平成十三年三月へ

【日乗 平成十三年 2】

4月1日(日) 晴
 朝刊に中村歌右衛門逝去の記事出る。
 午後、大川先生、貴音ちゃん、はーちゃんと来訪。宝ケ池を案内する。
 先生達を送って後、奥サン、一成と宝ケ池の山歩き。

4月2日(月) 
 午後1時17分京都発の「こだま」で帰静。

4月3日(火) 
 教授会。あと、中島屋で歓送迎会。携帯ラジオをポケットに、自転車で行く。帰路、野球中継を聴くため。
 帰宅すれば、林晃平氏の『浦島伝説の研究』届いている。数日前より運送屋に留めてあったもの。

4月4日(水) 晴
 午前中から昼にかけて科会。
 夕食後、一成を連れて長尾川の夜桜を見に行く。数年前、この季節に河畔の桜並木に多くの提灯の掲げらるを知る。奥サン、一成に見せたしと思えど、タイミング合わず。今晩、はじめて一成に見せる。提灯の列、風に揺れて、肌寒し。常には水無き川に僅かな流れ出来て、紅き白き灯を映す。
 帰宅後、たまっていた新聞の整理など。

4月5日(木) 晴
 夕食後、奥サン、一成と長尾川の夜桜を見る。

4月6日(金) 晴
 グランシップ・大ホール「海」で、常葉学園合同入学式。あと、歩いて帰る。桜、満開なり。

4月7日(土) 晴
 昼過ぎ帰宅すれば、一成、たっ君と家にいる。五分ほど前に戻ったとのこと。同じクラスになったとか。
 この日早朝、馬場のぼる氏逝去。

4月8日(日) 晴

 午後、一成と瀬名新田までを往復する。長尾川の堤に、各所に、桜満開なり。
 夜、TVで並木路子氏逝去のニュースあり。

4月10日(火) 晴
 フレッシュマン・キャンプ初日。

4月12日(木) 小雨のち曇
 フレッシュマン・キャンプ終了。全体に天気もよく、風も穏やかに済みたり。

4月14日(土) 
 一基展会場を訪れる。

4月15日(日) 快晴
 再び一基展会場を訪れる。当日、美術館より望む風景、見事なり(右写真)。
 一基会会員にHPを見せる。河上一家、来て下さる。
 一成とロダン館を観る。次いで柿下先生の席上揮毫を観る。

4月16日(月) 
 午後、雅子妃殿下ご懐妊の兆候と、宮内庁発表。
 夜、宮内庁HPに、お祝いのメールが届いているとの報道あり。一通、送る。

4月17日(火) 
 一成の新しい担任宮木先生。短大で卒論をみた宮木さんであることが判明。
 学生委員会。大川先生、委員長として初仕事。

4月18日(水) 
 総合セミナー委員会。

4月19日(木) 晴
 朝、とれたてラジオ出演。近世以前の地震観について話す。時事川柳のお題は「教科書」。応募多し。出題は「おめでた」。
 17時23分発の東海4号で東京へ。品川着は19時34分。黄昏て行く沿線の景色。ホームに佇み、あるいは踏切に列車の通過を待つ人々。サラリーマンもあり、制服の少年少女もあり、懐かしく覚ゆ。新幹線や東名バスに比し、人間の生活を見つつ行くのがよい。かつて、やはり夕刻、北斗星にて上野より北海道に向かいしを思い出す。かの時も、人の営みのしみじみと心に残りたり。

4月20日(金) 晴
 午後、宝塚劇場に行けど、チケット入手できず。国立演芸場に赴き、夜の部の券を求む。国会議事度前で地下鉄を降りたれば、長く歩く。歩道・並木、整備されたれど、自動車の通行あまりに多し。お濠の松も生気かつてより衰えたる如く見ゆ。
 券を得て、銀座に戻り、天賞堂にて一成にグライダーのキットを買う。ひるがの用なり。あと、ライオンで食事。タクシーで演芸場に戻る。
 寄席、トリは春風亭柳昇。客をくつろがせる力に於いて、抜群のものあり。
 はねて、永田町駅へ歩く。やはり、寄席を出たると覚しき老夫婦、少し先を、手をつないで歩みいたり。夫は鞄を、妻は虎屋の紙袋を提げたり。追い抜きて駅に至る。
 南北線出来て、大岡山まで乗り換えなしに帰る。

