| 泣き虫兵器ベルタ (全面改訂版) 分割9 7 警察の封鎖を抜けて、五百メートルほど国道を走る。 原発入り口にたどりついた。 道の左側にある門の前で、アントンが待ち構えていた。全身を黒い装甲、完全防護兵装ジークフリートに包んでいる。巨大な三脚つきの機関銃を肩にかついでいる。米軍の誇る超ロングセラー兵器、M2ブローニングだ。 百メートルほどの距離でアントンが手を振った。 何事か叫ぶ。 この距離でもベルタには何を言っているのかわかった。 「まさか本当に来やがるとは。ドーラの奴は……」 話合いをするつもりはなかった。ベルタは時速百キロオーバーでドゥカティ999を突進させながら、背中のリュックからカール・グスタフを取り出し、肩に 担ぐ。重量十六キロの鋼鉄の筒はずしりと重い。すでに弾薬の装填されたそれをアントンに向け、照準器を覗きこんで撃った。 ズガンっ! すぐ耳の横で大砲が発射された音は銃声の比ではない。一瞬、耳が完全に麻痺した。 発射された砲弾は影となって突進。 アントンが目をむいた。体をひるがえして避けた。 ベルタは心臓をわしづかみにされたような冷たい衝撃を受ける。 (まさかよけられた! 最大のチャンスだったのに!) アントンの肩をかすめて飛んだ砲弾が、背後の地面に突き刺さって爆発。 成型炸薬弾(HEAT)は爆発のエネルギーを一点に集中させた貫通力重視の砲弾だ。命中したその場所の路面が爆発しアスファルトが噴水のように高く飛び散る。アスファルトが高熱で融解して真っ白い蒸気となって立ち上る。 (仕方ない、至近距離からもう一発うちこむ!) 唇をかみしめる。覚悟を決めた。 「ベルタてめえ! やりやがったな!」 アントンは『高速言語』で叫ぶ。 かついでいた巨大な機関銃、M2ブローニングをベルタに向けてくる。 反動でジープがひっくり返るほどの巨銃を、黒い腕で抱きかかえて撃ってくる。 真夏の太陽の下でも見えるほど眩しいマズルフラッシュ。岩どうしを叩きつけたような銃声が連続する。ズガガガガガッ。 ベルタは勢いよく上半身を左に振る。ドゥカティ999のイタリアンレッドに輝く車体が素早く反応、後輪を滑らせて左に曲がる。車体すぐ右に銃弾の嵐が襲 いかかる。アスファルトが爆発し、何千粒という砂利が吹き上げられる。拳が入るほどの穴がたくさん開いた。ベルタの腕に、足に、車体に、砂利が浴びせられ る。ヘルメットのバイザーに大きなものが当たった。 「オラッ! オラッ!」 アントンは怒声をあげながら機関銃の銃口を右に左に振り向ける。ズガガガガッ。ベルタが一瞬だけ早く、こんどは右に車体を傾ける。尻をバイクのシートか らすべり落とし、車体にぶらさがるようにしてなんとか曲がった。間一髪、今度も間に合った。車体のすぐ右をかすめるように弾丸が押し寄せ、地面が爆発。今 度は至近距離から砂利をくらってしまった。ヘルメットのバイザーは百人の暴徒に投石されたような有様だ。 ベルタは右に、左に車体を走らせる。ジグザグ走行を繰り返して距離を詰めてゆく。右手はスロットルを握って、開けては絞り、絞っては開ける。エンジン音 がオンッ、オンッと激しく変化する。エンジンが吼 えるタイミングにあわせて車体を右、また左に倒しこむ。一瞬たりとも直線を走らない動きだ。 片側三車線の道路をフルに使ってジグザグ走行、すべての銃撃を回避しながら接近。いまアントンまでの距離は五十メートル。すでにあたりの路面は酔っ払っ た巨人がでたらめに耕したようだ。あちこちで路面が砕かれ砂利の川が生まれている。ベルタは砂利さえも利用。前輪が砂利を踏んで滑った瞬間に思い切り車体 を傾け進行方向を強引にねじまげる。 順調に接近しながらも、ハンドルをにぎるベルタはしだいに焦る。口の中が緊張でカラカラに乾く。 (どうしよう、反撃のチャンスがない) いまベルタは、両手両足と、上半身の振りをフルに使ってドゥカティ999を操っている。