃん紹介するからよ。かあちゃん今日あれいってんだよ、あれ、浜松によ。」

「あれ、って何?」

「くりきんだよ。く・り・き・ん。しってんだろ。」・・・・・・あ、クリキンか。クリスタルキングね。

「ジャズ?いいんだよなんでも。ライブやろうぜ。盛り上がりてえんだよ。パッとよう、パッと。金とかじゃねえんだよ。」

いつもなら私はここで説教入れるところだ。なんでもいいだと?おめえともかく一度俺達の音楽きいてから誘えよ。知らねえくせにやろうやろう言うやつはおどらされて知らねえ株買って大損するバカと同じだぜ。そういう奴が一番信用できねえんだよ、なんて始めるところだが、私も酒のまわりがひどく、どうでもよくなっていた。

「なにやってんのよ。あんたは。」

「ん、オーナーだよ。おーなー。店仕切ってんだよ。俺が、全部。おれが言えばなんとでもなるんだよ。おーなーみてえなもんだからなだからライブやろうぜ。な。握手だ握手。」 私はこのオーナーみたいな人と握手をした。

「オーナーはわかったよ。じゃなくてどんな店なんだよう。広いのかい、ステージとかあんのかい。」

「・・・・・・」

「え、なに?」

「やおやだ。やおや。やおやでライブやっちゃいかんのか。やるからにゃチケット売るぞ、人呼ぶぞ。よっしゃやるぞライブらいぶ!」

おい、やおやでライブ、できるかな?


オウムと私 1999/1/18

oumu.gif (17528 バイト)チベットへ行ってみたいな、と思ったのは中沢新一のなんかの本を読んだ時だった。チベットの修行僧が人の死体を見ながら、人の魂が肉体と分離して宙をさまよい、解脱できるかどうかの瀬戸際をぶらぶらする様をまるで目に見えるかのように語っていた。へえ、修行をつんだ人々にはこんな風に魂の動きがわかるんだ。

修行?

修行ってなんだ。修行ってどこでやるんだ。坊主が酒飲んで平気な時代だぜ。誰がやってんだ?

そんな時に読んだのがこの林郁夫著、「オウムと私」だった。サリンをまいた張本人が獄中で書いた手記だ。その中で林郁夫は、オウムに入信した動機は、「オウムの修行は本物」という確信からだといっている。なるほど酒飲みOKの僧侶のもとでぞうきんがけするよりゃアサハラのほうが本物に見えてくることもあるだろう。なんせ空中浮揚するっていうんだからわかりやすい。しかも出家して財産はすべて寄進するんだからこりゃ修行としては本物だ。インスタント坊主が昼はお経を読んで夜はパブでオネエチャンを呼んでいるのとは分けがちがうぜ。

過酷な修行をつんで輪廻から解脱して極楽浄土を目指すのが仏教の教えであるということは、高校の倫社の時間に習ったことだ。そしてチベットには本当に解脱するための修行を積んで魂の動きをはっきりと語れる僧がいる。しかし日本じゃ普通の人はともかく坊主だってなにも修行しない時代だ。この国の仏教って一体なんなんだ。ありゃりゃオウムが否定できなくなってきたぞ?

然反論!     皆様のご意見


はえぬき静岡人何処に  1/23

haenuki.jpg (4196 バイト)DOTCOOLでは、学生たちもがんばってジャズをプレイしている。就職をひかえているやつらも多い。そこでちょっと聞いてみた。

「おう、土井、就職きまったのか、おめでとう。ところでどこになったんだ?」

「東京です。」

「そうかよかったな、なに、広告代理店?きついぞ。がんばれよ。ところでミッチー出身どこだっけ?名古屋?あ・そう。向山は、・・・鹿児島!遠いねそりゃ。田宮君は?・・・岐阜県、そりゃ田舎だね。竜太は金沢だったよな。山岡はどこ?品川か。家売りゃ一生食っていけるな。塚田は名古屋だ。伊藤ちゃんは・・・へえ、岡崎なんだ。おれ子供の頃すぐ側の知立に住んでたよ。そういや藤本は大阪で、渡辺は山梨か・・・。あれ?」

