第四章 幻想大海戦

 水平線が陽光に輝いている。
 ここは中部太平洋。ハワイの少し手前だ。
「雲ひとつないなあ」
 見城が、確認するまでもないことを言った。
「ああ。太平洋ってのはそんなもんだ、という幻想があるんだろう」
 おれの返事も、ごく当然のものだった。
 答えつつ、おれは足をぶらぶらさせる。
 足下には何もなかった。
 二千メートルばかり下に海面があるだけだ。といっても、おれはライヒェルムに変身しているわけじゃない。あいつはどうも行動に制約がありすぎる。乱用はひかえたほうがよさそうだ。今のおれは、なんの幻想もまとっていない素のままの神名暁だ。
「ダルジィ、周囲に敵は?」
 見城が、左手の袋からチョコクッキーを取り出しつつ問いかけた。
 前方に浮かんでいる、戦闘スーツ姿の娘 ……ダルジィが振り返る。そう、おれたちは彼女の念動力によって運ばれているのだ。
「周囲五万メートルに敵性精神波の反応なし」
 相変わらず無味乾燥な口調で彼女は答える。そうか。まだ出てこないか。
 それならいい。それならいいのだが……
 ずっと続くはずがない。ここは太平洋だ。必ず「あの連中」が出てくる。
 それを避けるため、北の方……アリューシャン列島のあたりを通っていこうかとも思ったんだが、北には北で恐ろしい敵がいる。
「有川さん」
 おれは振り向き、不安そうな少女……有川ランさんに呼びかけた。どうも彼女は、体が勝手に浮かんで運ばれていくという状況におびえている。まあ、なかなかそんな経験はないよな。
「近いうちに敵の襲来があります。その時はダルジィが守りますから、絶対に彼女から離れないでください。大丈夫です、彼女の能力は折り紙付きです。性格はちょっとつき合いづらいかも知れないけど」
「あの……神名さんたちは?」
「おれたちは自力でどうにかします。というより、ダルジィはたぶん有川さんを守るので手一杯でしょう、自力でどうにかする以外なんですよ」
「ダルジィ、頼んだよ。君の力を見せてくれ」
 見城が言う。口に物を入れたままだが、さすがに口調は真剣だ。
 もともとおれたち二人は、有川さんがアメリカまで付いてくることに反対だった。結局連れてくることにしたのは、彼女の熱意に負けたせいもあるが……ようするにダルジィの能力を信頼していたからだ。
「了解、見城」
 眉一つ動かさずに彼女は応じる。「感情を学習中」という設定だが、まだまだ機械に近い。
 と、そのダルジィがわずかに表情を変えた。どこがどう、とは言えない。彼女の顔を見慣れている人間でないと判らないくらいの微妙な変化だ。だが確かに、その白い顔に緊張が走ったのだ。
「警告。敵性精神波を探知。高密度の幻想圧を確認。『艦隊』出現と思われる」
 異変が起こった。
 突然、おれたちは霧に包まれる。牛乳の中に飛び込んだような、濃密な霧だ。
 なんの兆候もなかった。一瞬で出現したのだ。
「はじまったか」
「たぶんな」
 おれと見城は言葉をかわす。互いの顔を見ることも出来ない。
「なにが、ですか?」
「すぐに判る」
 おれはそう答えた。
 霧は少しずつ晴れていく。
 その中に……何かが浮かび上がってくる。
「海の上に、何か?」
 有川さんの言うとおりだった。影が多数、海面に見える。ある種の木の葉を思わせる、細長い形……白い尾をひいている。
「やはり来たか、ダルジィ!」
「了解、神名。上昇する」
 かすかな衝撃があって、おれたち四人の体は空高く運ばれていく。
 彼女はすべて了解しているようだった。さすがは元・戦闘機械。そう、高度三千メートルは少しばかり低すぎるのだ。高角砲はもちろん、機銃だって届いてしまうからな。
 おれは精神を集中させ始めた。
 おそらく、来るのは飛行機だろう。飛行機に対処するには、やはりあの男を呼び出すしかないだろうな。東京ではまるで使う機会がなかったもので、もう長いこと出してないんだが……ああ、おかげで引っ張り出すのに時間がかかる。もう少し早く準備しておけばよかった。
 霧は完全に晴れた。
 そこに現れたのは……
 船。
 いや、「艦」だった。
 それも、百とも二百ともつかない、とんでもない数の。
 中央に、ひときわ大きな箱形の艦が三十ばかり。その周囲を守るように、巨大な砲塔をかかげた艦がやはり三十ばかり……
 戦艦と、空母だ。
