平成十三年九月へ

【日乗 平成十三年 4】
10月1日(月)
 後期開講。
 長嶋巨人最終戦。敗戦。於甲子園。檜山より花束を贈られる。阪神和田選手の引退試合でもある。

10月2日(火)
 教授会。

10月3日(水)
 科会。

10月6日(土)
 「あなごや」にて秋期講演会。講演とはいいながら、仕舞など。大川先生、学生と連吟す。
 新静岡センターの魚河岸寿司で、よい鯖寿司を発見す。

10月8日(月) 曇時々小雨
 午前中、奥サン、一成と出て、簡単に昼食。奥サンは買い物、一成と映画。『千と千尋の神隠し』『陰陽師』を観る。

10月9日(火)
 11時、長尾さんら、一番町歴文の会の人々、研究室に来訪。12月9日の島田・金谷文学散歩の打合せ。

10月11日(木)
 とれたてラジオ、長嶋茂雄の話。時事川柳、お題は「安全」。出題は「退任」。

10月12日(金)
 島田、帯祭なり。看護学校の帰途、街中でタクシーを降り、子供達の踊るを見る。

10月13日(土)
 PC持参で、一成を金谷に送る。一成、じいじと帯祭に行く。金谷で少し仕事をして、一人夕方帰る。

10月14日(日)
 午後遅く、久しぶりに長尾川遊歩道を散策。新しくできた階段を使い河畔に出る。あと、エスポットに寄り、電気蚊取りの薬剤を買って戻る。
 深夜、松井計『ホームレス作家』読了。

10月19日(金)
 島田終講。

10月20日(土)
 学園内入試。あと科会。

10月21日(日)
 午前十時半から午後二時過ぎまで、たちばな小学校のバザー。一成と帰宅し、少し眠る。
 午後六時より、ブケ東海にて、杉山学氏を囲む会。高橋氏という英和で万葉をやって居られる先生と隣り合わせる。天文を観て地震を予知する話など聞く。昨日は景気悪しき会議、今日は華やかなパーティ。

10月23日(火)
 研究室へ、高橋氏より地震注意報のメールあり。
 午後、学内のコンピュータ、一生にウィルス・スキャン。
 放課後、学生委員会。

10月24日(水)
 船田氏より、中華饅など届く。
 深夜、ニューパークひるがのの掲示板に書込み。

10月25日(木)
 研究室のPC、昨日からのドライブ圧縮うまく行かず。
 母来る。夜は、牡蠣などのフライ。

10月26日(金)
 夕方、島田推薦入試の問題、渥美教務課長取りに来られる。
 その後、研究室に行きPCの修復を試みるもうまく行かず。午後八時近く帰宅し、夕食。

10月27日(土) 晴
 早朝、母、一成と三人でひるがのへ。今回は、紅葉を撮るつもりで三十数年前のペンタックスSPを持参する。TTLまで、不思議なほどよく作動する。
 豊橋より名鉄のコース。名鉄、再びパノラマカーの最後尾・最後列。新岐阜よりの高速バスは大渋滞。美濃のインターチェンジで高速を出て、路線にない路を走る。午前中にバスで白鳥に着く予定なるも、昼頃八幡で下車、新橋亭で食事(山家定食)。あと、吉田川の遊歩道を歩く。写真も撮る。
 長良川鉄道で白鳥へ。物産センターにて白山交通に電話すれど通じず。濃飛タクシーで三時過ぎに十七寮に到着。
 簡単な掃除の後、散歩。写真撮影。風景と、母と一成の組み合わせと。後者は、母の年賀状用(結局使わず。夏に阿弥陀ガ滝に行きし折のものを利用する。翌週、静岡で作り京都に持ち帰りたり)。
 夜、ビデオで『タイタニック』。レギュラー缶二本ばかり買って来たれど、冷蔵庫に夏の残り多くありぬ。台所の新品の湯沸かし器、極めて快調。
 行火を入れて寝る。

