怪しい日記 西暦2004年9月
9月29日
 小宮萌緒さんさんのところでお話をして、それから昨日私が書いた日記を読み返してみると、私は非常に高いところから他人の内面を決めつける書き方をしていました。
 やってはならないことでした。ごめんなさい小宮さん、以後気をつけます。
 
 増田淳「……(平謝りしている)」
 脳内アシスタント1号「文章でそんなことやったって見えませんよ」
 増田淳「こんな恥ずかしいことを書いてしまったのは1年8ヶ月ぶりだ」
 脳内アシスタント1号「1年8ヶ月前にはなにをやったんですか?」
 増田淳「『プロ作家はこうあるべきだ』ということを『ラーメン屋の比喩を用いて』偉そうに説教して、通りすがりの人に『比喩がデタラメなんですけど』とツッコまれた」
 脳内アシスタント1号「……ぜんぜん成長してないし……」
 増田淳「……(平謝りしている)」
9月28日 
 こないだ小宮萌緒さんと飲みにいきました。
 ビールと焼き鳥をグビグビムシャムシャ、Mac話パソコン話から始まってライトノベル、アニメ、SF、マンガ、創作などの話を3時間ほど。楽しかったです。
 あと「SPA!」の「萌える技術」という記事にふたりしてツッコミを入れたり。
 「脇の下に興奮する」のはフェチだろ! オタクでも萌えでもないだろ! とか。
 え? 眼鏡? 眼鏡は萌えですが何か?
 小宮さんは古株のオタクで、パソコン通信や昔のSFなどに詳しい方で、懐かしい気分に浸ることができました。
 ただ、いまのライトノベルはほとんど読んでおらず、SFやメフィスト系もあまり読む気がせず、自分で書いてみる気力もなくなってしまった、ようです。言葉の端々にさびしさがにじんでる感じでした。
 小宮さんはコンピュータにくわしいし、「人工知能への愛」という独自のこだわりもあるから、頑張ればよいものが書けると思うのですが。独自の視点や問題意識をもってる人は強いですよ。
 しかし、「やる気」ばかりは、他人にはどうすることもできません。
 百万の創作理論も、実践あっての物ですし……
 「私の意欲もいずれ枯渇するかもしれん」と恐くなりました。
 私には書くべき物語が残っている。
 私には流すことのできる涙が残っている。
 それはとても幸福なことなのだ、と確認できました。
 もっとも私は「書きたいから書く」だけじゃなくて、不純な動機まじってますが。
9月21日
 お仕事情報。ちょっとだけ進展。

 友人知人から大量に本をもらいました。
 大半はライトノベルです。しかし中島梓「小説道場」なんてのもあります。
 いちどじっくり読んでみたかった本です。ありがとう某所の人たち。

 さて、今週の「SPA!」に「萌える技術とは何か!?」という奇妙な記事が載っていました。
 もともとこの雑誌はオタクに好意的でしたが、一歩押し進めて「オタクに学ぼう」というところまできちゃいました。
 「これからの日本では、金持ちになれるのはひと握り。ひと握りになれなかったものは別の幸せを捕まえるしかない。世の中の価値観に惑わされず自分独自の幸せに突っ走るひとびと、つまりオタクの技術を学ぶんだ!」
 というもので、私も前々から「うんうん、そうだよな」と思っていたものです。
 いやしかしですよ。
 「オタクには5つの力があるッ!!」
 「女性の脇の下のみに注目すればいい脇を見ただけで一日中幸せ! それが『注目力』だ!」
 「現実の女性を完全に諦めることで幸せになる! これが『断念力』だ!」
 とか言われちゃうと「なんか違う! なんか違う! なんか違う! 似てるけど違う! っていうかこれ泣くところですか笑うところですか高度な釣りだったりしますか!?」などと叫びたくなります。

