夢伐戦記
第一章 多重幻想都市
おれは眼をさました。
部屋の中は真っ暗だ。
いまところ「新宿は夜だ」と思っている人間が多いらしい。
だが、真っ暗なだけで、別に床がなくなっているわけじゃないし、天井も消えていないようだ。最初の頃は、おれの意識がとぎれるたびにあたりの物が消滅して困ったもんだが……まあ、おれもだいぶ慣れてきたってことかな。
上半身を起こす。
電灯を思い浮かべる。輪っかが二つある蛍光灯、それがギラギラ輝いて、カサはこんな形で……
突然明るくなった。
上を向いて確認する。
よし、おれの願ったとおりのものが現れている。この程度のことは出来て当然なんだが、なにしろ眼が醒めた直後だ、幻想制御が混乱しているかも知れない。
部屋はおれが眠る前のままだった。わけのわからない怪物が這いずったりはしていないい。夢が実体化することはなかったというわけだ。
そのかわり、部屋の汚さも相変わらず。
安っぽい机があり、そこには書類のファイルが山と積んである。いちおう机は二つあるんだが、いまのおれには部下も同僚もいない。
あとはソファ。おれはここで寝ていた。キッチンもあるんだが、ろくに使わない。わざわざ料理をつくることを楽しむ、という感性がおれにはないからだ。料理を直接、想像=創造すればそれでいい。だからキッチンなんて消してしまおうか、とも思っている。
おれはソファから降りた。いまひとつ疲れがとれていない。やっぱりベッドを出したほうがいいのかも知れない。
乱れた髪を手で適当に整えながら、窓へとふらふら歩いていく。街を見下ろした。
おれの日課だ。なにしろ東京は、なかでもこの新宿は、日本最高レベルの幻想密度を持っているからね。面白い見せ物には事欠かないさ。
新宿の町並みがおれの眼に飛び込んできた。
なんだかビルが増えてるなあ。
西新宿じゃあるまいし、あんな超高層ビルはこのへんにはないぞ。またどこかに、建物は高ければ高いほど良いと思ってる馬鹿がいるらしい。
やれやれ、と思ったところで、なにやら轟音が聞こえてきた。
擬音で表すと「ドバババババ、ババババ」とかなんとか、そんな感じだ。バイクの排気音だよ、マフラーを直管にしたやつだ。
おれは視線を下に向けた。
靖国通りが伸びている。車は真夜中のように少ない。
無人に近い道路を、数十台のバイクが蛇行している。竹槍みたいなマフラー、段付きシート。族カスタムだな。もちろんノーヘル、手に持ってるのは、金属バットか木刀か……チェーンも一人いるみたいだな。
ああ、やっぱりだ。連中、また来やがった。やれやれ。もう一度そう思った。
バイク集団は、おれの事務所が入っているビルの前で止まった。もちろん、うしろの車が迷惑するなんてことは考えてない。
先頭にはひときわでかいバイクが。
乗ってるやつは、どうみても二メートル半はありそうな大男……いや、巨人だ。まあ想像の産物なんだから、別に何メートルあろうとおかしくないんだけどさ。
革ジャン、サングラス、髭面、ドクロマークか。こいつは日本じゃなくてアメリカンスタイルの暴走族だな。
そいつは叫んだ。
「かむなあああああああっ!」
声もでかい。ガラスが割れそうだ。
「かむな、あきらああああっ! 出てこおいっ!」
あーあ判ったよ、出ていってやるよ。「バクオン」のみなさん。これでもう六度目だ。港でケンカして海に落とされたのが、そんなに悔しいんだろうか?
「よっ」
おれは窓から身を躍らせた。
地上八階からの落下だ。
こいつはちょっとばかり自慢してもいいと思う。いくら「夢幻代」だからといって、この高さから飛び降りて平気な奴はなかなかいないんだぜ。もちろん生身のままでは耐えられない。かといって「幻想」を発生させるには時間がたりなすぎる。とっさに「空を飛んで逃げる」とか「下にはクッションが」とかそういうものを想像=創造できれば助かるだろうが、だいたいの奴は「潰れて死ぬかも」と思ってしまう。どうしても、そっちのほうを先に思ってしまう。すると、その運命はもう確定だ。
だが、おれは。
心の中で台詞を叫んだ。
……風の聖剣士ライヒェルム、ここにあり!
