第五章 脱出! 夢大陸
「むーたいりくう?」
見城がすっとんきょうな声をあげた。
暗くてよく見えないが、どうも疑いの眼で見られているようだ。
「そうさ。考えてみろ、当然オカルト系の空想だって実体化するはずだ。ムー大陸を信じている奴の数はかなり多いと思うぞ。まちがいない、きっと太平洋の底に沈んでいる。で、いまもムーの人間は活動しているはずだ。幻想の強度はかなり強いと思う。日本軍やアメリカ軍も手出しできないんじゃないか」」
それからもうひとつ、素晴らしいことがある。
「それに……」
「ああ、そういうことか」
わかってくれたか。
「そう。ムー大陸なら、お前のダルジィも、おれのライヒェルムも、百パーセントの力を発揮できる」
魔法だろうが超能力だろうが、なんでもありのはずだからな。あるいは一二〇パーセントかも知れない。
「だが……そこに逃げ込んで、ひとまずはいいとして……どうする気だ?」
見城は、あまり気乗りしない様子だった。
何故だ? いいアイディアだと思ったんだが……
「わかんないのか見城? 助けてもらうんだよ。オカルト本によると、ムーの連中は平和的なんだろ。きっと助けてくれるはずだ。で、その連中の力を借りてアメリカにたどりつくと」
「……」
見城の表情はさらに曇った。はっきりと不機嫌そうな顔をしている。
「どうした? 気に入らないか?」
「なにか根拠でも?」
「根拠って……オカルト話をききかじったことくらいあるだろ。ムー大陸というのはこういう感じだって幻想が、イメージがあるじゃないか。当然、それは幻想通り実現するはずで……」
「いや、わからないならいい」
なんだ、何が言いたいんだ、見城? はっきり言えよ。
「まあいい、ダルジィ、急いでくれ」
「了解、見城」
ダルジィたちの全身から発する青い光が強まった。おれたちを包んでいる泡は、どんな潜水艦でも達成できない沈下率で潜っていった。太平洋の真ん中はかなり深いからな、このくらい出さないとまだるっこしいということだろう。
「わたくしも手伝いますわ」
そう言ったのは、ダルジィのそばの、赤毛の少女だ。全身を包むスーツも赤、髪も赤だが、ダルジィによく似ている。もう少し小柄で、おとなしい印象だろうか。
「念動力……全開……」
ダルジィの声が「クール」なら、この娘の
声は「涼しげ」か。
眼を閉じてつぶやく彼女の全身から、炎を思わせる光がたちのぼった。
青と赤の光が混ざり、周囲は紫色になった。
「はじめまして。きみはダルジィに似ているけど」
おれが呼びかけると、少女はぺこりと頭を下げた。
「リルジィと申します。ダルジィお姉さまの妹ですわ」
「妹……?」
「正確には妹的キャラといったほうがいいかもしれない。ドルッケンバイム帝国に反抗していたレジスタンスが、ダルジィを仲間にして、その遺伝子から造り出した改良型だ」
相変わらず、使いもしない設定を細かく決める奴だ。
「ふうん。このお嬢様口調はお前の趣味?」
「まあね。キャラクターの口調には極端な特徴をつけなきゃだめだよ」
「そういうものかな……まあいいや、なあ教えてくれよ。何が気になるんだ? ムー大陸はない、っていうのか?」
「いいや、あるとは思うよ。かなり多くの日本人が、その存在を信じて……少なくとも、『あってもいいかな』くらいのことは思っていたから」
「じゃあ、何がまずいんだ?」
見城は短い首をさも不思議そうにひねって、こんなことを言いやがった。
「そんなことも判らずによく小説家だとかいってられるね」
なんだと! 腹がたった。
こいつはたまに、こうやってケンカを売ってくるのだ。本人はちょっとしたおふざけのつもりらしいが……
よし、見てろ。おれはこの思いつきには自信があるんだ。
ムー大陸。
……一万年以上前、太平洋の真ん中にムーという大陸があった。そこには白い肌の人々が優れた文明を築いていた。やがてムーは沈んだが、その文化と技術は世界各地に伝わり、現在の文明に受け継がれた……
そう言われている。だが、それは作り話だ。二十世紀の初頭、チャーチワードというという人物が考えただした架空の大陸だ。本人は証拠を見たと言っているが、かなり疑わしい。アトランティスは伝説の大陸だが、ムーは伝説ですらないのだ。彼が一人ででっちあげた「お話」である可能性が高い。チャーチワードは白人優位主義者で、中国人やバビロニア人なんかに文明が築けるはずがないと思っていたという。だから、「本当はすべて白人が創ったのだ」ということにしたかったのだろう。
とても情けなくて恥ずかしい話だと思う。だがどれほどいい加減なものでも、多くの人が信じてしまった以上、それは必ず実現する。
おれもオカルト雑誌とか、そういう単行本とかはちょっとしか読んだことがない。だがら詳しくは知らないのだが……
チャーチワードの妄想を核にして、多くの人々がムー大陸のイメージを補強していった。いろいろな漫画、アニメ、ゲーム、そして新興宗教がムーを利用した。ムーはそういった連中の付け加えた設定を呑み込んで、少しずつ変わっていった。
いつのまにか、ムーには現代の科学を遙かに上回る超文明があったことにされてしまった。しかも物質文明ではなく、精神エネルギーを使った文明だという。
さらに、ムーはまだ生き残っている、という説も現れた。海底都市を造っているとか、UFOに乗っているとか……
これらすべての幻想がまとめて実体化したら、どうなるだろう?
海底には、すごい文明を持った平和的な国があるはずだ。
あるはずだが……
さあ、そろそろ見えてくるはずだぞ。
おれは下を向いた。
足の下には数十センチの空間があり、その下には泡の膜がある。最初はぐにゃぐにゃと変形していたが、水圧のせいでまったく揺れなくなった。
その膜の、さらに下に。
普通なら、暗い海面しかないはずの場所に。
「ほら、あれを見ろ!」
おれは得意になって叫んだ。そこには光があった。光の塊がいくつか。
百メートル潜れば、そこはもう暗黒の世界だ。水というのは、そのくらい激しく光を吸収・散乱させるんだ。
それなのに、光が見える。
ということは、下にはよほど強い広原がるということ。もしかしたら物理的な光ではなく、魔力を含んだ光とかそういうものかもしれない。
ムーの海底都市に違いない。
「ダルジィ、リルジィ、下からの精神波を調べてくれっ」
「もうやっておりますわ」
「すでに受信中。レベル四以上の精神波を感知している。敵性は感じられない。通信目的に変調された精神波のようだ」
「理解できるか」
「可能。『こちらムー王国。接近中の正体不明船に告ぐ。所属と目的を明らかにせよ。繰り返す。こちらムー王国』」
「ほら、言ったとおりだ! ムーはあったじゃないか! さあダルジィ、答えてくれ」
「どのような返答がいい」
「お姉さま、適当に答えてしまってよろしいのではないかと思いますわ」
「……うーん、こういうのはどうだ。『こちら旅行者。アメリカ合衆国への渡航を望む者。襲撃にあい一時的に避難する』」
「それって事実そのものだね。そのまま言っていいの?」
「何か嘘をつかなきゃいけない理由でもあるのか?」
「まあいいや、そのまま言ってみな」
なにか含むものがありそうなことを言う見城。気になる。おれは奴の顔をのぞきこんだ。
うーん。それなりに明るいが、紫色の明かりでは表情とか顔色がよくわからない。何を考えているんだ?
