平成十二年六月へ
【日乗 平成十二年 3】
7月4日(火)
浜松城薪能パンフレット原稿、印刷所に入れる。
7月6日(木)
薪能パンフレット、初校届く。急いでいる如し。
7月8日(土)
薪能パンフレット、校正送る。
7月9日(日)
午後、奥サン、一成と清水の七夕祭へ。
浴衣の少女たち、両袖を肩に上げて腕を露わに歩く多し。かつての男衆の風俗なり。股の辺りの布を上げて帯に挟むもあり。流石に尻紮げはせず。
デスラー戦闘空母の模型、一成のお土産。南部鉄の大振りの風鈴、奥サンのお土産。
杉山学氏への礼状、やっと発送。
7月10日(月)
看護学校の帰途、島田駅で三浦綾子『難病日記』を求む。日記、擬古文を交えたり。
柴田氏から電話。「とれたてラジオ」の出演依頼。ブレーク・クラーク『真珠湾』の、番組での紹介を持ちかける。
國學院の国文学会から、近況報告の原稿依頼。
デスラー戦闘空母、うまく作れず、一成、苛立ち泣く。箱の内側に、「対象年齢15歳以上」の文字あり。
伏見さんにメール。東儀秀樹コンサートの感想。
7月12日(水) 曇のち晴
午前中、入試問題の検討会。あと、川根高校を訪問。
金谷より大井川鉄道にて駿河徳山に向かう。何度か通いし道なり。学生募集について、余り捗々しい話も聞かれず。
帰路は、時間が合ってSLに乗る。切符を売る駅員、乗車券の他の列車より高額になることを頻りに気にする。
古き客車に冷房なし。窓を開けて走る。石炭の臭い懐かし。夏の繁りの、甘き香のすることもあり。大井川の支流、本流、幾たびか渡る。川に水少なけれど、川風吹き入りて涼し。そのかみのこの国の、夏の快適の偲ばるる。16時9分、金谷着。一時間余の行程なり(写真)。
Hアソシアで奥サン、一成と待ち合わせ。服を買った後、食事。京都からの電話で、島田さん、もう一部屋借りる話決まったとのこと。
帰宅すれば、薪能パンフレット、二校届きたり。
7月13日(木) 曇
午後、Hグランド富士の入試説明会へ。会場は、富士駅から徒歩七分のところ。富士市は製紙の街なり。街中のビルの屋上を越して、白煙を吐く煙突の覗く。会場への途中、公園あり。平垣公園という。その前の、歩道の真中に、巨木立てり(左写真)。また、会場に近く、富士見高校の傍らに碑あり(右写真)。「巡査部長松原要殉職之地」と刻めり。裏面に、同巡査部長の、明治三十五年十一月五日に生まれしこと。昭和五年十月二十三日、兇賊逮捕に赴き、この場所にて斃れしこと。昭和十五年十月二十三日、この碑を建立せることなど記せり。建立者に、吉原警察署長の名などあり。あるいは、建立者は、斃れし者の親友ならむか。碑、戦火をくぐり六十歳を経て建つ。古びたる板塔婆、碑に立てかけられてあり。花も供えられたり。ゆかしき思いす。
入試説明会は五時半を過ぎて客足途絶え、早仕舞いとなる。
深夜、薪能パンフレットの校正をする。
7月16日(日) 晴
早朝、奥サン、毎日書道展のため東京へ。昼頃、一成と登呂遺跡へ。玄関を先に出た一成、大事件々々と叫んで戻る。庭の向日葵の、初めて一輪を開きたるを告ぐるなり。一昨年、北海道に旅せし時、富良野にて求めたる種の、昨年は上高野に咲き、今年はその種を上高野と瀬名に蒔く。その花なり(右)。
写真を撮らんとして、一成に傍らに立てと言えど、寄らず。幼きより、向日葵を怖がる子なり。上高野の家の、合板の扉の木目を怖がりしこともあり。
登呂遺跡は暑し。竪穴式住居の中は涼し。渋沢龍彦か中井英夫か、アルタミラ洞窟の内部より外景を写したる写真を褒めたるを読みしことあり。同じ構図で撮ってみる(下)。
博物館にて、一成、田下駄、火起こしなど試みる。
