平成十二年九月へ

【日乗 平成十二年 4】

10月1日(日)
 この日乗を始めしは、昨年の今日なりき。

10月3日(火)
 静岡新聞朝刊に、芭蕉研究家山本唯一氏逝去のベタ記事出る。奥サン、大学時代、非常勤講師であった人。履修届もせぬに授業に出、友人と自宅まで行ったこともある由。奥サン、記事の切抜きをする。

10月8日(日) 曇
 午前中、統一入試の本部待機。
 午後、AOIの三好数彦コンサートに赴く。
 先月、一成の自転車を買いに行った帰りに通った道を、自転車で逆に辿る。
 コンサート、趣向様々に楽しく、三好先生、例の如くダンディにて、テノール心地よし。
 ただし、三好先生、古希を過ぎたり。長嶋茂雄も、六十の半ばなるか。思い合わされ、かすかに淋し。
 祝電の披露あり。宝塚で活躍中の教え子からのものもあり。「かっこいい先生」などと書きたり。
 ロビーにて、河合正直先生など、懐かしき人、ご無沙汰をしている人にお会いする。
 はねて後、アスティの本屋にて、高樹のぶ子『彩雲の峰』を求め、例の如く「ライオン」「やぶ福」と巡りつつ読む。
 長嶋巨人に関する本やムック、一成のお土産のスチーブンソンの『宝島』、なども買う。

10月14日(土)
 SATVカルチャーの歌舞伎講座。和事について話す。
 後、近所の天麩羅屋、駅ビルの「やぶ福」と回る。
 この頃までに島田荘司『寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁』読了。『占星術殺人事件』に似たる怪奇趣味あり。但し、ラストは『占星術』の方がはるかにいい。
 また、この頃までに、小文の載った國學院の学会通信届く。

10月16日(月)
 深夜、浜野茂則『伝記小説・深沢七郎』読了。

10月17日(火)
 文芸部の原稿を渡す。昨年の「ひるがの」の一夜をモデルにした創作。
 昨日、「戸倉神社」をネットで検索していたらこのHPに行き当たったという方からのメールを確認。本日、返信する。

10月19日(木)
 朝、「とれたてラジオ」出演。顔見世の話などする。時事川柳の題は「仕返し」。題の故か、何時になく投稿多し。出題は「受賞」。木村都先生、聴いてくださったよし。
 放送のための準備をしている早朝、プリンターついに壊れる。
 鰍ィうふうの新刊案内届く。林晃平氏の大著、渋谷栄一氏の編著などあり。

10月20日(金) 雨
 朝、入試問題の校正のため駅南の印刷所へ。帰途、伊勢丹向かいのパソコンショップでプリンターを買う。コピー、スキャナ等の兼用機。

10月21日(土) 晴
 午前中、教職の委員会。
 帰宅して程なく、上條彰次先生より『詞林夢幻−戦中戦後−』届く。
 夜、日本シリーズ、ON対決第一戦。松井のホームラン出るも、投手陣持ちこたえられず、5−3で負け。中継の、掛布・江川の解説、妙に冷静で小憎らしく覚ゆ。

10月22日(日)
 入試、会議等で出勤。
 夜、浜野茂則『伝記小説・深沢七郎』を書籍紹介の頁にアップロード。
 日本シリーズ、長嶋巨人二連敗。小賢しい評論家たちの長嶋批判が、また始まる。しかし、項羽は楚歌を聞きて本紀に描かれ、大和は沈んで不沈戦艦の名を恣にす。長嶋茂雄は、そのような民衆の心の秘儀において、英雄となり続ける(あり続ける、ではなく)。
 また、こんなことも考える。マスコミも世間も、長嶋を助六の明るさにおいて、捉えている。しかし、彼も本当は曾我五郎なのだ。民衆が愛してやまないのは、自らの暗部を投影した人格である。一方、民衆は自らの暗部を恐れるが故に、その人格に過剰なまでの明るさを付与してしまう。英雄不死伝説の逆説よりも、もっと奥深い逆説が、英雄物語には存在するのであり、七段目の由良之助も大坂城の壮麗も、この文脈において読み解くべきなのだ。そして現代に、この多重の逆説を担っているほとんど唯一の存在が、長嶋茂雄なのであると。