「見城さん、この方、見城さんの言うことを疑っておりますわ」
「ああ、いいんだよリルジィ。こいつは痛い目に遭わないと言うこときかないんだ」
……腹が立った。
今度こそ本気で。まったく。おれが好意でついてきてやってるんていうのに、なんてことを言うんだ。
「また精神波です。『応答せよ。貴船は我が国の領域内に侵入している。応答なき場合には攻撃する』」
「ダルジィ、さっき言ったとおりの返答を」
「了解、神名」
数秒間、沈黙があった。
ダルジィの全身を包む青い光が明滅する。精神波で信号を送っているのだ。
さあ、これで助けて……
衝撃。つきあげるような衝撃が襲ってきた。
「な、何だあっ」
「やっぱりな」
「おいダルジィ、どういうことだ?」
自分では泡の外の事が何も判らない。それが腹立たしく、もどかしい。どうにかならないものだろうか。深海でも単独行動できるキャラ……行動できるキャラ……うーんだめだ、思い出せない。
「下方より強力な敵性精神波。攻撃です。ただ今の衝撃は、私のサイコブラストに類似した精神エネルギー弾によるものです」
「まあお姉さま、落ち着いていらっしゃるのね」
なんだかさっぱり判らない。
敵性? 攻撃?
ムーの人達は平和を愛するんじゃなかったのか? 幻想体が「設定」を無視して行動するなんてことがありうるのか?
また衝撃がきた。さっきより強くなっている。
「エネルギー弾の出力が上がっています。このままでは耐えられなくなります。逃亡もしくは反撃を具申します」
「やっちゃえ、やっちゃえ!」
「ダメだ!」
軽々しく焚きつける見城に、おれは叫んだ。ダルジィとリルジィがいれば、たぶん負けはしないだろう。だがここで戦ってしまったら、助けてもらうどころじゃない。
「じゃあ、逃げるの?」
見城はあきらかに面白がっていた。いやな奴だ。
「それもダメだ。ムーから離れたらまた日本軍の攻撃を受ける」
「じゃあどうするのさ」
「きっと何かの誤解だ。わかってくれる。だから今は……投降するんだっ」
「ふうん」
見城は肩をすくめた。
「ダルジィ、投降だ、投降するんだ! そう伝えろ!」
「了解、神名」
「あら、戦いませんの?」
しばらくすると、衝撃が来なくなった。
「攻撃がやみました。ムー王国は、こちらの降伏を受け入れるそうです」
「で、なんと言ってる」
「『誘導精神波に従って着陸されたし、なお敵対行動が見られた場合はただちに攻撃を再開する』と」
「見城、降りるべきだと思うか」
「ぼくの言うことは聞かないんじゃなかったのかい?」
「…そうかい」
まだすねている見城から、おれは顔をそむけた。
「ダルジィ、従ってくれ」
「了解、神名」
ゆっくりと泡は海中を降りていく。
おれは、ふと背後に気になる視線を感じた。
突き刺さるような、激しく冷たい視線。
振り向くと、そこにいたの依頼人の娘、有川ランだった。
彼女は明らかに不快げな表情をしていた。悪態ひとつ口にしなかったが、感情を隠そうともしていない。その眼もまた怒りの色に染まっていた。怒りというより憎悪に近い感情すらうかがえる。攻撃されたというのに、恐怖は全くない。
おれの判断ミスを責めているのか?
「有川さん、違う、これは違うんだ」
おれは弁明を開始した。
「不幸な誤解にすぎない。世間ではムーは平和的で温厚な国だということになってる。だからおれたちも厳しくは扱われないはずだ。きっと話せばわかってくれる」
言ってるうちに、根拠を欠く、あまり説得力のない弁解だと思い始めた。
……見城の言うとおり、もう少しムーを疑ったほうがよかったのか……?
いや、それはできない。あいつは少し傲慢すぎる。いま「お前は正しかった」と認めようものなら、ますます天狗になるだろう。だから同意はできない。
「わかってくれたか、有川さん」
彼女の反応は奇妙なものだった。
「え……?」
彼女は驚き、眼をパチパチとしばたたかせ、左右をあわてて見回したのだ。「あっ、私いま寝てました?」といった具合に。
「あの……私、どうかしてました?」
嘘だろう? ぼうってとしていたというのか?
あの憎悪は、怒りは、一体なんだったんだ?
おれに対する怒りではないのか。だとすれば一体?
「おい、そんなことやってる場合か」
見城の声に我にかえると、すでにおれたちはムーの都市に接近していた。
海底に築かれた無数のドーム。
その直径は数百メートル、ものによっては数キロあるだろう。その中の一つ、かなり小さめのドームに、おれたちの泡は近づいていく。
「ドームは精神フィールドで築かれているようです。このまま突入して問題ありません。どうしますか?」
おれは当惑しながらも、そう命じた。
やがて泡の外側が光に満たされる。ドームの壁と泡が融合したのだ。
そして、泡は消えた。
もう必要なくなったのだ、そこには空気があったから。
おれの想像どおり、ドームはムーの都市だった。そしてそこには。
何隻かの船が降りていた。亀を思わせる形のもの、魚に似ているもの……これが、きっとムー王国の船なんだろう。
それはいい。港に誘導するのは当然だ。
気になるのは。
槍をかまえ、羽根飾りついた兜をかぶっている集団……
ざっと二十人ばかり、輪になっている。
連中が持っている槍は、頭上に向けられていた。きっとあれはただの槍ではないのだろう。魔力のビームとか雷とかを発射できる魔法兵器なのだろう。
おれたちに向けられているのか?
「見城、あれって」
「見てのとおり、兵隊だよ」
槍を持った兵士たちは、おれたちを見上げていた。細かい表情はわからない。だが、視線を感じた。
おれたちは高度を下げていく。
兵士達が作る輪の中心に向かって降りていくのだ。
「ダルジィ、あそこに?」
「そうだ神名。輪の中心に降りるよう指示されている」
「て、敵性精神波は」
「感知している。あの兵士たちが放射しているようだ」
「どうしますの? このままでは捕まってしまうのではございません?」
「リルジィ。投降するからには捕まるのは当然であると考える」
リルジィとダルジィのその言葉遣いが、おれの神経を逆なでした。
「判断ミスだっていうのかっ」
「まあ、そんなことは申しておりませんわ」
「最終的な決断を任せたい、神名」
理解できない状況に、おれは混乱した。どうにか考えをまとめようとする。
とにかく、ここで敵対するのはまずい。何のために降りてきたのかわからなくなる。結論はさっきと同じだ。
「ひとまず言うことをきこう」
「そんな、話が違うじゃないですかっ」
「有川さん、落ち着いて聞いてくれ。ずっと捕まったままのはずがない。すぐに解放してくれるはずだ。というより、ここで戦ったら助力が得られなくなる。どのみちアメリカにはたどりつけなくなるんだ。だったら……」
説得の時間は与えられなかった。
軽い衝撃があって、おれたちは床に降り立った。
兵士達が、勢いよく槍を下ろす。
槍を突きつける兵士たちに、囲まれてしまったわけだ。
……信じるしかない。
ムーが幻想どおりの場所であることを。「夢幻代」の世界法則を。
「ダルジィ、リルジィ、くれぐれも戦わないでくれ。攻撃と疑われるようなこともやめてくれ。サイコパワーの出力を下げるってことだ」
だんだん自信を失ってきた。だが、見城がにやにやしながら見ているのに気づくと、おれは語気を強め、繰り返した。
「いいか、絶対に、絶対に戦っちゃ駄目だぞ」
見城に思い知らせてやる。正しいのはこっちだ、ということを。
「了解、神名」
「仕方ないですわね。うまくいくといいですわね」
二人の超能力少女が同意する。リルジィの言葉は嫌味のようにも聞こえるが、あえて気にしないことにした。
おれは両腕を広げ、兵士たちに向かって一歩踏み出した。
「これはどういうことでしょうか! ご説明を願いますっ」
日本語で駄目だったら、ダルジィに思念を送ってもらおう。
叫びながら、おれはムー兵士たちを観察していた。
軽装の鎧。革製のように見える。兜の羽根飾りは赤、ひとりだけ黄色。顔立ちは……白人だ。詳しい人種はわからない。金髪で、青い眼で、背はみな高い。その上、屈強といっていい体格をしている。ようするに、ナチスが喜びそうなタイプの白人男たちだ。白人にしても肌が白いのは、やはり海底に棲んでいるからだろうか?
