第二章 二つの消え方

 次の日、おれと見城は祝杯をあげていた。
 場所は歌舞伎町の飲み屋。
 このへんには飲み屋が多かったが、「夢幻代」が始まって以来、数がかなり減った。やっぱりイメージの問題だろう。「歌舞伎町と言えばやらしい店」という印象が強すぎるんだな。みんながそう思ってるもんで、そのイメージにそぐわない店は消滅していく。幻想に呑み込まれ、「上書き」されて。
 わずかに残った飲み屋の一つがこの店だ。いや、別に大した店じゃない。居酒屋チェーンの一つだよ。
 座敷もテーブルもカウンターもだいぶ埋まっていた。まあ、このうち何割が本物の客かは知れたもんじゃないけどね。
「乾杯」
「ふぁんぱーい」
「だからお前、喰いながらしゃべるな」
見城はすでに焼き鳥の皿を空にしていた。眼にも止まらない早さだ。もちろんそれだけで満足するはずもなく、魚だの肉だの、アスパラのベーコン巻きだの、奴の頼んだ料理がテーブルを埋め尽くしている。まだ来てない料理も何皿かある。
「ところで何に乾杯してるんだ?」
「そりゃお前、『暴夢』を倒したからだよ」
 おれたちが都庁の「暴夢」を倒してから、たぶん一日が過ぎていた。
 たぶん、としか言いようがないんだよ。なにしろ「夢幻代」では、すべてが人の想いに左右される。人間はそれぞれ、時間について別のことを思っている。ある者は「一日が四十八時間になあれ」と思っている。またある者は「早く明日が来ないかな」と思ってる。それらの想いがぶつかりあって相互に干渉した結果が、その場所の時間経過になる。だから時間の流れは場所によって全然違う。今が何月何日なのか、いつ明日が来るのか、それを正確に知る方法はない。
「別に祝うほどのことじゃないなあ。あんな相手、楽なものだよ」
 見城はそう言いつつ、ジャーマンポテトを口に投入。
「そりゃ、お前はダルジィとミューナに戦わせていただけだからな」
「それが効率のいい戦い方さ。誰かさんみたいに身一つで突撃しなきゃいけないって決まりはないよ」
 言いながらポテトを食い終わり、和風ステーキを切り始める。
「お前なあ……性格悪くなってきたんじゃないか? しかたないだろう、ライヒェルムは騎士なんだから、危険があったら自分が先頭に立って戦う、そういうキャラなんだよ」
「そんな不利な設定つくらなきゃいい。今からでも変えれば?」
「思い入れできる設定でなければ実体化できないよ。知ってるだろ。お前だって女の子の設定に関しては気合い入れるじゃないか」
 見城は和風ステーキを頬張りながら大きくうなずく。
「うん、それは確かに。どうもあれだね、他の漫画家は少女というものに対する情念が足りないね、ダメダメ、全くなってないよ」
 おれは小声で口走っていた。
「エロマンガ家のくせに……」
「なにっ、エロマンガだって! 冗談じゃない、そんなのと一緒にしないでくれ!」
「お前の漫画がエロマンガ以外のなんだって言うんだ?」
「違うね。ぼくが描いてたのは『美少女コミック』だ!」
「どう違うんだよ!」
「ぜんぜん違うね! あ、さっきから喰ってないけどさ、そのジャンボつくね、くれる?」
「わかったよ」
 串を渡してやる。見城は重々しくうなずいた。
「よし、許してやろう。で、なんだって?」
「お前みたいに気楽にはなれない、そう言いたかったんだよ」
「ぼくが気楽なんじゃない。神名が考えすぎなのさ。ごちゃごちゃ考えればいい小説書けるってもんでもないだろう。突っ走ったほうがいいよ」
「人倫にもとる方向に突っ走るのは、ちょっとどうかと思うが……」
 見城は聞こえなかったふりをして、ジャンボつくねを胃袋におさめた。
「ところでさ、こないだの暴夢、あっもらうよ、結局なんだったの?」
 話題を変えてくれた。よかった。でも、その魚はおれのだ!