笑うなよ、おれが中学生の時に考えた台詞なんだから、ありがちで子供っぽいのは仕方ないだろう。
とにかく、その台詞がキーワードとなった。普段はおれの心に眠っている「幻想」が、「展開」され、外側に放射される。「夢幻代」の世界法則は、たちまちその「幻想」を「幻想体」に変換する。
背中に、熱い塊が生じる。熱さは体中に広がっていく。肉体が幻想に従って作り替えられていくのだ。
ライヒェルムはおれと全然似ていない。金髪碧眼の美形だし、白銀の魔法鎧を着ているし、なんといっても背中に翼を生やしている。だから体の大半を変化させる必要がある。幻想が全身にしみわたって、細胞組織を強引につなぎ直しているこの感覚……痛みというより、ただ熱さが体中を包む。
だがそれは一秒とかからなかった。
熱気が去った。体が軽い。そして力がみなぎっている。
おれは天空の聖剣士・ライヒェルムになったのだ。
飛び降りながらこれができるようになるまで、結構苦労したぞ。でもライヒェルムはおれの中にあった「幻想」の中でもお気に入りだからな、このくらいのことはできなきゃいけないんだ。
急に落下のスピードが緩やかになった。もちろん翼のせいだ。
「きたねえぞおおおっ」
「にげるなぁぁぁぁっ」
「おりてこぉぉぉいっ」
うるさいな。誰が逃げるって言ったよ?
さあ、いくぞ。
おれは背中に力をこめた。そしてまた叫ぶ。
「風よ! 風たちよ! 姿なき者よ、我ライヒェルムに力を!」
急降下。自由落下よりも速いはずだ。同時に剣を抜き放つ。もちろんただの剣じゃない、『風の聖剣』だ。
路面に激突する寸前、おれは翼を振って方向転換した。
地面と平行に飛ぶ。バイクの隊列に猛スピードで突っ込んだ。だがそうはいっても百キロ程度しか出ていないだろう。ライヒェルムにとっては止まっているようなものだ。
いまのおれには、連中の引きつった顔がはっきり見えた。
なんか暴走族というより、昔の漫画に出てくる番長みたいな奴が混ざってるぞ。どうも考証が不正確だ。あまり質の高い幻想とはいえないな。前回はもう少し本物らしかった気がするが。
連中が面喰らっている間に、おれ……ライヒェルムは聖剣を振るう。
剣が相手の体をとらえる。
と、その場所に「風」が出現した。小さな竜巻だ。バイクが横倒しになり、乗っている人間が回転しながら飛んでいく。
二人目。三人目。みんな同じ目に遭わせてやった。風の刃で真っ二つにすることもできるんだ、感謝しな。
四人目……ここでようやく、連中は迎撃を開始した。
木刀が、チェーンが、金属バットが、バイクのフロントフォークが、おれを襲う。
だがおれの眼には連中の動きは芋虫が這うほどに遅く見えた。なにしろ風の聖剣士ライヒェルムは、「千と七つの精霊達に、もっとも愛された者」なんだから。
余裕をもって攻撃をかわしていく。
向こうの打撃はかすりもしない。逆におれの剣は、確実に四人目、五人目をとらえ、天空高く吹き飛ばす。
鼻歌まじり……と言いたいところだが、それはできない。ライヒェルムは詩を吟ずることはあっても、鼻歌なんかには縁のないキャラクターだからだ。キャラクターイメージに合わない行動をとると、「幻想反乱」の危険がある。気を引き締める必要があった。
とにかく、おれはたちまち連中の半分を片づけた。
空中にいったん逃げる。数十メートルの高度まで上昇。
「かむなあああ! てめえ汚ねえぞ! 降りてきて勝負しやがれ!」
その台詞はもう七回目だ。
もちろん無視したい。一体なんだって、わざわざ敵の得意な戦い方にあわせなきゃならんのだ、ばかばかしい。
だが無視できない。だってライヒェルムは騎士道精神を重んじる男だから。正々堂々と一騎打ち、とか言われたら絶対に断れない。キャラクターイメージに逆らうと……な、判るだろ?
