第三章 幻想対話
反応したのは、見城の方が早かった。
「アメリカ……?」
女の子をじろじろ見ながら、奴はたずねる。
「アメリカが今なんて呼ばれてるか、知ってるかい?」
「はい」
女の子はうなずいた。
あまり特徴のない顔立ちだ。まあ美少女っぽくはあるが……いまの時代、そんなものはいくらでもいるから、ぜんぜん印象に残らないんだよな。
あえていうなら、意思が強そうだ。
次の台詞が、その印象を裏付けた。彼女は見城と目線を合わせたまま、強い口調で答えたのだ。
「もちろん知ってます。『最悪の幻夢郷』」
そうだ。「最悪の幻夢郷」それがアメリカの別名だ。
東京だってかなり物騒な土地だ。暴夢がたびたび出現するからな。行ったことはないが、大阪や名古屋だって同様だろう。都市部から離れたって危険は危険だ。妖怪や幽霊は、いまや現実のものなんだから。
だがアメリカ……あそこの恐ろしさは、別格だ。
神と悪魔が永遠の闘争を続ける、『ハルマゲドンの地』。
アメリカに何千万人もいた、熱狂的なキリスト教徒たち……いわゆるファンダメンタリストたちの信仰心が、
あの国をそんなふうに変えてしまった。ヨーロッパもそれに近い状態らしいが、アメリカのほうがひどい。理由は知らない。
いや、おれもこの眼で見た訳じゃないんだ。あそこに行って戻ってきた奴は数人しかいないんだ。少な目に見積もって数百人の幻想使いが、アメリカに挑んでいるはずなのに。その中には、おれなんかよりずっと強い奴もいたのに。
「わかってるのか。それならいい」
見城が感心したように言う。
「よくない! なんだっておれが、そんな所に行かなきゃいけないんだっ」
生還率一パーセントだぞ。
「お金の……報酬の問題ですか?」
「違います。金なんか取っちゃいません。自殺するつもりはない、というだけの話です」
金をとらないのは、おれが無欲だという意味じゃない。いまの時代、金なんてものに何の意味もないからだ。
「でも、神名さんはとても優秀な幻想使いで、しかも冒険好きだから、危険なことだってやってくれるって……」
「それは誰が言ったんですか?」
「土屋さんっていう人が、そう言って神名さんを紹介してくれたんです」
「ああ、土屋さんですか。しばらく会ってませんね。そうですか、あの人がそんなことを」
土屋さんというのは小説家タイプの幻想使いの一人で、おれの知り合いだが、もう長いこと会ってない。
「土屋さんにも困ったもんだな。適当なこと言ってくれちゃって……まったく」
「そういう噂が広まる原因は君にもあると思うけどね」
「うるさいな」
見城の言うことも、確かに一理ある。
心当たりはあるのだ。
頼まれてもいないのに、暴夢を倒して回っていた。暴夢だけでなく、人に迷惑をかける『幻想』が現れると退治した。あの『バクオン』なんてのはまさにそれだ。雪辱戦を挑んでくる奴らをいちいち相手にしていたせいで、おれは闘ってばっかりだった。幻想使い同士の戦いすら、何度か経験している。
正義の味方きどり。みんなにはそんなふうに見えたんだろうな。おれが一番良く使うキャラクターのライヒェルムがそういう性格だから、という言い訳もできるが……そのライヒェルムを作ったのはおれなのだ。
「いいですか」
少し派手にやりすぎたことを後悔しつつ、おれは説明をはじめた。
「私は確かにしょっちゅう闘っています。戦いが好きなのかもしれません」
「こないだも死にそうになってたしねえ」
「こいつの言うことは聞かない方がいいです、変な道にひきずりこまれるかも……で、戦い自体は好きなんですが、まあ、簡単にいってしまうと、アメリカはキツすぎる」
「勝てそうにない、ということですか」
「そうです」
軽蔑でも失望でもなんでもしてくれ。全く勝機のない戦いをするほどバカじゃない。おれはあくまで、消えるのが嫌だから……退屈しのぎで闘っているだけなんだ。
「でも、幻想使いは退屈してるから、冒険とか戦いを求めているって」
