第8章 つかんだ物は

 氷の天体のあちこちから、細長いガスの噴煙が伸びている。爆撃を受けたのだ。
 もちろん、まだ決着がついたというわけではない。
 ヴァルターの周囲には、混ざり合った二種類の「光のもや」がある。そこから多少離れた場所には艦隊があって、要塞との間に砲火を交えている。
 一刻も早くヴァルター要塞を攻略すべく、艦隊を接近させて何度も何度も空襲を繰り返すルーン連邦軍。わずかな時間を稼ぐために命をけずって戦い続けるフォート連邦軍。その二つの激突は、開始から四十八時間で、頂点に達しようとしていた。
 防空戦の要、ファウストを装備した三個航空団は、いったい何度目になるのか判らない出撃を行う。
 エルム、思わず手で額を押さえたくなり、手が無いことに気づいていらつく。
 頭痛がいや増すばかりなのだ。
 戦うのだ、生きるのだ、それが至高の目的!
 考えることなど不要! ただ戦え!
 そう断じ、声には出さない叫びをあげるたびに、脳が煮えくり返るほどの痛みが走った。
 ギル・アーマーにはもちろん、パイロットの生理状態をチェックする装置も搭載されている。だが、そのチェックシステムは何も言わないのだ。おかしな事だ。こんなにも頭が痛いのに。それとも、これは幻だとでも言うのだろうか?
 痛みは増すばかりだった。
 自分は何か大切なことを忘れているような気がする、そんな疑問が、痛みによって意識の底から掘り起こされようとしていた。
「方位050−055の梯団を攻撃」
 一秒間に何百回というペースで点滅する発光信号。
「了解」
 ずいぶん数の減ってしまった部下たちに命ずる。
 敵も焦っているな……ひとつひとつの飛行隊が小さくなっている……
 十分に補充、再編成せずにふたたび出撃しているのだ。きっと時間が惜しいのだろう。ヴァルター要塞にはたいていの惑星を上回る工業力があるから、時間を与えて戦力を回復されてしまうことを恐れているのだ。ゼッペン司令が狙っているのも、それだろう。
 そう思っている間にも、純白の光線が幾条も、ファウストの電磁バリアをかすめ飛んでいく。光線に触れたバリアが強烈な光を発した。
 ……エンジンの震動が少しおかしい……周期的なうなりがある。酷使しすぎでタービンブレードが歪みはじめているんだろう。次は交換してもらわなければ。
 エルム、自分でも疑問に思えるほどに、冷静な考えをしていた。
 自分の、ひたすらに生きねばならないという人格が、動機づけられた魂そのものが、他のあらゆるものを封殺しているのだ。
 だが、他の連中はどうだろう? そこまで、俺そっくりになれるだろうか?
 ああ、そうだ、いくらこの悪夢のギル・アーマーが、心をがっちり閉じこめても。これくらいは思えるはずだ。
 あの学者野郎は言っていたじゃないか。心の本質は、いくら脳科学が発達しても分かりはしなかったのだ、と。
 ゼッペン司令、あんたは一体何を。
 エルムの予想は当たっていた。
 度重なる戦闘、目の前ではじけて死んでゆく仲間、故郷や残してきた人々への思い、生きるための何かが、すべて灰塵と帰すさま……そんなものを見せつけられてきたエルムの仲間たち。ほんとうは素人に近い連中なのに。
 魂の震えすべてを、科学の力で押さえつけられてきた。
 苦しみ悶え、異物を吐き出すように、彼らは、自分の中にあるエルムの心を拒絶しはじめていた。
「どうした。もっと散開しろ」
 エルムはそう命ずるのだが、飛行隊は急激に密集隊形をつくる。いや、685戦闘航空団の全機が、エルムめがけて集まる。
 敵に襲いかかるときと大差のない勢いだ。こいつらは俺をぶち殺す気なのか、そんな思いがエルムの心に生じた。
 だが、思い直す。
 何かを伝えようとしているのかも知れない。
 心は機械によって封じられ、本当に言いたいことは決して言えない。だが、判ってくれるだろう、この男なら判ってくれるだろう、と信じて。
 一千機ほどのファウストが、いっせいに通信機を全開にした。
「……団司令。これはあなたの心ですね。わかります。わかります。信じているのですね。だから戦っていたのですね」
「でもどうすればいいのですか。ほんとうの私は」
「腐れかけた木の操り人形のように」
「縛られたままで、あなたのふりをしていればいいのですか」
「縛られたままで」
「なぜ、こんななのか」
「それは目をそむけているから」
「心をいつわった生だから」
「強いけど強くないから」
「われわれは叫んでいる」
「それを無駄にしないでくれ」
「あの星に残してきた者達も」
「みんなみんな時がながれ灰になって」
「それでも残っている何かを、ここに……」
 もちろん、戦闘中にこんなおしゃべりをしていいはずがない。敵編隊が通過しながら猛烈な射撃を浴びせ、光のシャワーがエルムたちに降り注ぐ。泡がはじけるようにあっけなく、ファウストは破壊されていった。
「なにかを、ここに……」
「おれたちの何かを」
 そう囁く声が、またひとつ減ってゆく。
 それでも戦士としての本分に立ちもどり、反撃しようとする者は現れない。
 エルム、ただ呆然として、それらの声を聞いていた。
 なぜこいつらは。何を伝えようとしている?