10人聞いて静岡出身いないのかい。どうなってるんだ。みんなUターン就職しちゃったら、だれもいなくなっちゃうじゃないか。寂しいね、こりゃ。


学級崩壊 1999/1/27

genko.jpg (2668 バイト)授業中、教師の言うことも聞かず、ふらふら歩き回ったり、騒いだりして授業が成立しない状況を「学級崩壊」と呼んで最近の社会現象ということらしい。

学級崩壊?甘えるのもいいかげんにせえよ。

おい、職人の仕事はなんだ?物を作ることだろ。

じゃ、営業マンの仕事はなんだ。それを売ることだろ。

まあ、私は酒を作ってそれを売っている。両方ということだね。

なら、教師の仕事はなんだ。授業をすることじゃないのかい。

あのね、崩壊って、教室を叩き潰して授業をボイコットした安保のバリ封もどきを小中学生がやりはじめたっていうなら、それなりに警察もいれて対応策をねらにゃいかんでしょうけど、そうじゃなきゃなにが崩壊なんだい。あんた勝手に都合の良い社会現象に自分の居場所を作って納得しているたんなる臆病者だぜ。教師が授業やんねーで金もらってんならそりゃりっぱな詐欺だ。仕事ができないアホに金払う経営者なんて民間にゃいないぞ。どうもこういう人達には自分の不始末をなんとか正当化して、かよわく生きていこうとする小心者頭でっかちの確信犯がやたら多いのだ。学級崩壊の記事をこれからマスコミが賑わすと思うが、これはすべて軟弱教師の仕事逃れの実態と読み替えた方がよさそうだ。

あのねえ、仕事ちゅうのは、切り分けが大切よ。いじめ?こりゃわからん、難しい。どうすりゃいいんだ。・・・というものはそういうことにしておく。そして現場を見ながら突破口を考えていく。そういう切り分けもあるということだ。登校拒否は家庭の問題だ。ほっとけ。教師が首を突っ込む必要はないのだ。子供の居場所が学校の中に見出せないのなら、それは無理矢理学校にこさせない方が絶対に幸せだ。しかし学校にいて授業に参加しないやつは許しちゃいけない。殴ってでも教室にいれて話を聞かせるのだ。それが教育で、仕事というものだと思う。10代なんて人間じゃない。私の10代なんて、女のことしか考えていないたちの悪い野獣だった。しつけられていない野獣は言うことをきかない。獣に社会のルールを叩き込んでやるだけのことだ。授業は聞くものだ、と。

公務員は大した事では首にはならないのだから、問題なんか自分からどんどん巻き起こせばよいのだ。殴って問題になったら、今度はまた別の奴にげんこをくれてやるぐらいの気迫が必要だ。教育委員会で問題になっても、せいぜいどっかの小さな分校に飛ばされるぐらいのものだろう。そしたらそこでまた子供たちと盛り上がればいい。それくらいの迫力があれば、おのずと野獣たちもおとなしくなるだろうよ、きっと。

反論!!   皆様のご意見


葛藤  1999・1・31

grape.jpg (3791 バイト)「うーん、どうしようか。・・・・・・どうしよう。」

これは迷う。本当に迷う。

DOT COOLのジューサーは優れものだが、グレープフルーツを絞るとほとんどが左の写真のようになる。オレンジは玉が小さいためきれいに絞れるから問題ないが、グレープフルーツは絞り残しがどうしてもでてしまう。その部分・・・なのだ。

かぶりつきたくなりますよね。このつぶつぶのかたまり。

私だってなるのですよ。仕事中とはいえ。

ジューシーでつぶつぶっとして、うまいんだなあ、これ。捨てるにゃもったいないし、もう一度絞り直してもたいして果汁が出るわけではない。かぶりつくのがベストなのですよ。

客席をながめる。ん・・・奥のボックスにしか人がいないぞ。いっちゃうか。いやいや私は理想を追求する愛のバーテンだ。バーテンが食材にかぶりつくなんてことしてはバーテン道にもとるというものだ。今までの勉強はいったいなんだったんだ。でも・・・座って隠れて食べれば誰にも気付かれないではないか。3秒でおわるぞ・・・いやいや、いかんぞ。どうすりゃいいんだ。まいったな。