「そうでもないさ」
答えたのは見城だ。
「全然というわけじゃないけど、少なくともそんな危険な場所にいくほど刺激に飢えてるわけじゃないよ。いざとなれば、取り組めることもあるしね」
おい、お前も魚沼先生みたいなことを考えてるわけじゃないだろうな。
「でも……」
うつむく彼女。おれは精一杯優しい声を作って言った。
「他の幻想使いに頼んでみたらどうでしょう。物好きな奴もいるかも知れない。アメリカに行った経験のある奴も」
「神名さんと見城さんが『最強』だって聞きました」
「そんなことはありません」
それだけは言い切れる。謙遜でも皮肉でもない。
自分の中に、思い通りのイメージを、強く、細かく、だが短時間で描き出せる。そしてそれに命をふきこむことができる。それでいて、幻想に意識をのっとられてしまうことはない……
それが幻想使いに必要とされる能力だ。小説家や漫画家の能力そのものじゃないか。小説家の卵に過ぎなかったおれが、最強のはずがないだろう。見城だってそうだ。
たとえば、消えていった魚沼先生。あの人が幻想使いになっていたらどんなに凄かったろう。
ただ、そんな人に限って……
「私なんか、ベスト一〇〇にも入らないと思います。ただ、本当に優れた人は創作に専念します。自分の作ったキャラで遊んだりしない。力を振り回したりしない。だから目立たないだけです」
そして、そういう人達は消えていく。魚沼先生同様、創作にすべての力を注いだ結果。
駄目な奴だけが残って……そのダメダメ集団の中では、おれが一番。それだけの話だ。
「じゃあ、言い直します。私のために闘ってくれる幻想使いのなかでは、神名さんが一番です」
あきらめが悪い人だ。
再びおれが口を開いたとき、思わず口調が荒っぽいものに変わっていた。
「お父さん……だったかな。どうして、そんなにこだわるの? 会いたいんなら、いつでも会えるじゃないか」
そう、いつでも会える。
本当に誰かに会いたいなら、心の底からそう願えば、必ずその願いは実体化する。自分が望んでいるとおりの人物が現れるわけだから、場合によっては本物よりいいんじゃないか? そうやって死人を生き返らせて暮らしている奴は大勢いる。
「それじゃ駄目なんです」
女の子は一歩踏み出した。
さらに二歩目、三歩目。
用意してやった椅子を無視して、おれに近づいてきた。
「神名さんは、怖くなることはありませんか?」
はあ?
おれが質問の意味を理解できずにいると、彼女は言葉を続けた。とても真剣な表情、思い詰めたような表情だ。
「神名さん、幻想を自由にコントロールできるんですよね。物とか人間を出したり消したりできるんですよね」
「ああ。おれの場合はもっぱら、自分自身を変身させることに力を使ってるけどな」
「人間を出したり消したりは、どっちかっていうとぼくの方だね」
「じゃあ、見城さんは思いませんか?」
「なにを?」
「造り出した幻想は、本物の人間と区別できませんよね。しゃべるし、動くし、さわれるし、心だってありますよね」
ああ、言いたいことがなんとなくわかってきたぞ。
ナイーブな子だな。そんなことを気にしていたら生きていけないぞ。
「でも……本物そっくりでも、『消えろ』って思っただけで消えちゃうじゃないですか。パッと。最初から何もなかったみたいに。だから、怖いんです。本物そっくりであればあるほど、怖くなるんです。幻想は。というより、ぜんぜん本物じゃないのに本物だと感じてしまう自分自身が怖いのかも」
「はあ」
見城はしらけた表情で相づちを打った。
おれも同じ気分だ。今の世の中に生きてる奴は、みんなそれを乗り越えてきたか……あるいは気にしないくらい無神経なんだと思っていたが。
「だから、本物じゃないと嫌なんです。せめて父さんだけは、本物と会いたいんです」
真剣なのはわかった。今時珍しいタイプじゃないか。こういう娘は嫌いじゃない。
だが、ひとつ忘れてないか?