10月23日(月) 終日雨
 日本シリーズ、長嶋巨人初勝利。

10月26日(木) 曇
 長嶋巨人、タイに持ち込む。

10月27日(金)
 18時30分発のJRバスで東京へ。発車時刻に日本シリーズ第五戦プレーボール。携帯ラジオを聴きながら行く。バスの移動に伴い、中継局も移動する。あざみ野駅、電車に乗る時点で中継終了。長嶋巨人三連勝。
 大岡山に来れば、ホームに船田氏いる。銀河高原ビールなどを飲み、話を聞く。十二時過ぎ、自由が丘でラーメンを食べ別れる。歩いて大岡山に戻る。

10月28日(土) 曇のち小雨
 國學院の国文学会で講演を聴いた後、浅草へ。
 『唐茄子屋政談』に関わる文学散歩の下調べ。吾妻橋から本所方面を歩き、写真を撮る。
 六時過ぎ帰宅。日本シリーズを観る。長嶋巨人優勝。九回、いよいよ決着の付かむとする時、長嶋監督の表情苦しげに、ダイエー王監督、黒江助監督の表情却って穏やかなり。
 その後、例によって自由が丘。終電車で戻る。終電、五分ばかり遅れたり。

10月29日(日) 終日小雨
 國學院の国文学会で研究発表を聴いた後、午後、浅草へ。
 田原町、東本願寺(門跡様)、旧北寺町、と写真を撮りつつ歩く。
 地下鉄にて東日本橋に出、日本橋横山町の写真を撮る。日曜のビジネス街、人通り少なし。
 市ヶ谷から、出来たばかりの南北線で大岡山に戻る。
 スポーツ各紙、一面に長嶋の活字躍る。『スポニチ』のサブタイトル「20世紀最後のシリーズ20世紀最大のスターが締めた」。胴上げの写真を載せたる多きが中に、『スポニチ』は、ペナントを持って五色のテープ舞う中を歩くミスターの姿。この写真が一番いい。どことなく、ステージの三好先生の想起せらる。
 地下鉄の車中、スポーツ紙を手にする人多し。
 一成は、奥サンと登呂の博物館に行ったよし。

10月30日(月)
 之山忌。朝、新幹線で帰静。

11月1日(火) 雨
 東京で撮影の写真を元に、HP「『唐茄子屋政談』を歩く」を制作、アップロード。完成は早朝、午前四時半ごろ。

11月3日(金) 曇
 午前中、長嶋巨人日本シリーズ優勝パレード。一時ごろ起きて、ビデオで観る。
 夜、学内向けHPの更新データ、信州旅行写真集を含めて完成。

11月4日(土) 晴
 小学校のバザーのテント張り。

11月5日(日) 晴
 橘小学校バザー。学園大の前より同校までの道、整備されたる、また、生徒より他に使う人殆どなき小路などあり。写真に撮る。


11月6日(月)
 夜、久し振りに長尾川遊歩道を散策。一周回ったのみで戻る。

11月7日(火) 晴
 夕食は鴨鍋。あと、長尾川遊歩道を二周する。橘高グラウンドのナイター照明のオレンジの光、薄き霧ににじむ。遠き樹木、建物の影、淡き光の中に浮かぶ。歩き行く道の桜並木、梢に留まる葉少なし。これもオレンジに染まりたり。

11月8日(水)
 シトラス文学賞、最終選考。
 夕食後、長尾川遊歩道を散策。一周のみ。
 深夜、信州・木曾研修旅行文集の原稿「萩の宮居」を書き、大川先生に送信。

11月11日(土) 晴
 橘香祭第一日。
 一成、発熱収まり、じいじと来る。お茶会など体験。
 夜、大川先生宅の源平庵中ジメに顔を出す。奥サンの五目寿司を持参。野村君が下げて来た果実酒のような日本酒(宮城のもの)を飲む。

