2002年11月25日 幸せはまとめてやってくる


 私は、週の半分は酔っ払っています。
 週の残りの半分は酔っ払っていなくても平気なので、アルコール依存症ではありません、念のため。

 酔っ払いながら考えたんですよね。
 コンピュータの話なんか書いているより、酔っ払いの話のほうがよっぽど面白いんじゃないでしょうか。
 でも今日の話は、多分面白くありません。他人の不幸は蜜の味といいますが、この話は不幸ではなく、少し幸せになった話です。(単に自慢したいだけ...)
 それ以前に、酒好きの人じゃないと、多分何の話だかわかんないかもしれません。
 きっと、わからないと思うので、一世を風靡した田中康夫の「なんとなくクリスタル」風に注釈をいれてみました(古ぅ〜)。

1.バー「D」

 ある日の夜、仕事が多少早く終わったので、往きつけのバーのひとつ、バー「D」で飲んでいました。
 ウィスキーをさんざっぱら飲んで、かなりいい気持ちになったので氷のお代わりを断ってそろそろ締めようかと考えていたところ、
「ところでさぁ、そこの酒屋でちょっと面白いものが置いてあったんだけど、試してみる?」
とマスターがなにやら取り出したのでよく見ると缶ジュース。「おいおい、客に缶ジュース飲ませるようになっちゃったのかい、この店は」とツッコミそうになりながら缶を見ると、輸入物の見慣れない缶です。
「クラマト(注1)...ありゃりゃ。こんなものよくもまぁ、静岡で手に入りましたね。っていうより、実物見るの、生まれて初めてだけど」
「これさぁ、レモン・ハート(注2)の中で、ブラッディ・マリー(注3)のトマトジュースの代わりに使うシーンがあってね。しかもウォッカの代わりにペルツウォッカ(注4)を使うんだよ。ちょっと試してみたいんだけど、どう?」
 俺はモルモットかい。
「クラマト使うと、ブラッディ・マリーっていう名前じゃなくって、ブラッディ・シーザーって名前になるはずだよ。飲んだことないけど」
 飲みたくてしょうがないんだけど、こっちも年季の入った酔っ払いなので、一応ウンチクならべてみたりする。知識はあっても、飲んだことがなきゃ話にならないんですけどね。
 まずはジュースそのものの味見となりました。
 原材料のところを見ると調味料やら着色料が入っていて不味そうでしたが、実際に飲んでみると、なかなかの美味。調味料といっても化学調味料ではなく、普通の調味料を使ってるんでしょう。暖めてそのままスープとして飲んでもよさそうだし、煮込みのダシにしてもよさそう。となれば、カクテルを試してみないわけにはいきません。
「ブラッディ・マリーの要領で作ればいいんだよな。ウォッカが45cc」
 普通のウォッカの分量でトウガラシ入りウォッカを入れると、とんでもないことになります。「そんなにたくさん入れたら辛くて飲めたしろもんじゃない」私は、半分悲鳴混じりに答えました。
「じゃぁ、35ccにしとくか」
 そういう適当なノリで、マスターが作ったブラッディ・マリー、いやブラッディ・シーザーが私の前に置かれました。恐る恐る、毒見。失礼、味見です。
「ん、うまいよ、これ。ばっちりじゃん」
 マスターはシェーカーのキャップから味見。
「お、ほんとにうまいね」
 うまくないと思ってたのかぁ(そんなわけはないのは承知でツッコミ)

 このブラッディ・シーザーというカクテル、名前は聞いたことはあっても実際に飲むのは初めて。
 感激のあまり、私は昔話を始めました。
「俺さぁ、死ぬまでに一回飲んでみたいカクテルがあるんだよね」
「ふぅん」とマスタは適当な相槌。
「レイモンド・チャンドラー(注5)が好きでさ、死ぬまでに一度でいいから『長いお別れ』に出てくるローズ社のコーディアルライム(注6)で作ったギムレット(注7)を飲んでみたいんだよね」
「ローズ社のコーディアルライムなら、バー『M』のSがイギリスに行ったときに大量に仕入れてきてたよ」
「なんですとぉ?」
「まだ残っているかも知れないから、今度行ってみたら?」
 バー「M」は知らない店じゃないけど、あまり行ったことがないんだよなぁ。
「そうするよ。...そろそろお勘定」
「おぅ、ありがとう」
 勘定を済ませて店を出ました。

 とりあえずクラマトジュース買っていこう。バー「D」が仕入れる酒屋の場所はすでにわかっています。なんたって、「D」が入っているビルの出口のすぐ脇ですから。
 確かに、棚にずらっとクラマトが並んでいました。早速、4本購入。