0.01秒、コンマ一グラムの単位で完璧にコントロールしている。指一本でも休ませたらいまの動きはできない。 カール・グスタフを撃つために手をハンドルから離せば、回避が鈍って次の瞬間は蜂の巣だ。 (一体どうすれば?) 手を使わずに撃てる武器もある。『ギャラルホルン』だ。だがアントンの装甲には通じないはずだ。 そのとき、銃弾の雨がベルタの頭に向かって襲い来る。上体を傾けて回避した。ヘルメットのてっぺんを強烈な衝撃が叩いた。ヘルメットにギシリと音が響く。亀裂が入る音。縦に真っ二つになり、バイザーがはがれた。ヘルメットはバラバラになって時速百キロの風に飛ばされる。 (撃たれた?) 戦慄する。だが痛みはない。撃たれたらこんな程度ですむはずがない。銃弾がかすめただけだ。 (かすめただけでこの威力!) と、気づいた。直接、音波を当てる必要はない! 「ハッ!」 パワードリフトで旋回し銃撃をかわしながら顔をアントンに向け、『ギャラルホルン』を発動。超音波を最大出力で発射する。 アントンではなく、アントンの足元に向けて! 空中を超音波の塊が飛び、アスファルトに激突しその破壊力を解放。アントンを中心に二メートルあまりの路面がクレーターとなる。瞬間的に破砕され粉塵と なって舞い上がる。それはまるで大噴火だった。煙の中にアントンはすっぽり包み込まれる。視界が遮られた。「ぬおっ」煙の中からアントンが驚きの声を上げ る。 「いまだ!」 この隙が欲しかったのだ。ベルタはカール・グスタフに弾薬を装填、アントンに向けて撃った。 距離わずか三十メートル。しかも視界が不完全。 (よけられるはずがない) ベルタは必中を確信した。頬がゆるむ。 緩んだ頬が、凍りついた。目をむいた。 アントンはアスファルト粉塵の煙のなか、自分の顔面めがけて向けて飛んでくる砲弾を、両手ではさんで受け止めた。信管が作動、成型炸薬弾が爆発する。ア ントンの掌の中で、爆発エネルギーが光の剣となる。戦車の装甲を貫く超高熱の噴流、メタルジェット。しかし長さはアントンの顔まで届かない。一瞬で消え た。 あとは無傷のアントンだけが残った。支える手のなくなったM2ブローニングがゴオンと音を立てて転がった。 アントン、薄れてゆく煙の中で両腕を振り上げてガッツポーズ。 (そんな馬鹿な) ベルタの心に決定的な敗北感が刻まれた。 勝てない。カール・グスタフでは通じない。 いまは逃げるしかない。別の手を考えよう。 しかしバイクはアントンに向けてまっしぐらに突進していた。いまの距離は十メートル。 アントン、ガッツポーズをやめて落ちた銃を拾う。撃つ暇がないと判断したのか、棍棒のように振りかぶった。 ベルタ、とっさに右手をブレーキレバーに叩き付け、五本全ての指を使ってフルブレーキ。前輪のブレーキディスクが金属的な叫びをあげる。壁に激突したよ うな急激な減速に後輪が浮いて、車体が直立する。地面に突き立つような姿勢。ベルタはタンクを太ももで挟みこみ、体ごとバイクを回転させる。地面に突き 立った錐が回るようにドゥカティは向きを変えた。 棍棒は空を切る。 一瞬で向きを90度変えたベルタ。目の前にある原発の門に向かって突進する。 敷地内に入ってすぐ、左右を森がはさんでいた。片側一車線の細い道が続いている。 バックミラーの中のアントンがどんどん小さくなる。 「まちやがれっ」 咆哮が聞こえる。 ガガガッ、太い銃声が轟き、バックミラーの中でオレンジのマズルフラッシュが弾ける。 ベルタ、とっさに車体を傾け針路変更。右の森に飛びこむ。即座に太陽光が遮られてうす暗がりになった。木の根を踏んで車体が激しく上下した。見えない巨 人が左右からキックをくれているかのようにハンドルが暴れる。本来サーキット用のマシンであるドゥカティ999はデコボコ道を大の苦手にしている。なんと かおさえつけ、森の中を進む。 ガガガ、という銃声がまだきこえてくる。重いものが重なって潰れる音、木が倒れる音も聞こえてくる。