「ただちに武装を解除し、両手をあげろ。少しでもおかしな素振りをしたら撃つ」
日本語の返答が帰ってきた。答えたのは、兵士たちの一人……黄色い羽根飾りの兵士だった。
すると、黄色い羽根飾りは隊長ということか。
「われわれは攻撃の意図をもっておりません。なぜ拘束されるのですか」
「武装を解除し、指示に従え」
隊長の顔を見つめた。
真っ白い顔に表情は浮かんでいない。
任務だから遂行する、という態度だ。おれの知っているムーのイメージとは食い違う。慈愛あふれる人々ではなかったのか?
「われわれは、ムー王国に救助を求めるものです」
自分のことをどう説明するべきか、おれは少し迷った。
亡命者。さすがにそれは違う。別にムーに住みたいわけじゃない。
旅行者? それはまあその通りなんだが、命の危険があるという意味をこめたほうがいい。哀れさをアピールしなければ助けてもらえないかも知れない。
取引を求める者? そうだ、その手があった。無償で助けてもらえないなら、交換条件を出そう。
「誤解があるようですね、私は……」
左右に広げたままだった腕を動かした。
ただのジェスチャーのつもりだった。
だがムー兵はそうは思わなかったらしい。おれに向けられていた槍の一本から、白い火花がほとばしった。
熱が、おれの腹ではじけた。
思わず身体を折る。世界がぐるりと回転した。兵士たち、見城やダルジィ、青く光るドームの壁が視界を流れていく。
アスファルトではなく、石を敷き詰めたように見える地面の上に、おれは叩きつけられた。
腹の痛みはすぐに消えた。だが身体が動かない。身体を裏返すことも、顔をあげることもできない。だから、なにがどうなっているのか判らない。おれに出来たのは、目の前に広がる石畳をにらむことだけだった。
「……しょうがないな」
そんな声が頭上から響いた。
「戦うなってことだが、これはもう我慢できないよね、仕方ないよね」
やめろ、見城!
おれは叫びたかった。だが口も動かないようだった。
まだ相手は遠慮している。殺すつもりはないようじゃないか。だが挑発したら。
「黙れ、お前もこうなりたいか」
兵士の声が険しさを増した。
見城は緊張感のない声で、こんな言葉を返した。
「でもさ、ぼくたちはアトランティス人じゃないよ」
……は?
アトランティス? どういうことだ?
「本当か?」
「証拠を見せろ」
「ぼくは黄色人種だ。アトランティス人は白人のはず」
「ははっ、そんなものが証拠になるか。おい、引っ捕らえろ!」
「やれやれ……おい神名!」
動くことのできないおれに、見城は呼びかけてきた。
返答は期待していなかったらしい。すぐに奴は続けた。
「まず、ぼくたちがアトランティスとは無関係だってことを証明するんだ。その方法を考えろ。ぼくも考えるから」
「おい、何をしている」
弾けるような音。また電撃が発射されたのだ。だが、おれは痛みを感じなかった。
「ぐうっ」
うめき。そして重いものが地面を転がる音。
見城……
これはおれのせいか?
おれがムーの連中を信用しすぎたということなのか? どういう連中なのか調べもせずに飛びついた、その結果か?
気は焦るが、やはり身体は動かない。あの槍の魔力は、どうやら数十秒程度では全く衰えないらしい。
ダルジィ、リルジィの声も聞こえない。戦わないように命令されたからだろう。有川さんの声がきこえないのは、怯えて声も出ないということか? いや、それとも。
太い腕で持ち上げられた。
そりとき、他のみんなの姿が視界をかすめた。
ダルジィとリルジィはいない。見城の意識が途絶えると同時に消えてしまったらしい。
震え上がっているとばかり思っていた有川さんの顔は、全くそうは見えなかった。
なに……? と思ったところで、彼女の顔が見えなくなった。兵士に背負われてしまったのだ。見えるのは天井だけになった。せめて指一本でも動かせないかと試みるが、やはり駄目みたいだ。
では幻想はどうだ。幻想を出すことは出来るか。変身すればこの状態から抜け出せるんじゃないか。
その思考を兵士達が読んだとでも言うのだろうか、それとも偶然だったのか、おれの背中にまた激痛がはじけた。
意識が遠のいていった。
まず眼に飛び込んできたのは、天井だ。
石の天井。よほど湿気が多いのか、濡れて黒光りしている。天井にはランプがぶらさがっている。手に載る程度の大きさだが、異様に光が強い。きっと魔法の明かりなんだろう。
眼球を動かす。天井はすぐ壁につながっていた。おれがいるのは狭い部屋なのだ。
壁は天井と同じ、石がむき出しだ。床も同様。床の一角には穴が開いていた。金属の扉には小さな窓があったが、やっぱり鉄格子がはめてある。
牢獄だ。どこにでもあるような牢獄だ。
ムーの古代風デザインは牢屋までは及んでいないらしい。
なに、眼球が動く? ということは。
手や足に力を入れてみる。うん、入る。動かしてみる。まずは手を握ったり開いたり。問題ない。次に身体を起こしてみる。
痛みはもう消えていた。しびれもない。
やはり、あの槍は一時的に身体を麻痺させるだけのものだったらしい。
少し安心したところで、おれは自分の身体を見下ろした。
……粗末なシャツと半ズボンだけだ。これでも寒くないのはいいんだが……おれが服を脱がされているってことは、みんなも徹底的に調べられているんじゃないか? 有川さんもそうか? 依頼人を守れなかった。危険は覚悟していたとはいえ、なんてこった。冗談じゃない、このまま終わってたまるか。
首を振り、思い切り伸びをして、身体には何の異常もないことを再度確認する。
よし、ここまではいい。
では……我はライヒェルム、天空の剣士なり!
熱気が全身を包み込んだ。痛みもあるが、それほど不快なものじゃなかった。筋肉が、骨格が、幻想の力で溶かされて移動・再構成されるときのものだ。
目の前に手を持ってきた。手は銀色に光る手甲に覆われている。上半身を包む軽い鎧も出現していた。
背中に力をこめると、本来あるはずのない筋肉が硬くなった。
ライヒェルムへの変身は成功だ。「幻想」はまだ使える。このぶんだと見城も大丈夫だろう。
おれは変身を解いた。時が来るまで普段の姿でいたほうがいい。変身能力のことは隠しておこう。
いざという時反撃する力があることはわかった。すると安堵感がこみあげてきた。
それと一緒に空腹感もやってきた。おれはけっこう長い間気絶していたらしい。
まずは待ってみよう。食べ物を想像=創造することは簡単だけど、怪しまれるからな。
そんなわけで、おれは空きっ腹をかかえたままベッドに横たわり、考えをまとめはじめた。
……まず、気になるのはこれだ。
見城は言った。「我々はアトランティスとは関係ない」と。だが兵士たちは信じなかった。そしておれたちを捕まえた。つまり連中は、おれたちがアトランティスの人間だと思いこんで、それが理由で捕まえたということか。
アトランティス。ムーと並ぶ、海底に沈んだ文明の名だ。それがどうしたって?
すぐに考えついたのは、アトランティスとムーは戦争をしているのではないか、ということだ。スパイだと思われたんなら捕まっても仕方ない。
ではどうする。どうやったら疑いを晴らせる。おれは濡れた天井をにらみながら考えた。
見城がやったように、ただ自分が東洋人だとか、日本から来たとか、そういう事実を示しただけでは証拠にならない。
では強力を申し出よう。ムーに力を貸す。武器を想像して渡してもいいし、戦闘に参加してもかまわない。それで敵でないことは証明できるし、その代償としてアメリカまで送ってもらう、などということも可能なはずだ。
これでいこう。そのためには、アトランティスとの戦争がいまどうなっているのか、詳しく知らなければ。
早く誰か来い。情報を持ってる奴。取り調べに来い。
待った。待ち続けた。時計はないし、あったところで役に立たない。だからどのくらいの時間だったのかは判らない。とにかく長く感じた。空腹はさらに激しくなっていた。
看守でもいい、来てくれ!