だからおれは空中に静止した。
「良かろう! 貴殿に一片の誇りがあるのなら決闘といこうではないか。まず手勢を」
下がらせよ、と言おうとした。その瞬間、ボスのでっかい奴が動いた。
何かを投げた。
速かった。
肩に衝撃がはしった。衝撃は痛みへと変化した。
げ、こいつは。
おれの肩にでかいナイフが突き刺さっていた。軽装とはいえ鎧をぶち抜くとは大したもんだ。それにしてもこれはコンバットナイフだぞ、投げるためのものじゃない。
痛みもあったが、おれは喜んでいた。
これで思いっきり反撃できる。
「騙し討ちか!」
それは叫んだ。さあここは本気で怒るところだぞ、イメージに反さないように、反さないように。
「ならば、こちらも相応の歓迎をしようではないか!」
眼下では、バイクにまたがったボスがぽっかり口を開けていた。
あ、もしかして必殺の一撃のつもりだった? 甘い甘い。
「風よ、風たちよ! 天に充つるものよ! われライヒェルム、剣をもって悪を断つ! いざ、力かしたまえ!」
おれは気合いを込めて叫んだ。
これは呪文だ。ライヒェルムが、この聖剣の力を完全に引き出すための。
呪文を唱えつつ、剣を頭上に掲げる。
最も無防備な瞬間だ。敵がいま、もう一本のナイフを投げてきたら防げないだろう。
だが、そんな暇を与えてやるつもりはない。
周囲の大気に満ちている「風の精霊力」を集めるのにかかった時間は、せいぜいコンマ五秒といったところか。
「天・空・剣っ!」
いいんだよ、ネーミングはありがちでも!
叫ぶと同時に、おれは剣を振り下ろした。
眼下の敵たちに切っ先を向ける。細身の刀身から、見えない力がほとばしった。おれの髪が逆立ち、羽毛が舞い散った。
あたりの……まあ、百メートルくらいの広さの空気が、まとめて動いた。ねじれるように。渦動だ。つまり竜巻だ。ちょっと斜めになった竜巻を、おれは生み出してやったのだ。
バイクなんかひとたまりもない。乗ってる人間と一緒に巻き上げられた。
竜巻は上に伸びていく。
バイクと、暴走集団「バクオン」の面々をとりこんだまま。
「おぼえてろおおおおっ」
風のうなりに混じって、そんな叫びが聞こえてきた。
ざっと三十秒ばかり待って、おれは剣をおさめた。
竜巻は消えたが、何も降ってこない。
たぶん連中は消滅したんだろう。まあ、暴走族というイメージが存在するかぎり、そういう連中のことを思う人間がいるかぎり、いつか必ず蘇ってくるだろうが。
歩道に降り立ち、念じた。
われはライヒェルムにあらず。ライヒェルムは夢。数ある夢の一つ。われは神名。神名暁!
