赤星サヨの革命戦記!

  第2話「革命拠点を建設するのだ」

 1

 目の前には編集者が座って、マモルが持ちこんできた原稿を読んでいる。
 どんな顔をして読んでいるのか。怖くて、顔を見ることができない。
 マモルは視線をさまよわせた。衝立の内側にはこの編集部が作っているマンガ雑誌のポスターが貼られている。

「少年ファイター 200万部突破! まだまだいくよー!」
「無限戦記デイドリーム アニメ化決定!」
「少年ファイター増刊 ファイターXX(ルビ ダブルエックス)8月号 発売中!」

(採用されたら、こんなすごい雑誌にぼくのマンガが載るんだ)
 視線がポスター群の間をウロウロする。
 口の中がカラカラに乾いていた。緊張で背筋がピンと張って痛いほどだ。
 ぱら、ぱら、ぱら。
 編集者が原稿をめくる音がとまった。
「……下辺野くん」
「はいっ」
 マモルはビクッと体を震わせて、編集者の顔を見た。
 天然パーマで、大きなサングラスをかけ、浅黒く日焼けした四角いゴツイ顔。なんと笑顔を浮かべている。
「いいよ、これ!」
「えっ……」
「素晴らしいね、こういうのが欲しかったんだ。これなら連載もいけるかもしれない」
 口をポカンとあけた。一瞬だけ呆然とする。次の瞬間、興奮で鳥肌が立った。
「あ、あ……ありがとうございます!」
「少年が異世界に行って、魔物軍団と戦う。どこにでもある話だが、一コマ一コマに情熱が感じられるんだよね。ヒロインもかわいいし。まさに少年漫画の王道だな」
 マモルは膝の上で拳を握りしめた。
(まさか最初の持ちこみでここまで言ってもらえるなんて。持ちこんで本当によかった)
(ぼくがマンガ家になったら母さん喜んでくれるかな)
(たくさん稼いで、母さんに楽を……)
「ところで」
「はいっ」
「敵を魔物じゃなくて明治日本の鎮台兵(ルビ ちんだいへい)にできないか?」
「は?」
 何を言われたのかわからず、眼をパチクリさせる。
 編集者はマモルのほうに身を乗り出してきた。勢いこんで、唾を飛ばしてしゃべりだした。
「つまりだね、君の作品では別の世界に召喚されて魔物と戦うことになってるけど、タイムスリップに変えるんだ。明治初期の埼玉にタイムスリップする。そこ では軍国日本の富国強兵政策によって多くの農民たちが苦しめられていた。ついに彼らは武装蜂起する。いわゆる『秩父困民党事件』だ」
 どんどん早口に、アップテンポになってくる。
「え……? あ……?」
「だが日本政府の武力は圧倒的で、困民党はたちまち潰されそうになる! その時主人公がタイムスリップして現れる。人民の祈りが時空間をねじ曲げたんだな! たまたま持っていた軍事の知識と、タイムスリップの衝撃で身についた超常能力を武器に、困民党を助けて戦うんだ」
「え、でもそれじゃ、ぜんぜん違う話になりますよ。ぼくは歴史のことは詳しくないですし」
 編集者は大げさにかぶりを振った。 
「違う話になっていい。いや、違う話になるべきだ。異世界を舞台に、魔物相手に魔法の力で戦う……そんなんじゃダメだ。われわれの現実とリンクしていない。君はこれだけ描けるんだから、世界人民を革命的使命に目覚めさせる義務があるんだよ」
「ぼくは普通の娯楽マンガを描きたいだけなんですよ。少年ファイターらしい明るく楽しいマンガです」
 すると編集者は立ち上がった。サングラスが不気味に光る。
「……きみ、ここが少年ファイター編集部だと思ってるのかい?」
「違うんですか?」
 編集者が指を鳴らした。するとマモルの周りを囲んでいる衝立が倒れた。編集部の壁が、天井が、いっせいにパッタンパッタンとひっくり返った。マンガのポスターが全部なくなって、新しく出てきた壁にはビッチリ「標語」が書かれていた。

 「革命を成功させよう」
 「人民の力で特権階級を完全粉砕しよう」
 「反逆は正義」
 「ファシストどもに死を」

「な、な……な……」
 マモルは呆然とした。いつのまにやら、たくさんの中年男たちが周囲を取り囲んでいた。全員サングラスで目元を隠している。
「少年ファイターは休刊して、来月から日本漫画界の革命前衛誌、『少年レボリューション』となり、全日本国民を革命へと導くのだー!」
「もう逃げられないぞ君!」
「革命の宣伝担当として命がけで戦ってもらう!」
「えええええ!?」

 2

 眼を見開いた。
(夢だったんだ……よかった……)
 体を包む柔らかい感触。自分は、布団の上に寝ているらしい。
 ザアッ、ザアッと激しい雨音が聞こえる。
 部屋の中は、本をなんとか読めるくらいに明るい。もう朝になったのだろう。
 一瞬後、眼の焦点が合った。
 吐息が顔にかかるほどの至近距離に、女の子の顔。大きな吊り眼でショートカットの美少女。ヘルメット姿。サヨだ。
 カーテンを締めきった薄暗い部屋の中、マモルの体の上にサヨが覆い被さっていた。
 マモルを真剣な眼で見下ろして、何かを朗読するようによどみなく、言葉を並べ立てていた。
「……秩父困民党事件は自由民権運動のもっとも前衛的な部分であり、すでに日本人民に革命の萌芽があった事を示している。しかるに、明治日本は困民党を弾 圧し、また革命戦争であるという歴史的意義を隠蔽して『暴動』というレッテルを貼った。われわれはかかる暴挙を決して許すべきではなく、また……」
「なにやってんのさ!」
「起きたか。おはよう同志マモル」
「おはようじゃないよっ! なんでぼくの部屋にいるの! なにやってるのっ!」
「睡眠学習という奴だ。効率よく学習してもらうために、無意識を利用することにした」
「だからってなんで、人の家にあがりこむんだよ!」
(こんなとこ母さんに見られたらなんて言われるか……)
 まさにそう思った瞬間、フスマが開いた。
「どうしたのマモルちゃ……」
 エプロン姿で小柄な、丸眼鏡をかけた女性、里香が入ってきた。フトンの上で重なり合ってる二人を見て、口をポカン。眼鏡の奥の大きな垂れ眼をますます大きくした。
「あ……マモル……ちゃん?」
 マモルはサヨを跳ね飛ばして起き上がった。冷や汗を飛ばし、両手をブンブン振って弁解する。
「ちがう! ちがうんだって母さん、これはサヨさんがぼくを教育するとかいって勝手に……!」
 里香は両手を合わせた。つぶらな瞳から大粒の涙がこぼれた。
「おめでとうマモルちゃん! こんなに積極的だなんて母さんドキドキだわ! 今夜はお赤飯ね!」
「そうじゃないんだって!」
「男の子だからトロロかけご飯のほうがいいかしら!」
「下ネタかよ! サヨさんも何か言ってよ、別にやましいことをしていたわけじゃないって」
「その通り。同志マモルとは、一晩かけてじっくりと理解を深めあっていただけです」
「母さん、がんばっておイモ擦るわ!」
「誤解を招きすぎる発言だー! 深め合ってないじゃん一方的じゃん! なんていうかさ、少し疑問に思わない、サヨさんの行動に!」
「そういえば……赤星さん、抜け出してきたの? おうちの方が心配してるんじゃないかしら?」
「わたしには家がないのです」
「まあ大変! よかったらうちに住まない? 食費くらいは入れてもらえると嬉しいけど、アパートよりはずっと安くすむわよ」
「ますます大変なことになったー!」
 マモルは頭を抱えた。