水田跡、二箇所あり。一は博物館等に隣接して広く、一は住宅地の中にありて狭し。後のもの、ゆかしく覚ゆ。シャッターを押せど、既にミーシャの記憶量を過ぎたり。残らず。
道を誤り、静岡新聞社の前まで歩きてバスに乗る。静岡駅前にて、瀬名行きに乗り換えるべく停留所に行けば、東京より戻りし奥サン、バスを待ち居たり。
夜、宮部みゆき『さようならキリハラさん』読了。「医者」の科白に、ミステリーとしての綻びはあれど、社会的な主題や手馴れた心理描写で読ませる。
7月18日(火)
静岡市民文化会館大ホールにて日本国際青少年音楽祭オープニング・コンサート。
南アフリカのソウェト・ヤング・ヴォイセズがいい。学生にも好評。TVのニュースも、主にこれを映す。
奥サン、烏丸の引越し手伝いに京都へ。一成、金谷へ。
7月20日(木)
朝、SBS「とれたてラジオ」に出演。ブレーク・クラーク『真珠湾』、ウィラード・プライス『日の出の子達』など、戦前、戦中に翻訳出版された日本についての本を紹介。時事川柳のお題は「責任」。創り易き題の、却って面白きもの少なし。出題は「揺れる」。
昼前、金谷に赴く。お義母さんの車で島田へ行き、礼服の算段。
奥サン、一成と金谷で落ち合い、戻る。
金谷へ行くとき、家を出て東部団地バス停に向かう道の写真を一枚撮る(右)。短大へ通勤の道でもある。こうした写真を集めて「何でもない風景」の写真集を作って見たらと、随分前から、時々心に浮かんでくるアイデアのあり。
都築響一の写真集『東京スタイル』、木村聡のやはり写真を多く載せた『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』に少し感化されていたるところに、ミーシャを持ち歩く楽しみを知りしこと、かかることを思う一因なり。
さらに一つの因は、「都市構造の心理学」といったテーマの頭より離れぬゆえで、写真を撮らむとの思いは、生活空間を文学的に論じたき思いと表裏の関係にあり。
ゆえに、アイデアが、どんな形で実現するや、今は見当がつきかねたり。何とか方向を見つけて動き出したきものなり。
7月22日(土) 晴
一成、お義父さんとAOIの音楽祭「フェスティバル・コンサートT」へ。再びソウェト・ヤング・ヴォイセズを観る。二度目の所為か、民俗的な印象は薄れ、洗練されたものに感じられる。チェコの団体のCDを買わされる。
7月24日(月) 雨
終日在宅。一成とチェスなどする。
7月25日(火) 雨のち曇
朝、浜松城薪能パンフレット最終校発送。
三浦綾子『母』、夜、サーバーに関する本を探しに行って購入。小林多喜二の母を描きたる小説なり。
深夜、長く放置し置きしビデオ・テープの整理完了。
最近、船田氏より電話なし。
7月26日(水)
夜、村山由佳『僕らの夏 おいしいコーヒーのいれ方U』読了。従姉弟でありながら実は血のつながっていない二人の恋という設定は、あだち充の『みゆき』を思わせるものがある。こちらも、血のつながりのない兄妹の恋の物語であった。保護者に当たる人物が外国に出かけていて傍らにいないという点も共通している。全体の雰囲気も、あだち充の諸作品や、『きまぐれオレンジロード』といった恋愛を主題とした漫画やアニメに近い。著者は昭和三十九年生まれの女性。エンターテイメントとしてよく出来た作品である。
7月27日(木) 曇時々雨
昨日来、デスクトップPCの設定を一からやり直している。
静岡新聞夕刊、文化欄にシトラス文学賞の記事出る。杉山氏のご高配ならん。
福島先生とやっと連絡がつく。仲澤先生にも電話。
7月29日(土)
アニメ『さくら大戦』の第一回をビデオ録画で。『帝都物語』と宝塚趣味の、奇妙で快い調和。