「そうそう、あいつは都庁の職員だったそうだ。世の中がこんなになっても、ずっと真面目に働いていたんだって」
 正直言って、おれにはとても信じられない。思ったことがぜんぶ実現する世の中がやってきたのに、毎日遊んで暮らせる時代がきたのに、いままで通り背広着て、満員電車に揺られて、上役に頭下げるって? その上役とやらはおそらく幻想体なのに?
 だが、そういう人間は少数だが確かにいるのだ。たぶんそういう連中にとって仕事ってのはただの生活手段じゃないんだろうな。
 それはそれでいい。ただ問題なのは、そういう奴に限って、心の奥底でドロドロしたものをため込んでいること。しかも、それを表面に出さないもんだから、どんどん内圧が高まっていって……
「なに暗い顔してんのさ。その人に同情してんの? 仕方ないよ、本人のせいさ」
 内圧が高まっていって、ある日ドカン!
 どんな人間だって、心の底ではとんでもない事を考えている。殺したい犯したい盗みたい。一番ありふれてるのは殺人願望だ。特定の誰の場合もあるし、無差別の場合もある。殺し方を細かく指定する奴もいる。あるいはもっと派手に、こんな街焼き尽くしてやりたいとか。
 自分の中にそういう衝動とか願望があることを認めて、少しずつ少しずつ、できるだけ害にならないようガス抜きをすることができれば、それでいい。だが、もしそれができないと……
 そう、見城の言うとおり、本人のせいだ。
「あそこまででかくなるなんて、よっぽどためこんでいたんだね」
 おれは返答に困った。見城は楽しそうだった。こいつにとっては面白い見せ物でしかないんだろう。たとえ人死にが出ても。
 だがおれは、あの暴夢の中心に浮かんでいた男の、あの幸せそうな顔を忘れることができない。あれはすべての望みを、やっとかなえることができた人間の顔だった。
 あいつはたぶん、暴夢になることでようやく幸せになれたんだ。そしてそういう人間は決して少なくない。
 「夢幻代」がはじまった時、東京だけで何百もの「暴夢」が出現し、街を破壊しまくった。そこらじゅう怪物だらけ、死体だらけになった。おれたち幻想使いはそれを一掃したが、今でも暴夢はたまに現れる。頻度は減ったし、規模も小さくなったが、決してなくなりはしない。たぶん、この世に人間が残っているかぎりは。
 幻想使いのように、自分の中のモヤモヤとうまくつきあっていける人間のほうがよほど少数派なんじゃないか。
「どうした、深刻そうな顔して。他人の心配より自分はどうなのさ、今にも消えちゃいそうな顔してるよ」
 ああ、わかってる。
「そんなことわかってるさ。だから、こうして無理矢理にでも盛り上げてるんだよ。本当は酒を飲む理由なんてどうでもいいんだ。ただ、なにか楽しい気がすれば。『あーあ、つまんないな』と思ったとたん、おれは消えるかもしれないからな」
「でも、ぜんぜん盛り上がってないよ?」
 とか言いつつ、また見城はひとのおかずを取る。
「イカリングか。うむ。うまい。良い弾力」
「いや、見城……おれの話きいてる?」
「きいてるよモグモグ」
 「夢幻代」……すべての願いがかなうようになったこの時代。この時代には、二つの恐怖がある。
 一つは、さっきいった「暴夢」。
 もう一つは……退屈して消えてしまうこと。
 人間の想念エネルギーが全て。逆にいえば。「自分は生きている。確かに生きている。明日も生き続けたい」と思わなければ、自分の存在を維持することもできないのさ。「もういいや」とか「生きてたってしょうがない」とか思ったら、その途端そいつは消える。空気に溶けるように、きれいさっぱり。
 多くの仲間が、そうして消えていった。
「でもさあ、暴夢になるのは不幸かも知れないけどさ、消えるのって不幸なのかなあ。そうとは言い切れないと思うな。幸せに消えた人もいるんじゃないか」
 そういうこと言うなよ。せっかく人が「消えたくない」って強く念じてるのに、それが揺らいだらどうすんだよ!