そのとき、ドアの鉄格子を抜けて、何かが降り立った。
「ネズミ……?」
思わず声に出して呟いてしまった。ちょうどそれくらいの大きさだったのだ。
「ちょっと! 失礼ね! 誰がネズミよ!」
喋った? それも女の子の声で。よく見ると、それはネズミではなく女の子だった。ただ大きさが十センチくらいしかない。
小さい女の子は飛び跳ねるように部屋を横切って大きくジャンプ、おれの目の前に降り立った。
「暗いねー、表情が!」
ピンチをまるっきり感じさせない声で、女の子は言った。
「お、お前……」
小さい女の子、といったのはサイズのことだけじゃない。年齢も幼いのだ。せいぜい小学校高学年くらいか。
身につけているものは、白いフリルのついたワンピースと、黄色いリボン。だが髪の毛は短いし、顔にしても、もう少し男の子っぽい格好の方が似合ってるんじゃないか。
「お前って何よ。助けにきてあげたのに失礼ねっ」
「ねえ、きみ」
「なに」
「見城が作った新キャラだよね」
「そーだよ。ユウコっていうんだ。設定はね……」
「言わなくていい」
「あたしの場合、そんなに設定細かくないんだけどね。『小さい女の子は、ただ小さいというだけで完成された存在なんだ。なぜ無粋な設定など必要か』とか言ってたよ」
「見城、きみを作ったときニヤニヤ笑ってなかった?」
「ううん。すっごく真剣な顔で、あたしのことを見てたよ」
そっちのほうが怖いな。
「……で、何しに来たんだ」
「見城から伝言。あと、助けに」
「どうやって助ける。なにか魔力でもあるのか。その姿は魔法で小さくなってるとか」
「そんなのないよ。だって魔力をだしたら探知されちゃうじゃない。これ……」
足音が近づいてきた。
「あれえ?」
バカ、大声出しすぎだ!
おれはユウコが隠れられる場所を探した。だが室内にはそんな場所などない。家具はベッドだけだし、この服にはポケットもないのだ。
毛布の、あとは背中に隠れるか?
「誰かいるのか!」
看守が、鉄格子ごしに鋭い眼を向けてきた。
おれは無言で首を振った。
窓から見ただけでは信用できなかったらしく、看守は室内に入ってきた。
「どこに隠した」
おれは無言で首を振った。
「とぼけても無駄だ。話し声がしたぞ」
おれはさらに激しく否定する。
「立ってみろ」
言われるままに立ち上がる。看守は室内を苛立たしげに歩き回り、毛布を引っ剥がす。だが見るまでもなく、この部屋に人を隠せるところなどない。
「おかしな事をするな! いいな」
いぶかしみながらも看守は出ていった。
限界だった。本当にぎりぎりだった。
扉が閉まり、足音が角を曲がって通り過ぎていったその瞬間、おれの口が内側からこじ開けられた。
「ぷはーっ! あー、いやっ!」
口から出てきたユウコはすぐに悲鳴をあげた。また唾だらけになったんだから当然か。
「なんてことすんのよ!」
「他に隠すところが思いつかなかった」
「お風呂ない? お風呂」
ベッドの上で転げ回って粘液を落とそうとするユウコ。大した効果は上がっていないようだ。
「あるわけないだろ。ちょっと待ってろ。水くらい出してやるよ」
緊張感の全くないユウコの態度に、おれは少し疲れを感じていた。
「で、きみは何をしに? さっきは助言とかいってたけど、助言ってなに?」
「見城が言ってたのよ。なんだっけ、ええと……『なぜムー大陸が存在するのか、この国は要するになんなのか、それが判らない限り、君の考えはうまくいかないだろうね』って」
「はあ?」
さっぱりわからなかった。
「いや、なぜ存在するのかって言われてもなあ……ムー大陸の実在を信じてる奴がたくさんいるからだろ」
「本当に?」
ユウコはいたずらっぽい笑みを浮かべておれを見上げた。この瞬間だけは、身体にまとわりついた唾液のことを忘れていられるらしい。
「意地悪な奴だな。言いたいことがあるならとっとと言ってくれよ」
「えへへ。つまりさあ。いまの日本、それどころじゃないでしょ」
ああ、それか。言われてみれば確かに変ではある。
いまの東京は、かなり危険な場所だ。暴夢が街を荒らし回り、それをおれたち幻想使いが退治して回っている。巻き込まれて死なないように必死、なんじゃないか。ムー大陸のことなんか考えてる場合か?
「いや、無意識のうちにって奴だろ。心のどこかでは信じてるわけだ。それに全員が全員、せっぱ詰まってるわけじゃない。昔通りの生活してる奴だっているんだぜ東京には」
「でも、人間の数自体が減ってるんでしょ」
「う……」
ユウコは調子に乗っているようだった。おれが言葉に詰まったのを見て、飛びあがらんばかりに驚いた。
「わかんない? ねえ、わかんない?」
そうだよ、わかんないよ。
彼女の言うとおりだ。暴夢に殺されたり、あるいは生きる気力を失って消えていったり……東京の人口は相当減っている。街を歩けば何千かの人間に出会うが、本物の人間は一割くらいかも知れない。日本の他のところだって同じだろう。
だったら、ムーの存在を支える想念のエネルギーは大きく弱まっているはず。
それなのに……
おれは改めて室内を見回した。
石の壁。石の床。粗末なベッド。
これだけなら、まだいい。だがこの部屋の外側には監獄の建物があり、さらに泡状都市があり、しかもその都市の数は数十とか数百とかそういう数で……
冗談じゃない、これのどこが「弱まってる」っていうんだ。ひとつの国家を丸ごと生み出すなんて、億人単位の人間が心から願わなければ不可能だぞ。日本民族の無意識ですら、艦隊ひとつ生み出すのがやっとだったんだから。
「おかしい……」
「ね、おかしいでしょ」
「服は洗わなくていいのか」
「……! シャワー出して! 早く! 今すぐ!」
おれは聞いていなかった。
おかしい。見城の言うとおりだ。全くつじつまが合わない。
おれは勢いよく起きあがった。手をかざし、呼吸を整えながら念をこらす。床の上に、ティーカップほどの浴槽が出現した。
「急いで洗え。おれはこっちを向いてる」
「ん。ちょっとだけデリカシーあるかも」
「時間がない。急いで」
そう。
おれはとんでもない勘違いをしていたのかもしれない。だとすれば、一刻も早く事態を認識しなければいけない。
おれは着飾った武官に導かれ、広間に通された。
肩にはユウコが乗っている。もう、おれたちの不思議な力のことは隠す必要がないのだ。となりには見城、そのまた隣には有川さん。
ユウコが服を着替えたあと、おれはすぐに大声をあげて看守を呼んだ。アトランティスを倒すためムーに協力する、どんなことでもする、だから国王に会わせてくれ、そう言ったら、要求は驚くほどあっさり通った。
この国は劣勢なのか。よほど力を必要としているのか。少々肩すかしを食らった気もするが、まあ好意を利用しない手はない。
ムーの礼儀なんて知らないが、室内をじろじろ見るのはやはり無礼なんだろう。だからおれはまっすぐ前だけを向いて広間を進んだ。だが調べるまでもなく、この広間の豪華さはわかった。さまざまな時代の意匠がごっちゃになっている奇妙な広間だが。
広間の奥にヴェールで隠された場所があった。兵士が左右に三人ずつ立っている。彼らの顔には緊張感が張り付いていた。
少し視線をずらし、壁を見る。
……あの壁の浮き彫りは、ムーの紋章だな。
三等分された円。単純な形だ。ムー大陸が大河によって三分割されていることを表しているという話だ。昔オカルト雑誌で読んだ。
「すすめ! ご無礼のないようにな」
おれたちを案内してくれた武官が苦々しさにあふれた声でそう言う。本当はおれたちなんぞを国王に会わせたくないんだろう。
おれたちはヴェールのすぐ前まで歩いていった。片膝をつき、頭を下げる。
音楽が鳴り響いた。ヴェールが開かれる。
「栄光あるムー王国第三一七代国王、ラ・サンクトエルバトゥス・ムー陛下である!」
そう誰かが叫ぶ。その長い名前の国王がどんな顔なのか、頭を下げているおれには見えない。
さて……
と考える間もなく、声がかけられた。
「おぬしらが、外からの客人か」
しわがれ声だった。国王は老人らしい。さっき名前を言ったのはだれか臣下だろう。
「は、さようにございます」
とりあえず家来っぽい口調をつくって、おれは答えた。
「わが国に加勢してくれるという話だな」
「はい。ムーの危機を黙って見ているわけには参りません」
見城も調子を合わせて言ってくれた。
「我々のもつ力を、陛下にお見せしたいと」
「その前に、だ」
老人の声が、見城の声を遮った。
「はっ、なんでございましょう」
「おぬしら、どこから来た」
「海の上、西にある日本という国からです」
「なぜ、そのような嘘を申すのだ」
おれはあっけにとられた。とまどいながら質問を返す。
「嘘? 恐れながら意味がわかりかねます。嘘とはどういう意味でございましょう」
「ニホン。そんな国はない」
おれは呆然として顔を上げた。
やせ細った老人がガウンをまとって玉座に座っているのが見えた。そのとなりにはローブ姿の若者。側近だろうか。
色めき立った兵士たちが槍を向けるので、おれはあわてて顔を伏せた。
だが、どういうことだ。日本がないってのは。日本を知らない? 馬鹿な。海底都市を造ったりする魔法文明があるのに?
