パルチュン・ハムガ・ヒマール

前述の「マッターホーン」状の山がこの山群にある。この山パチュン・ハム(6529m)は中国(チベット)側に有り、ダフェ・サイル(6103m)はネパール側という。

「ヒマラヤ名峰辞典」の航空写真ではパチュン・ハムとダフェ・サイルが重なって写し出されているが、西のツォ・カルポ・カンやカンデ・ヒュンチュリの頂上から見えるそれらの山は南北に離れている。

パチュン・ハム峰とダフェサイル峰



この近くの6000m級の山(ルンチェン・カモ東峰 6024m 大阪山の会隊初登 1999年7月7日)には夏、 雪は残っていないようであるがダフェ・サイルの日当たりのよいはずの南面にかなり残っている。特異な山岳環境なのか。






奥トルボ、ポエに単身行かれた富森 毅氏 (岳人302号 西北ネパールの山旅「下」冬迫るチベット高原の小村へ)から数葉の写真を以前いただいていた。
その中にこの山(6529m峰)が写っていた。当時変った名前だなと思っていたが後日気がついた。

富森 毅氏が1970年11月撮影された画像および説明は
1972年提供していただき、2001年2月4日使用に関して了承をいただきました

リンモ(1970年10月27日) ンガンダ・ラ(1970年11月2日) ピジョール(1970年11月5日)
糸つむぎと機織り リンモの村長
ダワ・ツェリン(左)と
娘婿のラ・ギャップ
右奥はシェルパの
アン・ギャルツェン・ノルブ

ヨンブ・ラ(1970年11月5日)
ポエ(1970年11月8日)


バックの山はジュムロン
(5601m)
青矢印の山名はポーキュン・ハムカ(岳人302号)


ヨンブラ(4840m)よりチベット国境の山々(1970年11月5日)



ポエ(1970年11月7日)ヤクの解体 ポエ(1970年11月8日)
ヤクの解体 
腕組みはシェルパのアン・ギャルツェン・ノルブ
右写真のピジョール村長が肉を買いに来た。
ピジョル村長ダワツェリン
リンモ村長と同名



ポエ(1970年11月9日)
左より
アン・ツェリン(シェルパ)、
アン・ギャルツェン・ノルブ(シェルパ)、
ピジョール村長
右奥ポエのラマ
他、ポエの人達
最左のシェルパはこの5年後に女性(田部井淳子氏)が
エベレストに初登頂した時のシェルパ。



1972年12月8日ピジョールからカラン(村4100m高度計値)に越える峠(ウゲン・ラ5240m
高度計値)からは「マッターホーン」状の山は越えた尾根上の山に邪魔され写真にもなかった。

東に「山」の字に配置された3峰や西にカンジロバ・ヒマールの北東部が見渡され、
ツォ・カルポ・カンはひときわ高く東面は頂上からスッパリ切れ落ちていて、かつてはカンジロバ・ヒマールの第二高峰と言われていたのに納得した。
カンジロバ主峰は雲で確認できなく、高曇りの冴えない天気で峠から雪面のかすかな踏み跡を頼りに東のカランに下っていった。

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