ああ、営業マン!   1999/2/1

kabuki.jpg (5527 バイト)今日は、営業マン時代のお話。

営業マンには、どうしても取らなくてはいけない契約がある。それは、会社から言われたノルマなどとは無関係だ。契約をとれない営業マンに、はたして生きている理由があるのだろうかという、いはば自分の存在価値の問題だ。取れれば勝者で、取れなければただの負け犬である。負け犬にはなりたくない。誰に言われるわけでもない、自分でそう決め込んで、日々の営業の原動力としていたのだ。

「行きたくねえなあ。」営業車の中で本当にそうつぶやく。

今日追っているのも、そんな契約だった。絶対に落とせない。このところ、その客のもとへ毎日朝晩一回づつ訪問していた。あまり頻繁に出入りするので、「お前が来るせいで課長仕事できないじゃないか。」などと不平を言われはじめていた。全くそのとおりだ。行きたくねえよう。しかし私の信じた営業の鉄則があった。「客に会わずに仕事はとれぬ。」これは真理だ。だから心を無にして客先に飛び込むのだ。「いやあ、また来ちゃいましたよ。」

しかし、今日は本当に行きたくなかった。おとといあたりから課長も工場長も、ほんとうにいやそうな顔を見せはじめたからだ。PM3:30、客先へ到着。さて行こうかな。しかし足が動かない。はあ・・・つらいな。ちょっと時間もあるか。コンビニ寄ってコーヒー飲んでからにするか。

缶コーヒーを買って雑誌を手にとった。週間○衆。開くと東京の風俗情報が満載だった。「新人ギャル多数入店、五反田ア○ン」「花びら大回転の店、新宿○ルームーン」「卒倒続出、池袋ナイ○レディー9,000円ポッキリ」・・・・・・すげえなおい。私はこんな風俗情報満載の雑誌があることを知らなかった。そのとたん私の中から奇妙なやる気が湧きあがってきた。私はグラビアが多そうな雑誌を手当たり次第に買い込み、東京の風俗情報で頭を埋め尽くすと同時に、過激なヌードグラビアを次々になめまわし、ひたすら自分のボルテージを上げた。私の中の性欲は加速度的に高まっていった。

PM5:00、私はすでに爆発しそうだったが、迷いは消えていた。工場に飛び込んで元気にあいさつ。「工場長いらっしゃいますか。」受け付けの女性がきれいだったためよけいにボルテージが上がった。面談所に出てきた工場長は最初いやそうな顔をしていたが、いつもと違う私に気が付くと真顔になった。「設計課長にも今日は重要なお話があるのです。」重要な話などなにもなかったが、今日の私は勢いが違った。工場長に課長をわざわざ呼び出してもらい、一時間みっちり、すでに何十回も話した売り込み中の新システムについて説明をした。充分な迫力。手応えはなかったが、いつもと違う私を前に二人は沈黙せざるを得ない感があった。

PM6:15、工場を出ると私は会社に直帰を告げ、真っ先に静岡駅に向かった。私にはもはや一刻の猶予もなかった。私はまたも駅構内の本屋でエロ文庫を2冊購入し、新幹線のチケットを買った。トイレで鏡を見ると興奮で目が充血していることがよくわかった。タイミング良くひかりに飛び乗り、車内ではエロ文庫を拾い読みしてまたもボルテージをあげ、五反田に到着した時は8:30だった。よーし花びら大回転だ!と調べておいたピンサロに勢いよく飛び込むと、そこは本当に大回転だった。女がくるはくるは40分で4人相手したが私は全く元気だった。よっしゃ次いくぞ!池袋までシータク飛ばして、相当酒引っかけてピンサロ2連チャン。バカヤロー今日は狂うぞ押し倒すぞ犯っちゃうぞ、たまんねえなあ・・・・・・。