 頭痛がした。だが、そんなものに構ってはいられない。
 そう、判ったのだ。直感的に、この連中が自分と同じであると。自分と同じ心を、無理矢理に植え付けられた連中であると。
 植え付けられた心、その苦悩。本来もっていた心。その二つに挟まれたあげくに伝えたかった言葉。
 なぜ聞かずにいられようか。
 どこか神聖なものとすら感じて、エルムはただひたすらに耳を傾けていた。
 心の中で、なにかが大きく膨らんでいく。
「感情補正回路、出力強化」
「感情曲線なおも上昇。制御不能」
 機械の悲鳴。そうだ、それでいい。俺はこんなものに負けはしない。
 エルムの視界がゆらぎ、あの病室が、ベッドの上で機械につながれて昏睡におちいっている彼女の姿が、克明に蘇った。
 映像ばかりではない。あの時きこえた医師の冷たいことば、震える自分の手足、薬くさかった空気、胸をふさいでいた重苦しいおもい……すべてが、いちどに。
 そう、フラッシュバックだ。
 ほんとうの敵とは。
 彼らが伝えたかったこととは。
 迷いはしない。もう、ごまかされはしない。
 エルムの心はやっといま、「一千人の自分自身」の叫びによって、戦いの鉄鎖から解放されたのだ。

 エミールの心には冷たい諦観がみちていた。
 戦いのさなかでも、寝ているときも、飯を喰っているときも、他人と話しているときも、皆。
 どうせ、という感情。
 自分が、他の人間とは違うということは、昔からわかっていた。
 他の人間は幻想をいだくことができるらしい。
 ろくに知りもしない男や女のことを、あいつは信用できるやつだ、あいつは素晴らしいこころをもっている、などと勝手に決めつけることが、できるらしい。
 そんな勝手な決めつけを、友情とか愛情とか呼んでいるのだ。
 薄汚い。
 あるいはそれは、大人が、おとぎ話を信じている子供のことを、ああ楽しそうだねなにも知らないから、などと思っている心境に近いかもしれない。
 だが、うらやましいとは、確かに思っているのだ。
 彼自身、自分のなかに発生するすべての感情を、冷静に分析して嘲笑するくせがついてしまっているから。その感情をなんの根拠もなく信じ、それに身をまかせることができる人間に、彼は実のところ憧れていた。
 なぜあいつらは信じられるのだろう?
 人の心など単なる脳の化学反応だと知っているのに。
 心理的に分析すれば、すべては自分のためにやっているのだと判るはず。ほんとうに他人のために何かをする人間など存在しない。ああ俺はいい奴なんだ、という自己満足を感じているだけだ。
 そう知っているはずなのに、なぜみんなは?
 星がガスだと知っているのに、なぜ星を崇められよう?
 だから鏡を見ていたのだ。
 自分はしかし、こういう人間でしかないのだと、そう確認することが彼の日課だったから。
 知りたかった。なぜみんな夢を見続けていられるのか、ということを。
 あるいはここにいる者達なら知っているのだろうか?
 自分と同じような反応しか示さない、人形のような戦士たち。彼らも同じことを考えているだろうか?