乱射しているらしい。 ベルタ、再び脳裏に、原発の見取り図を思い浮かべる。 浜岡原発の敷地は一キロ四方。陸側の三分の一は森で占められている。森を抜けた向こうには、5基の原子炉とそれを管理する『管理棟』が一列にならんでいるはず。 いまは正門のそば。暗記した地図だと、ここから管理棟まで三百メートルあるはず。 などと考えながらガタガタと森の中を走り、木々が途絶えて開けた場所にでる。 と、悪寒が背筋をかけた。 (わたしがカエサルなら、この瞬間を狙う) 背中のリュック、そのサイドポケットからコーラのペットボトルを出し、握りつぶしてハッと超音波をたたき付け霧状に変化させる。掌から霧が噴出して体を包んだ。 霧の流れを引き連れてドゥカティは森から飛び出す。 すぐは大きな駐車場だ。 駐車場の向こうに、窓一つない灰色の箱がそびえている。原子炉の一つだ。 飛び出したまさにその瞬間。光が降ってきた。垂直に近い角度で、霧を貫いて一条の光線が伸びてきた。レーザーだ。 左の胸に灼熱の感覚。じゅ、と何かが音を立てて燃える。 「くっ!」 うめいた。胸を手を当てた。 大丈夫だ。霧のせいでレーザーは拡散して威力を減じていてた。メッシュジャケットとTシャツにこぶし大の穴が開いただけだ。スポーツブラがのぞいてしまっている。 霧の効果はすぐに消える。あわててバイクを反転させ、森に飛びこんだ。 やはりカエサルは待ち構えていた。あれだけ深い角度で降ってくるということは、おそらく高いところに立ってベルタを見張っているのだろう。 地図をまた脳裏に描く。立体模型を作って頭の中でまわしてみる。自分の位置とレーザーの角度を模型に書きこんでみる。 予測できた。おそらくカエサルがいるのは、いま見えた原子炉の向こうにある『第三号炉』の排気塔てっぺんだ。高さ百メートル、狙撃にはもってこいだ。 (どうすればいい?) 森を中を走り回りながらベルタは考える。 (あと残っているコーラは五本。合計で二十秒くらいはレーザー防御の霧を張れるだろう。だが二十秒で何ができる?) (いちかばちか、突進して管理棟に入るか) だが、それでは一時しのぎだ。敵を倒して数を減らさないと。一箇所に三人集まってしまったらもう勝ち目はないだろう。 (反撃するか。この89式小銃とカール・グスタフで) だが、撃ちあいになれば高いところにいるほうが圧倒的有利だ。 どうすれば…… ズガガガッ、 背後で銃声。とっさに車体を傾け、アクセルを全開。後輪が地面をかきむしって蛇行しながら加速。すぐ真横の一抱えもあるブナの樹が粉砕される。木片を撒き散らし、周囲の銃を何本も巻きこんで倒れる。 アントンの声まで響いてきた。 「ベルタァァ、そこにいたかあ!」 走って追いかけて来ている。 戦慄した。考える時間なんてないのだ。後ろからアントンの機関銃、前からカエサルのレーザー狙撃。 (いちかばちか、やってみよう) ベルタはバイクを止める。バイクに揺られながらではとてもできない。精密な角度のコントロールが狂ってしまう。 バイクのカウリングにくっついたバックミラーをへし折る。 心の中で謝る。そしてミラーを手にもったまま、森の外へと歩く。 一心不乱に計算を繰り返す。3Dモデルを頭の中に作り上げ、カエサルの位置と自分の位置をプロットして、何度も何度も角度計算を繰り返す。 ミラーを握った手を、樹の向こうに突き出した。 8 「逃げたって無駄だよ、ねえさん」 カエサルは冷たく言い放つ。 彼は迷彩服姿で排気塔の上に立ち、眼下を見下ろしていた。 高さ百メートルの位置からは敷地全体が見渡せる。白い箱のような原子炉棟が、森と海に挟まれて五つ散らばっている。五つの中央には小さな茶色の建物、管理棟が窓を光らせている。敷地のずっと外側を伸びる東名高速まで見えた。 風に乱れた金髪を神経質そうにいじりながら、カエサルは目を細める。 蟻のように小さく見える赤いバイクが、森に逃げこんだ。 