平成十三年六月へ

【日乗 平成十三年 3】
7月1日(日)
 浜松城薪能パンフの「巻頭文」を印刷所と勝海さんにFAX.。

7月4日(水)
 伏見さんより電話。結婚が決まったとのこと。九月十六日、中島屋。
 菊の香や駿河は新し夫婦雛

7月5日(木)
 夜、尾崎先生よりの電話で、阿部正路先生が亡くなられたそうだと聞く。何人かに電話。驚く人多し。亡くなられたのは先月の二十六日で、渋谷に届けられたのが本日の昼間であったらしいこと、少しずつ明らかになる。

7月6日(金)
 夏風邪。喉の痛み激しく、島田を休講。

7月7日(土)
 夜、学生相談室のHPどうやら完成し、サーバー室に転送。初めてPerlでcgiのプログラムを組みしもの。

7月9日(月)
 学生相談室のHP、谷口さんより、cgiでエラーが出たとの連絡が入る。ディレクトリ構造が、学内LANに適応しなかったため。

7月11日(水)
 沼津の入試相談会。お客さんなし。小川先生と寿司を食って帰る。

7月12日(木)
 とれたてラジオ出演。七夕についての話。ニュースのコメントでは、靖国問題についての中韓の対応に、心が高ぶってしまう。時事川柳、お題は「猛暑」、出題は「修正」。

7月13日(金) 曇
 島田の後、沼津の高校訪問。曇りで助かる思い(連日、晴天・猛暑、雲の陽を遮るは久方ぶりなり)。

7月15日(日)
 学内LANのディレクトリ構造に従って配置し直した学生相談室HPのファイル群を、サーバー室に再送付。
 この頃までに、高樹のぶ子『蔦燃』読了。性的な情念の、限りなく論理的な記述。そう言えば、サドの主人公達も、性的なものを楽しむとより、性的な楽しみの分析を楽しんでいる傾きがある。

7月17日(火)
 学生委員会。
 夜、学生相談室HP、仮UPとの谷口氏よりのメールを確認。

7月18日(水)
 総合セミナー委員会。
 十一月の雅楽公演のポスター届く。
 午後、学生相談室のHP、運用開始。
 夜、船田氏より電話。

7月19日(木)
 科会。会議、三日続きなり。
 昼間、印刷所より「薪能」原稿の校正を急ぐよう、電話あったとのこと。
 近藤郁博氏に電話。雲丹のお礼を言う。近藤氏、体調よさそうなり。

7月20日(金) 晴
 パルシェの「つな八」で三人で昼食。あと、一成と東京へ。
 大岡山で少し休み、今回の東京行きの第一の目的たる東京タワーに向かう。地下鉄を御成門で降り、芝のPHの横を抜ける。東京タワー展望台にて、日暮れを迎える。一成、何度も双眼鏡を覗く。また、金谷のばあばにお土産など買う。下りて後、PHのガーデン・レストランでカレーを食し帰る。

7月21日(土) 晴
 朝、持参したピザ・トーストを一枚ずつ食べる。薪能パンフの校正をし、近所のコンビニよりFAXで送る。
 昼過ぎ、銀座へ。四丁目地下のライオンにて食事。ステーキ、安価にして堅し。天賞堂に行き模型を見る。一成の望むものなし。地下鉄にて新橋、「ゆりかもめ」に乗り換えて日の出桟橋へ。水上バスにて隅田川を浅草に向かう。雷門横の店にて氷を食べ、浅草寺に詣る。玩具屋を覗く。梅園で、土産とて、家に金つば、金谷に羊羹を需む。船田氏に電話。自由が丘のロータリーで待ち合わせる。自由が丘の模型店に、『宇宙戦艦ヤマト』の「アンドロメダ」のプラモあり。買いて、三人でタクシーにて大岡山に戻る。
 夕食は、船田氏の買いし寿司。

7月22日(日) 晴
 朝から撤退準備。一成の作りし東京タワーの模型は、大岡山に残す。新幹線車中にて、焼肉弁当の昼食。
 夜、録画し置きし米国版『ゴジラ』を観る。
 深夜、NHKの再放送で『魚住少尉命中』を観る。回天特攻隊員を描きしもの。録画の機会を逸す。

