平成十二年十二月へ
【日乗 平成十三年 1】
1月1日(日)
三宅八幡参拝。鳩餅売切れで買えず。あと、知恩院(じいじの希望)、八坂神社と巡る。「蛇の目」で寿司。赤味が美味。背の方の赤味でなく、腹側のトロの上部の赤味とのこと。
1月2日(月)
朝、じいじ帰静。ばあば、聖子ちゃん、奥サンは買い物。一成と、鳩の形の飛行機の模型を作る。宝ケ池北園に飛ばしに行くも、風強く、凧揚げに切り替える。但し、準備不十分でうまく揚がらず。
夜、二階のプロジェクターで、録画し置きし紅白歌合戦の前半を皆で観る。
1月3日(火)
午前中、聖子ちゃん帰静。午後、凧揚げ。数年前に作りし四角の凧、高く揚がる。しかし、風の余りに強く、竹骨折れ、落下す。奴凧は、尻尾の長さ足らざる故か、低空に回転するのみ。
夕食後、紅白歌合戦の後半を皆で観る。
夜のTVニュース、四代目桂三木助の自殺を伝える。
1月4日(水) 曇時々晴
午後、五人で、下鴨神社の蹴鞠始めを観に行く。みたらし団子を食べた後、移動。京都タワーに上る。奥サン、金谷のばあば、駅ビルで土産など買い足す。伊勢丹の上で寿司を食べて帰る。国際会館駅のエスカレーターを昇れば、夜の宝ケ池通りに雪降るを見る。道路に積もるには至らず。田、屋根、などに薄くあり。家に戻れば、道を隔てたる鷺公園の樹木、枝を白く光らせたり。
1月5日(木)
午後、金谷のばあばと四人で帰静。
京都は曇り。小雪もちらつく。一成、庭石の上に小さき雪だるまを並べ、記念碑なりと言う。
列車、浜松に至れば、例年の如く、空晴れて、陽射し暖かき心地す。
1月8日(月)
ここ三日、年賀状の整理をし、卒業研究を読む。
1月9日(火)
教授会。あと、駅南の中島屋ガーデンで新年会。
1月10日(水)
午前中、入試問題の検討会。
家でのLANの設定、プロキシ・サーバー・ソフトの導入など、一応完成。
1月13日(土)
午前中、SATVカルチャーで歌舞伎の話(「無名者たち」)。芸談『歌舞伎ばしご』など扱う。
1月14日(日)
「歌舞伎を楽しむ会」の新年会。昼を挟んで浮月楼にて。歌舞伎の主題を考えるときに、近世と現代の平均寿命の違いを考慮する必要があるのではないか等、話す。
1月15日(月)
奥サン、独立展を観に上京するも、東京都美術館閉館日で自分の作品見られず。木村屋の餡パンと崎陽軒のシュウマイをお土産に、戻る。
長尾さんに、「『唐茄子屋政談』を歩く」の資料郵送。
夜、ビデオ・テープの整理。
1月17日(水)
午前中、県庁にて、介護体験実習協議会。
1月18日(木)
朝、「とれたてラジオ」出演。「正月と悪口」と題して話す。時事川柳のお題は「再編」、出題は「式(式典)」。
1月20日(土) 曇のち雨
午前中、自転車にて、本局まで郵便を出しに行く。田中励儀氏による書評の初校なり。
夜、木下恵介『陸軍』を観る。BSから録画し置きしものなり。笠智衆、田中絹代、杉村春子、皆若い。
昭和十九年十一月完成のこの作品、多少教条主義的な部分はあるものの、巧まざるユーモアを含み、風景の懐かしさと共に、観る者を引っぱって行く。そして、田中絹代の母が、出征する息子を送る、末尾のクライマックスとなる。この部分、科白は一切なく、映像と音楽のみ。しかも、実に行き届いた作り方である。為に、主人公たちの、そして観客の心理は、如何なる思想的な要約からも解き放たれ、存在論的な奥深さを示す。
こうした作品は、歴史の変遷の中で、その評価が左右され易い。しかし、作品の芸術性はそうした評価とは無縁のところに在る。作品は、全ての名作がそうであるように、ただ一つの目的に、即ち概念化を許さぬ世界を対象化することに、捧げられている。