『ルパン三世 1$マネーウォーズ』も観る。シリーズの中では、出来のよい方。
7月31日(月)
『ムトゥ 踊るマハラジャ』をビデオ録画で。芸能の本質を為す非日常的リアリズムが横溢している。歌舞伎である。
8月1日(火) 晴
学園研修会で浜松大学へ。本部よりバスで直行。
8月2日(水) 晴
学園研修会二日目。バスの大学に近づくに、車窓より見ゆる低き山に、雲の影映りたり。
昼食時、福島先生らと待ち合わせ。
8月3日(木) 晴
一成と京都へ。六時四十四分のバスに乗らむとて、奥サンと三人、家を出て東部団地バス停に向かう。朝日の余りに暑きに、ひるがの行きを繰り上げんと議す。京都に着けば、母も同意見なり。夜に至り、聖子ちゃんの高槻での研修の果てし後、全員で出かけることに決す。
京都着後、一成、鷺公園で早速蝉取り。夕方、宝ケ池を散策。
8月4日(金) 晴
午前中、歯医者。予約時間を待つ間、付近の小路の写真を撮る。下鴨神社の北、一本松と言いし辺りなり。
宝ケ池通りのビストロで昼食の後、一成、母と、例によって梅小路蒸気機関車館へ。スチーム号の最後部座席より東方を望めば、山なりの雲見ゆ。ほどなく積乱雲の力強き形を為す。やがて、天に立つ棒の如くなり、消えたり。この間、十分ばかり(下写真)。
あと、京都駅の伊勢丹によりて、ひるがのに置く為のチェスなど求め帰る。
夜、一成、母と『トラ・トラ・トラ』のLDを観る。
8月5日(土) 晴
ひるがののレンタカーの予約をする。
夕食後、一成に『ファンタジア』のLD、三分の二ばかり見せる。
夜、奥サン来る。予定していた列車より、一本早いのに乗れたとのこと。
深夜一時頃まで、蝉声止まず。
8月6日(日) 晴
母、奥サン、一成と、墓参に八木町に赴く。京都駅より山陰線、八木駅(左写真)からはタクシー。大雲寺に挨拶の後、墓地へ。タクシーを待たせて、木立の中をしばらく行く。小さき山のふもとの墓地、他に人なし。最近、草を刈たる如く見ゆ。夏の日を浴びて淋し。
墓参を済ませ、「かぶと虫ドーム」というに回る。クヌギの木立に網をかぶせ、かぶと虫を放したるなり。中に入りて、採集の真似事をする。一成、かぶと虫を手に持つは初めてなりと言う。
八木町、人口九千ばかり。減少しつつあり。有名企業の工場など来たれど、従業員も共に来たりて地元の雇用にはつながらず。その従業員も、ほとんど京都方面より通勤す。また、地元の人の、買い物は亀岡に、仕事は京都に求める者多く、商店街さびるると、タクシーの運転手の語りき。かぶと虫ドームは賑わいたり。
夜、船田氏より電話。
8月7日(月) 晴
六時前に目が覚める。
午前中、「会員だより」の原稿を國學院の学会に郵送。あと、歯医者。大丸で、奥サン、母、一成と待ち合わせ、ジャワ・カレーを食べた後、買い物。
帰宅し、一成に「ロープウェイ」を作ってやり、午睡。まどろみの内に雷鳴を聞く。白雨あり。夕方、聖子ちゃん来る。
8月8日(火) 晴
朝、ひるがのに宅急便を送る。昼食後、一成と、録画し置きし古代エジプトについてのビデオを観る。午睡。夕食後、一成とチェス。さらに聖子ちゃんを交え、ダイヤモンド・ゲームとトランプ。寝室の窓より、鷺公園の木立の彼方に、花火をする人見ゆ。
8月9日(水) 曇
昼過ぎ夕立。四時半頃、母、一成と宝ケ池の亀に餌(パンの耳)をやりに行く。PHに回り、中華の夕食。奥サン、聖子ちゃんは四条で落ち合い、買い物と夕食。ひるがの行きを前に、家に食品を残さざるため、全員外食となる。
8月日10(木) 晴