森の木々に隠れてしまえば見ることはできない。 だがカエサルは口元に余裕の笑みを浮かべたままだ。 (必ず出てくる。どこに出ようとボクには見える) この高さから、地面に落ちている木の葉の種類まで見ることができるのだ。 「隠れたって無駄だよ、姉さん」 整った顔立ちに冷笑を浮かべる。 と、森の端から何かが突き出す。 ついにしびれをきらしたか。 必殺の確信をこめてレーザーを撃ちこむ。 次の瞬間、視界が真っ白に爆発。 顔面に炎を押し当てられたような熱さ。 それっきり何も見えなくなった。 「なっ……」 思わずうめき声をもらしてしまった。 何をされたのかは分かった。鏡でレーザーを反射されたのだ。レーザーに対してぴったり九十度の角度で鏡をかざせば、発射地点に戻ってゆく。 鏡の歪みだろう、レーザーはかなり拡散してしまっていたが、視力を失うには十分だった。 カエサルは恐怖を覚えた。これだけの距離で正確にコントロールしてくるベルタの能力に怯えた。一度の何千分の一という超精密コントロールが必要なはずだ。 ベルタは落ちこぼれだと思っていた。だが自分だって同じことができるかどうか。 視力が失われただけで、全裸になったような恐怖と居心地の悪さを感じた。 視神経と網膜が回復するまで、隠れなければ。 そう思って手探りと音だけで排気塔を降り始める。 ハシゴをにぎる手が汗で滑る。 そのときカエサルは、銃声をきいた。 89式小銃のものだ。 背筋を駆ける悪寒。銃弾が地球磁場をかき乱すのをとらえる『電磁感覚』だ。カエサルたちエインヘリヤルはこの感覚によって視力なしでも銃弾をよけること ができる。とっさにハシゴから手を離し、一瞬だけ落下する。頭上でギュン! と金属同士の激突音。銃弾が排気塔に当たったのだ。よけられた。ハシゴをまた 手でつかむ。もう一度背筋に悪寒。頭に向かって飛んでくる。とっさに首をかたむけた。耳元を銃弾が飛んでいった。 カエサルの萎えかけていた自信が蘇った。自然と口元に笑みが浮かぶ。 「……なんだ、目くらい見えなくたって簡単……」 言おうとした瞬間、後頭部を何かが直撃した。 電磁感覚では捉えられなかった固いもの。 (石か!?) (銃弾は囮か!) カエサルの指がすべった。足がすべった。ハシゴから外れた。風が体を包む。落下しているのだと気づいた。 (ハシゴ! ハシゴをつかまないと! ) 腕をめちゃくちゃに伸ばして、なんとか手がかりを探そうとする。だが手は空を切るばかり。なにもつかめない。 落下速度はいや増すばかりだ。 やがて、全身を激しい衝撃が貫いた。意識がとぎれた。 9 ベルタは森の外、駐車場にバイクを止め、二発目の石を握り締めて立っていた。いつでも投げられるように。 その必要はなさそうだった。 となりのそのまたとなりの原子炉、上に生えた排気塔から落ちてゆくカエサルが見えた。 まったく速度を緩めず、原子炉棟の上面に激突。バウンドして、地面に落ちた。 ドゥカティで走り寄る。 カエサルは仰向けに倒れていた。頭を打ったのか、動かない。 ベルタは四、五十メートルまで接近していったんドゥカティを止め、聴覚を研ぎ澄ませる。 (心音あり、呼吸音あり) 生きてはいる。近寄るのは危険だ。 89式小銃で、手足を狙って撃った。軽い反動が腕に伝わる。アントンの機関銃と比べてしまうとあまりのもささやかな銃声。両肩に連射を撃ちこむ。血が噴 きだす。激痛で目を覚ましたのか、カエサルは大きく目を見開いて悲鳴をあげる。体をよじって転がり、逃れようとする。銃口をずらし、今度は膝を撃った。高 電圧を流されたようにカエサルの体がのたうつ。 弾倉一つぶん、撃ち終えた。 カエサルはいまや起き上がることもできず、うらめしげにこちらを見ている。 エインヘリヤルといえ手足を砕けば、回復まで何時間もかかるはずだ。 (とどめは刺さなくていいだろう) 唇を固く引き結び、ドゥカティ999に再びまたがり、スロットルを開ける。 