 この高さからは見えないが、みな旭日旗をひるがえしているはずだ。
「何ですか、あれっ」
「見ての通り、艦隊だよ。日本海軍だな」
 といっても、現実の日本海軍とは違う。まあ、昔の日本軍を懐かしんでる年寄りもいるわけだし、そういう想いが多少は加わっているかも知れないが……眼下の艦隊は、現実の連合艦隊よりもはるかに強力だった。どこの世界に、戦艦と正規空母を二十隻ずつ持ってる海軍があるんだよ。
 あれは、「架空戦記」が実体化したものだ。
 架空戦記。歴史の流れを少し、あるいは大幅に変えた戦争ものだ。もしここでこうしていたら、日本は勝っていた……あるいは、勝つことはできなかったかも知れないが史実よりは活躍できたはずだ……
 あれは売れてたなあ。ブームは終わった終わったと言われていながら、それでもまだ出版され続けて。本屋の一角を完全に占領していた。おれも書こうとしたことがあったよ、ミリタリーはけっこう好きだったしな。
 それだけの読者がついていたんだ、そいつらの想いが集まれば、艦隊の一つや二つ生まれて当然だろう。
 いや、それだけじゃない。日本人全体の思い……日本は強くあって欲しい、正しく、格好良くあって欲しい、そういう願望もあったのかも知れないな。だとすればあの艦隊は、「架空戦記をベースに、民族の無意識が集合した姿なのだ」と言えるかも知れない。超巨大な幻想体だ。
 あ、それからアメリカ側の問題もあったのかも知れないな。アメリカでも「日本が再び攻めてくるぞ! 怖いぞ!」みたいなノリの本が大ヒットしたことがある。確か一九九〇年頃だったか。だとすれば、アメリカ人の警戒心と偏見も加わっているわけで……
 とにかく、その幻想の強力さはシャレにならない。太平洋を渡ろうとした連中の大半が、あいつら……「幻想連合艦隊」に袋叩きにされて逃げ帰ってきた。あいつらは同じ日本人でも攻撃してくるのだ。いまの連中を日本人だと認めていないってことか。
 眼下で閃光。
 案の定、撃ってきやがった!
「サイコ・リフレクター!」
 爆発が足下で起こった。
 高角砲の砲弾が、おれたちに到達する前に弾けている。
 おれはダルジィに視線を向けた。
 彼女は無表情なまま、両手を組み合わせて下に突き出している。防壁を展開しているのだ。だが衝撃は完全には消せないのか、おれたちを支えている念動力の「場」そのものが左右に揺さぶられる。音も凄まじい。
「神名っ! 全力で逃げるってのはどうだ!」
 見城が絶叫した。叫ばなければ聞こえないのだ。
 逃げたい気持ちは分かる。ダルジィは船なかよりずっと速く飛べるからな。
 だが、おれの聞いた話が本当なら、逃げたって無意味なんだ。
「駄目だっ! 『位置イメージが不確定』だからだっ!」
「ああ、そうか!」
 見城は理解したらしい。
 どういうことかって? 「架空戦記は一つではない」ということが問題なんだ。ある小説ではハワイ沖で日本軍とアメリカ軍が戦っている。だが別の小説ではフィリピンで戦っている。さらに別の小説ではマリアナ諸島で……大西洋とか地中海なんてのもある。
 それらが全部いっぺんに実体化したら?
 そう、「幻想連合艦隊」は何十もの場所に同時に存在するのだ。小説の数だけあるといってもいい。それに一つの小説の中でも艦隊はあっちこっちに動き回り、いろいろな所で戦うわけだしなあ……
 そういうことだ。逃げたって、行く先々で何度も何度も出くわすだろう。
 戦って撃破するしかない。撃破してもまた別の艦隊があらわれるかも知れないが……多少はマシだ。おれの聞いた話では、アメリカに到達できた幻想使いたちは数十人でチームを組み、現れる日本艦隊とアメリカ艦隊を片っ端から潰していったという。そうしたら、しまいには現れなくなったそうだ。たぶん、幻想の根底にある「日本は強い!」という部分を破壊されたせいだろう。
 おれが狙っているのも、それだ。だが、たった二人だけでどこまでやれるか……
「頼んだぞ、神名!」
 ああ、わかってる。ダルジィは有川さんを守るのがやっとだろう。こちらから攻撃にはでられない。例の問題もあるしな。新しいキャラを出せばいいのかも知れないが、二人の強力なキャラクターを同時に維持できるかどうかは見城ですら怪しい。だったら、おれがやるしかないだろう。
 すでに高度は六千メートル以上。よし!