 3

 マモルは学校にやってきた。うしろにはサヨがぴったりついてくる。
 廊下を歩いて教室に近づいていく。
(あれ? なんか変だな?)
 まだ授業は始まってないのに、おしゃべりが全く聞こえない。
 それどころか、張り詰めた空気を感じる。
「敵だ……この教室には敵がいるぞ」
 サヨは勢いよく戸を開けて、踏みこんだ。
 京弁院光がいた。腕組みして、教卓の前に立っている。
 ちなみに、また七三分けのカツラを装着していた。
 マモルたち二人が入ってくるなり、サヨをにらみつける。
「待っていました。やはり今日もきましたか……」
 ハンサムな顔がこわばり、青ざめていた。怒りを押し殺している表情だ。眼には暗い炎が燃えていた。
(仕返しをするつもりかな?)
 サヨもそう思ったらしく、やる気まんまん、京弁院をにらみ返す。
「わたしによって大いなる秘密を暴かれたというのに、よく学校に来れたものだな」
「吹っ切りました。私は三百年続く教師の一族! 生徒を正しく指導するという偉大な使命の前には、『ハゲる・ハゲない』など、ささいな問題に過ぎないのです。もはや私の心は揺るがない! 我が心、すでに空(ルビ くう)なり!」
 京弁院は自信たっぷりの表情で腕組みをした。
「ほほう。本当か」
 サヨはいたずらっぽく微笑んで、京弁院の耳元に顔を近づけた。
「ハゲハゲハゲハゲハゲハゲハゲハゲハゲハゲハゲハゲハゲハゲハゲハゲハゲハゲ」
「フフッ。まったく気になりませんね」
「今わたしは何回ハゲと言った?」
「二十回」
「すごく気にしてるじゃん!」
 反射的にツッコむマモル。
「まあ、それはともかく……」
 京弁院は胸ポケットから素早くクシを出してカツラを整えた。
「あらためて言います。赤星サヨ、あなたはこの学校の生徒ではない。出て行きなさい」
「では正式な生徒になろう」
「フフッ、我が校は進学校の部類ですよ? 編入試験を通るはずがない」
 京弁院は持っていたカバンからテストを出して、サヨに突きつけた。
「このあいだ行われた数学の中間テストです。あなたごときには半分も分からないでしょう? いいですか、ここは真面目な学問の場です。教師に反抗して格好をつけたり、革命などという絵空事をもてあそぶ場所ではないのですよ」
 京弁院は得意げに笑う。サヨに背を向けて、大げさに両手を広げて早口でまくしたてる。
「まあ、いままでの反抗的な態度をすべて謝罪し、涙のひとつでも流してくれるなら、あなたでも理解できるように個人授業、なんてことも、ふう、考えないで もないですがね。具体的にどこを謝罪しろって? フフフ、もちろん、まったく気にしていないのですが、教師に対する礼儀という問題もありますからね、 髪……」
「できた」
「なっ……」
 京弁院は飛びあがり、超スピードで振り向いた。サヨからテストの答案をひったくった。
「な、な、な……ありえん、ありえませんっ……全問正解ですっ」
「えー! サヨさんすごいじゃん!」
「革命家が諸学問に精通しているのは当然だ。数学がわからなければ暗号を解読できない。英語がわからなければアメリカ帝国主義の謀略を暴くことができない。物理がわからなければ米軍基地に迫撃弾を撃ちこむことができない」
「……最後のは聞かなかった事にしよう。うん、それがいい」
 青ざめた顔でつぶやくマモル。 
「編入試験なら今すぐでも受けるぞ」
 京弁院はうろたえた。整った顔から血の気が失せる。
「ですが! たとえあなたが生徒になったとしても……授業中に、革命の活動など断じて許しませんよっ」 
 京弁院は血走った眼でクラス全員を見渡した。
「みなさんっ。どうですか。革命ごっこにつきあわされて幸せですか。みなさんも授業を邪魔されてテストの成績も下がるんですよっ。行ける大学のランクも下がる。就職先だってそんな生徒は欲しくないでしょう。ただバカ騒ぎの記憶だけが残って、人生を棒に振る!」
 クラスのみんなは顔を見合わせた。誰かがポツリと言いだした。
「……それはちょっと、やだねえ」
「だよねー」「うんうん」
 京弁院は端正な顔をうれしそうに歪めて、
「見ましたか、これが生徒たちの総意なのですよ」
「うむむ……人民がわたしを拒否しているとは」
「自覚してなかったの!?」
 サヨは眉間にシワを寄せてうなった。だが、すぐに挑戦的な笑顔を浮かべる。
「では、授業は妨害しない。革命のために部を作り、部活動として革命闘争をする。これならどうだ、諸君」
 サヨさんがクラスを見渡すと、あちこちで声が上がる。
「うーん、それなら別に」「いいよねえ」「ご勝手にってカンジ」
 京弁院が大げさに肩をすくめ、冷たい嘲笑の表情で言う。
「『革命部』ですか。この学校で新しい部を作るには部員が六人! 同好会でも四人! それから顧問の教師が必要なのです。どんな物好きが入るものですか」 
 サヨはひるまなかった。京弁院を指差して、
「ふふん、後悔するなよ。わたしは必ず、革命部を設立してみせる!」

 4

 きーんこーんかーんこーん。

「起立、礼!」
 午前中の授業が終わった。
 そのとたんサヨがすっとんで来て、マモルの机に手をついて身を乗りだしてくる。大きな眼がキラキラとかわいく輝いていた。
「さっそく部員を集めるぞ!」
「それ以前にさあ、何の部を作るの」
「む……革命部、ではダメだな」
 多少は常識があるらしい。
「革命研究同好会なら、ソフトな印象があっていいのでは」
 常識なかった。
「はあ。ダメにきまってるでしょ。犯罪の臭いがなくて、堅苦しくない部活動。だから政治研究とかもダメ」
「スポーツ系の部活に偽装するのはどうか。登山や格闘で体を鍛えれば、機動隊とも殴りあえる強い戦士が育成できるのでは」
「サヨさんはいいけど、ぼくが格闘技の部活なんかについていけると思う?」
「ワガママだな、君は」
「どっちがだよ!」
「まあ、名前は部員を集めてから決めれば良い」
「なんの部かもわからないのに入部する人なんていないよ!」
 と、叫んだところで思い出した。顎に指を当てる。
(いや待てよ。いるな……)
「あいつなら、入部するかも……」
「心当たりがあるのか! いますぐそいつのところに案内しろ」
「うーん、気が乗らないなあ……」
「もし案内しない場合……今日、『フトンの中で君と語り合った』と、クラス中にばらすぞ」
「な、なんてことを!」
「君の母さんから授かった知恵だ」
「黒い……黒い知恵だ……」
 マモルはサヨを連れて廊下に出た。二つはなれた教室に向かう。
 戸を開けもせずに、マモルは叫んだ。
「ここに美少女がいるぞー!」
 叫んだ次の瞬間、教室の戸がドカンと開いて、男が飛びだしてきた。
「美少女ちゃんどこー!」
 叫んで、まっしぐらにサヨに突進して、抱きついた。
 サヨの反応は素早かった。男を一本背負い、廊下にズダーン! と叩きつけて、とどめに腹を踏みつけた。
「むぎゅうっ……」
 スマートで背の高い、サッカーのユニフォームを身につけた少年だ。眉が太く、目は強い意志を感じさせ、いかにも熱血少年、という顔をしている。
「やあ、南」
 マモルは驚きもせずに笑顔で呼びかけた。この男が美少女に飛びつくのはいつものことなので、驚いていられない。
「……マモルか。なかなか手ごわいぞ、この美少女ちゃん。しかも今時赤ブルマー。通好みの一品だぜ」
 南波太郎(ルビ みなみ なみたろう)は踏みつけられながらも爽やかに微笑んだ。
 サヨの革命うんぬんをどう説明したものか。マモルは言葉を選びながら言う。
「えーと……この人は赤星さんといって、なんていうかな。部活を作るんだけど……」
「よし入る。こんな美少女といっしょならどんな部でも入る」
「即答かよ!」
「すばらしい」
 サヨさんが足をどけると、波太郎はパッと立ちあがった。
「南波太郎と申します。この学校では愛の狩人として名を轟かせております。以後お見知り置きを」
「愛の狩人?」
 首をかしげるサヨに、マモルは説明した。
「こいつは昔から女好きで、女の子にモテるためならなんでもするんだ。相手に合わせてスポーツマンになったり不良になってみたり」
 知り合ったのは中学のときだ。マモルが教室の隅で、こそこそとライトノベルを読んでいたら話しかけてきたのだ。
『おまえアキバ系なの? オタクなの?』と。
 バカにされるのかな? と身構えていたら、波太郎はさらに言った。
『最近アキバ系って流行ってるよな。俺もアキバ系になってみたいから、コツおしえてくれよ』
『はあ? なってみたい? なんで?』
『だからさあ、映画とかで受けてるじゃん。女に』
 女の子にモテたくてオタクになる、という人間など他に見たことがない。
「なるほど。そのサッカーのコスチュームもモテるために?」
「その通りです。ワールドカップがまた近づいて来ましたから。クラスにも選手のファンが何人かいるんで、狙ってみました。そんなことより美少女ちゃん。彼氏はいるんですか」
「革命家に同志はいるが、恋人はいない」
「え、革命家?」
 さすがに波太郎も驚いて、サヨの全身をジロジロ見まわした。そして、力強くうなずいた。
「かわいいから許す!」
 あっさりスルーした。
「君もなかなか見こみがあるな。だがわたしは誰の恋人にはならないぞ」
「それじゃあ部活の意味がありません!」
 全国の真面目な部活を敵にまわす発言である。
「女など、革命が成功すればよりどりみどりだ」
「えっ」
「国すらひっくり返した英雄だぞ。全国民の憧れだ。スポーツ選手ごときとは比較にならん」
 波太郎はサヨの両手を固く握りしめた。
「やります! 革命やります! 革命ってなんだかわかんないけどやります!」
「聞いたか同志マモル! すばらしい同志がひとり増えたぞ。もう部の名前なんてごまかす必要はない。革命部でいいじゃないか!」
(ああ……困った人が二人になった……)
 マモルの額を汗がタラリと流れた。  
 