と、そのとき背後でバイクのエンジン音。ベルタの乗るドゥカティとはまるで違う、重低音の塊、巨獣の咆哮だ。 (アントンか? バイクを手に入れた?) 反射的にクラッチを離し、スロットルを全開、車体を思い切り右に引き倒す。 ドゥカティ999の前輪が思い切り跳ね上がる。尻がシートからずり落ちそうになり、タンクに抱きつくような姿勢でバランスを保つ。後輪がアスファルトをかきむしり、斜め右に向かって車体をすっ飛ばす。尻の下でエンジンが甲高く吼える。 銃声が轟く。 すぐ車体のそばを弾丸がかすめた。冷や汗がシャツの下ににじむ。周囲の路面が爆発した。何十発の掃射を受けて砂利を撒き散らす。 ベルタから三、四メートル離れた場所だ。さきほどより狙いが下手になっている。 (なぜだろう) 一瞬だけ感じた疑問を心の隅に追いやる。油断するな、まぐれでもなんでも、一発食らったら最後だ。 ベルタはドゥカティを突進させる。またしても右に、左に車体を振る。ジグザグ軌道で避けながら、森に逃げ込もうと加速する。 だが今度は銃声が遠ざからない。それどころか近づいてくる。 バックミラーに現れては消える、一台のバイク。 巨大で、異形だった。ベルタのドゥカティ999と違ってカウリングはない。燃料タンクの左右に、燃料タンクよりも大きなラッパ状のエア・インテイクが張り出している。鉛色に輝くV型のエンジンが車体に埋め込まれている。 猛烈な加速性能で知られるマシン、ヤマハV−MAXだ。 アントンはそのV−MAXにふんぞり返った姿勢で乗っている。なんと、ハンドルの上に足を投げ出し足でスロットルを開けながら、両腕でM2ブローニングを抱え撃っている。 あんな撃ちかたでは狙いが狂って当然だ。 だが、V−MAXの突進力は凄まじい。百キロ以上の速度でまっすぐこちらに突っこんでくる。ベルタは車体を振って逃れようとする。旋回ではドゥカティが 圧倒的に上だ。向こうが撃ち、ベルタは勢いよく曲がって回避、左右どちらかで地面が爆発。あとを追ってV−MAXが鈍重に旋回する。 何度も繰り返した。三号炉の建物の周りを何度も周回した。となりの四号炉、五号炉の回りも回った。 原発の敷地内を走り回っている。 でたらめに逃げているわけではない。 向こうもバイクを持っているなら、ただ逃げてもダメ。追いつかれる。 こうやって逃げ回って一定の距離を保つ。 そうすれば、かならず勝機が来る。信じていた。待っていた。 ベルタは原発敷地の中央、管理棟に近づいた。 芝生に囲まれた管理棟は五階建て、窓がずらりと並んでいる。街中に立っているビルと大差ない姿だ。 管理棟まわりを周回する。 バックミラーに映ったアントンの姿が思いのほか大きかった。戦慄に唇がひきつる。 もう三、四十メートルしかない。オレンジ色の炎がバックミラーで弾ける。銃声が空気の壁となってたたきつけられてくる。とっさに左右にバイクを振って回避する。バイクのすぐ脇で路面が爆発する。 最初は二、三メートルずれていた。さきほどは一メートルずれていた。いまは五十センチ。 (どんどん狙いが正確になっている。慣れてるんだ) 気づいたとたん、メッシュジャケットの下で腕に鳥肌が立つ。恐ろしい。体が硬直するほどに。 だが、勝機も近づいている。 バックミラーにアントンの姿が現れるたびに、体からぶらさげた弾帯が短くなってゆく。そうだ、弾切れだ。あれだけ撃てば弾がなくなるに決まっている。 弾切れの瞬間こそ撃つ。今度は89式小銃で牽制してから撃つ。今度こそ当てる自信があった。 その瞬間、尻の下のエンジンが異音を発する。 もともとドゥカティはメカニカルノイズが激しい。先ほどからずっと、排気音だけでなく歯車の噛みあうようなガシャガシャという音も聞こえていた。そのガシャガシャが急に大きくなった。ブレーキもかけていないないのに急減速した。 (なぜ?) ベルタは驚く。思い切りスロットルをあけているのに。 あわててドゥカティの各所をチェック。