 そんな思いをあらかじめ知っていたかのように、声が届いた。
 一機のファウストが、どこかぎこちない動きで、寄ってきて通信波を放ったのだ。ノイズの向こうに、平板な声がきこえる。
「団司令、気づいてください」
「そうか。お前は知っている、知らされてしまったのだな」
「そうです、団司令」
「知りたくなどなかった、そうだろう?」
「いいえ、団司令」
「どういうことだ」
「どうすればよいのか、知っているはずです。あなたである私たちが、知っているのですから」
 エミールは言葉を失った。

 ヴェルナーは苦戦していた。
 同じ撃墜王といっても、三人はそれぞれ違った特性をもつ。
 経験に頼り、冷静に敵の行動を分析しながら戦うエルム。天性の才能にすべてをゆだね、どういうわけかその才能に裏切られたことのないエミール。
 三人目のヴェルナーは、両者の中間にいる。
 そんなヴェルナーにとって、この状況はやりにくかった。
 周りの連中の腕が異常なまでにいいこと、それは、いままでの経験になかった事態であるだけに、かえって調子が狂う。エルムほどの経験があれば、開戦まもない頃、まだパイロットの質がよかったころを体験しているだろうから、それでもいいだろう。だがヴェルナーはその時代を知らない。
 だとすれば勘を中心とした戦い方をせざるを得ないわけだが、その勘もエミールには及ばない。
 そんな彼の精神を、みんなコピーされているのだ。
 だから彼の率いる第687戦闘航空団は、三つのファウスト部隊のなかでもっとも損耗率が高かった。
 ヴェルナー個人も、出撃のたびに追いつめられる。
 いまもまた、爆撃機の編隊めがけて突っ込んだはいいが、左右の連携がうまく取れず、彼はほとんど単機で砲撃の中に放り出されてしまった。
 かくなる上は、自分の才能とファウストの性能に賭けてみる他ない。
 強引な側方噴射を繰り返し、死角に回り込みつつ、八十八ミリ砲と三十ミリ砲に反物質を注入する。
 亜光速で飛び出す輝く奔流は、たしかに丸く太ったシルエットを撃ち抜いた。同時に三十ミリが細い光条を発し、護衛ギル・アーマーの腕を吹き飛ばす。この間、ほんの一瞬しかかかっていない。なるほど、撃墜数百機以上という実績にふさわしい。
 だが、個人個人のテクニックに頼るのが得策でないことは、まともなパイロットなら誰でも知っていること。決して誉められることではない。やむにやまれず、やったのだ。
 それだけの代価は支払うことになった。彼の行動によって飛行隊の連携はいっそうみだれ、そのすきを突くようにして攻撃が襲いかかった。長大なライフルを構えた護衛機が集団で飛びこんでくる。紫電一閃、大きなナタで薙ぎ払ったかのように、まばゆい大口径ビームの豪雨によってヴェルナーの飛行隊が両断された。
 光が消えたとき、確かに数が減っていた。いまの一瞬で四機もだ。
 舌打ちしようとして、舌の感覚がない、いや舌がないことに気づくヴェルナー。
 おれの舌をかえせ、という言葉が脳裏にフッと浮かぶ。
 ああ、そういえば手もない、脚もないぞ!
 「幻肢」という現象がある。事故などで手脚を切断した人間が、存在しないはずの手足に痛みを感じるのだ。それと同じことが彼の身にも起こった。感覚のなかでのみ存在する手足が、おれを無視しないでくれと訴えた。
 だが、まちがいなくないのだ。
 混乱し、視点をきょろきょろと動かした。
 冷水を浴びせられたような感覚をおぼえる。
 おかしい。これじゃ、噂どおり、いままでの定説どおりじゃないか。ファウストは、たとえ非人間型をしていても乗ってる奴にストレスを与えないんじゃなかったのか。
 いまになって、なぜ?
「失われし狂気の代価ですよ」
 盛大な雑音にまじって、声が響く。
「おまえは……おまえはだれだ?」
 喋っているのは自分の指揮下にある第二中隊長だということは判っていた。だが、あまりにも自分に似たその口ぶりに、おもわず驚愕の言葉が口をついて出る。
「私は、あなたです。どう思いますか? どんな答を出せますか? あなたの哲学とやらは」
 無数の映像が脳裏を乱舞した。
 針のひとさしが、まちがいなく急所をついたのだ。
「おれは……」
 これまでも少しずつ、「ひび」が入りつつあった。
「そうか、お前たちは」
 なにかが、彼を妨害していた。脳に圧力が加えられる。視界が歪む。明滅する。考えが中断される。
 ……軍人としての本分に立ち戻れ。
 ……任務を完遂せよ。
 ……惑わされてはならない。
 ……そうだ。軍人として生きるのだ。戦うことでお前は生きてきたはずだ。それ以外の生き方など知らないはずだ。
 ……だから、それでいい。余計なことは考えるな。迷うな、悩むな。
 脳に流し込まれた人工的意識が、運動中枢をのっとり、ファウストを動かそうとする。
 あくまでも戦いのために。
 自分が操られている、という自覚も消えるようにプログラムされていた。普通なら、彼の自我は一瞬にして消え、道具としての戦いに喜んで飛び込んでいったはずだ。
 だがそれでも、意志力をふりしぼって、彼は考え続けていた。
 たったひとつのことを。
 答はどこか、と。
 あまりにも無防備な体勢だった。
 交錯するビーム。ここぞとばかりに降り注ぐ。
 ヴェルナー機を取り囲むように飛んでいる飛行隊の僚機が、まばゆい火花とともに傷つき、あるいは弾け飛んでゆく。
 慟哭を、おさえきれなかった。
「……団司令。いまこそ信じるときです」
 その言葉を発した機体は、集中砲火を浴びて弾けた。
 おれは、あのときなんと言った?
