マリユン・ラ説 (1993年 根深 誠氏)

 慧海師記述と次の3項目と適合する峠はマリユン・ラ(峠)しかなく、おのずとあきらかであると著書「いつかみたヒマラヤ 根深誠著 実業之日本社 2001年」で記している。

1. 峠に至る道は北に向かっている。
2. チベット側に3つの池がある。
3. 池(チベット側の池)の形状は大きいか小さいかしか、わからないのに現地民は長池、丸池と表現しているのを聞き慧海はそれを記述したのだろうと。
 
 読売新聞 1993年1月11日朝刊 『慧海の潜入ルート確認』の概念図によればトルボ最大の聖地シェー・ゴンパには立ち寄らず、ツァルカ村からテンキュー村に行き、シーメン村手前のパールからパンザン・コーラ右岸支流奥のマリユン・ラを越えたとしている。慧海師記述では長池、丸池、瓢池が上流から下流に並んであると読み取れると著書「遥かなるチベット 根深誠著 山と渓谷社1994年や中公文庫 1999年」で記しているのに、「いつかみたヒマラヤ」では上流から丸池、長池の順にあり、瓢池は消滅し、湧き水だけになったと記されている。
越境峠に関して新聞報道、山岳雑誌、著書3冊などで自説を述べられ、この峠(マリユン・ラ)の踏査を2回している。胃潰瘍の重病ながらこの峠を踏査した気力には驚いています。

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