7月23日(月)
 午後、情報文化演習の補講。

7月25日(水)
 レポートの受け取りや試験の監督。

7月26日(木)
 午後三時より教職課程委員会。
 夜、『地上より永遠に』をビデオで。『パール・ハーバー』を否定的に論じた映画評で、比較的に述べられていた故。

7月27日(金)
 自宅LANを、クロスケーブルから、ハブを使った接続に切り替える。

7月28日(土)
 キャンパス見学会。

7月30日(月)
 午前中、科会。

7月31日(火)
 夕刻、田中晴美(旧姓佐藤)さん、ご亭主と、長女(一歳数ヶ月)・長男(五ヶ月)を伴い来訪。お土産の一つは、軽巡夕張のウォーターラインシリーズ。
 『宇宙戦艦ヤマト』の劇場板第一作のビデオを観つつ、四方山話、食事。

8月2日(木) 晴
 午前中、東草深の「静岡市医師会臨床検査センター」に行く。短大での検診の再検査。
 最初に心臓。超音波で撮影した動画を見せられ説明を受ける。五十年以上も休みなく、こんなものが動き続けてきたのかと思えば、感慨なきにあらず。
 次いで、胃カメラを飲む。待合室にラジカセありて、詩吟らしき邦楽、かすかに流る。検査室に入れば、医師と看護婦と、心配なし、頑張りましょう、などと声をかける。却りて緊張高まる。
 ベッドに横臥すれば、正面にモニター画面あり。食堂から胃、さらに十二指腸へと、鮮明なるカラー映像にて我が体内を見る。胃壁に豆の如きものあり。ポリープなり。カメラの管に、さらに細き管を通せば、銀色の先端モニター画面に現わる。開閉する小さき花の如き器具にて、ポリープを掴み、捻り切る。出血わずかにあり。痛みはなし。管の先端より透明の液体を噴射す。この処置、二三カ所。また、写真十数葉を撮る。終わりて、医師の説明を聞く。
 心臓、胃、ともに心配するほどのことなきよし。
 帰路にふと思う。昔の切腹の話などに、内臓を手で掴みて投げ出すなど凄まじきものあれど、案外痛くなかったのではないかと。
 午後、研究室にて、稲垣足穂『水晶物語』読了。

8月3日(金)
 夜、『ルパン三世−アルカトラズコネクション』。ノリよからず。
 TVのチャンネルを移動して、深夜の討論番組に行き当たる。中国人か韓国人の東大助教授、日本の戦後外交の主体性のなさを強調しつつ、靖国問題についてまくし立てるあり。浅ましき思いして、消す。

8月4日(土)
 昼前頃起床。一成に昼食を食べさせ、自分も食べ、再び五時過ぎまで寝る。昨夜、就寝は午前五時前なり。
夕食後、夕立、停電もあり。一成とチェス三回。
 雨、少し収まりて、三人で瀬名中央納涼夏祭に行く。橘幼稚園に隣接の公園が会場なり。会場ぬかるみたれど、雨後の気温、過ごし易し(右写真)。
 帰宅後、祇園祭を扱ったNHKスペシャルを観る。

8月5日(日)
 瀬名中央納涼夏祭、二日目。エスポットの帰りに寄る。阿波踊りの「静岡連」を見る。

8月6日(月) 曇
 学園研修会、初日。富士常葉大学にて。あと、朝霧高原のホテルで、バーベキュー・パーティ。巨大な四阿の如き建物の中で、ハワイアンのバンドも入る。

8月7日(火) 曇のち小雨
 学園研修会、終了。

8月8日(水) 曇時々雨
 五時過ぎに起床。七時十五分発の「こだま」で豊橋。八時十五分発の名鉄特急に乗り換え新岐阜へ。一成と奥サンには、初めてのコース。名鉄特急、最後部展望車、最後列の座席なり(写真は、座席より見た風景)。
 新岐阜にて、京都から来た母と合流。十時発の高速バスで四人で郡上八幡に向かう。郡上八幡にて昼食。予定していた新橋亭休業で、初めて「大八」に入る。焼肉、あまご共に味よし。
 例によって、長良川鉄道で大中へ。白鳥レンタカーにて今回は「バモス」を借りる。
 物産館などで買い物。白山電機で、ガス器具を取り替える相談をすませ、十七寮へ。管理センターを越えれば霧。登り行きカーブを曲がれば、突然に晴れる。
 早朝、静岡駅へ向かうバスを待つ間の東部団地バス停にて、写真を取り合う。バス停に待ちし客、他に一人。如何に思いし。

8月9日(木) 雨
 昼前、出発。「山の家」にて昼食。朴葉味噌定食など。ビールは止して熱燗。例の三角の豆腐もあり。あと、やまびこロードを白鳥に向かう。途中まで霧。白鳥で買い物。雨激しく降ることあり。帰路にて陽差す。間近き山に、立つ湯気の如き雲あり。帰り着く頃、再び雨。
 トイレの水道トラブル。管理センターより人来て五時過ぎ直る。夕食は焼肉。
 夜、一成に、木製の客車の模型を作らされる。昨夏作りしD51に接続するもの。五月に牧歌の里に行きし時、買い置きしものなり。
 一成、吾が眼鏡を踏みつけて壊す。