「この世には、太平洋のムー、大西洋のアトランティス、この二つしか国はないのだ。あとはみな、文字すら持たない蛮族にすぎん。おぬしらは文明人だ。我が国の民でないとすればアトランティス人としか考えられぬ」
おれの頭の中をぐるぐると疑問符が渦巻いていた。うめくような声で答える。
「い、いえ。あるのです。日本という国が。そしてその国では……」
「そんなものはない。子供ですら知っていることだ。おぬしらが敵国人として、そんな見え透いた嘘をなぜつくのか、余にはまるで判らぬ」
おれは見城を見た。
奴はおれと違って驚いていなかった。たるんだ頬をひきしめ、口もきつく結んで……悲しみに耐えているような表情だった。
なんだ、お前……これが判っていたのか?
さっきお前が伝えようとしたことと、関係があるのか?
「やはり気が触れておるのか?」
やばい! そう思われたら取引もへったくれもない。
「わ、わたくしめの力をお見せします」
ライヒェルム! 出てこいライヒェルム!
おれの身体を熱気が包んだ。筋肉が、骨格が変化していく。飾り気のないシャツとパンツが白銀の鎧に変わった。背中が盛り上がり、翼が伸びて……
その瞬間、兵士たちが発砲した。槍から放たれた電撃が、おれを打つ。
激痛。おれはもう片方の膝もつき、両手まで動員してようやく身体を支えた。身体は少ししびれているが、まだ動く。鎧がある程度魔力を防いでくれたということか。這い蹲る寸前、手足にむち打って耐え、顔をあげる。
「へ、陛下。わたくしはこのように、別のものに変化する力を持っています。これで私がただ狂っているわけでないことはご理解いただけたと思います。また私は」
「ふむ」
国王は、顔面のしわに埋もれそうな眼を見開いた。灰色の眼でこちらを凝視する。
興味を示しているな。よし、あと一歩。
「また、空をかけ、風を操り……」
「このものを調べよ。力の源と、原理を徹底的に明かすのだ」
ぎょっとして、国王の顔を見つめる。
考え違いだった。確かにこの男はおれに興味をもっているが、それは実験動物への興味なのだ。
広間の左右にある扉が開き、さらに多くの兵士たちが入ってきた。兵士たちは隙のない構えでおれたちに槍を向ける。
「おい、神名」
見城が、小声でそう呼びかけてきた。この期に及んでまだ抵抗しないで捕まるのか、それとも戦うか、そう訊いているんだろう。
わかってる。だが……
こんなことってあるか!
「そんな馬鹿な!」
おれは叫んでいた。あまりに、やることなすことすべて裏目に出るから。
「ムーの人達は平和を愛するとかいう話はどこにいっちまったんだ!」
おれはたぶん、敵意をこめて国王を睨んでいたと思う。だが老人は怒らず、口元にかすかな笑みを浮かべてこう応じた。
「そんな話をどこで聴いたのだ。風説に従ってやる義務などない」
身体から力が抜けた。さっきの電撃がまだ残っているっていうわけじゃない。国王の言葉に、心の中の何かをうち砕かれたのだ。
「そんなはずはない! あんたたちは幻想なんだ! おれたちの思い通りになるはずなんだ!」
国王の眼が、いよいよ開かれた。
これと同じ眼をどこかで見た。遠い昔。
そうだ、「夢幻代」が始まる前、まだ現実が現実、夢が夢だったあの頃。突拍子もないことを口にすると、相手はあんな顔をした。「夢みたいな事を」とか「あんた正気か」とか言いながら。
国王は、こちらの正気を疑っている。今度こそ間違いなく疑っている。
「この世界が夢だというのか? ははは、面白い冗談だ」
国王はわざとらしく笑った。
幻想が、自分が幻想であることを認めないっていうのか。
どういうことだ。そんな話きいたこともない。ダルジィやユウコがそうであるように、幻想は自分が幻想であることを十分に知っている。『幻想反乱』か?
こんな大規模な、国がまるごと幻想反乱?
「陛下、この者、数年前の者達に似ておりますな」
国王にかたわらに直立不動の姿勢で立っていた男が、はじめて口を開く。
「そうだな、エッテガルヒ」
「あの者達も、ここは自分の空想が生み出した国で、自分こそが現実の存在なのだと、おかしな事を言っておりました」
「結局、奴らを調べつくしても真相は分からなかったな」
「はい。不可思議な力の秘密、ぜひとも知りたかったのですが」
「今度はあるいは。期待するとしよう」
「そうですな」
おれは、国王とエッテガルヒ……学者か、それとも宰相か……の言葉を聴いていた。なかば以上呆然として。
数年前の者達。それは幻想使いのことだろう。前にもいったように、アメリカへ渡ろうとした奴はたくさんいる。みんな日米決戦をくぐり抜けるのには苦労させられたんだろう。そしておれと同じように、海底に降りてムーの助力を得ようとした奴もいたわけだ。
そして……そいつらは捕らえられ、さんざん実験台にされた挙げ句、死んだ。
そういうことか? そういうことなのか?
「神名」
見城がささやいた。
「神名!」
反応しないおれに、もう一度奴は声をかけてきた。苛立っている。
「全力で突破する。もうわかっただろう。連中はおれたちを助けるどころか、その存在すら認めようとしない」
全く驚いていないようだった。こうなることがあらかじめわかっていた、そうとしか思えない態度だった。
「さあ……」
見城がせかす。奴は少し怒った顔をしていた。そのときおれの視線は凍り付いた。拳銃のとなりにいる人物を、ふと見てしまったのだ。
こいつは……こいつは誰だ?
それがおれたちの依頼人、有川ランだと気づくのに一瞬の時を必要とした。それほどに彼女の印象は変わっていた。着替えさせられてはいるものの、顔は変わっていないというのに。確かに本人だというのに。
何が変わったのか。雰囲気だ。
見る者を絶句させずにはいられない、鋭い怒気をこめた視線を、彼女は国王に投げつけていた。
自分を殺そうとしている、だから憎むのか? いや違う。理由もなく、おれにはそれが判った。
この怒りは、憎しみは、まるで違う原因だ。
彼女は突然、おれの方を向いた。
そして、燃えさかったままの瞳でおれを見つめて……小さくうなずいた。
やりましょう。
そう言われた気がした。
そうだな。やるか。
見城もまた、首を上下させた。文章で書くと長いが、実際には一秒とかかっていない。
「ダルジィ、リルジィ、ここへ!」
見城が叫ぶ。奴を挟むように、青と赤のスーツに身を包んだ少女が出現する。
おれは抜刀し、飛ぶ!
