・・・・・・・  ・・・・・・・  ぶみのちっちゃい観劇劇場  ・・・・・・・  ・・・・・・・

雪組博多座公演
ミュージカル・プレイ 凱旋門 ‐エリッヒ・マリア・レマルクの小説による‐
脚本 柴田侑宏 演出・振付 謝珠栄

レビュー・ロマネスク パッサージュ−硝子の空の記憶−
作・演出 荻田浩一

2001年8月

***その1***


開演前 みんなこの日が来るのを待っていた  博多座公演はすでに昨年末から決定はしていたけど、まさか、作品がこの2本立てになろうとは。確かに「え〜、デパストは〜?猛きは〜?」と思いますが、この、巴里2部作、というところに、大きな“意義”を感じるのです。 また、その豪華さに胸ときめかせているところ、専科からの出演が、ぶんちゃん(絵麻緒)&こうちゃん(汐風)。ぶんちゃんのボリス〜(本当はアンリが観たかった)素敵〜。そして、こうちゃんヴェーベル先生が帰ってくる! 私の血圧は上がる一方。なにをするにも、合言葉は『博多』。また、ジョアンに会える、ラヴィックに会える、『パッサージュ』のオープニングで、ぶん×ぐんが観れる〜わぁぁぁぁ〜〜〜(ぶみ・駆け回り)本当に早い時点でテンションがあがりすぎて、一時はどうなることかと、思っていたら・・・

開演直前 世界が終わった景色が  平成13年7月24日。その日に行われた行事は、決して忘れられないものとなった。『月影瞳退団記者会見』。いつかはやって来る、でも、そのことすら信じたくない、終わりを告げる足音。 ぐんちゃんは、ジョアンをやったときに、退団の2文字を考えたという。あの難しい、およそ宝塚の娘役の域から外れた、ジョアンという役を、大劇場でこなした。 更に、自分自身消化不良だったから、と、東京では全く最初から役作りをしなおした、ジョアン。 博多で、再び、ジョアンに出会う。博多公演の観劇前に、退団話を聞いていてよかった、な。。。

