1969年2月21日・N1第1回打上試験

Н1 3Л

1969年の初め、N1ロケットの第1回打上試験に向けてカウントダウンが進められていた。前年('68年)末にアポロ8号によってすでに有人月周回飛行を果たしているアポロ計画との差を一気に縮めるため、この打上げでは初飛行でありながらもかなり野心的な飛行が計画された。

打上げられるN1・機体No.”3L”には、月着陸船L3−LKの実物大模型に加え、無人のL1S有人月周回宇宙船の実機が搭載されており、ペイロードの総重量は70tであった。L1Sはゾンド8号と同じものであり、成功の暁にはこの無人のカプセルが月軌道周回飛行の後に地球に帰還する予定だった。彼らは初飛行でいきなり月を目指そうとしていたのである。

打上は当初前日の2月20日の予定であったが悪天候のため翌21日に延期された。モスクワ時間12時19分、この史上最大の推力を発揮する怪物ロケットは空へ舞い上がった。

結果的にL1Sのカプセルは帰還したが、月はおろか地球軌道すら回れなかった。打上げは失敗し、L1Sのカプセルは非常脱出ロケットによって分離され、緊急時リカバリの手順によって回収されたのである。

打上失敗の原因はブロックAのエンジンのガスジェネレータタービンに入り込んだ微細な金属片だった。それが飛行中に高調波振動を誘発し、その振動による急激な金属疲労で燃料ラインに亀裂が入り、燃料が漏れ、火災が発生した。異常を検知したエンジン制御システム”KORD”は全エンジンを停止するという誤った指令を発し、打上げから68.7秒後全てのエンジンは停止した。

制御を失った機体は地上へ落下した場合の被害を最小に押さえるために全エンジン停止から1.3秒後(打上げから70秒後)、地上からの指令で爆破された。

この打上失敗から1ヶ月後、アポロ9号が地球軌道上でのテストに成功した。もはや”MoonRace”はソ連に勝ち目はない物と思われた。
アポロ計画に何か重大な予期せぬアクシデントが起きない限りは。


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