前方わずか数メートル、王座へと。
ライヒェルムの反射神経と、短距離を跳ぶ速さは人間の比じゃない。たとえ兵士たちが身構えていたとしても何もできなかったはずだ。
だが。その瞬間、おれは「壁」に突っ込んでいた。透明な壁。空気が、ちがう、空間が、弾力をもっておれを阻んだのだ。剣を支えている指に衝撃が加わった。身体全体が、目に見えない力でつかまれ、急減速させられる。骨が悲鳴をあげた。
やはり魔法障壁か。そうだな。たかが数人の護衛だけで謁見を許すはずがないものな。
だが、おれは……我はライヒェルム、風の精霊に守護された聖剣士!
前方に突き出した聖剣に、ありったけの「力」を、思念を注ぎ込んだ。泥に棒を突っ込んだ時のような抵抗があったが、すぐに消える。泥は柔らかくなっていき、ついにゼリーになる。あっけなく刃物で切り裂かれ、おれを迎え入れる。
そこまでには、一秒どころかコンマ一秒もかかっていない。
魔法障壁を突破して飛び込んでくるおれに、ローブの男……エッテガルヒが仰天した。彼は両腕をそろえて突き出す。掌に、まぶしく輝く魔力の渦が生じた。この時点で反応できたのは、人間としては十分に優秀、いや超優秀の部類なんじゃないか。だが、それでもまだ遅い。
国王までの数メートルの距離を、おれは何の妨害も受けることなく突っ切った。
風の力を全開にした剣が、国王のやせ細った身体に突き刺さった。
風は十分な速度・圧力さえあれば物体を破壊できる。そしてこの剣は、ごく簡単に竜巻を起こすことができる。ではその力をすべて振り絞ったら? そしてその力を、人体という小さな物体ひとつに集中させたら?
はじけた。
視界を、赤黒いしぶきが埋め尽くした。
おそらく音速を超えるだろう速さで風がうずまき、激しい圧力の変化で、国王の身体を四散させたんだ。
おれはそのまま通り過ぎていく。ミキサーのように回転する赤いペーストの中を。
その時背中に、切り裂かれるような感覚が走る。
エッテガルヒの放った魔法弾だろう。
甘かったな。あと百分の一秒早ければ王様を守れたかも知れないんだが。
血と肉と骨のまざった流動物を浴びながら、おれは焦った。玉座のすぐ後ろは石の壁なのだ。このままでは壁に激突する。これさえも破壊するか?
さすがに減速するには時間が足り無すぎた。速度も速すぎた。しかたなく、おれは壁と自分の間に空気のクッションを作った。
頭からクッションに飛び込んだ。
視界が歪んだ。回転した。首と腰が異様な音を立てた。だがそれだけだ。骨一本折ることなくおれはクッションにはじき返された。
時速百キロを超える速度で斜め後ろに吹き飛びながら、おれは剣を軽く横に振るった。切っ先から飛び出した風の刃が、第二撃を放とうとしていたエッテガルヒを両断した。
その時にはもう、広間にいた兵士たちは一人残らず立ち上がれなくなっていた。すべてダルジィ・リルジィの放った青と赤のサイコブラストに打ち倒されていたのだ。
おれは二人のそばに着地する。
二人は体中から炎に似た光を放ち、さらなる戦いに備えていた。ダルジィはおれの方に視線を向けようともしなかったが、赤毛の妹はおれを冷ややかな眼で見つめ、ため息と共に言った。
「……無様な戦い方ですのね」
言われるまでもない。激しい後悔と罪悪感が襲ってきた。
おれはこの感情の正体を知っていた。おれ本来のものじゃない。これはライヒェルムが感じているものだ。ライヒェルムは騎士道を守ろうとする。「いざ勝負」と言わずに戦うかとを彼は嫌がるのだ。
仕方なかった。
おれは自分の内側に向かってそう叫んだ。
……なぜ、やった?
仕方なかった!
ライヒェルムは黙った。幻想反乱は防がれたのだ。
だが胸のむかつきは完全には消えなかった。身体が汚れていたせいもあったかもしれない。今回は余力がなかったから、飛び散った血や肉片をもろに浴びたのだ。
「なぜ国王を殺した、神名?」
見城はすぐに訊いてきた。あまり感心していないらしい。とても実戦向きとは思えない奴だが、血塗れのおれを見ても落ち着いている。
「指揮の中枢を破壊すれば敵は混乱する」
無愛想な口調でおれは答えた。ライヒェルムも不満だが、おれも決して愉快な気分じゃないか。
「どうかな? マイナス面の方が大きいよ。これでムーの連中は、国を挙げてぼくたちを殺そうとするよ」
「やむを得ない」
「……ライヒェルムにきいてるんじゃない。神名にきいてるんだ」
「仕方ないと思ってるよ」
「そうかい」
諦めたらしい見城は、二人のパンツァーメートヒェンに命令した。
「脱出だ!」
「了解」
ダルジィは片手を頭上に突き上げた。
「アストラル・キャノン!」
おいおい!
手からほとばしった爆発的な光が、天井に突き刺さった。
悪寒がはしった。おい、王宮を壊すのはいいとして、都市を包むドームまで一緒に壊すことはないだろうな。そんなことをしたら。
さいわい、海水は降ってこなかった。
「神名、なにボサっとしてんだ。急いで出るぞ!」
自分で飛べるわけでもないのに、見城は偉そうに言った。
「あ、ああ」
おれたちは空高く舞った。
といっても、高さ数百メートルしかないドームの内側だ。巨大なムー王宮から飛び出して、ほんの少し上昇すれば、そこは青い輝く光の天井。
おれの飛行速度はダルジィ・リルジィを凌ぐ。もっとも早く天井に到達した。
そのまま突き抜けようとして……
はじき返された。
四肢を衝撃が貫く。
入ってきた時とは違っていた。青い光は頑強な壁に変わっていたのだ。
王を殺した時と同様、剣の魔力を強めて突き破ろうとする。
剣が放つ光が眩しくなった。すぐ頭上の青い壁も、それに対抗して輝きを増した。
突破……できない!
それどころか、壁が厚くなっていく。下に押されていく。
何かが削り取られるような異音が耳に飛び込んできた。なんだろう。その音はしだいに強まっていく。原因はすぐにわかった。「風の聖剣」が半分ほどの長さに縮まっている。削り取られて……魔力を喰われているのだ。
あわてて下降した。
その時、足下で何かが爆発する。
激痛に顔をしかめ、ひろがるムー王都の町並みを見下ろした。背の低く白い、地中海の家を思わせる建物が並ぶ中から、光の線が伸びている。線はまっすぐにおれたちをめざしていた。サーチライト? いや違う、魔力砲だ。対空砲火だ。
ダルジィとリルジィ、見城と有川さんがおいかけきた。見城はあきれた声で言う。
「神名なにやってんだ。その剣だけじゃ破れるわけないだろ。魔力装置の規模が違いすぎる」
「では……」
「ダルジィとリルジィが力を振り絞ればどうにかなるはずだ。ただ、降ってくる海水を止められない。それをお前に頼みたい。それから……もう少し海中向けのキャラクターはいないの?」
「ロボット兵器に乗ってる奴ならいる」
「ロボットじゃだめだ。超能力とか魔力とかで、ぼくたち全員をまもれる奴」
「そういうキャラは考えてなかった」
「まったく、考えておいてよ!」
普通想定するかよ、ムー大陸で戦争するなんて!
