ナラカンカール・ヒマール

1963年北海道大学隊がこのナラカンカール峰を捜し求めたが…・。 越境して隊員が中国軍に捕まり歓待され帰された。

深田久弥ヒマラヤの高峰によれば外国文献はすべてナ
[ル]カンカールになっているが北大隊が現地で聞いてきたナカンカールを採ったと。その中の山姿スケッチは同志社大学サイパル隊と北大隊撮影の写真から大阪の地形図研究グループが描き出した。

1864年に(
The Forests of Upper Indiaトーマス・W・ウェバー著 〈インド奥部の森林〉 吉永定雄訳)ナラカンカール・ヒマールやチャンディ・ヒマール周辺に狩猟で入り、その99年後に前述の北大隊が入域、その後今まで37年間記録が無いと言う。

北大隊がスノー・ピーク(5896m峰)からいかに貴重な資料を持ち帰ったかうなずけた。

この山群と前述のチャンディ・ヒマールに今年(2000年 夏)大阪山の会隊(総隊長
吉永定雄 隊長大西保)が入域する。その中に阿部和行氏(73才)の名もあり氏ら地形図研究グループが作図した山群(1967年岳人付録概念図)に三十余年後に訪れるとは「執念」を感じます。

ナラカンカール・ヒマールの近くはインド−中国―ネパールの国境が接する地域で中国(チベット)にある聖山
カイラス(カン・リンポチェ 6714m)へはこの山群の南から入るルートがある。カトマンズ→スルケット→プラン→カイラス→シーチャンホー→ラサのトレッキングコースは日本人に盛況なようです。

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