言論や思想の統制は、本質的に芸術を傷つける力を持ち得ない。木下恵介も黒澤も、戦争中から十分に元気であった。彼等が本物の芸術家たる所以である。
1月21日(日)
島田より金谷まで歩き、歌舞伎に関わる史跡を写真に撮る。
1月23日(火)
卒業研究発表会。
1月27日(土)
一般入試A日程。あと科会。暗くなりて帰宅。
1月28日(日)
昨日の宵寝から午前四時ごろ起床。久し振りに、大量のビデオ録画をセットする。
夕方、東部団地公園にて一成と凧揚げ。凧は学校にて作りしもの。
日曜洋画劇場『アナコンダ』、録画しつつ観る。蛇が大嫌いなゆえ、却って観ることを促す思いあり。CGの大蛇より、実写の蛇、気持ち悪し。
1月29日(月)
夜、船田氏より電話。万年筆のコレクションの話を聞く。
1月31日(水)
成瀬巳喜男『めし』、ビデオで録画し置きしものを観る。
中国の大運河に関する番組、BS2で観る。蘇州の風景など、かつて研修旅行で赴きしを思い出して懐かし。
2月1日(木) 雨のち曇
一成、御殿場でスケート教室。
奥サン、十周年記念の筆を買う。
夜、『スピオーネ』を観る。戦前のドイツ映画なり。日本の情報機関など登場す。
2月3日(土)
午後、一成を連れて、京都まで「ひかり」で往復。上高野の加湿器をセットの為。
2月4日(日) 曇
午後、三人でコジマヘ。電話とマウスを購入。帰路、長尾川と巴川に挟まれた土手を通る。結婚したばかりの頃、鳥坂より草薙まで歩きしことなど思い出して語る。太郎で焼肉を食し戻る。全て徒歩なり。奥サン、最近、一成の登校を送りし帰途の散歩に、歩くことの楽しみを見つけたる様なり。
2月7日(水)
島田一般入試。帰路、市民病院前の虎御前に関わる地蔵などの写真を撮る。
2月10日(土)
一成に頼まれし飛行船の模型、朝顔の蔓を這わせる枠などを利用し、作り始む。
2月11日(日)
飛行船の模型、下部の船室・プロペラ等を付けて、一応完成。全て自宅にあるもので間に合わせる。
一成の、小学校の英語劇用の桃太郎の旗(奥サンと共同製作)も完成。
2月15日(水)
とれたてラジオ。バレンタイン・デーの翌日とて、江戸時代の女も恋に積極的だったこと。これに関わるエピソードが大井川周辺に多いことなどを話す。時事川柳、お題は「なれ合い」、出題は「予約」。「危機管理」という題と句も考えて行ったところ、日曜に、同じ題の時事川柳あるとて使えず。稲葉先生、始めて番組を聴かれた由。
2月16日(金)
この前後、自宅LANのメール・サーバーの設定、苦労して完成。マニュアルの僅かな解釈の違いが、大きな困難となる。FTPのプロキシは簡単に終了。
2月17日(土) 晴
橘小、マラソン大会。午前中、奥サンと応援に行く。
2月18日(日) 曇
研修旅行「『唐茄子屋政談』を歩く」、無事終了。薄日の射す穏やかな一日。
2月19日(月)
二年生登校日。夕刻、Hアソシアで卒業委員会。時間を間違え、遅れて行く。
2月20日(火) 曇
サーバーの設定などで余裕なく、2月7日以降の記事は、この日、研究室にて書きしもの也。
夜、LANのリモート制御など、成功。
デスク・トップ、画面の設定変更後、ウィンドウズのトラブル〈この後、修復に数日かかる〉。
2月21日(水)
総合セミナー委員会。学内LANに公開の「マナー教育」のHPを見せる。
2月25日(日)
午後、コジマまで三人で歩く。プリンターのインクとビデオ・テープを求め、「月さむ」でラーメンを食べて帰る。「月さむ」店構えを変えて、建物道路より後退す。北街道拡張のためか。
