平成十二年三月へ

【日乗 平成十二年 2】
4月1日(土)
 教授会、あと中島屋Hで歓送迎会。賞状貰う。特昇する。

4月2日(日)
 夜、奥サン、一成、ばあばと、ちゃっきり亭で色々の祝賀会。
 静岡まつりとて、新静岡センターでバスを降りる。道路一杯に様々な連の踊るを見つつ行く。夜桜乱舞と名付けたれど、今年は花遅し。

4月3日(月)

  午後、新中町ビル、吉見書店と巡り、教職関係、コンピュータ関係の書籍を求む。一成、ばあば同道。
  街路を埋めし踊りは昨夜に終われど、浅間神社に祭り未だ果てず、参道・境内に屋台並びたり(右写真)。桜、三分ばかり。境内の、かつて見世物小屋を見たりし辺り、お化け屋敷出る。口上喧し。

4月5日(水)
 母、京都へ。

4月6日(木)
 入学式。非常勤講師会。

4月8日(土)
 SATVカルチャーの歌舞伎講座、最終回。歌舞伎が高尚なものと意識されるようになった理由について話す。

4月9日(日)
 浜名湖ロイヤルHにて、フレッシュマン・キャンプ。

4月10日(月) 雨、風強し
 天候悪しく、外出叶はざるも、よきホテル、よき食事、過密ならざる研修に、新入生満足せるものの如し。

4月11日(火) 快晴、なお風強し
 早朝、九階の窓より望めば、青き湖面に波、斑点となりて移動す。前庭の桜、満開に似たれど散らず。昨夜までの戸外の寒さ、思い遣らる。
 学生、三日を経て、よき顔になりたり。
 二時頃帰宅、神明前経由のバスにて帰りたれば、長尾河畔に桜の盛り見ゆ。一成を誘い、三時頃、再び河畔に向かう。菜の花に似たる黄なる花も咲きたり。下校時とて、緑萌ゆる土手の上、淡き桃色の天蓋連なる下を、自転車で行く高校生の群れあり。風吹けば、青空に花弁舞う。午後の陽の余りに明るきに、銀色に見ゆ。
 長尾川、常は水無き川なれど、昨夜の雨に水流れたり。花びら、点々と流れ行く。一成、川に入り水に倒る。浅ければ恙なかりき。

4月12日(水)
 前期開講。
 「ミーシャ」で撮ったFCの写真を、短大のHPで公開。
 夜、ラジオで野球中継を聴きつつ、長尾川遊歩道を三周する。夜の川に鳴くものあり。

4月13日(木) 晴
 SBSラジオの「沢木久雄のとれたてラジオ」に出演。『源氏物語』「若紫」の話などする。

4月14日(金) 晴
 六時前に目が覚めてしまい、散歩に出る。桜の花びら点々と落ち散りたる長尾川の堤を瀬名新田まで歩く。花、盛りを過ぐといえど、梢になお半ば以上残りたり。鵯の声鋭く、枝を揺らし蜜を吸う。かつて、上高野の家の南に大いなる邸宅あり。庭に数株の桜樹ありて、やはり鳥の訪るる。姿は見えず、花の動くに知られたり。その邸、室町辺りの呉服屋の主の、妾と共に住むと聞きしことあり。今はなし。
 河畔を歩く歩く。地にも様々の花。散歩する老人、登校の若者。「ミーシャ」にて行程の組写真を撮る。

4月15日(土) 雨
 新入生歓迎会。オレンジ・ホールでの行事の後、駿府匠宿へ行く。絵付けの体験などあり。「ミーシャ」で写真を撮る。
 15時頃帰宅。金谷のばあば、一成を見てくださっている。草薙に出てノート・パソコンを買う。