・・・○・・・・・×・・▲・・・・■☆・・・・・○・・・・・・・・。

気が付くと私は新宿のショーパブにいた。レズSMかなんかで、蝋燭が女にたれてうめきごえやら喘ぎ声やらわからない声を聞いてどうも私は正気にもどった。今何時だ。AM1:30、帰れねえじゃないか。明日は土曜日だけど出勤か。客先もやってるし直行すればいいや。私は新宿でサウナにとまり、翌朝はやくのひかりで帰ることにした。財布のなかの10万円はすべてなくなってしまっていた。やれやれ。

商談が成立したのはその土曜日だった。工場長:「おう、社長に話しておいたからな。」おい、今まで稟議あげるにゃ時間がかかるだなんだかんだいってたわりには簡単に決めるじゃねえか、ありがとさん。私は「いやーこれは仮の仮のそのまたカリの注文書ですから。」などと説明してその日のうちにはんこありの注文書をもらい、安堵のため息をついた。ああ、営業マン!今日もおつかれさん。

わたしもたいへんなのよ。


ああ、営業マン2 1998/2/3

torishi.jpg (2933 バイト)今日も、営業マン時代の話。

私が受注したコンピュータシステムの開発が大幅に遅れていた。

それだけならまだいいが、システムが当初約束したスペック(性能)も、また満たせそうになかった。まずいな・・・と思っていた。しかし私は営業マンだ。なんとかするのが仕事だ。ある日私は、客先に納期のずれ込みと、スペック低下の容認についてお願いにあがった。

いつもなら、オープンな面会所で電算課長と面会だ。しかしその日は、なぜか特別に奥の部屋が用意してあるという。受け付けの指示に従い中に入ると、なにもない簡素な小部屋に長机が2つ、その片側には椅子が三つ、もう片側には一つ配置されていた。一つの方に座れ、という暗黙の指示だ。私は椅子に腰掛け、課長たちが来るのを待った。

・・・・・・なかなかやってこない。今まで時間に遅れたことなどなかったのに。私は殺風景な小部屋で一人ぽつんと、寂しく待たされ続けた。

30分おしで彼らは現れた。こんにちは!しかし彼らはあいさつを返してはくれなかった。ガシャン!とドアの閉まる音が鳴り響く。この部屋の空気が固まった。密室だ。彼らは私と目を合わせることなく、深々と椅子に腰掛けた。4方の壁が私に異様な圧力をかける。課長が切り出した。

「どういうことなんだ。」

「どういうことって・・・・・・。」

「とぼけるんじゃないよ。うちのシステムはいったいいつできあがるんだ。」

「いつって・・・・・・。」

「定めた納期どおりできあがるんだな。」

「それが・・・ですね・・・。」

「できあがるのか、と聞いているんだ。」

「みんなで頑張っている最中・・・です。」

「おい、何を言っているんだ!!いつもいつもふざけたこと言ってくれるな。小学生でもそんな回答はしないぞ。今日、あなたしっかりすべてを確約しないと、ここからでられませんから、そのつもりで。」

うすぐらい小部屋、長机、3対1、密室・・・これはまるで取り調べだ。私は完全に返り討ちにあった。いつにない厳しい口調と迫力に押され、とても納期交渉どころではなかった。私は針のむしろだった。どういうことだお前・・・え?なにを言っているんだおい・・・上を向いて大きな声で話せ・・・2時間にわたるこの追求で、私は、エンジニアの不足など会社側の事情をすべて吐露してしまい、納期は私のもくろみより大幅にきりつめられ、スペックはコンピュータを上位機種に変更してでも遵守するよう約束されてしまった。最悪だ。みんなに何といって説明するか・・・。

この、「取り調べ」があるために、暴力団でさえ刑事事件をきらい、なんとか民事でおさめようとする。警察の取り調べにあうと7割の人間は初日にあっさりと口を割るらしい。密室の恐怖、私なんか2時間だった。一言も話さない毒カレーのHやオウムのAなどはいったいどういう神経をしているんだい。