全身を、一瞬だけしびれが包む。
元の体に戻ったおれは、思いっきり伸びをしてみる。
あー、駄目だ。体が重くてしょうがない。まあライヒェルムと比べればそうだろうな、しょうがないさ。
何事もなかったかのように、靖国通りを車が流れ始めた。おれは歩道にとびのく。
よしよし、一件落着。
ガラスの破片ひとつ落ちていないことを確認して、おれの機嫌はよくなった。あれだけでかい技をかまして、目標以外にはダメージなし。うん、コントロールに磨きがかかってきたな。ちょっと前までは無関係の奴を何人か巻き込んでいたんだが……我ながら大した……
「よう、やるじゃないか」
後ろから突然声をかけられた。
よく知っている声だ。
振り向いたら、やはりそこにいたのは見城リョウヤだった。おれより頭ひとつ低い背、よれよれのズボンと上着、突き出した腹。
こいつは俺と同じ「幻想使い」。漫画家タイプだ。「夢幻代」がはじまる前は一応単行本なんかも出していた、プロの漫画家だった。エロ専門だったけどな。
「見てたのか、見城」
彼はうなずいて、持っていたファーストフードの店からハンバーガーを取り出して食らいついた。
「もがもが、見せてもらったよ。さすがは『東京最強の幻想使い』」
「嫌味はよせ。相手が弱かっただけだ」
こいつとは長いつきあいだ。性格はよく知ってる。本気で感心しているはずがない。「時間かかりすぎだね。うちのミューナちゃんやダルジィなら一撃だよ」とか思ってる癖に。
次のハンバーガーにかぶりつきながら、見城は続けた。
「そんなことないよ。もがもが、まあ、なかなかだったよ」
「お前、食い終わってからしゃべれよ」
「あれ、神名ってそんなこと気にする奴だっけか?」
と言いつつ、見城は袋の奥に手を突っ込んで、フライドポテトを五本くらい一気に取り出した。
「言ってるそばからやるし……まあいいや。何の用だ? おれをからかいたくて来たわけじゃないんだろ?」
こいつがおれの所にやってくる時には、たいていろくでもない用事があるものだ。
「中国にいって龍と戦おう! もしかしたら美少女仙人とかいるかもしんないよ!」
とか、
「どっちがすごい美少女を生み出せるか勝負だっ」
とか、
「ね、ね、都庁とランドマークタワーがロボットに変形して戦ったら面白いと思わない? ねえ、やろうよ」
とか。
おれの目つきがよほど不信感たっぷりだったんだろう、見城はしぶしぶ答えた。
「うん……なんか面白いこと知らないか、と思ってさ」
「ああ、暇なんだ」
ついにこいつも飽きちまったか。
「うん、なんとなくね」
キャベツを口からはみ出させながら見城は言う。
「お前、女の子描いてりゃ幸せなんだろ。ずっとやってりゃいいじゃないか」
おれは突き放した。ひどい言い方のように聞こえるかも知れないが、事実こいつは……
「うん、そうなんだけどね」
そう言って見城は、手提げ袋から取り出したファイル(エロゲーの美少女キャラがプリントされている)を開いた。
このファイルは原画集なんだそうだ。
ファイルから光があふれだす。
そこに、少女が現れる。
手に乗るほどの大きさ。だが人形じゃない。確かに本物の、ワンピースを着た十歳くらいの女の子だ。眠っている。
何度見ても凄い。漫画タイプの幻想使いは想像=創造に時間がかかるのが弱点だというのに、こいつは一瞬で人間を創ってしまう。 ゼロから創ったわけじゃなくて、あらかじめ創ってファイルに封印しておいたものを実体化させただけだが……それにしたって。
「これが新しい作品?」
「うん。詳しい設定もあるぞ。観月マユミ、十歳、桂ヶ丘小学校五年三組……」
この男は、少女をひとり創るごとに設定資料集を一緒につくる。
「言わんでいい。いつもみたいに、とんでもないポーズで縛られてる子はもうやらないのか」
「もう卒業しちゃったよ、そんな俗なのは。これからはやっぱり、そこはかとないエロスっていう奴ですか?」