4月16日(日)
 終日、新しいパソコンの設定。

 西村京太郎『北帰行殺人事件』、この頃までに読了(この部分、20日に記している故、記憶曖昧なり)。
 橋本刑事の復讐の方法、殺人を犯さなかった理由など、リアリティに欠ける面あり。猟奇性を強調しようとする意図と、主人公への読者の共感を失わせまいとする配慮の共存が、作品の展開をいびつにしてしまっている。もっとも、こうした印象は、物語の最終局面、あるいは読後に生まれてくるもので、「謎」が維持されている間は面白く読むことが出来る。
 天童荒太の『永遠の仔』も読み続けている。鈴木光司『リング』、林屋辰三郎の『京都』も読み終わらない。他にも、読みさして放り出してあるもの多し。複数の本を並行的に読み進め、その時の気分で読み継ぐ本を選択するという読書を、もう長い間続けている。自分には、もっとも能率のよい読書法のような気がしている。


4月17日(月)
 島田看護学校開講。
 夜、勝海さんより電話。浜松城薪能のパンフレットのこと、短大の芸術鑑賞会のことなど。

4月18日(火)
 担任しているクラスのFさんの御母堂逝去とて、小鹿へ通夜に赴く。

4月19日(水)
 新しいパソコンの設定、ようやく完了。情報文化演習のプリントをこれで作成。
 船田氏より電話。少しずつペースを取り戻しつつある如し。

4月20日(木)
 新入生歓迎会の写真を、短大のHPで公開。

4月23日(日) 晴
 午後、一成と梶原山に登る。葉桜の弁天池の横を抜け、光鏡院脇の農道を登る。途中、下山するセメツキー・小林両先生に会う。茶畑の中の小道へ折れ、山頂へ向かう。林の中を行くこともあり。一成、元気なり。ちゃっきり節を唄いつつ踊るが如く登る。北に重なる山の姿、南に望む海の色、風にも初夏の風情あり。山頂、公園に整備され、梶原景時終焉の地の碑立てり。後に広辞苑を見れば、景時、狐崎に討ち死にとあり。大川先生に尋ねれば、諸説あるよし。帰路は、道を変えて西奈小学校方面に出る。昨年十一月二十八日に辿りし道なり。バス停にて、一成、サイダーを飲む。昨夏、ひるがのにて飲みしことなど思い出して語る。いとおし。山頂までの行程、写真に撮る。

4月26日(水)
 母、来静。連休前のジパングが使える最後の日とのこと。

4月27日(木)
 SBS「とれたてラジオ」に出演。富士の樹海に関する話する。川柳のお題は「乱高下」。出題は「切れる」。

4月29日(土)
 奥サン合宿で、昼は作り置きしいなり寿司。夜は「ヒマール」。ここのカレーは飽きない。小皿にルーを入れて一成の前に置き、辛さはこれでよいかなど問う。応接、心地よし。
 報道によれば、この日について議論あるよし。昭和を偲ぶ日と改称せんとする案に、偲ぶは特定の個人にかかわる言葉ゆえ不可なりとの反対あるとか。賢しら心の卑しく、不快なり。

4月30日(日)
 一成、昨夕より発熱のため、外出かなわず。一日早く予定していた奥サンの誕生会の食事、延期となる。バースディ・ケーキを求め、夕食後のデザートとしたるのみ。