 と……そこまで考えた時、何か小さな点のようなものが下から上がってくるのが見えた。
 戦闘機! 迎撃機をあげてきたか。予想通りだな。いやあ、大した数だ。さすがに空母二十隻はしゃれにならんわ。あれだけ戦闘機がいるとなると、こちらが出せる機体はかなり限定される。
 本当はもっと情報が欲しい。下の連中がどういう艦をそろえているか、どういう機体を使っているか調べてから戦いたい。架空戦記によっては、とても第二次大戦とは思えない超兵器を持っている場合もあるからだ。
 だが、そんな時間はないんだろうなあ。
 まずは……アレしかないか。
 おれは心の中で叫んだ。
 ……私はエールリッヒ・アイヒマン。ドイツ空軍大尉だ!
 おれの中から、もう一つの人格がわき上がってくる。
 その人格はおれの精神と融合した。同時に体も作り替えられていく。背が伸び、体全体が引き締まり、筋肉がつき……飛行服に包み込まれていく。
 上半身は革製フライングジャケット。その上にライヒジャケットを羽織る。下半身はブルーグレイのズボン。胸には一級鉄十字、首には騎士鉄十字。
 おれは……ドイツ空軍のエースパイロットに生まれ変わっていた。本当はドイツではエースという言葉は使わなかったんだが、まあそれはいいだろ。
 なぜ日本軍が相手なのにドイツなのか?
 アメリカ軍のことはよく知らないし、思い入れもいまひとつだから。その点ドイツ軍は大好きだし、知識も愛着もある。幻想を実体化させるエネルギーには事欠かない。それに、あらかじめキャラクターを創ってあったしな。
 まあ気にすることはない。日本軍がアメリカ軍じゃなくてドイツ軍と戦う、という架空戦記だってたくさんあるじゃないか、きっと下の連中も驚きはしないだろう。
 さらに意識を集中した。
 次の瞬間、おれは操縦席に座っていた。
 風防を通して、青い空が見える。
 すぐに計器を確認した。速度計、高度計、タービン回転数……よし、問題なし。
 左右に眼を走らせる。真横には翼がまっすぐ伸びていて、そこには樽か壺のような形の物体が取り付けられていた。遠心式……空気をぐるぐる回して遠心力で外側に押しつけることによって圧縮する方式の、ジェットエンジンだ。
 おれはスロットルを慎重に開けながら降下をはじめた。
 たちまち速度計が「三〇〇」を超えた。そして四〇〇」を超えた。四〇〇ノット。時速七五〇キロか。まだだ。この機体は四五〇ノットまで出せるはずだ。翼が後退翼なら五〇〇までいけるんだが……
 下……いまのおれにとっては前方だ……から、なにかシミのようなものが近づいてくる。あっという間に、シミに翼が生えて……機体のシルエットが見えてきた。円筒形の胴体。あれは空冷エンジンだな。零戦か、それとも烈風か。どちらにしても、この機体を迎撃できる性能は持っていないはずだ。
 思ったとおりだった。一瞬、小さな閃光が目の前を交差したが、それっきり。おれは一瞬、連中の間をすり抜けた。
 おそらく奴らは仰天し、困惑しているはずだ。この機体がなんだか判らないから。
 胴体と翼に大きく書かれた鉄十字を見れば、ドイツ軍機だということは判るだろう。ドイツのジェット戦闘機、メッサーシュミットMe二六二のことも知っているかも知れない。だがこの機体のことは知らないはずだ。Me二六二と似ているが、尾翼はH型だし、翼は後退せず、まっすぐ横に伸びている。
 ハインケルHe二八〇。メッサーシュミットMe二六二よりも遙かに早く開発されたのに、政治的理由により没になった、悲運のジェット戦闘機。
 その幻の機体に、おれ……アイヒマン大尉は乗っているという設定なのだ。
 性能的には、後発のMe二六二よりも少し劣っているんだが……まあ、それはいい。要は思い入れだ。きっとカタログデータ以上の性能を発揮してくれるだろう。
 おれはスロットルを絞りつつ機首を上げた。すでに戦闘機の姿はない。おれは高度をさらに下げた。
 海面すれすれ……とまでは言わないが、高角砲で狙いづらくなる高度ではある。