何言ってるのかさっぱり判らないが、こいつの感性についていくのはとっくに諦めているから別に判らなくていい。
「ついこないだ、『少女といえば? 粘液と触手! 究極の触手イズムを追及する』とか言ってたじゃないか」
「ああ、あれはねえ……『百万人の触手少女』という超大作を創ろうとしたんだけど、途中で力つきちゃってねえ」
つくるな、そんなもん。
「なんかマンネリなんだよ。前ほど楽しくないんだ。ねえ、神名、どうしよう? なんか気分転換がいると思うんだ」
おれは少々アホらしくなって、背を向けた。
いや、けっして笑い事じゃないんだよ。「飽きる」というのは、この『夢幻代』に住む人間にとっては共通の悩みだ。
だが、こいつは全然飽きてないじゃないか。
「勝手にやってろ」
それ以外なにが言えるってんだ。
おれたちの漫才を、通行人は無視して通り過ぎていく。
「おーい神名、冷たい奴だなあ!」
無視、無視。
おれは事務所に戻ろうと、一歩踏み出した。
と、その時。
爆発音。
何かが崩れる音。
「なんだ?」
振り向いたおれの眼に、飛び散る破片が見えた。
西の方角、連なるビルの上に、灰色のクズみたいなものが無数に吹き上げられていた。暗くてよく見えないが、破片は相当ゆっくり落ちてゆく。いや、ゆっくりじゃない。大きいからそう見えるだけだ。ということは、距離はかなり遠い。新宿駅の向こう、都庁のあたりか。
「『暴夢』だぞ、神名!」
「言われないでもわかってるよ!」
「退治しにいくんだろ?」
「まあ、死人が出ないうちにな」
今は夜だ。きっと西新宿には、人はあまりいないだろう。だから死者は最小限で済むはずだ。そう祈るしかなかった。どっかのバカが、夜も働く勤勉な都庁職員なんてものを想像=創造してなきゃいいんだが。
「風の聖剣士ライヒェルム、ここにあり!」
「いよっ、ワンパターン!」
見城が何か言ったが、もちろん無視だ。
おれはライヒェルムになり、天高く舞い上がった。
新宿を見下ろす。すぐに異変の原因は見つかった。
思ったとおり『暴夢』。それもかなり大規模な。最近では珍しいほどの。
都庁舎の形がおかしかった。
巨大な影がへばりついているのだ。不定形の影だ。
火はまだ出ていない。だから暗視能力のないライヒェルムにはよく見えない。それが残念だった。
とにかく急ごう。おれは背中に力をこめた。顔の皮が破れるような風圧が襲ってきた。
たちまち都庁上空にたどりつく。
被害は、遠くから見たとき以上だった。
不定形の影は、黒いアメーバの化け物だった。アメーバは都庁を呑み込み、溶かしつつある。さらに四方に触手を広げ、他のビルを食っていた。
周囲のビル群、住友ビル、三井ビル、プラザホテル、パークハイアットとかそういうものは、実体・幻想体を問わずに壊され、外壁をはがされていた。触手は鉄骨の一本一本をちぎりとっていく。
だが、特に人間を捕らえている触手はないようだ。
最悪の事態はまぬがれたな。
人間を食う「暴夢」はすごく多いんだ。人間を食いたいってのはありがちな願望なんだろうな、まあこの場合、食うってのは相手と同化したいという願望のあらわれだとか、そういうことかも知れないが。
まあ、たとえ人食いじゃなくてもこの大きさだ、かなりたちが悪いといえるだろう。
「見城どの!」
おれは振り向き、ついてきているはずの見城に向かって叫んだ。もちろんライヒェルムらしい口調で。
「民草を逃が……」
そこで絶句した。
い、いかんいかん。
思わず幻想を解いてしまうところだった。解けたら真っ逆様だ、冗談じゃない。
「ごしゅじんさまあ、重いですう!」
かん高い少女の声。背中から翼を……いや、羽根を生やしている。大きさは小さい。いわゆる妖精だ。でっかいリボンをつけた妖精。
それが七人、必死に羽ばたいて飛んでいた。それぞれの妖精はヒモをもっており、ヒモは下に伸びていて、その先には。
カゴに乗った見城。偉そうにあぐらをかいて。
妖精に運ばれているのだ、この男は!
「おい神名、うしろ!」
なに?