一成、月の針の如きを発見す。往路、天に高く、帰路、西の家並みの上に、光を増して低くあり。
往路、東に向いて長尾川の土手を見る(写真左)。北街道バイパスより、50メートルばかり南に行ったところ。写真中は、巴川に架かる橋より下流方向を撮ったもの。南側の岸に西日が当たっている。写真右は、帰路、同じ橋から西に向かって。空に光は残っているものの、地上は夕闇に包まれようとしている。この辺り、巴川、長尾川、放水路と、複雑に水路が入り組み、独特の景観を作っている。
2月26日(月)
夜、新潮文庫の内田康夫『皇女の霊柩』読了。宮部みゆき『理由』を読んで以来途絶えていた、久しぶりの内田康夫作品。妻籠・馬籠など、昨年九月の研修旅行で訪れし地名の出て懐かし。前半の雰囲気の盛り上げ方は流石。『追分殺人事件』と共に、内田康夫の歴史趣味、地誌趣味を示すものであるが、作品の主題と趣味との関わりは後者の方が緊密である。自作解説が、作者の方法論を示して、興味深い。
2月27日(火)
午前中、橘小学校の英語劇、学園大の「たちばなホール」であり。一成、桃太郎役で出る。
「歌舞伎の東海道・島田〜金谷篇」一応完成。アップロード。
夜、船田氏と電話。
2月28日(水)
一般入試B。
深夜、ビデオで『シェリルタリング・スカイ』を観る。米国の倦怠期のブルジョア夫婦が、サハラ砂漠を旅行する話。人生がゼロ・サム・ゲームであること。それ故に人は幻想的にしか生きられないこと、を描いて秀逸である。ベルトルッチ作品として、『ラスト・エンペラー』に共通する主題を、より明解に奥深く扱っている。
3月1日(木)
奥サンの、一基会の文書を作る「一太郎」の操作に付き合う。
深夜、ビデオで『明日は明日の風が吹く』を観る。石原裕次郎、北原三枝の共演もさることながら、昭和33年という日本の都市の風景の変貌期を見事に捉えている。古いタイプのやくざが二人、木場の水辺で時代の変化を感慨深げに語り合うシーンがいい。
3月2日(金) 晴
夜、「グレートジャーニー7・ヒマラヤ越え5800キロ」(テレビ静岡)を観る。録画はせず。ヒンズー寺院の前を流れる河の、岸辺にて火葬を行い、対岸では水浴び、子供たちの水泳などする様子、印象深し。
夕刊、株価の暴落、失業率の増加を伝える。政権の支持率も地に落ち、綱紀、上下ともに緩む。却って、サバサバした思いもあり。「平家は滅びるが故に明るい」といった言葉の、頻りに想起せらる。
3月3日(土) 晴
午後、一成をつれて、コジマへ、「一太郎11」と研究室用保温ポットを買いに行く。一成の学習用ソフトも買う。
インターネット・ディスク、プロキシ経由ではうまく行かず。
3月4日(日)
志水辰夫『きみ去りしのち』読了。「きみ去りしのち」「TOO YOUNG」「センチメンタル・ジャーニー」「煙が目にしみる」の連作。各々小学生〜大学生を主人公とし、四作を通して、人間の成長過程を辿る構成である。但し、主人公やシチュエーションは、作品ごとに独立している。心理描写の方法が、主人公の年齢に関わらず一貫しているために、「きみ去りしのち」は、少し無理のある印象。その他、全作を通して、主人公の心理に、リアリティを欠く部分あり。ただ、それが作品の軽やかな魅力を作っていることも事実である。「煙が目にしみる」は、そのような意味で、心地よい青春小説となっている。
3月7日(水)
夜、『HANA−BI』をビデオで。
3月8日(木) 晴
寒気戻る。
焼津にて、山本先生の御母堂の葬儀。後、奥村先生に短大まで送っていただく。