 私もやはり、「道行く女性全員を脳内で眼鏡っ娘に改造する! そうすれば一日中幸せ! それが『眼鏡力』だ!」
 とか言わないとダメなんでしょうか。
9月19日
倉敷駅前  
 岡山(倉敷)まで遊びにいってきました。
 夜行バスはなかなか疲れる代物でした。
 真夜中、東名高速を疾走するバス。すでに消灯され、乗客の大半は寝ています。
 私はのどの渇きに耐えかね、水飲み場に向かおうと立ち上がり……ところが私が座ったのは窓側なので、人をかき分けないと水の在りかまでたどりつけません。早い話、ぐうぐう寝ている人たちを叩き起こしていかねばならないのです。
 暗闇の中で目をこらし、おそるおそる……
 「失礼します……」ばきっ(誰かの足をけっとばした)「すいません。」そろそろ……ぐらぐらっべちょ(バスが揺れて体ごと倒れこんだ)「ごめんなさいごめんなさい」ごがっ(誰かの頭にヒジを叩きこんだ)「ひいいごめんなさい」
 多大な迷惑を振りまきつつ、やっとの思いで水をのみ、さあシートに帰るぞ、ああ数メートルの距離がこんなにも遠い。
 みなさん、夜行バスに乗る時は窓際でなく通路側の席をとりましょう。
 のどの渇きなら我慢もできましょうが、トイレにいきたいとなると。
 岡山では友人とあそんできました。
 映画みたり、創作の話をしたり。
 やはりというべきか、創作の話が一番盛り上がりましたね。
 自分と違う考えの人と話しこんでみるのは、自分自身の考えを整理することにもつながって、楽しいことですね。
 自分にとっては当たり前のことなのに根拠を出して説明できない。あるいはぜんぜん理解不能だった他人の考えが、実は自分の考えとよく似ていたりする。そんなことばっかりでした。
 いろいろ勉強になりました。
 あっという間の1日でした。
 そうはいっても帰ってきてみると、「たった2日しかたってないのか」と驚きます。
 密度が高かったということだと思います。

 「小説が全然ないのも寂しい」という意見を頂きました。
 たしかにそうかもしれません。
 いまは公開できる新作がないので、ショートショートを再アップしておきます。新作は、またいずれ。
9月16日
 
 増田「プリンセスソフトにどんなものを持っていくか、2人で考えよう」
 脳内アシスタント1号「やっぱり増田さんは軍事の知識があるから軍事ネタにしましょう」
 増田「そんなの、どうやって美少女ゲーム化するの? 『スカーレット・ストーム』みたいな感じ?」
 脳内アシスタント1号「戦闘機に魂が宿って女の子に変身するんですよ! 零戦ギャルとかBf109ギャルとかでてくるわけですよ」
 増田「いいのかそれ(笑)? でもそれだとソ連機は全員眼鏡っ娘だね!」
 脳内アシスタント1号「なんでですか?」
 増田「ソ連→富永浩史→眼鏡っ娘
 脳内アシスタント1号「富永さんって眼鏡っ娘好きなんですか?」
 増田「間違いない。『覇空戦記』を読んで確信した。だって『空に憧れる眼鏡っ娘』との恋愛が中心になっている架空戦記だよ? 友人は『あれは偽装だ』って言ってるけど、『この人は本物だ!』と平井和正ばりに叫びたい」
 脳内アシスタント1号「イギリス機は全員メイドさんですか」
 増田「難しいところだね。どうにかして眼鏡分を入れたい。できるはずだ。あとアメリカ機も眼鏡っ娘ということで」
 脳内アシスタント1号「アメリカ機は巨乳の金髪ギャルじゃないんですか?」
 増田「乳なんて飾りですよ! あかほりにはそれがわからんのです! アメリカ→西部劇→ガンブレイズウエスト→シィシィたんハァハァ→眼鏡っ娘だよ!」
 脳内アシスタント1号「西部劇で『ガンブレイズウエスト』を連想するのは普通じゃないですよ」
 増田「ぼく、あの漫画には微妙な愛着もってるんだよ」
 脳内アシスタント1号「あとはドイツ機とか」
 増田「ドイツ→ナチス→平野耕太→眼鏡っ娘ということで」
 脳内アシスタント1号「ヒラコーさんはどっちかというと眼鏡男が好きなのでは」
 増田「でも眼鏡原理主義者らしいよ。それじゃあ、ドイツ→戦車→黒騎士物語→カラミティナイト→眼鏡っ娘でどうだ!」
 脳内アシスタント1号「じゃあ日本機」
 増田「日本機か。むずかしいねえ。ぼく巫女属性とか剣道女属性とかないしなあ。巫女ネタは欠かせないと推測するが」
 脳内アシスタント1号「ところで女の子に変身して何をするんですか」
 増田「戦争。って、眼鏡っ娘を殺す奴はぼくの敵だ!」
 脳内アシスタント1号「はい、この企画ボツ」
9月14日
 みなさん、本読みましょう。読まないとやばいです。
 こないだ電撃文庫の「クリスタル・コミュニケーション」を読みました。テレパス少女をヒロインにした恋愛物語です。
 なかなかよいと思ったのですが、感動に数倍する恐怖を覚えました。
 なぜって……
 いまプリンセスソフトに売り込んでる作品の一つが、テレパス少女をヒロインにした話で、タイトルまで「クリスタルプリズン」。
 ぜんぜん違う話ですが、第一印象がパクリっぽいのは間違いないです。
 第一印象が悪いとそもそも読んでもらえないので、大きなマイナスです。
 違うんだ! 知らなかったんだ! 偶然似てるんだ! 私はパクってない! 潔白だ!
 と叫んでも信用されないでしょうし。
 本読むのが足りないとこうなります。
 とほほ。
9月12日
 また旅行に行きます。
 今度は新幹線でなく夜行バスで。
 いやあ、駄目かもしれないと思ったけど、とれてよかった。
 とても楽しみです。