 そうだ、クオリアと。
 いかなる脳科学も、人の意識の根本にあるものを解明することはできない、そういった。通常の論理ではわからないと。
 わからないことは、いくらでもあるのだと。
 そうだ、それを伝えようとしてくれていたのだ。
 こいつら、おれの人格やら意識やらをコピーしてくれて。もともと持っている記憶との間で……ずっと苦しいおもい、してきただろうに。それなのに。
 今なら、なぜ自分が少しずつ「ファウスト」に違和感を感じはじめていたのか、それもわかった。
 おそらくファウストに乗って狂わずにいるためには、もともと狂っている必要があるのだろう。
 好きな女を刺し殺したことを、ずっとずっとひきずっている俺なんか、まさに適任じゃないか。
 だが、ほかのこと、たとえばエミールやら何やらのことに気をとられて、あるいは哲学というものの限界に気づいて、彼女を追い続けることに疲れはじめていた。
 だから、だ。
 おれになにが出来るだろうか? それを教えてくれた、こいつらのために。
 そのとき天啓がおとずれた。
 わかってやることだ。
 なぜこいつらは死ねるのかということを。
「なぜだ」
「ひとなら、おなじですよ」
 そうか、そういうことか。
 似ている。
 こいつらとハンナは。
 俺はハンナにあこがれ、知りたいとおもい、だが、すべてが明らかになってしまうことを恐れてもいた。
 もし、すべてが俺の幻想にすぎないとしたら……
 うすうす判ってはいたこの答が、たんなる俺の願望、好きな女に愛されたいという、愛されていたと思いたいという、ただそれだけの……そんなものであったなら。
 それが怖かったのだ。
 だからこそ、すべての本質に近付くようでいて実は遠ざかっている、果てしない哲学的探求の道へ足を踏み入れたのだろう。
 しかし今なら判るのだ。
 もっとかんたんなことだったのだ。
「わかっていたさ。この空のどこにも」
 その言葉が口をついて出た。
「団司令、わすれないでください」
 ヴェルナーの単なる代用品として死んでいく男は、そう言い残した。
「すまん」
 ヴェルナー、機体を反転させる。
 どんな高名な学者の理論によってもたどりつけなかったものを、彼はいま手にいれたのだ。
 コピーたちも、いっせいに彼にならった。
 一千人ほどの「ヴェルナー」は、真の敵めがけて挑みかかっていった。

「ファウスト部隊の行動に異常あり。685、686、687……すべて反転しました。本要塞に急速接近中です」
「どういうことだ。まだ燃料補給には間があるぞ」
 ゼッペンは土気色の顔をこわばらせる。
「ケルトハイマーだ! ケルトハイマーを出せ! 所長もだ!」
 みずから受話器をひっつかみ、怒鳴る。
「司令……」
「どういうことだ! なぜ奴らは予定外の動きをする。プログラムに問題があったのではないかね」
 電話回線の向こうにいる所長とケルトハイマーも、大いに困惑していた。計算上、ファウストの精神支配を彼らが脱せるはずがないのだ。
 彼らの混乱にさらに拍車をかける様な事態が起こった。
「この要塞に突っ込んできます!」
「なんだと!」

 エルムは、ありがとう、と、自分の鏡像たちに言うつもりだった。そのつもりだったのだが、うまく言葉に出なかった。
 出す必要はないだろう。みんな判っているのだから。
 突然自分の要塞めがけて戦闘速度で飛び込んできたファウスト部隊に対して、混乱しきった声が浴びせられる。
 ふと彼は、エンジン推力のすべてを振り絞って要塞に飛び込む者が、自分達の他にもいることに気づいた。
 685航空団をはさむように、あと二つ、同じ規模の編隊がついてくる。
 そうか、そういう事か。
 同じなのだな、やはり。
 みんな、ほんとうにしなければいけないことを、今やっと見つけたのだな。
 いまの彼にはもう、彼女はじっさいには殺されているだろう、それを認めることができた。ああ、そうだ、そんなもの当然だったのだ。自分も本当はそんなこと、とっくに気づいていたのだ。
 それなのに自分はなぜ生きている?
 飛びたいからか? ギル・アーマーに乗り続けたかったからか?
