山岳会入会当時、岩登りばかりやっていて、鵬翔山岳会の安久一成氏やJCCの小森康行氏らのロッククライミングの写真を見ては駿府城(静岡)のお堀の石垣で練習した。官庁街で大手の新聞社の支社もこの城跡近くにあったので、新聞地方版に石垣でのロッククライミング練習写真が掲載された。阿部和行氏が岩登りの解説をこの頃されていたので、お名前は承知していた。どちらかと言えばヨーロッパアルプス的な方であろうと思っていた。ところが、岳人(1967年)付録のネパールヒマラヤ概念図を作成したメンバーだったり、後に西北ネパールのカンジロバ・ヒマール第二高峰(ツォ・カルポカン 6556m)を初登した方でもある。ナラカンカール概念図を作図されてから30余年後にそのナラカンカール・ヒマールに行き、冊子を作成された話を聞いた。その冊子(西北ネパール行 2000 阿部和行著発行 2000年8月刊)を送ってくれた。関西弁で話しを聞き、文章は標準語で書かれていているので2か国語を操っているような感じで、関西人は話す事と書く事を器用に使い分けるのだと分かった。今まで、電話で関西の方と何度か話した事があるが、標準語で話されていたので、あまりこんな事は気にしなかった。その中で峠が出てきますが紫岳会会報『オボ』もそのたぐいなのか。『ヒマラヤ山河誌 諏訪多 栄蔵著 平成6年4月5日 初版第1刷 ナカニシヤ出版刊』にその『オボ』が詳しい。

戻る