気づいた。カウルの中から、メーターの下から白い蒸気が噴出している。メーターパネルを見ると水温警告灯が真っ赤に点灯していた。 ラジエータが損傷したのだ。流れ弾を食らっていたのだろうか。 上半身をバイクからずらしてカウルの中に手を突っこむ。手探りでラジエータのホースをつかむ。ホースの穴部分を探して指でつかむ。 だが遅かった。尻の下のエンジンが「ガンッ!」と何かの砕け散る音を立てる。焼きついた。冷却不足で完全に故障したのだ。後輪が即座に止まった。蹴飛ばされたような衝撃がバイク全体を揺さぶる。一気にバランスが崩れる。 ベルタは覚悟を決め、左に滑り降りる。ジャッ、ブーツの裏が時速百キロオーバーで路面と接触して煙を上げる。なんとか転等せずにバランスを保って路面をすべり、 バイクを持ち上げ、背後に迫るアントンへと投げつけた。 たちまち火線が集中する。真っ赤なカウリングが粉砕される。前後のタイヤが別々の方向に吹っ飛んでゆく。とどめにタンクが潰れて火を噴く。 ドゥカティは火球と化してアントンへと飛んでゆく。 一瞬隙ができるはずだ、そのスキを狙って撃つ、そう思った。背中のリュックに左手を突っ込んだその瞬間。火球を通り抜けて飛んできた機関銃弾がベルタの腕を貫いた。 右手に二発。 (うかつだった!) 視界がさえぎられるのはこっちも同じだったのに! 逃げるべきだったのだ。 しかし後悔してももう遅い。右腕の骨がビスケットのように砕かれる音、筋肉が寸断される音が、頭蓋骨の中にまで体を伝って音が響き渡った。ほんの一瞬遅れて激痛がやってきた。 「……っ!」 口が半開きになった。絶叫をあげることすらできない痛み。体が強制的に痙攣する。 その場に倒れこんでしまった。時速百キロで路面を滑っていたのに。尻もちをつき、体が路面に倒れる。頭がアスファルトに激突し、視界に火花が散る。後ろ に何度も何度も転がった。抜けるような青空と黒いアスファルトが超高速で交代した。体が転がりながら跳ねた。いつのまにか芝生に飛びこんだ。芝生に入って もベルタは転がり続ける。草が粉砕される臭いが鼻の穴いっぱいに充満する。 やっと止まった。仰向けの姿勢だ。視界は真っ青な空と、眩しい太陽に占領されている。何本かの白い排気塔が視界の隅に見えた。 しびれる手足にむちうって、半身を起こす。 そこに野太い排気音をあげて黒い影が突進してきた。 V−MAXだ。巨大なバイクがベルタの体を縦に踏みつけた。 乗っているアントンを含め四百キロに及ぶ重圧が足から腹、胸、顔面を通り過ぎてゆく。 胃袋が踏み潰され、内臓の配置が入れ替わる不気味な音。いままでの人生で味わった最大の嘔吐感。胸のメッシュジャケットが巨大タイヤの空転で引き裂かれ て下着が露出、肺の中の空気が残らず押し出され、肋骨がきしんだ。顔の幅ほどもある極太のタイヤが顔面を踏みにじりホイルスピンしながら通過する。鼻の奥 でツンと金属の味。鼻血だ。 V−MAXは通り過ぎていった。銃声もきこえない。弾が切れたのだろうか。 ほっとする時間は与えられなかった。 次の瞬間、巨体が降ってくる。 アントンの真っ黒い体がベルタにとびのってきた。恐怖を覚えてもがく。逃げようとする。手を地面について這いずる。 無駄だった。 アントンが馬乗りになってきた。ベルタの腰よりも太い太腿ががっちりと胴体を挟みこんでいる。片手でベルタの喉を押さえつける。ギャラルホルン封じだろ う。天高く輝く真夏の太陽をバックに、どす黒いシルエットとなって自分を押しつぶす大男。本能的な恐怖を覚えた。二メートルのアントンが自分の二倍三倍に も思えた。 「オラッ!」 アントンは絶叫し、鉄拳を振り下ろしてくる。 最初の一撃が頬に当たった。後頭部が地面に叩きつけられる。口の中で歯が砕ける。十回、二十回、五十回百回。重機関銃のように、削岩機のように連続した打撃が振ってくる。ベルタは身をよじって拳を避けようとした。だができない。