5月3日(水) 晴
 一成、体調悪しく、ひるがのには母と二人で赴く。豊橋より名鉄特急で新岐阜へ。新緑美しき沿線に次々に現れる小さき町。嘗てドイツ旅行でアウトバーンを行きしが思い起こさるる。新岐阜で昼食後、関へ。
 関にて、長良川鉄道の車両を待つ。ホームに八重の桜ありて、盛りなり。風強く、横に流るるが如く散る。親子らしきあり。二十歳を少し過ぎたると覚しき男。心病めるらしく、しきりに奇声を発し跳躍を繰り返す。母ならむ、初老の婦人、とどむれど止まず。気の毒なり。散る花と狂人と、春の光満てる寂しき駅に、奇妙に相応しく眺めらる。安吾、梶井の小説の故か。
 郡上八幡にて買い物。ビールを飲み、「けーちゃん」なるものを食す。最近テレビに報道されたる奥美濃の名物。「けー」は鶏。「ちゃん」は諸説あり。意味なき語とも、鶏の内臓のこととも言う。味付けも味噌や醤油や様々なるよし。食べたるは醤油味。笹身と野菜を炒めたらしきもの。
 郡上八幡より白鳥へ、再び長良川鉄道。買い忘れたるものありて、白鳥行きの列車を待つ間に街中へ戻る。名水と踊りで全国に知られたる町の、往来絶えし大通りの夕景、得がたきものに思われてシャッターを切る(右写真)。
 白鳥は春祭り。屋台の電飾、町の夜を行く。タクシーにて十七寮に向かう。高鷲村への国道、仄白く桜の咲く見ゆ。八重には非ず。山に入れば、木の芽わずかに緑を覗かせたるのみ。山荘の裏に雪残りたり(左写真・5月4日朝撮影)。
 奥サンに電話。船田氏より電話。

5月4日(木) 晴
 午前中、夜の寒さに備え暖房機のタンクに給油。後、母と付近を散策。蕗を摘むつもりなりしが、去年と変わりて葉も茎も小さく、蕗の薹のみ多し。すみれも、一輪を認めたるのみ。群落はなし。昼食にビールを過ごし眠る。
 五時近くに起きて、冬はゲレンデとなる枯れ芝の斜面を鷲が岳の尾根へ登る。眼前の山は、雪まだらなり。登るにつれ、その背後より、白山、純白の姿を現す。美しく、少し恐ろしくもあり。ゲレンデにも一部雪の残りたる。雪解けの水の、土を穿ち、幾筋か細き流れとなりて急斜面を下る。日は山に入り、なお空に光のこる。彼方の山の中腹に、橙色の灯、数個集まりて見ゆ。ホテルかペンションのあるらし。気温下がりつつある山腹に一人なれば、懐かしく覚ゆ。
 三人会の連絡、内田・福島両氏にメールで。
 船田氏より電話。市ヶ尾に入れる電気製品買いたるよし。

5月5日(金) 晴
 午前中に山荘を出発。麓に下れば、高鷲村の桜、盛りを過ぎたりといえど、多くは梢に残りたり。156号線を白鳥に向かう。途中、花吹雪の中を走ることあり。白鳥にて一成の工作キット(但し、本人は作らぬ)など土産を求め、新岐阜、岐阜羽島のルートで帰静。岐阜羽島で奥サンに「起き上がり城最中」を買う。

5月7日(日) 曇り一時雨
 昼、Hアソシアの中華で、延び延びになっていた奥サンの誕生会。後、奥サン、三枝緑雨展のため東京へ。ビールと紹興酒の心地よく、帰宅後、夕刻まで眠る。
 ブレーク・クラーク『真珠湾』の紹介記事をアップロード。米国で書かれた真珠湾攻撃に関する本にして、戦時中に日本で翻訳出版されたもの。事情はなはだ興味深く、かねて紹介したく思いたるなり。

5月8日(月)
 午前中、母、京都へ。
 看護学校の帰りに、島田駅で宮部みゆき『地下街の雨』(短編集)を求め、標題作『地下街の雨』を読む。前半の、主人公の失恋の悲しみを描いた部分、非常な迫力がある。これは、失恋を、それに起因する社会的屈辱の面を強調して描いているためである。一方、後半の、<恋の手助け>の種明かしはリアリティに欠ける。宮部みゆきについては『理由』を読んで圧倒された思いがあるが、この作家の社会的な主題を生かすためには、長篇が相応しいのかも知れない。

5月10日(水)
 夜、野球中継を聴きつつ、長尾川遊歩道を三周する。久しぶりの散歩なり。

5月13日(土)
 一成、ドラえもんの風船ほか、玩具多くを持って金谷にお泊り。十二時半、静岡駅にて一成を聖子ちゃんに託す。
 後、「ライオン」で黒ビールと鹿肉のタタキなど、また、「やぶ福」でざる蕎麦と燗酒。酔いの心地よく、ミーシャで写真を撮りつつ、瀬名まで歩く。