4月21日(土) 雨のち曇
 神保町の共立女子短大にて日本口承文芸学会の例会。真言宗豊山派の渋谷隆阿僧正の節談説経、「弘法大師一代記」の一部などを聴く。
 小沢昭一の紹介で有名な節談説教は浄土真宗系のもの。これは、それを学び新たに起こされたもの。一人語りの掛け合い、節、地語りを組み合わせ、その時々に従ってメロディを変えるという。あまりうまく語ると芸能になり、信仰という面で欠けるところあるとか。綜芸種智院大学の学生など節談説教を継ぎたき若き人多く、彼らには自分のオリジナルを創るよう教えているなどの話しあり。

4月22日(日) 
 歌舞伎座、夜の部。『義経千本桜』「渡海屋」「大物浦」、『お江戸みやげ』、福助の『鷺娘』、一階二等席最後部で観る。久しぶりの二等席、傾斜強く、比較的見やすし。
 『お江戸みやげ』は、原作が川口松太郎だけに、新派の雰囲気。女行商人の芝翫と富十郎が、いい味を出している。もっとも、得な役ではある。粋という価値の魅力を、一寸斜に構えて見事に描き出した作品。
 『鷺娘』は、この季節にどうか。桟敷の天井に新緑の枝の作リ物。幕が開けば一面の銀世界。

4月28日(土) 晴
 グランシップで日文科の新入生歓迎会。歓迎行事、立食パーティの後、結城座の糸操り人形芝居、『野ざらし』『伽羅先代萩』を観る。お雛様の動いている如き、不思議な印象あり。
 『野ざらし』は落語ネタ。幇間の骨が、河原で幽霊に変わる場面は不要のような気がする。もっとも、落語の印象の強きせいか。
 『伽羅先代萩』、冒頭、観客に物語を理解させる工夫あり。死体を緋毛氈で隠し片付けるなど、歌舞伎の演出をパロディにして見せるところもあり。仁木弾正の引っ込み。下手より低くライトを当て、長い影を引かせるのがいい。

4月29日(日) 曇のち雨
 奥サン合宿へ。一成は昨日より金谷。
 午前中、録画しおきし仏映画『セ・ラ・ヴィ』観る。
 自転車で静岡駅へ。ライオンとやぶ福で昼食。雨が降り始めて、自転車を駐輪場に残し、バスで帰る。
 夜、内田康夫『はちまん』読了。

5月3日(木) 雨のち晴

 岐阜羽島で母と落ち合い、四人でひるがのへ。長良川鉄道美濃市駅にて一時間近い待ち合わせ。その間、一成に宿題をさせむとして様々あり。郡上八幡の魚寅で例の如き食事の後、バスで白鳥。白鳥祭とて、営業所前が終点。食料など買い込み、タクシーで十七寮に。途中、昨年は花を残せし桜、葉桜なり。八重はあれど、これも若葉の内にて、多からず。スキー場の斜面の残雪わずかに、十七寮の裏にはなし。暖房、風呂などトラブル続出。
(写真左・美濃市駅、手前が白鳥方面/右・郡上八幡吉田川宮ケ瀬橋袂より新橋方向を望む。手前右手に有名なみたらし団子の店、ソフトクリーム等を売る店がある)

5月4日(金) 快晴
 午前中、管理センターと白山電機に電話。風呂と暖房の修理を依頼。風呂は午前中に直る。
 午後、スキー場にて、一成と小型グライダーを飛ばす。内、一機は零戦のモデル。スキー場につくしあり。道にはすみれ多し。蕗は入山者に摘まれたると見えて、蕗の薹と小さき葉ばかり残りたり。
 夕方、簡易シャワーを付け替える。修理の結果、元のシャワーの設置困難となりたるゆえ。
 船田氏と金谷に電話。