10月28日(日) 晴のち雨
 午前中、散歩と写真撮影。スキー場まで出かける。風強く、落ち葉しきりに舞う。身のまわりを舞うもあり、天高く群れなす渡り鳥の如く飛ぶもあり。落ち葉の舞い散るに先立ち、葉擦れの音の必ず遠くより近づく。一成、これを知りて、音の迫れば「来るよーっ」と叫ぶ。団栗、小さき野生の栗、昨日に続き多く拾う。
 昼頃、帰らんとてタクシーを待ち居れば雨落つ。白鳥にいたりて激し。覇楼館で地鶏の朴場焼き、あと岐阜バスの八幡営業所まで走る。
 帰静し、ターミナルHの地下で夕食に寿司を食べて帰宅。やがて、奥サン、グランシップの加山雄三コンサートより帰宅。
 
10月30日(火)
 之山忌。

10月31日(水)
 推薦入試。

11月1日(木)
 島田、推薦入試。前日の入試の判定会議で赴けず。マナーモードにした携帯と問題文を常時持ち、対応する。何事も起こらず。

11月2日(金)
 夕方、学生会と学生委員で橘香祭の打合せ。於シトラス2F。
 あと、家族で街に出て蟹を食う。大道芸ワールドカップ始りて賑やかなり。一つ二つ見る。
 奥サンは、この後四日まで、清水で書道の合宿。

11月3日(土)
 一日、研究室のPCの修復を試みる。ますます壊れる。ばあば屋内で躓き胸を打つ。

11月4日(日)
 一成、ばあばと三人で、大道芸ワールドカップへ。一成、駿府公園の児童館に長く遊ぶ。こちらの方が面白ろかったよし。
 奥サンの合宿より帰るを待ちて、ノートPCを買いに行く。現品限りのWin2000搭載機で、設定にとまどうこと多し。

11月6日(火)
 ばあば帰京。朝、一成が泣いたとか。
 桜井先生、研究室に来られて、お嬢さんの歌集を下さる。
 教授会。
 深夜、新しいノートの設定完了。

11月7日(水)
 放課後、シトラス文学賞の本選考。

11月9日(金) 小雨
 橘香祭準備日。朝からテント設営など手伝う。午後、研究室にて「安倍晴明」の資料作成。

11月10日(土) 曇
 橘香祭初日。十一時、奥サン、一成来る。
 公開講座(映画関連)の企画につき、瀬戸先生にメール。
 夕方、サボテン一鉢家いて帰る。

11月11日(日) 晴
 奥サン、一成は、東海道を歩くイベントとかで金谷へ。12qの道を、じいじと歩いたとか。一成、最も元気だったよし。
 駅南の翁稲荷社にて翁雅楽会公演。翁稲荷の祭神晴明公とのことにて、公演に「安倍晴明ー史実と芸能」の講演を挟む。昼夜二度の公演に合わせ、橘香祭の間に、駅南へ往復を繰り返す。
 観客、拝殿の畳に座し、間近く雅楽を観る。ホールの公演とは異なるよき趣あり。
 拝殿に路地を隔ててLDKあり。楽屋となる。上演直前の緊張、出演する童女らの美しき装束着けて嬉しげなる様子、観察するを得。
 『越天楽』の後、会主牧田明子氏の雅楽についての説明。新作の上演などありて、最後は牧田氏の『陵王の舞』。
 夜の部果ててのち、隣接の居間にて直会。会の人々、全国より集まれるを知る。常葉学園大出身の女性も加わりたり。

11月13日(火)
 防災訓練、学生委員会、全学清掃etc.。

11月14日(水)
 朝、出勤途中に喫煙の学生を見つけ様々あり。河上氏と橘小学校、常葉高校に第一期教育実習の挨拶回り。あと科会、来年度のカリキュラムのことなど。特講など担当予定。

11月15日(木)
 再び、河上氏と橘高校に第一期教育実習の挨拶。

11月16日(金)
 深夜、HOOPSに、HPエリアレンタルの手続き。TOKAIのエリア、残り少なき故なり。

11月17日(土)
 午後、一成と、奥サンの部屋の天井照明を買いにコジマへ。
 夜、ファイルを幾つかHOOPSのエリアに置く。

11月18日(日)
 午後、Hアソシアにて、就職大作戦。

11月20日(火) 晴
 市民文化会館中ホールにて芸術鑑賞会。ブロードウェイ・ミュージカルのヒット・メドレー。米人の司会の科白の中に、「ジプシー・ローズ・リー」などという言葉も混じる。会館近くの酒屋でカップ酒を買い、歩いて帰宅。