8時17分、京都発のこだまで岐阜羽島へ。新岐阜からタクシーで郡上八幡駅へ。ロッカーに荷物を預け、街中へ。新橋亭で昼食。宗祇水を見る。直後、雷雨。タクシーで駅まで戻り、長良川鉄道にて大中まで。予約していたレンタカーに乗り、白鳥で買い物の後、十七寮。掃除の後、湯の平温泉に行くつもりが、道を間違え白鳥の「美人の湯」に入る結果となる。山中の道、半月明るし。
8月11日(金) 晴
昼前、阿弥陀が滝へ行く。滝見物の後、流しそうめん、岩魚の塩焼き、朴葉めし、炭焼き団子で昼食。後、牧歌の里に回る。牧歌の里にて、一成、体験乗馬をする。山荘に戻れば、船田氏より電話あり。
夕食は焼き肉。食後、牧歌の里にて求めし一成の土産、D51の木製模型を作らされる。聖子ちゃん、テンダーを作る。
今年の十七寮付近は、蝉の声喧し。夕刻、ひぐらし頻りに鳴く。阿弥陀が滝へ行く道、蝗多し。高原には薄の穂、既に開きかけたるもあり。コスモスも咲く。低地には、紫陽花の残るもあり。
8月12日(土) 曇
朝、知りしことあり。雲の出て暗くなれば、蝉声しずまるということ。
11時、北濃発の長良川鉄道で、聖子ちゃんと帰静。新幹線を浜松で降り、金谷のじいじと浜松城薪能へ。会場変更で、急遽、浜松城から浜ホールへ回る。金谷に泊まる。
8月13日(日) 晴
朝、金谷で「お棚(精霊棚)」を作る様子を見、写真も撮る。聖子ちゃん、胡瓜の馬、茄子の牛を作る。10時半頃出発。新幹線、名鉄、長良川鉄道、連絡よく、4時過ぎに北濃着。岐阜、関など暑熱きびし。北濃、やや涼し。
8月14日(月) 晴
昼前、やまびこロードを木曽馬牧場へ向かう。
「入道雲 車逃げ水追いかける」一成の俳句(但し、一部、家族の共同制作)なり。
キッチン・ブレーメンで子羊の骨付き肉の黒胡椒焼きの昼食。この店を訪れる度に食べている。
一成、木曽馬に乗る。11日の牧歌の里より、少し馴れた様子なり。尤も、係りの人が付いて、狭い牧場内を一周したるのみ。
木曽馬牧場周辺の小道を、少し歩いてみる。牧場には何度か訪れながら、散策は初めてなり。十七寮のある山中とは異なる高原の風情、明るくすがすがしき思いす。
夕刻、一成のD51完成。
8月15日(火) 晴
午前中、北濃に車を置き、長良川鉄道で郡上八幡へ。魚寅で昼食。鰻丼と鯉のあらい。博覧館を観る。きびしき暑さの中を訪れし故、あまり頭に入らす。当地の古今伝授につき、わずかに知りたるのみ。
帰路は、白鳥まで岐阜バス。北濃までJRバス。初めてJRバスを利用する。白鳥駅前、ロータリーに整備され、昔日の面影なし。
帰宅後、一成の夏休みの工作のために、板にサクラの枝を張りて、額らしきものを作る。
8月16日(水) 晴
昼食に、レストラン「山の家」まで、写真(下)を撮りながら歩く。約一時間の行程。
一成とばあばは途中の野鳥園まで。奥サン、後から車で出て、順次拾って行く。
朴葉味噌定食と冷奴の昼食。冷奴、三角形に切りて皿に並ぶ。味噌をつけて食べる。きわめて美味。
あと、白鳥へ行き、買い物。
夜、一成、工作の宿題を作る。昨日の額らしきものに、松毬の梟、三羽並びたり。
一成、毎年見ている京都五山の送り火を見られず、残念がる。
一成の残暑見舞い着きたりとて、金谷より電話あり。
8月17日(木)
十七寮を引き上げる。雨戸を閉めんとしていたれば、トンボ二匹、室内に飛び入る。「一成君にお別れを言いに来たんだよ。」と奥サンの言えば、一成、泣く。白鳥あたりまで泣き続けたり。
京都に戻れば雨。駅ビルで寿司の夕食。隣の席の、母らしき人と中学生らしき少女。話すを聞くに、数日京都を観光し、帰らんとするものの如し。
8月18日(金)
夕刻、一人、金谷に赴く。お義母さん、礼服を用意して置いてくださる。
8月19日(土)
午前中、聖子ちゃんのトルネオで藤枝の高砂殿へ。