 無神経な奴だ。そう憤りをおぼえて、おれは食ってかかろうとした。
 だが見城は言った。
「魚沼先生なんか、そうだろ?」
 おれは絶句した。
 そうだ。まさに先生は……
 見城が言ったとおりの……
「な?」

 魚沼先生は漫画家だった。もちろん見城なんかとは格が違う。先生は週間少年誌で何度も連載したことがあって、アニメ化だってされたことがあるんだぞ。
 おれは先生の作品の大半が好きだった。最後の作品になったアクション探偵もの「ミッドナイト・レジスタンス」は特に好きだった。 雲の上の人だとばかり思っていたが、見城が「え、魚沼先生? 知り合いだよ。正確には、先生のアシスタントと知り合いなんだけどね」とか仰天発言をして……おれと先生は知り合うことができた。
 面倒見のいい人だった。本人いわく「美少女コミック」以外描かない見城や、まるっきり畑違いであるおれが押し掛けていっても、迷惑がることはなかった。
 おれは先生から多くのことを教わった。
 そして、あれが起こった。
 突然、世界中の人間の幻想が実体化して……夢幻代」がはじまったのだ。
 おれや見城は、小説家・漫画家として生きていくのをやめ、幻想をコントロールできる能力を生かして「幻想使い」になった。
 だが先生は「ミッドナイトレジスタンス」の連載を続けた。信じられなかった。おれはますます先生を尊敬した。
 大半の漫画家が描くのをやめた理由は、「生活が保障されたから」だけじゃない。
 なにしろ、漫画の読者は膨大だ。その読者たちが「こういう展開になったらいい」「なってほしい」と思う。その願望が実体化したら……そう、作者が描いたものが幻想の影響を受けて変えられてしまうのだ。作者がどんなにがんばって描いても、雑誌に載るときは全然違う話になっている。やってられるか、というわけだ。
 さらに恐ろしいことに、漫画家が描くのをやめても、その連載は続いた。読者が漫画の存在を願うだけで良いのだ、生身の作者など必要ない。
 それでも先生は描き続けた。読者の想念によってストーリーをねじまげられても、どうにかつじつまを合わせて。
 そしてついに連載が終了をむかえた。
 その日、おれと見城は先生のスタジオに呼ばれた。
 資料が山積みのスタジオには、先生以外誰もいなかった。
「今の時代、アシスタントは必要ないからね。それだけは便利さ」
 先生はそういって飲み物をすすめてくれた。
 ……今までの先生とは、何かが違う。
 おれはそう感じてくれた。
 だが何が? わからなかった。
「連載も終わったことだし、ひとつ挑戦してみたいことがあるんだ。だから君たちを呼んだ。悪いね、急に呼び出しちゃって」
 おれには、先生が何を言っているのかわからなかった。第一、呼ぶんならおれじゃなく、編集者とか家族とか、世話になった人とか、いろいろいるはずじゃないか。どうしておれたちなんだ?
