大阪山の会会員で1966年、吉永定雄氏らと船でアメリカに渡りアメリカ大陸を車で移動し、岩場を登りまくったメンバーで、最近では1997年 西北ネパールにある カンティ・ヒマール北面偵察、2峰に初登。98年カンティヒマール主峰(6859m)の南面(ネパール側)から試登後チャングラ・ヒマールのチャングラ南西峰(6162m 98年10月3日)に初登。この時の映像はNHK―TV『シェルパ』で放映される。98年暮れから99年正月に極西ネパール セティ川上流に入り「ヒマラヤ名峰辞典」の間違えを指摘。1999年春、西北ネパール禁断の地『トルボ』に入域し、100年前日本人で初めてチベットに密入国した河口慧海師がどの峠を超えたかを調査し根深 誠著 「遥かなるチベット」 山と渓谷社及び中公文庫刊のマリユン・ラ(峠)越境説に疑問をなげかけた。その時にルンチェン・カモ東峰(6024m)に初登、毎年かなりな日数を海外登山に向けておられ、スポーツドクター塩田純一医学博士著「中高年登山者のための生理学」本の泉社 1999刊に名物登山家として登場しています。氏も山岳同定の権威です。海外登山暦を記しておきます。
ロッキー山脈(メキシコ、アメリカ、カナダ)  '66
ネパール・ヒマラヤ  '72, '76, '80, '82, '84, '85/'86, '87, '88, '89, '90, '91, '92, '92/93, '93, '94, '94/'95, '95, '95/'96, '96,'97,'98/99 '99 '00 
ヨーロッパ・アルプス   '91
パキスタン   '87
チベット   '91
韓国(週末に行っている)
中国(北朝鮮との国境にある白頭山等)


吉永定雄、大西保両氏らは2000年プレモンスーンに極西北ネパール、ナラカンカール・ヒマールに行かれナラカンカール(6062m 2000年7月6日初登)ナラカンカール南峰(6024m 2000年7月7日初登)Changwatang(6125m2000年06月28日初登)ネパール最北の国境峠(ラプチェ・ラ 拉則拉5018m)、ロルン・ラ(4953m)や無名峠(4953m)などに立っています。
2002年夏には中国(チベット)国境沿いのムスタン・ヒマールに入域し、2002年4月、日本山岳会 Japanese Alpine News Vol.2でMUSTANG HIMAL(英文)を吉永定雄氏と執筆されています。
2002年7月 ムスタン・ヒマールのアルニコチュリ(6034m)にサーダー(シェルパ)夫妻と共に初登頂する珍しい記録。
また両氏の蔵書(和書、洋書、地図)も膨大な量で、貴重なものが多数あります。

絵葉書に戻る
トップページに戻る