テンキュー村付近 (1967年西岡京治氏)

 1958年西北ネパール学術調査隊(川喜田二郎隊長)の登山班小方全弘、西岡京治、並河治、曽根原悳夫の諸氏が幻の山(当時そう呼ばれていた)カンジロバ主峰を求め奥トルボのラングー・コーラ(ナムラン・ルンバ)の北側にあるカンテ・ヒマール南面深くまで入った。
そのメンバーだった西岡京治氏は河口慧海がヒマラヤを越えた地点をこう推測している「おそらくテンギュー(村)の付近ではないかと思われる。ネパールとチベットの国境山脈もツァルカ(村)とシーメン(村)の間では比較的なだらかで、山も他の場所と比べると深くなく、越えうる可能性が最も高い。これより西へ行くと、岩山と渓谷がけわしく不可能である」と「チベット旅行記」(長沢和俊編)の解説や旅行雑誌「旅」に深田久弥氏が書いている。
 また、慧海はシェー・ゴンパに参拝した後、少し戻ってテンギュールの少し北にある≪メ≫という川を遡り、5200m〜5300mくらいの峠を越えて、チベット入りをしたのではないだろうか。・・・と言うのが西岡君の推論であったと小方全弘氏が白水社の小冊子、月報8に記している。固有の峠名は示していない。

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