5月14日(日)
 ホームページをかなり更新。トップページのメニューも変更する。
 野球中継のラジオをポケットに、長尾川遊歩道を歩く。はじめて蛙声を聞く。長嶋巨人首位に立つ。

5月15日(月)
 島田の帰りに、十三日に撮り残した写真を撮る。このため、静岡駅までの往復は自転車を用いる。
 夜、佐藤光房『東京落語地図』読み始める。

5月16日(火)
 夕刻より、福島、内田両先生と「しゃぶ禅」。ロイヤル・ホストのソフトクッキーを買って十一時過ぎに帰宅。

5月20日(土) 小雨
 庭の樹に巣を作りし鳩の、数日前より見えずなりぬ。
 午後、一成をガールフレンドの家に送る。帰路、回り道をし、郷倉、津島神社、利倉神社の写真を撮る。

5月21日(日) 曇り

 夕方、奥サン、一成と散歩。再び郷倉に赴く。南を見れば、リンク西奈傍らの楠の大樹、西日を浴びて見事なり(左写真)。長尾河畔に出づれば、利倉神社の楠木、枝をすかれた如し。

5月25日(木)
 ここ数日、睡眠、非常に不規則になっている。古いコンピュータの設定変更を企図したところ、CDーROMを認識しなくなったためである。昨夜も十時頃寝て、十二時に起きる。二時間ばかりあれこれ試みる。ようやく解決。再び寝て、午前四時に起床。ラジオ番組の準備をする。
 例によって、六時半スタジオ入り。七時よりSBS「とれたてラジオ」に出演。「情報三枚おろし」は『唐茄子屋政談』に関わる話。時事川柳のお題は「失言」。応募多し。出題は「ペアリング」。朱鷺のニュースを利用したるものなり。他に、明るい話題、見つからず。
 夜、船田氏より電話あり。件の話、ちっとも前へ進まず。

5月27日(土) 雨
 奥サン、聖子ちゃん、S氏と、焼津、中島屋四川飯店で会食。後、金谷に泊まる。楽しい食事、深刻な話。

5月28日(日)
 金谷から静岡へ向かう電車の中で、S氏の名刺をミーシャに重ねてみる。ほぼ一致する。

5月29日(月)
 島田へ。瀬名、静岡駅の往復は自転車。帰途、パソコン・ショップを巡り、PDを一枚買う。1200円程度。既に時代遅れのメディアなり。

5月31日(水) 雨
 「国文瀬名」の秘在寺山頭火句碑についての原稿完成。

6月1日(木) 晴
 SATVカルチャーの歌舞伎の講座、九月開講に一応決定。

6月2日(金)
 18時30分のJRバスで東京へ。途中の停留所で、茶髪の少女一人降りるあり。停留所に、やはり茶髪の少年二人、少女一人いて、迎えて歓声をあげる。降りし少女も嬉しげなり。常には眉顰めるべき者等の、不思議に愛らしく覚ゆ。
 十時ごろ大岡山着。母は午後二時過ぎに着いたよし。
 冷蔵庫故障で、庫内過熱状態。恐ろし。

