今回は、うちのマシンの近況からちょっと離れて、APPLE
の話をしたい。
DOS/V 日記といいながら APPLE
の話題というのも脱線しているのは単なる愛嬌。
最近は Machintosh 、通称 Mac の方が
APPLE より、名前の通りがいい。
下手すると、あのかじりかけのリンゴのマークは Mac
のロゴだと思っている人の方が多いくらいかも知れない。でも、リンゴのロゴ=APPLE
のロゴであって、Mac のロゴではない。
そもそも、APPLE
が創業した時、イブがかじった禁断の果実(知恵の象徴でもある)からとったもので、APPLE
のポリシーをあらわしているのだ。
Mac
は登場からしばらく、私にとっては存在しない PC
だった。親のすねをかじってる身分にとっては高嶺の花だったからである。
先輩が社会人になって
SE/30(モトローラ製68030搭載)を購入するのについていったとき、100万円近くしたのにはノケゾリってしまった。
実際のところは、80万とか90万だったのかも知れないけど、学生だった私から見れば同じようなもの。当時、PC9801
の最新モデル(VXだったかなぁ)が 30万そこそこだったのだ。
それでも先輩の弁によるとかなり安い買い物だいう。今の感覚だと、SGIのワークステーションを個人で買うようなもんだよ。
なにより衝撃だったのは、その洗練されたユーザーインターフェース。GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)は今でこそ珍しくないが、Mac
は、今の Windows98 ができることを当時すでに実現していた。
それから何年かして、何の因果か、Mac
での開発の仕事に携わることになったけど、やはり最初の印象通り、その洗練されたコンセプトは、当時の
PC にはないものだった。
APPLE
の定めたユーザーインターフェース・ガイドラインは目からウロコだ。ユーザーがマニュアルなしに複数のアプリケーションを使いこなせるよう、「使い勝手」を統一する方法が明示されている。
ToolBox と呼ばれるライブラリ群。Mac
は開発者に対してハードウェアを解放しない。
いずれも、今の Windows 系 OS
では当たり前のことだが、当時主流だった MS-DOS
に比べて夢のような(開発者にとっては悪夢だけど)世界だ。
また、開発のために張り巡らされた LocalTalk
を使って、フライトシミュレータで空中戦をやったりもした。社員がそんな不謹慎なことばっかりやってるから、私が当時いた会社は潰れてしまったのかも知れない。
そして今、Internet
を使ったゲームが普及し始めている。きっと、ここ1、2年で大ブレークすると思う。
APPLE は常にずっと未来を見せてくれる PC だった。
じゃあなぜ私は
DOS/V ユーザーなのか。
DOS/V ユーザーになる前、私は NEC PC98 ユーザーだった。Mac
で飯を食っているにも関わらず。
PC9821As2 を購入する際にかなり悩んだ。DOS/V vs PC98 vs Mac
の三つ巴だ。
結局、選んだのは PC98 だ。理由はいくつかある。
すでに PC98
用のソフトを何本も持っており、他のマシンを使用すると全ての資産を捨ててしまうことになる。
APPLE
用のソフトは高かった。しかも、日本語ワープロではどう考えても一太郎に太刀打ちできる製品がなかった。
DOS/V
は都市圏で普及し始めていたが、地方では周辺機器の入手が困難で、手に入ったとしても高価で、オマケに情報も少ない。三重苦である。
こうして、PC98 を使い続けることになった。
DOS/V マシンに移行したときは、DOS/V
を導入する障害は全くなくなっていた。
Windows
が普及したおかげでソフトウェア資産はそのまま利用できたし、地方ですら
DOS/V
のパーツの入手には苦労しない。秋葉原のショップが支店を出したことで、価格も秋葉原と比べて遜色ない。
この時点で、私にとって APPLE
はもうどうでも良い存在になっていた。
ユーザーインターフェースの面では、Mac
との違いは昔ほど大きいものではない。少なくとも、私には許容できる範囲のものだ。
Mac の世界は閉じている。自作 Machintosh
なんて聞いたことあるかい?CPU
をアップグレードするのだって半端な金額じゃない。そこには何の競争もないのだ。
この時、Mac の進化は足踏み状態だった。CPU パワーでこそ
Pentium を凌駕していたものの、全ての局面で DOS/V
マシンを超えるのは膨大な投資が必要だった。
iMac によって APPLE
は復活を果たしたというのが、大方の見方である。
でも、ちょっと違うんじゃない?
いや、ぜーんぜん違うんじゃない?
確かに iMac
はデザインセンスが良くて(個人的には好みじゃないけど)、カラフルかも知れない。
周辺機器のインターフェースを USB
に絞ったというのも、ユーザーの使い勝手を考えても、コストの面でも納得がいく。
暫定 CEO のスティーブ・ジョブス氏の、生活空間で使える PC
というのは、コンセプトとして正しいと思う。
でも、それがリンゴのロゴに対する解答なら、あまりに悲しすぎる。
例えば、SONY の VAIO
は昨年最大のヒットである。しかし、その最大の特徴であるデザイン−マグネシウム合金ボディは、他のメーカーがこぞって真似をして、みんな
VAIO もどきになってしまった。
iMac
のあのカラフルなボディだって、他社が真似るのは分けないだろう。APPLE
の APPLE
たる所以は、デザインを含めて、常に新しいコンセプト(しかも我々が考えもつかない)を提供し続けることにある。iMac
はその意味で充分な製品ではない。
少なくとも私は、APPLE に Microsoft
のような妥協的製品は出してほしくない。
もし、「生活空間」で使えるというなら、キーボードやマウスが標準でついてるっていうのはどういうこと?「パソコンだからそれが当たり前」では、APPLE
の存在意義はない。
日本のゲーム機メーカーは、充分にはほど遠いものの、ある程度の答えは出している。Microsoft
は次期のコンシューマ向け OS
では音声認識を標準装備すると発表している。
コンシューマ向けをターゲットとするなら、APPLE
としてどのような答えを出すのだろう。
先日、深夜のニュース番組で木村太郎氏がスティーブ・ジョブス氏へのインタビューを行っていた。
ジョブス氏は、PC はまだまだ発展途上であるといい、APPLE
は投資効果を集中して新しい製品を開発すると約束していた。そのために、Newton(APPLE版モバイルPC)プロジェクトを切り捨てたのだと。
(でも、インターネットに15分で繋がる程度のために Newton
を切り捨てるなよな)
それだけの心意気があるなら、APPLE に期待したい。
10年前のAPPLE
がそうであったように、10年後の PC
の夢を我々に見せてほしい。