第一幕 生まれ変わった日の−凱旋門−  役代わりがほとんどで、大劇場・東京・博多と、3公演演じているのは、ラヴィック・ジョアン・フランソワーズ・デュラン・クラリスの5人だけ。 更に、大劇場時の役代わり公演と、東京時の新公を含めると、5パターンもこの『凱旋門』は演じられているわけ。それも、みんな大幅のキャスト変更で。 バウ組に半分抜けて、退団者あり、組替えあり、で、出来上がったこの博多バージョン。幕が開いて、作品の素晴らしさと、雪組の底力に、客席でうなりました。
 “泣く”のは覚悟してしました。が、あんなひどいことになろうとは・・・もう収集不可能なくらい泣きまくり、通算降涙量は、おそらく過去最高。 懐かしさに泣き、再び観劇していることに泣き、対ぐんちゃんの雑念に泣き、正直に物語に泣き、もう自分でもなにがなんだかわからず泣き・・・休憩時間は、ぐったり、しながらも、水分補給。その繰り返し。
 なにから書いてよいのか、本当に戸惑うほど“生まれ変わった”凱旋門になってました。役が替わった方は当たり前ですが、一番かわってしまったのが、3回目を演じている、月影ジョアン。それはそれは、可愛くって、いとおしくって、どうしましょう、というジョアン。 正直、大劇場・東京のジョアンは、共感はするけれども、人間としてあまり好きではありませんでした。が、この博多のジョアンは、心から、なんてかわいい!と思えたのです。 いままで、ジョアンの印象的なシーンはラヴィックの部屋での「危険な女」の会話のところでした。ジョアンからキスするのが素敵だったんです。 が、博多では、今まで結構さらっと観ていたアンティーブの♪宝石一杯のトランク盗んで〜のシーンが、とても印象深くなってしまいました。そこのジョアンはとびきりキュートです。
 ジョアンがかわると、ラヴィックもかわる。今度の轟ラヴィックは、ジョアンに対して、とてもやさしくなってました。だから、余計にジョアンの死のシーンは、泣けるのです。 瀕死のジョアンに、必死で話し掛けるラヴィックの一言一言が、胸にぐっときてしまい、♪生きることが〜からは嗚咽になってしまいました。このシーン以降、物語は一気に進みますが、博多ではラストの戦闘シーンが無くなり、ラヴィックの「灯火管制か― 」の台詞で幕を閉じます。 客席は、救いようの無い感情のまま、終わらなければならなくなり、だから余計に私は、ジョアンとの別れ、ボリスとの別れを、ラヴィックに感情移入してしまい、客席でイシちゃんに憑依してしまったというか、されてしまったというか… 以前も、舞台にいるのは、轟悠ではなく、ドイツ人外科医ラヴィックなのでは、と思いました。けれど、まだこの人も前進できたんだ、まだあの上があったのか、とただただ感動。
 3人目の(全部入れたら5人目だけど)ボリス、絵麻緒ボリスは、明るくやさしい人でした。正直“巴里祭”の前奏がながれ、ぶんちゃんが歌いだした瞬間に、あまりの爽やかさに、あの巴里の街に違和感を持ってしまいました。 タータン(香寿・大劇場)とコウちゃん(汐風・東京)のボリスは、ラヴィックより少し年上。穏やかに見守る懐の大きいヤツ。という感じで、割合と印象が似ていました。が、ぶんちゃんボリスをみて「こんなボリスがあったんだ!」と目からウロコ。 明るく、暖かいボリス。今回のぶんちゃんは、ボリス自身の個性、よりも、狂言回しに徹した、というような印象を持ちました。廻りの人に対しての接し方ひとつで、あんなにあたたかいボリスになるとは! 中でもラヴィックを、時には否定しながらも、でも一番あたたかく見守っている。そして、ラヴィックを通して、ボリス自身は理解不可能な女性ではあるけれど、ジョアンも見守っている。 今回、ラヴィックとジョアンの二人の愛が、物語中際立って見えたのは、きっとボリスの役作りがかわったからでしょう。
 帰ってきた汐風ヴェーベル。やっぱり私の大好きなヴェーベル先生でした。「なにもかも分からんよ」の台詞は、より一層やりきれなさがアップ。ぶみの降涙量もアップ!
 印象に残った人を中心にずらずら行きます。成瀬マルクスはずっとかわりませんが、“死の鳥”を極めた、といっても過言ではない!よりシャープに、逃げ足早く、でも決して冷酷な人ではなく、彼自身の人間味も溢れていて。 ローゼンフェルトと会話をしていることが多く、二人のやりとりが、今回とても印象に残りました。その天勢ローゼンフェルト。一番少年らしさが強く、一体何歳なのか分からない。でも不自然じゃない。 「ぼくのゴッホは本物だ!」前後の台詞もとてもよく、3人のローゼンフェルトの中て、私は一番いづるんが好きかも。  帰ってきた千咲ユリアを支えるのは、3人目、未来ハイメ。まりあは文句なし、ぴったりですが、ハマコちゃんは期待通りの熱い男でうれしい。“スペインの勇士”ですから。 でも戦場から抜け出すのは、よほどのことでだったんだろうな、とか、両親を亡くしたユリアと再会の図、とかまで想像してしまえるほど、人間的に充実した役作りでした。(凱旋門外伝〜ハイメとユリア編書きたいです・笑)  ビンター一家も、やっぱり、こんな時代でなければ、結構いい暮らしをしていたんじゃないかな、と、私の想像欲を掻き立てる家族でした。夢園オットーは、もう本物の子供で(笑)泣かせて頂きました。 “いのち”の合唱のとき、最後のほうで、みな、明日への希望を抱き、それまでの悲痛な表情に少し光がさしたような表情にかわるけれど、その中でとっくんが、とてもいい顔でにこっと笑ったのを見逃しませんでした。 大人はあの時代、あの表情は作れません。その笑顔がものすごく胸に響いて、新たな泣きのツボができちゃいました。  蒼海ヴィーセンホーフの返り咲きですが、とっても芝居がよくなっていてびっくり。オテルでの、ルートと別々にいるときが、思いが込み上げていて、情緒不安定な感じがよかったです。  天希アンリは、今回期待大で観ましたが、見た目も内容も、期待通り。ぐん×ちー坊の同期コンビとして観ると、それはもう期待以上のカップルで。アンティーブのジョアンの、この上ない楽しそうな顔を見ていれば、ラヴィックのあの激そっけなさは、納得! ボンボン故のわけ分からなさに、男の意地のようなものも見えて、ジョアンにからみ付いていました。
 あの、普段の半分の人数で、本公演に変わらない素晴らしい舞台を博多に甦らせてくれた、雪組&専科の皆さんに、本当に感謝しています。いい作品だから、というのももちろんですが、これだけやり込んでいるからこそ出来ること、という部分が、圧倒的に心にしみました。 上でも少し書きましたが、今回ラストの戦闘シーンがない。「余分なのでは」との声は以前ありましたが、そのシーンがないからこその感動と、あるからこその感動と、両方味わえたのは、すこしおいしかったです。 ただ、個人的に、あのシーンがないと、休憩時間が始まり、明るくなってきているのに、下を向いて、顔をハンカチまたはタオルで覆い、しばらくそのまま・・・という幕切れは辛かったですが(笑)。   

やはり白熱してしまった・・・これでは『ぶみのちっちゃくない観劇劇場』だ。
というわけで第二幕 あなたの夢ばかりみていたの−パッサージュ−は、その2に続きます

2001.8.23.

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