 5

 それから三十分後。
 マモルとサヨ、それから波太郎は廊下を練り歩いている。四人目を探しているのだ。
 サヨが先頭に立ち、プラカードを掲げている。

 『革命部 部員大募集』 
 『君も戦士だ!』
 『学園に充満する閉塞感を打破し、学生生活を解放しよう!』

 サヨの後ろに立つ波太郎が、廊下を行きかう生徒たちに、さわやかな笑顔で手を振る。
「革命部に入って、俺とラビューン! みんなでラビューン!」
 最後にマモルが、生徒たちにペコペコ頭を下げる。
「……すいませんお騒がせして……」
 サヨが振り向いた。太い眉をひそめている。
「おかしいな……ぜんぜん部員が集まらない……」
 波太郎も首をかしげる。
「変ですよねえ。俺の魅力がわからないとは」
「変なのは君たちだよ。こんなプラカードで誰が集まるもんか」
「お、いいこと考えた。マモル、プラカードに絵かいてよ。萌えキャラっていう奴。そうすりゃ一発だ」
「うむ、大変よい考えだ。大衆の心を掴める奴を頼むぞ」
(そんな問題じゃないっての……)
 マモルは肩をすくめてため息をついた。
 そのとたん、きゅうっ、と腹が鳴った。
「ねえサヨさん。募集はこの辺にしようよ。お腹すいてきた」
「そうか……仕方ないな、あとは放課後にするか」
 サヨが言った瞬間、廊下の角を曲がってひとりの女生徒が現れた。
 本を脇に抱えている。小柄で、腰がほっそりして、それでいて胸が豊かに膨らんでいる。長いストレートの黒髪。顔立ちは、おとなしそう。
 マモルは彼女に見覚えがあった。
(あ、自然排便権の人だ)
 彼女は目を丸くして、「あっ」と口走り、そのまま回れ右して走り出した。
「待てっ」
 サヨは彼女の肩を掴んだ。
「や、やめてくださいーっ。ほうっておいてくださいーっ」
「逃げてはいけないっ、自然排便権の少女よ!」
「その呼び名はあんまりだと思う!」
 自分を棚にあげてツッコむマモルであった。
「あのあと、わたし、みんなにからかわれて……学校いくの恥ずかしくて……もうヒッキーの人になっちゃおうかと思ったくらいですよ……でもお母さんに励まされてやっと来れたんです……だからもうやめて……!」
 うつむいて、長いまつげを震わせ、暗い表情でつぶやく彼女。
 そんな彼女の肩を、サヨはガッシとつかんだ。
「その性格だよ! きみ、昔から気が弱くて困っているだろう!」
「えっ……?」
「気が弱いせいで、強く言われたら断れなかったり、やめてほしいのにやめてと言えなくて、つらい思いをしただろう! そういう人生であった筈だ!」
「えっ……あっ……はい」
「だが君は変われる! 革命部に入り、我々といっしょに活動すれば鋼の精神が手に入る! 強くなってみないか、勇気がほしくないか」
 少女が顔を上げた。ハッとした顔になっている。大きく目を見開いて、サヨを見つめている。
「そ、それは……」
 サヨは勢いこんで、少女の肩を揺さぶりながらまくしたてた。
「それとも弱いままでいいのか! 永遠に、一生、オモチャにされ続けていいのか。反抗できない人生を送るのか。君はいま、人生の岐路に立っている。さあ決断せよ!」
「で、でもわたし、手芸部もう入ってるし……革命って何をするのかわからないし……不安で……」
「できる! できるのだ! 君には革命の素質がある! わたしは信じているぞ!」
 少女の大きな目が涙に潤んだ。
「わかりました……わたし、変わります!」
「ありがとう! 君ならわかってくれると信じていたぞ! わたしは赤星サヨ、革命仙人様より七百七十七ツの革命技を授けられた女。君の名は?」
「優美子です。柔野優美子(ルビ やわの ゆみこ)です!」
 サヨは優美子の両手を握って、
「さあ、行こう、無限の未来へ!」
「はいっ!」
「ここにサインしてくれ!」
「はいっ!」
 サインしたとたん、優美子の表情が曇る。
「……って、あれ? あれ? わたし、またやっちゃいました? 流されちゃいました?」
「そうとも言う」
 サヨは真面目な顔で即答。
「わたし、やっぱり不幸な星の下に生まれたんですね……」
 ションボリうなだれる優美子の肩を、いつのまにか制服に着替えた波太郎が抱いた。思いっきりキザに、甘く囁く。
「悲しむことはないさ……革命部に入れば俺との愛あふれる毎日が待っているんだ」
「ますます嫌ですー!」
 優美子は泣き出しそうだ。
「サヨさんさあ、ちょっとひどくない?」
「何を言う。相手のコンプレックスを刺激するのは勧誘の基本ではないか。『選択肢が二つしかない』と誤認させるのも基本だ。立派な革命技だ」
「黒い、黒すぎる技術だ……」
「まあとにかく、これで四人集まった。あとはただ顧問を獲得するのみ! いざ行くぞ、職員室へ!」
 サヨが胸を張って歩き出したその時。
「そうはいきませんよ!」 
 自信たっぷりの男の声が後ろから響いた。
 マモルたちが振り向くと、京弁院が立っていた。脇に分厚いファイルを抱えている。
 勝ち誇った表情。眼鏡がキラリと光る。
「どうしてぼくたちの場所がわかったのかな」
「フム、わたしの推測だが、カツラと頭皮の間を空気が抜けるときの気圧の変化を利用して、空気のわずかな動きを感知しているのではないか?」
「そんなわけがありますかっ! ……まあ、いいでしょう。笑っていられるのも今のうちだけです」
「見ての通り、部員を四人集めたが?」
 サヨは誇らしげだ。だが京弁院は動じない。波太郎に指をつきつけた。
「南君でしたね。あなた、革命なんかやって本当にモテると思ってるのですか?」
「え? だって革命は超ヒーローだから全国民にモテるって……」
 波太郎が言うが、京弁院はファイルを広げて読み上げる。
「全国の女子高校生にアンケート。彼氏にしたい男ってどんなですか? 一位、話が面白い男! 二位、センスのいい男! 三位、顔のいい男! 革命とか反権力なんてどこにもない!」
「えっ」
 驚く波太郎に、京弁院はさらに台詞を叩きつける。
「女子大学生にアンケート。権力に反抗的な男ってどうですか? 一位、自分に酔っていて気持ち悪い! 二位、実力がない人間! 三位、野蛮で頭が悪くてキモい! 以上! 革命なんかやってモテるわけがないのです!」
「おい……!」
 サヨが声を荒げたが、サヨが何か言うより早く、京弁院は優美子の方を指差した。
「あなた、強くなりたいでしょう? しかし赤星の言いなりだ、ちっとも強くなっていない。この女と一緒にいれば、いつまでも脅されるままですよ!」
「そ、それは……!」
「あなたはいま、人生の岐路に立っています! この女のそばで、奴隷のようにこき使われるか。いさぎよく縁を切るか。勇気を出してください!」
「わ、わたし……」
 優美子の目線が、サヨと京弁院の間をさまよう。
「あなたならできます! この女と縁を切って、正常な世界へ。先生は待っていますよ!」
 京弁院が両腕を広げた。慈愛の笑顔を浮かべている。
「わかりました! わたし、革命部やめます! 先生についていきます!」
「俺も革命やめるよ! キモいって思われちゃ意味ねーもん!」
 二人とも京弁院に駆けよった。
「卑怯だぞ、恫喝ではないか!」
「サヨさんがやったのとまったく一緒じゃん」
「うるさいっ」