11月22日(木)
 SBSとれたてラジオ。『源氏物語』「若紫」の光の使い方と敬語の欠落について話す。時事川柳、お題は「解禁」、出題は「老舗」。

11月23日(金) 晴
 昼食後、一成と瀬名新田まで往復(下写真、左より右へ往路)。二時間半の散歩!! 一成、しばしば川の中に入る。


11月24日(土) 晴
 一成と、駿府匠宿へ。一成、学校で千筋細工の発表をするためなり。竹細工、陶芸など行なう。はじめて轆轤を使う。
 夕刻、奥サンとHアソシアで待ち合わせ。メディアシティの御殿場高原ビールにて夕食。街は、はやクリスマスの電飾なり。ヴァイツェン二杯飲み、我一人歩いて帰る。

11月25日(日) 晴
 午前中、聖子ちゃんから電話。センチュリーで中華をご馳走になる。金谷のご両親を含め六名なり。
 帰宅後、午睡。夜、HPの「曳杖録」の「蛭ヶ野秋色」完成。ニューパークひるがのの掲示板にも、完成を知らせる書込みをする。

11月26日(月) 晴
 ニューパークひるがのの掲示板に、「蛭ヶ野秋色」に関する書き込みを発見。新進気鋭のフルート奏者の親族の方なり。

11月27日(火)
 昼休み、公開講座打合せ。役立つ議論少なし。夕刻、総合セミナー委員会。出席者少なし。

11月28日(水) 快晴
 夕刻、専攻科の修了論文発表会。発表者、緊張気味。Mさん、質疑の途中で気分悪しくなる。

11月30日(金) 曇のち晴
 午前中、自転車で清水・狐ヶ崎近くの電気店に行き、デジカメを購入。
 午後九時半、皇太子妃殿下、出産のため入院予定のニュース速報。
 ご誕生されるのが親王様で、やがて皇位を継承されるとして、その時までは生きていないな等と、ふと思う。

12月1日(土) 晴
 午後、内親王様ご誕生。

12月2日(日) 晴
 橘小学校の第18回オーケストラ学習発表会。グランシップ中ホールにて。一成、第三ヴァイオリン。奥サン、橘幼の山本園長に花束を渡す役。内田先生にお会いする。
 あと、松坂屋にて、学校指定のオーバーの注文。発表会から流れてきた父兄、児童、何組か来たり。加藤先生ご一家も来られる。パルシェのやぶ福で蕎麦を食べて帰宅。

 写真、左より、舞台の様子、終演後ロビーで児童を待つ父兄、終了後のグランシップ外の風景(四時半頃)

12月4日(火)
 教授会。昨日までで、自宅の酒類切れ、久しぶりの休肝日。
 滋賀にいる腹違いの妹より突然のメール。早速返信する。
 夜、船田氏より電話。明治神宮にて内親王殿下ご誕生の記帳をしたとのこと。

12月5日(水)
 母来る。夕食は、京都の鯖寿司など。引き続き酒類なし。
 「一太郎」の辞書をインターネット・ディスクに置き、自宅と研究室のPCで共有するように設定。
 「ニューパークひるがの」のBBS、スキー場使用に関する不満の書き込み、増えつつあり。
 宮内庁HPへ投稿「奉祝内親王殿下御生誕 姫宮の御阿礼まししを寿ぎて山てふ山の装ほへるかも」。
 「日の御子の生(あ)れ坐(ま)しし朝(あした)富士を見る気高く清く揺るぎなかりき」これは親王様の場合に用意していた歌。

12月7日(金)
 夕刻、中島屋2Fにて、一成の早めのお誕生会。一成、出かける時からご機嫌悪しきも、食事をするにつれ直る。
 あと、呉服町、七軒町など散策し、帰宅。