湯口さんの結婚式。温かく華やかな式。「八月の花嫁笑まふ花に似て」
四時前にお開き。静岡駅で、お義母さん・聖子ちゃんに会う。荷物受け取りなど。予定より随分お待たせする。
帰宅。
8月20日(日)
夜、京都へ。
8月21日(月)
午前中、歯医者。
夕方、母と宝ケ池周辺を散歩。
夜、船田氏より電話。例の件、停滞のまま。
8月22日(火)
昼、四条でレコード・プレーヤーを購入。
夜、北山通り東洋亭で食事。東洋亭、若者向きに安価になっている。しかし、窓の向こうに電飾の庭、道を隔てて植物園の緑と、雰囲気はよい。
帰宅後、『髪結新三』をレコードからテープにタビング。
8月23日(水)
13時17分発のこだまで帰静。
8月24日(木)
早朝、「とれたてラジオ」出演。情報三枚おろしは「お芝居に見る夏の終わり」。時事川柳は「夏の恋」。出題は「再会」。
夜、河上さんから「K・H通信」のFAX。メール・アドレスを知らせてくる。
一成は、金谷でお泊り。
8月25日(金)
奥サン、一成・じいじたちと浜松の科学館や空自の広報館へ。
終日、家で色々の整理。
『伝記小説・深沢七郎』、浜野茂則さんより届く。
8月26日(土) 曇
夕刻、家族で瀬名中央商店街の夏祭りへ。毎年この時期、スーパーの駐車場を利用し、屋台を出す。小さき舞台などもあり。(左写真)あと、ヒマールで食事。
帰宅し、再び一人で散歩に出る。夜の長尾川畔を久しぶりに瀬名新田まで歩く。青松虫の声かまびすし。くつわ虫らしき音も聞こゆ。西奈団地に至れば、対岸に線香花火見ゆ。ここに至るまで花火するに出会わず。新田橋に来て、背後に音あり。振り返れば、下流の方向、低き山を越して、打ち上げ花火の開く。しばらく続きたり。通りかかりて、橋に立ち止まる人あり。音に気付きて、家より出てくる人もあり。ただし、多人数ならず。
子等のする花火はわずかに、打ち上ぐるは遠し。人々の話す声さえ静かなれば、過ぎ行く夏のすずろに心に染む思いす。
帰れば、奥サン、一成も、近所まで出て花火見たとのこと。
8月29日(火)
宮部みゆき『東京下町殺人暮色』読了。文章がうま過ぎるのも困りもの。
8月30日(水)
夕方、一成の自転車の練習を兼ねて、瀬名新田まで家族でサイクリング。
三浦綾子『母』読了。小林多喜二の母を描いた作品。主題の<隙の無さ>に息苦しい思いがしないでもない。あるいは、こうした隙の無さを日常としようとすることが、人生の修行なのかも知れず。
9月4日(月)
信州・木曽研修旅行に同行。安曇野の美術館を見た後、上高地散策。白骨温泉に泊まる。
この記事以下は、14日に記入。
9月5日(火)
木曽義仲関連の地を訪ね、南木曽の別荘地内の「森のホテル」に泊まる。
9月6日(水)
馬篭の藤村記念館などを観て午後七時頃帰静。
9月9日(土)
SATVカルチャーの歌舞伎講座、第一回。団十郎と荒事について話す。
9月11日(月) 豪雨
悪天候の中を高校訪問。
9月12日(火) 豪雨
引き続き、高校訪問。バスで大井川を渡る。川幅一杯の濁流を見る。中州の樹木群、濁流の中に立ち、テレビで見しアマゾンの如し。
9月13日(水) 晴
午前中、新幹線にて、掛川東高校、昨日までに行き残したりしを訪ねる。若く初々しき女教師、進路課員とて応対す。
午後、教授会。二時間に満たず終わる。珍しきことなり。
9月14日(木)
十二時半より、修了論文の面接二名。後、Hアソシアの入試説明会へ。
この日までに読みしもの、篠田節子『蒼猫のいる家』、田宮虎彦『須磨の月』、椎名篤子『家族「外」家族』、同『親になるほど難しいことはない』、など。
