【日乗】
平成11年
10月1日〈金〉 晴
後期開講。『雨月物語』「青頭巾」の、僧が童子を食う話を取り上げ、人肉食の文化的背景や、グロテスクの語源について話す。例によって、最初の予定とは別の内容。
10月2日(土) 晴
夕方、センチュリーHで影山先生と食事。歩いて瀬名まで帰る。町中に点在する秋の田の匂い香しく、家々の灯あたたかなり。
10月3日(日)
夜、寝床にて木谷恭介『軽井沢・京都殺人事件』読了。
10月4日(月)
寝床で読む本、折原一『異人たちの館』に。
10月6日(水)
夜、北海道の林晃平氏より電話。おうふうの新刊案内に『文学的体験とは……』が出たよし。
校正、いそぐべし。
10月7日(木)
研究室で、文芸部機関誌に寄稿する原稿『裏庭のバッタの記憶ー黄緑』を書く。
「黄緑」と付したのは、統一テーマが「色」であるため。
『文学的体験とは……』が載った新刊案内、届く。
HDを空にし、コンピュータの再設定をしつつ、見沢知廉『天皇ごっこ』を読む。
10月8日(金)
前日に続き、コンピュータの再設定をしつつ、『異人たちの館』を読む。
再設定完了。
10月9日(土)
夜、JRバスにて大岡山へ。
『ボンベイの踊る娼婦』ビデオで。
10月10日(日)
歌舞伎座で翌日のチケットを購入。秋葉原へ廻りメモリーを購入。その後、末広亭で十一代目金原亭馬生襲名の高座を聴く。
新宿ライオンにて、隣のアベックはしきりにビートルズの話をしている。店を出れば、学生らしき一団、肩を組み声高に話すなどあり。
録画しておいた『インディペンデンス・ディ』見る。
10月11日(月)
歌舞伎座・昼の部、『芦屋道満大内鑑』。葛の葉は福助。
『沈黙のファイル(瀬島竜三)』、近藤書店にて求め、読み始める。
10月12日(火)
朝、静岡へ。
おうふうの往復葉書の書籍注文票に、『文学的体験とは……』あり。
自宅のデスクトップにメモリー増設。
窓を開けてあれば、暗中に金木犀の香しるし。
10月21日(木)
夜、東部公民館で「能」の話。やはり最後は「癒し」の主題になる。沓谷東のバス停まで夜風に吹かれながら歩く。
10月22日(金)
柳田国男『笑いの本願』を読む。翌日の講座の準備には役立たざるも、得るところ多し。
10月23日(土)
SATVカルチャー「狂言」の講座最終回。
10月24日(日)
夜、ビデオで『日のあたる場所』を観る。石川達三『青春の蹉跌』思い合わされて興味深し。
10月25日(月)
『文学的体験とは……』二校ゲラ発送。
昼下がり窓際に居れば、蜂、膝に止まる。恐ろし。
10月27日(水) 久方ぶりの雨
作家作品研究、『唐茄子屋政談』の地名、大分詰める。
研究室にて、文庫「円生古典落語」で、『品川心中』を読む。
10月30日(土) 快晴 之山忌
菊川町役場にて、アエル松竹歌舞伎事前勉強会。『人情噺文七元結』、口上、『釣女』。十二・三名集まる。
『文七元結』の地名に、『唐茄子屋政談』の地名と同じものままあり。
夏に訪れし折には緑深かりき窓外の樹木、やや紅葉す。
10月31日(日)
LDで、円生『ミイラ取り』を観る。
11月1日(月) 終日風雨強し
『文学的体験とは……』三校、出校の連絡あり。聴雨作の題字もほぼ固まる。
夜、教育テレビで近世初期の東南アジアの交易に関する番組、偶然観る。欧米進出期以前の、各国の主体的な動きが興味深い。LDで、円生『お祭佐七』、これは昨夜観ようとして、眠気のため叶わなかったものを観る。
11月2日(火) 曇
肌寒き中、連合体育祭。喉痛める。