5月5日(土) 曇時々晴
 五時半頃、うぐいすの声にて起こされる。昨日もかかることあり。
 昼前、タクシーで牧歌の里に赴く。昼食は、毎回焼肉のところ、初めてレストランの方に入る。牧歌の里、入園者多く、各施設に行列出来たり。レストランも例外ならず。但し、料理、応接共に、予想よりよし。飛騨牛の頬肉のビール煮を食す。奥サンは奥美濃地鶏の料理。一成と母はステーキ。ビールはハートランドビール、これ一種のみ。
 羊の毛に手を入れて、暖かさを感じるなど、様々あり。水芭蕉の花も見たり。退園時、出口にてアイスクリームの無料配布、突然始まる。大入り袋のようなものかなど、奥サン言う。
 帰宅後、コーヒーと買ってきたリンゴのケーキでしばらく休息。後、奥サン、一成と、家の前でフリスビーで遊ぶ。一成、しばしば林に投げ入れる。
 深夜、天井に鼠の騒ぐ音す。

 (左から順に、二枚は十七寮付近、次の二枚は牧歌の里、右手遠方にチャペルの見える写真は、ラベンダー畑の手入れの様子)

5月6日(日) 晴
 白鳥で昼食の後、東海北陸自動車道利用の岐阜バスで撤退。13時に白鳥駅前出発、14時25分(予定より5分早く)新岐阜着。岐阜羽島で母と別れ、日のある内に瀬名に戻る。バスの便利なこともあり、奥サン、ひるがのを気に入りつつあり。夏には、そうめんなど準備するという。

5月8日(火) 雨
 短大に献血車来る。血液型を知らんと思い付き、始めて献血をする。400ccを採られる。何ということもなし。血液型はO型とか。

5月11日(金) 晴
 島田、開講。自転車で往復。帰途、ノート・パソコンのメモリーを購入、増設。
 また、携帯電話経由でファックスの送受信が可能なように設定。

5月12日(土) 晴
 奥サン、一成、金谷へ日帰り。昼食は駅ビルのライオン。
 夜、自宅LANのwebサーバーの設定をする。

5月日13(日) 晴
 昼食後、一成と散歩を兼ねて、グラスを買いにエスポットへ。長尾川は初夏の風景(下写真)。


5月15日(火)
 総合セミナー委員会。

5月16日(水)
 日文科会。昨日の委員会に増して、あさましき(古語)こと聞く多し。夜八時近くまでありて帰る。
 風邪、具合よからず。
 文学のかおり高き、頻りになつかしく、幸田文の隅田川を描きたる随筆、寝床にて読む。

5月17日(木)
 夜、『アダルト・チルドレンという物語』読了。

5月18日(金)
 夜、幸田文を読む。

5月19日(土)
 補講ゼミ。小川先生と宿泊。

5月20日(日) 晴
 補講ゼミ終了。午後三時頃帰宅。日曜の午後とて、道に人影なく車の通るもなし。ただ、日のうららかに照りて風の吹きわたるのみ。復員する兵士の気持ちなど、ふと思う。濃密なる人間関係から解き放たれ、かつ安心の場に赴く孤独の、何とはなく類推せられたり。
 γーGTP140という結果(献血に伴う血液検査、数日前に結果の届く)を得て、本日より禁酒を始める。一ヶ月の予定。

5月24日(木)
 キナミ氏よりTEL.。31日の「とれたてラジオ」、安倍晴明の話を求められる。11月の翁雅楽会の件につき話す。公演の紹介を兼ねて、晴明の話をすることに決す。

5月26日(土) 雨のち曇
 映画『メトロポリス』初日。一成を連れて静岡東宝会館に観に行く。『ブレード・ランナー』を思わせる猥雑な未来都市の風景が、大友克洋の脚本だけあって、『アキラ』に似た映像美で描かれる。スウィング・ジャズ風の音楽もいい。しかし、この作品の最大の特徴であり、魅力となっているのは、「手塚治虫的なもの」の見事な再生であろう。アイデンティティを確立し得ぬ不安と、その不安を慈しむ眼差しの共存を、観客は十分に体験することができるのだ。
 傘を忘れて帰る。

5月27日(日) 雨のち曇
 河上さんに招かれて、芋掘りに焼津へ。和君たちと遊べて、一成も楽しい一日。
 寿司などご馳走になり、掘ったジャガイモ、その他のお土産と共に、瀬名まで送ってもらう。
 河上家ではビールを飲む。禁酒、八日目に一時中断(もとより、その予定也)。
 夜、一成の日記、順調に仕上がる。