6月3日(土) 曇
 午前中、マツヤデンキで冷蔵庫と洗濯機を予約。
 自由が丘で、一成への土産(屋形船のプラモ)を買う。
 千葉大学の口承文芸学会へ。母、同道。歌舞伎座、夜の部観劇の予定なれど、劇場近くで待ち合わすこと、不安なるが故なり。
 六月大歌舞伎。『源平布引滝』「義賢最期」、『道行恋苧環』、『縮屋新助』。二階中央最前列というよい席。この位置は始めてである。
 「義賢最期」、冒頭近く、仁左衛門の義賢が団十郎の折平を呼び止めるところ、隙のありたるか。但しは、本に無理があるか。後半、最期にいたる演技、死までの時間の長さをリアリティを維持して、見事なり。襖のタテ、仏倒れといったけれんのみで、舞台を支えていないところがいい。
 仏倒れの直前、地震あり。揺れの長く続き、客席、一時騒然となる。
 『道行恋苧環』は、お三輪が芝翫で、橘姫が鴈治郎。逆のような気もすれど、この赤姫は、「恋は仕勝ち」と言ってのける庶民派。上方の町娘のような雰囲気もあり。
 『縮屋新助』。幸四郎恰幅よく、冒頭の謙虚に多少違和感あり。
 大岡山駅に戻れば、中華菓子を下げて船田氏居る。黒ビール、銀河高原ビールを飲み、部屋で三人で十二時ごろまで話をする。
 『オトラント城奇譚』読み始む。東京に置き、東京で読み切るつもり。

6月4日(日) 晴
 午前中、再び千葉大学に赴き、研究発表を聴く。様々な人物に関わる伝承が、(有名な)個人の伝承となり行く傾向を指摘したる、一人ならず。『芸人その世界』の記述など思い合わされて興味深し。
 午後遅く、母と市が尾に赴き、船田氏の邸を見る。庭に芝を置き、家具も少し入りたり。
 自由が丘に出て、富一の天麩羅で夕食。後、ゴンドラのあるスクエアへ行けば、店の多くは閉じ、電飾うるさからぬ程に灯りたる広場に、若者たち集まりて、缶ビールを飲むもあり、ベンチに語らうもあり、風穏やかなる初夏の夜を楽しみ居る。大岡山まで歩きて、銀河高原ビールを飲む。高山の産、郡上白鳥のレストランにて知りたるなり。船田氏も気に入りたる様子。
 十時半ごろまで話して、船田氏帰る。

6月5日(月) 晴
 帰静。午前中、島田で授業。「絶望」に由来する充足の体験と、ホスピスに於ける介護との関係、思い付いて話す。母は、十時前の新幹線で帰京したよし。
 夜、一成にD51の模型を作らされる。ふと見れば、網戸の向こうに蛇の姿、恐ろし。奥サン、殺虫剤をかける。

6月6日(火)
 深夜、D51の模型完成。動輪が二個という省略型。

6月7日(水)
 夜、「昭和名人芸大全」全六巻の内、一・ニ巻を見る。柳家小さんの百面相など。

6月8日(木)
 学園創立記念日。
 『近代文学が忘れたもの』、静岡新聞夕刊に出る。

6月9日(金)
 「短大周辺散策コース」の学内ネットへのアップロードを確認。6月6日より載せられていたもの。
 19時静岡駅前発のバスで大岡山へ。

6月10日(土) 曇り時々雨
 8時半頃船田氏よりの電話で起こさる。11時前、再び電話。
 冷蔵庫と洗濯機届く。先週予約しおきしもの。冷蔵庫は韓国の大宇製なり。
 午後、千駄ヶ谷の国立能楽堂で芸能学会。能面についてのセミナーあり。
 あと、船田氏と渋谷センター街のニュー・トーキョー。丸山町の地蔵、弘法湯の跡の碑など見て、西郷山から中目黒へ出る。大岡山で銀河高原ビールを飲む。

6月11日(日) 曇り時々雨
 10時過ぎ、船田氏よりの電話で起きる。昨日買い置きしモカを、ミルで挽いて飲んでみる。水の故か、何かは知らず。東京で飲む珈琲、美味ならず。 
 新宿末広亭(左写真)。午後二時ごろ行き、船田氏と落ち合う。
 江戸家猫八の途中から入る。年取りたり。
 次、玉川スミ。三歳の時、二十七円で女流歌舞伎の一座に売られたという。当時の二十七円、立派な二階家の建つ金額とか。来年、芸能生活八十周年をするという。松づくしなど出すらし。
 亦、都都逸が演歌のルーツであることなど、語りつつ唄う。
 三遊亭円右は、アキレス腱を傷めているとかで、釈台を前に、釣り人用の小さなパイプ椅子に座って演じる。駿河のライオンズ・クラブの人たち来ているとかで、金谷や昔のSLの話など。
 スミ、円右とも、時間の所為か、十分なものとも覚えず。
 中入りの後、江戸家まねき猫、夜の部の予定を変更して出る。かつてTVで、さかりのついた猫の鳴きまねを、猫八と二人でするを見しことあり。その頃のことも高座で語る。江戸家の一家、よき家族なりと感ぜらる。
 昼主任は、古今亭寿輔。ラメ入り黄緑の着物にて出る。くせのある芸人にして、TV等にはむかねど、玄人好みで名を残す可能性あり。
 あと、焼き鳥屋に寄り、大岡山に帰る。
 九時半ごろの「こだま」で帰静。