夜、『文学的体験とは……』三校、来る。
11月5日(金)
十七時半より、福島・内田両氏と三人会。赤坂飯店の後、中島屋。
11月6日(土)
菊川教授会(同校舎での最後ならん)の後、大岡山へ。
11月7日(日)
於國學院、国文学会。『吉備津の釜』に関するもののみ聴く。質問もする。
夕刻、船田氏と自由が丘。何度か訪れし米国カントリー風の店、雰囲気が落ち着いたものになっている。後、大岡山。宝塚のレコード聴く。
11月8日(月)
歌舞伎座、顔見世。夜の部、東の袖にて観る。
『壺坂霊験記』、夫婦の愛情しみじみとして、よきものなりと思う。
後、船田氏と大岡山。
11月9日(火)
朝、ひかりにて帰静。
夜、風向・風速計作る(為一成土産)。
11月12日(金)
天皇陛下、ご即位十年の日。行事の報道など録画。新聞の切り抜きもする。
11月13日(土) 晴
SATVカルチャー、歌舞伎一回目。
橘香祭初日。一成とサボテンを買う(150円)。
文芸部機関誌、「鹿鳴亭」という名称で出る。
11月14日(日) 晴
橘香祭二日目。奥サン、一成と人形劇団ピッポを観る。ケーキを作る過程を音楽劇にしたもの、面白し。
11月15日(月) 曇のち雨
久しぶりに長尾川遊歩道を散歩。細雨白くして秋景を包む。紅葉はあれど、風景の色、静かなり。
夜、船田氏より電話。
深夜、曾野綾子『寂しさの極みの地』読了。五日の三人会の前にパルシェで買い求めたもの。
『沈黙のファイル・「瀬島竜三」とは何だったのか』も読了。あと数頁になってから、枕頭に長く放ってあったもの。
11月19日(金)
17時よりシトラス文学賞最終選考。後、太平閣。
11月20日(土)
夕刻、こだまにて京都へ。乗車前、静岡駅アスティ「本屋」にて、中上健次『地の果て 至上の時』を購入。車中で読み始む。夜、船田氏から電話。
11月21日(日)
祖母の三回忌。午前中、大雲寺の若き住職、来たりて読経す。
午後、母と高島屋、四条十字屋など巡る。重兵衛の鯖寿司、一成の誕生日プレゼントを求む。
夕刻、宝ケ池を散歩。紅葉、多少盛りを過ぎたるが如し。
深夜、シトラス文学賞の件で藤江さんにFAX。
11月22日(月)
午前中、藤江さんより電話。出られず。坂倉氏よりも電話。校正の遅れなどで、『文学的体験とは……』の出版、一月となる。
夕刻より、母と南座。八千草薫主演の『乱舞』を観る。三條美紀の梶川寿々、芸術的誠実と社会的欲望の入り交じったる役よし。後、東華菜館五階にて、南座の甍を眺めつつ食事。
帰宅直後、一成より俳句出来たと電話。「僕の秋お土産どんぐり母さんへ」。
現代劇では、開幕から科白が落ち着く(リアリティを獲得する)までに多少時間のかかること。南座は、出れば祇園の繁華街で、観劇の余韻を楽しむには、国立劇場・歌舞伎座よりいいのではないかなど、奥サンと話す。 あるいは、七時十五分に跳ねたことが、こうした感想を抱かせた所以か。
11月23日(火) 曇り後雨
昼食後、母と宝ケ池を散歩。紅葉、一昨日より色濃く覚ゆ。プリンスHの売店に立ち寄り、奥サン、一成の好みそうな菓子を求む。
一成の初めての漢字の習字、ファックスで届く。「月」と「空」。「月」の方よし。
夕食は秋刀魚。後、『文学的体験とは……』の「あとがき」「略歴」を郵送す。
夜、ビデオで『眺めのいい部屋』を観る。イタリア旅行に始まる英国少女の恋物語。音楽、映像、脚本、何れも上質である。
11月24日(水) 雨
朝、ひかりにて帰静。修了論文発表会。
11月25日(木)
国文科秋期講演会。杉山学氏。