そんな一瞬の合間すら与えられない。 鼻がつぶれた。鉄の棒を顔面に突き立てられたような痛み。鉄の味と臭いが鼻腔で炸裂した。前歯がへし折れて飛び散った。口の中のやわらかい肉が裂けた。血の味が舌の上に広がった。殴られるたびに視界を火花が覆い、意識が途切れる。 「オラオラオラーッ!」 すぐ数十センチ頭上から浴びせられるアントンの叫び。 途切れ途切れの時間の中でベルタは考える、逆転の方策を。 (どうしよう。反撃できない) ズガッ (いまは殴ってるけど) ズガッ (本気で殺す気になったら) ズガッ (無抵抗で殺されちゃう) ズガッ (でも体の自由がきかない) ズガッ (頭も、ぼやけて) すでに顔が腫れあがっているのか、目も半分開かなくなっていた。口の中いっぱいに破砕された歯と生暖かい血がたまって、息をするたびにゴボリと音を立てた。 殴られているのは顔だけなのに、手足の感覚もなくなってきた。切断された腕の痛みすら感じなくなっていた。ものがよく考えられなくなってきた。 自分はなんでこんなところで殴られているのか。 自分は誰なのか。 よく思い出せなかった。 戦術支援電子脳が『意識レベル700に低下、危険』と警告してくる。 体の力が抜ける。まぶたが閉じる。 薄れてゆく意識の中、たったひとつの言葉が再生された。 『べるたさん かなしまないで』 意識を電光がつらぬいた。祐樹と過ごした楽しい思い出が、祐樹を傷つけてしまったときの悔恨が、祐樹に許されたときの衝撃が、一瞬のうちに脳裏を駆ける。 自分が何者なのか、なぜここにいるのか思い出した。 もちろん、なにをするべきかも。 (約束を守ると、私は誓った!) 腫れ上がった目蓋を押し上げ、強引に目を開く。真っ黒いアントンの拳が、いままさに上へと振り上げられる。 その瞬間、ベルタは口の中の歯を吹いて飛ばした。歯は秒速二百メートル、火縄銃の弾丸ほどの速度でアントンの眼に突き刺さった。 「うがあ!」 アントンは絶叫をあげた。グローブのような巨大な手で両目を覆った。指と指の間から血と涙がこぼれ落ちる。眼球の破片も混じっている。 「オレの眼がっ」 体を締め付ける力が緩んだ。ベルタは全身のバネをふりしぼって跳ね起きる。アントンの巨体を天高く吹き飛ばす。 体をひねって左手をついて起き上がり、片足だけで跳ねて、近くに止めてあったアントンのV−MAXにまたがった。あまりに巨大なバイクでブレーキペダル に脚がとどかない。しかもいまのベルタは右のひじから先を失っている。バイクに乗れる体ではなかった。左手を伸ばして右グリップをつかみ、スロットルを全 開した。エンジンが咆哮、前輪を持ち上げて突進した。 猛烈な加速で逃げる。管理棟の裏に回り込もうとする。 背後でダガガと機関銃の発射音が轟く。 バックミラーを確認する時間が惜しかった。背中を駆ける『ムズムズ感』、電磁感覚に頼ってバイクを左へと引き倒す。 「ぐっ」 驚いてうめいた。重い。傾かない。曲がらない。ドゥカティとは比較にならないほど重く、反応の鈍いバイクだった。なんとかねじり倒して曲げた。 よけきれなかった。ベルタの右肩を銃弾がかすめる。灼熱の感覚と激痛が襲ってきた。鮮血が噴き出し、ぼろきれとなって上半身に絡み付いていたメッシュジャケットを真っ赤に染める。 「ぐっ……」 うめき声をもらす。戦術支援電子脳が損害を報告してくる。 『右肩部に損傷、関節粉砕、上腕二等筋断裂。関節機能70パーセント喪失』 「右でよかった、どうせ腕はもうないから!」 強がりだ。しかし口に出していってみると力がわいてきた。 すでに89式小銃もカール・グスタフも失った。右腕もない。それなのになぜか絶望しない。痛みを吹き飛ばすエネルギーが体の底からわきあがってくる。 頭の回転も止まらない。 (逃げているだけではダメ) (なんとか反撃を) (カール・グスタフでも避けられるのに……) (右手のない状態でも撃てる武器が……) はっ。