『蒼猫のいる家』、人生にしばしば体験する<解きようのない誤解><語りようのない思い>を描いて秀作なり。曽野綾子の『寂しさの極みの地』(だったか)に近き主題。
『須磨の月』、田宮虎彦に特有の<感傷的な惨めさ>のモチーフはあるが、他面、人生の快楽を描くことを主題としたと読むことも出来る。
9月16日(土) 曇時々雨
午前中、一成の授業参観。夕方、一成の自転車の練習に付き合う。
シドニー・オリンピック、田村亮子、金メダル。決勝は一本勝ち。
9月20日(水)
短大研修会。
9月21日(木)
朝、「とれたてラジオ」出演。近世以前の<子供・不良少年>観について話す。時事川柳のお題は「やり直し」、出題は「数える」。
短大研修会二日目。
9月23日(土) 雨
一成、運動会。雨で午前中のみ。校舎内でお弁当を食べ解散。
9月24日(日) 曇
朝、シドニーの女子マラソン、高橋尚子、金メダル。
一成の「計算カード」、コンピュータで行えるようにする(ロータス使用)。
夜、長嶋巨人リーグ優勝。九回裏0−4からの逆転。
試合前、長嶋監督、続投要請を受諾。
9月25日(月) 晴
朝、起きる前に、奥サン、「スポニチ」と「ニッカン」を買っておいてくれる。コンビニでは、他は売り切れていたとの事。
トイレが詰まり、荒物屋に自転車で修理器具を買いに行く。帰途、写真店の近くで、やはり自転車に乗った石川先生にお会いする。
午後、新聞販売店に行き、「読売」と「報知」を買う。各紙、「長嶋永久監督」などの記事あり。
「ニュース・ステーション」によれば、スポーツ六紙の内、巨人優勝を一面にしたもの四紙、シドニー女子マラソン二紙。巨人優勝時の視聴率、40%をかなり超えた模様。
夜、八月末に録画しておいた英国映画『湖畔のひと月』を観る。舞台は、1937年のイタリア。コモ湖畔のヴィラを訪れた初老の男女の、ちょっとコミカルで仄かに哀愁漂う恋物語。大戦を間近に控えたリゾート地でのバカンスという、華やかさと果敢なさを共存させた設定は、決して目新しいものではないが、やはり魅力的である。抑制の効いた感情表現と、これ以上はないと思われるほど美しい映像が、右の設定を背景に、見事なハーモニーをかもし出している。間違いなく、第一級の作品である。
9月26日(火)
朝のTVワイドショーで、スポーツ紙からの引用として、巨人優勝時の視聴率33.3%、後のVTR放映時44.3%、と伝える。
9月27日(水) 晴
坂井三郎氏逝去の記事、朝日・静岡にベタで出る。享年八十四歳。共に、著書を紹介しているものの、『大空のサムライ』の書名なし。
介護体験実習に関わる挨拶回り。吉原より岳南鉄道に乗る。
9月28日(木) 晴
介護体験実習に関わる挨拶回り、二日目。修善寺の施設に立ち寄り、松崎町まで足を伸ばす。松崎町、近世の建物など多く残る。
商店街を歩けば、海に向かう路地あり。両側に柱を立てて上に「海水浴場入口」と表示のあるアーチを載せたり。写真を撮れど、アーチは入らず。
帰途、バス乗車中に日が暮れる。初秋の伊豆山中、闇の中を走る。
9月29日(金) 晴
介護体験実習に関わる挨拶回り、三日目。朝、研究室にて専攻科修了論文の指導の後、御殿場方面へ向かう。
三日間にわたる福祉施設訪問、我が国の高齢者福祉の現状について、知るところ多し。公的施設、民営施設、民営なれど母体となる企業の退職者・社員の家族を入居者の主たるものとする施設。それぞれに特色あり、入居者の人生あり。
9月30日(土) 曇
一成、友人(たっくん)と連れ立ち帰り、夕刻まで二人で遊ぶ。
平成十二年十月へ
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