後、喜久善で懇親会。また、杉山氏の誘いで街に。
11月26日(金)
夜、北部公民館で歌舞伎の話。三回連続の一回目。
11月27日(土)
一成と『宇宙戦艦ヤマト』劇場用第一作のビデオ(京都で求めたばあばの一成への誕生日プレゼント)を観る。
船田氏より電話。市が尾に家を買ったよし。二月二十日に引き渡しとのこと。
年賀状に書く句が出来る。「梅の咲く市が尾ゆかしふと柱」
夕刻、奥サン、一成と望月で食事。帰り道、「夜の雲」をモチーフに俳句(らしきもの)を作る遊び、三人で。
11月28日(日) 快晴
昼食後、一成と梶原山に登る。風強く、竹の幹の打ち合う音す。鳶、翼に風をはらみて、空中に止まる。凧の如し。
奥サン、ロールケーキを焼く。
12月01日(水) 晴
短大芸術鑑賞会。静岡市民文化会館中ホール。宝井馬琴『山内一豊の妻』、柳家小三治『芝浜』。
『芝浜』、予定を超過して五十分ほど演じる。絶品なり。
後、静岡駅アスティの待月楼にて懇談会。『芝浜』の房州から船の来るところ、女房の島送りへの懸念、また『一眼国』の一歩歩けば一歩だけ日の暮れるところ、小三治師匠の工夫とのこと。
12月03日(金)
夜、北部公民館で歌舞伎の話。二回目。
12月04日(土)
金谷のばあば、来たりて泊まる。夕食はしゃぶしゃぶ。
12月05日(日)
橘小学校、オーケストラ発表会。一成、バイオリンを持ち出る。奥サン、金谷のばあば、聖子ちゃんと観る。聖子ちゃん、小さな花束を持ってくる。
後、御殿場高原ビールで、一成のご苦労さん会と、聖子ちゃんの誕生会。
六時前に抜けて、桜橋の「チャリティ お笑いの夕べ」へ。
最初に桂うららの『たらちね』、これは前座。神田北陽『和田平助・鉄砲斬り』、三増紋之助の江戸曲独楽、春風亭昇太『茶の湯』。
北陽明るくこころ配りよく、紋之助独楽を回しつつ客席の通路を巡り、昇太十二分にマクラを振って、共に芸惜しみせず堪能させる。一日の小三治・馬琴といい、東京の寄席でより楽しみの深き印象あり。
深更にいたりて雨降る。折原一『異人たちの館』読了。文学としてあまり高いものとも思えず。
12月6日(月)
夕刻、長尾河畔を散策。ジョギング中の永倉先生に会う。
紅葉きわまりて、梢にとどまるは三分にみたず。木枯らしに、それも散る。落葉せぬ樹は轟々と鳴る。ただ水梨神社の銀杏のみ、楠の大樹に守られたるためか、あたたかく黄葉を纏いたり。
夜、船田氏より電話、二度あり。
『文学的体験とは……』念校終える。
12月7日(火)
教授会。少しおくれて、あわてて出る。
船田氏より電話、夕刻二回。奥サンが応対。8時過ぎにも。
12月8日(水)
開戦記念日。一成は、この頃、大和とヤマトに夢中。
船田氏より電話、夕刻は奥サンが応対。8時頃に亦あり。
12月9日(木) 晴
午後の授業を終えて、家に電話すれば、船田氏から電話あったとのこと。
12月10日(金)
北部公民館、歌舞伎の話最終回。
12月11日(土)
シトラス文学賞授賞式。入試の合間に学長室にて行う。
12月12日(日)
シトラス文学賞特別番組、SBSにて録音。ラジオなど貰って帰る。
一成、七歳の誕生日。日記に「……誕生日を迎えた。」と(平仮名で?)書いたよし。
誕生日プレゼントの戦艦武蔵の模型、じいじの信濃と共に建造を始む。
12月13日(月)
終日、武蔵を作らされる。すぐに風呂に浮かべたくて、一成泣く。
坂倉氏より電話。『文学的体験とは……』千五百部刷るとのこと。また、新聞広告のこと。
船田氏より電話。一応、一件落着のよう。