8月10日(金) 雨
 午前中、眼鏡を直しに白鳥へ。物産館で昼食。木遊館にて30p近き大きさのある置物(但し980円)を買う。一成は残暑見舞い用の木の葉書を買う。
 帰宅。トイレの水道、尚漏水あり。管理センターに電話。午後、簡単な修理で直る。
 雨で山歩きなど出来ず。屋内用のフリスビーとて、一成にボール紙で作ってやる。一成、この日の日記、よい表現あり。

8月11日(土) 曇のち雨
 浜松城薪能に行く。11:00北濃発、郡上八幡で奥サン、母、一成と別れ、関へ。関で、駅横の軽食堂に飛び込み、カレーライス。名鉄に乗り換え新岐阜。新岐阜より名鉄特急、今回は先頭の展望車、最前列。豊橋に近づくにつれ、雲低く厚くなる。新幹線で浜松へ。浜松駅ビルで食事中、激しき夕立、ビルの窓を叩く。雷もあり。
 17:12着の新幹線で来浜の船田氏と合流。雷雨の中を雨天用の会場「浜ホール」に向かう。タクシーの前方視界、しばしば雨に奪われる。
 浜ホール、廊下に一部浸水あり。床の排水口より水の噴き出すを見る。また、演能途中、一瞬の停電あり。
 能果てて、小雨の中を駅に戻る。静岡へ向かう新幹線の車窓より、袋井の花火終わりし花火会場見ゆ。この辺りは、雨降らざりしか。
 呉服町でビールを飲みし後、瀬名へ。

8月12日(日)
 午前中、瀬名を出発。豊橋よりの名鉄特急車中で昼食。新幹線豊橋駅のホームで求めし「稲荷詣で」という名の駅弁。
 新岐阜からは156号線をバス。白鳥駅前にて迎えのバモスに乗車。夜は、船田氏歓迎を兼ねての焼肉パーティ。

8月13日(月) 晴
 山に来て、初めて気持ちよく晴れる。午前中、阿弥陀ヶ滝へ。船田氏、一成と先に出発、管理センターまで歩く。途中、ダムのあるところを通るなどし、一時間強の行程。カミキリ虫、ウマオイを捉えてもらつたり、蝶の名前を教えてもらうなど、一成、船田氏のおかげで、よい経験をする。管理センター前の「山の家」で小憩。奥サンと母、バモスで追いつき合流。ビールを飲み、例の三角の冷や奴など食べる。
 阿弥陀ヶ滝、入り口のペンションの近くに、ソフトクリームのスタンドなど出来ている。大きな恐竜の模型も設けられたり。それでも、谷間の田を見下ろしつつ下る道に、秋の虫の鳴く風情、損なわれず。
 滝を見た後、流し素麺。いつもの如く、岩魚の塩焼き、だんごなど。
 あと、蛭ヶ野高原に向かい、分水嶺公園、湿原植物園を見る。植物園、河骨や睡蓮の他、見るべきものもなし。夏の湿原の淋しさ、却って心に染む如し。
 ベンチに掛けて、船田氏、一成に、ツアイスの古き蛇腹式カメラを見せる。機構の説明を、一成、熱心に聞く。
 この日、小泉首相、靖国に参拝す。
 深夜、雨、屋根を打つ。

8月14日(火) 晴
 午前中、やまびこロードを牧歌の里に向かう。高原野菜を栽培するらしき広々とした畑、写真に撮る。遠くに山々を望み、最も高原らしき雰囲気のあるところなり。いつもの如く巡り、昼食は二階のレストラン。ステーキ、堅けれど味よし。牧歌の里に新しく出来た温泉に入る。洗い場の少なきが難なり。

8月15日(水) 晴
 終戦記念日。
 船田氏を送りて白鳥へ。途中、北濃駅に止まり、船田氏、写真を撮る。吾もミーシャで撮る。
 氏、高速バスにて帰りし後、大中近くのヤナ場へ。一成、生け簀にて、鱒の掴み捕りをする。なかなかうまく行かず、係りの人来て、水位を下げるなどす。
 林間に、鮎の料理を食し居れば、夕立あり。皿やビールを手に、建物に逃げ込む。一成の鱒も、その場で塩焼きにして食す。
 夜、牧歌の里で求めし、木製の客車のキット、一成と一両ずつ組み立てる。

