カルマパ17世出国(亡命)


2000年1月8日(土) 読売新聞夕刊 2面
【北京発7日=杉山裕之】
チベット活仏、中国出国。 香港紙 印へ亡命と報道
中国政府新聞弁公室スポークスマンは7日、チベット仏教四大宗派の一つであるカギュー派の最高活仏カルマパ17世(14)が、最近、少人数の随行者とともに、チベット自治区ラサの寺院をはなれ、中国を出国したと発表した。行き先については明らかにしていないが、香港紙は「ダライ・ラマ14世が亡命中のインドに徒歩で亡命した」と伝えている。

同 7面
【香港7日=末続哲也】
チベット活仏出国 冬のヒマラヤ越え。 命懸け徒歩1週間以上
インドに亡命したと見られるカルマパ17世は、真冬のヒマラヤ山脈を徹夜で1週間以上も歩き通し、インド北部のダラムサラへたどりついた。米ニューヨークにあるカギュー派系団体の発表や、7日付け英紙デイリー・テレグラフが伝えたカルマパ17世の逃避行は命懸けのものだった。

2000年1月10日読売朝刊
【ニューデリー支局9日】
カルマパ17世 滞在先を出国
中国からインドに出国したカルマパ17世は9日未明、5日から滞在していたインド北部ダラムサラのホテルを出発した。行き先は明らかにされていない。地元警察は、約25km南東の寺院に移動したと語ったが、ダライ・ラマ14世の住居に向かったとの情報もある。
【北京9日=藤野彰】
中国、静観の姿勢。 複雑化おそれ「亡命」批判は避ける
インドへ密出国したカルマパ17世につき、中国政府は9日現在、まだ公式に「亡命」と決め付けていない。
「歴代カルマパの黒帽子、法器を入手するための出国。国家や民族に対する謀反ではない」との置き手紙を残したと指摘しているだけで、出国そのものについては一切批判していない。

2000年2月19日(土) 読売新聞夕刊
【ニューデリー支局19日】
カルマパ17世はダライ・ラマ14世の即位60周年式典(インド北部、ダラムサラで18日)に出席。密出国以来、二人が公の場に一緒に姿を見せたのは初めてで、両者の親密な師弟関係を示すものとなった
ダライ・ラマ14世の手をとり、即位60周年を祝うカルマパ17世の写真が掲載されている。

2000年6月29日〜5回連載 読売新聞夕刊
『地球の素顔』 ムスタン
【片岡正人記者】
ムスタンはその逃避行のルートだったこともあり、
ニュースが当地に伝わってからしばらくは、
この話で持ちきりだったという。
エピソード等も記されている。

2000年夏
亡命ルート噂の又聞き。
中国(チベット)から国境を越えネパール、ムスタンのニチュン(ローマンタン北東約5km)に自動車道路が延びており、少し歩いただけで、国境を越え、ネパール領内に待っていた某国のヘリで、ポカラ経由、インドに飛んだ、との噂。
買い物に出かける、といって亡命してしまったらしい。

今の時代(道路が中国[チベット]から国境を越えネパール領内に延びている事実)では噂の又聞きの方が現実的であると思えるが?

2001年2月5日 読売新聞夕刊
【ニューデリー5日=佐藤浅伸】
インドが難民資格付与 正式な滞在許可
カルマパ17世に難民証明書が発行され次第インド全土の移動が可能になる。しかしシッキムのカギュー派総本山のルムテク寺院訪問は中国政府への配慮で認めていない。

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