息を呑む。目を見開いた。 (そうだ、武器ならある) (よけようのない武器が!) ベルタは口もとに笑みを浮かべ、肩口から垂れ流される血を気もせずに走った。V−MAXを大きくカーブさせる。背後で弾ける銃声が遠のいていった。アントンは乗り物なし、自力で走っている。バイクの速度に追いつけないのだ。 目指すは、三号炉。この敷地の一番奥にある原子炉。 カエサルの倒れている場所だ。 三号炉が見えてきた。近くの路上に、カエサルが先ほどと全く同じ姿勢で倒れていた。 V−MAXを止め、カエサルに駆け寄る。 「ボ、ボクをどうする気だ。殺すのか!?」 ベルタが粉砕した肩と膝はまだ治っていないらしく、芋虫のように這いずって逃げようとする。白い顔が隠し切れない恐怖に引きつっていた。 「そんなことはしません」 ベルタはそう言って、カエサルの手を見る。軍服は血まみれだが、右手の手首から先には一発の銃弾も当たっていないことを確認する。 カエサルの腰のナイフホルダーからコンバットナイフを取り出す。 片手で鞘を外すのは少し苦労した。 「あなたの腕をもらいます!」 「なっ……」 絶句するカエサル。体をよじって暴れる。 「おとなしくしてください、時間がないんです!」 片腕で取り押さえるのは難しかった。彼のからあの上にしゃがみこんで押さえつける。 ナイフを当て、カエサルの右腕をひじのところで切り落とす。 あとは自分の腕だ。 すでに自分の右腕は千切れているが、切断面がギザギザすぎる。 『つなげる』ためには、もっと滑らかでないと。 自分の右腕の傷口のナイフを当てる。真ん中の飛び出した白い骨、その周囲に垂れ下がっている腱を削り落とす。痛みのあまり脳の奥でツウンと音がする。 (これでいいはずだ) はあ、と息をつく。 「見つけたぞこのやろおお!」 アントンの怒声が背後で弾ける。とっさにベルタは身を伏せる。カエサルの腕を抱えたまま路上を転がってゆく。視界の片隅で、V−MAXが銃弾を浴びて空き缶のようにひしゃげて火を噴く。炎に包まれる。 一瞬、銃声が途切れた。「くそっ」アントンの怒声が聞こえてくる。きっと銃弾が切れたのだろう。 (いまだ) ベルタは自分の腕の切断面にカエサルの腕を押し当てた。 (つながれ! つながれ!) 祈りにこたえたか、組織が高速で再生を開始する。うごめいて融合してゆく。 頭の中に戦術支援電子脳の警告メッセージが響く。 『警告。警告。この特殊兵装を制御するソフトウェアが搭載されていません。発射時に暴発する危険があります』 無視する。まったく異なる二つの組織が融合することにより強烈な痛みが生じる。免疫反応だ。額に幾筋もの汗がながれる。汗が目に入って青い空がにじむ。 手を開く。動いた。ちゃんと神経がつながった。 身を起こす。 まさに目の前、数メートルの距離に、両腕を伸ばして突進してくるアントンの姿! 取っ組み合いになったら今度こそ殺される。 「くたばれぇ!」 アントンが吼える。ベルタが右腕を突き出す。 「グングニル、最大出力!」 ベルタの腕がグロテスクなほど膨れ上がり、その表面に稲妻が走り、掌からまばゆいばかりの閃光がほとばしる。組織が耐え切れず、肉汁を噴出して自壊する。 アントンの突進は力強く、速かった。 しかしレーザーはアントンより千万倍速く空中を駆ける。彼が一ミリも動かないうちにレーザーが右目に突き立つ。装甲に覆われていない柔らかい眼球を蒸発させ、頭蓋骨内部に飛び込んで何度も何度も反射を繰り返し、脳組織のことごとくを焼き尽くす。 沸騰する脳の圧力に耐え切れなくなって頭の上半分が吹っ飛んだ。目から上の頭蓋骨がちぎれ、天高く飛んでゆく。ピンク色の液化した脳髄が噴出、二メートルの高さまで吹き上がった。 同時にアントンの体を覆っていた生体装甲も解除される。黒い液体となって流れ落ちた。頭の上半分が欠落した全裸の男がそこに立っていた。 どうと音を立てて、前のめりに倒れる。 分割10へ |