 6

 校内をさらに歩き回って、部員を探した。
「ごめん、興味ない」
「うーん、勉強の邪魔になるから」
「京弁院先生に、絶対に入るなって言われているんだ」
「入ったら大学に推薦してやらないって、京弁院先生が……」
 ことごとく断られた。
「おのれ権力め、卑劣な真似を……!」
 いつのまにか、廊下を歩く生徒たちは少なくなっていた。
 キーンコーン、とチャイムが鳴り響く。
 これで昼休みは終わりだ。
「ねえサヨさん。あきらめようよ」
「いやだっ! 断じて屈しない!」
 小さな拳を、ギリギリと音が鳴るほど握りしめた。

 7

 サヨはマモルを連れて屋上にやってきた。
 どしゃぶりの雨で、屋上には水がバチバチと跳ねている。
 雨具もなしで、どしゃぶりの中に歩みだした。
「かくなる上は、方法は一つしかない。七百七十七ツの革命技の中でもっとも恐ろしいと言われた、あの禁断の技を」
「どうするのさっ。うわっ、うわっ、すごい雨っ」
 マモルも追いかけた。たちまち制服はズブ濡れで髪の毛が額に張りつく。
「演説だ!」
 雨音に負けじとサヨは叫ぶ。
「演説なんかで人が集められるわけないよ!」
「いいや、できる。これを見ろ!」
 背中のリュックから、トランジスタメガホンを取りだした。 
「え、これ、血?」 
 白いメガホンだが、赤茶けたシミがたくさんついている。シミはメガホンの半分以上を覆っている。凝固した血液だ。激しく叩きつける雨の中でも、不思議なことに血は溶けださない。
「その通り!」
 サヨは血染めのトランジスタメガホンを頭上に掲げた。
「これは『炎のトラメガ』。数百のデモで使用され、多くの革命戦士の手から手へと渡ってきたものだ。みんな、どんなに殴られて血みどろになっても、己の理 想を叫びつづけることをやめなかった……! このメガホンには、彼らの熱い魂が宿っているのだ。メガホンに宿る魂と、わたしの革命的情熱が完全同調(ルビ  フル・シンクロ)したとき、演説は神秘の力を帯びる。豪雨をつんざき、人々の胸に響き、心の底で封印されていた革命の情熱をよびさます!
 それが革命技七百七十五、炎のアジテーションだ!
 ゆくぞ、志なかばで倒れた闘士たちよ、我に力を! はああああっ!」
 血染めのメガホンが赤い光を放ち始めた。赤い光は心臓のように脈動し、サヨの全身へと広がってゆく。手から、足から、頭から湯気が立ちのぼる。
 メガホンを口に当てた。屋上の手すりに飛び乗り、手すりに立って叫ぶ。
「諸君はー! 長き日常のなかでー! 情熱を見失っている−!
 権力の作りだしたー、 かかる抑圧的状況下で! 
 この閉塞した、現代日本社会で!
 ただ日々を生きぬく事、過ごすことだけを目的にしている!
 このままでよいのかー!
 否、断じて否である! 
 わたしは今日、ここに宣言する。解放の日、決起の日が訪れたことを!」
 マモルは震えだしていた。膝が、勝手にガタガタいっていた。
 なぜだろう。聞いていると胸が高鳴る。
「しょくーん! 解き放て、眠れる魂を! 立ちあがれ、胸にきざまれた、あの日の決意の為に!」
 マモルの頭の中で閃光が炸裂した。全身の血がたぎって、痙攣した。もう立っていられない。水溜りの上に四つんばいになった。熱い吐息が口から漏れた。
(そうだ。描かなきゃ! もっとマンガ描かなきゃ!)
 勉強も大事かも知れないが、マンガはもっと大事だ。いままで何をやっていたんだろう。
 マモルは自分の体のあちこちをまさぐった。描くものが欲しい。
 ワイシャツのポケットにボールペンが見つかった。でも紙がない。雨で重くなったワイシャツを脱いで、その上に描こうとした。ダメだ、雨でにじんで消えてしまう。ボールペンで屋上のタイルを引っ掻いて、描こうとした。なかなかうまく描けない。
「描かなきゃ! もっと! もっと!」
「なにをやってるんだ?」
 サヨがマモルを見下ろしていた。顔は青ざめて、疲れ果てていた。よほど体力を消耗する技なのか。
「ま、マンガを描きたくてたまらない! 手が止まらないんだ!」
「革命の情熱じゃなくて違う情熱が目覚めたのか」
「普通の人間には革命の情熱なんてないよ!」
 サヨは眉をひそめた。
「だとすると……やっかいなことになったぞ」

 8

 校内は、もう大変なことになっていた。
「アハハハハーッ!」
 バットを持って廊下の窓ガラスを叩き割る生徒がいる。
「芸術芸術ゥ! 俺の芸術の邪魔すんなーっ!」
 スプレー缶で廊下や床に落書きしまくる生徒がいた。
「オラッ、オラッ、これでもかっ、これでもかーっ!」
 小柄な男子生徒が、でかい生徒に馬乗りになって拳を振りおろしていた。マモルは、小柄なほうがカツアゲされているところを見たことがあった。イジメられっ子なのだろう。
 他にも、廊下のいたるところで取っ組み合いが起こっている。教室の中から怒号が響いてくる。
「こ、これは……心の中の願望が全部出てるのか……やめろ! おい、やめろ!」
 サヨは、ガラスを割っている生徒を捕まえた。デコピン一発で気絶させる。
「きっと波太郎がヤバイことになってるよ!」
「むう……あの男は女好きだからな!」
「性犯罪の予感!」
 