おれがライヒェルムに変身していたのは幸運だった。わずかな空気の流れが、後方から急接近する物体を教えてくれた。
横にすっとぶ。
と、おれの真横を黒い触手が通り過ぎていった。
暴夢は、早くもおれたちを『敵』と認識したらしい。
「だめだよ、ぼんやりしてちゃ」
などと言いつつ、見城は抱えたバスケットからフライドチキンを取り出して口に放り込む。
「お、お前……」
「ちょっと趣向を変えてみたんだ」
「ごしゅじんさまあ、おもいですってばあ」
「ほら神名、驚いてる場合じゃないだろ、暴夢と戦うの!」
そ、そうだ。こいつが変なのは別に今にはじまったことじゃない。
「避難! 民草の避難をお願いする」
「もうやっといたよ。もともと大した数はいなかった」
さすがだ、ただの変人じゃないな!
安心して、おれは暴夢に向き直った。
その瞬間、先ほどより細い触手が、それこそ電撃並みの速度で伸びてきた。
今度は本当に危なかった。また横に飛び、直撃だけは避けたが、肩を触手がかすめていった。
激痛。なんだ? 横目でちらりと見ると、鎧と一緒に肉が焼けている。
酸か? やっかいだな。
「風よ、風たちよ、在れども見えざる者達よ、盾となりて我が身を守れ!」
呪文に応じて突風が生まれた。髪が引っ掻き回される。
この壁で、果たして防げるか。
また触手が来た。風のバリアが抵抗する。触手がねじくれ、破壊される。黒い雨となって飛び散った。よし、一応の防御効果はあるみたいだな。
だが、その時にはもう次の触手が。その触手も風によって細切れになるが、また次の、そのまた次の……
駄目だ。攻撃のペースが早すぎる。防ぐだけで手一杯だ。壁をつくったままではこちらからも攻撃できないし……
「見城、手伝えっ」
思わず普段の口調に戻っていた。おれの体を構成する幻想体が一瞬、ぶるんと波打った。だが、持ちこたえる。
「ダルジィを出すんだ。あいつのサイキックビジョンで弱点を探すんだ!」
なにしろでかすぎる。「天空剣」でも倒せないだろう。しかもスピードもあるときた。闇雲に攻撃してどうにかできる相手じゃない。ライヒェルムは剣士であって魔法使いじゃない、「風で敵の動きを封じる」とか、そういう技は使えない。だからおれ一人では無理だ。
キャラクターをたくさん出すのは辛いだろうが、見城に手伝ってもらう以外ないな。
「わかった、モガモガッ、ダルジィ、出番だ」
背後で声。またなんか食ってる。緊張感のない奴だ。
青い光が、おれの横に出現した。
いや、光そのものじゃない、「全身が光ってる女」だ。
長く青い髪。切れ長の眼。見城が創った女としては例外的に、十代後半。鋭く冷たい感じの美貌。体を包むボディスーツはゼグマド・サイ・ファイバーで作られた特殊戦闘服。八百年続く戦争の中で最終兵器として造られた心なき超能力戦士、サイ戦闘実験体PM−001(パンツァーメートヒェン・ドッペルヌルアインス)。それが彼女ダルジィだ。
以上、見城の設定資料からの引用。
「神名。あの根の奥、中心の少し右寄りにコアがある。それを破壊すれば目標は九十七パーセントの確率で沈黙する」
冷たい声でダルジィが言った。
「私がサイコ・バインドで触手の動きを止める。二十三.五秒間は止めていられる。そのうちに早くやれ。いいか、根の部分だ。それから、けっしてあの液体を浴びてはいけない」
溶けるんだろうな、体が。
「ありがたい!」
おれはさっそく飛び込んでいく。
「サイコ・バインドッ!」
背後で炸裂するダルジィの叫び。
彼女の能力は確かだった。さっきはあれほど素早かった触手が、凍り付いたように動かなくなっていた。
根……根だって?