「・・・コーヒーでも飲みますか。」課長が私に声をかけた。「おつかれでしょう。」 これじゃ「かつどん食うか。」と同じじゃないか。まいったな。

皆様のご意見


小室哲哉にダダを見た 1999・2・7

dari.jpg (4583 バイト)「・・・廃虚の底  そこから生まれだし   回顧主義だけが眠りさまし  「ドウゾヨロシク」   これがうわさの  昔誰もが使っていたうそ   革命の前夜共存しよう  いつかまた細胞分裂   かなりいいんじゃない?  なにも悪くないんじゃない?   だれも壊れてくんじゃない  なにに頼るわけじゃない!!   太いワイヤーのフェンスよじのぼり   戦いがはじまる・・・・・・」 

小室哲哉の曲、「LET’S  DO THE MOTION」の歌詞である。歌は安室ちゃん。

上記の歌詞から意味は読み取れない。これは「ダダ」だ。1916年にチューリヒでトリスタン・ツアラが創始した「ダダ運動」はシュールレアリスムの波にのり世界に飛び火した。

「ダダ」とはなにか?ダダイズム。へへ、知ってるもんね。なぜなら私は仏文専攻なのよ。かっこ良く語っちゃおうかな。

ツアラ曰く、ダダとは、狂気でもなく、英知でもなく、アイロニー(皮肉)でもないものだ。ダダはなにものでもない。彼の有名な詩「心理学、心理学 ひっひっ  科学  科学  科学  フランス万歳   我々は純真ではない   我々は伝統的である・・・・・」なんだこれはいったい。意味なんかないのだ。しかし意味がないものの中に真実がかいまみえる瞬間がある。それがダダだ。私は小室哲哉の中にダダを見た。日本の若い連中は1920年代の青年が熱狂したシュールレアリスムにつばを吐いた、ダダの精神に今再び魅せられている。

まあ、ここまでは評論家も言える言葉だ。しかし私はクリエーターだ。一発ダダを目指して詩を書いてやろうじゃないか。小室、みてろよ。お題は私の部屋にあるものだ。

            題:ハートビートジャンク

カラーテレビの裏

百万年眠る冷蔵庫が私のケイタイを溶かす

真っ黒に輝く星が暗闇の私に微笑む

FADE AWAY ピアノの

上のTシャツが踊る私を誘う

OARBDROIN 散らばって消えたアイロンボード 彼の

たりない腕に私は落ちる

けっ

おってこいのってこい出勤前の時間

                                                   作   COOL

私の作り方:意味を解体するようにするように適当に単語を並べました。作った方は適当ですが読む方は真剣に読んでください。

もし、この中になんらかのメッセージや感想をお持ちになったら、それがあなたのダダだ!

わたしも作った、こんなダダ!


ああ、菅直人! 1999・2・9

kan.jpg (4502 バイト)民主党、党首の不倫疑惑で支持率低下、か・・・。

薬害エイズ訴訟では厚生大臣として初めて国側の責任を認め謝罪し、諫早湾のむつごろう訴訟では開発に猛反対し国の公共事業のありかたを問いただし、民主党党首となってからは長銀救済に猛反対、一時国有化にもちこみ、野中広務官房長官を「二枚舌」と言い切り、小沢の国防論を「感情的だ。」と相手にしない男、菅直人。

あんた、えらいよ。よく戦ってる。男だね。

疲れてるでしょ、そんなにやれば。

不倫ぐらいしたくなるよな。

戦う男には女は必要だと思う。女の甘い蜜。疲れた男の体にこれ以上効く薬はない。道徳、道徳って細かいこというなよ。やつに魅力があって、それについていった女がたまたまいただけなんだからさあ。

がんばれよ、菅ちゃん!kanba.gif (6115 バイト)

反論きそうだな、これ、おてやわらかに。


ポルノ映画  1999/2/12

規制のため表からは見れなくなったポスター
poruno1.jpg (6598 バイト)
なんと!劇場はフロアーを突き抜け屋上だ!
poruno3.jpg (5123 バイト)
屋上に小屋が・・・気分はアングラだぜ。
poruno2.jpg (3593 バイト)

静岡市は七間町、松竹ピカデリーの隣で密かに営業しているこの静岡小劇場は、静岡最後のポルノ映画の砦だ。

その日、私はポルノ映画を見たいわけでもなんでもなかった。ただ、あの映画館まだあるのかなあと思って見に行ってみたのだ。私が静岡へ来て既に13年が経つが、19歳の私が最初に飛び込んだ映画館がここだった。