 9

 波太郎のクラスを覗きこんだ。
 クラスは机が片付けられて、空いたスペースの真ん中に波太郎が転がっていた。
「あんたキモいのよ!」
「何度も断ってるのにデートデートって!」
「現実とゲーム一緒にするんじゃないわよ!」
 女生徒たちが十人ばかり、よってたかって波太郎を蹴って、踏みつけている。
 ワイシャツを靴跡だらけにした波太郎は、恍惚の声を上げている。
「あうっ、あうっ、ひぎぃ、らめぇ、もっと、もっとぉ! あっあっ! 新しい自分! 新しい自分!」
 マモルとサヨは黙って戸を閉めた。
 顔を見合わせた。
「……平和的な願望でよかったね」
「……ああ」
 ホッとした瞬間、耳にたくさんの悲鳴が飛びこんできた。
 男も女も、何十人と言う悲鳴。
「うわーっ!」「きゃーっ!」「いやーっ!」
「なんだ!」
 とっさにふりむいたマモルとサヨ。
 悲鳴の主はすぐ現れた。階段を転がるように駆け降りてくる大集団。
 すべて、髪の毛が悲惨な状況だった。
 ある女子は丸坊主にされていた。別の女子は頭の耳半分だけバリカンで刈られていた。頭のてっぺんだけ刈られて「逆モヒカン」になっている男子生徒もいた。
 みんな泣きそうな顔で、マモルたちの前を走りぬけていく。
 彼らを追いかけているのは、京弁院光!
 右手にハサミ、左手にバリカンを持っている。ハンサムな顔をヒステリックに歪めて、眼を血走らせ、奇声を発していた。
「生えてる子はいねがぁっ! フサフサの子はいねがぁっ!」
 逃げている女子生徒の一人が、目の前で転んだ。
「きゃあっ!」
 倒れた彼女に、京弁院が極端な前傾姿勢で襲いかかる。
「毛毛毛毛毛(ルビ けけけけけ)ーっ!」
「いかん!」
 サヨが叫んで、飛びだした。すばやい身のこなしで京弁院の前に立ちはだかった。背中のリュックから角材(ルビ ゲバロッド)を抜き放ち、京弁院の顔面めがけて叩きつける!

 バンッ! 

 打撃音とともに、京弁院のメガネがガラスの破片をまき散らした。鼻血も噴出する。だがそれだけだ。京弁院は一瞬だけのけぞって、すぐに体勢を立て直した。
「なっ!?」
 サヨが驚愕のうめきを上げる。マモルも驚いた。
(サヨさんに殴られても倒れないなんて!?)
 鼻血ドクドク状態の京弁院は、サヨをにらみつけて絶叫した。
「邪魔をしないでくださいっ! いまこそ究極の増毛法を試すときなのです!!」
「増毛法だと!?」
「生徒と教師、校内のあらゆる人間を丸坊主にすれば、私が一番フサフサとなり、もはやハゲではないはず! これぞ『相対性増毛法』!」
「おのれの欲望のため人民から収奪するか! 許せん!」
 もとを正せば全部サヨが悪い気がしたが、言ったら怖いのでマモルは黙っていた。
「止められるものなら止めてみなさい! 毛毛毛毛ーッ!」
 京弁院は叫ぶ。両手がすさまじい速度で動く。サヨの頭めがけてハサミとバリカンが襲いかかってくる。
「ぬん! ぬん! くっ……!」
 角材をめまぐるしく動かして、ハサミとバリカンを受け止め、払いのけるサヨ。金属音が連続して響く。
「そりゃそりゃそりゃーっ! 毛毛毛毛毛毛ーっ!」
 叫んで、一歩踏みだしてくる。サヨは押し返せない。防御が精一杯だ。
「どうして!?」
 マモルは思わず叫んだ。
(いくら疲れていても、こんなに苦戦するなんて変だ!)
「キサマ、潜在能力を引き出したな!」
「毛毛毛、そのとおりです! 『ハゲをバカにされたくない』この一心が、人間を越えた力を引き出したのです!」
「なんという頭の悪い会話!」
 叫ばずにはいられないマモルであった。
 サヨの頭のそばで銀色の閃光がきらめき、ヘルメットの紐が切れてずり落ちた。
「ちっ……! 防ぎきれんか!」
 顔を苦しげにゆがめるサヨ。
 マモルはあたりを見回した。すでに生徒はみんな逃げて誰もいない。
(なにか、加勢できる方法は? 京弁院の注意をそらすことが出来れば……)
 そう思った瞬間、

 ひゅっ……!

 風を切って何かが飛んできた。「何か」は京弁院の頭をかすめ、カツラを吹き飛ばした。吹っ飛んだカツラは壁に縫いつけられる。大きな「和バサミ」が突き刺さっている。
「ぬおおおお!?」
 京弁院は悲鳴を上げて、あらわになったハゲ頭を押さえる。
「そこかーっ!」
 サヨは勝機を見逃さなかった。
「ゲバロッド、G(ルビ ゴムホース)形態!」
 角材が赤い光に包まれ、長いゴムホースになる。サヨは突進し、ゴムホースで京弁院の頭を乾布摩擦のように、こすって、こすって、こすりまくる!
「一点突破全面展開! 毛根完全殲滅!」

 ごしごしごしごしごしっ

 わずかに残っていた髪の毛が飛び散ってゆく。
「うおおっ! やめろ毛根が死滅するウウウウッ!」
 京弁院は体を痙攣させ、泡を吹いてぶっ倒れた。
(やった! ……でも誰が助けてくれたんだろう?)
 マモルは、ハサミが飛んできた方角を見た。
 長い黒髪の、細身だがグラマーな女の子がいた。
(誰だ?)
 よく見ると優美子だ。でも雰囲気が違いすぎた。かつての弱気さがまったくない。オドオドしていた顔に、今は気迫がみなぎっている。
「君か! ありがとう、おかげで勝つことができた!」
 サヨは優美子に頭を下げる。
「オメーを助けたわけじゃねーよっ! オメーはこのあたしが倒すんだよ! 横取りすんなってことさ!」
 別人のように下品に、怒りをこめて優美子は絶叫する。その眼は吊りあがり、怒りの炎が燃えていた。
「なっ……?」
「さっきの声を聞いて、あたしは生まれ変わったんだ。いままであたしをバカにしてきたすべてのモノに、今、復讐する! よくもあたしを晒し者にしたな? なーにが排便権だッ!」
 優美子の両手に、和バサミが一つずつ握られていた。
「ま、待て! 話せばわかる!」
「問答無用ッ!」
 サヨの叫びは通じなかった。稲妻のスピードで走りこんできた優美子は和バサミを一閃。
「くっ。ゲバロッドG形態!」
 サヨが右手を閃かせる。ゴムホースが鞭のように空中を踊った。優美子の片腕に巻きついた。
 だが優美子の自由なほうの腕が、眼にもとまらない速さで動く。
「こんなものォ!」