2.バー「T」

 次に向かった先は(って、家に帰れよ...とツッコミ入れないでください)、これもまた往きつけのバー「T」。私は週2、3回はこのバー「T」で管を巻いています。
「こんばんは、マスター生きてる?」酔っ払いとはいえひどい挨拶をしながらドアを開けます。
「あ、いらっしゃい」とマスターと奥さん(二人でやっている店です)。「遅いけど今日も仕事?」
「バー『D』でちょっと飲んできたんですけど。ところでマスター、ブラッディ・シーザーって知ってる?」
「そりゃ、もちろん。バーテンダーですから。でも、静岡じゃクラマト手に入らないからね」
「それってこういう缶に入ってるやつですよね」
 お約束のタイミングで、私は先ほど購入したクラマトジュースをカウンターの上に置きました。
 怪談でのっぺらぼうに出会った主人公がほうほうの体で町人に助けを求めると、町人が自分の顔をなでながらこういいます。「それはこういう顔だったかい?」そこにはのっぺらぼうの顔が。ギャーッ。というのが元ネタ。
「おっ、こんなもの、どこで買ったの?」
 そこで、バー「D」でのブラッディ・シーザーの話をひとしきりしました。
「でね、マスター。もうひとつ面白い話を仕入れてきたんだけど」
「クラマト以外に?」
「バー『M』のSさんなんですけど」
「Sがどうかした?」
「この間、イギリスに行ったらしいじゃないですか」
「そういやぁ、そういうことをいってたな」
「そのときに、ローズ社のコーディアルライムを仕入れてきたらしいんですけど」
「ほんと?」
「Hさん(バー『D』のマスタ)。マスターのコネで分けてもらうように頼めない?」
 この一言で事態は急展開を見せました。
「おい、バー『M』のSに電話して、ローズ社のコーディアルライムあるか聞いてくれ」マスター、行動早すぎ。それに奥さんに頼まないで、電話くらい自分でしてくれ。
 奥さんは少しあきれた顔をしてから、電話を始めました。
「バー『T』のTです。Sいる?...そう。ところで、そっちにローズ社のコーディアルライムが入ったって話聞いたんだけど本当?うちのお客さんでちょっと飲んでみたいっていう人がいるんで、分けもらえるかな。...そう、わかりました。じゃあ今からとりに行きますから、よろしく」
「え?今からですかぁ」
「それじゃ、ちょっといってきます」奥さんはそういい残して店を出て行きました。
 あまりの展開の速さに「いってらっしゃい」とありきたりの言葉しか浮かびませんでした。

3.ギムレット

 それから数分後、マスターの奥さんが小さなボトルを持って帰ってきました。
「これだけあれば、充分でしょう」
 はい、充分です。飲みたいのは一杯だけですから。
「たしか、『長いお別れ』に出てくるレシピってのは、コーディアルライムとジンの割合1:1だったかな」とマスター。
「んなわきゃ、ないでしょうが。それじゃ、甘すぎて飲めたもんじゃないですよ」
「じゃあ、オフィシャル(注8)の1:3で作ってみようか」
 そういいながら、マスターはギムレットの調合を始めました。
「このギムレット、死ぬまでに一度でいいから飲んでみたかったんですよ。これを飲むまでは死ねない」
「大げさな」
 バーではこういったひとときが、もっとも幸せな時間でしょう。
「さっきから、顔が緩みっぱなしですよ」
 マスターの奥さんから冷やかしが入ります。そりゃ、顔も緩むってものです。
「あ、マスター、お代わり。同じものでね」
こうして、私の人生の幸福な一日が過ぎていきました。

 で、翌日は二日酔いでしたよ。ウィスキーを散々飲んだ後にカクテル飲めばそうなるのはわかっていたんですが。
 「神様、もうお酒は飲みませんから、この頭痛を何とかしてください...」そう思いながら、ずきずき痛む頭を抱えて、出張の新幹線の中でさっき飲んだバファリンが効いてくるのを待っているのでした。
 でも、結局今日も飲みに行っちゃうんだろうなぁ。

おしまい


後日談その1
『長いお別れ』に出てくるギムレットのレシピを調べました。マスターの言うとおり、コーディアルライムとジンの割合は1:1です。死ぬまでに一度は飲んでみたいといいながら、レシピはうろ覚えでした。
今、反省しながら『長いお別れ』を読み返しているところです。

後日談その2
この話から一週間ほどたった日曜日、コーディアルライムをいただいたバー「M」へ飲みに行く機会がありました。コーディアルライムだけでなく、当時のギムレットを作るのに欠かせないプリマス・ジンも置いてありました。ただし、その日はあまり体調が良くなかったため、ギムレットは飲みませんでしたが。

注1:クラマトというのはアサリ(クラム)とトマトを混ぜたスープの缶詰で、確か登録商標です。

注2:レモン・ハートというのはバーが舞台のマンガで、バーテンダーの方々の中では結構人気があるらしいです。BearCatは読んだことありません。

注3:ブラッディ・マリーというのはカクテルの名前で、ウォッカをトマトジュースで割って、好みでタバスコや塩、胡椒、レモンを足して作ります。

注4:ペルツウォッカというのは、トウガラシを漬け込んだ辛いウォッカです。

注5:アメリカを代表するハードボイルド作家。フィリップ・マーロゥを主役とした探偵小説の中でも「長いお別れ」は最高傑作といわれています。

注6:コーディアルライムというのは甘みをつけたライムジュース。その昔、フレッシュライムが手に入りにくかった時代に作られたらしい。

注7:注釈が多くてすいません。ギムレットはライムとジンを使ったカクテルで、コーディアルライムではなくフレッシュライムを使う場合は甘みを足すのが一般的。

注8:オフィシャルというのは日本バーテンダー協会公認のレシピのこと。

バーの名前は頭文字だけですが、実際に存在するバーです。
それから、なにぶん酔っ払っているときの記憶を頼りに話を書いているので、少々大げさに脚色している部分や、事実に沿っていない部分もありますが、大まかな筋はあっていると思います、たぶん。


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