*カルテ1
古びた雑居ビルの地階が ゼフェルの診療所。
口は悪いし愛想は無いが、治療の技術は一流で、技工まで自分でやってしまう。
かしましいアシスタント嬢や、腕をやっかむ同僚に辟易していたので
インターンを終えると 隠れ家にでも逃げ込むように、ひっそり独立開業した。
ユニット(診療台)は一台だけ。それも、左利き用に自作した特別仕様。
もちろん、補助者なしで診療できるよう 手許であらゆる操作が可能なコントロール
パネルなどのオプションから、低音で高トルクのタービンまで
全てがゼフェルお手製の自信作である。
人付き合いの苦手な彼が、半ばサービス業のようなこの職業を選んだのは、
実はこのあたりに理由があるのかもしれない。
そんなわけで、ろくに宣伝もしないのだが、噂を聞いてか ちらほら患者はやって来る。
ゼフェルが新作の超音波スケーラーをいじっていると、待合室に人の気配がして
受付に置いた 問診マシーン(金融のATMみたいな物と思って頂戴:笑)から
初診の患者のデータが 送られてきた。
アンジェリーク・リモージュ 右下の歯が痛くてゆうべは眠れませんでした。――だそうだ。
モニターを覗くと、頬にハンカチか何かをあてがって
しゃくりあげている。
ひとつ吐息の後、ゼフェルは横のマイクに向かって彼女を呼んだ。
「アンジェリーク・リモージュさん、中へどうぞ。」
半べそで診療室に入ってきた女性は、ゼフェルと同い年のはずだが随分幼くみえた。
「先生〜すっごく痛いんですぅ。何とかしてください‥‥ひぃっく。」
充血して腫れた目。いや、それ以上に
右のほっぺたは、顎のラインが分からない程に晴れ上がって、なんともひどいご面相である。
ゼフェルは一目で病状を理解した。
見るまでもないが、レントゲン室に連れて行き 部分の写真を撮る。
2、3診査を済ませ、治療に取り掛かった。
アンジェリークは 恐怖に身体をこわばらせ、まぶたをぎゅっと閉じている。
シューン と、タービンの回転音 右下6番咬合面が削られてゆく。
「(いやぁぁぁ恐い!恐い!恐い!痛ぁ‥‥‥?くない‥‥‥‥‥!?)」
タービン音が止み、バキュームがすっかり水を吸い取ると、
アンジェリークはパッと目を開いた。
「楽になったんじゃねーか?」
コクコクコク。驚きで言葉がでないらしい。目がまんまるだ。
「んじゃ、もーちょいだかんな、しっかり口開けてんだぞ。」
マスクと飛沫よけのゴーグルで表情はよくわからないが、
ほんの少し紅の瞳が細められた気がした。
処置が済むと、マスクを外し レントゲン写真を見ながら説明を始める。
「ほら、ここんとこ。根の先に黒い影が見えんだろ?
神経が死んじまって膿がたまってたんだよ。
上から穴開けると、一時的に圧が下がって楽になるってわけだ。
あと、横の歯ぐきちょっと切開して、そっからも膿出しといたかんな。」
最近はインフォームドコンセントとか言って
患者に対する説明と同意が何たらかんたら、色々うるさくてかなわない。
本来なら治療前に話してこそ、インフォームドコンセントなのだが、
結果が正しけりゃ早く楽にしてやった方が患者の為だろーが、というあたりが彼らしい。
「先生ってすごい。あんなに痛かったのに‥‥もう、昨日からずっと、泣いちゃう位。
なのに、あっという間にすっかり痛いの消えちゃった。先生、魔法使いみたいですね。」
「んあ?‥‥んな、たいしたもんじゃねーよ。それに、先生はやめてくれ。ゼフェルでいい。」
「ええーっ、そんなぁ‥‥先生は私の恩人なのに。そうだ!先生がだめなら、ゼフェル様!
ゼフェル様って呼びますね。それならいいでしょう?」
――――コイツ、どーいう思考回路してやがる‥‥
「あー、もうめんどくせーな。勝手にしやがれ。」
会計を済ませ、次回のアポイントを取る。
「開放処置だから、あんまり間 空けらんねー。3日後に来てくれ。ホントは休診日だが、
どーせオレはここに居るし。入り口開けとくから。あと、これ処方箋な。
抗生物質と、消炎酵素剤と、うがい薬。一応、痛み止めも出しとくから。
この先の薬局のルヴァ親父んとこで薬もらってくれよな。んじゃ。」
「はい。ありがとうございました、ゼフェル様!」
処方箋の白い封筒を手に、スリッパをぱたぱたいわせながらアンジェリークは出ていった。
――――へんな奴。おかめみてーな顔しやがって。