この映画館がすごいのは、人目を忍んでエレベーターにのると途中のフロアーには止まらず、屋上までつきぬけることだ。屋上に青空のもと小屋のようなものがあり、小屋の中の小さなスクリーンでHを見る。猥褻感極まりない所がいい。

あのころは今のようにアダルト・ビデオも普及しておらず、最も安価な性欲解消の場はこのポルノ映画館だった。名古屋で予備校に通っていた頃は授業をさぼってよく見に行った。パチンコ屋のすぐ隣に映画館があり、下りてくるエレベーターを待っている姿を人に見られるのが本当にこっ恥ずかしかったことを思い出す。ちょうどイブちゃんがスターで、美保純が落ち目になっていた頃だ。学園ものの低級なストーリーにやたら興奮したことを今でも覚えている。

ところで、ポルノ映画は現在、落ち目の映画産業の中でも最も落ち目だろう。AVの普及、かかる制作費、きつい修正義務。一本1週間400円で借りられるビデオのほうがずっと便利だ。お客さん入っているかな・・・。入り口でチケットをおばちゃんから購入し、中に入ると15人ほどのお客さんがいた。真っ昼間からたいしたもんだ。白髪のおじいさん風情が多いのが目に付く。この人たちはいったい何を思い、何を感じているのだろう。

相変わらずの3本立てだった。「未来性紀2050   吸い尽くす女」 え?何じゃそれ・・・と思って見ていると2050年からターミネーター風の女が現代に下りてきて、次から次へと男達を犯しまくる。彼女が名乗る。「私は、ターミねえちゃん!」ほほう、そうくるかい。と思いきや今度は同じ未来から一人の男がおりてきて、次々に女を犯しまくる。「私はターミにいちゃんだ!!」やっとれ、お前ら。最後はやはりターミねえちゃんとターミにいちゃんの格闘だ、とはいえからみばかりだが。チープな設定とハードなからみ、ポルノ映画にはこの二つが必須だと思うが、途中未来を描いたコンテがでてきたり、最後までターミニイチャンであろうとする役者に役造りの意気込みを感じたり、まあAVよりかなり作品作りの気合が感じられることは確かだ。

思えば確か10年ほど前だったか、風営法が施行されてから、風俗はすごい勢いで規制されてきた。昔は普通の映画館の間にピンク映画のポスターがあり、思わず見て見ぬふりをして通り過ぎていたものだが、最近は表に貼ることもできない。ゲーセンは12時で終わり、テレクラは大幅規制、今度の事件で伝言ダイヤルはどうなるのか。しかし性犯罪は規制に反して増加の一途だ。いったい、規制の本質はなんなんだ。規制されれば余計にやりたくなるじゃんか。伝言ダイヤルを規制したって、また新手がどんどんでてくるぜ。警察が社会の先生よろしく、いくら大人の遊びに歯止めをかけようとしたって、生徒たちは次々にいけない遊びを考えるものさ。クリーンな社会なんてありえない。ダーティーな環境の中で、いかに力強く生きていくか、大人である私達が示してやるしかないんじゃないのかなあ。

皆様のご意見


シアターオリンピックス 1998・2・15

gs.jpg (11908 バイト)シアターオリンピックスが4月から静岡ではじまる。世界の舞台芸術がやってくる。

静岡県のイベント。当然使われているのは我々の税金である。ちなみに会場のグランシップと、舞台芸術公園もすべて税金で建築された。

TVでその広報番組をやていたが、「これをきっかけに静岡が舞台芸術の発信地になればよいと思っている。」と役員の方がいっていた。なぜ思ってもしないことをこう軽々しく口にするのだろう。

しかし舞台芸術は静岡県はともかく、静岡市には絶対に根ずかない。理由ははっきりしている。静岡市に民間で活動している劇団はないからだ。あったら教えて欲しい。私は聞いたことがない。私の知っている劇団は、市の子供ミュージカルと、SPACぐらいのものだ。両方とも、これまた税金で運営されているものだ。