ああ、あれか。
怪物はいまのところ、ふくらんだ餅みたいな形をしている。キノコ型の飛び出した頭から、無数の触手が伸びているわけだ。その頭があまりにも大きくなりすぎてよく見えないが、確かにその下に、地面に食い込んだ部分がある。あれが「根」か。
おれは急降下の速度を速める。たった二十秒しか時間はないのだ。
黒い液面が迫る。
剣を前方に突き出し、おれは叫ぶ。
「風よ! 不浄なるものをはらえ! 我が道を切り開きたまえ!」
風の聖剣は、期待どおりの力を発揮してくれた。空気の渦巻きで奴の体をえぐり、粘液を飛ばす。風のドリルが出現したのだ、要するに。
そうやって生み出されたトンネルの中を、おれは突き進んだ。
だが、すぐ空中に放り出された。勢い余って路面すれすれまで突進してしまう。翼を広げ必死にブレーキをかけた。波打ったコンクリートに顔面をぶつけそうになる。
奴の体を突き抜けてしまったのだ!
なぜ? コアはどこに? ダルジィのサイコ・サーチが間違ったのか? それともおれの突入コースが間違っていたのか?
もう一度突っ込もう、そう思い、方向転換する。
だがその時、おれは見た。
なにかが起こっていた。ただの黒い、ときたま泡立つだけの塊だった「根」。その表面が盛り上がり、コブが生まれ、それが伸びて……
触手! ここからも触手が生えやがった!
もう少し止まったままでいると思っていたのにっ!
おれはとっさに体をひねった。だが今度は間に合わなかった。よけるには距離が近すぎたのだ。よりによって、剣をにぎったままの右手に、黒い影がからみついた。
痛いというより、熱かった。酸のせいもあるだろうが、締め付ける力だけでも十分に脅威だった。銀色の手甲に触手が食い込んでいた。もちろん指一本動かせない。骨までやられているんじゃないか?
腕が前方に引っ張られる。触手が縮んでいくのだ。背中にありったけの力をこめ、激しく羽ばたいて抵抗する。バサッという音がうしろで響く。猛烈な風が巻き起こる。
腕全体に走った激痛で、一瞬意識が遠のいた。腕がちぎれるぜ。
かすむ眼をこらすと、黒い「根」の表面はさっきより近づいているように見えた。
だめだ、もっと強く。
おれはさらに翼に力をこめた。
腕の痛みが増した。どうにか、引き寄せられるのを止めることはできた。だが触手が切れる様子はない。
もう一本の腕を伸ばし、触手をつかんだ。
酸が手甲を溶かす。たちのぼる白い煙。痛みに耐え、握りしめ、横に引っ張る。
駄目だ、ちぎれない!
ライヒェルムは、別に怪力という設定じゃないからな。
この場で設定を変えるか。
出来るのか。今までの設定も頭の中で維持しつつ、それと別の設定も組み上げ、一瞬にして二つを取り替える。それもこの痛みの中で。離れ業だ。少しでも手間取ったらライヒェルムは消滅する。
やるしかない。
精神を統一。
まず、意識の半分で、これまでのライヒェルムのことを考え続ける。そしてもう半分で、新しいライヒェルムのことを考える。
どうして怪力になったのか、という理由を考えなければいけない。「うん、もっともらしい理由だ」と自分を納得させなければ、幻想はうまく実体化しないのだ。
の、だが。
駄目だ、間に合わない!
他にも、何十本かの触手が殺到してきた。
もう駄目か、そう思った時だった。
「ミューナ、マジカルミューテーショーンッ! お花に、なあれっ!」
脳天に突き刺さるような超音波じみた声。
一瞬、目の前がピンク色の光に包まれる。
ああ、奴か。見城が、二人目のキャラを出してくれたのか。ミューナなんて出したら、世界観の競合が発生するはずだが……大丈夫なのか?
光が消えたとき、おれは奇妙なものを眼にした。
黒い液面から、巨大な草花が生えている。
襲いかかってきた触手が、一本残らず植物に変化していたのだ。
おれは右手を引いて、アケビのツルを引きちぎった。
いまだ、もう一度やる。
おれは突っ込んだ。触手が生えてくるまでの時間は、数秒……それだけあればいい!