11月12日(日) 晴
 橘香祭二日目。奥サン、一成と来る。ピッポの人形劇など観る。
 倉橋楓さんに会う。卒業生にしてHP「ロマンス堂」のご主人なり。
 五時頃、柴田氏と電話で放送の打ち合わせ。
 その後、体育館の後夜祭を覗く。ステージの上に、四人の男子ありて、演奏す。アンプの音量、衝撃波となりて、聴く者の体を打つ。乙女ら数十人、ステージ間近に身を揺らす。ハート形の風船を振るもあり。その後方のフロアは人影まばらに、大音響の中、携帯電話を耳に当て、館を出て行く者など見ゆ。館内、ステージのほかは薄暗く、音量のみ激しきに、祭り果てつつあるの寂寥を禁じ得ず。

11月13日(月) 曇

 午後、瀬名新田まで散策。雲、かすかに黄を帯びて全天を覆う。太陽、おぼろなる光点としてその在り処を示す。桜並木の、梢に残りたる葉、少なし。あるいは道端に、あるいは庭に鉢を並べて菊を植うる。小菊あり、大輪のものあり。「奈良には古き」の句など、思い出さるる。西奈団地に近く、川のほとりに石の地蔵います。これにも菊を供えたり(写真左)。新田橋まで行き、北に向かいてシャッターを切りて(写真右)戻る。

11月14日(火)
 夕食後、エスポットの前を東へ、流通通りまで散策。すみや・エレパークを覗いて戻る。車多く空気悪けれど、夜の街の灯、懐かしき心地す。

11月16日(水)
 朝、「とれたてラジオ」。芭蕉忍者説と前近代の旅の思想について話す。時事川柳、お題は「でっち上げ」、遺跡発掘のインチキに対する厳しい内容多し。出題は、「まさか」。

11月17日(金) 雨のち曇
 国語国文科秋期講演会。大河ドラマの時代考証などで有名な、静大の小和田哲男氏。あと、喜久善で懇談会。話様々伺う中に、平安から鎌倉にかけて、妻訪い婚が嫁入り婚に変化した理由、興味深し。男が戦場に出ること多くなりし故と。歴史学者らしき解釈なり。

11月18日(土)
 SATVカルチャー、『あやめぐさ』を中心に、女形について話す。話しつつ、眠気はなはだし。文学散歩についても議す。<もの>のなければ、旅をつまらなく思う人もあり。例えば、ビル街のプレート一つから、昔を偲ぶなどという楽しみ、必ずしも歓迎されざる如し。

11月20日(月) 雨
 政局のニュース、夜に入りて、加藤・山崎両派の倒閣運動、突然の挫折を伝える。衆議院の演壇から、議員席へコップの水を撒くなどのこともあり。
 深夜、ニュースの気になり、消しがたきままについているNHKテレビ、中国黄龍の景観を伝える。

11月22日(水)
 昼休み、研修旅行「『唐茄子屋政談』を歩く」の第一回ガイダンス。21名集まる。

11月23日(木)
 夕刻、奥サン、一成と、エスポットの前を経て、流通通りを南へ北街道まで歩く。ちりめん亭でラーメンなど食べて、北街道のバイパスを通って帰る。

11月24日(金)
 五時半、センチュリーHで金谷のじいじ、ばあば、聖子ちゃんと待ち合わせ。奥サン・一成も少し遅れて別に来る。六人で、ホテルの中華レストランへ。聖子ちゃんのおごり。
 味よし。ウェイトレスの応対よし。ウェイトレスさん、一成を、聖子ちゃんの子と思っていたとのこと。

11月26日(日)
 深夜(27日の午前4時前)、常葉国文の原稿(能の『融』に関するもの)出来、大川先生にメールで送る。

11月27日(月) 晴
 午後、瀬名新田まで散策。帰りはバスに乗り、薬屋に寄る。
 深夜、寝床で宮部みゆきの『本所深川ふしぎ草紙』読了。
 このところ、奥サン、一成の誕生日プレゼントとかで、こっそり毛糸のドラえもんのぬいぐるみを作っている。