8月16日(木) 晴
 午後一時、白鳥発の高速バスにて撤退。昨日、船田氏の利用せしと同じ便なり。バスは高き道を行く。山は緑濃きも、田は少し黄味を帯びたり。雲また盛夏の形ならず。未だ京都の日々を残せど、休暇の終わりし思いあり。
 京都駅にて駅弁を求め、夕食とす。あと、奥サン、一成と、北山通りに大文字を見に行く。妙法の法を間近に、大文字も建物の間にわずかに見る。帰らんとして、西に歩き居れば、ゆくりなく、船形の全景見えたり。
 深更、手塚治虫『火の山』を読む。

8月17日(金) 晴
 夜、一成とプロジェクターで『ジュラシック・パーク』を観る。

8月18日(土) 晴
 四人で八木へ墓参りに。帰途、一成と二人、梅小路蒸気機関車館へ。三時半を過ぎての到着で、スチーム号には乗れず。

8月19日(日) 晴
 午後、一成と、京都駅ビルの「KYOTO手塚治虫ワールド」へ。
 六面スクリーンによる手塚治虫の伝記的説明四分ほど。あと、新作アニメ『鉄腕アトム〜地球最後の日〜』。三十分弱のもの。
 原作は、「少年」昭和39年3〜6月号に掲載された『鉄腕アトム・地球最後の日の巻』。一度、TVアニメ化されたもののリメイク版である。結末がハッピーエンドに変えられた点も含め、原作の文学的な深みを再生し得ていない憾みがある。やはり、初期のTVアニメの方に魅力を感じる。
 あと、スタンプ・ラリーなどして帰る。
 夜、NHKの「青春のポップス・スペシャルライブ」を観る。岩崎宏美・加山雄三・ザコンボイなど。これを観た勢いで、録画し置きし「二人のビッグショー、岩崎宏美・矢神純子」も観てしまう。「ビデオボール」という安物のプロジェクターの画面暗く、目が疲れるが、大画面はけっこう楽しめる。

8月20日(月)
 台風接近のため、京都のお別れ会、一日早めてPHの中華。
 夜、『ジーザス・クライスト・スーパースター』、プロジェクターで観る。

8月21日(火)
 台風来る(左、風雨の鷺公園)。朝、河上さんから電話。親切有り難し。金谷へ電話。奥サン、22日予定の帰静を一日延ばし、23日に三人で戻ることになる。

8月23日(木) 晴
 昼頃の「こだま」で帰静。車中で「萩の家」の二段重の弁当。久しぶりなり。

8月26日(日)
 (以下の記述は、9月11日に行なう。夏カゼで体調不良などの為)
 グランシップ「海」で祝祭劇『佐久夜』を観る。奥サン・一成と。
 瀬名まで歩いて戻る。途中、エスポット近くの「森のなかま」でカレーを食す。

8月30日(木)
 とれたてラジオ出演。「菊と文化」と題し話す。時事川柳、お題は「打ち上げ」。H2Aロケットにちなみしもの。

9月3日(月)
 関西研修旅行にお付き合い。
 多賀神社、西明寺、近江八幡と巡り、雄琴の街と琵琶湖を見下ろす丘の上のホテルに泊まる。

9月4日(火)
 日吉神社、鞍馬、貴船、高尾神護寺、高山寺。咳と痰、はなはだし。上高野に寝る。

9月5日(水)
 帰静。

9月10日(月)
 咳と痰、一向に収まらず。発熱7度4分。夕刻、瀬名子供クリニック(大人も診る)に行く。

9月11日(火)
 八月二十六日より九月十日までの日乗記入。
 午後十時頃、世界貿易センタービルとペンタゴンに旅客機突入。

9月13日(木)
 教授会。

9月14日(金)
 島田。九月二回目。

9月16日(日)
 中島屋にて、伏見さん結婚式。高松宮妃からの置き時計なども飾られたり。
  菊の香や駿府に新し夫婦雛
 アメリカへの新婚旅行、例の事件で中止となったよし。

9月19日(水)
 短大研修会一日目。総合司会。

9月20日(木)
 短大研修会二日目。
 あと、明治記念館の阿部先生を偲ぶ会へ。信濃町で船田氏と待ち合わせ。会場へ行く途中、帰路の勝海さんに会う。
 奥様、正大君にお会いする。和田君、佐藤毅君にも久しぶりに会う。佐藤邦彰君のことなど聴く。
 明治記念館でグレープフルーツケーキを求める。
 あと、ビアホールで小憩。船田氏、田中憲二氏と大岡山。