 いや、ちがう、そんなものは誰も納得させられない。
 彼女が言うのだ。彼の中にいる彼女が。
 ずっといっしょにいてね。
 それこそが答だった。
 彼にとって、実在するたった一つのもの……
 会いたかった。
 膨れ上がる想いが、異形の機体をつき動かす。
 「一千人の彼自身」は、光の尾をひきながらついてくる。
 俺は幸せだ。だがあいつらは幸せだろうか。あいつらには、上書きされたコピーじゃない、もともとのこころがあったはず。それがもがき、ほんとはこんなことしたくないんだと、そう言ってないだろうか?
 だが、一千機の動きに、乱れはなかった。
 信じよう。あれは単なる洗脳の結果などではないと。
 彼女のこころが、動かしたのだと。
 そうだ、クオリア。存在の本質……
 ついに敵、反逆者と認識したのか、フォート連邦の防空戦闘隊がビームの嵐を浴びせてきた。
 だが、「ファウスト」である。機体をひねり、噴射方向を激しく変えて軌道を蛇行させると、まるでわざと外して撃っているかのように、すべてのビームはそれていった。
 攻撃という攻撃をよけながら、エルムは叫んでいた。意味不明な絶叫。いまの彼には声帯もなく、無線機も切ってあるので、それはたんなる心の叫びにすぎないのだが、それでも叫ばずにはいられなかった。
 いつになくエルムは興奮していた。
 戦いのなかで、生きてやるひたすら生きてやる、そう叫びをあげながら彼女のことを想っていたときですらも、これほど彼女の存在を身近に感じた事はなかった。
 だが、いま、彼女はここにいる。
 やっとわかってくれたね、みたいな事を言ってくれている。
 ほんとうに彼女が望むこと。
 ああ、そうだ。いま、それをやるのだ。
 もうごまかさない。おれのすきな彼女はほんとうの彼女であって、おれのための彼女ではないのだから。
 そして、それを終えたら。
 いままでずっと、理解できない、まともな心がない、そうとばかり思っていたエミールとヴェルナーも、自分と同じことをしている。
やはり同じなのだ。
 回線を開き、出力を全開にしてヴァルター要塞に呼びかける。
「私は……」
 名乗る。だが、585戦闘航空団の司令であるとは言わなかった。
「私はエルム・ブラウト! 501小隊の人間だ!
 これより要塞を破壊する! 戦争をおわらせるのだ!」
「裏切ったか!」
 飛び込んできたのその声はゼッペンのものであった。
 これには、エルムに代わってエミールが答える。
「うらぎってなどいない。たしかなものが、ほしかっただけだ」
 貴様にはわかるまい、という意味をこめて言っていることは明白だった。おお、と、エルムは思わず感嘆のうめきをあげる。
 発光信号で伝える。いっしょにいこう、と。
 機体を振ってエミールは答えた。この動作が示すものはひとつ。
 「俺に続け」……
 ヴァルター要塞はついにその絶大な防空火力を、エルムたちに向け始めた。さすがに、何機かがはじけ飛ぶ。
 だが誰一人として退かなかった。
「狂っている。お前たちは狂っている」
「憎むのか、俺達を。道具にしたからか」
 ヴァルター要塞から叩きつけられる言葉。どれがゼッペンのもので、どれがケルトハイマーのものなのか。
「憎んでなどいない。ただ、もう二度と」
 そう、自分たちだけでいいのだ。
 横に視線をはしらせる。本当の自分を、コピーされた人格の下に塗り込められてしまった男たち。
 それでも、プログラムの支配力を脱し、一緒に動いてくれる。だとすればどんな人の心にも、あるはずだ。
「正気にもどれ! 祖国のために戦うのだ! 上官の命令だぞ! それが軍人だ! お前達はそのために生きているのだ!」
 金切り声が虚空をわたって飛んでくる。
 三人は行動でこたえた。要塞に、八十八ミリ砲を叩きこんだのである。もちろんギル・アーマーに積めるサイズの砲で要塞が壊れるはずもなかったが、こちらの心は伝わったはず。
 そう、「ほんとうの何か」を、我々は見つけたのだ、ということが。