はっきり言って、諦めさせたほうがいいな。一人でも行きますって言われたら、おれたちの責任だ。
「そのお父さんだけど……アメリカに取り残されたの? 夢幻代が始まったときに」
「そうです」
「君はアメリカの異名は知ってるけど、実状はよく知らないみたいだね。アメリカでは、本物の神様とサタンが大軍をひきいて戦争やってるんだ。ドカンドカンと、稲妻とか炎を撃ち合ってるんだ。核戦争とたいして変わらない。人間が生きていけるような所じゃないんだよ」
「父さんはもう死んでるって、そう言うんですか」
「まちがいなく」
「でも……ほら、アメリカに神様がいるってことは、その神様を想像している人間がいるってことじゃないですか。だったら」
「ああ、少しは生き残ってるだろうな」
彼女は顔をあげた。眼を輝かせている。
「そう、生き残る方法が一つだけある」
これは、できれば言いたくなかった。「死んでいる」という結論のほうがよほどマシだからだ。
「ヨハネ黙示録を読めば判るんだけど、ハルマゲドンには神と悪魔だけじゃなくて、裁かれる人間というものが出てくる。地獄に堕ちる人間と救われて楽園にいく人間。後者に選ばれれば、殺されないで済むと思う。神様に救ってもらえるかも知れない。でもねえ……救ってもらえるのは、『全く罪のない人間』だけだよ。ただ神だけをひたすら信じ、一切の欲望も悪意も持たない人間だ。きみの父さんはそういう人間だったのか?」
ひきつった顔の彼女に、おれはとどめの一撃を浴びせた。
「どちらにしても、君の好きな父さんはどこにもいない、そういうことだよ。そこまで変わってしまったんなら、それはもう『本物』とは言えないと思う。家に帰って、君のイメージ通り父さんと仲良く暮らしたほうがいい。いや、そっちのほうが君にとっては本物だ。そう思うべきだ」
よし、これでいい。口調がすごく偉そうになっちゃったけどな。
ところが、彼女の反応は全く予想を裏切るものだった。
最後の一歩を彼女は踏み出した。
おれとぶつかる寸前まで近寄ってきたのだ。泣きそうだった表情が、いまは怒りに彩られている。
「……たとえそうでも、本物は本物だし幻想は幻想ですっ! ぜったいに、ゆずれません!」
なぜだ。
おれは呆然としていた。
なぜ、そこまでこだわる。こだわることが出来るんだ。
ふぇ、ふぇ、ふぇ……
奇妙な声がした。見城の笑い声だった。この男は紅い顔を歪めて笑っているのだ。
「神名、面白いじゃないか、この子。気に入ったよ。ついてってやろうよ」
お、おい見城、本気か?
あわてるおれを無視して、見城は勝手に話を進めていた。
「そういえばまだ聞いてなかったけど、名前は?」
「有川ランです。ランでいいですよ。いえ、有川さんでもいいですけど」
有川さんは、不気味な笑みを浮かべている見城をけげんそうに見つめた。
「あの……引き受けてくださるんですか?」
どうも信じられないらしい。
「うん、ぼくはね。こっちのかっこつけは渋ってるけど、ぼくは面白いことは好きだから」
おい、どういう風の吹き回しだよ! おれ以上に批判的だったくせに!