6月12日(月) 雨時々曇り
 タクシーチケットを忘れ、島田の帰り、駅まで歩く。島田市の再開発地区、散策にふさわしきものあり。
 柴田氏より「とれたてラジオ」22日への出演依頼。
 夜、父の日のプレゼントとて、ノート・パソコン用バッグを貰う。
 川内先生より葉書、伏見さんよりメール。何れも新聞の文章を見たという内容。船田氏よりも電話あり。内容、特になし。

6月13日(火) 雨
 田中励儀氏より送られたる論文四篇(鏡花に関するもの三篇、戦時の文学に関するもの一篇)読む。考証の精密が魅力である。こうしたものを書くこと、楽しからん。

6月14日(水) 雨のち曇
 論文の感想を手紙に認め、励儀氏に送る。『文学的体験とは……』の書評も依頼する。
 このところ、南北朝鮮首脳会談の報道頻りなり。金正日氏、男を上げる。

6月15日(木) 曇
 Fさんの教育実習巡回とて、伊豆・松崎中学校に赴く。
 夜の明けきらざるに起き出でて、四時半頃、奥サンの運転する車で静岡駅に。国道1号線、さすがに行き交う車稀なり。駅ビルに入れば、ホームレス数人眠りたる。一人は身を起こして、ノートらしきものに頻りに筆を走らせる。ホームにて列車を待つ間に、寝台特急、新しきもの、馴染み深きブルー・トレイン、停車し、また出でて行く。降りる者ほとんどなし。5時8分の列車に乗る。
 6時9分、三島駅着。6時12分発の伊豆箱根鉄道に辛うじて間に合い、修善寺に向かう。途中、高校生らしき制服の男女、多く乗り来るあり。
 修善寺着は43分。7時15分発の土肥行きのバスを待つ。待合所に嵯峨沢館の看板あり。数年前の春、京都も金谷も共に宿泊したることあり。
 バスに揺られてあれば眠気兆す。土肥も、かの春に遊びし地なり。8時3分に着。7分の待ち合わせで、松崎行きのバスに乗る。海を臨み山を走る。磯の匂いの車中に流れ入るところあり。亦、樹の花ならむ、甘き香のするところもあり。8時57分、松崎着。
 9時15分頃、松崎中学校到着。研究授業を見学するなどして、11時前に辞す。
 石上氏に教えられし、豊崎ホテル別館「民芸茶房」へ歩く。途中、古き民家などあり。傍らに立つ松も海の近きを思わせてゆかしく、「ミーシャ」にて写真を撮りたれど、光の具合悪しき。「民芸茶房」では刺身定食。美味なり。応対もよし。ビールを過ごす。
 間近に、沼津への高速船の発着場あり。12時15分発の船に乗る。三十分ばかり上甲板にて風に吹かれていたりしが、疲れを覚えて船室に下りてまどろむ。覚むれば沼津港なり。
 写真、多く撮りたれど、先に述べし如く失敗もあり。絵葉書に似て、それに劣りたるもあり。早朝の1号線を撮りたる
と、沼津港に近きバス通りを写したるとを掲げる。変哲もなき風景の、却りて珍しからん。
 松鶴家千代若師没。享年九十五歳。