 右に、左に、小さな水柱が立った。すぐに後方に消えていく。だが、また二つ、三つ……撃ちまくってるな。
 高角砲だけでなく、機銃も盛大に浴びせられた。輝く光の線が、この機体をかすめるように伸びてくる。機体を左右に振ったら高度が落ちて海面に突っ込んでしまうため、この段階ではもうよけることができない。運と、それから速度に期待するだけだ。
 砲火の中を、おれは進んでいった。
 めざすは空母だ。この機体は基本的に戦闘機であって、対艦攻撃力は乏しい。戦艦を沈めるようなことはできない。
 おれはすぐに目標を見つけた。あれはいい。あれは実際に日本軍が使っていたのと同じ、木製甲板の代物だ。よし、あれならいけるだろう。
 おれは眼をこらす。青い眼が血走っていたかも知れない。
 目標は、照準器の中で膨れあがった。
 なにしろジェット機だ。撃墜されづらいかわりに、攻撃のチャンスも一瞬しかない。
 だが……おれなら!
 おれは、見た。
 日本空母の甲板に、機体が並んでいるのを。
 そうだ、どんな空母だか知らないが、たった数分ですべての戦闘機を発艦させることなどできるはずがない。まだ途中のはずだ。
 おれはトリガーを引いた。
 機銃のトリガーじゃない。この機体には二〇ミリ機銃が積んであるが、さすがに機銃で空母をどうこうできると信じるほど、ドイツの科学力を過信しちゃいない。
 軽い衝撃。
 直径二一センチの対地・対爆撃機用ロケット弾が、白い煙の尾を曳いて飛んでいく。甲板に吸い込まれていく。
 おれはスロットルを全開にして、機体を急上昇させた。第一次攻撃は終わり。
 ほんの一瞬だけ振り向くと、空母は煙を噴いていた。見事命中。すぐに炎に包まれるだろう。翼にぶらさげていたロケット弾を全弾ぶちこんでやったのだ。装甲のないもの相手なら、ロケット弾は絶大な破壊力を発揮してくれる。甲板を突き破って爆発したか、それとも機体に誘爆したのか……両方か。
 あれでもう、あの空母は使い物にならないだろう。そのまま沈むことも考えられた。
 超高速のジェット戦闘機に爆弾やロケット弾を積めば、敵の戦闘機を無視して爆撃が行えるのではないか……という考えは史実のドイツでもあったし、実行もされた。だがジェット機はあまりにも速すぎた。命中率が極端に低く、使い物にならないと判断された。ただでさえロケット弾は当てづらい兵器だ、八〇〇キロで飛びながらなんて、絶対にあてられっこない。
 人間には無理だ。
 だが、おれ=アイヒマンは普通の人間じゃない。
 ナチスドイツが、薬物投与によって生み出した超人的反射神経の持ち主だ。そういう設定なのだ。
 何百人もの実験体を廃人にして、計画は中止された。その唯一の成果がアイヒマンだった。彼はすべての記憶を喪い、その代償として人間の限界を遙かに超える反射神経を手に入れたのだ。たった一人の超人が、どこまで戦局を変えることができるか。そして過去を喪った男は、自分が何者なのか知ることが出来るのか……
 という話を、書くつもりだった。
 その話は結局書き上げられなかったけど、主人公アイヒマンのキャラクターはおれの中に残っていた。その設定を生かしてやったわけだ。
 いや、しかし……こいつの性格はやばすぎるぞ。
「第三、帝国に、栄光、あれ……」
 乾いた唇がおれの意志を無視して動き、言葉を紡ぎだした。本来のアイヒマンの意識が、そう言わせているのだ。
 その声はひどく震えていた。
 案の定だ。
 記憶のない彼は、「自分は何者なのか」という疑問と不安に常に悩まされている。それから逃れられるのは、ナチスの思想を心から信じ、それに酔っている間だけだ。だが、それをやればやるほど、心の底にほんの少しだけ残っていた「実験前の思いで」が薄れていく。それではいけない、という思いももちろんあり、彼はその二つの思いに板挟みにされて苦しむ……
 って、他人事じゃない。いま、おれの身に起こっていることだ。