5月28日(月)
 成人病検診。十数年ぶりにバリウムを飲む。

5月29日(火)
 朝比奈先生と学生委員会に、学生相談室ホーム・ページの原案を示す。

5月30日(水)
 午後、翁雅楽会の牧田さん来学。翌日の放送と、十一月の講演の打ち合わせ。
 夕方、科会。教職の学生のことなど。

5月31日(木)
 朝、とれたてラジオ。安倍晴明の話。時事川柳、お題は「伏魔殿」、出題は「土俵」。沢木さんより、東海道四百年祭にちなむ長唄の会の券を頂く。
 大里先生の奥様逝去。夕方、繁原先生の車で、石川、尾崎両先生と通夜に赴く。生きて在ることの悲しみを知ること深し。

6月1日(金)
 島田の渥美先生、放送をよく聴いて下さっているよし。昨日の話など出る。島田終了後、パルシェの食品館で待ち合わせ、奥サン、お義母様、一成と、オムライスの専門店で昼食。お義母様、過分におごって下さる。
 二時のJRバスで大岡山へ。

6月2日(土)
 昭和女子大で全国大学国語国文学会。林晃平氏、坂倉良一氏、針本正行氏に会う。
 ITと文学研究に関するシンポジウム、N-gramモデルを用いた分析の報告、少し面白けれど、応用範囲の広きものとも思われず。全体に、目新しきもの少なし。
 あと、末広亭に回る。翁家勝之助・勝丸の太神楽曲芸の途中より観る。小袁治は『せんち壺(祝壺)』。米朝は、壺の送り先を、店を持った贔屓の芸者として演るが、小袁治は、新築した兄ィにして演じる。さん喬の演目も、米朝の『蛇含草』の餅が蕎麦に替わるなどしたもの。正朝の与太郎咄も、米朝が『兵庫船』の中で、船中の博奕として語っているものである。これ等、上方と江戸の違いか、あるいは演者による工夫の違いか、確認したきもの也。
 扇橋は狐の咄。トリの円弥は、「子はかすがい」の人情咄。

6月3日(日)
 全国大学2日目。午前中の発表。総じて、文学研究にコンピュータを使うとより、コンピュータが使える範囲の文学研究といった傾向が強い。林晃平氏、吉海氏と昼食。林氏からは、先生方の近況を聞く。最近、晩節について考えさせられることの多くあり。
 歌舞伎座、夜の部を観る。「義経腰越状」「吉原雀」「荒川の佐吉」。
 「義経腰越状」は、頼朝・義経の確執の物語に、豊臣・徳川の対立を仮託し、しかも大きな魅力は五斗兵衛の酔態の演技にある。一つの物語が、複数の主題を重層させるという、『自然居士』などに典型的に認められる、芸能の特徴の一つをよく示したものである。
 「荒川の佐吉」は、羽左衛門急病で、配役変更。

6月4日(月)
 直接、島田に赴き、6月8日常葉創立記念日による休講の補講(一時限)。あと、短大。

6月5日(火)
 教授会。

6月7日(木)
 橘高校の授業研。伊藤光秋君の中心授業の助言講師を務める。伊藤君の授業、様々に工夫され、興味深きものなり。

6月8日(金)
 常葉創立記念日。教職履修者の相談事などすませて帰宅。昼食後、奥サン、一成と静岡駅に出る。一成は金谷へ、奥サンは静岡信用本店の柿下木冠個展会場へ、我は東京に向かう。バスに乗りて出発を待つに、窓ガラスを叩く音す。奥サン、「おかき」を買いて届けてくれる。
 東名江田より東急あざみの駅までの道、写真に撮る。

6月9日(土)
 自由が丘の産業能率短大にて、日本ビジネス実務学会。これまで出たことなきタイプの学会なり。思い掛けず、本部の高木氏にお会いする。
 会果てて、大岡山まで歩いて戻る。