9月21日(金)
 帰静。静岡駅に来れば、焼津・用宗間の線路に倒木ありて、列車運休とのこと。島田に連絡、休講とし、帰宅。
 グレープフルーツケーキ、十年前、明治記念館での結婚式に出席の奥サンの持ち帰りしものとは、味異なりたり。

9月22日(土)
 午前中、一成の運動会を見る。一成、100m走2位。但し、四人の内。胸に銀のリボンを付けて貰う。下校時、開襟シャツに着替え、リボンも付け替えて校舎を出てきたよし、後で奥サンより聞く。
 午後、キャンパス見学会。

9月24日(月) 快晴
 長嶋巨人、対ヤクルト戦三連勝。全て逆転勝ち。ゲーム差1.5に。
 昨日の二戦目、膝を痛めている古田捕手、レガースを着けてベンチに座る。齋藤・桑田の連投など、感動的なシーン多し。

9月25日(火) 晴
 午後、総合セミナー委員会など。

9月26日(水)
 沼津方面に高校訪問、八校回る。帰路、特急「あさぎり」に乗る。

9月27日(木)
 介護体験実習の挨拶回り。

9月28日(金)
 午前中、河上教務課長と草薙運動場に常葉学園の大塩校長を訪ねる。あと、介護体験実習の挨拶回り。
 わらしな学園という知的障害者の施設にて、内部を見学させて貰う。先ず、軽度の入所者の居住エリアあり。次いで、食堂。これを隔てとして重度の入所者の居住エリア。各エリアに担当者ありて、世話・監視をす。入所者、若者から老人にいたるまで様々なり。エリアを出ること、普段は禁止せるものの如し。重度のエリアに、介護体験実習を行ないつつある青年あり。静大理学部の学生なりという。
 入所者、動きの少なきが印象的なり。重度の者ほど、この傾向はなはだし。廊下の隅に身体を折り曲げて蹲りたるまま、長時間静止するなどあり。
 かかる施設、数年を経ずして、入所に関わる制度変更される予定という。福祉政策の後退に似たり。

 夜七時過ぎ、洗面所より居間のテレビに目を遣れば、長嶋監督退任の文字あり。四時半より記者会見があり、中継もされしという。ビデオ三台を緊急にセット、以後の各社のニュース、スポーツニュースを録画する。
 瀬戸先生の研究室にメール、「天つ日のかむ隠れましぬ崩落のビルの余塵の世を覆う秋」。
 巨人軍のホームページに、応援メッセージを送る欄があり、次の書込みをする。初めてなり。

 「とても衝撃的なニュースが飛び込んできました。
まさか引退されるとは、おもってもいませんでした。
私は、長嶋さんが、現役を引退されてから、プロ野球を観るようになった者です。
昭和四十九年の引退の時、いつもなら政治や経済を話題にしている各新聞のコラムや社説が、こぞって長嶋さんの話題を取り上げ、そのことに興味を感じたのがきっかけでした。
そして、たちまちこの不世出の天才と、天才にまつわる伝説の魅力にとりつかれてしまいました。
現在、短大で国文学を教えていますが、教科書に名文の例として、現役引退の挨拶を引用させていただいたこともあります。
ロペール・ギランは「日本人と戦争」の中で、近代日本は三度世界を驚かしたと述べています。一度目は明治の急速な近代化によって、二度目は太平洋戦争初期の圧倒的な勝利によって、三度目は戦後のめざましい経済的発展によって。この三度の日本の輝きの中に、私は、それぞれ「軍神」が存在したと思っています。一度目は乃木希典、二度目は山本五十六、そして三度目はもちろん長嶋茂雄です。
長嶋さんが、日本一になられた昨年ではなく、今年に引退されることは(引退されないのが一番いいのですが)、結果的によい結論だったのではないでしょうか。
永遠に語り継がれ讃えられる名将とは、義経や真田幸村であり、決して頼朝や家康ではないからです。
長嶋茂雄の物語は、今始まったばかりのように思われます。」

 0時を過ぎて、小唄氏から掲示板に退任を惜しむ書込みあり。「心にぽっかりと穴があいてしまったような気持ちを共有出来るのは、多分このサイトだけだろうと思って」などとあり。早速、返事を書き込む。

9月29日(土)
 新聞・スポーツ新聞を買い集める。
 伏見さんと、大里先生のお見舞い。訪問者は口頭で、先生はワープロでの会話。先生、コレクションの骨董をしきりに持って帰れとおっしゃるも、まさかそんなことも出来ず。
 帰途、伏見家に立ち寄る。

9月30日(土)
 長嶋巨人、東京ドーム最終戦。敗戦。第一テレビ、試合後のセレモニーまで完全中継。

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