「じゃあいいよ。ライヒェルムのままで頑張ってくれ。ほんのちょっと持ちこたえればそれでいいはずだから」
長く話しすぎていたようだった。下方に眼を向ければ、魚をモチーフにしたらしい浮遊船が次から次へと舞い上がり、輝く魔力弾を発射していた。
おれは呼吸を整え、精神を集中した。
本来ここは海の底だ。多少は空気があっても、風の魔力は相当弱まっているはず。ドームを抜けて海中に飛び出せば、それはますますひどくなるだろう。
それだけ悪い条件が重なった中で、何万トンという水圧に耐えられるか。
やるしかない。
頼んだぞ、ライヒェルム。
飛来する魔力弾の数は、視界を埋め尽くすほどに増えていた。ダルジィ・リルジィが張ったバリアのせいでくい止められているが、これからそのバリアは消えるはずだ。魚型戦闘艦も、いつの間にか十隻以上に増えている。
見城が、いつになく力のこもった声で呼ぶ。
「ダルジィ! リルジィ!」
「了解」
「大丈夫ですわ、この強度なら十分に」
二人の戦士が「力」を高めていく。身にまとう原色のオーラが、身体の輪郭が見えなくなるほどに強くなっていく。二人の長い髪が生き物のようにうごめいた。体内の力が外に出ようと荒れ狂い、出口を探しているように見えた。
おれは目を閉じる。そして精神の統一をますます高めていく。
やがて、二人の声が唱和した。
「アストラル・キャノンっ!」
眼を閉ざしていても、光が見えた。暗黒の世界が、紫の烈光に覆い尽くされたのだ。もし目を閉じていなかったら確実に失明していただろう。
爆発。
激しい圧力を全身に感じた。空気が、もしかしたら空間そのものが、塊となっておれの身体を下におしやったのだ。精神エネルギー流がドームと激突した衝撃はそれほどのものだった。
爆発そのものは一瞬だったが、その後も轟音は続いた。岩が砕かれるような音だった。二人が渾身の力で放った精神エネルギーのドリルが、ドームを突き破ろうと猛回転しているのだ。
眼ばかりでなく耳までおかしくなりそうだった。おれはそれに耐えた。そんなことを気にしている場合じゃないんだ。今、ダルジィ・リルジィはバリアを張る余力がないんだから。
眼を開き、足下を見下ろす。そして剣を突き降ろし、叫んだ。
「風よ! 風たちよ! われらを守りたまえ!」
風の障壁が、飛来した魔力弾をぎりぎりのところでくい止めた。おれの足をかすめるようにして軌道を曲げ、落ちていく魔力弾。
下からだけでなく、横からも魔力弾がとんできた。とっさに剣を振るい、はじき飛ばす。魚型戦闘艦が、ほとんど同じ高度まであがってきていたのだ。
こいつはつらいぞ。
あらためてダルジィ・リルジィの偉大さがわかった。おれには長く持ちこたえられそうにない。
「ま、まだかダルジィ!」
思わずライヒェルム口調を忘れて叫んだ。返事はない。
魚の数は二十匹以上に増えていた。おれたちを輪になって囲み、口から魔力弾をひっきりなしに吐き出している。
おれは剣を上下左右に振り回し、バリアの強さを変化させてすべての魔力弾をはじき返した。だがそのたびにバリアは歪み、俺の身体にストレスがかかってくる。頭の中が灼けるような頭痛。内臓にまで響くボディブローをくらったような衝撃が身体をつらぬく。
それでも、それでも、おれは念じ続けなければいけない。風よ、風よ、風たちよ。我らを守りたまえ。一瞬でも気がゆるんだら何百もの弾丸をあびて粉みじんだ。
額を汗がながれて目に入った。痛い。視界がにじんで歪む。
少しずつバリアが削られていく。小さく薄く狭くなっていく。押し返そうとしてもだめだった。
「ダルジィ! まだなのかあっ」
だが、やはり返事はない。
視力が低下し、頭上から降り注ぐ紫の光以外、何一つ見えなくなってきた。
もうだめだ。
くそ、せめて敵の数が半分だったら……
「消えなさいっ!」
誰だ? いま、誰が叫んだ?
女の声だったけど、ダルジィでもリルジィでもない。
そして、驚いたことに。
声が発されたのと同時に、おれの身体にかかる負担がはっきりと減少した。
喜ぶより先にあっけにとられた。かすむ眼をこらして見ると、船の数が減っていた。
「消えなさい!」
また声がした。女の声。ダルジィより高く、リルジィよりは低い。
おれの目の前で顎を開いていた船が、溶けるように消滅した。
「消えなさいっ」
また一つ、となりの船が消えた。
なんだ。一体なにが起こってるんだ。この声はだれだ?
「気を抜かないでくださいっ」
同じ声で、おれは叱られた。
そうだ、驚くよりもやることがある。
どうにか意志力をまたかき集め、風のバリアを張り直す。
次の瞬間、それはやってきた。
世界を包む色が大きく変化した。
紫の光が消える。いや消えたわけじゃない。向こう側に抜けていったんだ。
向こう側。そう、ドームの天蓋が破れたのだ。
来るぞっ!
おれは、半分しか残っていない剣を頭上にかかげた。
そして、上に飛ぶ。
とたんに、それはやってきた。
深度数千メートルぶんの水圧をこめて襲いかかる水の巨竜。
鋭くはないが、とても重い……そう、砂の詰まった袋でなぐられたような感覚があった。それは痛みではなかった。痛みを感じる間もなく、強制的に意識が闇の中に飛ばされるような。
おれの周囲で水と風が全力でぶつかりあった。もはや音すらも聞こえなかった。聴覚は完全に麻痺していた。ただ風の壁が水圧に翻弄され、ねじまげられる時の衝撃がおれの身体と脳に伝わって来た。おれの脳は頭蓋骨の中で跳ねているかのようだった。
気が付くと、黒い竜はいなかった。
いなかった? いや、こちらが竜の中に入ったのだ。おれたちはすでにドームから飛び出し、海中を移動していたのだ。
周囲は暗闇に近い。足下にはドームがぼんやりと光っているが、それも遠ざかっていく。
追っ手は来るだろうか? 洪水のせいで少しは混乱してくれるといいんだが。
もういいだろう。もともとライヒェルムには水中での戦闘までは期待されていない。
おれは身体から力を抜いた。
去れ、ライヒェルム、我が内より。
鎧が消え、剣が消え、翼が消える。
「情けないぞ神名」
見城が、冗談半分本気半分といった感じで嘲笑した。
「あの程度の攻撃でまいっちゃうなんて」
おれはその言葉を聞き流していた。
確かに実力不足だった。自信過剰でもあった。
だが、それより気になることがある。
おれが一番苦しかったあの時、助けてくれたのは誰だ? 「消えなさい」の一言で、ムーの戦闘艦を消滅させたのは誰だ?