12月14日(火) 晴
『文学的体験とは……』の広告、朝日朝刊に出る。
午後、研究室に坂倉氏より電話。腰巻きのコピーを考えろとのこと。
『文学的体験とは……』の表紙に使用する「暈」(聴雨作)完成。
寝床で内田百ケンの『尽頭子』を読む。文体「夢十夜」に似たり。
『件』、読み始む。小松左京の『くだんの母』の思はるる。『くだんの母』、恐怖小説の傑作なり。
12月15日(水) 晴
「暈」、おうふうに送る。
研究室にて、専攻科二年の授業、林家正蔵の芝居噺をビデオで観る。
12月17日(金) 晴
『文学的体験とは……』の腰巻き原案、研究室にて書き、おうふうにファックスする。
12月18日(土)
朝日テレビカルチャー「歌舞伎のルールブック」
12月20日(月)
戦艦武蔵完成。一成に引き渡す。希望により艫の艦名シールは「やまと」。
12月21日(火)
卒業研究提出締め切り日。今年の提出会場は視聴覚室。
12月22日(水)
午前中、北部公民館の寿大学で「忠臣蔵と四谷怪談」と題して話す。
12月23日(木)
夕方、奥サン、一成と、駅のライオンで食事の後、一成のピアノの先生達が出るAOIのショパン演奏会へ。
12月24日(金)
17時39分静岡発のこだまで一成と京都へ。
深夜、昨年のことを思い出し、プレゼントを期待して寝た一成に、靴下に入った「おもちゃ券」を用意する。苦肉の策なり。
12月25日(土)
母、一成と、ビブレにてファービィ人形を購い、北大路タウン「ラ・ヴィータ」でクリスマス・ランチなる昼食。鮭と帆立のメインディッシュなり。後、三十数年振りに京都タワーへ上る。上高野に戻りて宝ケ池を散策。
12月26日(日)
朝、雪降る。鷺公園、わずかに白し。
十二時過ぎの「こだま」で奥サン来る。駅ビルで昼食の後、伊勢丹の「歌舞伎衣裳展」を四人で観る。
夕刻、賀状投函のついでに宝ケ池を散策。
12月27日(月)
コンピュータのy2k対策、多少する。影山先生よりのクリスマスのメールを確認。
12月28日(火) 晴
昼食後、一成と梅小路蒸気機関車館へ。一成は五回目。バスを乗り過ごし、京都駅から反転して行く。
本年最終日、最終回の「スチーム号」に乗る。来館者少なく、鉄の巨体、斜めに冬の陽を浴びて車庫に並ぶ。静かなり。
夕刻、奥サン、母と高島屋で落ち合い、東華菜館で忘年会。新京極さくら井屋で賀状にする葉書を求める。
夜、昨夜録画したNHKの「春日若宮おん祭」を観る。
12月30日(木)
午前中、藤江さんより電話。一月四日の「おはようワイド」への出演依頼。
午後、一成と三条河原町の東宝宝塚で「ゴジラ2000ミレニアム」を観る。「作家は処女作を目指して成熟する」といった箴言の想起せらる。パンフレットに香山滋の名なし。
夜、落語本で登場する地名のピックアップを始める。プレーヤーの動作確認をかねて、先代三木助の「御神酒徳利」のレコードを聴く。
十時を過ぎた頃、妃殿下流産のニュースあり。
深夜、大島渚の『少年』をビデオで観る。
12月31日(金)
年末恒例の権太呂寄席、今年は案内来たらず。枝雀のことありて、中止となりたるか。
午後十時より京都コンサートホールにてジルベスターコンサート。島田さんよりチケットを貰い、奥サンと行く。
阪哲朗の指揮で喜歌劇「こうもり」。演奏、ホールの音響、共によし。途中カウントダウン・セレモニー、終演後鏡割りなどあり。除夜の鐘を聴きつつ、家まで歩く。
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