12月8日(土)
 自己推薦入試。大川先生と1名を面接する。昼、学長室にて、シトラス文学賞授賞式。静岡新聞の取材あり。

12月9日(日) 快晴
 風なく、温暖の内に、一番町歴文会の島田・金谷文学散歩。昼食は、島田の萬露亭。庭もあり、よき料亭なり。
 時間通り、無事終わる。

12月10日(月)
 夕刻、伴工務店さん来る。母も交え、建て替えの計画詰める。

12月11日(火)
 夕刻より、福島・内田両氏と三人会(魚与)。次回、春に萬露亭を提案。十時頃帰宅。
 午後、母、帰京せしよし。

12月12日(水)
 科会、来年度カリキュラム、ようやく決まる。

12月14日(金) 快晴
 沼津方面、高校訪問と、教職の介護体験実習施設への挨拶。
 左写真は、沼津中央高校。方形の校舎の前に枝を払われた樹の並ぶ光景、並木の向こうに神社の社務所らしき古き木造の平屋が見える光景、何れもおもしろく。
 沼津商業高校、高校としてこの日最後の訪問校なり。山の側にあり。訪問を終えバスを待つ間、陽、山の端に隠れ、身、木枯らしに曝さる。時計を持たず、デジカメのシャッターを切り、表示される画面にて時刻を確認す。また、数を数え、時間を計るなどす。建物の陰に風を避けるも、及ばず。寒気、耐え難し。
 校門の傍らに、会社の寮と思しき壁白く四角く素っ気なき鉄筋の建物あり。その前に、葉を落としたる柿の木ありて、赤き実一つ枝にとどまる。風景、心に染む。
 バス来る。三島駅行きなり。十分後に、沼津駅行きの来る予定なるも、待ちかねて乗る。三島よりJR、沼津を経て、方浜で降りる。駅前淋し。タクシーもなし。

 写真を撮りつつ歩く。新しき団地の中に、人の住まずなりし古き鉄筋のアパートなどあり。荒廃には荒廃の風情あるも、左写真にては、よく伝わらず。
 沼津養護学校は、バイパスを越えて、西に行きしところなり。バイパスの手前に川あり。河畔の風景よし。
 日暮れて道を過つ。向かい風、頬を刺す。事務所の如き所に入りて尋ねるなどす。
 養護学校に着けば、受付のカーテン引かれたり。廊下を通りかかりし職員に来意を告ぐ。教頭なる人、出で来たりし。遅き来訪を驚きたる様子なり。謝して、しばらく語る。
 帰路、酒を置きしコンビニにて、燗機能付きしカップ酒を求む。列車に、二階だてのグリーン席あれば、行きて飲む。人なく、酔い心地よし。パルシェのやぶ福にて天ざるを食し帰宅。ここでは飲まず。帰宅後、奥サンに頼みおきし箱寿司を食べる。


12月15日(土)
 夕刻、一成とゴジラ『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』を観に行く。名作であった。最近の「ゴジラ」シリーズは、〈ゴジラ論〉としての性格を持つものが多い。本作もそうである。本作では、ゴジラが日本を目指すのは、太平洋戦争の死者達の残留思念がゴジラを動かしているからであるとされている。これに対し、登場人物の一人から、日本人の残留思念が、なぜ日本を破壊するのかという疑問が発せられる。ここではゴジラは、情念を生み出した論理と無関係に暴走する情念のエネルギーの象徴であり、ほとんど御霊信仰に於ける御霊の様な存在である。思えば、昭和29年の第一作で、紅蓮の炎を上げる東京の街にすっくと立ったゴジラは、B29による空襲の恐怖の記憶であり、その空襲に抗して立ち上がるものの姿でもあった。こうした両面価値性は、意識的に工まれたものではなかろうが、あの神話的な怪獣のイメージが誕生した時、主題は否応なく動き始めていたのである。いわば、半世紀をかけて、ゴジラは、詩から散文へと浮上してきたといってよい。ところで、今はとても魅力的なものとしてある〈ゴジラ論〉ではあるが、分析医に扱われた夢を、なお夢として見続けられるか、懸念がないわけではない。

12月18日(火)
 午後、学生委員会。その後、教職課程委員会。学生委員会、失念していて、電話を受けて飛んでゆく。昨日は、総合セミナー委。言い訳にもならねど、会議余りに多くー。