 おれは不安に襲われていた。体がこわばり、震え出す。死の恐怖とか、そんなんじゃない。過去が何もないがゆえの不安だ。薬物の副作用もあるだろうな。
 しょうがない。設定がそうなんだから。無理に変えようとしたら、きっと能力自体が消えてしまうだろう。こいつの場合、「崩壊寸前の精神」「超人性」は密接に結びついている。
 だからおれは、できるだけ奴のやりたいようにさせてやった。おれ自身の意識を脳味噌の片隅に追いやって。機体を操縦しているのはアイヒマン、喋っているのもアイヒマン。
 だが、このままパニックに陥ったら? それも困る。だからせめて不安が限界を超えないよう、戦闘に支障を来さないよう、ぎりぎりのところで制御する。さじ加減が難しそうだ。おれは、おれの中にいるアイヒマンに囁いてやった。
 お前はアイヒマン。空軍大尉。パイロットだ。おれは最強だ、最強の戦闘機乗りだ、ドイツの偉大な力の象徴だ、だから落とされるわけにはいかないのだ。そんなことを考えているわけにはいかないのだ。悩むな、ただ戦え。そして勝て。
 上昇を続ける。少しでも早く、二度目、三度目の攻撃を見舞ってやる。そのぶんダルジィたちの負担が少なくなるし……長引くとアイヒマンの精神がやばい。
 風防ごしに、赤い火花が機体を追い越してゆくのが見える。下から、この機体を突き上げるようにして飛んでくる火花も混じっている。対空機銃の連射だ。日本海軍なら、二十五ミリ機銃だろう。
 おれ……アイヒマンがいかに超人といっても、飛んでくる機銃弾を眼で見て避けるのは難しい。それもかなりの密度だ、よけたところで別のやつに当たる。ただ、この機体のスピードに機銃手がついてこれないことを祈るばかりだ。
 祈りは聞き届けられたらしい。傷一つ負うことなく、高度五〇〇〇にたどりついた。
 ここが一番危険な場所だ。いくらなんだって、旋回する時は速度が落ちる。
 だが……おれ=アイヒマンの考えが正しければ……
 機首をめぐらせる。機体をかたむけ、急旋回をやってのける。この機体の基本設計……高速重視で旋回性能軽視……を無視した機動をやったおかげで、大きく揺れる。
 おお、思ったとおりだ。
 蚊トンボじみた敵機の群れは、かなり下方に存在するだけだった。おれを追いかけて高度を降りてきたのはいいが、今度は下がりすぎて、こちらの上昇についてこれなかったのだ。
 バカな奴らだ……まあジェットとレシプロじゃあ上昇力に差がありすぎるから仕方ないかな。
「思い……知れ……」
 また、おれの口が勝手に動いた。平板の調子のドイツ語が吐き出される。
「アーリアの……科学力を……」
 うわーやばすぎ。
 まあいい、次の目標だ……目標を探さねば。
 おれは機首を下げながら、四.〇を超える視力で海面の敵艦隊を観察した。
 特大の空母……史実の日本軍が持っていたはずのない、五万トン……いや十万トンはあろうかという超巨大空母が、おれの目に留まった。よし、あれをやろう。でかければでかいほど発着艦に時間のかかるもの。まだ甲板の上は飛行機でいっぱいに違いない。そこにロケット弾を浴びせれば一発だ。いや待てよ、もしかしたら甲板が装甲化されているかも。
 じゅあ隣の小さい空母はどうだ? あれなら間違いないだろう。よし、あれに決めた。まずはロケット弾の補充だ。イメージの力を……
 おや? 下の敵機が変だ。左右に分かれて逃げてゆく。まるで、おれが突撃するための道を開いてくれているみたいだ。
 その時おれの眼は奇妙なものをとらえた。
 白い尾をひきつつ、まっすぐに上がってくる何か。どうも、あの小さい空母から飛んでくるらしい。
 迎撃機? まさか。飛行機があんなスピードで上昇できるものか。それにあれは、どちらかというとおれのロケット弾に……
「ミサイルだとっ」
 アイヒマンではなく、おれが叫んだ。だってそうだろう、対空ミサイルに対処する方法なんて、アイヒマンが知るはずもない。おれがどうにかするしかないのさ。
 と言いたいところだが、おれも知らん!