「まあ座ってくれ。なんだ、その顔は。見城君もどうだ、ショートケーキがあるぞ、好きなだけ食え。ケーキ好きだろ」
「嫌いな食べ物はこの世にありません」
 見城は即座に答えた。
 おれもご馳走になることにしたが……正直いって、ケーキもお茶もまるで味がわからなかった。
 ずっと気になっていたのだ。連載が無事終了したというのに、先生は浮かない顔をしている。だが、ただ暗いとか落ち込んでいるというわけでもなさそうだ。これは一体なんだろう。
「先生、どうしておれたちなんかを?」
「ああ、他の人を呼ばなかったのは何故か、ということかい。編集者たちはもう誰もいないんだよ。彼らがいなくても勝手に雑誌ができてしまうからねえ。だからみんないなくなってしまった。もしかしたらどこかで別の雑誌を作っているのかもしれないが、ぼくは聞いたこと無いね」
 先生はコーヒーを、ゆっくりと味わうように飲んだ。
 この際だ。訊いてしまおう。
「でも、先生はやめなかったんですよね。どうしてですか?」
「ああ、やはり君はそれを訊きたかったのか」
 先生はケーキに手を付けなかった。先生の分のケーキに、見城が突き刺すような視線を浴びせ続けている。
「ぼくはね、自分の意味を確かめたかったんだよ。ぼくが何もしなくても、読者が望んだとおりの漫画が雑誌に載ってしまう……じゃあ、ぼくは何だ? 他の人達はそれでやる気をなくしたらしいけど……ぼくはヒネてるからね、逆に闘志をかきたてられたよ。闘ってやる、抵抗してやる、そう思ったんだ。これは『理想の魚沼』と『生身の魚沼』の戦いだ、だってぼくの描いた漫画が十分に面白ければ、変化せずに載るはずだろう。そう試されているような気がしたんだ」
 この人は……なんて前向きなんだろう。おれにはとても真似ができない。
 でも、だとしたら、さっきからのこの表情は……
「結局ぼくは負けたよ」
 先生はコーヒーカップを置いた。
「どうしても話が変わってしまうんだ。無理矢理逆らっても駄目、それに合わせて話をつくっても駄目、生かしつつ超えようとしても駄目……『夢幻代』になってから百回くらい続けたけど、ぼくが描いたとおり載ったことは一度もなかったな」
「ファンレターは? ファンレターは来てるんでしょ? だったら読者は支持して……」
 言い終わるより前に、おれは気づいた。
 それが無意味であることに。
 先生は微笑んだ。
「ああ、来たよ。それこそ山ほど。でも、それが本当の読者からのものだってどうやって確認するんだ? こういうファンレターが来て欲しいってぼくが願ったから来たのかも知れない。いや、大部分はそうなんじゃないかな」
「先生……」
 なにも、かけられる言葉はなかった。
 この人は、積み上げられたファンレターを見るたび、その文面が情熱的であればあるほど、自分の中の浅ましい心を見せつけられるような気がして、深く深く落ち込んでいたんだ……
「負けて当然だったと、いまでは思っているよ。だって、向こうは理想そのものなんだから……」
 たぶん、先生の苦しみは漫画家全員が、いや、他の職業の人達だって味わっていることだろう。
 自分がいなくても、もうひとりの自分が遙かにうまくこなしてくれる。もうひとりの自分こそ、本当に望まれている自分……
 それを思い知らされて、どうして生きていけるだろう。
 この人は自分の存在意義を失った。消えてしまう。間違いなく消えてしまう。
 そこで先生は破顔した。おれがびっくりしていると、先生は笑いながら言った。一転して明るい調子で。
「ぼくが絶望しているとでも思っているのかい? ははっ、違うよ。確かに、一時はそう思っていた。だが気づいたんだ。漫画家には、もう一つ別の目的がある。読者に楽しんでもらう、という以外に、もう一つ」
 いますぐにでも消滅するのかと思っていただけに、おれは安堵しきっていた。
 だから先生の笑顔が、妙にわざとらしく、作り物っぽいことに気づいていなかった。
「自分のためだけに、最高に面白い漫画を描く……それが目的なら、いまの世の中はむしろ理想的じゃないか。金を稼ぐ必要は全くない。アシスタントの画力とか自分の画力とか、そういう制約もない。時間もいくら使ったっていい。思っただけで絵が出てくるんだ、この力を全開にしたら一体どんなものが描けるんだろうな。わくわくするよ」
 おれは沈黙していた。
 あの見城ですら、食べるのをやめて先生の顔を見つめていた。
「もしかすると、ぼくはずっと昔から、これがやりたかったのかも知れない。読者抜きで、ただの自分のためだけに漫画を描きたかったのかもしれない。今はそう思ってるよ」
 ああ、そういう事か。やっと最初の台詞の意味がわかった。
「それが『挑戦したいこと』なんですね?」
「そういうこと」
 先生はそこで、ようやくケーキにフォークを刺した。ていねい小さく切って食べ始める。見城とは対照的な食べ方だ。
「見城君。君はもう少し、女の子以外のものを描く練習をしたほうがいい。興味がないのかも知れないが、女の子をうまく描くためにもそれは必要なんだ。たぶん今の時代だって、そういう基本的なところは変わってないと思うよ。それから神名くん。小説のことはさっぱりわからないから教えようがないんだが……そのペンネームは少しばかりかっこつけすぎなんじゃないかな」
 なんだ? 先生は何を言ってるんだ? 突然なにを?