ニューヨークや、バルセロナや、ロンドンに、あるいは東京に、なぜあれだけのショウビジネスが成立するか。それは地元にパフォーマーが育っているからだと私は断言する。地元のとうしろパフォーマーを育てない限り、その地に芸術は育たない。舞台芸術でいえば、民間の劇団がにょきにょきと頭角をあらわさないかぎり、絶対にそれは根ずかないものだ。

しかしSPACのとった政策はすごい。舞台芸術公園もグランシップの小ホールも全部自分達の独占で、他団体には貸さないという。これじゃ演劇を志すやつは静岡からでてけと言わんばかりじゃないか。しかし今度のイヴェントは県民に開かれているともいう。理由は「忠臣蔵」を一般公募したし、SPACだって静岡から公募したメンバーだからだという。あのな、そりゃ公務員の募集と同じだ。芸術を育てるというのは、今現在無償でがんばっている人間達を金銭を含め応援するということだろう。いったいなにを育てた気になっているんだい。

シアタ^オリンピックへ向けての責任者 の言葉を載せます。

シアターオリンピックステーマ Creating Hope 「希望への貌(かたち)」

情報伝達システムが全世界的に整備されるようになったために、世界各国の人々は自国以外の文化をも身近に感じ、知ることができるようになりました。あらゆる物事を、その現場で経験し、人間が共存して生きていく時の知恵を養ってきた時代と比較すると、その現場に立ち会うこともなく、物事を知り理解できるというこの変化は、まったく新しい環境が人間を取り囲んでいるのだといってよいと思います。この世界的に共通する環境を成り立たせるために、人類は非動物性エネルギー<石油、電気、原子力>の力を利用してきました。この傾向は今後ますます拡大し、人類の未来の共存のために必要で不可欠なこととなりつつあります。

しかしながら、この便利で素早く人間を結びつける非動物性エネルギーの力に頼りすぎることは、たいへん危険な一面をもっています。それは人間の個人個人の身体のなかにある動物性エネルギーの豊かな可能性を忘れさせたり、衰弱させてしまうからです。人類の文化はこの動物性エネルギーの洗練した使い方によって花を開き、果実を実らせてきました。たとえば舞台芸術、演劇やダンスやオペラなどは映画やテレビと違って、まったくこの動物性エネルギーの使い方の素晴らしさによって人類の財産になっているのです。これはスポーツも同じです。舞台芸術やスポーツはそれが行われるその場に立ち会い、人間をよりよく理解し愛する基礎を作り上げるものです。ですから、非動物性エネルギーを駆使した情報伝達のシステムがどんなに拡大し、生活を維持していくために不可欠なものになろうとも、舞台芸術やスポーツのもっている価値を忘れたり、ないがしろにすることは、人間が人間の存在理由を否定することになりかねません。

むろん、動物性エネルギーを鍛練し、洗練して使い、それを皆で楽しむ楽しみ方は民族や地域によって違います。しかし、それぞれの民族や地域はその楽しみ方の違いによって、その文化的な個性と存在理由を主張しているといってもいいのです。非動物性エネルギーの使用量が増大し、生活の仕方が画一的になりつつある今こそ、舞台芸術のような文化的な事業を通して、民族や地域の共通性と違いを同時に知ることは、人類の未来への共存のために大きな貢献をすることになります。

舞台芸術が力強く存在することは、21世紀を生きる人間にはげましを与えることになると、われわれシアター・オリンピックス国際委員は確信しています。

芸術監督 鈴木忠志

・・・ぼくらは演劇で楽しみたいのよ。笑いたいのよ。がんばれよ、と応援したいのよ。動物だ非動物だ、人間の存在理由だ、人類の未来への共存だあ、演劇を楽しむのに必要なことかよ。普通の人はむしろそんなことをわすれたいから御芝居見にいくんじゃないのかい。民族や地域の共通性を知りたいがために演劇を見に行くやつはいないのよ。鈴木さんよ・・・もうちょっと普通の人になってくれんかなあ。僕みたいにさあ。そして税金をもうちょっと大事にしてくれんかなあ。

DOT COOL 林三景

関連記事 SPAC    

意見             みなさまの意見爆発!


     MENU  BACK   NEXT