11月28日(火)
 昼間、歌舞伎座の席のことで、鈴木春美さんから研究室に電話あり。JTBに勤めているとのこと。
 改正少年法成立。ニュースステーションは、数年前に起こった女子高生監禁殺害事件の犯人の一人と、犯人の母親の一人のインタヴューを流す。

11月27日(月)
 深夜、高樹のぶ子『彩雲の峰』(新潮文庫)読了。「高樹のぶ子の小説は贅沢である。」に始まる与那覇恵子の解説、いいところを突いている。文学的な、あるいは心理主義的な奥行きによって、<贅沢な>娯楽性が支えられている、稀有な作品である。名作といってよい。

11月28日(火)
 上條彰次先生の『詞花……』あちこち読む。
 大学が、青春に於ける学的憧れの場であった時代、彷彿たり。

11月29日(水)
 深夜、ある歌番組に触発されて、山口百恵の引退記念コンサートをビデオで観る。録画して以来、観るのは始めてなり。仕事をしつつ、横に流しておいたのみ。百恵のステージ、歌番組にあった初期のものを含め、若さ故の窮屈さ感じられず。春風亭柳昇の高座のくつろぎを思わせるものあり。ビデオ、再見の要あり。

12月1日(金)
 専攻科の修了論文発表会の後、8時18分のこだまで大岡山へ。
 静岡駅で、久間十義『狂騒曲』を求め、読み始む。バブル経済の時代を描いた作品。
 三島、新横浜間は、眠ってしまう。

12月2日(土) 曇
 朝のNHKテレビ、癒しの空間を提供するビジネスを伝える。目黒の某店、二畳の個室にマッサージ・チェアを置いて、客を休ませる。30分500円なり。利用者として登場したのは、ベンチャー企業の社長氏。他に、酸素を吸わせて、20分二千円の店もあり。
 ※アナログ・レコードで森田童子を聴きながら、思うことあり。過ぎ去りしは時代か、はたまた我が青春かと。時のツンドラへ送られる流刑囚たちよ、それでも胸を張ろうじゃないか。(通信の短信用?)
 午後、研修旅行「『唐茄子屋政談』を歩く」の行程確認。東京駅から日本橋を経て、日本橋横山町まで歩く。歩くうちに日が暮れる。
 夜、船田氏と自由が丘。駅近くの初めての店。(左写真、上日本橋、下三越デパート一階の弁天像)

12月3日(日)
 午後、再度、研修旅行「『唐茄子屋政談』を歩く」の行程確認。東京駅総武線ホームから馬喰町駅、横山町を経て、東日本橋駅から地下鉄で浅草。雷門で船田氏と待ち合わせ。文化観光センターにて旧浅草松竹座の位置を聞いた後、現地を確認。本所から亀沢、蔵前と歩き、駒形堂傍らの麦とろを食す。
 あと、神楽坂に行き、与謝野晶子が行きつけの陶器店などを見る。飯田橋より南北線で帰る。

12月4日(月)
 歌舞伎座、夜の部、『引窓』、『勧進帳』、『蘭蝶』。
 『勧進帳』、団十郎の弁慶に猿之助の富樫。
 『蘭蝶』の最後に口上あり。紀文の八十助上手に、此糸の芝雀下手に居て、蘭蝶の宗十郎挨拶す。二十一世紀の贔屓を願い、正月からの三津五郎襲名を予告す。
 ちなみに、南座の顔見世、夜の部の最後は『篭釣瓶』とのこと。東西共に、愛想尽かし、で終わる。

12月5日(火) 晴
 早朝、帰静。新幹線より雪をいただいた富士山を見る。
 初代桂春団治のCD全集届く。

12月8日(金)
 理事長義母様の通夜。

12月9日(土)
 推薦B入試。昼、第二回シトラス文学賞表彰式。夕方より、喜久善で国文科の忘年会。

12月10日(日)
 研修旅行「『唐茄子屋政談』を歩く」のHP、ほぼ完成。
 夕方、母来る。京都で、無言電話三回あったよし。

12月11日(月) 晴
 高校訪問。島田・金谷・掛川と四校まわる。風強く、空澄みたり。写真、九枚撮る。金谷高校に近く、水路に渡したる橋を通りてのみ入り口に至るクリーニング店あり。構造、面白けれど、写真うまく行かず。
 岩波新書七冊買う。六冊はインターネット関連にて、授業テキスト選定のため。一冊は『ドキュメント屠場』。