「先生?」
「ああ、驚いているのかい。最後だからね。少しは先輩らしく、説教でも垂れておきたいのさ。ぼくは結構見栄っ張りなんだよ」
「最後?」
 声を出したのは見城だった。見城はケーキを取り落とし、生クリームだらけの口を半開きにしていた。
「まさか」
 見城には先生の意図が分かったらしい。どういうことなんだ。
「ま、そういうことさ」
「先生は肩をすくめた」
「なにか、ききたいことはないかい? なんでも教えてあげるよ」
 異様な沈黙があたりを支配した。
 しばらく、何秒か、沈黙は続いた。
「ないんなら、もう帰ってくれないかな。さっそく作業にかかりたいんだ」
 そして。
 一ヶ月、先生はスタジオから出てこなかった。
 もちろん一ヶ月というのは、おれにとっての時間にすぎない。スタジオの中の先生がどんな時間経過を望んでいたのか、それはわからない。もしかしたら一年かも知れない、五年かも知れない。百年、二百年ということだって考えられる。
 心配になったおれたちが様子を見に行くと、スタジオのドアは開いていた。
 先生の姿はどこにもなかった。

「な?」
 見城の言葉に、おれはうなずく他なかった。
 先生は、たった一つ残された望み……「究極の漫画完成」にすべてをかけた。
 そして、きっとやりとげたのだろう。自分の理想に限りなく近いものを完成させたのだろう。
 だから満足した。満足して……「もういいや」と思った。「もう死んでもいい」と思ってしまったんだ。
 当然だ、一番やりたかったこと、いや唯一やりたかったことを成し遂げたら、誰だってそう思うだろうよ。ちっとも悪くない。
 だがその当然の想いが、先生を消滅させてしまった。
 先生は自分がそうなることを予期していたんだろうな。見城にもわかったんだろうな。それは同じ漫画家だからか。それとも判らなかったおれがバカだというだけか。
 消えるところは見ていない。だがきっと幸せに消えていったに違いないと、おれは思っている。
「……あの原稿、読んでみたいな」
「ああ」
 見城の言葉に、おれはうなずいた。
 先生を「この瞬間死んでも悔いはない」とまで思わせた「究極原稿」は、スタジオのどこにもなかった。たぶん先生と一緒に消えたんだろう。幻想力を供給している源が消えたからだ。先生が「この原稿をたくさんの読者に読んでほしい」と思っていたら、あるいは先生が消えたあともある程度の時間残っていたかもしれない。だが先生はそんなこと考えていなかった。だから消えた。簡単なことだ。
 もともと目的は先生自身が満足することだった。だからそれでよかったのかかも知れない。だが読んでみたい。一体どんな代物なんだそれは。
「しかし、こればっかりは先生の頭の中にしかないものだからなあ」
 おれたちは黙った。
 見城は黙って飯をむさぼり喰い、ウーロンハイをあおる。おれは黙って、どんどん空になっていく皿を見つめている。
 結局のところ、「消える」のは、おれたち自身の前途に待ち受けている未来でもあるのだ。
 先生のように「もう思い残すことはない」と思って消えるのならいい。だが大半の連中は、ただの退屈が原因で消えていく。そんなのはとても耐えられなかった。
 だからおれたちは、幻想使いなんてものをやってるんだと思う。
「足りないなあ……あ、すいませーん。なんでもいいから十皿くらい持ってきてくださーいっ!」