このところ、花粉多し。
3月9日(金)
奥サン、今日から合宿。一成を金谷に送る。
夜、三浦綾子『広き迷路』読了。
3月11日(日)
一成を迎えに金谷へ。24日の文学散歩のコースを辿りつつ行く。「よし善」をおごって貰う。あと、お義父さんの手紙などいろいろあり。
3月15日(木)
とれたてラジオ、「民主・平等の起源」と題し、『神皇正統記』のことなど。時事川柳、お題は「別れ」、出題は「退陣」。
教職課程委員会。
夜、『トト・ザ・ヒーロー』『年上の女』、ビデオで。
3月16日(金) 晴
卒業式。謝恩会の会場、お開きの後、美デ科の男子二人、壇上にギターを弾く。帰りそびれたる学生、十人ばかり、取り巻きて居たり。他に、袴姿の乙女ら、三々五々何かを話して居る。広き会場、青春の余韻とでも名付くべきものあり。あと、国文科の二次会に。
帰宅して、西村京太郎『祭りの果て、郡上八幡』読了。
3月17日(土)
結婚十周年記念日。
京都より母来る。奥サン、一成、母と、中島屋の中華で夕食。
3月18日(日)
午前中、リンク西奈で一成らのピアノの発表会。
午後、母と新幹線で東京へ。夕食は、久しぶりに渋谷のロゴスキー。
3月19日(月)
新橋演舞場にて、『仮名手本忠臣蔵』の通しを観る。
開演、午前十一時なれど、口上人形、その十五分ほど前より出る。人形振りの大序も開演予定時間より早し。
『道行旅路の花聟』、新之助の勘平、花道より伴内に「ばかめ」の声をかけるに、十分にその方へ顔を向けず。
七段目、辰之助の平右衛門、発声に多少の難あれど、演技は見事なり。
菊之助は全体に無難。『道行旅路の花聟』のお軽など、肉体の鍛えられたるしなやかさを感じさせる。
若き人たち、僅かな瑕瑾はあれど、よく芸道の精進を示す。
団十郎の由良之助は流石。観客をくつろがすもの有り。
夜の部、果てたるは九時半近く。
通しなれど、「松切り」などなし。歌舞伎座の夜の部に、八段目・九段目出る。演舞場にはなし。
今回は、梅幸と松緑の追善とて、筋書きに両人の写真集を別冊にて添えたり。
昼は蕎麦を食す。食しつつ母に物語を説明す。相席の婦人二人、ああそれで分かりました、など言う。夜の部、隣の席は女子大生、歌舞伎が好きでよく観に来るとか。母の京より来ると言えば、近く京都へ旅行するなど話す。
3月20日(火)
午後、母を東京駅に送る。ホーム売店にて、宮部みゆき『蒲生邸事件』を求め、読み始む。時間旅行者が、少年時、自らの能力に気付くところの描写、見事なり。「向田ふき」という蒲生邸に女中をしている少女の造型も魅力的である。女流作家が、こうした少女像を描き得ることに驚く。とにかく、この作家はうまい。読んでいる方が不安になるほどうまい。
山手線を有楽町で降り、宝塚劇場に廻れば、当日券売り切れ。天賞堂まで歩き、一成にグライダーの模型を買う。
夜、船田氏に会い、大岡山に出来たインターネット・カフェで、島田〜金谷文学散歩の資料など見せる。あと、自由が丘でお好み焼き、都立大まで歩き、焼鳥屋。これは始めての店。
3月21日(水)
八時十分発のこだまで帰静。C入試。
3月22日(木)
十八時より「点心之家」にて飯塚さんの送別会。
3月23日(金)
TVでミール落下のニュースを見る。椰子らしき葉影の彼方の空を、数個の光点の編隊となりて翔る映像なり。フィジー諸島で撮影せしものという。ロシアの発表は、「凱旋」の語を使用す。
3月24日(土) 晴
SATVCの文学散歩、島田〜金谷。
広島を中心に地震、京都も震度2。
3月25日(日) 雨
午後、奥サン、一成と京都へ。