「さあ、詳しい話を聞こう」
「ちょって待て、おれは認めてないぞ! おれはついていかない!」
「いくらなんでも一人じゃ無理だよ。優秀な幻想使いの仲間が必要だ」
「そいつがあれである必要がどこにあるんだよ。適当な奴を二、三人みつくろえばいいだろ」
「じゃあ仲間が集まらなかったら、神名がついてきてくれる?」
「ああ、集まらなかったらな」
「絶対だよ?」
「しつこいな。いいぞ」
おれは自信満々、言い切った。
そのときは自信あったんだよ。
「……たぶん後悔すると思うよ、神名」
「えーと……住所はここでいいんだよな」
おれは辺りを見回した。
街の雰囲気は全く変わってしまっている。
ここが中野だなんて誰が信じるだろうか。サンプラザは得体の知れないビルに変形している。駅は数倍にでかくなっている。それ以外の建物にしても見覚えのあるものは何もない。
これでも、一時期よりはだいぶ落ち着いているはずだ。最初の頃はとにかく東京上が大騒ぎだった。「でっかいビルが欲しい」という幻想、「高級住宅地みたいになってほしい」という幻想、「このへんに環状線を通したい」という幻想、「もっと緑が多くなって欲しい」という幻想、それから個人個人の「うちの家がでかくなってほしい」という幻想……そんなものが全部ごちゃまぜになってぶつかりあい、見回すたびに景色が変化するほどだった。
「これは最新の地図だからかなり正確なはずだよ」
見城は余裕たっぷりに答えた。
なんで余裕があるのかって?
ふん……
「さあ、このマンションの二十四階だよ」
きわだって高いマンションに、おれたちは入った。
「さあ、2410号室だよっ」
「お前、すごく嬉しそうだな……」
いまにも顔面がとろけ出しそうな見城、おそらくむすっとしているに違いないおれ、それからちょっと困った顔でついてくる有川さん。おれたちはガラスのドアの前に立った。開かない。
オートロックなのでインターホンで呼び出す必要がある。
2、4、1、0と……
とぅるるる。とぅるるる。
とぅるる……
反応なし。
「無駄だって。だいたいこの集合ポストみなよ。名前が書いてないじゃないか。2410号室は空き部屋だよ、誰もいないよ」
「今、たまたまいないだけだ!」
自分でも苦しい言い訳だとは思った。
「今回だけならそういうこともあるかも知れないね。でも、今までのは? 連続して十六人全員がたまたま留守ってのは、ちょっとねえ」
いちいちむかつく奴だ。
「これで十七人目。蕗川先生は家ごと消えていた。杉野先生はチベットに旅立った。葛三沢先生は暴夢になって退治されていた。明石先生は自分の生み出した殺人鬼に殺された。土屋さんもいなくなっていた。えーと、あとなんだっけ」
ああ、その通りだよ、心当たりのある幻想使いは全滅だよ!
「お前の方はどうなんだ? 知り合いの漫画家、あたってみたんだろう?」
「もちろん。ブックランダー先生も、M・変鬼郎先生も、解剖狂子先生も、ぐらーふツェッペリン先生も、中山カナブン先生も、第十七自動車化狙撃師団先生も、びよーん星丸先生も、みんないなくなっていた」
じゃあ、同じか。
……どうでもいいが、どうして見城みたいな分野の漫画家ってのはこうもペンネームが奇抜なんだろう。
「ぼくの言ったとおりだろ」
「どうしてだ? どうして短期間でこんなに減ってるんだ?」
「まあ理由なんてどうでもいいじゃないか」
見城は最高に機嫌がよさそうだった。そうだろうな、おれを完璧に負かしたんだ。
「じゃあ、一緒にきてくれる?」
「くそ。……わかったよ」
おれはそのとき、ただ悔しがっていただけだった。
なぜ幻想使いがほとんどいなくなってしまったのか。それなのに、おれと見城だけが残っていたのは何故か。そして、見城にそれを予見できて、おれにできなかったのはどうしてか。
それを深く考えようとはしなかった。
もう少し考えていれば……あんな事にはならなかったんじゃないかと……そう思う。