12月20日(木)
 卒業研究、受け取り。担当の内、最後の学生のものは、17時○分に完成。日文科研究室にて受領。冬の日、既に暮れたり。

12月21日(金)
 卒業研究と若干の書籍、宅急便にて京都に送るよう奥サンに頼み、10時17分発のこだまで上京。
 大岡山に午睡の後、歌舞伎座。夜の部、『傾城反魂香』(最近のパンフレットは、『吃又』とは書かない)。土佐の名前を許されぬ又平と女房おとくの悲嘆を見て、中村吉之丞の北の方が、将監の背後でそっと涙を拭く。このタイミングが実にいい。芝居とは、こういう所を見せるものだと、納得させられる。

12月22日(土)
 二月に予定している研修旅行の資料集めを兼ねて、劇場史跡の写真を撮る。先ず、秋葉原に行き、凸版印刷の敷地内にある市村座の銘板。東銀座に出て、日の出寿司で大阪寿司を食した後、歌舞伎座から猿若三座まで例のコース。さらに今回は、宮戸座跡の碑も確認する。夕刻、船田氏と待ち合わせ、浅草演芸ホールへ。三笑亭笑三、漫談の如きも、活き活きとしてよし。柳家蝠丸、『矢橋船』を出す。東都の落語には珍しからむか。あと、大岡山。

12月23日(日)
 午前中、皇居一般参賀に赴く。東京駅丸の内側の食堂にて食事、地下鉄乗り場で船田氏と別れ、大岡山。片付けの後、「のぞみ」にて京都へ。京都駅よりタクシーで南座。25日の顔見世と正月3日の前進座のチケット(共に昼の部)を求め、京阪、叡電を乗り継いで上高野。帰宅後、晦日寄席のチケット求めんとて岡崎の権太呂に電話するも、既に完売とて得られず。

12月24日(月)
 久しぶりに重兵衛の鯖寿司を食す。

12月25日(火)
 顔見世昼の部、母と。
 『時平の七笑』、悪役の得意の笑いで、一幕を閉じる。
 『ぢいさんばあさん』、鴎外の原作、宇野信夫の作・演出。三十七年の人生を三幕に凝縮して、舞台ならではの作品である。仁左衛門の伊織が、三十七年ぶりに家に戻ってくる。用人の長太夫を返し、庭に一人になっての「わしの家じゃ云々」の科白。長太夫が去った後、もう少し間があってもよかったように思う。妻ゑん〈菊五郎〉が座敷に上がって、伊織が寄せて置いた座布団を再び離す。女性らしい恥じらいが見られる場面であるが、余り離しすぎない方がいい。尤も、後で対面して挨拶する為の空間が必要だったのかも知れないが。あと、将来を語る科白は、短く切り上げた方が、余韻が残るようにも思った。全体的に見れば、深い感動を覚える名舞台である。

12月27日(木)
 一成と奥サン、志賀高原のスキーに出発。二度ばかり電話あり。一成の楽しげなる様子を伝える。

12月28日(金)
 午前中、金谷より餅など届く。深夜、映画『死の棘』を見終わる。録画し置きしものを、前半は居間のテレビデオで、後半は二階のプロジェクターで観たり。前半はトラッキングのエラーに悩まされ、後半は画面の暗さに目を疲れさせる。内容も暗し。島尾敏雄の原作、小栗康平の監督なり。

12月29日(土) 曇
 昼食後、散歩。宝ケ池通りより岩倉川沿いに北へ、岩倉実相院まで。写真を撮りつつ歩く。

12月30日(日)
 夕方、奥サン、一成来る。京都駅に出迎える。列車を待つ間、アバンティの書店で『TUGUMI』を買う。多くの書店を巡りて、やっと見つけしものなり。駅ビルのビヤホールにて読み始む。夕食は、注文しおきし蟹鍋と、昨日島田さんよりいただきしフランス料理の折り詰め(!?)。志賀高原土産の日本酒。

12月31日(月)
 午後、錦市場に買い物。お飾り、鏡餅(共に小さきもの)、鰊蕎麦、にらみ鯛、菓子など。
 紅白歌合戦の途中に、一成寝入ってしまい、年越し蕎麦三人で食べる。吾一人前、奥サンと母は半人前宛。

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