 少なくとも、チャフもフレアもアフターバーナーもない、二次大戦レベルの機体ではどうしようもない!
 その瞬間思い出した。あの、ばかでかい空母の横にある小さな空母は。
 二十一世紀、自衛隊がはじめて保有した空母がタイムスリップしてミッドウェー海戦に乱入するという「超逆転! 時空の艦隊」の「第二蒼龍」じゃないか!
 ネーミングも無茶苦茶だし、そんなのアリかよ、とかいって笑いながら読んでいたんだが……実際出てこられるとシャレにならん。
 「第二蒼龍」から発射されたミサイルは、一発や二発ではなかった。ああ、そんなに撃つことないだろ、どうせ当たるに決まってるんだから!
 どうする、実際どうする。高度五〇〇〇なんて、二十一世紀のミサイルならあっという間だ。
 だが、脱出する時間くらいならある!
 おれは座席の下に収納されているパラシュートを取り出し……
 そこで動けなくなった。
 奴が……アイヒマンが、体をぶんどりやがった!
「負け……ない。ドイツの……科学力は」
 バカ、そんなこと言ってる場合か、お前は半世紀以上先の科学力と戦ってるんだ、負けて当然だろう、今は逃げて、設定変えてから再挑戦すればいいんだよ!
「逃げ……ドイツのは。私は、私は騎士。騎士は逃げ……」
 そうか。幻想反乱か。このままでは完全におれが消されてしまう。そういうことなら仕方ない。
 おれは念じた。
 ……消えろ! 消えろ! 消えるんだ
 お前はいない! お前など存在しない!
 お前は……「嘘」だ!
 頭の中で悲鳴が響き渡った。
 消えたのだ。創造主そのものに存在を思いっきり否定されれば、たいがいの幻想体は消えるほかない。「幻想反乱」に対処する、一番手っ取り早い方法だ。
 ついでおれの体を、痛みともしびれともつかないものが走った。
 体が組み替えられていく。服が、皮膚が、骨が、筋肉が、脳神経が……すべてが元にもどっていく。日本人・神名暁の体に。
 いまだ。この機体が消えてしまわないうちに……痛みなんか気にしていられるか。
 その時風防の向こうに、白い丸が見えた。
 丸だ。棒でも楕円でもない。つまりは、ミサイルが正面に! しかもでかい!
 間に合わない。
 次の瞬間、機体を衝撃が襲った。
 そして、視界が……真っ青な光に包まれて。
 気が付くと、おれは宙に浮いていた。
 機体はもうない。消えてしまったのだろう。
 だが、ミサイルの姿もない。あれだけたくさん飛んできたのに、一発もない。
 どういうことだ。それに、おれは身一つでどうして飛んでいられるんだ?
「大丈夫か、神名」
 理由はすぐにわかった。ダルジィが降下してきたのだ。
 助けてくれたのか。だが、あんたは上で、有川さんたちを守っていたんじゃなかったのか?
