ゴータム・ヒマール
トルボ横断中、ピジョール(村 3801m)から越えたウゲン・ラ(峠5240m高度計値)やポンゾー・ラ(峠4265m同)から見えた範囲ではこのゴータム・ヒマール(現在ネパール政府が公式に使っている山群名〈後述も〉)には高い山はなく悠々たる山並みが続いていた。
「鳥葬の国」(川喜田 二郎 光文社刊)で知られたトルボの北にあり、河口慧海が1900年7月4日仏典を求め西北ネパールのトルボからチベットに入った。
根深誠氏によれば 新聞(1993年1月11日付読売朝刊)雑誌(山と渓谷692号)著書「遥かなるチベット」山と渓谷社刊及び中公文庫刊でこの山群のマリユン・ラ(峠)を越えてチベットに入域した、としているがマリユン・ラ越えを疑問とする声もある。
ピンドゥー・ラ、エナン・ラ(馬丁峠もこれにあたるのか)メン・ラなどの越境説があるが「ダウラ・ヒマール遠征 愛知山岳連盟 1965年 沖 充人 文献を中心としたダウラギリ登山史」ではナラカンカール周辺のとある峠を越えて、チベットへ、と記されていたりする。
慧海師の記述に出てくるチベット側の「白岩窟」が何処にあるかも越境した地点解明のひとつになるのではないでしょうか。
トルボからチベットへ抜ける間道は5ヶ所あるとしているが「ムスタン・トルボ周辺図」ではマリユン・ラとエナン・ラの2ケ所しか表記されていない。
「Map of DOLPO(TORBO)1974年」やTBV報告30号添付概念図「TORBO&KALIGANDAKI 1983年」ではすでにパンザン・コーラ右岸からチベットに抜ける6ヶ所の峠名と位置が記されている。
「山岳Vol.94」綴じ込み概念図には10ヶ所も有る。
慧海師は世話になった方々に迷惑をかけないように越境ルートの詳細を記していない。 “100年前どこから” を詮索するだけでもその地を調べる楽しみも有り、何処から越境したか、わからないようにしたのは我々にも夢を与えてくれたのではと思っている。
デイヴィット・L・スネルグロブ著 「ヒマラヤ巡礼」吉永定雄訳の口絵写真にあるシーメン(村 3853m)はずれのチョルテン(仏塔)が「遥かなるチベット」の表紙カバー(中公文庫)にも有り、かなり傷んでいて宗教心がうすらいできたのではないかとも思った。
その後1999年大阪山の会隊(隊長 大西 保)がトージ・ラ(峠 5124m)やモー・ラ(峠 5035m)を越え奥トルボに入域した。隊員にP−29(7871m ンガンディ・チュリ)の阪大隊で活躍された住吉仙也氏(72才)もおられた。
慧海師が越境してから今年でちょうど100年、師について話題が多く出るでしょう。興味のある人は「河口慧海 ―人と旅と業績― 高山龍三著 大明堂刊1999年」を。
「遥かなるチベット」本文中「チベッタン亡命」写真説明の「背後の氷雪嶺はカンジロバ主峰」は1971年大阪府岳連隊(阿部和行隊長)が初登頂したツォ・カルポ・カン(6556m)の間違えで、東面大障壁に有る雪のバンドは北東の峠(後述ウゲン・ラ)からも確認される。
人類初めての8000m峰を初登頂したフランスのモーリス・エルゾーグ隊の「処女峰アンナプルナ」やジャン・フランコ隊の「ジャヌーへのたたかい」を新人会員の頃読み感動した外国の登山隊に比べ、ツォ・カルポ・カン隊は比較的身近な登山隊であり、事前の目標とする山(群)の徹底的調査、隊長含め4名の小規模、ポカラから1ヶ月に及ぶモンスーン中のキャラバン、登山中の大雪で難儀など当時感銘を受けた。
また今年初頭、カルマパ17世(チベット仏教四大宗派の一つ カギュー派最高活仏 14才)が事実上、中国(チベット)からインドに亡命した。 どんなルートでチベットから冬のヒマラヤを徒歩で越えたのかも今後論議の的になるのでは。
1972年12月12日シーメン(村 3853m)からパンザン・コーラ右岸をテンキュー(村 4090m高度計値)に向かう、風もあまり無く、日が射しているのに相当寒い、柴田氏は三重靴に目出帽をすっぽりかぶり雪のない小道を歩く。私も二重靴で歩き難かった。
シーメン村人
シーメンの女
夕闇迫る午後5時雪原の中のテンキュー着。 体が寒さに馴れているはずなのにトルボ横断中このテンキューが最も寒く感じた。
12月21日、ツァルカ(村4276m)から1日行程の家一軒とチベッタンテント4張のタルキー(4410m高度計値)で停滞4日目、トージ・ラ 5124m越えをするので天候とポーター待ち。この家の娘さんが山羊の糞を燃やし、お湯を沸かしてくれ2ヶ月ぶりに頭を洗った。洗い終わったとたん髪がバリバリに凍りつき、ここも寒かった。
この「トルボ」は 富士山山頂より高所にある定住地でチベット族が住み周囲を北はネパールー中国国境山群、西はカンジロバ・ヒマール、南はダウラギリ・ヒマール、東はムスタン・ヒマールの山群で囲まれている。
中国はチベットの伝統ある寺院等を破壊してしまいチベット古来そのものがトルボに残っていると言われている。
最近はこのトルボのツァルカで外国製ビールを売っているとか、かなり様変わりしているようである。
近年 テレビ朝日「ニュース・ステーション」の「奥トルボ」。NHK「塩の道」や「風になった男…・河口慧海」等この地の放映が多くなってきた。
この地を初めて知ったのは中学生の時映画教室なる時間が有り文部省推薦映画を全校生徒で見た。その時の映画が「秘境ヒマラヤ」だった。
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