 だから誰も止めることはできないだろう。
 もう自分を安心させておくための物など何も必要ないから。だから彼はもう軍人ではないし、男でもないし、あるいは人間ですらないかも知れない。だからそんなものの論理にしたがう必要はない。
 ただエルム・ブラウトであり、エミール・フォン・ヴァイスハウゼンであり、ヴェルナー・ゴルトムントなのだ。
 エミールは震えていた。
 ……この感じはなんだろう。震える心、熱い血。
 自分が生きている、ここにいる、そう実感できること。
 そうだ。これだけは真実。
 もう、あの木漏れ日の庭で、「まあだだよ」といい続ける必要はないのだ。
 だから信じよう、この人たちを。
 この人たちの輝きを、自分も手にいれたいから。
 エミール、輝く電磁バリアの穴を抜け、要塞表面に接近する。度重なる攻撃で、氷原はすでに大半が溶け、煮えたぎっていた。
 一千機にのぼる彼の部下たちは、つい先ほどまで味方であったフォート連邦軍と戦っていた。フォート防空部隊は混乱していて、攻撃の勢いは弱い。
 当たり前だ。このファウスト部隊こそフォートの救世主だと思っていたのだから。どうして銃をむけられよう。
 そうこうしている間に、エミールは地面めがけて八十八ミリ砲を連射、大穴をうがち、装甲をも貫き、要塞内部に侵入する。
 もうもうとたちのぼる蒸気、溶けた金属の破片が輝きながら飛び散る。要塞内防御システムが作動し、何重のバリアが彼の行く手をはばむ。
 砲身が真っ赤になっても、何度も何度も主砲を発射してそれらのバリアを破ってゆくエミール。
 何十層もの階層をぶちぬき、彼は深度一千キロまで侵入した。エンジンと砲とバリアが発する高熱で、周囲の壁や、ギザギザしたふちをもつ 破口が溶け、灼熱地獄だ。
「……すまんな」
 エルム、自分の背後で戦っている自分のコピーたちに礼と別れのことばを残し、エミールを追う。
 自動修復機構が作動し、いまにも穴は閉じようとする。
 八十八ミリが閃光を発し、それらの機械の働きを無意味にした。拡大された穴をエルム機は抜ける。
 ヴェルナーも、なにかぶつぶつと独り言を言いながら、機体を急旋回させ、明滅する対空砲火をかいくぐって、二人の後を追った。
 背後では、この要塞が建造されて以来最大の激戦が行われていた。
 輝く点の数が大幅に増えている。ギル・アーマーより数段強い輝きを放つ光のかけらすら侵入してきている。
 あれは艦隊だった。
 「どうやら同士討ちをしているらしい、敵は大混乱だ」と気づいたルーン艦隊が、総力をあげて突撃してきたのだ。艦隊航空戦力で傘をつくり、その下で戦艦をはじめとする主力艦を目標に突入させ、砲撃で片をつける。どちらかといえば古い発想で、こちらの損害も馬鹿にならないのだが、要塞相手なら有効なこともある戦法だった。
 エルム、エミール、ヴェルナーの分身たちは、一斉に襲いかかるルーン連邦機にぶつかり、火花となった。何倍もの敵を道連れにしてはいるが、それでも、次から次へと弾けてゆく。
 ついにルーン、フォートのいずれをも敵にまわした彼ら。だが、いっさいのためらいはその行動になかった。
 三機の「ファウスト」は、自らが発する熱で壁面を真っ赤にさせながら、はるか地の底、要塞中心部へと侵入する。
 バリアを張ったまま要塞内をつきすすむと、とくに武器を使わずとも壁が溶け、シャッターが破れた。
 要塞内防御システムが自動的に作動する。壁面に設けられたスプリンクラーのような装置が首をもちあげ、小さな分子破壊弾がばらまかれる。
 あまりに狭いため、何発かは命中した。砲身が、アンテナやセンサーが、噴射ノズルの一部が、破壊弾の威力で塵に還る。
 火花と炎を発する三つの機体。ほとんど火の玉が飛んでいるかのようだ。それでも、機体をがくがくと身悶えさせながらも前進することをやめない。
 彼らは深度二千キロにまで達した。

 ゼッペンは神を呪い、運命を呪っていた。
 なぜこんなことになってしまうのだろう?