 そんなおれの心を読んだかのように、ダルジィは無表情なまま言った。
「問題ない。見城が第二のキャラクターを出した。私と同等の戦闘力を有するキャラクターだ」
「そうか……」
 やるじゃないか。そこまでできるとは思わなかったよ。
「サイコブラストッ!」
 ダルジィは叫ぶと、また飛んできたミサイルめがけ、蒼い光の塊を叩きこんだ。閃光を放って消滅するミサイル。
 ミサイルは無駄だと悟ったのか、今度は戦闘機が大挙してあがってきた。だが、連中は機銃の射程距離まで近寄ることすらできなかった。
 青い髪を揺らして、両手を下に突き出す。そして絶叫。
「アストラル・キャノンッ!」
 直視できないほどにまぶしい青い光。それは瞬く間にふくれあがっていく。
 青い輝きのなかに、赤い爆発がいくつもいくつも生じた。
 光が消えた時、もう敵機の姿はなかった。二、三百機が一気に片づいていた。
 ……凄い。
 最初からダルジィにやらせればよかった。
 この光景を見せられればそう思わずにいられない。だが……
「ダルジィ、よすんだ。これ以上戦うな。おれを連れて逃げるんだ。君はこの相手とは戦うべきじゃない。理由はわかってるだろう、世界観の競合だ!」
 おれがそう叫んだの同時に、ダルジィの姿が変化した。
 そう……歪んだ。
 陽炎のように……だが、もっと大きく。まるでその肉体が、水面に映る月影でしかないように、大きく揺らいだのだ。
 攻撃? ちがう。おれの恐れていた通りのことが起こったのだ。
「ぐ……」
 彼女はうめくと、体を折って苦しみ始めた。
 姿のゆらぎはもうおさまった。だが一時的なものだ。原因はそのまま残っている。今度また起こったら、跡形もなく消えるかも知れない。
「言わんこっちゃない。架空戦記と超能力戦士は相性が悪すぎるんだよ!」
「わかった……一時ひこう」
 ダルジィはおれを連れたまま、即座に上昇をはじめた。
 「世界観の競合」。それは「幻想反乱」と並んで、おれたち幻想使いが背負わなければいけないリスクだ。
 物語には世界観というものがある。どういう世界なのか、どういう人間がいるのか。それはストーリーのジャンルと密接に関わっている。SFにはSFの、ミステリにはミステリの、架空戦記には架空戦記のルールというものがある。
 それをごっちゃにすると、たいていの読者は「はあ?」とか「おいおい」とか思う。
 考えてみてくれ。たとえば本格ミステリで、「実は犯人は、四次元を通って密室に入ったのです」などという種明かしがされたら?
 子供向けの変身ヒーローものに、民族問題とか宗教対立が出てきたら?
 もちろん、それで大成功することもある。
 だが、それには細心の注意が必要だ。たいていは「なんだこりゃ」で終わる
 だから、違う世界観に属する幻想体どうしが近づくと、互いの世界観を消そうとするのだ。これが「世界観の競合」。
 そしてダルジィは、結局はたった一人の人間がつくった幻想体にすぎない。民族の無意識には、さすがに勝てないだろう。
 それを言うなら、東京の街をライヒェルムに変身して飛ぶのもおかしいって? いや、東京に魔物が出て、それを退治するために超能力者とか魔法使いとか超人戦士が活躍する、という話はたくさんあるじゃないか。だからそれは認められる。
 だが……架空戦記に、空を飛んでビームを撃つ超能力少女は出てこない。
 おれが巨大ロボットだのビーム砲だのといったSFメカを出さなかったのも、そういう理由だ。
 全く、なんでタイムスリップがよくて超能力がだめなんだよ、架空戦記って奴は!
 急上昇を続けるダルジィの体が、また大きく揺らぎ、ねじれはじめた。
「くっ……」
 歯を食いしばり、うめくダルジィ。
 先ほどのものより、歪みは激しかった。
 上昇が停止した。彼女の表情もわからなくなった。さらに歪みは増していく。ダルジィのいた場所には青い塊が脈動しているだけになった。ときおり手や足だけが本来の姿を取り戻すが、それもすぐに溶けてなくなってしまう。
 おれに出来ることは?
「ダルジィ! お前は存在する! 確かに存在する!」
 叫んだ。もちろん、ただ口で言っただけじゃない。たとえ時代設定が二次大戦だろうと、どれほど世界観がかみあっていなくとも、おれは少しもおかしいと思わない……そう念じたのだ。
 これは一つの賭けだ。
 おれはダルジィというキャラクターに、それほど強い思い入れがあるわけじゃない。だから、その存在を心から願うことが本当にできるかどうか。口先だけのものなら逆効果ですらあるのだ。
 それに……他の奴がつくった幻想に、おれの想念を混ぜて大丈夫なのか。
 しかしその時のおれには、それ以外の方法は思いつかなかった。
 数秒間、おれは血管が切れそうになるほど強く念じた。だが効果は見られなかった。青い混沌は、人のシルエットを完全に失ったまま、元に戻る気配も見せない。
 おれは下からの風を感じていた。風はたちまち烈風に変化した。浮くような感覚が全身を包んだ。
 落下しているのか。高度を維持することも出来なくなったのか。
 ライヒェルムに変身すれば飛べる。だが、風の精霊の加護を受けた有翼の戦士なんてものが架空戦記で認められるはずがない。ダルジィ以上に強烈な世界観の競合が起こって、変身したとたんおれは消し飛ばされてしまうだろう。
 もう一度、さっきのアイヒマンを出すか?