12月12日(火)
 一成、八歳の誕生日。夕刻、お寿司と、奥サンの焼いた汽車の形のケーキでお祝い。金谷からもお祝いのファックス届く。聖子ちゃんのものらしき文面よし。

12月13日(水) 快晴
 高校訪問。大井川高〜相良高と四校。風強し。大井川高近くのバス停で、バスを待つ間に、雪を頂きたる富士見ゆ。冬枯れの田に、住宅の交じりたる地域なり。富士は、遠き家並みの上にあり。バスの通る国道の脇、コスモスの花僅かに残りて揺れる。

12月16日(土)
 SATVカルチャー歌舞伎、「作者」の話。文学散歩の日程なども詰める(3/24)。
 夕方、四人でヒマール。

12月17日(日)
 昼は、四人で北街道近くのうどん屋。
 午後、SBSの柴田さんから打ち合わせの電話。
 夕方、奥サンと「コジマ」にテレビデオを買いに行く。嫁入り道具の一つなるテレビデオ、遂に壊れたるため。
 店舗の大きさに驚く。イーサネット・カードなど、ホームLAN用の機材も買う。
 夜は、家で天麩羅。
 深夜、買ってきたテレビデオで、百恵の引退記念コンサートのビデオを観る。

12月18日(月)
 一日かけて、LANの設定。旧デスクトップを、ファイル・サーバーにしてみる。

12月19日(火)
 入試問題の検討会、七時過ぎまで。

12月20日(水)
 科会、八時近くまで。

12月21日(木)
 朝、SBSとれたてラジオ。「20世紀最後の芝居」と題し話す。時事川柳、出題は「ロボット」。
 自宅に戻れば、直前に母、京都に向かったとのこと。
 五時過ぎまで、卒業研究提出締切日のゴタゴタ。

12月22日(金)
 忙しさと、不規則な生活の連続で、風邪気味。
 二時半過ぎの「こだま」で、一成と京都へ。昼食を食べた「はいから亭」でビールを飲み、車中でまた飲む。
 二人とも、豊橋から米原を過ぎる辺りまで寝てしまう。米原を過ぎて、一成、日記を書く。京都駅到着直前に出来上がる。
 右手に琵琶湖の見える辺り、夕映えに飛ぶ鳥の群れを見る。一成に示せば、そのことも日記に書きたり。
 上高野の二階の37インチのビデオモニター、壊れている。
 夜、権太呂より晦日寄席の案内の電話あり。奥サンと二人分申し込む。

12月23日(土) 曇
 天皇誕生日。
 昼食後、一成を連れて河原町三条へ『ゴジラ×メガギラスG消滅作戦』を観に行く。娯楽作品としてのテンポのよさがあり、シリーズの最近のものの中では、『ゴジラ対キングギドラ』と並ぶ、よい出来。しかも、「ゴジラ映画史」を垣間見せてくれるところが、古くからのファンには嬉しい。ちなみに、『ゴジラ対キングギドラ』は、ゴジラをモチーフに戦後史を見せてくれた面があった。
 デパートを巡り一成のクリスマス・プレゼント(汽車のセット)を買い、タニヤマ無線でテレビのカタログを貰いなどして戻る。
 夕食は、宝ケ池PHで三人でお寿司。一成、味噌汁をひっくり返す。
 奥サンは、静岡で一基会の忘年会。

12月24日(日) 曇
 午後、一成と梅小路蒸気機関車館へ。帰りのバスで、老婦人に席を譲れと言えば、一成、素直に譲る。
 帰れば、奥サン来ている。太田さん提供の鳥の足と、ばあばの買ったケーキでクリスマス・パーティ。
 夜、一成やばあばの枕元に、こっそりプレゼントを置くなどのことあり。