黒い泥の中に飛び込む。剣から発する風の力で液体をかきわけ、深く潜る。
と、突然目の前が開けた。
空洞だ。そこには十メートルばかりの空洞があった。
翼の力と剣の力を両方使って、おれは急制動をかける。空洞の内面が風圧で激しく揺れ動いた。
空洞の中は光で満たされていた。光の中心には一人の男がいた。
背広姿。銀縁の眼鏡をかけた初老の男。
こいつか。こいつが「暴夢」の「コア」か。
「我はライヒェルム。風の剣士。眼をさませ、汝が夢は悪しき夢なり!」
剣を向け、そう叫んでみる。
だが効果はないようだった。男は相変わらず、幸せそうな表情で浮かんでいる。
……斬るしかないか。
「闇に滅せよ、滅せよ闇に!」
剣先からほとばしった超高圧の風が、男の体を真っ二つに引き裂いていく。
男の死とともに、幻想体を支えていた力が失われた。幻想密度の急激な低下を、おれの感覚はとらえた。
一寸先も見えないほどの濃密な煙がおれの顔に吹き付けられた。むせかえるのをこらえ、全力で上昇する。なにかに当たることはなかった。すでに「暴夢」は実体を失いつつあったからだ。
上空数百メートルに戻る。
眼下を見下ろす。
触手は一本残らず消えていた。黒いアメーバは都庁を包む黒いモヤになっていた。
弱った幻想が、「新宿」という他の幻想に食われていく。よくあることだ。
モヤは薄れていく。向こうが透けて見えるほどになる。ほら、もう消えた。
数百メートル四方にひろがり、西新宿を丸ごと平らげようとしていた怪物は、跡形も残っていない。
残されたのは、鉄骨がむき出しになった第一・第二都庁舎、めくれあがったアスファルト、あるはなぎ倒され、あるいは傾いたビルがいくつか。
これもすぐ復元されるだろう。
「新宿とはこういうものだ」という幻想……いわゆる固定観念は、かなり強い。
「だめだよお、おにいちゃんっ」
後ろから声をかけられた。とんでもなく高い声だ。幼女の声。
振り向くと、予想通りミューナがいた。
隣には、かごにのった見城。たぶんダルジィはファイルの中に戻したんだろう。いくら見城でも、ダルジィとミューナを同時に出しておくのは骨が折れるはずだ。
「ありがとう、おさな子よ」
おれはライヒェルム口調で礼を言った。
そう、ミューナは小さい女の子だ。せいぜい小学校高学年くらいだろうか。まあ、見城の想像=創造するキャラクターはたいていのくらいなんだが……すごいのは服装だ。
フリルいっぱいの服。手には星のついた短い杖。魔法の杖という奴だ。つまり彼女は……そう、幻想界プリンメルランドのお姫様、魔法少女ミューナというキャラだ。ダルジィと並んで、見城のお気に入りらしい。
「油断してるからだよお!」
「済まなかった」
「うん、ゆるしてあげるよお」
うなずくミューナ。その仕草は子供そのものだ。この子がダルジィ以上の戦闘能力を持っているなんて、この眼で見せられても信用しがたい。
「ねえミューナ、どうしてライヒェルムには妙に優しいの?」
「けんじょーとちがって、かっこいいからだよお。けんじょーはブサイクだからだめえ」
一刀両断されて、見城は顔を引きつらせる。
「ミュ、ミューナちゃあん。ぼくはきみの作者なんだよっ? 親みたいなもんだよ?」
「こんなパパ、いや!」
見城のたるんだ頬が、さらに硬直した。
「そうです。ごしゅじんさまはひどすぎますです。ぷんぷんですっ」
妖精たちも弁護しない。
「ど、どおしてえっ!? 神名よりぼくのほうが活躍してるのに!」
「まあ、帰ろうではないか」
苦笑いしながら、おれは言った。