静岡駅ホームにて、内田康夫『はちまん』上下を買い、読み始める。
3月27日(火) 晴
午前中、歯医者からの帰り、洛北高校から宝ケ池までを写真に撮る。
午後、一成と梅小路蒸気機関車館へ。
車庫に並ぶ蒸気機関車を見ていて、ふと「工業の夢」という言葉が浮かぶ。産業にせよ戦争にせよ、今日では、それらは殆どの場合、複数の価値の葛藤の中にある。開発か環境保全か、国益か平和かといった議論が、避けがたく付き纏う。蒸気機関車の活躍していた時代、産業の振興は、間違いなく善であり、そこに価値の葛藤は存在しなかった。我々が蒸気機関車に抱く郷愁の一部は、この葛藤不在への憧れに由来するものではないだろうか。
ビデオの上映を観る。今日、映していたのは、黒岩保美『蒸気機関車時代』。よく知られたクラシック音楽(ベートーベンの第八交響曲他)をバックに、SLの走る風景が次々と映し出される。北海道の秋の広野がいい。観ている内に、撮影者は、SLの姿に人生を重ね合わせているのではないかという気がしてきた。もちろん、意識的にそうしたわけではあるまい。しかし、人間が何かを愛し、かつそれを対象化する時、対象は人生の比喩以外のものでは在り得ないのではないだろうか。
閉館近くまで居る。人の去りし車庫に、黒い巨体の並んでいる風景は、やはりいい。
あと、一成の欲しがる夕食のおかず(鶏のももの照り焼き?)を求めて、伊勢丹、近鉄、大丸と巡り、帰る。
3月28日(水) 雨
母は女学校のクラス会。昼食は三人で宝ケ池通りの「王将」。食後、「王将の適齢期」は過ぎたようだなどと奥サンと話す。
雨で、予定していた宝ケ池周囲の山歩き出来ず。
夜、一成に、『海底二万哩』のビデオ、プロジェクターで見せる。
3月29日(木) 曇
本日で、歯医者終了。
昼食後、母、一成と、宝ケ池周囲の山歩き。新しく整備された道を辿る。あと、池畔に出る。
池の水面、先日の雨のためか、高し。風ありて波立つ。会議場側に常にいる亀は、姿を見せず。狐坂側の岸辺に、一成、家鴨を追う。家鴨、慌てもせず。一成、羽根に触れたよし。
夕食は、四人で四条烏丸の開晴亭。仏料理。赤ピーマンのムース珍し、人参のポタージュ、驚くほど熱し。味、応対共によし。
帰途、北大路ビブレに寄りて、『河口慧海』『役行者伝記集成』の二著を求む。また、十勝産の餡を買いて、帰宅後、金谷より送られたる草餅に付けて食す。
3月30日(金) 晴のち小雨
家族で大阪に赴く。一成は初めてなり。上高野の桜未だほとんど蕾なるも、阪急電車の沿線は三〜四分咲きたり。
道頓堀に至る。思いの外寒し。たこ昌にて昼食。たこ焼、明石焼、一銭洋食。たこ焼は、醤油味にて、ソースも鰹節も付けざるもの。美味なれど期待に違う。法善寺にて「夫婦ぜんざい」を買う。
大阪港に向かい、海遊館を見、天保山大観覧車に乗る。少しく恐ろし。
梅田の阪急百貨店にて、大阪寿司求め帰る。国際会館駅を出れば小雨なり。夕食は、その寿司など。ぜんざいも食べる。
一成に大阪城を見せること、最初の目的なれど、時間足らで叶わず。
本日、セ・リーグ開幕。夕食後、巨神戦の中継を観る。
3月31日(土) 雨
割り箸、段ボールなどで、観覧車の模型を作らされる。
昼のニュース、大阪のUSJ開場を伝える。
午後、一成を二階の部屋に呼び、いつも彼がキーボードで弾いている『天空の城ラピュタ』のオーケストラ曲を聴かせる。書架の手塚治虫全集に興味を示したので、昨日の海遊館を思い出し、『海のトリトン』第一巻を見せる。音楽を聴きつつ熱心に読む。
ステーキの夕食とケーキで誕生パーティ。あと、プロ野球中継を観つつ、観覧車を仕上げる。