 それともダルジィの回復に賭けてみるか?
決断を下すよりも早く、背中に衝撃を感じた。
 すさまじい爆発音が聞こえたかと思うと、次の瞬間、全くの静寂が襲ってきた。
 聴力の限界を超えた轟音、そういうことだろう。
 背後からぶつかってきたのは、壁だった。空気の壁だ。いわゆる衝撃波というやつなのだが、その瞬間のおれにはそんな難しいことはわからなかった。ただ、硬く重い物の激突を感じていた。無音の世界を、おれは体を折り、ダルジィと一緒に飛ばされた。
 ふたたび浮遊感が、自由落下の感覚がおれを包んだ。それはとても心地よかった。
 ああ、高角砲の弾が近くで爆発したんだ……そう気づいたときには、おれはもう半ば意識を失いかけていた。
 そうか……生身で喰らうと、至近弾でもあんなにすげえものなんだ……昔の飛行機乗りは大変だったんだなあ……
 薄れゆく意識のなかで、おれはそんなことを考えていた。
 ふたたび耳がきこえるようになったが、風を切る音しか聞こえてこなかった。
 輝く水面、白い航跡を曳く艦隊だけが、おれの眼に映っていた。景色がグルグル回っている。
 艦隊は……木の葉やマッチ箱は、もうかなり大きくなっていた。
 このまま海の底だ。
 海の底……?
 一つの言葉が、おれの意識にひっかかった。
 海の底……?
 そうか!
 なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう!
 おれは今度こそ全力を振り絞った。
 ……ダルジィ! ダルジィ!
 今だけでいい! 今だけでいいから……一瞬でいいから……
 おれのために、存在、して、くれ!
 ……「了解、神名」
 頭の中に響く声。
 体を包む、やわらかい、見えない手。
 回転しつつ落ちてゆくおれの眼に、だるじぃの姿が飛び込んできた。幻想を回復できたらしい。
 上昇を再開しようとするダルジィに、おれは叫んだ。
「いい! いいんだ! 上がらなくていい、ダルジィ!」
「……何故だ、神名?」
「降りるんだ」
「突っ込むのか」
「ああ。艦隊じゃない、海にな! テレパシーで見城たちも呼んでくれ。全速力で降りてくるように! いいな、全速力だ!」
 水中でも潜水艦なんかがいるかも知れないし、駆逐艦の爆雷攻撃っていうのもある。海底戦艦なんつー代物が出てくる架空戦記もあるからねえ。
 だが、ここがどこか忘れていた。
 ここは太平洋。太平洋といえば。
 きっと、いけるはずだ。
「……了解、神名」
 訊きたいことは山ほどあったろうに、ダルジィは従ってくれた。砲弾そのものの速さで急降下をかける。
 艦隊に近づけば近づくほど世界観競合の危険は増える。だが時間が十分に短ければ、影響を受ける前に通り抜けられるはずだ。
 おれとダルジィの周りが、一瞬まぶしい光に包まれたかと思うと。
 白いしぶきが視界を覆い尽くし、次の瞬間にはおれたちは青黒い海中にいた。
 正確には、海中を漂っていく泡の中に、だ。
「どうするのだ、神名」
「もっと潜れ、もっと、もっと」
 海の色はすでに真っ黒だ。
 突然、おれたちの入っている泡の大きさが二倍になった。
 もう一つの泡がくっついたのだ。
「なんのつもりだ、神名?」
 当惑を隠せない表情の見城、ダルジィとよく似た赤毛の娘、そして有川さんの三人が合流した。
「大丈夫、このまま潜っていけば必ず助かる」
「なぜ? 水中にだって敵の攻撃はあるぞ」
「大丈夫だって見城。ダルジィ、世界観の競合を感じるかい?」
 そう言われて、ダルジィはとまどったような表情を浮かべた。
「……なにも。なにもない」
「まあ、わたくしもですわ」
 新キャラとおぼしき赤毛の少女も驚いていた。
 そう、ここ、太平洋の海底なら、超能力戦士がいたってちっともおかしくない。だから世界観の競合は起こらない。
「どういうことだ、神名」
「わからないのか?」
 おれは言ってやった。優越感をこめて。
「『ムー大陸』だよ!」


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