西北ネパールの山 その2
絵葉書といえば有名な景観などが使われ、大多数の人はその絵を知っているのが普通ではないでしょうか。しかし、これらの絵葉書は知られていない山域の山が写し出されています。そして、クビガングリ(ジェマヤンズン・ヒマール 杰瑪央宗康日)の写真は極めて貴重なものです。ネパールから二通の絵葉書を(2000年)の初夏、大西 保氏よりいただいたものです。(絵葉書使用につき2001年6月28日に御了解をいただきました)
(原画はカラー)
山に表と裏があるならば、この山のことを言うのか。あまりにも南面と北面の印象が違う山で、ティリ・カン6369mがその山です。ティリ・カンと呼ぶのは南側のティリ・コーラ(ティリ村)からで、頂上から南側は大障壁。北側は頂上から下まで切れ目ない雪で、下部にサジャ氷河が大きく広がり北隣りの6395m峰樋状の岩壁基部をもなめ、サジャ・コーラに流れています。ガスが切れた一瞬を見て、驚嘆の声をあげたそうで、ジェマヤンズン・ヒマール(2枚目の絵葉書)のような、巨大なキノコ雪が頂上直下に見えたのでしょう。南側は岩壁、北側は積雪(氷河)が特徴と、吉永定雄氏はすでに指摘しています。その典型的な山ではないでしょうか。
ナラカンカール6062m峰は登山規則 Aグループの山ですが(この絵葉書の右にあり、写っていない)登攀に値しない山だったと。かつて『幻の山』といわれた山、ナラカンカール(6062m)もあっけなく初登頂(大阪山の会 2000年7月6日)されました。1963年に北海道大学隊もナラカンカール最高峰6422mの東、約6.4kmにあるスノーピーク(5896m)からこの山群を撮影しています。チベット側にはナムナニ峰(7694m)ゴナルファ峰(6902m)、マナサロワール湖やラカス湖、そして聖山カイラスがあります。チャングラ・ヒマールのチャングラ南西峰(6162m)から西へ直線距離で約70kmも離れたナラカンカール・ヒマール核心部を見事にとらえているのも驚きです。
(原画はカラー)
西北ネパール、チャングラ・ヒマールの東(チベット側)にある山でNHK−TV「シェルパ」に映しだされていて、その形相の凄さにおどろいた山です。スエン・ヘディンは1907年にこの山群の東側に入り資料を残しています。この山はヘディンの言うどの山なのか約100年前の地図とスケッチで見当をつけるのもいいでしょう。南側(向こう側)はどうなているのか見たくなります。先駆者以降、政治的事由や地理的辺境の地で入域が難しかった事に加え、チベット仏教カギュー派最高活仏カルマパ17世が昨年、事実上中国(チベット)からインドに亡命したあおりやマオイスト(ネパール反政府武装組織・ネパール共産党毛沢東主義派ゲリラ)の猛威等で倍加されなければと思います。西北ネパール国境周辺の山々で前述のティリ・カン(6369m)やこの山(ジェマヤンズン・カンリ(6577m)、パチュン・ハム(6529m)、カンティ・ヒマール主峰(6859m)等を勝手に秀峰と決め付けています。東ネパールのような高峰群ではないが魅力ある山々の宝庫で、知り尽くされた山に飽き足らない人が解明していくのでしょう。
この絵葉書もチャングラ・ヒマール南西峰(6162m)から撮影され、初めて写真で公開された貴重な一枚です。その後、日本山岳会京都支部 支部だより No,67 2002年6月15日にこのクビ・カンリから極西ネパールのナラカンカール・ヒマール、チベットのナムナニ峰、そしてチャンディ・ヒマールのパノラマが掲載されている。
概念図はCharles Allen著 A Mountain in Tibetの本文中のもので1864年この地に狩猟で入ったエドワード・スミスらと前述のヘディンの踏査概略が記されています。河口慧海も1900年に西北ネパールからチベットに入国した最初の日本人で、この付近を通り聖山カイラスを巡礼、そしてラサに行っています。山、以外に三ヶ所の水源も記されています。この概念図から外れていますがカイラスの北にあるシンギ・カンバブ(獅子の口)はテレビ朝日で昨年放映されました。
西北ネパールのトルボで撮影された映画「キャラバン」(監督エリック・ヴァリ 音楽ブリューノ・クーレ)を見て、1970年奥トルボ、最奥の村『ポ』に単独踏査された、富森 毅氏の記録とオーバーラップするものがあった。
2001年1月記。
資料: AAJ及びHJ
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