 ちょきんっ。

 ゴムホースがあっけなく切断される。
「バカな! 人民の祈りが宿ったゲバロッドが切れるなど!」
「人民を敵に回して何いってやがるっ!」
「そういうことか!」
 赤星サヨは革命家である。革命家は人民に愛想をつかされると、神秘の力を失ってしまうのだ。
 優美子の両手がすさまじい早さで動く。
「ヒイヒイ泣かしてやるよ! まずスッ裸にして、みんなに見せてやるよ! テメーのみっともねー幼児体型をな!」
 サヨは必死に体をよじってよける。パンチやキックでハサミを落とそうとする。
 だが出来ない。何十もの攻撃が殺到して、サヨの体を覆うセーラー服が切り裂かれていく。赤いスカーフがちぎれる。胸元が大きく切られて白いスポーツブラ がのぞく。サヨは飛びのいてバック転で攻撃をかわす。逆立ち状態のサヨに斬撃が浴びせられ、スカートが切断されてボロ切れになる。白い太ももに傷跡が幾筋 も刻まれる。
 さっきよりも劣勢だ。心の奥底でドロドロとたまっていた想いが京弁院よりも強いから、潜在能力も強いのだ。
(助けないと……)
 あたりを見まわして、トラメガが落ちているのを見つけた。
(ぼくも使えるかな?)
 マモルはトラメガを手にとり、電源を入れて叫んだ。
「眼をさましてっ。いまの優美子さんは本当の優美子さんじゃないんです!」
 優美子は間髪いれず、ハサミを投げてきた。
「うるさいっ」
「うひゃあ!」
 ハサミはトラメガを直撃、バキグシャッと派手な音を立ててぶち抜いた。もう電源が入らない。
 優美子は戦いながら、マモルをにらみつけてきた。
 一瞬にらまれただけで、心臓が恐怖に跳ねた。全身に冷や汗が噴きだす。
「あ、あううっ」
「……よけいなことをするんじゃねーよ。この女のあとはテメーをやっちまうぞっ」
「ちっ」
 サヨが舌打ちした。優美子のハサミを避けながらジャンプした。マモルの頭の上に飛びのって、頭を踏み台にしてさらにジャンプ。廊下の窓を突き破って飛び降りた。
「逃がすかっ」
 優美子もサヨを追って飛びおりる。
「さ、サヨさんっ!?」
 マモルは窓から下を見た。サヨと優美子は着地して、雨の叩きつける中庭で戦いを続けていた。
 なんで学校の外に出たのか。明らかだ。
(ぼくを巻きこみたくなかったんだ……)
 左拳を握りしめた。もう片方の手は勝手に動いて、自分のワイシャツになにやら描き殴っている。枠線も何もグチャグチャのマンガだ。
 遠くの方から、いろんな音が聞こえてくる。雄叫びが、悲鳴が、ガラスの割れる音。学校のあちこちで、まだ騒ぎが続いている。
「なんとかしなきゃ……」
(でも、メガホンも動かないのに、どうしよ。)
「う、うーん……」
 その時、視界の片隅で京弁院がうめいた。靴跡のクッキリついたハゲ頭が揺れて、眼を開いた。
「夢を……見ていました……あまりにも恐ろしい夢……私の宝たちが……希望の若草たちが……無慈悲にも刈り取られて……」
 『毛がさらに抜けた』という意味らしい。
「もちろん……それは夢……」
 そこで京弁院の全身が痙攣した。跳ね起きて、自分のツルツル頭をなでさする。
「ちがうっ……夢じゃないっ! 今朝は確かに二万千九十本あった髪の毛が、一万九千二百六十八本に!」
「よく触っただけで数がわかりますね」
「……毎朝、涙をこらえながら数えてますから……そんなことより! 下辺野くん、答えなさい。すべては夢ではなく本当のことなのですか?」
「本当です」
「赤星の声が響いて、聞いているうちに私の中で何かが目覚めたのも現実! 生徒たちの頭を刈って回ったのも。柔原にやられたのも現実!?」
「はい、ぜんぶ本当です」
「お、おお……私の人生はおしまいです……おのれ赤星……」
 京弁院は泣きそうな顔になって、ガックリとうなだれた。
 マモルの心の中で閃くものがあった。
(そうだ、京弁院と力を合わせれば、少しはマシかも)
「先生。生徒たちを元に戻しましょう」
「なぜ、私が赤星の尻ぬぐいをしなければいけないのですか?」
 レンズの向こうの眼が怒りを帯びた。
「でも先生。頑張って学校を元に戻せたら、すこしは評価が回復するかも。放っておいたら、それこそ教師失格ですよ」
「むう……」
 動揺する京弁院。マモルは最後の一押しをした。
「それに、大事な髪の毛をそれだけ奪われて、黙っていていいんですか!?」
「いいえ! よくありません!」
 京弁院の眼が執念に輝いた。
「赤星と柔原を倒し、必ずや教育的指導を!」
 立ちあがった。近くの壁に縫いつけられていたカツラを取り、いとおしそうに抱きしめてから頭に装着した。
「まずは状況の確認からです。なぜ学校がグチャグチャになったのですか? 赤星は何をやったのですか?」
「みんなが革命部に入ってくれないから、『革命の情熱を呼び覚ます』とかいって演説したんです。そしたら、関係ない情熱が目覚めてしまった」
「催眠術みたいなものですか……しかし、私が元に戻っているところをみると、催眠を解く方法はあるはずです」
「気絶したから解けたのかな。でも生徒全員を殴り倒すわけにもいかないし」
「……心に衝撃を受けたから、だと思いますね。私は覚えています。頭をこすられて悲鳴を上げたとき、心の中で何かがパリンと砕け散った」
 京弁院はカツラの上から頭をなでさすった。死者を弔うような、悲壮な表情だった。
「精神的ショックで元に戻るのか。じゃあ、ぼくの漫画で感動させてもいいのかな」
 先ほどからマモルの手はひとりでに動いて、自分のワイシャツにびっちりと漫画を描き殴っていた。
 たまたま、ひとりの生徒がスケボーに乗って廊下を走ってきた。
「きみ! ぼくの漫画読んで……」
「うっせー! 邪魔するんじゃねーZE!」
 スケボー少年は思いきりジャンプして、マモルの頭を踏みつけて去っていった。
「いでっ!」
「無駄ですよ。興奮状態の人間が漫画など読むはずがない。私は放送室に行きます。特別授業により、生徒たちの目を覚まさせます!」
「待って! ぼくも行く! 漫画を読み上げるよ!」
 放送なら、強制的に聞かせることもできるはずだ。なにより、頭の中に物語が、台詞がどんどん沸き起こってくる。止めることができない。
「素人の漫画ごときで何ができますか。ここは私に任せておきなさい」
「わからず屋だなあ!」
 マモルと京弁院は廊下を並んで走り、階段を駆け上って、放送室にたどり着いた。

 10

「京弁院です。放送室を貸しなさい!」
 怒鳴って、ドアを開けた。
 中には男子生徒たちが数人陣取っていた。
 カラオケ状態だった。
 みんな頭に「萌え」「エロゲ命」「チコたんは俺の嫁」などと書かれたハチマキを締めている。みんな目がギラギラと輝いている。
 明るい元気な女の子の声が大音響で流れていた。
 マモルは知っていた。ディープなアニメオタクの間で話題になっている、「電波系声優アイドル」の歌だ。

 みゅんみゅん! みゅんみゅん!
 そうね 恋することって
 とても魔法のようね
 奇跡だってきっと起こせるよ
 みゅんみゅん! みゅんみゅん!

「みゅんみゅん!」「みゅんみゅんんんっ!」
 曲に合わせてみんなが拳を突き上げ、体を揺らしていた。
 マモルたちが入ってきたとたん、彼ら全員がピタッと硬直した。マモルたちに厳しい目を向けた。
「なんだよ、あんたら!」
 マモルがみんなの気迫に押されながら、言う。
「え、えーと……放送室、ちょっと貸してほしいんだけど……」
「やだねっ!」
 全員が猛然とブーイングしてきた。
「邪魔すんな! エロゲやアニメの音楽かけまくりのは、俺たちの夢なんだ!」
「そうだ! 俺たちの野望を否定するな!」
「さ、さっきから電波ソングばかりで、正統派ラブエロゲの主題歌を流してないんだな。ま、まだやめるわけにはいかなんだな」
 マモルは頭を下げる。
「お願いします。学校を元に戻すために必要で……」
「なんで元に戻さなきゃいけないんようっ!」
「みんなは催眠術みたいなものにかかっているんです」
「それが何でいけないんだよう。オタロードを思いっきり突っ走れる、怖くも恥ずかしくもないって、とっても幸せなことなんだようっ!」
「そうだ、そうだ!」
「おれたちの幸せを邪魔するなようっ!」
「下辺野、お前だってマンガ描いてるんだろう? 俺たちの仲間だろう? どうしてこっちにこないんだよ!」
「こっちに来ると楽しいぞう!」
 口々に叫ぶ彼らの表情は、本当に幸福そうだ。
「あ……それは……その……」
 戸惑って何も言えなくなったマモル。
 マモルを押しのけて京弁院が前に出る。鋭い眼光を全員に浴びせて、叫んだ。
「あなたたち! 歌なら家で歌いなさい! いまは我が学校に危機が迫っているのです。即刻、放送室を明け渡しなさい!」
 スイッチ各種の並ぶ机をブッ叩いた。
 カラオケ集団は一瞬だけひるんだ。
 だが次の瞬間、怒鳴り返す。
「うるさい!」
「そんな固ッ苦しいことばっか考えてるからハゲるんだよう!」
 言ってはならない言葉だった。
「な! ん! で! す! っ! てぇぇぇーっ!」
 京弁院の目が光った。肉食恐竜のように前傾姿勢になって、カラオケ軍団に飛び掛かった。
「しゃああああっ! 私の育毛状態を冒涜したのはお前か! お前か! お前かーっ!」
 京弁院はカラオケ軍団の首根っこをつかんで、そのへんの机とか壁にガンガン叩きつける。
「む、むぎゅうっ!」
「出ていきなさーい!」
 全員まとめて、ドアの外に放り出した。
 マモルの方に向き直る。表情が一瞬にして冷静に戻って、眼鏡がキランと光り、
「さあ、邪魔者は片付けました」
 マモルの額を冷や汗が流れた。思わず小声でつぶやいてしまう。
「……催眠、ほんとに解けてるの?」
「……なにか言いましたか?」
「い、いいえ何もっ!」
「まず私が授業を行います」
「え、ぼくの漫画のほうが先でしょう」
「何を言いますか、まずは勉強によって緩んだ精神を引き締めるべきです。娯楽など息抜きでいい」
「じゃあジャンケンで決めましょう。ジャンケン、ポイ」
 マモルがパー、京弁院はグー。
「くっ……」
「じゃあぼくから」
 マモルは一瞬だけ目を閉じて、頭の中で考えをまとめる。
  どの漫画にするか。すでに決めていた。
(『機械皇女プリシア』! 一番描きたい奴をぶつける!)
 こんな話だ。

