静かになった診療室で、ゼフェルはタービンにオイルをさしていた。
すると、さっきのおかめ‥‥アンジェリークが、眉間に皺よせおずおずと戻ってきたのだ。
「なんだおめー、まだどっか痛えのかよ?」
「薬局‥‥どこだか分からないんです‥‥‥」
「はぁ?封筒の裏に地図書いてあんだろ?すぐそこじゃねーか。
まさか さっきから30分もの間ずっと迷ってたのか?」
しゅんとしてうなずくアンジェリーク。
「ちっ‥‥しゃーねー、オレも頼んでた薬品取りにいくつもりだったし‥‥ほら、来いよ。」
結局、方向オンチのアンジェリークが 薬局から
到底無事に帰れそうにないので、
そのままエアバイクで自宅まで送ってやらなくてはならなかった。
そして3日後。
私室でくつろいでいたゼフェルに、待合室から呼び出しがかかった。
―――そーいや、今日一人アポ入ってたっけな。
白衣を羽織りながら 大股で診療室に向かう。
「ゼフェル様!こんにちは。もうすっかり腫れも引いて、痛みもありません。
本当にゼフェル様のおかげです。そのうえ家まで送って頂いて‥‥
今日は、お礼にシュークリーム作ってきたんですよ。あとで召し上がって下さいね。」
一瞬、目を疑った。こいつが あの
おかめ女か?
こんなに‥‥‥綺麗‥‥だったのか‥‥‥‥‥‥
「?‥‥ゼフェル様?」
小首をかしげて微笑む、天使。
―――ちくしょー!ちくしょー!畜生!何なんだよ、この動悸は!!
自分で自分が分からない。焦って口をついた言葉は
「オレはベタベタ甘ぇもんは大っきらいなんだよ!
おめー、そんなんばっか食ってっから虫歯になんだろーが!」
「‥‥そ、そうですよね。ごめんなさい、私‥‥‥‥」
ズッキ――ン!!!
胸を貫く痛みの中、彼はようやく悟った。恋に落ちたのだ――と。
どうすりゃいい?謝るか、なぐさめるか、それとも‥‥
気まずい沈黙を握り潰したくて 手を延ばしかけた
その時
「ゼフェルー!!大変だよ、なんとかしてよー!」
口々に 助けを乞いながら、ダウンタウンの子供達がなだれ込んで来た。
その内の一人、5・6才の少年が、口から血を流している。
どうやら ゼフェルに作ってもらったエア・ブレードで遊んでいるうちに
転んでまえば2本を折ったらしい。
「ワリィ、先にちょっとこいつ診るから、そこらで適当に遊んでてくれ、な?」
にっ、と笑ってみせると、アンジェリークも笑顔になった。
その子供の歯は、丁度 生え替わり時期の乳歯がぶつかった勢いで取れただけで、
歯肉には永久歯がのぞいていた。探ってみたが、残存する破折片もないようだ。
消毒しているうちに出血も治まった。
「これでよし、と。心配ねぇよ。
だが、あんまり無茶すんじゃねーぞ、おめーらもだ。」
ポンポン、と頭をたたいて送りだすと、また一緒に遊ぼうとか何とか言いながら
賑やかな一団は手を振って出ていった。(治療費踏み倒して:笑)
さて、と‥‥
振り返ると アンジェリークが瞳をきらきらさせて、棚の石膏模型を指差した。
しばしば遊びに来る、先程の子供達のてのひら、グーやらチョキやら、を
印象(歯医者さんで型を採る事を印象採得といいます。)して作った物だ。
さっきのおわびに、と アンジェリークの左手の型を採ってやる。
面白がっておもいっきり指を広げたパーの手形を‥‥。
治療も順調に進んでいた ある日、ブラッシング指導が実施された。
歯科衛生士もいないので、当然ゼフェル自ら指導するのだが‥‥‥
「だ―――っ!ちがう!そ―じゃなくて、歯と歯ぐきの境に当てんだよ。」
「え?こ‥‥こうかな?見えないから よくわかんないです〜。」
「自分の口ん中見える奴がいるか、馬鹿!ほら、ちゃんと鏡見てろ。」
――なんて不器用な奴なんだろう、そこが か、かわいいんだけどよ。何か放っとけねー。
あまりに下手なので、たまりかねて歯ブラシに手を添えてやろうとした。
「きゃ‥‥‥。」
指が触れあった途端、アンジェリークが真っ赤になったので、こっちまで変になりそうだ。
なんとか 気持ちを落ち着かせ、仕事に徹する。
「ほら、ここに当てといて、こうやって振動させる‥‥。分かるか?
おめーがちゃんとできないと、いつまでも良くなんねーぞ。」
「ゼフェル様に会えるんなら、良くならないほうがいいかも‥‥‥」
天使の顔して、彼女の言葉は 容赦なくゼフェルの心をかき乱す―――――。