6月10日(日) 曇のち雨
 昼過ぎに、学会二日目終了。船田氏に連絡をとり、大岡山で昼食。奥サンのピザ・トーストと、自由が丘の駅にて求めしサンドイッチ、コーヒー。
 あと、飯田橋に出て、神楽坂を上る。坂の途中に「ライオン」の支店あり。安曇野庵と称す。黒ビールを飲みつつ。蕎麦掻きの揚げ物などつつく。
 昨年九月、研修旅行のお付き合いで信州に赴く。安曇野の碌山美術館も訪れたり。美術館の傍らに蕎麦の畑ありて、白き小さき花の一面に咲く。壁には、その美術館の写真を掲げたり。
雲低く、辺り薄暗き中に、坂を上り下りする人の姿、ガラス扉の向こうにあり。夕立間近き夏の午後を描きし滝田ゆう『寺島町奇譚』の一場面、あるいは、本郷団子坂をモデルとして、喫茶店より往来と向かいの古書肆を眺める乱歩の『D坂の殺人事件』の冒頭、そぞろに思い出さるる。
 店を出れば雨、雷鳴もす。左は雨宿りの間に撮りしもの。

6月11日(月)
 深夜、cgiの基本的なテスト成功。

6月12日(火)
 夕刻、帰宅せんとしける折、短大中庭のビオトープに、この夏はじめて虫の音を聴く。

6月15日(金)
 (ここからの記入は、26日に行う。学生相談室HPのためのcgiプログラムの開発!? に七転八倒していたため)
 教育実習巡回のため、焼津方面に赴く。帰宅すれば、ADSLの工事、午前中にしに来たとのこと。但し、機器、アラームランプを点滅させるばかりで、接続できず。

6月16日(土)
 午前中、サポート・センターに電話。来週になるかも知れないと言っていたのが、昼頃、機器の取り替えに来る。
 夕方、母を静岡駅に迎えに行く。四人でちゃっきり亭で夕食。
 夜、母の持ってきたピサの斜塔にヒントを得たとかいうゲームをする。

6月17日(日)
 グランシップで「長唄にみる東海道夢舞台」。出演する沢木氏からチケットを貰って、自転車で行く。一年以前からの準備の在り様、しばしば氏に窺いしことあり。ロビーで、大川先生ご夫妻にお会いする。奥村副学長の奥様も、三味線で出られたよし。唄のみの邦楽、詞章のプリントもありて、よく楽しまるる。荷風の随筆であったか、商店の蔵の傍らを通りし時、若き娘の長唄の声と撥音の、明るく冴え冴えと聞こえしを記したる、思い出されたり。
  「佐久夜」のチケット三枚を買う。8月26日のもの。但し、よい席に非ず。

6月21日(木) 曇り時々雨
 高大一貫教育の企画で、常葉高校で授業。「能と癒し」と題し、古典芸能が、現代的な主題を持つことを強調的に話す。
 このため、県庁の介護等体験の協議会は欠席。河上教務課長一人に出ていただく。

6月22日(金) 曇り時々雨
 島田の後、新幹線で上京。新幹線を利用したのは、天候のためと、ノートパソコンを持参したため。学生相談室HPのcgiプログラムを組むつもりである。

6月23日(土) 曇り時々雨
 昼より、國學院大の国文学会委員会。あと、講演とシンポジウム。中国人留学生受け容れの件やその他、情報を得る。講演は、柳田国男のある面を活写したり。
 夜、プログラム作成のお勉強。

6月24日(日) 曇り時々雨
 国文学会の研究発表は、適当に逃げ出して、プログラムを組む。バグの続出。
 母は昼過ぎに帰京したよし。

6月25日(月) 晴、風強し
 昼頃、帰静。突然、夏の来たような陽気。
 学生委に出す、学生相談室HPの概要を記した表を作る。夜、プログラムの基本部分、やっと完成。

6月26日(火) 快晴、風強し
 研究室にて、久しぶりに日乗を記す。
 (以下の記述は、七月八日に行なう。学生相談室HP、薪能パンフ原稿などに忙殺されていたため)
 午後、学生委員会。学生相談室HPの制作状況を話す。

6月27日(水)
 放課後、教育実習反省会。一年生出席、六名のみ。

6月30日(土) 曇時々雨
 昼間、浜松城薪能パンフの「演目解説」を印刷所と勝海さんにFAX.。
 夕方、教育実習終了者のコンパ。パルシェ千房にて。

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