 映画の感想。
 「華氏911」
 マイケル・ムーアのブッシュ批判映画です。
 ムーア監督に関しては「映画より本のほうが面白い。語り口が軽妙で娯楽性がある。映画は、内容は正しいかもしれないけど、ちょっと退屈な部分も……」と思っていたので、この映画を見るつもりはありませんでした。
 しかし友人に誘われて観にいきました。
 いや、いってよかったですよ。
 前半の「ブッシュ一族はビンラディン一族と知り合いで、ビジネスパートナーである。だから911テロ後、ブッシュはビンラディン一族をアメリカから逃がした。オサマだって捕まえるつもりはない。ブッシュは敵と通じている!」という陰謀論は、すでに本で書かれていたことですし、本当のところは知りようがないので、あまり面白くなかったのですが……
 後半は興味深かったです。
 アメリカの兵士たちは何を思って戦場に赴くのか? イラクで殺し殺されている米兵はどんな人たちなのか?
 それを徹底追跡し、アメリカの「貧富の差」を、はっきりいってしまえば「階級社会」をうきぼりにしてます。
 この映画を見ると、アメリカ兵を非難はできなくなります。
 戦争に反対するにしても、けっして兵士を侮辱するまいと思えます。
 彼らは自分が生きるために、ほとんどたったひとつの仕事にしがみついているだけです。
 真の敵は兵士たちを遥か高みから操っています。戦場には立たず、戦争の生み出す利益だけをかっさらってゆく輩が。
 「戦争はなぜ起こるのか?」という問いには多くの答えがあるでしょう。
 大きくわけで、唯物論的回答と、観念論的回答。
 この映画は徹底して唯物論的回答をさけんでいます。
 「金! 金! 金! それで金儲けをするシステムができあがっているから!」
 「そして貧しい人々は、戦争に参加する以外生きる道がないから!」
 あまりに絶望的で、「愛が足りないから」などの観念論的回答をふっ飛ばす威力があります。
 観念論的回答で戦争がとまってしまう物語は確かに美しいですし、私も書きましたが、現実の戦争を知った人間にとっては説得力がないのでしょうね。
 私なら戦争の物語をどう書くのか、じっくり考えてみる必要があります。
 「この映画と同じ結論に達しつつ、それでも戦争を止めようとする人々の物語」は、すでに秋山完さんが書いてます。
 私が書くとしたら、やはり戦争全体を描いてしまうと嘘くさく見えてしまうので、まったく違う書き方になるでしょう。
9月4日
 飲み会での会話。

 増田「じつは名刺つくったんですよー」
 某1号「おっ、見せてくださいよ……小説家!? 名刺に『小説家』って書いてある!」
 某2号「短編1本書いただけなのに小説家!! なんという面の皮の厚さ!」
 某1号「さすがペンC! 俺たちにできないことを平然とやってのける! そこに痺れる! でも憧れない!」
 増田「そんなにほめなくても」
 某2号「ほめてねーっ!!!」
 某1号「まあその、なんていうか、舞い上がるのもほどほどにね……」
 某2号「作家になっても、将来、ファンの女に手を出してもめそうな感じ」
 某1号「いや、増田さんはそんなことしない。女の子と遊びでつきあえるような人は魔法使いにはなれない。それどころか好きな相手にもビビって何もできない感じ」
 増田「そんなにほめなくても」
 某2号「だからほめてねーっ!」
 某1号「ところでプリンセスソフトの仕事ってあのあとどうなったんですか」
 増田「書いては売込み中です。やっぱりシリーズ化できて最終的にはギャルゲーの企画にできるのがいいだろうということでそんな感じで」
 某2号「ちゃんとショートストーリーとしてまとまってないと駄目ですよ。あからさまに第1話ってのは」
 増田「そうですか参りましたねー。あからさまに第1話ですよー。ボーツとガーイがミールして終わる」
 某2号「何語だよ!」
 某1号「飲みすぎ(笑)」


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