 とつぜん反旗をひるがえしたファウストは、この要塞を破壊するために突入してきた。もう、この司令室の近くまで潜ってきている。そのうえ、 ルーン艦隊は混乱に乗じて突撃してきた。
 おしまいだ。難攻不落を誇ってきたヴァルター要塞も、おわりだ。この要塞はすぐに落ち、奴らの大艦隊は連邦首都まで一直線、われわれは敗北するだろう。
 おのれ、おのれ、俺は憎むぞ、なぜ軍人のくせに勝利をもとめない。国を裏切るのか。いったいあいつに、軍人としての生き方いがいの何があるというのだ。
「ケルトハイマーっ」
 作戦司令室に呼び出されていたケルトハイマーに向かってゼッペンは絶叫し、抜いた自動拳銃をつきつけた。
「閣下、なにを」
「貴様が悪いのだ。貴様がいい加減な計画をはじめるからだ。貴様さえいなければ俺は」
 その時、作戦室の壁面にとりつけられたスクリーンが火を吹いた。次の瞬間、壁そのものが爆発する。
 盛大な炎の中から姿を現したのは、ファウスト。
 周囲を地獄の業火で灼き尽くし、炎の中にシルエットとなって浮かび上がるその異様な姿は、まさに怪物そのものに思えた。
 吹き込んできた熱風を浴び、オペレーターたちの服や髪に火がついた。ゼッペンも苦しげにあえぐ。
「ぎ、ぎざま……」
 ファウストは何もいわず、ただ、レンズを輝かせていた。
 無機質な光を放つレンズ。その配置はもちろん、人間の顔と同じではない。三百六十度の視界を確保するため、機体中に散らばっている。
 角のように突きだした砲身やミサイルランチャーは、高熱にあぶられて溶け、真っ赤にかがやいている。
 化け物だ、そんな印象を与えずにいられない。
 サウナ以上の熱の中で、身体が灼かれる苦痛を味わいながら、ケルトハイマーは思った。
 真っ赤に燃えた奇怪なメカニズム……とげのような砲身、ずらりと並ぶノズル。多くの目玉。
 ファウストは機体を震わせた。
 エンジンの低い唸り。
 Fe核融合式冷却システムの立てる、甲高い音。
 ゆらめく炎が発する音。
 ケルトハイマーは技術者である。機械のことは、とくにこのファウストのことはよく知っている。
 だが、ただの機械だとはどうしても思えなかった。
 悲しげな叫びだと、すすり泣きのようだと、そう感じた。
 おれは……なんてものを作り上げてしまったのだろうか?
 あるいは最初にギル・アーマーを造り上げた、二千年前のあの男も、こんな事を思ったのだろうか?
 脳の中の思考制御装置が、そんなことを感じてはいけないと、激しい口調で命令する。お前は国家に命を捧げたのだ。反逆者に対しては、単に憎いと思わなければいけないのだ。
 だが、脳の中にある別のものが、それを拒絶した。
 ……同じなのだろうか?
 思考がはじけ、とりとめもない考えが浮かぶ。
 悪魔に魂を売った男の名をもつ兵器は、ほとんど感動に近い衝撃をケルトハイマーに与えたのだ。
 ファウストは一機だけではなかった。その後に、もう二機が続いていた。
 室内温度は百度を軽く越えている。服が燃えていた。よろめきながら、たいまつのように燃えるケルトハイマーはファウストの前に出た。
 なにかを訴えるような目をしていた。
 ゼッペンは、なおも怒りの声をあげている。もうすぐ死によって中断されるだろうが。

 ああ、自分は生きているのだ。エミールは確信していた。
 私は幸せだ。ぼくはいま、ここにいるのだから。
 信じるにあたいするなにかが、ここに。
 そう、目の前にも、それに気づいたものがいる。
 殺してくれ、そう言っているのだろうか?
 いいだろう。そしてすべては無に還るのだ。
 そうすればこんな人間はもう誰も。
 視線を左右に走らせる。
 エルムとヴェルナーの機体は、短い発光信号で答えてくれた。
 そうだ。
 これから死ぬというのに、エミールは不思議な高揚感をかんじていた。
 なにかが、身体と心の底からわきあがり、力をあたえてくれているのだ。
 これは何だろう? 人間の本質だろうか?
 それともファウスト、お前が同意していくれているのか?
 機体の通信機の出力を全開にした。
 声をかぎりに叫ぶ。
「聞け! われわれは……」
 そこから先の言葉は出てこなかった。だが、そんなものは不要だろう。きっと要塞すべての将兵が聞いてくれるはずだ。
「これが我らの叫びだ!」
 ヴェルナーも叫んでいる。
「終われ! もう二度と……」
 これはエルムの声だ。
 エミールは機体の自爆装置を作動させた。
 生じた閃光は、作戦司令室を吹き飛ばし、反応炉にも被害を与える。
 それに前後して、魂の叫びと言うほかない三つの通信が、要塞に備えられた無数の通信機に飛び込んだのだった。
 あくまで抗戦を続ける心づもりだった何千万もの兵士たちの心に。

 要塞内部で任務についていた一人の兵士。
 服は汚れ、悪化する栄養状態のために頬はこけ、それでも眼だけは異様に輝いて、胸には闘志だけが変わらず充満している。
 彼は狭い砲制御室にこもり、対空砲の一門を操作していた。
 その時足元から激しい揺れが伝わってきた。
 揺れは十秒たっても二十秒たってもおさまらなかった。よほど大きな爆発か何かが起こったに違いない。
 人工重力発生装置が壊れたらしく、重力が弱まる。
 ついに爆撃が中心部にまで被害を与えたのだろうか?