 すごい頼み方だ。

「喰った喰った……」
 上着の前を閉めることもできないほどに膨れあがった腹を、見城は幸せそうに撫でながら歩いていく。
 こいつが消えるときは、たぶん「あー満腹」とかいって消えるんだろうな。それはそれで幸せな最期という気がしないでもない。
 店を出ると、相変わらず人だらけだ。
 このうち何人が「本物の人」なのかと、あと考えてみる。
 本当の人間はごく一部、大半は「幻想体」なのかも知れない。新宿とはこういうものだ、という幻想、うちの店に客が来て欲しいという幻想、そんなものがよってたかって実体化して……
「ういーきもちわりいー」
「吐くな!」

 エレベーターのドアが開く。
 おれたちは事務所に戻ってきたのだ。
 事務所の鍵を開け……
 おや? ドアの前に誰かいる。
 女の子だ。見城の守備範囲は外れているが、それでもまだ二十歳前だろう。黒い髪を、ポニーテールというには少し低すぎる位置でまとめ、地味な色のズボンとジャケットを身につけている。
 彼女はおれたちの方をむいた。
「すみません……この事務所の方ですか?」
 彼女が指さすのは、おれの事務所のドア。
 こういう看板がかけてある。
 「幻想使い神名暁 事務所」
「ええ、神名事務所の幻想使い、神名暁です」
「『ロールプレイヤー』の神名さんですね?」
 う、なかなか懐かしい通り名を知ってるじゃないか。
「まあ、そういう名前で呼ばれていたこともありましたが……」
「うそつけ、自分で名乗ってたんだろ。恥ずかしくなってやめたみたいだけど。うえっ。ぼくに言わせればその神名暁という名前自身が、いくらなんでもすごすぎ……」
 ゲップまじりの言葉を無視して、おれは鍵を開けた。
「どうぞ中へ。お待たせして申し訳ありませんでした」
 先に中に入り、彼女を呼ぶ。依頼人が来るとわかってりゃ、もう少し片づけたんだがな。
 見城が入る前にドアを閉め、しっかりと鍵をかけた。
「あの……もう一人の方は?」
「ああ、気にしないでください。ほら、『夢幻代』になってから、妙な生き物が増えたでしょう?」
「おいっ、『暴夢』といっしょにすんのかよっ! 開けろ! 開けろったら開けろっ!」
 やかましいので、諦めて入れてやった。
 こいつが口を挟んでくるとろくな事にならないんだ。だから依頼人との会話に立ち会わせたくなかったんだが。
「どういったご用件で」
 女の子はおれの質問に答えなかった。目を丸くして見城を見ている。信じられない。こいつが女性の興味をひくことがあるなんて。
「もしかして……幻想使いの見城さんじゃありませんか? 『ガールマスター』見城リュウヤ」
「まあ、そうともいうね。ふっ」
 その顔でかっこつけるな、見城!
 まあ見城は、偏ってるけどかなり強力な幻想使いだ。ある意味おれより強い。知ってても不思議はないか。……って、「ガールマスター」ってなんだよ。
「良かった! 二人いれば大丈夫かも!」
「落ち着いて。最初から順を追って話してください。何があったのですか」
 女の子はおれの用意した椅子にすわろうともせず、たったまま、おれたち二人に向かって叫んだ。
「お二人は、東京最強の幻想使いでしょう? だったらお願いがあるんです! アメリカに……アメリカにいって、私の父さんを探してください!」


 次の章へ   前の章へ  夢伐戦記の入り口に戻る
 王都に戻る 感想を送る