 人類文明崩壊から数百年。地球は機械生命体によって支配されていた。
 世界は太陽電池の葉を持つ機械樹の森に覆われ、機械竜が獲物を探してうろつきまわり、機械人が帝国を築いていた。 わずかに生き残った人間は、機械たちの目を逃れるように辺境でひっそり暮らしていた。
 主人公の少年キリアスは、隠れ里のはしっこで古代の遺跡を掘っていた。すると、謎の少女が入ったカプセルを掘り当ててしまう。カプセルから出てきた少女 は美しく、キリアスは一目惚れしてしまった。少女はプリシアと名乗ったが、自分の名前以外は何も思い出せないようだった。そんなとき、機械竜が襲ってく る。絶体絶命かと思われたが、プリシアがとっさに「止まって!」 と叫ぶと機械竜がピタリと止まってしまう。
 プリシアには機械を従わせる不思議な力があったのだ! キリアスはこの力を使って機械たちに対抗しようと考える。下僕にした機械竜で軍団を作り、この地上を人間たちの手に取り戻すための戦いを始める!

 これは壮大なバトルものになるぞ、と思ってストーリーをまとめたのはいいが、メカが思うように描けず、中断していた。
 だがストーリーも、台詞の流れも全部頭の中に出来上がっている。
 マモルはマイクを握った。
「二年三組の下辺野マモルです……ぼくのマンガを音声ドラマ形式で紹介します……聴いてください!」
「一人で喋るのは音声ドラマって言わないでしょう?」
 となりの京弁院がツッコんできた。
「先生ツッコまないで! ……えーと……」
 アニメ冒頭のナレーションを意識して、低い重厚な声を作って言う。
「機械皇女プリシア 第1章
 それは……遥か遠い未来の物語……人類が地球の王座を機械に譲り渡して、すでに数世紀……」
「現実逃避願望ですか? どんなに逃避しても期末テストはなくなりませんよ?」
「あー! 先生は黙ってて! ……こほん。人間がわずかに隠れ住む『スミコの谷』で……毒の霧の中、マスクをつけて、一人の少年が穴を掘っていた……
 がしっ! がしっ!」
「擬音を口で言うなんて、リアリティがありません」
「わかりましたよ」
 マモルは京弁院のカツラを引っつかんで、マイクのすぐそばでブチィッ。ブチィッ。
「これでリアルな音です」
「なんてことをおおお!」
「今の悲鳴は少年に掘り返される大地の悲鳴とかそんな感じで! とにかく少年が地面を掘っていた。
 ここは谷のはずれにある古代遺跡。はるか太古の時代からの遺物がたくさん埋まっている。
 ずっと後ろから声がした。『おーいキリアス、谷の外に出るなって言ったろう!』
 谷から出ると、機械に襲われることがあるので心配されている。それでも少年キリアスは来た。
 キリアスは心の中で病弱な妹のことを思い出す。
 妹を元気な体にするための薬を求めて、キリアスは掘っているのだ……」
「薬品が何百年も品質を保っているのはおかしい。これだから無学な作者は困るのです」
「そんな細かいこと、いいでしょ。未来の科学はすごいんです。
 ガシッ、ザクッ……汗を流して掘り進んだキリアス。
 あるとき、スコップの先に何か硬いものが当たった。ガチン!
 掘り起こしてみると、透明な巨大なカプセルだった。
 全裸の少女がカプセルの中に浮かんでいた。
 とても綺麗な少女だとキリアスは思った」
「『きれい』だけでは伝わりません。どう綺麗なのか具体的に描写しましょう」
「キリアスはしばらく少女に見とれていた。こんな美しい女の子を生まれてはじめて見た。
 金色の長い髪がカプセルの中にフワリと広がり、太陽の光を浴びて神々しく光っていた。体つきは人形のように華奢で、里にいる女たちのがっしりした体とは ぜんぜん違った。肌も抜けるように白く、つやつやで、ほっそりした体なのに、む、胸が豊かで、おっぱ、おっぱ、おっぱい、おっぱい」
「校内放送で『おっぱ、おっぱ、おっぱい、おっぱい』? あなた大丈夫ですか? 人生的に?」
「あんたがやれってゆったんだろーっ! 
 とにかく!
 するとカプセルの中に大きな泡が立ちのぼる。ゴボッ。カプセルがゆっくりと開いた。少女の裸身が空気に触れる。睫毛の目立つまぶたがゆっくりと開いた。あたりを不安そうに見て、
 『ここはどこ……あなたは誰……?』」
「その少女は何百年も眠っていたのですか?」
「そうですよ」
「じゃあ言葉が通じるのは変でしょう。ジェスチャーで会話しないと。リアリティを考えて物語を作ってください。教育上よくありません」
「でもジェスチャーなんかじゃ詳しい会話ができません」
「できます。ジェスチャーが伝わらないのは抽象と具象を相互に変換する思考力が足りないだけです」
 自信満々で腕組みをしている京弁院。
「じゃあ、やって見せますよ?」
(なんにしようかな……やっぱりマンガだな)
 マモルはイスに座りなおして、「ペンを握ったつもり」になる。眉間にしわを寄せて、机の上の何もない空間に、サラサラッと軽く描いた。
 マンガを描く、というジェスチャーだ。
「勉強ですね」
「違います。じゃあ、これでどうですか」
 マモルは今度は、まっすぐコマのワク線を引いてみた。縦に、横に。
「グラフを描いている?」
「だから勉強じゃありませんって! これならどうです?」
 両手で「小さな円盤」を描いて、頭に円盤を載せる。
 マンガ家の象徴、「ベレー帽」のつもりだ。
「カツラですって!」
 京弁院が目を吊り上げて机をドンッ。
「違うー!」
「あなたさっきから聴いてると私の頭について侮辱の意図があるでしょう?」
「ありません、ぜんぜんありません、毛頭ない!」
「毛頭ないですって!?」
 また机をドンッ。
「そういう意味じゃないー!」
 