「おい! いまのは……」
 かたわらの同僚に問いかける。
 同僚は通信機のスイッチをいれた。
 とたんに、泡を喰った様子の声が飛び込んだ。ほとんど悲鳴にちかい。
「要塞深部で大爆発発生! 司令部消滅! 反応炉八十パーセントが送電停止!」
「ただいまの爆発は……突入した味方機の反乱による……」
 怒りが爆発した。敵ではないのか。味方が!「裏切りもの!」
 無意識のうちに毒づいていた。当然だ。祖国は彼の生まれるより遥かに前から戦争を続けてきた。ルーン連邦とかという訳の判らない連中に殺された人間の数は、ひとつの惑星の居住人口では収まらないほどだ。彼がこれまで生きてる間に知り合った友人たちの多くも、あるいは出撃したまま還らず、またあるいは敵弾の破片を受けて血の海にしずみ……とにかく、そんな最期を遂げているのだ。
 なぜ憎まずにいられようか。
 せめてもう一撃なりとも敵に与えたい、そう思うのが当然ではないか。それを……
 怒りにうち震え、制御パネルをにらむ。
 と、パネルには、三つの言葉が表示されていた。
 どうやら爆発と同時に転送されてきたらしい。
「聞け! われわれは……」
「これが我々の叫びだ!」
「終われ。もう二度と……」
 かたわらでコンソールパネルを操る同僚と顔を見合わせる。
 隣のパネルにも、全く同じ文章が輝いていた。裏切り者たちが送ってきたのだろう。
「同じだ」
「俺のところにも来てるぞ」
 砲管制室に当惑の声が響く。全員のもとに、その言葉は送り届けられているのだった。
 彼は思わず、片手で胸に手をあてていた。
 わからなかった。
 裏切りものの言葉が、俺たちの心を踏みにじる奴らの言葉が、なぜ心に響くのだろう?
 これが我々の叫びだ。
 そう裏切り者は言った。
 その言葉ばかりが何度も彼の胸中でリフレインされる。
 なぜこの言葉が気になるのだろう?
 胸に当てた片手の力を強めた。唇を噛んだ。動悸が早くなっていた。
 彼はなんとなく気づいてしまった。なぜ、こんなにもこの言葉に捕らわれるのか。憎しみ以外の感情がこみ上げて来るのか。
 じつは、ずっとに気になっていたのだ。
 この胸を満たす、敵を憎む想いが、戦いを当然とする考えが、ほんとうに自分自身のものなのか、という事に。
 だが口に出すことはまさか許されなかった。
 それなのに、ここにいるこいつは、確かに言った。
 そうだ。ほんとうの自分とは、こいつらのような。
 胸に手をあて、眼をとじる。
 闇と、肋骨の奥の脈動だけが世界のすべてになった。
 眼を開いたとき、彼は、自分のとなりの男が、軍服から何か小さなものをちぎり取ったのを見た。
 階級章だった。
 自然と頬がゆるんだ。
 深くため息をついて、彼も同じことをした。

 ルーン連邦の艦隊司令官は首を傾げていた。
 何もかもうまく行き過ぎる。
 あの異常なほど強いギル・アーマーの出現で、一時は撤退すら考えた。
 だが、あの部隊は突然味方を攻撃しはじめた。
 一体なにがどうなっているのだ?
 この混乱を利用せずにいられるかと、艦隊を突撃させ、さらに戦果を拡大させている。
 それにしても妙だ。
 旗艦のブリッジに立つ彼に、オペレータが叫んだ。
「要塞内部に熱反応発生。ガンマ線も検出されています。中規模の爆発です」
 スクリーンの中の要塞から幾条もの光がほとばしる。
 光が消えたとき、要塞は各所からガスを吹き、半壊していた。
「要塞、戦闘機能停止を確認。中枢部が吹き飛んだようです」
「自爆したのか……?」
 しばらく間を置いて、次の報告があった。
「残存兵力より通信があります。降伏です」
「何だったのだ? 反乱か?」
 これでフォート連邦攻略への障害は消滅した。
 だが、なぜか、素直に喜ぶ気にはなれないのだった。
「……要塞攻略に成功したものとみなす。
 要塞占領の後、最終作戦、フォート連邦首都制圧作戦に移る」

 フォート連邦最強最後のギル・アーマー、「ファウスト」。
 それは従来機と全く隔絶した高性能を誇りながら、戦局に寄与することなく歴史の闇に消えていった。


 続きを読む 前に戻る 目次に戻る 王都に戻る 感想を送る