おれは頭をめぐらした。
やはり、彼女しかいない。
彼女はひどく疲れた様子だった。ただ体力を消耗したというだけでなく、大量の血を喪ったような顔色だった。それでいて背筋をぴんと伸ばし、緊張していた。おびえるような……いや違う。これは、決意を固めている人間の態度だ。
おれに見られていることに気づくと、彼女は顔を逆に向けた。顔を見られたくないようだった。
「有川さん」
おれの顔は、たぶんひきつっていたはずだ。この旅がはじまってからというもの驚くことばかりだ。
「あなたが、やったんですね?」
彼女はようやく、こちらを向いてくれた。
それでも、おれから視線をそらしている。
「見城、お前も見ていただろ?」
「ああ」
そこにダルジィが冷静な声で割り込んできた。
「神名。敵性体が接近中。追っ手である確率九九.九八パーセント」
おれはうなずく。
「わかった。……有川さん、あなたの力を見せてください」
おれたちがいる泡の外……暗い空間に、さらに黒い影が見えた。魚型戦闘艦だ。
「……はい」
ダルジィ・リルジィに比べると遙かに細い手を、有川さんは影に向ける。
細めていた眼を、大きく見開く。普通にはあり得ないほどに大きく丸く。
そして、彼女はいった。
「あなたは夢です。消えなさい……!」
叫びではなかった。呟く程度の声量だった。その声に膨大な魔力がこめられているとか、手から強烈なエネルギーが噴き出したということもない。
ただ手をかざして、ぼそぼそと言っただけだ。
それだけで、影は……消えた。
おれたちの理解を超えた力だった。
「説明してもらえるかな?」
確かに、全く知らない技というわけじゃない。おれたち幻想使いは、自分の作った幻想が言うことをきかなくなったとき……いわゆる幻想反乱のとき、似たようなことをする。「お前はただの幻なんだ」と決めつけて、存在を抹消するのだ。
だがそれができるのは、自分が作った幻想だから。その幻想の根っこが、自分の中にあるからこそ。
だが彼女は、そのやり方では決して消せないはずの「不特定多数の作った幻想」を、いともたやすく消してみせた。
「はい……」
彼女の声はかぼそかった。最初おれの事務所に来たときの元気はまるで感じられなかった。後ろめたさを感じているような、思い詰めたような表情をしている。
「有川さん、勘違いしないでください。別に怒ってるわけじゃないんです。まあもっと早くその力のことを教えてくれれば、とは思いますけど。ただ、これからの戦いの中で有効に使いたいから、詳しく知りたい。そういうこと」
「わかりました」
唐突に……まったく唐突に彼女は訊いてきた。
「神名さん、幻想って何だと思いますか?」
それを、おれたち幻想使いに訊くか。
確かに良く訊かれることではある。幻想というものは一体なんなのか。どういう原理で実体化するのか、などなど。
だが判らない。判るはずがないのだ。おれだって昔は調べたが、調べれば調べるほど判らなくなっていった。
「……判りません。ふだんは、ただ便利な道具だと思ってる」
「じゃあ、本当は?」
「さっぱり。調べようがないんです。なにしろ『こうかな?』って仮説を一つ思いついたら、それを裏付ける証拠が実体化しちゃうんですよ。つまり検証する方法がない」
「わたしは、『罠』だと思うんです」
「罠?」
「『夢幻代』がはじまってから、人間はどうなりました?」
彼女は足をバタバタと動かした。浮きながら、おれに詰め寄ってこようとしているのだ。
「……願いがかなった。すべての人間の、すべての願いが」
「それで、街には暴夢があふれて、みんなを殺して、それでも死ななかった人たちは退屈して消えちゃったんですよね?」
「う……」
はっきり言うな。
口ごもったおれに、彼女は次の言葉を叩きつけた。
「私は思うんです。これは罠だって。誰かが人間に駄目にしようとして、こういうことをやったんだって」
「たかがそれだけのために、なぜこんな大がかりな事を? というより、願望を実体化させるなんてどうやって」
「それはわかりません」
また罪悪感を秘めた眼に戻って、有川さんはうつむいた。
そこに見城が、どこからか取り出したシュークリームを頬張りながら口を挟んでくる。
「むーん……ぼくはねえ、むしろ逆だと思うんだな」
「逆?」
「夢幻代は、誰かが人間にくれた素晴らしいプレゼント。幸せにしてくれたんだ」
「そんな!」
有川さんの反応は実に素早く激しかった。
「そんなものすごい眼でにらまないでよ。まあ、君のそういう過激なところ気に入ってるけどさ。でも実際、人間は幸せになったんだと思うよ?」
「殺し合っても?」
「全員がそういう目にあったわけじゃないでしょ。大半の人は喜んだよ。こういう仕事に就きたいとか、こういう家が欲しいとか、あの人とつきあいたかったとか、とっくにあきらめていた夢がすべてかなったんだよ」
「でも、そんなのは本当の夢じゃないでしょう。好きな人と一緒になっても、それは本物じゃないでしょう! だから!」
「君が幻想を憎んでいることはよくわかった。というより、幻想に浸りきった人間を憎んでるのかな。それで?」
「……とにかく、私は、『幻想』っていうのはそれくらい危険なものだと思ってるんです。だからそれが嫌で嫌でたまらなくて……憎んで憎んで……気がついたら、それを消せるようになっていたんです」
ぼり、という音。
見城がシュークリームを食い終わって、クッキーに手をつけたのだ。いっぺんに三枚くらいかみ砕きながら、奴は言う。
「まあ……あれだね。『幻想が憎い! 幻想なんか消えちまえ!』っていうのも一つの願望だからね。それを『何者か』がキャッチして実現させてるんだろう。おれたちがやってるのと原理は一緒さ」
「じゃあ見城、有川さんも『幻想使い』の一種なのか?」
「『逆幻想使い』『幻想破壊者』なんとでも呼べばいい。まあとにかく有川さん、もし『何者か』が人類を堕落させようとしているんだとすれば、どうして君みたいな存在を残しておくのかな。おかしいじゃないか」
意外にちゃんと考えてるんだな、見城。おれは驚いたぞ。
でもクッキーの粉は飛ばすな。
「見城さん、あなた間違ってます。『幻想』は本当に恐ろしいものなんです!」
「たとえば?」
「このムー大陸です。おかしいと思いませんでしたか」
「思ってるよ。たとえばこうだ。日本人の数が減ってるのに、しかもムー大陸のことなんて考えてる場合じゃないのに。ムーは消えない。幻想を支える想念の供給源がもうないのに、どうして?」
「その通りです! しかも彼らは自分が幻想だってことを認めません。完全に、わたしたち現実の人間から独立してるんです」
「そうそう」
「……ちょっと待って。そこまではおれも判ったんだが……じゃあムーを存在させているエネルギーは一体なんだ?」
「アトランティス。おそらくはね」
「なんだって?」
「ムーとアトランティスという二つの国は敵同士。たぶん最初は人間が『想像=創造』したんだろう。でも人間は必要なくなった。だって敵同士だから。ムーはアトランティスを憎み、こんなに悪い連中に違いないと思いこんだ。アトランティスもムーを憎んだ。その想いが互いを支えたんだよ」
幻想が幻想を生み出すっていうのか。二つの幻想が互いに相手を想像=創造しあうっていうのか。
それじゃあ。
おれが息を呑んだことに気づいたのか、見城は深々とうなずいた。
「そう。いままでぼくたちは、幻想は生身の人間無しには存在できないんだと思っていた。でもそうじゃないことがわかった。幻想が幻想を支えることもできる。極端な話、現実の人間がこの世から一人もいなくなっても、幻想は残って、地球に満ち溢れているかも知れない」
それは。
恐怖の事実だった。
現実がなくても存在できる幻想。現実を必要とせず、現実から自立した幻想。
それは、現実とどう違うというのか。
「わたしがどうして『幻想』を怖がるのか、わかってくれましたか」
見城、太い首を勢いよく振る。
「いいや」
「そこまで判っているのに、なぜ!」
「それでも、前よりはみんな幸せだと思うから。夢が夢のまま叶わなかった時代よりは」
そういって見城は、紙コップに入ったココアを飲み干した。
「ふう……ちょっと喋りすぎたな。まあ、いいじゃないかそんな事。哲学には興味ないよ」
「それなら……どうして、私についてきてくれたんですか?」
「面白そうだったから」
見城は妙な具合に顔面を歪めた。もしかすると、いたずらっぽく笑っているつもりなのかも知れない。
「そんな…!」
怒りと困惑の入り交じった眼で見城をにらむ有川さん。
おれは二人を見ていた。たぶんいま、おれの眼には恐怖にちかい感情が宿っていると思う。
怖い。有川さんの言うとおり、幻想が現実から独立しつつあるということも怖かった。だがそれより怖かったのは、それを全く怖いとか危険だとか感じていない見城だった。
見城……すべて判っていて、それでも怖くないってのは、どういう事なんだい?
正直いって、おれはどちらの立場にもなりきれなかった。だから見ているのが辛かった。
お前はどっちなんだよ、と詰問されているような気がしたのだ。
だから、おれは言った。
「なあ、こういう議論しててもしょうがないだろう。それとも行くのをやめるかい?」
「とんでもない!」
「ぼくももちろん、そのつもりはないよ」
「それじゃ、まずアメリカに行く方法を考えよう。まだ危険は去ってないんだから」
去ってないどころか増えている。日米艦隊に加え、ムーにまで追いかけられる羽目になったんだから。
おれの言葉をきっかけに、会話の方向性がはっきり変わった。
「このまま海底を通っていくのが一番安全なんじゃないか」
「どちらかというと海面すれすれまで上がったほうがいいんじゃありませんか。ムーと日本軍が戦ってくれるかもしれません。その間に……」
「都合のいい想定はもうやめよう。なあ神名」
「……悪かったよ! でもよ、ムーのこと気づいてたんなら教えてくれたっていいだろ!」
そう毒づきながらも、おれは別のことを考えていた。
有川さんは……本当に父親を捜すのが目的なんだろうか?
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