河口慧海越境峠説
1900年(明治33年)7月4日 西北ネパール、トルボから国境峠を越え、チベットに越境し、日本人として初めてラサに入った河口慧海は越えた峠を明記しておらず、いくつかの越境峠説がある。
△ | 河口慧海の概念図 | |
△ | シーメン付近 | |
△ | テンキュー付近 | |
△ | ナラカンカールの、とある峠 | |
△ | マレム峠かヤナン峠 | |
△ | ピンズ・ラとナムジャ・ラ間の峠 | |
△ | 馬丁峠 | |
△ | マリユン・ラ | |
△ | マリム・ラ以西の峠 | |
△ | エナン・ラ | |
△ | クン・ラ | |
△ | マンゲン・ラ | |
△ | ゴップカル・ラ | |
△ | ひとりごと | |
△ | 資料 | |
△ | 奥トルボに入った日本人女性 | |
△ | 顕彰碑 |
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