12月25日(月) 晴
 四人で、岡崎の権太呂へ。晦日寄席のチケットの受け取りと昼食。晦日寄席、昨年も米朝でやったよし。麺類の味、皆に好評。自身は狐丼を食す。卵とじの狐丼なり。
 あと、一成と二人で、京都御所の中を丸太町通りから今出川まで歩く。

12月26日(火) 曇時々雪
 HPの「曳杖録」トップページに、BGMを付けて見る。
 ビデオモニター、修理不能と判明。液晶プロジェクター(激安品)とスクリーンを発注。
 一成、雪の積もるを期待するも、夜に入りて雲切れ、星出づ。

12月27日(水)
 昼食、うどん。権太呂の真似をして、奥サン、卵とじを造る。
 午後、奥サンは島田さんのエステへ。一成を連れ、賀茂川で鳩とユリカモメに餌をやる。母と四人でビブレで買い物をして帰る。ビブレの中庭の池、取り払われ、ベンチが置かれている。池に彩りを添えたりし陶器の蝸牛たち、何処に行きし。
 夕食は、宝ケ池通りの焼肉屋。
 夜、稲葉先生より電話。
 母、風邪気味とて、早く床につく。

12月28日(木) 曇時々雨
 午後六時より権太呂の晦日寄席。奥サンと行く。二階の十五畳ほどの座敷、二間を通して会場とす。演者と観客、指呼の間にあり。
 亭主の奇術の後、桂小米『掛取り』、米朝『替り目』。
 『掛取り』、去年の大晦日の思い出を語った後、今日の段取りにかかる直前、男の笑いがある。この笑いを、小米は、比較的淡白に手早く済ましている。米朝ならば、笑い声「はっはっは」は、スタッカートにして、次の段取りへ十分な時間をとったと思われる。掛取り、二人目が芝居好き、三人目が喧嘩好きは、通例。一人目が演者の工夫の見せどころ。今回は、阪神タイガースのファンで、実は隠れ巨人ファンという複雑な設定。褒貶分かれるところであろう。
 『替り目』、米朝師匠、老いたりと言えども、流石である。後半を端折ることの多い話を、「替り目」の意味が分かるところまで演る。
 中入りの時、浴衣姿の米朝、客去りし座敷を横切ることあり。並びたる座布団、決して踏むことなし。
 座布団といえば、「おざぶ」などという言葉の聞かれる、ゆかしい会である。

12月29日(金)
 夕方、金谷のじいじ、ばあば、聖子ちゃん来る。

12月30日(土) 曇
 午後、七人で、錦小路、清水寺、三年坂と巡る。三年坂に至りしは黄昏時なり。土産売る店々の灯の流れ出でて、行き交う遊覧の客を影となす。余りに名高き故に、却って興味も持たざりし街の、かかる姿もあらむと、思いを新たにす(左写真)。夢の内にある如き心地して歩む。
 あと、桃園亭で忘年会。

12月31日(日) 雨のち曇

 日暮れて後、「京都、炎の大祭典」を見に、御池通りへ赴く。金谷の人々来たりし目的の一つは、これを見ることなり。
 地下鉄の駅を出れば、広き通りの両側に、高さ三米ばかりの直方体の灯り立ち並ぶ。灯路祭と称す。車の通行を止めて、人々道幅一杯にそぞろ歩く(右写真)。
 史上初めてという大晦日の大文字、鞍馬の火祭の行列の寺町通りを市役所前へ来るなど見る。大文字、夏に見るとは、炎の色少しく異なりたり。鞍馬の火祭、大松明を担ぐ半裸の男達あり。着物姿で松明をかざす女性あり。若き男女は、多く洋装なり。幼きもの達も歩む。火の行列、太鼓を打ち鳴らし、皆、「サイリョウ」の声を上ぐ。
 母と金谷の三人、タクシーにて帰りし後、奥サン、一成と、カウントダウン・セレモニーを見る。
 年明けて、再び灯り立ち並ぶ中を、烏丸通りに戻り、地下鉄に乗る。地下鉄の中で、一成、眠りに落ちる。

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