 11

 校庭。土砂降りの雨が地面を叩き、泥水の水たまりが何十もできている。
 サヨと優美子はズブ濡れで戦っていた。
 優美子が和バサミを突き出す。サヨが体をよじって身をかわし、踏みこむ。
「ちょこまかするんじゃねーよ!」
 すでにサヨのセーラー服はボロボロで、肩から滑り落ちてしまっている。上半身を覆うのはスポーツブラだけだ。スカートも半分の長さになっている。ハサミが額をかすって、鮮血が流れる。激しい雨にすぐ血が溶けてしまう。
「革命パンチ!」
 優美子の頭めがけてサヨのパンチがうなる。だが普段とは比較にならないほど遅い。極度の疲労に加え、人民の支持がないから力が出ないのだ。優美子はその 攻撃を飛びのいてかわした。濡れた黒髪が重そうにうねった。豊満な乳房が勢いよく跳ねた。ワイシャツもその下のTシャツも濡れているから、ブラジャーの形 が浮き上がってしまっている。
 優美子がハサミを、サヨの喉元めがけて突き出す。
 同じ瞬間、サヨの目に大きな雨粒が直撃した。
「くっ」
 うめきをもらす。思わず顔に手を当ててしまう。
 とっさに後方に吹き飛んでよけたが、バランスを崩した。
 じゃぼんっ
 サヨは大きな水たまりに尻餅をついた。飛び散った泥水がわずかに残っていた上半身のブラウスを、白いスポーツブラを茶色に染める。
「くうっ」
 優美子はすばやく動いた。泥水を浴びながら、サヨの上に馬乗りになった。
「終わりだよ! 大好きなレーニンのところにいっちまいなー!」
「これがわたしの器か。みんな目に焼き付けておくがいい。民衆を敵に回した革命戦士の、これが愚かなる姿だ!」
 台詞はかっこいいが、女子高生二人が泥んこでプロレスしてるだけである。
「死ねやーっ」
 振り下ろされるハサミ。
 そのとき、雨音をつんざいて、大きな声が聞こえてきた。校内放送だ。
『二年三組の下辺野マモルです……ぼくのマンガを音声ドラマ形式で紹介します……聴いてください!』
『一人で喋るのは音声ドラマじゃありません』
『先生は黙ってて!』
 優美子の動きが止まった。
「ぷっ!」
 吹き出してしまったらしい。
『……人類が地球の王座を機械に譲り渡して、すでに数世紀……』
『現実逃避願望ですか? どんなに逃避しても期末テストはなくなりませんよ?』
『あー話の邪魔ですってば!』
「ぷぷっ!」
 また優美子が笑った。ハサミを持ったままだが、顔がすっかり緩み、目から凶悪な光が消えた。
『ほっそりした体なのに、おっぱ、おっぱ、おっぱい、おっぱい』
『校内放送で『おっぱ、おっぱ、おっぱい、おっぱい』? あなた大丈夫ですか? 人生的に?』
「あはははっ!」
 優美子は笑い声を上げた。
『あなたさっきから聴いてるとわたしの頭について侮辱の意図があるでしょう?』
『ありません、ぜんぜんありません、毛頭ない!』
『毛頭ない!?』
『ベタすぎる反応だーっ!』
 ついに優美子の手からハサミが落ちた。けたたましく笑って、サヨの上に乗ったまま体をよじる。
「あはははははっ……あれ?」
 優美子の表情が変わった。怒りが残らず消え、当惑と不安が支配した。吊りあがっていた眼も垂れ眼に戻り、パチパチとまばたきした。自分の身に何が起こったのかわからないかのように、あたりを見回す。
 
 12

 学校の至るところに校内放送は響きわたった。欲望のおもむくままに振る舞っていた生徒数百人が、その放送を聞いた。みんな笑いだした。
「くっだらねー!」「あれ?」「俺は……?」
 みんな笑って、我に帰った。

 13
 
 放送室では、マモルと京弁院が顔を真っ赤にしてわめきあっていた。
「そのときキリアスの耳が機械を動作音をとらえた。ガシン、ガシン! キリアスは恐怖に身震いする。機械竜だ! キリアスは叫ぶ。『プリシア、逃げて!』」
「そこをジェスチャーで!」
「無理だよ!」
「そんなことはありません。逃げて! のジェスチャーはこうです!」
「じゃあ、あっちいけ! は?」
「こう!」
「全く同じじゃないですか! 
 まあ、それはともかく、機械竜が迫る。全長二十メートル、四足で黒光りする装甲に覆われている。プリシアは逃げない。キリアスはもっていたライフルを とっさにぶっぱなす。ズキュン! 真っ赤な光の弾丸が機械竜の顔面に当たって弾き返される。急所に当たらないと倒せないのだ。もう機械竜は数メートルしか 離れていない。人間を丸のみにできそうな口を開けている。
 キリアスは地面を蹴って機械竜めがけて跳んだ。自分が代わりに食われよう、とっさの行動だった。
 プリシアが叫ぶ。『ダメぇっ!』
 次の瞬間、キリアスは地面に尻餅を着いていた。自分を食べるはずだった機械竜は、手で触れるくらいの至近距離でピタリと止まっている。まるで石像みたいに。キリアスは口をポカンと開けて呆然。『い、いったい何が起こったの?』 とうめいた」
「本当に、何が起こったんですか?」
「実はプリシアには機械生命体を従わせる力があるのです。プリシアのお父さんは科学者で、数百年前にすべての機械生命体を作った人なんです。だから機械生命体のコンピュータには、肉親であるプリシアの命令に従え、というプログラムが刻まれているんです」
「娘を冬眠させて、父親は何をしてるんですか?」
「機械生命たちの皇帝をやっています」
「それでは筋が通らない。皇帝なら、自分の支配がひっくり返るようなプログラムは消します」
「ああもう、細かいところばっかり突っ込んで!」
 マモルは首を大きく振った。
「とにかく、キリアスは喜んで、機械生命たちの軍団を作って戦いを始めるのでした!」
「くだらない話ですね! どこに投稿しても一次選考で落選ですよ!」
「なんだとー!」
 と、そのとき放送室のドアが勢いよく開け放たれた。
 サヨが飛びこんできた。
「マモル! いまの漫才でみんな元に戻ったぞ! 君は英雄だ!」
 マモルと京弁院は顔を見合わせた。そして叫んだ。
「うれしくないっ!」
 
 14

  蒸し暑い、夜の体育館。
  だだっぴろい床と壁が、スプレーの落書きでビッチリ覆われている。
 マモル、サヨ、京弁院の三人はジャージ姿になり、汗をかきかき掃除していた。今回の騒動の責任を取らされているのだ。学校じゅうを元通りにするまで、家に帰れない。
 床に洗浄液をぶっかけてデッキブラシでゴシゴシとこすりながら、マモルが言う。
「なんでぼくまで……」
 サヨを止められなかった責任があると、頭ではわかっていても納得できない。
 するとハチマキをしめて雑巾がけをしていた京弁院が、目の下にクマを作った顔で叫ぶ。
「私だって不満です。なぜエリート教師であるこの私が、掃除など、ふうふう……」
「先生の場合、この程度の処分で済んだのは奇跡だと思うけど」
「なんですって」
「だって女の子の髪を切っちゃったじゃない。 フサフサの子はいねがーって」
「くうっ、それは……京弁院光、一生の不覚ッ」
 そこにサヨが口を挟んできた。彼女は床に開いた巨大な穴の前にしゃがみ、板を張りなおしている。
「お喋りしている暇はないぞ。便所に教室に、まだ手付かずの場所がたくさん残っているのだからな!」
「偉そうに言わないでください! あなたが諸悪の根元でしょうが!」
 サヨは悪びれもせず、笑顔で言いきった。
「今回の件なら、わたしは大成功だと思っているぞ。この学校の人民があれほどの潜在的活力を秘めているとは! 鍛えあげれば国家すら打倒できる強力な軍団になるだろう。何も恐れることはない」
「うわー、この人全然懲りてないよ」
 そのとき、ギギイと重い音を立てて体育館入り口の戸が開いた。
 サヨたちが振り向く。
「あっ……」
 入ってきたのは長い黒髪でおとなしそうな顔立ちの女子生徒。
 優美子だ。不安の表情であたりを見回し、手に持っていた大きなバスケットを掲げる。
「あの、あの。皆さん、こんばんわ。このたびは大変なご迷惑をおかけして。お夜食なんですけど、よろしかったら……」
「うひゃあ!」
 サヨは悲鳴をあげて、床の穴に飛びこんだ。
「……なにも恐れないって?」
「う、うるさいっ」
 真っ赤な顔を穴から出して叫んだ。

 第3話に続く

 
 

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