6月16日(金)
 皇太后陛下崩御。新聞・TVは「逝去」の語を用いる。宮内長官、官房長官談話は「崩御」。
 天童荒太『永遠の仔』読了。名作の例に漏れず、作品世界のリアリティは、素材にではなく、作品それ自体に由来している。作品のよき印象の多くは、三人の主人公の一種の潔さにあるが、こうした性格は<現実の>トラウマから来ることは稀であるように思われる。「神様の山」「明神の森」のモチーフもよく生かされている。これがなければ、作品の主題は社会的であることを超え得なかったであろう。本作の<文学的>クライマックスは、モウルとジラフが、海に龍の姿を認める場面である。ジッドの『贋金つくり』の天使の出現する場面を思わせる。

6月19日(月) 晴
 島田駅前の書店にて、三浦綾子『塩狩峠』を求め、読み始む。

6月22日(木) 曇り時々雨
 朝、「沢木久雄のとれたてラジオ」出演。「なめくじの作り方」と題して、近世以前の本草学の話をする。時事川柳のお題は「勝負」。出題は「成長」。
 帰途、静岡駅ビルの書店で「小説新潮」を買う。『ぼっけえきょうてい』に興味を持ったためなり。
 深夜、HPのトップページにアクセス・カウンタを設置。

6月23日(金)
 夜、大岡山へ。今回は新幹線を利用。
 大岡山の電話(コードレスの方)、遂に使用不能となる。

6月24日(土) 雨
 十一時、國學院の学会の委員会。午後、岡田哲氏の講演を聴く。
 渋谷氏、時々HPを見ているよし。
 皇居坂下門へ赴き、皇太后陛下崩御の記帳を行う。雨なれど、記帳に訪れる人の姿、絶えることなし。
 秋葉原まで巡りて、コードレス電話を探せど、適当なものなし。要するに、ベッドサイドに電話が来ればいいのだと思い至り、10メートルのモジュラー・ケーブルを求む。
 学会の昼休みに、東急文化会館の三省堂で買いし、池上司『八月十五日の開戦』、深夜まで読み続ける。終戦直後に行われた占守島攻防戦を描きたるもの。

6月25日(日) 雨
 国学院の学会、研究発表、持田叙子氏の柳田国男に関するもの、「山」に関する日本人の印象の、前近代と近代の違いを論じて興味深し。

6月26日(月) 曇
 午前三時頃まで、選挙速報を見てしまう。その後、『八月十五日の開戦』を読み、読了。作者が、昭和三十七年生まれであることに、意外なまた嬉しき心地す。
 かつて『昭和二十年八月二十日』と題された戦記を読みしことあり。内蒙古よりの邦人入植者の引揚を援護する戦闘を描きしものなり。旧軍の戦闘目的を肯定的に評価したる戦記、数少なし。これ等の書、貴重ならむ。
 一時間ばかり眠り、直接、島田へ行く。

6月28日(水) 曇のち晴
 雨上がりの夕刻、焼津の東儀秀樹コンサート(MILLENNIUM TOGISM〜悠久の響き〜)に赴く。伏見さんよりチケットを貰いしものなり。
 第一部は雅楽演奏、第二部は雅楽の楽器を使用してのスタンダード‐ナンバーやオリジナル曲の演奏。
 第一部がいい。背景にかすかに虫の音を流していたが、それがよく調和している。
 随分昔、某音楽評論家が、避暑地での小さなコンサートの様子を描いていた文章を思い出す。
 そのコンサートの最中、小鳥が室内に室内に迷い込んできて、その鳴き声が非常に耳障りに感じられた。そこから彼は、洋楽が自然の音と対立的であることを、驚きをもって確認するのである。
 邦楽器を洋楽の演奏に使用することの難しさは、技術よりも思想に関わっている。但し、現状の困難は、技術的な無邪気さの内に留まっているようである。
 SATVカルチャーの能の講座に参加されていた方、お二人に会う。昨年は、駿府城薪能で会った人たちなり。

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